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【映画】2019年に公開『ジョーカー』の超詳細なネタバレとあらすじ!考察と感想もご紹介します。

2019年に公開された映画『ジョーカー』を見てきました。詳細なネタバレとストーリーをご紹介しますので、まだ見ていない方、ネタバレを避けたい方はご注意ください。


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最初に一言で感想を言うと、圧倒的な悪を描く映画でありながら「思いやりや共感する心を持ってほしい」という暖かいメッセージが込められた映画でした!

映画『ジョーカー』詳細なあらすじ

ここでは超詳細なストーリー・ネタバレをご紹介します。長いのでご注意ください。考察だけを読みたい方は飛ばしてください。

以下ネタバレなので注意

物語の始まり:心優しい性格であったアーサー

1980年代のアメリカ「ゴッサムシティ」が舞台。アーサー・フレックは大道芸人・ピエロとして生計を立てている。

不況が近づく街で、アーサーは看板を掲げピエロ姿で呼び込みをしている。突然、不良グループに看板をひったくられ、慌てて追いかける。路地裏に入ったところで殴る蹴るの暴行を受けるも、心優しいアーサーは殴り返すことをしない。 だが後日、上司から「看板を盗んだだろう」と理不尽に追求されるなど報われない。

持病について

アーサーはふとした場面で笑いが止まらなくなる持病を持っている。ある日、バスの中で母親に抱かれた子供を変顔をして笑わせるアーサー。だが母親からは「構わないで!」とつれなくあしらわれる。途端、アーサーは笑いだしてしまい、怪訝な目を向ける母親へカードを手渡す。「精神の病、もしくは頭部への損傷が原因で笑い出してしまう病気です。ご理解ください」

アーサーの夢

アーサーは人を笑わせることが好きだった。ノートにアイディアを書き溜めながらコメディアンを目指している。しかし文字は間違いだらけ。市のカウンセリングルームに通いつつ、母親の介護をしながら生活している。

仕事の解雇

少年に暴行されたことを知り同僚であるランドルが「護身用に持っておけ」と拳銃を手渡す。いならいと断るものの「お前が銃を持っていることは誰にも言わない」と言われ受け取る。

ある日、小児科で仕事をしているとき、ジャンプした拍子に銃を落とす。拳銃を持ち込んだことが問題になり、アーサーは仕事を解雇された。このとき同僚のランドルが「アーサーが銃を持っているのを見た」と上司に証言していたことを知る。親切な同僚は、裏でアーサーを貶めていた。同じくして市の予算カットでカウンセリング室が閉鎖される。

仕事をクビになった帰り道、ピエロ姿で地下鉄に乗っているところを、寄った証券会社の男三人に絡まれる。殴る蹴るの暴行を受けると、持っていた拳銃で三人を撃ち殺してしまう。最後の一人は逃げるのを追いかけ何度も弾を打ちむアーサー。そしてトイレへ逃げ込み、独特なステップを一人で踊る。

街にピエロの仮装が増える

目撃者はなく、アーサーは捕まらなかった。またこの殺人事件は、貧困層が富裕層へ一矢報いた事件だと世間に認知され、ピエロ姿のデモが街に溢れる。アーサーは「あいつらを殺して後悔するかと思ったが違った。むしろスッキリした」と後に述懐する。

未亡人ソフィーと父親の存在

一方、ひょんなことから知り合った隣室の未亡人ソフィーとアーサーは仲良くなる。「自分はコメディアンなんだ。ショーに出るから見に来てくれ」 彼女を招待したショーで、アーサーは笑いの発作を起こしながらもショーをやり遂げる。

自宅へ戻ると、母がかつて家政婦として雇われていた実業家トーマス・ウェインへ手紙を書いているところだった。「彼は豊かでパワフルな人なの。きっと私達を救ってくれるはずよ」しかし返事が帰ってきたことは一度もない。アーサーは勝手に手紙を読み、自分がトーマスの隠し子であると知る。

真実を確かめにウェイン邸へ赴くアーサー。しかし、トーマスには会えず、失意で自宅へ。すると母が脳卒中を起こし、救急車で運ばれるところだった。アーサーは病室で母に付き添う。そのとき、病室のテレビでマレー・フランクリンの番組が流れ、アーサーのショーの映像が流れる。番組の中で「ジョーカー」と紹介されたアーサーは、一躍有名人に。ただし、笑いの発作を起こすアーサーをあざ笑う意味で放送されたことは明らかだった。

