2chスレ・読み物

【おんJ】翻訳ニキが海外の未解決事件をたくさんあげていくで

※655から英語翻訳ニキが日本では知られていない海外の未解決事件をたくさんあげてくれています。
※量があるのでお時間があるときにどうぞ。

250: 名無しさん 2017/07/20(木)21:40:10 ID:Jst
ヨーロッパで
何件か同じDNAが出て来て
これは同一人物による殺人だぁ!!
って騒いで捜索してたけど
実はDNAの痕跡採取の際に使った綿棒?
を工業でまとめてるおばちゃんのDNAでした~

そして今までの事件は全て1からやり直し~
ってことがあったわね

254: 名無しさん 2017/07/20(木)21:40:54 ID:8sl
>>250
制度がアレすぎて触ったクリーニングのおっさんのDNAまで検出されるめんどくさいものになったんヤッケ

263: 名無しさん 2017/07/20(木)21:42:26 ID:Xqu

>>250
捜査やり直して犯人捕まったはず
ハイルブロンの怪人事件
https://ja.wikipedia.org/wiki/ハイルブロンの怪人

※ハイルブロンの怪人とは
ドイツをはじめヨーロッパ各地で起きた、殺害事件を含む40件の犯罪現場でのDNA採取で検出された同一のDNAから推定された、架空の大犯罪者。実際は、DNA採取に用いられた綿棒の製造時におけるDNA汚染が誤認の原因であった。

275: 名無しさん 2017/07/20(木)21:46:24 ID:8sl
警察の人が初動操作ミスったら迷宮入りになる確率がぐんと上がるって言ってた

289: 名無しさん 2017/07/20(木)21:48:30 ID:m8R

ル・プランス失踪事件

世界初の映画撮影者「ルイ・ル・プランス」がとある列車の客室に入ったのを最後に行方不明になった事件
列車の窓は固く閉じられており、物音も立っていなかったのに、どこかに消え去ってしまったというミステリー
さらにプランスは、特許申請のためにアメリカへ渡る予定だったので、失踪する理由が無い。

なおその特許は、後にトーマス・エジソンが取っている

https://ja.wikipedia.org/wiki/ルイ・ル・プランス

294: 名無しさん 2017/07/20(木)21:50:28 ID:8sl
>>289
あれ?これそれっぽいのが水死体で見つかってたやつやっけ?

297: 名無しさん 2017/07/20(木)21:51:01 ID:Xqu
>>294
そうそう
警察の資料掘っとったらそれっぽいのがあったとか

302: 名無しさん 2017/07/20(木)21:52:00 ID:8sl
>>297
写真も撮ってあるらしいけどどうなんやろ?最近のデータ比較でわからへんかな

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303: 名無しさん 2017/07/20(木)21:52:06 ID:Jst
こういうときに
超能力者
とか霊能者で解決できんのかね

まぁ認められないか

308: 名無しさん 2017/07/20(木)21:53:26 ID:Xqu

>>303
ジェラルド・クロワゼットは他所の国に押しかけ捜査に行って
捜査をかき回しただけで帰って来たゾ
日本ではダム湖で遺体見つけたが

ジェラール・クロワゼ

日本ではジェラルド・クロワゼットと、英語読みで紹介されていた。

1976年5月3日、NETのテレビ番組『水曜スペシャル』の招待で来日。5月4日17時に行方不明の7歳児童を超能力で捜査しそれに従って、放送当日となる5月5日の朝に撮影スタッフが山倉ダム(千葉県市原市)を訪れ、午前7時頃に水死体を発見。番組中で超能力捜査を生放送する予定を急遽変更し、発見時の録画映像の一部始終を放送した(視聴率は30.5%)。
なお、児童が山倉ダムで水死した可能性は発見前から捜査関係者から予想され、行方不明直後に水死していたと仮定すれば5日頃に腐敗したガスによる浮力で湖底から浮上してくると推測されており、同日9時半から警察等が総勢290名で捜索する予定であった。そのため、番組スタッフが訪れなくともその日のうちに発見される可能性が高かった。NETのスタッフは事前に事件現場と捜査本部を訪れ下調べを行っており、警察の捜索方針を知ることは可能であった。この番組では市原市児童行方不明事件以外にも2件の超能力捜査を行ったが、いずれも事件解決にはつながらなかった。

同年12月に再来日をしたが、このときの超能力捜査はすべて失敗している。

https://ja.wikipedia.org/wiki/ジェラール・クロワゼ

313: 名無しさん 2017/07/20(木)21:54:06 ID:Jst
>>308
遺体みつけるだけすごいわ

315: 名無しさん 2017/07/20(木)21:54:28 ID:Xqu
>>313
実は出来レース説もあるとか

324: 名無しさん 2017/07/20(木)21:56:37 ID:Jst
>>315
ならアウトだな!
まぁそれは真実かわからんからなんとも

307: 名無しさん 2017/07/20(木)21:53:17 ID:CuG
ギャグっぽく語られること多いけど住吉駅の快速飛び降り男とかも大概怖いで

310: 名無しさん 2017/07/20(木)21:53:43 ID:Imx
>>307
なんやそれ

317: 名無しさん 2017/07/20(木)21:55:16 ID:CuG
>>310

神戸新聞社が2002年7月4日付けで報じたところによると、同年7月2日の午前10時45分ごろ、神戸市東灘区のJR住吉駅で、時速100キロの猛スピードで通過する近江今津発姫路行き新快速電車から男がホームに飛び降り、立ち去っていたことが兵庫県警の調べで判明したそうです。

これは同駅ホームで赤い服を着た若い男が電車から飛び降りるのを複数の人が目撃していたもので、男は勢いで鉄製フェンスに激しくぶつかったものの、居合わせた客の視線を気にせず、何事もなかったように改札口の方に歩いて姿を消したとのこと。

また、電車内では連結部付近で人の手や足が見えているのに気付いた乗客がいましたが、「ドン」という音とともに姿が消えたとされており、車両は窓が開かないことからも、男は最高時速130キロで走行する新快速の連結部に停車駅からしがみついていたとみられています。

ちなみにJRから通報を受けた東灘署や県警鉄道警察隊などが周辺を捜索したところ、病院や医療機関にも該当する人物はいなかったほか、その後続報も無いことから、この事件は11年が経過した今でも未解決のまま。
https://buzzap.jp/news/20130414-jr-shinkaisoku/

321: 名無しさん 2017/07/20(木)21:56:03 ID:wXj
>>317
ファッ!?

320: 名無しさん 2017/07/20(木)21:55:59 ID:j07
>>317
両さんかな?

322: 名無しさん 2017/07/20(木)21:56:07 ID:Imx
>>317
サンガツ
なんやそれカッコいいなぁ
よく考えればヤバイけど

325: 名無しさん 2017/07/20(木)21:56:42 ID:gjV
>>317
よほど急いどったんやろな

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335: 名無しさん 2017/07/20(木)21:58:35 ID:Bjy
人気の無い山で穴堀まくったら死体の一つや二つ出てくるやろか

347: 名無しさん 2017/07/20(木)22:00:14 ID:SiZ
>>335
日本は山多すぎるから青木ヶ原樹海のがあるやろ
あそこは自殺志願者殺す奴も徘徊しとるらしいから危険やけど

350: 名無しさん 2017/07/20(木)22:00:47 ID:Jst
>>347
まじかよ

356: 名無しさん 2017/07/20(木)22:01:36 ID:8sl
>>350
わりとマジやで
機会があったら行ってみるといいで
それ目的やなくどこかに行く通り道として寄ってみれば明らかに変なのいることあるで

361: 名無しさん 2017/07/20(木)22:03:30 ID:m8R
ブライアン・シェイファー失踪事件

彼はとあるバーに入店し、しばらくの間、酒を嗜んでいた
バーの中で、酔っ払っていたり女性客と話していたりしている彼を目撃しているものはいた
しかし、彼は忽然と姿を消してしまったのだ
監視カメラは、彼が店を出る瞬間を映していないにも関わらず

363: 名無しさん 2017/07/20(木)22:04:05 ID:8sl
>>361
これは…店かテレポートですね…

374: 名無しさん 2017/07/20(木)22:05:27 ID:Xqu
>>361
外国の未解決事件って調べれば調べるほど訳わからん怖さがあるわね

377: 名無しさん 2017/07/20(木)22:06:07 ID:j07
日本てコールドケース蒸し返す組織とか警察にないんか?

382: 名無しさん 2017/07/20(木)22:07:02 ID:Xqu
>>377
重大犯罪の公訴時効が撤廃されたのがつい最近やから
コールドケース対応部署もそんなに歴史は長くない

386: 名無しさん 2017/07/20(木)22:08:23 ID:j07
>>382
アメリカは捕まえたりしとるみたいやけどなぁ
まぁまだまだこれからってことやろね

401: 名無しさん 2017/07/20(木)22:12:46 ID:Xqu

>>386
ボーイインザボックスとかいまだに捜査しとるらしい
60年前の事件やのに

※ボーイ・イン・ザ・ボックスは最近身元が特定されました。

548: 名無しさん 2017/07/20(木)23:09:30 ID:Xqu
倉敷市児島老夫婦殺人事件

頭部がない夫婦の遺体発見
今に至るまで頭部発見されず
この事件が有名なのは、公訴時効撤廃をこの事件の時効にギリギリ間に合わせたこと
時効数時間前に公訴時効撤廃の法案が通過し即日施行

550: 名無しさん 2017/07/20(木)23:10:10 ID:CuG
埼玉愛犬家のWiki読んどったら恐ろしい文章見つけてしまったんやが

>S本人も幾度か殺人を行なっていた事を仄めかす発言をしていたと山崎が手記に認め(中略)Sが「鹿肉」を竹の皮に包んでEが所属していた指定暴力団稲川会系高田組(埼玉県熊谷市)に振る舞っていたというSの発言を聞いている。

鹿肉??? し か に く ?

