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【書評】生きていても楽しくない地獄から脱却するにはどうすればいいのか?【若林正恭さん『ナナメの夕暮れ』書評】

最近、オードリー・若林正恭さんの書籍「ナナメの夕暮れ」を読みました。けっこう良い本でしたので忘備録も含めて書評を書きます。


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オードリー・若林正恭『ナナメの夕暮れ』書評

というわけで『ナナメの夕暮れ』を読みました。この本には、著者の若林さんの経験から、以下のようなことが書かれていました。

  • 最近、冷笑価値下げ野郎が増えた。
  • 冷笑価値下げ野郎は、人の価値を下げて自己防御をしている。
  • この傾向の人物は必ず「生きていても楽しくない地獄」にハマる
  • 冷笑価値下げ野郎から抜け出すには?

まさに今のSNSで見られる光景です(笑)

もう一度要約しますと「今の世の中によくいる”冷笑クソ野郎”になってしまうと”生きていても楽しくない地獄” にハマる」。そしてそこから脱却するにはどうすればいいのか? ということが書かれている本です。

ちょっとした「セルフ認知療法」とも言える内容で参考にできる方も多いのではないでしょうか? そのあたりのことを共有します。

冷笑価値下げ野郎とは

冷笑価値下げ野郎とは、物事をナナメにみて冷笑する人。つまりヤフコメにいるような人達です(笑)何かに挑戦している人に対して「今さらそんなことして何になるの?w」「お金が目当てだろ?」「中二病乙」などなど。水を浴びせかけてくる人々です。皆さんの周りにもいますよね。

と言いつつ、そんな冷笑価値下げ野郎は、僕自身の中にもいるなと思っています。

なぜ冷笑価値下げ野郎になるのか?

若林さんは、スタバで「グランデ」と言えないそうです。どうしても恥ずかしいのだとか。「誰も見ていないよ」といっても効果はありません。誰も見てはいないけれど、自分は見ているからです。

この心理を分析すると、自分自身がスタバでグランデを飲むやつを「気取ってんじゃねえよ」と思っているから。その視線が自分に跳ね返ってきて恥ずかしいのです。まさに他者に向けていた冷笑がブーメランのように自分にぶっ刺さっている状態です。

それについて若林さんはこう言っています。

昔から言っているのだが、他人の目を気にする人は「大人しくて奥手な人」などでは絶対にない。心のなかで他人を馬鹿にしまくっている、正真正銘のクソ野郎なのである。

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物事をナナメにみるメリット・デメリット

価値下げ行為は加速していく

若林さんがブーメランを投げ始めたのは「高校の文化祭のステージ上で、おちゃらけるクラスの人気者をナナメに見ていた」ときからだと言います。内輪ウケのレベルの低い奴らだと見下していたそうです。このナナメの思考には次のメリットとデメリットがあります。

メリット

  • ステージ上で爆笑をかっさらうクラスの人気者を「みっともない」と価値下げすることで、臆病でステージ上に立てない自分を肯定しようと画策できる。
  • 彼らのような挑戦者や成功者を、SNSなどでコソコソと価値下げ攻撃をしていれば、反撃を食らうこともない。
  • 自分がそういうムーブメントに流されない高尚な気分が味わえる。

デメリット

  • 自己防衛ができる反面、自分が文化祭の部隊に立つ機会も奪ってしまう。
  • せっかくの文化祭・ハロウィン・お祭りが楽しくない。
  • 価値下げによる自己肯定は楽なのでクセになってしまう。

ナナメな目線は、自己防衛になりますが、同時に自分が文化祭を楽しむ機会も奪ってしまうんですね。

価値下げ行為の末路

価値下げしていると、いろいろなことが「みっともない」と楽しめなくなる

高校を卒業をしてからも、価値下げ行為は加速していったそうで、以下のようなことも”みっともない”と参加しなかったそうです。

  • 大学でサークルに入ること。
  • 学園祭に本気で取り組むこと。
  • 海外に一人で旅に出ること。
  • 告白すること。

他人がはしゃいでいる姿を馬鹿にしているうちに、自分が我をわすれてはしゃぐことが恥ずかしくて出来なくなってしまったと言います。

これが”スタバでグランデと言えない”原因”です。人は自分を通して物事を見ます。自分が物事を馬鹿にしているぶん、他人にもバカにされるのではないかと怖くて仕方がなくなります。そうなると、自分が好きなことも楽しむことができなくなってしまいます。