父親へ会いにウェイン・ホールへ

アーサーは父親であるトーマスへもう一度会いに行く。デモが門前で起こるウェイン・ホールに侵入し、従業員の服を着てトーマスを探す。豪華な部屋の中では富裕層が映画「モダン・タイムズ」を見て笑っている。

トーマスと対面したアーサーは「何を望んでいるわけでもない。ただ、息子だと認めてほしい」と訴える。しかしトーマスは、母の手紙はすべてデタラメだと言い切り、アーサーは実子ではなく養子だと告げる。「お前の母親はおかしい。確か養子を取ったあと妄想がひどくなり州立病院へ収容された」

妄想が混ざっていたことが判明

失意に暮れるアーサーはソフィーの家を訪ねる。室内に勝手に入り、思いつめた様子でテレビを見つめる。ソフィーは気づくと怯えながら「あなた、確か……アーサーだったわよね?」と尋ねる。 ここでソフィーとの思い出は、全てアーサーの妄想であったことが判明する。次の場面で、部屋から荒れた様子で出てくるアーサー。ソフィーとその子供が無事かどうかはわからない。

アーサーはかつて母が収容されていた州立病院へ向かい、診断書を閲覧する。そこには確かに母が精神障害を患っていること、アーサーが養子であること、自身の障害は母の恋人による虐待によるものだと示す書類が挟まれていた。

書類には子供の様子について「ネグレクトを受けており、見つかったとき極度の栄養失調だった。頭部に深刻なケガがあり、裸でヒーターに縛られていた」とある。アーサーの笑いの持病も頭部のケガが原因だった。

恋人の暴力を阻止しなかった罪で母親は逮捕された。回想シーンで若い母親は警察に向けて語る。「あの子は泣かないの。何をされても笑っているの」

信じていた母親からも裏切られたことを知ったアーサーは、病室の母を窒息死させる。

同僚を殺害

母の死は病死と判断された。自宅へ戻るとマレーの番組担当者から電話で番組にゲスト出演しないかとオファーが来ている。アーサーは快諾する。

収録当日、アーサーは髪を緑に染め、白塗りのメイクを始める。メイクの途中で、ランドルと小人症の元同僚が訪ねてくる。「そのピエロのメイクは新しい仕事か?」「いや、違うよ」とやり取りをしたあと、突然ナイフでランドルを殺害するアーサー。
怯える小人症の同僚に「親切なのは君だけだった。君は殺さない」と告げ、ドアを開けて逃がしてやる。

外へ出ると、街はピエロの仮装で溢れていた。アーサーを見張っていた刑事たちに追われるものの、ピエロの群衆に紛れて追跡を撒く。

マレー・フランクリンの番組出演

テレビ局ではマレーに「自分を本名ではなく、ジョーカーとして紹介してほしい」と告げる。そしてフランクリン・ショーの生放送が始まり、ジョーカーとしてアーサーが登場。始めはコメディアンとして振る舞っていたアーサーだが、話の流れのなかで「証券マンたちを殺したのは自分だ」と告白する。

オレはいつも透明な存在だった。あいつらが3人死ねば新聞のトップに乗るが、俺が死んでもお前らは死体を踏みつけて歩いていくだけだ」さらに、マレーが自分をテレビに出したのは笑いものにするためだと主張する。
憧れのコメディアンであるマレーの番組に出演するも、マレーにすら嘲笑の対象として扱われている事実を前に、「失うものがない男を怒らせたらどうなるのかを思い知らせてやる」と、スーツに隠していた銃でマレーの額を撃ち抜く。

ジョーカー誕生?

パニック状態になり逃げ出す観客らをよそに、テレビカメラの前でステップを踏むアーサー。カメラに向かいジョークのオチを言おうとしたところで番組が終了し、駆け付けた警察に逮捕される。

アーサーの凶行が生放送されたゴッサムシティではデモが暴動と化し、街のあちこちで火の手が上がる。一方、一家で街の映画館で映画を鑑賞していたトーマス(バットマンの父)は、暴動を避けるために裏道へ家族を伴って逃げるものの、それを観ていた暴徒により妻のマーサともども射殺され、息子のブルースだけが生き残る。

アーサーはその場で逮捕され、パトカーで暴動の起こる街を移動する。暴徒の運転する救急車がパトカーに突っ込み、気を失ったアーサーを、ピエロのマスクを被った男たちが担ぎ出す。意識を取り戻すと、パトカーのボンネットの上に立ち上がり、口から出た血で裂けた口のようなメイクをし、炎の上がる街を見つめながら、ジョーカーはゆるやかに踊り始める。