621: 名無しさん 2017/07/21(金)00:24:55 ID:BM9
はえ~
未解決事件ってこんなにたくさんあったんやな~…

655: 名無しさん 2017/07/22(土)01:56:09 ID:Ihi
アンバー・ヘイガーマン事件

1996年1月13日、当時9歳の少女だったアンバー・ヘイガーマンは、自転車に乗っているところを何者かに連れ去られた
誘拐されている所を目撃した近隣住民が素早く警察に通報し、犯人の特徴をかなり詳細に知らせることが出来た
警察の初動も悪くなかった

のだが、この当時は今のようなスマホどころか携帯電話が普及し始めた程度の時代で
インターネットも黎明期に過ぎず、犯人の特徴などの情報の伝播がすすまなかった

失踪から4日後の1月17日、誘拐された場所から8km離れた側溝からアンバーの遺体が発見された
首をザックリとやった斬り傷が残されており、検死の結果、性的に暴行を受けた痕が認められた
また、誘拐されてから少なくとも2日間は存命だったことも明らかになった

犯人の特徴が早くからわかっていたもののその周知の方法が確立していなかったことが影響したようで
今に至るまでアンバー誘拐殺人犯は捕まっていない

しかし、アンバー事件のような誘拐が目撃された事例の場合は
近隣住民に迅速な周知をすることが望ましい、と認識されたため
自然災害の緊急警報などと同様の方法で誘拐事件の発生を知らせるシステムが構築された
その警報は、アンバー・ヘイガーマンの名を冠し「アンバー・アラート」と呼ばれている
「America's Missing: Broadcasting Emergency Response」の意味もあるという

656: 名無しさん 2017/07/22(土)03:51:28 ID:MFP
翻訳ニキサンガツ

732: 名無しさん 2017/07/23(日)00:28:05 ID:t0X
サーヴァント・ガール・アナイアレイター

1884年12月30日、テキサス州オースティンでの出来事
この日の夜、雪の中で黒人女性料理人モリー・スミスの遺体が発見された
彼女の遺体は頭をかち割られ、胸部・腹部・腕部・脚部を滅多刺しにされた状態で
夥しい出血のため血溜りに浮かんでいるようだったという

3ヶ月後の3月19日には2人のスウェーデン女性の召使いがひどく刺されて発見されたが
こちらは命を落とすことはなかった

同年5月6日夜、黒人女性給仕のエリザ・シェリーの遺体が見つかった
頭部と胴体がほとんど切断されかかった惨たらしい姿だった

恐らくは斧を使ったと思われ、召使いを専門に襲う凶悪犯がオースティンを徘徊している事実がわかってきた

5月23日夜、やはり黒人召使いのアイリーン・クロスが殺害された
刃物で滅多刺しにされており、頭皮が剥がされたに近い凄惨な姿だった

この頃になるとオースティンの街は暗鬱とした空気に包まれてしまい
街の人々は夜になると家に閉じこもって歓楽街も静まり返ってしまったという

次の犠牲者は9月28日、グレイシー・ヴァンスとオレンジ・ワシントン

この両者は黒人カップルだった
やはり白人の家に勤める召使いだった
2人とも頭部をボコボコに殴られており「血溜りの中で撲殺されたようだ」と当時の新聞は報じた
ちなみにこの日、他に2名が襲撃され深刻な傷を負ったがこの2名の命は助かった

犯人はさらに犯行を重ねる
同年のクリスマスイブの夜からクリスマス未明にかけて、

別々の2箇所で殺人事件が発生した
ただし、このたびは様相が少し変わっていた
被害者はいずれも白人だったのである

「オースティンで最も洗練された女性」と噂されたスーザン・ハンコックと17歳のユーラ・フィリップスがそれぞれの自宅で殺害されているのを発見された。
スーザンの遺体は耳から頭にかけてザックリと薄い刃物のようなもので切断されていた
スーザンの遺体が発見された時刻に殺害されたらしいユーラの遺体の頭部は
斧のようなもので叩き壊されていた
ユーラには夫がおり、この夫も瀕死の重傷を負ったのだがこちらは落命せずに済んだ

当時のアメリカ南部諸州は黒人の人権など存在せず、一連の被害者のほとんどが黒人だったこともあって警察の初動は捗々しいものではなかった。新聞の報道が先行したようである
正体不明の連続殺人者は、「Servant Girl Annihilator(少女召使い殲滅者)」と名付けられた

この事件の数年後に大西洋の向こうイギリスで起きた「切り裂きジャック」事件との関連を唱えるものもいるようだが
ちょっと眉唾話な気がしなくもない

733: 名無しさん 2017/07/23(日)00:28:18 ID:t0X
一応、容疑者に近い人物がいないわけではない
2014年の「歴史探偵」というテレビ番組で上げられたのが、当時19歳だった黒人料理人のネイザン・エルジンである
事件当時の居住地が犯行現場に程近く、先天性の極度な内まただったこの男と現場に残された足跡の特徴が似ていたらしい。
ちなみにネイザンは1886年2月、つまりアナイアレイター最後の犯行から2ヶ月ほどのちに
ナイフで少女を襲撃しようとした所を警察に見咎められ射殺されている

これよりのちに犯行が発生しておらず、確かに有力な容疑者ではあるだろうが
130年以上も昔の事件ゆえ証拠が少な過ぎて、容疑者を確定させるに至っていない
そんな訳で「アメリカにおける連続殺人の元祖」ともいえる当事件は未解決のままである

734: 名無しさん 2017/07/23(日)00:34:22 ID:dQ7
>>733
はえー
そんなのもあったんか

735: 名無しさん 2017/07/23(日)00:42:47 ID:fFh
>>733
容疑者が怪しすぎィ!

748: 名無しさん 2017/07/24(月)00:49:24 ID:YZS
小公子事件

1921年3月8日、アメリカのウィスコンシン州にある石材会社の池で
少年の遺体が浮かんでいるのが発見された。
この少年は5~7歳くらいとみられ、ブロンドヘアに茶色の瞳で下顎の歯が失われていた
そして、鈍器のようなもので殴られた痕跡が認められた
さらに、どうやら数ヶ月のあいだ水中に遺体が留まっていたらしかったこともわかった
発見当時の着衣はグレーのセーターにマンシング社の下着、黒い靴下に上着と革靴でかなり裕福な家庭の子供であることが推察された
警察は葬儀場で遺体を公開した上で広く市民の声を集め、この少年の身元を確認しようと試みた
しかし有力な手掛かりを得ることは出来ずに、同年3月17日に身元不明の少年は埋葬された

石材会社の社員によれば、遺体発見の5週間ほど前、会社に近付いてくる1組のカップルがいたと証言した。
カップルの女の方は赤いセーターを着ており、この社員は「会社の敷地内で幼い男児を見ませんでしたか?」と尋ねられたのだという
カップルの男の方は、少年がいないか辺りを見回しているようだった
暫くするとこのカップルはフォード車でその場を離れ、それっきり二度とこのカップルを目撃することはなかった

最も可能性の高い説は、この男児は裕福な家庭から(恐らく身代金目的で)誘拐され身元が判明しないよう離れた場所に連れ去られたというものである

ちょっとした逸話がある
高貴な身なりのこの男児が名無しの貧民墓地に埋葬されるのは忍びない、と立ち上がった当地のオバハンが
寄付を募ってしっかりした墓地に改葬させたという出来事があった
オバハンが死去した際には、男児の墓のすぐ近くに埋葬されたそうである

1949年、同じウィスコンシン州ミルウォーキーの検死官が1つの説をぶち上げた
それは、身元不明の男児の遺体が見つかるより少し前に行方不明になった6歳児ホーマー・ルメイ
彼こそが身元不明の男児なのではないかというのである
ホーマーの父エドモンド・ルメイによれば、南米の旅行中に自動車事故でホーマーを亡くしてしまったというのだが
実際にはそのような死亡記録は残っていない

ちなみにこのエドモンド、妻が失踪した際には署名偽造の罪で告訴されており
裁判では無罪になったものの、何やら怪しい人物である気がしなくもない
しかしながら、男児の身元に関してホーマー・ルメイと関係するような決定的な証拠は何も見つかっていない

男児のその高貴で裕福そうな身なりから、バーネット夫人が著した小説「Little Lord Fauntleroy(邦題:小公子)」の名が与えられたが
今に至るまでその身元はわからないままである
そして、「小公子」を恐らく誘拐・殺害したであろう犯人も不明であり続けている

750: 名無しさん 2017/07/24(月)04:32:48 ID:zK5
>>748
知ってるかもしれんけど、犯人先月判明したで

754: 名無しさん 2017/07/24(月)15:25:43 ID:OSD
>>750
犯人は誰だったかまで書いて欲しい

751: 名無しさん 2017/07/24(月)07:46:40 ID:rke
>>748
ググってみたんやが全然出て来ないんやけど
もしかしてデマか?