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こうして「生きてても全然楽しくない地獄」へ

こうして、冷笑価値下げ野郎は「生きてても全然楽しくない地獄」に突入します。 他人への否定的な目線は、時間差で必ず自分に返ってきて人生の楽しみをうばいます。 何をやっても人の目が気になって夢中になれず、何かに挑戦することも出来ません。 

そうなってくると、以下のようになってきます。

  • 朝、起きるのが辛くなる
  • 遊んでいても、仕事をしていても、他人のジャッジや視線が気になって、生きていること自体が楽しくなくなる。
  • 朝起きたあとに「また今日も他人にジャッジされる一日が始まる」と思ってしまう。
  • ひどい場合は「また今日も他人に否定されるだけの一日が始まる」と思ってしまう。

こんな地獄のような弊害が起こります。

”生きていても楽しくないゾンビ”は人に感染させようとする

こうなってしまうと、なんとか自分を肯定しようとして、他人や物事に対しての価値下げをさらに加速させてしまいます。まさに地獄のスパイラル突入です。そうなると”楽しいことが何もない世界”を彷徨うゾンビとなって、深夜の暗い道を一人徘徊することになります。

そして何よりやっかいなのが、そういうゾンビは”生きてても楽しくない”病を人に感染させようとします

人前で、愚痴や弱音を口にして”生きてても楽しくない”に他人を巻き込もうとするのです。当然、健全な人はゾンビを避けるようになります。

いやーいますねこういう人!

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「生きていても全然楽しくない」から脱する方法

まずペンとノートを買う

では、生きてても楽しくない地獄からどう脱却すればいいのでしょうか?

まず最初にやるべきことは「ペンとノート」と買うこと。そして、そのノートに何でもいいから自分がやっていて楽しいことを徹底的に書き込んでいく、とのこと。

なぜ、そんなことを初めたのか? 若林さんは、自意識過剰のせいで人生が楽しくないという予感が薄々したからだそうです。

肯定ノートの効果

そして若林さんは日々、どんな小さいことでも気づいたら書き込んだと言います。

  • 散歩
  • アメフトを観る

最初は2つしかなかったことが徐々に増えていったそうです。そうすると世間の評価に流されない「自分が周りを忘れて楽しめること」が少しずつ増えていったといいます。

  • 花火をすること
  • 先輩や後輩と飲むと気を使ってしまって疲れるけど、同期とお酒を飲むのは楽しいこと
  • 動物は苦手だが、馬だけは平気なこと(馬の体に自分の身体をあずけているとものすごく安心するのだとか)

こんな形で自分でも意外なことを発見して書き足していきました。

自分の好きなことがわかると他人の趣味も肯定できる

そして自分の好きなことがわかっていくにつれ、他人の好きなこと(趣味)も尊重できるようになったそうです

これはいい話ですね。論理としても非常に納得できます。

今までだったら「そんなベタな趣味は恥ずかしい」とスカしていたのが、どういったところが無力的なのか、人の趣味に真剣に耳を傾けるようになったと。そこで、プロレスが大好きな人の話を聞いて、プロレスを見に行き、まんまとプロレスの魅力にハマったそうです。

もちろん、新たな趣味に冷水を浴びせてくる古参のファンや価値下げ野郎は現れます。しかし、本当に自分が好きになったら、その程度の冷水はすぐに蒸発させることが出来てしまうそうです。

冷水とは「にわかだろ?」「ビジネスに繋げたいだけだろ?」「いまさら明るく変わろうとしているの?」などなどですね。

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”好きなことがあるのは「世界の肯定」

ということで、肯定ノートをつけることでなんでもかんでも冷笑していた自分を徐々に変えることが出来たといいます。好きなことがあるというのは「世界の肯定」です。以下、本からそのまま引用させていただきます。

”好きなことがある”というのは、それだけで朝起きる理由になる。”好き”という感情は”肯定”だ。つまり、好きなことがあるということは”世界を肯定している”ことになる。そして、それは”世界が好き”ということにもなるという三段論法が成立する。