ラストシーン

しかし場面が変われば、そこはアーカム州立病院。精神分析医らしき女性と話をするアーサー。煙草を吸いながら笑い続けるアーサーに精神分析医は「何がおかしいの?」と問う。「ジョークを思いついたんだ」「聞かせてくれない?」

しかし、アーサーは「どんなジョークかって? 君には分からない」と断る。そして次の場面で、血の付いた足跡を残しながら診察室から出てくる。 右に左に逃げまわるアーサーを看護師が追い回すコミカルなシーンで映画は終わる。

(あらすじ終わり)

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映画『ジョーカー』考察

無敵の人としてのジョーカー

映画をみて思ったのは、この話のジョーカーは「悪のカリスマ」というよりも「無敵の人」という感じだな、ということでした。

「無敵の人」とは2chのひろゆきが生み出した言葉です。簡単に言うと財産や地位などの「失うもの」が何も無い人間のことです。そのため社会的な信用が失墜する事も恐れないし、犯罪を起こし一般人を巻き込むことにも躊躇しません。

彼らにとって、逮捕されることは社会からの追放ではなく「まぁいいか」程度の環境の変化に過ぎません。死刑を課したところで「生きることに執着していない」ため、自殺の手伝いにしかなりません。まさに「無敵の状態」ですね。この映画は主人公が失うもののない「無敵の人」に転げ落ちていく映画でした。

見ていて確かにいやーな気分になる場面も多いのですが、非常に現代を現しているなと思いました。救いのないストーリーでありながら、監督が言うには現代にぬくもりを増やしたいと思って作った作品なのだそうです。脚本を手がけたスコット・シルバーはこう語っています。

スコット・シルバー:
「アーサーはもともと人を笑わせ、笑顔にすることだけを考えていたから、ピエロになってコメディアンを目指すんだ。ところが街の空気や環境がアーサーをむしばんでいく。思いやりや共感に欠け、治安が悪化した社会から生まれるのがジョーカーなんだよ

思いやりの欠如が、ジョーカーを作る

フィリップス監督は「この映画の大きなテーマのひとつは、思いやりの欠如だ」と断言しています。

ジョーカーであるアーサーは当初、人を笑わせることが大好きな優しい性格でした。予告編にも登場する、アーサーがバスの中で少年を笑わせようとする場面。アーサーはおどけて少年を笑わせますが、母親に「息子に構わないで!」と冷たくあしらわれます。その場面について監督はこう語ります。

フィリップス監督:
「あのとき母親が『息子を笑わせてくれてありがとう』と言っていたら、アーサーはものすごく喜んで、踊りながら家に帰っただろうね。アーサーは世の中の苦労を背負っているんだよ」「世間の心ない行為の積み重なりが次第にアーサーを傷つけ、心をむしばんでいくんだ」

あの場面も切ないですが、この映画は全体を通して非常に気の毒な場面が続きます。共感力の高い方は、かなり覚悟をして見に行ったほうがいいです。不器用なアーサーをあざ笑ったり、貶めたり、また他人に関心がなかったり、人を顧みる余裕がなかったりと・・。

また街に思いやりがないだけではなく、政治もアーサーのような人物をかえりみません。アーサーのカウンセリングルームの予算をカットしたのは新しく就任した市長でした。「街を良くします!」と公然と宣言した人物でしたが、まず行ったことはセーフティネットのカットです。

また街では格差是正のデモがヒートアップしているなか、富裕層は外でなにが起きているかに関心も持たず、豪華な建物で映画「モダンタイムズ」を楽しんでいます。「モダンタイムズ」はチャップリンの映画で労働者階級の男が、機械の一部分のように扱われるなか、だんだんおかしくなっていく場面を描いたコメディです。皮肉な場面です。

アーサーの性格について

しかし、アーサーが社会から爪弾きにされる姿は確かに同情を誘うものの、全てが肯定されるような罪のない存在ではないと、アーサーを演じたホアキン・フェニックスは語ります。

ホアキン・フェニックス:
『アーサーが社会から見過ごされているからといって、彼のことを憐れな存在だとは思っていない。同情できる点もあるけれど、嫌悪すべき存在だと思う。複雑な感情を抱かせるからこそ、演じたいと思ったんだ。彼の心境は理解できるし、同情できるけれど、完全にイノセントというわけでもない。典型的なナルシストだ。世界が彼のことを認め、彼の声に耳を傾けるべきだと信じている。こうした考えはひどく危険で不適切だが、演じるぶんには楽しい。本当に複雑なキャラクターで、この映画が問いかける質問に容易な答えが存在しない点が気に入ったんだ。』