752: 名無しさん 2017/07/24(月)12:48:27 ID:Mrz
>>751
英語翻訳ニキやからそのままググっても出てこーへんことあるで
https://en.wikipedia.org/wiki/Little_Lord_Fauntleroy_(murder_victim)

753: 名無しさん 2017/07/24(月)14:18:31 ID:gvT
>>752
そうなんか、すまんな

749: 名無しさん 2017/07/24(月)02:32:36 ID:Mrz
はえー面白い事件

755: 名無しさん 2017/07/24(月)18:37:35 ID:xIh
ワイの名前書いてたプリンが無くなってる事件はいまだに犯人がわかっとらん

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757: 名無しさん 2017/07/25(火)04:06:41 ID:xjE
ラヴァ湖殺人事件

1924年4月、行方不明になっていたエドワード・ニコルズ(50)、ロイ・ウィルソン(35)、デューイ・モリス(25)
の3名の遺体がオレゴン州の大ラヴァ湖に浮かんでいるのが発見された
3人はいずれも銃撃と鈍器で殴られたような痕があり、何者かに殺されたらしかった

話は前年、1923年暮に遡る
エドワード、ロイ、デューイの3者はいずれもこの冬、毛皮を獲るための罠猟を生業にしていた
彼らはラヴァ湖から60kmほど離れたオレゴン州ベンドに住んでいたのだが
秋が深まると罠猟をすべくログハウスを借りて、彼らはそこに落ち着いた
クリスマスの前週にエドワードがベンドに戻った時には、非常に陽気な様子だったと伝えられており
そりに一杯の毛皮を積んでベンドの町で売り捌いたそうである

一方、アレン・ウィルコクセンという男がいた
彼は別荘を持っており別荘へ向かう道中にエドワードらのログハウスがあった
年が明けた1924年1月15日、アレンはエドワードたちのログハウスに立ち寄り彼らと一晩を過ごした
のちにアレンが語った所によると、エドワードら3人の精神状態は良好で罠猟も上手く行っていたように見えたという
翌16日の朝、アレンはログハウスを発って別荘へ向かった
エドワードら3人の生きている姿が目撃されたのは、これが最後だった

1923年12月末から彼ら3人と連絡を取ったものはいなかった
そして、彼らの仕掛けたミンクの罠が手入れもされずにほったらかしてあるのが見つかった
ちょっとこれはおかしいという話になって、1924年4月に捜索隊が彼らが借りたログハウスに向かった
ログハウスに入ると、3人の姿はそこになく、ストーブ上の瓶に焦げた食料が、
そしてテーブルには夕食用と思われる食事が置かれたままになっていた

ログハウスの外を見ると、本来あるはずの毛皮運搬用のそり(クリスマス前にエドワードが毛皮を積んでいた)がなくなっていた
ログハウスの外にあったキツネ用の囲いスペース。そこにいた高価なキツネ5匹がいなくなっていた
囲われた場所の角には血糊が付いた金槌が落ちていた

3人が罠を張った場所を捜索隊が順番にトレースしていったところ、罠にはテンが12匹、キツネが4匹、スカンク1匹
これらが凍死体でみつかった
このことは、罠近辺に人が近付いた形跡がないことを意味していた

翌日には保安官まで出動し辺りを捜索した所、近隣の大ラヴァ湖に黒い血糊が付いたそりが発見された
雪が窪んでいるところを探すと血溜りが見つかった
そこには髪の毛の束と人間の歯があった
まだ氷が融け切っていない大ラヴァ湖に船を出し捜索すると、間もなく浮かんでいる3人の遺体が見つかったという次第である

758: 名無しさん 2017/07/25(火)04:07:14 ID:xjE
検死官に拠れば、ショットガンやピストルの傷が致命傷で
ハンマーのようなもので殴られた箇所も命を奪うに十分なダメージがあった
警察の見立てでは1923年12月~翌24年1月の前半に彼ら3人が殺害された可能性が高いという
警察が発表したレポートには、3人のうち少なくとも2人はログハウス近くで殺害されその後ログハウスから移動させられたらしい、ということが記された

のちに木こりで密造酒業者のインディアン・エリクソンなる男が容疑者として浮上した
ラヴァ湖から20kmほど離れたカルタス湖近くに住んでいたのだが
この男には水も漏らさぬアリバイがあり、間もなく容疑者リストから外された

この手の事件になると怪しい人間の1人や2人は出るものだが、本件に関してもやはりいる
ログハウスのオーナーの証言では罠猟を行っているリー・コリンズという男が
財布を盗んで別の男と口論をしていたという
さらに重要なことは、リーが「ログハウスに戻って来てエドワードを殺してやる」と脅していたらしいのである

リー・コリンズの正体が間もなくわかった
この男は1923年に強盗と殺人未遂で逮捕された男だった
しかしその件の裁判の直前に逃亡してしまっていたのだった

1924年1月24日、交通局職員の証言によると
袋をもった男が「この街の毛皮商人はどっちにいる?」と尋ねたという。
そして写真照合の結果、その男がリー・コリンズだったという
紹介した毛皮商はコリンズから110ドルで毛皮を買い取ったと証言した
これらの情報から警察はコリンズに殺人容疑をかけ1500ドルの懸賞金を用意したものの音沙汰はなかった

9年の月日が流れた1933年2月17日、モンタナ州でコリンズが見つかり逮捕された
警察はコリンズをモンタナからオレゴンに送致し、状況証拠をもって尋問した
しかし9年前の毛皮商は面通しで、毛皮を買い取った男がコリンズであると断定できなかった
9年の月日が流れたのでしょうがないと言える

結局コリンズは1923年の強盗と殺人未遂で裁かれ、終身刑判決を受けた
しかしながら、状況証拠的はクロに近いと思われたラヴァ湖の事件に関して訴追することは出来なかった
そんな訳で、クッソ怪しい容疑者がいるにもかかわらずラヴァ湖殺人事件は
公式には未解決のままである

759: 名無しさん 2017/07/25(火)12:32:07 ID:oVP
実際はこいつで確定やろなぁ

760: 名無しさん 2017/07/26(水)03:15:09 ID:fmy
ベッツィ・アーズマ事件

ベッツィ・アーズマはミシガン大学で美術と国語(英語)を勉強する女子大生だった
余談だが、この大学は世界の大学ランキングで20位前後であるのでかなり優秀な生徒だったと思われる
ミシガン大を卒業すると今度はペンシルヴェニア州立大学で勉学に励んだ
そして彼女は、非公式ながら医学生と婚約を結んでいたのだった

1969年11月28日、ベッツィは論文作成のために図書館を訪れていた
午後4時55分をわずかに過ぎた頃、1人若しくは2人の男が図書館のカウンターに
「女の子を助けてあげた方がいいみたいですよ」と伝えた
伝えるだけ伝えたこの男(たち)はどこかへ行ってしまったのだが、ふと見ると若い女性が倒れている
これがベッツィだった
倒れている現場に居合わせた人々が人工呼吸で蘇生を試み、その間に救急車を呼んだのだが
残念ながら搬送先の病院でベッツィの死亡が確認された

さて、搬送当初はベッツィが何らかの病気で急に倒れそのまま死亡したものと思われたが
検死の結果は驚くべきものだった
なんと、ベッツィは鋭利な刃物で一刺しされていたのである
刺し傷は肺動脈と左心室を貫いていたが、出血量が少なかった
そして、これが事件であることに気付くのを遅らせた要因だったのだが
ベッツィは事件当時、赤いドレスを着用していたのである
少ない出血が赤いドレスに付着したので、検死に付されるまでは血が出ていることに誰も気付かなかった

これは痛恨だった
事件であることがわかっていれば図書館の出入り口を封鎖することも可能だった
検死によればベッツィ死亡推定時刻は午後4時45分~4時55分の間
つまり「1人または2人の男」が図書館のカウンターに言い置きした直前に、ベッツィが刺されたことを意味している
もう1つ痛恨だったのは、図書館の係員が件の「1人または2人の男」の顔を覚えていなかったことである

ほんの僅かの初動の遅れでこの事件はいまだに未解決となっている
事件から47年以上経った現在でも、警察は情報提供を求めているそうである

761: 名無しさん 2017/07/26(水)03:22:59 ID:vIh
刺した後言ったとは思えへんような気がするけど…そういう犯人もいそうやしなぁ…

770: 名無しさん 2017/07/27(木)04:27:19 ID:7jG
ヴェラ・ペイジ事件

1931年12月14日、午後4時半頃
当時10歳の少女だったヴェラ・ペイジはロンドンのノッティングヒルにある自宅から数十メートルほど離れた叔母の家へ歩いて出かけていった
午後5時半になってもヴェラが家に戻ってこないので父親が叔母のもとを尋ねた
叔母の話では、ヴェラは午後4時45分に叔母の家を出たという
この頃、ヴェラの友人が薬局の外にいたヴェラを目撃している
しかしそれっきり目撃情報がないので、ヴェラの父は失踪届けを警察に提出した

2日後、ヴェラの遺体が家から1.5kmほど離れた藪の中で見つかった
彼女は強姦されたのちに絞殺されたらしかった
警察の見立てでは、ヴェラは別の場所で殺害されたのちに藪に引き摺られてきたのだと考えた

