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【FGO・亜種特異点IVセイレム】醜い人間を、それでも愛せるのか?【たらればさん感想・評価まとめ】

ツイッターで有名なたらればさんの、Fate/Grand Order 亜種特異点IV 禁忌降臨庭園 セイレム 「異端なるセイレム」の感想をまとめました。

いつもながら、とても勉強になる内容です。


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※以下、たらればさんの「異端なるセイレム」に関する話題まとめです。

たらればさん、『異端なるセイレム』感想

シナリオモチーフ

FGO第1.5部4章「異端なるセイレム」、無事踏破いたしましたので、感想と参照した資料などについてつらつら連続ツイートいたします。

「セイレム」は、これまでのシナリオとは明らかに異なった、独特の「暗さ」が漂う文体と構成で進むシナリオでした。

あとから分かったのですが、この仄暗さこそがラヴクラフトの世界観であり、アーサー・ミラーの戯曲の文体を表した世界観なんですね。劇中劇もミラーへのオマージュかと思われます。

舞台はアメリカ大陸東岸の街、セイレム。モチーフはもちろん(?)1692年に起こったセイラム魔女裁判ですね。

ジャンヌ・ダルクが魔女と呼ばれ火あぶりにされてから約250年後、フランス革命でマリー・アントワネットが刑場の露と消える約100年前の話です。(こういう「縦横の情報」が好きです)

シナリオの感想

わたくしが本シナリオで感じ取ったテーマは「人間は浅ましく愚かで、疑い深くなにより脆くて弱くて周囲に流されやすい、それでも愛せるか」ということでした(結論部にて後述)

あとロビンフッド先輩とマタ・ハリさんかわいい、マリーさん育てたい。革命関連は以下に分離

第1節冒頭

第1節冒頭、主人公たちは真夜中の森で少女たちの「魔術」を目撃。

この流れはそのままずばり、『るつぼ』(アーサー・ミラー著、セイラム魔女裁判をモチーフに描かれた戯曲でミラーの代表作)ですね。

アビゲイル・ウィリアムズは実在の人物(当時12歳)ですが、『るつぼ』では17歳美少女という設定。

なお史実のセイレムの魔女裁判では、このアビーの告白(偽証?)をキッカケにして20名以上が亡くなっています。

わたしはハヤカワ演劇文庫の倉橋健訳で読みました(名作です)特に詰問シーンは人間ドラマの真骨頂です。読むと史実のアビゲイルのことが(ちゃんと)許せなくなります。

▼『るつぼ』

セイレムとクトゥルフ

日常の人間関係から生まれる嫉妬や猜疑心、背徳感、罪悪感や復讐心、そして「ここまでやったんだからもう引き返せない」といった自己弁護などの「毒」が、登場人物たちを静かに覆ってゆきます。

「正義」とはなんともたやすく揺らぎ、人はたやすく(条件が揃えば積極的に)他人を断罪するのだなと。

いっぽうランドルフ・カーター(アビゲイルの叔父で養父)は、クトゥルフ神話の登場人物。高名な学者であり、時空を旅することができると。ちなみに「鳥」はアーサー・ミラー版で重要な役割として出てきます(めっちゃびびりました)

・ここで一点、恥ずかしながらわたくし(本シナリオに強い影響を与えているであろう)「クトゥルフ神話」をほぼ未履修です。

最初にセイレムにクトゥルフを振りかけたのは、他ならぬ始祖H・P・ラヴクラフト御大だったのですね(教えてくださった方、ありがとうございます!)

『H・P・ラヴクラフト全集』と『図説 魔女狩り』

・今回「セイレム」を進めるにあたり、『H・P・ラヴクラフト全集』(創元推理文庫版、大西尹明訳)の1と3を読んで、おお…さすが神話ホラー第一人者…と、(作品背景を知る資料というより)純粋に読書体験として楽しみました(お薦めです)

お詳しい方、ぜひこのほか推薦図書を教えてください!