だから逆に、なんでも否定ばかりしている人は”世界を否定”していることになるから生きていることが辛いのだ。それは世界が嫌いということになるから。

素晴らしい三段論法だと思います。 認知の歪みとその改善をよく表した文章です。 鬱病の人などにも当てはまるのではないでしょうか。

ネガティブから逃れる方法は「没頭」

肯定ノートを初めてから、人の目を気にせず好きなことを楽しめるようになった。

しかし、若林さんは今回の人生で自分がポジティブになるミラクルなんてないと諦めているそうです。そんな若林さんが唯一、ネガティブな時間から逃れられる人生の隠しコマンドが「没頭」だそうです。 肯定ノートを続けることで、自分がハマれることに敏感になり、没頭できること(ゴルフや、海外旅行)を楽しみ始めました。

例えばゴルフ。今までの若林さんであれば「急にゴルフなんて初めたら馬鹿にされる」と気にしてやらなかったでしょう。実際に冷水の言葉(「ゴルフなんておじさんだなw」「キューバなんて行って、いい年こいて中ニ病かよ」などなど)をあびたそうですが、気にならなかったそうです。

それは、価値下げ野郎が何に怯えているかよく知っていたからだそうです。

他人を肯定するノートも作ろう

さて、肯定ノートで自分が好きなことが見つかったら、次は「他人を肯定ノート」を作ったそうです。

最初はなかなかペンが進みませんでした。それは「他人を肯定すると、自分を否定することになりそうだった」から。しかしそれでも自分が好きなプロレスラーや小説家やラッパーであれば筆が進みまくり、尊敬するひとのことならどんどん書けたそうです。

ソレに慣れてからは、普段接する人たちの優れている部分も思いつく限り描きまくったそうです。ついには腹が立つやつのことも、歯を食いしばって肯定したそうです。

これはすごいガッツですね。かなりの気力がいります。それが出来た理由を若林さんは「今回の人生でどうしても世界を肯定してみたかったから」と言っています。

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根拠のない自信とは

他者への肯定がスラスラでてくるようになると、不思議なことに誰かを否定的に見てしまう癖が薄れてきたそうです。そうなると、自分の言動を否定的に見てくる人が思っているほど世の中にはいない気がして来たのだとか。この経験から「だから物事に肯定的な人は、他人の目を気にせず溌剌と生きているように見えるのか~」と納得したそうです。

これはほとんどセルフ認知療法ですね。ここで若林さんはこう書いています。

僕が子供簿ころから、喉から手がでるほど欲しかった”根拠のない自信”とは、”おそらく自分は他人から肯定的にみられているだろう”というイメージのことだったのである。世界の見え方は、どんな偉人であれ、悪人であれ、思い込みにほかならない。肝心なのは”どう思い込むか”である。

例えば「人は汚い」「男、あるいは女は浮気する」と思いこんでいれば、実際にそのような場面に出くわします。逆に「世界は美しい」と思っているとそのように見えてきます。

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結論:生き辛さの正体とは

というわけで、若林さんはこう結論付けています。

自分の生きづらさのほとんどが、他人の否定的な視線への恐怖だった。その視線を殺すには、まず自分が”他人への否定亭な目線”をやめるしかない。グランデという人を否定するのをやめれば、自分がグランデと言っても否定してくる人がこの世からいなくなる。否定してくる人がいない世界なら、朝気持ちよくおきることも全然可能なのだ。
最近、あまりにも日本語ラップが好きすぎて自分の好きな曲だらけのミックステープを作りたくなった。このあいだ、ついに僕はDJ機器を買った。それを否定する人はこの世界に誰もいなかった

つまり、他者への肯定がスラスラ出てくると、自分を否定する人も消えるということですね。世界の肯定は世界の外にではなく、自分の中にあるということです。

まとめ

いかがでしたでしょうか。若林正恭さんの『ナナメの夕暮れ』。 僕にとってはとてもいい本でした。そして、日頃からなんとなく感じていたものを、こんなにも明確に言語化できるんだなーと感心した本です。
あとは自分が「冷笑クソ野郎」になりかけていると思える人はいいんですけどね。本物はそうした自分にも気が付きません(^^;) しかし冷笑癖は「何も楽しめない地獄」に全力で自分から突っ込んでいくことになります。なんとなく生き辛いかた、閉塞感を感じる方はぜひこの本を読んでみてください。

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