当代切っての監察医、サー・バーナード・スピルズベリーが検死をした結果
ヴェラの遺体に石炭の滓とろうそくの蝋が付着しているのを確認した
また、ヴェラの腕に挟まっていた、犯人が遺体を置いた時に落としたと思われるアンモニアの染み付いた指用の包帯も見つかった
恐らくは、日の射さない石炭庫に遺体を隠したのち、この藪まで遺体を運んできたものと思われた

警察は約1000人を対象に聞き込み捜査を行った。

その結果、ヴェラ失踪の翌朝(12月15日朝)
パーシー・ラッシュという男らしき人物が、赤いテーブルクロスに何かを包んで手押し車で藪のほうに向かっていたとの目撃情報が得られた
重要参考人となったパーシーは40歳の既婚者で、クリーニング店に勤めていた
その職業柄、恒常的にアンモニアに触れていたこともわかった
さらに、ヴェラ殺害の1週間前にパーシーは指を負傷して包帯を巻いていたことも判明した
その上、赤い布がパーシー宅から見つかったので、状況証拠的にはパーシーは真っ黒である

ところが、警察は1つミスを犯してしまった
パーシーへの聞き込みの際に、包帯の話をしてしまったのだ
その後警察はパーシーに、自宅にある包帯を提出するよう求めた
しかしパーシー宅から提出された包帯は、ヴェラの遺体から見つかった包帯とは別の種類のものだったのである
ここで包帯とパーシーの接点が途切れてしまった
警察は諦め切れずに薬局などで包帯購入者の聞き込みを行ったが、これは不首尾に終わった

状況証拠だけ見れば、誰がどう見てもパーシーが怪しい
しかし包帯がパーシーのものである証拠が何もない
警察がポロっと包帯の話をした直後にパーシーは元の包帯を処分した可能性があるが、それは推測に過ぎない
パーシーに似た人物が手押し車を押していたという話についても
その人物が間違いなくパーシー本人であると説明できる目撃者はいなかった
こうなると公判を維持することも難しい、となってパーシーは訴追をされることすらなかった

そんな訳で、誰がどうみても怪しい容疑者がいるにもかかわらず、ヴェラ・ペイジ事件は未解決のままである

771: 名無しさん 2017/07/27(木)05:02:52 ID:ESW
うーんこの警察のミス…

774: 名無しさん 2017/07/28(金)00:58:07 ID:iln
こわいな~

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775: 名無しさん 2017/07/28(金)03:47:18 ID:Jrq
「誰がベラを楡の木の中に置いていった?」 (Who Put Bella in the Wych Elm?)

イギリス中部のウスターシャーにあるハグリーホールは18世紀に出来た当地貴族の邸宅である
この周辺の土地は緑美しい公園となっている

1943年4月18日、許可なくハグリーホールの敷地に侵入した地元の4人の少年が
大きな楡の木が生えている場所にやって来た
この少年らは鳥をとっ捕まえに来たらしく、高所から鳥がいないかを調べようと楡の木に登ったところ
朽ちて中が空洞になった枯れ木の中から頭蓋骨を見つけてしまった
頭蓋骨には人間の髪の毛と歯がついていたので、少年らはぶったまげて
頭蓋骨を放置したまま大慌てで家に逃げ帰って行った次第である

少年らは親を通じて警察に連絡し、警察は朽ち木の空洞の中を調査した
すると、ほぼ完全な人体の骨と靴、金の結婚指輪、いくつかの衣服の切れ端が見つかった
遺体の手の部分は少し離れた樹から見つかった

遺体を監察に回し検死を行った結果、遺体は女性のもので少なくとも死後1年6ヶ月
つまり1941年10月以前に死亡したものと結論付けた
そして、遺体の口の中から絹織物の一部も見つかったので、恐らくはこれを口に詰められたための窒息死と考えられた
さらに遺体が収められていた朽ち木の寸法などを測った結果、どうやら遺体の女性は死後硬直を待つことなく
まだ体温が下がりきらないうちにこの朽ち木の空洞の中に隠されたらしかった

さて、遺体の女性は誰なのか
警察は聞き込みを開始したが、時は第二次世界大戦の真っ只中
遺体と一緒にあった指輪や靴や衣服の切れ端などを手に警察は調べまわったものの
戦争で行方不明になった人が多過ぎて、件の遺体の女性が誰であるか特定することはできなかった

1944年、ウスターシャーから45kmほど離れたバーミンガムの繁華街の壁にこんな落書きが書かれた
「誰がハグリーの楡の木の下にベラを置いていったのか?」

776: 名無しさん 2017/07/28(金)03:47:49 ID:Jrq
2014年のラジオ番組で2つの説が紹介された
1つ目はモソップという女性が1953年に警察に供述した話である
遺体が発見されるより前に彼女のいとこから聞いた話として
オランダ人の「ファン・ラルト」なる人物が朽ち木の洞に女性を捨てた、というものだった
モソップいとこや「ファン・ラルト」と酒を飲んでいた女性が酔っぱらって前後不覚になってしまったので
朝になれば目覚めるだろうと期待して、夜のうちに酔っぱらった女性を朽ち木の中に放り込んだ、との顛末だそうである

モソップのいとこはその後、女性を木の中に放り込んだトラウマからか「木の中からじろじろ見つめられる」幻覚に陥って
精神病院に隔離され、女性の遺体が発見されるより前に狂死したらしい
このモソップという女性は、なぜいとこが死んでから10年以上も経ってから警察にこの話をしたのか
それの合理的な説明がされていないので、この説には疑問が持たれているそうだ

2つ目の説は、1944年にバーミンガムの売春婦から齎されたタレ込みである
曰く、3年前(1941年)に行方不明になった、「ベラ」という名の地元ハグリーの売春婦ではないか、という
落書きの「ベラ」と一致するが、この売春婦の証言が落書きの前にされたものか後なのかはわからない

地元ハグリー公園のオベリスクには、「誰がベラを楡の木の中に置いていった?」という落書きが何度かなされた
1970年代に始められたこの落書きは、1999年まで散発的に続いていたという
当地では有名な未解決事件だが、犯人どころか遺体が誰であるかすらいまだにわかっていない

777: 名無しさん 2017/07/28(金)16:05:33 ID:Xbi
ホンマに謎すぎへん?
戦中じゃなければわかったんかね

778: 名無しさん 2017/07/29(土)01:53:25 ID:3SF
The Doodler(落書き男)事件

1974年1月24日の朝早く、カナダ出身のアメリカ移民ジェラルド・キャヴァノフ(男性 49歳)の刺殺体がサンフランシスコで発見された
ジェラルドの衣服に乱れはなく、仰向けにしてオーシャンビーチに横たえられていた
警察の調べで死後数時間が経過しているものと判明、防御創が見られたことから
意識のない時に襲われたのではないことも判明した
当初キャヴァノフの身元がわからず、「ジョン・ドウ(身元不明の男性遺体に付けられる仮の名前)No7」と呼ばれた
身元が判明したのちも、独身であったこともあってか彼の生前の生活ぶりはほとんど判明していない

同年6月25日、やはりサンフランシスコのゴールデンゲート・パーク内にあるスプレッケル湖から
ジョゼフ・スティーヴンス(27)の遺体が発見された
彼は遺体発見の前日にとあるクラブで目撃されているのだが、彼はそこで「女装」コメディアンとして働いていた
捜査関係者は、恐らくジョゼフが殺人者と一緒にスプレッケル湖までやってきて、発見現場かそのすぐ近くで殺害された、と推測した

月が変わって7月7日、ドイツ系のクラウス・クリストマンの遺体が発見された
この度はジェラルドやジョゼフの一件よりも激しく傷つけられており、喉を何回も掻き切られていた
もう一つ今回の件が前二件と異なっていたのは、犠牲者が既婚の子持ち男性だったことである
彼は当時化粧品を持っており、恐らくはカミングアウトしていないゲイであることがわかった
ジェラルドの件と同様、クラウスの遺体も暫くは身元がわからなかった

翌年1975年5月12日、フレデリック・キャピン(32)の遺体がサンフランシスコで見つかった
またしてもメッタ刺しで、大動脈損傷が死因だった
砂地に引き摺った痕があり、殺害場所から数m移動させたものとみられる
フレデリックは看護士であり、その以前にはベトナム戦争でメダルを授与された海軍軍人だった

同年6月4日、サンフランシスコのリンカーン・パークでスウェーデン系のハラルド・ガルバーグ(66)の腐乱遺体が発見された
検死に拠れば死後2週間が経過していた
今回の件がそれまでと異なっていたのは、ハラルドの年齢が高いこと、衣服が剥ぎ取られていたことが挙げられる
この件が一連の殺人事件の最後であると考えられている

これ以外にも同じ犯人によると思われる殺人が繰り返されており、1974年1月~1975年6月までの間に
サンフランシスコ周辺で14人が殺害され、それ以外に3人が襲われ(しかし生き延び)ている