▼『H・P・ラヴクラフト全集』

本作の主題のひとつ魔女狩りに関しては、『図説 魔女狩り』黒川正剛著・河出書房新社がお薦めです。

ただしこの本は欧州での魔女狩りのみ扱われており、アメリカで起こったセイラム魔女裁判については触れられていません。それでも魔女狩りが中世→近代の狭間で起こったことなど勉強になります

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たとえば魔女とは何か

古代ギリシャ・ローマにおける魔女(キルケーやメディア)と、近世の「魔女」という概念は、踏襲はしているものの別の存在であること。

その大きな違いは背景にある宗教(つまり多神教下の魔女と一神教=キリスト教下の魔女では性質が異なる)異教と異端と科学などなど

ロビンフッド、第1部第5章(北米)やサバフェスでの活躍を見ると、アウトローなんだけど世話焼きお兄さんという感じで、さすが「民衆のガウェイン」だと。

■哪吒
哪吒は『西遊記』や『封神演義』の哪吒ですね。藤崎竜版の印象が強すぎて、「あ、宝貝人間だ…」と思ってしまいましたすみませんすみません…。

■シャルル=アンリ・サンソン
本作品の(アビーとは別の)もうひとりの主人公、シャルル=アンリ・サンソンは、史実では敬虔なクリスチャンであり、彼が生きた当時は神権と王権が密接でした。

『死刑執行人サンソン―国王ルイ十六世の首を刎ねた男』(安達正勝著)は読みやすさと充実度を兼ね備えた名著です。すっかりファンです。

ギロチンとフランス革命

同書によると、ギロチンは「死刑の残酷さの低減」、「死刑方法の違い(≒身分の違い)による差別撤廃」を理由に導入(以前はサンソン家のようなプロの処刑人が剣による名人芸で首を斬り落としたり、馬で五体を引っ張って八つ裂きにした)しかしその「簡便さ」で、処刑数は爆発的に増加した皮肉。

また、処刑人の家は代々「処刑装置」として法体系に組み込まれており、自分自身も王権、すなわちこの世界の一部であると自認していました。そうして自分と世界を受け入れていたからこそ、(クリスチャンとして)サンソンの耳に響く「汝、殺すなかれ」(十戒の一節)の重みと痛みを感じ続けていたと。

ここでやや話は飛びますが、FGO第1章第1部「オルレアン」のシナリオを見返すと、この「セイレム」と見事にパラレルになっていることがわかります(第1章のサンソンは「壊れている」と言えますが、それゆえにサンソンというキャラクターと本シナリオでの立ち位置や振る舞いがより純粋に浮かびます)

「オルレアン」と「セイレム」のパラレル性

オルレアンから去るときに、サンソンは「(もう一度きれいにマリーを処刑できれば)きっと、きっと君に許してもらえると思ったから…」と語ります。神と王の名において下された処刑命令は誰かが実行しなければなりません。そうして王権に従って処刑してきたサンソンは、法の名の下に王も処刑したと。

サンソンは(王が王として生まれたように)処刑人の家に生まれた自らの仕事を誇っていました。

けれどサンソンはマリーに、そして世界に許されたかった。できれば別の方法で世界と和解したかった。

本シナリオのサンソンは、カルデアのサンソンにとっての夢だったのかもしれません。

いっぽう第1部第1章で、マリー・アントワネットは、かつてフランスそのものであったジャンヌ・ダルク(オルタ)によって殺されます。

神と王によって火あぶりにされたジャンヌと、民衆によって断頭台に上がったマリー。FGOは(よりにもよって)この二人に「世界を許す」と語らせているわけですね。

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「セイレム」でのサンソン

さてセイレムに戻って。

この世で、代々「処刑人」を継いできたシャルル=アンリ・サンソンだけは、法の名において下された判決を覆すことはできないのですね。たとえそれがどんな茶番でも。

それは今までの彼の所業を、先祖の所業を、手にかけた人々をすべて裏切ることになってしまう。

そうして処刑台に向かったサンソンは、のちほど「セイレム」のエピローグで象徴的な「剣」(ギロチンの発明前、サンソンを含む処刑人は剣で死刑囚の首を落としていました)を持たないままマリーと出会い、「できれば踊りを教えてほしい」と語りかけたわけですね。

泣いた。
めっちゃ泣けた。

日本で一番有名なマリー・アントワネットの評伝は、おそらくシュテファン・ツヴァイクが書いた『マリー・アントワネット』だと思うのですが(角川文庫から中野京子訳で新版が出ており、これがとてもよい)、それを読むと(かなりマリーびいきでルイ十六世の描写がえらい愚鈍で悲惨ですけども)、フランス革命という人類史が誇る大いなる進歩、近代国家の産声が、いかにめちゃくちゃで、行き当たりばったりで、陰惨で、冷酷で、残忍で、流言飛語や密告、中傷、なによりある種の熱狂によって多くの人々が処刑・惨殺されていたことがわかります(九月虐殺や地獄部隊でググるとあれこれ出てきます)