アーサーは、社会に認められたいという欲求があり、またナルシストであり、一人で死ぬよりは人目につく派手な死を望んでいました。彼のコメディノートに「今の生より価値ある死を望む」と描いていたのがそれです。

実は、フランクリンショーに出たアーサーは、生放送で自らの頭を撃ち抜いて死ぬ予定でした。
部屋で「ノックノック」といった後に頭を撃ち抜くマネをしていましたが、あれがその予習です。しかし、直前になって気が変わり、司会者を撃ち殺しました。

アーサーがなぜ人々の目前での「派手な死」を望むのか。それは「そうした類型の性格なんだ、としか言えない」とホアキン・フェニックスは語っています。

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「悪のカリスマ」としてのジョーカーとの違い

この映画の批判としてよくあるのが、「ダークナイトのジョーカーと違うじゃないか」という意見です。確かに、悪のカリスマである「ジョーカー」を期待して見にいくと全く違います。

ダークナイトのジョーカーは、バットマンを出し抜く頭の良さがありましたが、一方、ホアキン演じるアーサーは貧困に育ち、笑いの持病があり、文字もうまくかけません。また自分を馬鹿にした人間を私怨で殺しています。

このジョーカーがダークナイトのジョーカーに繋がるかと言われると、終わりの時点ではまだ繋がりにくいかな、と僕は思いました。

それについては、もともとDCは起用する俳優に合わせて役柄を変える傾向があります。今回のジョーカーも時代を象徴するジョーカーなのかも知れません。

またよく考えると、ジョーカーとバットマンの年齢も設定が合いません。それについて監督は「深く考えていない」とのことでした(笑) そう言われると「そ、そうか・・」としか言いようがありません(笑)

最後のシーンの解釈

またラストシーンにおいて、なぜ突然場面が変わり、アーサーがアーカム州立病院にいるのかハッキリしません。人気コメディアンを殺害したためか、証券マンを殺害した罪か。はたまた、なにか別の理由で入院しているのか。

理由は明らかにされていませんが、監督のなかではしっかりとした設定があるそうです。しかしその全貌を発表するのは遠い未来だとか。

ひとつだけ確かなことがあるとすれば、最後の病院でのアーサーの笑い。あれが唯一本当にアーサーが笑っている場面だと監督はいいます。

フィリップス監督:
「あのシーンだけが、彼が唯一純粋に笑っている場面です。この映画には、いくつかの笑い方が登場します。アーサーの苦しみから生まれる笑い、彼が大勢の一員になろうとするときの偽物の笑い――これが僕のお気に入りなんです――、そして最後にアーカム州立病院の部屋で見せるのが、唯一、彼の心からの笑いなんですよ。」

最後に「ジョークを思いついた」と病院で笑うシーンがあるのですが、見方によっては今までのシーンが丸ごとジョーカーの回想シーン、もしくは妄想だった、という風にも受け取れます。

どこまでが妄想でどこまでが現実か。議論を呼ぶ点です。

終わりに

ジョーカーには「思いやり」や「共感する心」を持ってほしいというメッセージが込められている

この映画を見てまず思ったのが「日本でも起きそうだな」ということでした。ゴッサムシティでは、街も人心も荒れ、蔑み、理不尽が溢れています。やっぱり生活に余裕がないと思いやりが無くなるのは全世界共通なようです。

だからこそ、アーサーのような人物を描くことで、皆に同情を覚えてもらい、思いやりを持って欲しかったと監督は語ります。

以下、ホアキン・フェニックスと、フィリップ監督の言葉です。

ホアキン・フェニックス
「例えば、誰かが道で殴られているのを見たら、その痛みや辛さを想像することができるよね。同じように、映画を観る人が、アーサーに共感してくれたら良いなと思うんだ。感情移入というのは人間の普遍的なことだからね」
フィリップス監督
「この映画が人々の心に響いて、世界に少しでも温もりが増えるといいなと思うよ」

というわけで、圧倒的な悪を描く映画でありながら、思いやりや共感する心を持ってほしいという優しくて温かいメッセージが込められている映画、それが『ジョーカー』でした。正直、ただ楽しい気分になる映画ではありませんが、ものすごく時代をあらわしていて、僕は見てよかったと思いました。

皆さんもぜひ、見てみてください。

こんな意見も・・・

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  • この記事を書いた人

イマイズミ

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