779: 名無しさん 2017/07/29(土)01:53:44 ID:3SF
重要参考人もいるにはいたのだが、襲撃されながらも生き延びた3人からの供述は中々得られなかった
実は、殺害された14人と襲撃された3人はいずれもゲイだったのである
今よりはるかに偏見が激しかった時代である
もし裁判で証言台に立つようなことになれば、ゲイであることをカミングアウトするに等しい行為だったが
この国では割とガチに迫害されるのでとてもじゃないが名乗り出ることも出来なかったのだ
生き残った人間が外交官など名の知れた人物なのでなおさらだった

警察は重要参考人に任意の事情聴取をかけたりもしたが、

当然のことながらその男は事件への関与を否定した。
証言さえ得られればこの男を訴追できたはずだったが、事件の生存者たちは証言台に立つことを拒み続けた
現在に至るまでその容疑者の名は公表されておらず、逮捕ももちろんされていない

1977年にサンフランシスコでの別の殺人容疑で逮捕された2人組も怪しいと考えられている
この2人組は被害者とホモセックスをしたあとで殺害に及んでおり、状況は似ている
しかしながら、一連の事件と結びつける証拠はない

この殺人者は被害者とホモセックスをする前にスケッチを描いて、ホモセックスをしたのちに相手を殺害する
これを繰り返していたらしいことが判明しており、そこから”The Doodler(落書き男)”のあだ名が付けられている
怪しい人間は分かっているのだが、偏見を恐れるあまり事件の生存者による証言を用いることが出来ず
今なお未解決事件のままである

780: 名無しさん 2017/07/29(土)01:57:52 ID:Wvy
ホモセ写生は草
こういう事件他にもあるんやろなぁ…

781: 名無しさん 2017/07/30(日)01:14:43 ID:Gsu
フレデリック・マクドナルド失踪 & チョーク・ピット事件

1926年4月15日、オーストラリアの前連邦議会議員フレデリック・マクドナルドが失踪した
遺書は見つかったものの遺体は今に至るまで見つかっていない

これだけを見れば単なる自殺だが、オーストラリアではフレデリックが自殺したと考える者は多くないようだ
事件が起きて以降、頻繁に疑惑の目を向けられている人物がいる
前ニューサウスウエールズ州法務大臣にして現職の連邦議会議員だったトーマス・レイである

トーマス・レイは禁酒法運動に参加しながらも酒造業者から賄賂を貰うなど、評判の良い政治家ではなかった
政治家から連邦議会に活躍の場を移そうとした時に、同じ選挙区の議員だったフレデリックとの一騎打ちになり接戦の末トーマスが選挙に当選したのだが
その際にトーマスが賄賂をばら撒いていた嫌疑が持ち上がった

選挙法の適用は逃れたものの、ライバルのフレデリックが賄賂の話を暴露しようとした矢先にフレデリックが失踪したため
ただでさえ評判のよくなかったトーマスに疑惑の目が向けられた
しかしながらいかにも証拠がない、どころかフレデリックの遺体すらないでは
トーマスを訴追することは出来なかった

フレデリックの失踪はたまたまで、トーマス・レイは本当に関わっていないのだろうか
しかし1928年、今度はニューサウスウエールズ州議会議員のハイマン・ゴールドスタインが「自殺」した
自殺の名所であった海沿いの崖から身投げしたらしい遺体が見つかったのである
ハイマンと被疑者トーマスは同じ会社の株を持っていたのだが、トーマスが不法に自分の所有株を全部売り切ってしまいその会社は破綻した
これに業を煮やしたハイマンが「反トーマス」キャンペーンを行い始めたばかりだった
またしてもトーマスがクッソ怪しいのだが、これは自殺扱いとして片付けられている
しかしあまりの悪評にトーマスはイギリスに逃亡した

782: 名無しさん 2017/07/30(日)01:15:11 ID:Gsu
何だかトーマス・レイの略歴みたいになっているが、この男はここから先もメチャクチャである
1946年11月、イギリス南部の白亜坑でバーテンダーのジョン・マディという男の殺害遺体が見つかった
遺体発見の2日前に怪しい車が目撃されており、そのナンバーを控えられていた
2週間ほど後にその車を運転していたという男が警察に出頭し、事の顛末を供述したのだが
ジョン・マディの殺害を命じたのがトーマス・レイだったというのである

イギリスに逃げて来たトーマスは当地で愛人をこさえて懇ろにしていたのだが
若いジョンがこの愛人に色目を使っている、と思い込んでしまった
そこで男2名を雇ってジョン・マディを痛めつけていたのだが勢い余って殺害してしまった、というのである。
痛めつけるという割に遺体は絞殺されていたのだが。

この事件はチョーク・ピット事件として有名である(日本語サイトでも扱っているところがある)
とにかくこの件でトーマスと共犯者は逮捕され、裁判で死刑判決を受けた(のち終身刑に減刑)
悪運尽きたトーマスだったが精神異常と判断され、ブロードムア精神病院に送られ間もなく脳出血で死亡した

トーマス・レイの略歴がハチャメチャ過ぎて何の事件の話だったか忘れそうになるが
フレデリック・マクドナルドの遺体は今なお見つかっておらず、恐らく自殺ではないだろうかと考えられているものの
誰が関わったのか、単なる失踪なのかを含めこの件は全くわかっていない

783: 名無しさん 2017/07/30(日)16:47:33 ID:EJ3
まんま悪徳政治家で草

784: 名無しさん 2017/07/31(月)03:45:55 ID:xuN
アトランタ・リッパー(アトランタの切り裂きジャック)

1911年5月28日、アトランタでの出来事である
黒人の女料理人だったベル・ウォーカーの遺体が自宅から20mほど離れた場所で見つかった
何者かによって喉が掻き切られていた
6月15日にはやはり黒人女性のアディ・ワッツの遺体が発見されたが、またしても喉が掻き切られていた
6月27日にはリジー・ワトキンスの遺体が生い茂った藪の中から見つかった
レナ・シャープの殺害遺体が見つかったのは7月1日のことである
レナの娘エマも同じ相手に刺されたが、こちらは生き延びて警察に「男」の特徴を供述した
リジー、レナも含めここまで犠牲者は全て黒人女性で、いずれも喉を掻き切られていた

当時のアメリカ南部諸州は黒人の人権などないに等しい時代だった
1910年末頃から同様の事件が散発していたが、白人の新聞に記事が掲載されたのはベル殺害事件が初めてらしい
その後何人か殺害されて漸く新聞の1面に掲載されたというから、事件に対する白人の興味も推して知るべしである
しかし新聞の1面で「アトランタの切り裂きジャック」「アトランタリッパー」などのセンセーショナルな見出しが踊ったことで
その恐怖が知れるようになった

同一犯による可能性が高いと思われる殺人が少なくとも15件
いずれも、黒人またはそれ以外の有色人種の20代前半女性が同様の手口で殺害されている
しかし1912年になるとピタリとこの手口の犯行は止んだ

犯人の目撃例が、刺されながらも生還したエマ・シャープによる1件のみで、実は「リッパー」が活動を開始した時期もよくわかっていない
前述の通りベル・ウォーカー事件以前にも同様の犯行があったようで、20人以上が殺害されたとする説もある
一応6人の容疑者がいたらしいのだが、聴取をしても何ら事件解決に進展を齎すことはなかった
そもそも本当に1人の連続殺人者による犯行なのか、同じような猟奇犯が複数いたのかもわかっていない
こんな塩梅なので、「アトランタ・リッパー」事件は100年以上未解決のままであり続けている

785: 名無しさん 2017/07/31(月)13:32:05 ID:dYn
黒人問題が絡むとこんなもんなんやなって

786: 名無しさん 2017/07/31(月)23:37:31 ID:3sZ
科学の発展ってすごいって実感するわ

787: 名無しさん 2017/08/01(火)04:48:02 ID:odM
デフアー夫妻事件

1805年に生まれたマーティン・デフアーはジョージア州のフランクリン郡を皮切りに転々と入植を繰り返した
アトランタでフェリー業を営んだのち、ジョージア州で妻スーザンらと余生を過ごしていた

1879年7月26日の朝、夫妻の孫マーティン・ウォーカーは、祖父が普段起きてくる時間になっても目覚めてこないことを不思議に思った
孫が夫妻の棟に入ると、そこには斧で叩き殺された祖父母の姿があった。

警察の調査によれば、前日の25日に夫妻は寝室のベッドで斧によって殺害され
暖炉のある部屋で灰を被せ血まみれになった状態で見つかった次第である
その遺体は首が千切れかけているという惨状だった
デフアー夫妻が住んでいた地域の人々によれば、この夫妻が敵を作ることなど考えられないということだった
本件はアメリカ社会にかなり衝撃を与えたようで、夫妻の遺体が発見された翌日には
遠く離れたニューヨークのニューヨーク・タイムズの見出しにもなった

例によって何人かの参考人が事情聴取を受けたが捜査の進展には結びつかず
かえって捜査が混乱する有様だった

強盗の線は当初に外された
マーティン・デフアーの財布には18ドルが触れた形跡もなく残っていたからである
無くなった物といえばマーティン・デフアーのブーツだけで、棟からそんなに離れていない林の中で見つかっている