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本シナリオにサンソンを配置することで、集団ヒステリーとしか言い様がない「セイレムの魔女裁判」も、人類史に刻まれたフランス革命における革命裁判と似た「死の茶番」ではないか。

人はいつでも、どんな場所でも、愚にもつかない言いがかりを元に、同胞を吊るすのか…と感じざるをえません。

FGOの描くヒューマニズム

FGOは、広範にユーザーを楽しませるだけでなくて、関連作品や登場人物、作品舞台の時代背景を調べてみると、ヒューマニズム(人間主義)というものに絶望する仕組みになっていると感じています。

浅はかで、愚かで、騙し、妬み、同胞を憎み、同士討ちを好むのが「人」という生物だと歴史は語ります。

「オルレアン」から通して見ると一本の筋でつながっているように見えるわけで、つまり人間は、文明は、(神や王の命令だけでなく)自由や平等の名の下に「こんなこと」をしてしまう存在であると、それでも愛せるか、と問われている気分になります。

そしてその答えもまた同作にあると思っています。

それは、主人公であるマスターを含め、わたしたちはどうしようもなく人間であり、「こんなことをする人間」を抱きしめて生きるしかないのだと。

以下、オルレアン第11節「洗礼詠唱」で(マリーを永遠に失ったことがわかった直後に)述べられた、モーツァルトによるマシュへの言葉です。

「人間は汚いし醜い。僕の結論は変わらない。
輝くような悪人も、吐き気をもよおす聖人もいる。

だから君も、自分の未来を恐れる必要はない。

君は世界によって作られ、
世界を拡張し、成長させる。
人間になる、とはそういうコトだ。」

それでも人の過去と未来を信じる、ということなんですね

さあいよいよ2部突入です!

セイレム攻略中にシナリオがあまりに暗くて気分転換にとうっかり第2部「序」をプレイしたら、心の大腿骨が複雑骨折しました(泣いてません。

フレンドの皆さんいつもありがとうございます頑張ります

(了)

おまけ:たらればさん フランス革命関連のコメント

(あるゲームシナリオの感想を書くのにあれこれ調べてたりするんですが、フランス革命って、本当の本当にめちゃくちゃで行き当たりばったりだ、、、という実感が強くなる。恐怖政治もひどいけど、9月虐殺とかヴァンデ戦争とか、こんなおそるべき狂態が、自由と平等の名の元に実施されたんだなぁ。。)

女官長 ランバル公妃

マリー・アントワネットの女官長であり、彼女の友人であることを公言し、革命裁判で革命の正当性を認めなかったランバル公妃は、幽閉中暴徒に襲われ、首を斬り落とされてその首を槍に刺してタンプル塔に拘束されているマリー・アントワネットに見せつけた…ってそれ、、まんまデビルマンですよね…。。

ちなみにマリー・アントワネット、評伝を読むと、やっぱりこの人もとんでもない魅了スキルがあったみたいで、あちこち幽閉場所を変えるたびに、そこで担当した牢番が死を賭した協力者にクラスチェンジしちゃうという(そして実際に死ぬ)。どういうオーラなんだよマリー、、。。

「即席裁判の場に引きずり出されたランバル公夫人は、王妃(マリー・アントワネット)を罵るように強制されたが、どうしてもそれができなかった。通りに引き出されて殺されたあと、衣服がはぎ取られ、体を裂いて内臓が引きずり出され、首が切断された。」

「首は槍の穂先に突き刺され、マリー・アントワネットに見せつけるために(幽閉中の)タンプル塔までパリ市内を行進させられた。その首はわざわざ髪結師によってセットし直されていた。槍に突き刺されてている首の口にワインを注ぎ、槍を伝って流れ落ちてくるワインを持ち手が飲むというバカげた振る舞いもまされている。」 『死刑執行人サンソン-国王ルイ十六世の首を刎ねた男』集英社新書刊・安達正勝著より

『デビルマン』より史実のほうが酷かった。

上掲書でも強調されていますが、この虐殺を実施したのは異常殺人者でも死刑執行人でもない、単なる一般市民です。

普段は農夫であり洋服屋であり警官であったりした一般市民が、革命の熱狂にあてられてこのような行為に及んでしまう。それが「人」という生物の性質であり、歴史なんだということですね。

おまけ:しまどりる先生にフォローされていたたらればさん

引用元:https://twitter.com/tarareba722/status/1171439990187782144

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