捜査を進めるうちに、妙なことがわかってきた
デフアー夫妻を殺害した犯人は、どうやら事件を起こす前から棟の中に潜んでいたようなのである
2階で人糞が見つかったのだが、普通住人が便所以外でウンコを垂れることはない
これにより、暫くの間老夫婦を襲撃する機会を窺っていたのだと考えられた
また、寝室の窓枠には泥による靴跡が発見されている
この靴跡は、犯人が事件の前に窓を開けて侵入する際に脚を滑らせて付いたものであるらしいこともわかった
夫妻殺害の前に家の中でつまみ食いをしていたらしい形跡もあった
恐らくは前日に犯人が邸宅に侵入し、機会を窺って夜中に夫妻を襲撃した
警察の見立てはこんなところである

時代が時代なので、まずは流れ者の仕業ではないかと容疑の目は向けられた
デフアー夫妻殺害の前夜に、2人の男が夫妻に宿泊を断られていることもわかった
それを受けてか、7月30日の新聞記事には
「危険な流れ者たち 狼の如く郡内をうろく。欲望が満たされた時以外は常に危険である
 血まみれの空気にはどこでもならず者が集まっている」
流れ者や浮浪者と犯行を結びつける記事が踊った

大衆はかなり長い間批難の声を上げ続けたようである
事件から約4年後の1883年6月には「卑劣な犯人捕まる」との見出しが新聞を賑わせた
記事によれば、ジョー・ジョンソンなる男が他の2人と共謀して夫妻を殺害したという供述があったとの主張であった
さらに記事では、ジョーらはすぐに縛り首になるだろうと予想している

しかし実際には縛り首どころか訴追すらされなかった
さらなる警察の調べの結果、ジョーの供述は簡単に崩れ去ってしまったのである
その結果、捜査は完全に行き詰ってしまい、現在に至るまで全く解決の目をみていない

788: 名無しさん 2017/08/01(火)17:42:42 ID:vYG
古い事件はなんかそういうの多いなぁ
英国でもそんなんあったやろ

795: 名無しさん 2017/08/04(金)04:37:51 ID:KsO
   ミスター・クルーエル(残酷)

1987年8月22日、まだ夜も明け切らぬ午前4時のことである
オーストラリアはメルボルンのロウワープレンティで、銃とナイフで武装した男が家に侵入し
その家の夫妻を縛り衣装タンスの中に押し込み息子をベッドに縛りつけたのち、11歳の娘に襲い掛かった
男は電話線を切った上での犯行だったが、少女は命に別状なかった

1988年12月27日、南半球では夏至を過ぎたばかりで夜が明けた午前5時半ごろのメルボルン市リングウッド
ナイフと小銃で武装した男が裏口から家に侵入し、この家の夫妻を縛って猿轡を噛ませたうえで
10歳の娘を引っ掴んでテープで目隠しをし、猿轡を噛ませた状態で連れ去ってしまった
なお、娘は18時間後に開放されている

1990年7月2日、メルボルン市カンタベリーで、今度は夜11時半頃のことである
またしても男が家に侵入し、家にいた13歳の少女の目をテープで塞ぎ、家の電話を使用不能にして金品を物色した
男は別の場所に連れて行き少女に猥褻行為をしたのち、誘拐から50時間後に解放した
保護された少女によれば、この件で男は少女に「50時間経ったら解放してやる」と前もって告げ、実際にその通りにした
誘拐中も男は少女を「まるで母親が子供にするように(少女談)」風呂で体を丁寧に洗ったのだという

1991年4月13日、このたびはメルボルン郊外のテンプルズトウでのことである
中国系オーストラリア人の13歳少女カーメイン・チャンは、2人の妹のベビーシッティングをしていた
両親は勤め先の中華料理店へ仕事に行っていて家には不在だった
その夜、カーメインと2人の妹は家の中で、目出し帽を被ってナイフで武装した男と鉢合わせた
男は2人の妹を衣装タンスに閉じ込めた上でカーメインだけを連れ去った
その際にスプレーでチャン家の車に「アジアのヤクの売人野郎、金を払いやがれ!お楽しみはこれからだ!」
と落書きを残していったが、警察はこの落書きは犯人の真の犯行動機を誤魔化すためのハッタリだと判断している
メルボルン警察はここ数年起きた上記の少女誘拐事件と同様に、ロリコンの性犯罪者が性的いたずらをするため連れ去ったのだろうと推測し
もし同じ男が連れ去ったのならばいずれ解放されるだろうと考えていた
しかし一向にカーメインの消息はつかめなかった

誘拐からほぼ1年後の1992年4月9日、テンプルズトウから20kmほど離れたメルボルン市トーマスタウンで
カーメインの遺体が発見された
頭蓋骨後頭部から銃撃によって開けられた3つの穴が確認され、これが致命傷らしかった
遺体はほぼ1年、つまり行方不明直後からこの場所に放置されていたとみられている
しかしそれ以上の詳細はわからず、1994年には捜査チームが縮小されてしまった

796: 名無しさん 2017/08/04(金)04:38:18 ID:KsO
1987年の最初の事件のあとにマスコミによって「ミスター・クルーエル」と名付けられたこの男は、警察によれば
「かなり高い知性の持ち主で、綿密な計画の上で少女を襲撃している
 そして科学捜査の餌食になるような痕跡を決して残さない
 常に顔を隠して身元が特定されないよう細心の注意を払っている
 さらに、被害者家族や警察の目を逸らすような偽の手掛かりを残していく
 物腰柔らかい喋りで決して急かさないし急がない」
このような人物であると考えている

上記誘拐のどの事件かはわからないが、ミスター・クルーエルは少女の家から衣服を持ち出し
解放する前に服を着替えさせたりもしていた
これが捜査に対する目晦ましの意味なのかはわからないが、3件目の「まるで母親のように風呂に入れた」話のように
被害少女に対する一定の配慮も見せた「物腰柔らかい」犯人像が1987~1990年の誘拐3件には共通しているという

1988年と1990年の事件では、被害少女の供述から「監禁」されていた状況がある程度判明している
いずれもベッドの上で拘束帯によって自由な動きが封じられていた
またどちらかの少女は、監禁中に飛行機が着陸するような音を聞いた、と証言しており
警察はメルボルン空港周辺の家屋を虱潰しに捜索した

警察は、ミスター・クルーエルが犯行時にビデオか写真を撮影していたかもしれない、としている
もしミスター・クルーエルが今も生きているなら自分が撮影したビデオや写真を保有したままでいるだろう
そしてそのようなビデオや写真を収集しているはずだと考えている

しかし、腑に落ちないのは、1件目から3件目の誘拐事件と4件目のカーメイン殺人事件とで
被害少女への扱いの差があまりに大きいことである
3件目までは襲撃・誘拐などはしたものの比較的「物腰柔らか」だったのに対し
カーメインは恐らく誘拐直後に殺害され遺棄されたとみられている
この扱いの差があまりにも大きいため、3件の誘拐事件とカーメイン殺害事件は容疑者が別なのではないか
と考える捜査官も多いそうである

いずれにしても、カーメイン殺害事件も3件の少女誘拐事件は現在に至るまで未解決事件のままであり
2016年には最高100万豪ドルの懸賞金を用意して、今なお情報収集を続けている

797: 名無しさん 2017/08/04(金)05:51:44 ID:v30
4件目は別なんじゃないですかね…

798: 名無しさん 2017/08/04(金)21:48:39 ID:Ba4
恐ろしいぞ……

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803: 名無しさん 2017/08/07(月)04:50:35 ID:X7U
俳優デイヴィッド・ベーコン殺人事件

1943年9月12日(英語wikipediaでは13日とある)ロサンゼルス郊外のサンタモニカ
尋常でない走り方をした車がカーブを曲がりきれず、道を外れたところで停車した
車からよろよろと水着を着た男が降りてきて事故の野次馬らに助けを求めたが、崩れ落ちるように倒れてしまった
男は虫の息でそれ以上喋ることは出来ず、間もなく死亡した

これだけを見れば交通事故だが、背中にナイフによる刺し傷が見つかった
事故などではなく事件である
刺し傷は肺にまで達しており、肺の損傷が死因であった
出血は夥しかったが、パッと見でそうは見えなかった
男が車を運転している最中に誰かに刺された可能性が高いが、他に誰か乗っていたのだろうか

男の身元が判明した
デイヴィッド・ベーコン、「マスクド・マーベル」という合計12話の低予算短編映画に出演していた俳優である
デイヴィッドは裕福な家庭に生まれハーヴァード大を卒業しているのでかなりの才人だ
例のJ名物インチキ学生証でなくガチの卒業生である
その後俳優を志すが、上手く行く例のほうが少ない世界で、彼も一時はジゴロのようなことをして食い扶持を繋いでいた
1942年にかのハワード・ヒューズとの面会を経て、映画「ならず者」にキャスティングされたものの
役と合わないということで降ろされている
その翌年1943年に低予算の「マスクド・マーベル」シリーズでようやく俳優としての第一歩を歩み始めた所だった

事件当日のデイヴィッドの行動はこうだ
デイヴィッドは歌手である妻グレタ・ケラーに海水浴に行くんだ、と伝えていた
当時妻ケラーは妊娠5ヶ月だったので海水浴には同行せず、デイヴィッド1人でサンタモニカの海岸へ向かったということである
不思議なことに、いつもは海水浴に行く時は飼い犬を連れて行くのだが、この日に限っては犬を家に置いたまま出掛けている

彼が刺されたのは帰路の途中だったとみられている
目撃者によれば、移動中のデイヴィッドの車の助手席には濃い色の服を着た男が座っていたという(女が座っていたと証言した目撃者もいた)
残念なことに、同乗者がどのタイミングでいなくなったかが判っていない

ネイヴィーブルーのセーターが事故車内から押収されたが、これはデイヴィッドが着用するには小さすぎたようで
警察はこのセーターが刺殺犯のものだろうと推測した
そしてセーターには犯人のものと思われるブロンドの髪の毛がくっついていた
現在ならこれを使って様々な科学鑑定ができるが、当時は1940年代で出来ることも限られており
セーターの大きさからその主が身長173cm、体重64kg程度であることが判明するに留まった
なお、早々と物盗りによる犯行の可能性は消えている
財布や貴重品が車内に残っていたのだ

804: 名無しさん 2017/08/07(月)04:51:59 ID:X7U
デイヴィッドは欠かすことなく日記をつけていたというのだが、妻には決してその中身を見せなかった
それ自体は不思議でもなんでもないのだが、その日記が暗号によって書かれていたとなると話は違ってくる
のちに妻グレタが警察に暗号の解読を要請したが、その結果は捗々しいものではなかったようである

さらに、デイヴィッドや妻グレタの家や部屋のものではない鍵が見つかった
こちらは調べの結果、デイヴィッドが借りていたワンルームマンションの鍵だと判明したのだが
何のためにワンルームマンションを借りていたのかがわからない
マンションの大家さんがデイヴィッドに家賃の集金に行ったところ、デイヴィッドは部屋で男と一緒にいたのを目撃されているが
その男は一言も喋らなかったし、誰であるかデイヴィッドから紹介もされなかった

さらなる捜査の結果、この謎の男はグレン・ショーンなる海軍脱走兵であることがわかった
何故かはわからないが、庭師の求人広告を通じてデイヴィッドと知り合ったらしい
なお、グレンはデイヴィッド殺害推定時刻にはグレンの妻と一緒に別の場所にいたことが確認されており
デイヴィッド殺害に関して完全にシロであると判明した

デイヴィッドの過去ファイルを調べると、1939年に15歳の少年に手を出した廉で逮捕された前歴があることがわかった
この一件で収監はされなかったようだが、デイヴィッドはホモなのかもしれない
のちに妻グレタが語った所によると、デイヴィッドはホモで自身はレズの偽装結婚だったというから驚きだ
やっぱりホモじゃないか
偽装結婚にもかかわらず前述の通り妊娠5ヶ月だったということなので、一応夫婦間の営みはあったようだ

それはさておき、デイヴィッドの車からは写真も見つかっている
海岸で素っ裸になったデイヴィッドがそこには写っていたが、どうやら殺害される直前に撮影されたものらしかった
恐らくはデイヴィッド殺害犯によって撮影されたものだろうと考えられている
これまたそれっぽい

いくつかの説がある
まずはデイヴィッドがヒッチハイカーを車に乗せたがる癖があったらしく
性質の悪いヒッチハイカーに襲われたのではないか、というものだ

そしてよく語られるのはやはりホモ説である
ホモ行為を行おうとした相手がホモフォビア(恐怖症)だったために殺害された説
あるいは、ホモ恋人との痴話喧嘩で殺害された説もある
誰も知らない秘密の同性恋人がいたという可能性がなくもないとされているが、警察はその恋人を特定できていない

いずれにしても、デイヴィッド・ベーコンを殺害した相手の特定には至っておらず
事件は未解決のままである

なお、妊娠5ヶ月だった妻グレタは、夫デイヴィッド殺害のショックで流産してしまったという

807: 名無しさん 2017/08/08(火)14:26:44 ID:eJS
>>803
ワイの先輩にこんな事件に巻き込まれてたんやな

805: 名無しさん 2017/08/08(火)01:05:26 ID:G6y
謎が多いと思った
日記暗号でつけてるあたりやっぱ頭はいいんすね…

806: 名無しさん 2017/08/08(火)05:30:55 ID:gEG
メアリー・スタルツ・シャーマン殺人事件

メアリー・シャーマンは1913年に生まれた高名な女医で、すぐれた外科医であっただけでなくがん研究でも知られていた

1964年7月21日未明、アメリカ・ニューオーリンズのセントチャールズアヴェニューにあるメアリーのアパートで
彼女の遺体が見つかった
その状態はかなり凄惨なもので、遺体には多くの刺し傷が認められたうえに、証拠隠滅のためか遺体は焼かれ
彼女の右腕は焼失していた
余談だが英語で画像検索したらメアリーの検死遺体が出て来るからネットは凄いと思った(こなみかん)

検死の結果、心臓への刺し傷による失血が直接の死因であるらしかったが即死ではなく
その後肝臓を刺された頃に死亡したとみられる
さらなる捜査によって、メアリーが焼かれたのは遺体が発見されたアパートではあり得ないことも判明した
しかし誰がどこで何のためにメアリーを殺害し遺体を焼いたのかがわからない
証拠らしい証拠も出てこなかった

ちなみにメアリーが殺害されたのは、JFK暗殺事件の「ウォーレン委員会」において
JFK暗殺犯とされたリー・ハーヴェイ・オズワルドの行動に関する査問が行われる予定日だったらしい
それが何か関係あるのだろうか

1995年にエドワード・ハスラムという人物が本を著した
「メアリー、フェリーとサルのウイルス:アンダーグラウンドの医学研究所」という本で、メアリー殺害を紐解こうというのだが
メアリーは極秘裏に、ポリオ(小児麻痺)ワクチンに含まれるSV40というサル由来の発がん誘発ウイルスの予防研究をしていたのだという
(ちなみにこのSV40は実験動物で発がん要因となることが認められたが人間でそうであるかは判明していないらしい)

そしてここの第2研究所にはデイヴィッド・フェリーもいた
デイヴィッド・フェリーと言えばJFK暗殺事件の書物では必ず出てくる名前である。メアリーとデイヴィッドは友人だったのだそうだ

さらにエドワードは、メアリーとリー・ハーヴェイ・オズワルドが
1963年に「作戦」の目晦ましのために雇われたのだと主張する
メアリーが極秘実験で加速器使用時に事故を起こしたが、それの証拠隠滅のために殺害されて酷く焼かれたというのである

この本が重版された時に、エドワードは新たな証人を用意した
ジュディス・ベイカーなる女性である
彼女は1963年頃にオズワルドと不倫をしていたことを証言した
確かに同じ時期にジュディスとオズワルドは同じ会社に勤めていた。ありえない話ではない
その後ジュディスは転職したのだが、それがメアリーも参加していたCIAによる極秘研究に関わる仕事で
極秘研究の中身はフィデル・カストロ議長暗殺のための生物兵器の作成であったという

この話を信じるなら、ウイルス予防とかの研究は表向きそう見せるためだけのダミー研究であったことになる

しかし、これはすべてエドワード・ハスラムの言い分であって、よくある陰謀論の1つであるだけかもしれず真偽のほどはわからない
デイヴィッド・フェリーはアイスボックス殺人事件にも名前が出てくるほど、JFK陰謀論には付き物の人物だ
(アイスボックス殺人事件はこれ http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1474299070/769-772 )

結局陰謀論は出て来たものの、メアリー殺害事件捜査は何の進展もなく
今に至るまで未解決のままである
もしエドワードの本が正しかったとしても、この事件がJFK暗殺絡みの話であることになってしまうので
なおさらメアリー殺害に関して詳細が明かされることはないだろう

808: 名無しさん 2017/08/08(火)14:50:27 ID:G6y
またフェリー君が絡むのか…
まぁフェリー君も謎の急死してるし残当

811: 名無しさん 2017/08/10(木)05:48:09 ID:uCw
テントガール

1968年5月17日、ケンタッキー州ジョージタウンでの出来事である
道路脇で電柱などに使われている碍子拾いをしていたウィルバー・リドルは見つけてしまった
深緑のターポリン素材、テントやビニール製横断幕などに使われるアレであるが、その素材に包まれた腐乱死体を見つけてしまったのである
ちょうどテントを畳むようにして遺棄されていたその遺体は「殺害された女性」であることはわかったものの
腐敗進行のため遺体が誰であるかすらわからず、誰にどうやって殺害されたかなどはわかるはずもなかった

遺体女性が現地ジョージタウンの墓地に埋葬されるに当たって
墓石に名前を彫る替わりに、遺体の主の特徴を刻んで個人を弔った
遺体発見の状況から「テントガール」と名付けられた遺体女性の墓石には、次のように書かれている

 テントガール
 1968年5月17日に発見
 場所はアメリカ・ハイウェイ25号線北側にて
 推定死没日時は4月26日から5月3日の間ぐらい
 年齢は16歳から19歳
 身長155cm
 体重は50~52kg
 赤茶色の頭髪
 身元不明

この墓は、ある種「ホラースポット」的な場所として現地の中高生ら若者の間に知れ渡り
肝試しをしに来るものがいたらしいというから不謹慎である

テントガールの存在もすっかり忘却の彼方に置かれてしまうほどの月日が流れた

トッド・マシューズという高校生がガールフレンドであるローリとのデートの時に「テントガール」の名を知った
テントガールというインパクトある響きに引き寄せられたトッドは
いつしか「テントガール」の身元を突き止めたいと思うようになっていった
しかし、なぜ女性とのデートの時にテントガールという、凡そデートに相応しくない名前を知ったのか
実は、ローリのフルネームは「ローリ・リドル」、テントガールの第1発見者だったウィルバーの娘であった

やがてトッドとローリは結婚し、ウィルバーがトッドの義理の父になると
ますますトッドはテントガールについて詳しく知りたくなって来た
彼は地元紙の縮刷版を片っ端から調べ上げ、テントガール事件に関する詳しい情報と
近隣地域での失踪事件・行方不明者の情報をかき集めた
テントガールの特徴に合致する失踪者がいないか探しまくったのである
それを10年も続けたというから執念だ

812: 名無しさん 2017/08/10(木)05:48:39 ID:uCw
10年も調べを続けると世の中は進歩する
インターネットの登場である
まだネット黎明期であったため行方不明者サイトは充実していなかったが
政府諸機関やマスメディアでの情報収集やコンタクトを取る事は以前よりはるかに簡単になっていた
そして、米yahooの「未解決事件」カテゴリでは行方不明者の家族らによる捜索などのやり取りが行われていた
トッドはそこでテントガールに合致する情報がないかを調べ始めた

来る晩も来る晩も夜な夜な、トッドはその掲示板を調べ続けた
そして、遂に見つけたのである
ジョージタウンから25kmほど離れたケンタッキー州レウィントンの女性が姉妹を探している、という投稿文を見つけたのだ
トッドが頭に描いていたテントガールと、登校文に書かれた女性の特徴がぴたりと一致した
(正確には、墓石に刻まれた推定年齢と行方不明女性の年齢が離れていたが、のちに推定の方が間違っていたことがわかった)

これまた失踪の時代とは比べ物にならないほど進歩したのが、身元確認の方法である
DNAテストによる技術が確立したのだ
1998年にテントガールの墓を掘り起こしてDNA検査をした結果、彼女の身元が確定した
女性の名はバーバラ・アン・ハックマン・テイラー、失踪当時24歳の既婚女性だった

さて、ここまで来れば容疑者も凡そ見当が付いて来た
バーバラの夫ジョージ・アール・テイラーが最有力容疑者である
しかし彼は逮捕されることはなかった
バーバラの身元判明から遡ること11年、1987年にジョージは病死していたのである
こんな訳で、容疑者はほぼ確定しているにもかかわらず未解決事件として扱わざるを得なくなってしまい
今に至っている

なお、「テントガール」だった墓石は、その下に「バーバラ・アン・ハックマン」の名が刻まれた新しい墓石を下に追加して
いまなお現存している

と、ここまで訳して、どこかで聞いたことあると話だと思ったら
アンビリでこのネタを放映したことがあったらしい

813: 名無しさん 2017/08/10(木)07:37:45 ID:Sca
せやね、録画して見た記憶あるわ
失礼ながら無関係の人間がここまでしてたのに草生えたわ

819: 名無しさん 2017/08/13(日)04:27:02 ID:CiE
桃のタトゥーの少女 (Girl with the Peach Tattoo)

1997年6月28日、ニューヨーク州ヘムステッド町にあるヘムステッド湖州立公園で「それ」は発見された
首から上の頭部と両腕、膝から下の両足が切り取られたそれは、トルソという言葉が当てはまる遺体だった
遺体と一緒に赤いタオルと花柄枕カバーが、ラバーメイド社製の容器に入れられていた
検死の結果、死因は斬首であるらしかったからひどい話である

遺体の主は、女性である以外は皆目見当が付かなかった
頭がなければ腕もない、顔で判断しようもなく指紋も使えない
唯一手掛かりとなりそうだったのが、遺体の左胸に彫られていた2インチほどの大きさの「桃のタトゥー」だった
警察は藁をも掴む思いで、遺体のタトゥーの写真を米国内のタトゥー雑誌に掲載し
それに心当たりがある彫り師がいないか情報を募ることとなった

これは効果があった
ニューヨーク州の隣コネティカット州の彫り師、スティーヴ・カレンが雑誌を見て警察に情報を提供したのである
スティーヴによるとこうだ

 このタトゥーは自分が黒人系の18歳か19歳くらいの女性に施術したものだ
 その女性は他に2人一緒にいたは、1人は叔母で1人はいとこだと言っていたから母子と姪の3人連れだったようだ
 彼女は元々ブロンクスだかロングアイランド(どちらもニューヨーク)だか出身なんだが
 ボーイフレンドと揉めてコネティカットに逃げてきたとか言ってたな
 そうそう、左胸だけじゃなく彼女の腕や足にもタトゥーを彫ったよ

信頼性があるのかないのか判らない話だが、遺体は腕や足が切り取られており
タトゥーの確認のしようがない

そんなこんなで頭部が見つからない、腕もない、足もない
胸の桃のタトゥーから「ピーチーズ」と名付けられた女性は誰であるかすらわからないままである

820: 名無しさん 2017/08/13(日)04:27:16 ID:CiE
一応全く進展がなかった訳ではない
2016年12月13日付の地元オンライン誌「ロングアイランド・プレス」が地元当局の話として、
2011年にロングアイランドのジョーンズ海岸州立公園にて発見された頭蓋骨がほぼ確実に「ピーチーズ」のものであるらしいこと
同年ロングアイランド北部のシダー海岸で発見された子供の遺体がDNA検査によって「ピーチーズ」の実子であるらしいこと
これらが報じられた

2011年というと「ロングアイランド連続殺人」が暗躍真っ盛りだった頃である
ロングアイランドプレス誌報道と絡めて、ピーチーズ(とその子供とされる遺体)は
ロングアイランド連続殺人鬼の最初期の犠牲者だったのではないかという指摘もある

ここまで報じられてはいるのだが、肝心の「ピーチーズが誰であるか」まではたどり着けていないし
ピーチーズを殺害した容疑者が誰であるかはなおさら闇の中である

なお、ロングアイランド連続殺人の容疑者も全くわかっておらず、こちらも未解決事件のままである
あまりにも謎が多い事件なので、獄中で懲役203年受刑中のジョエル・リフキンが事件に関し新聞社からインタビューを受けている
この男は1990年前後に17人を殺害したとされる元祖ロングアイランド連続殺人鬼であり、インタビューから何らかのヒントを得ようとしたようだが
新聞の紙面を飾った以外に収穫はなかったようだ

823: 名無しさん 2017/08/13(日)06:21:44 ID:z8O
結局よくわからん感じなんやな

824: 名無しさん 2017/08/14(月)05:12:54 ID:QYR
YOGTZE

時は1984年、場所は旧西ドイツのヴィンスドルフにあるアンツハウゼン
食料品技術者で当時失業中だったギュンター・ストールは、中度の妄想疾患に苦しんでいた
ギュンターは妻に時折、「『やつら』に狙われている」と語っていた
妄想疾患持ちの言うことでもあったので妻はあまり気にも留めていなかった

同年10月25日、時刻は23時を過ぎていたというからもう夜中である
ギュンターは「やつらだ!」と口にすると続けて「わかったぞ!」と叫び
おもむろに「YOGTZE」の6文字を紙に書き付け、妻を置いて1人で家を出て行ってしまった

それからの足取りであるが、ギュンターはその後間もなくして、ヴィンスドルフにあるお気に入りのパブに姿を見せている
そこで彼はビールを注文したのだが、それと前後して転んで顔を怪我したらしい
その時の様子をみていた人は、ギュンターはアルコールの影響を受けているように見えなかったが突如意識を失った
とのちに語っている
間もなく意識を取り戻したギュンターはワーゲン・ゴルフに乗ってパブから出て行った
それから2時間のうちに彼に何が起こったかはわかっていない

日付が変わって翌10月26日午前1時ごろ、20kmほど離れたハイガーセルバッハに来たことが判明している
この地はギュンターが育った街であるという
ここでギュンターは、子供の頃からよく知っているという女性に「大変なことが起きた」と話している
それに対し女性はギュンターに、もう夜分遅いからあなたの両親の所へお帰りになってお話された方がいい、と助言した
このやり取りのあと、ギュンターはすぐにこの場を離れたようだ

午前3時になった
ハイガーセルバッハから100kmほど離れたハーゲン近郊のアウトバーンで
2台のトラック運転手がクラッシュしたワーゲンゴルフを発見した
ギュンターの車である
トラック運転手は2人とも、白いジャケットを着たけが人が車の近くを歩いているのを見た、と証言している
通報を受けた警察が現場に駆けつけると、瀕死の重傷を負った全裸の男が車内から見つかった
ギュンター・ストールである
彼はまだ意識があって、「4人の男が俺と一緒に車に乗っていたが、奴ら逃げやがった」と伝えた
それはあなたの友人か、という警察の問いには、そうではないと答えている
ギュンターはその後病院に搬送されたが、間もなく死亡した

825: 名無しさん 2017/08/14(月)05:13:21 ID:QYR
さて、ギュンターに何が起きたのか
捜査官によれば、ギュンターは自動車事故を起こす前に既に負傷していたということであった
しかもそれは、別のどこかで車に撥ねられた可能性が高いと警察はみている
ギュンターは(車に撥ねられ)負傷したのちに自分の車の助手席に座らされ、発見現場まで連れて来られたのだという
彼が裸で発見されたのは、車に轢かれた時にひん剥かれたらしいからだと結論付けられた

別のドライバーによれば、ヒッチハイカーらしき人間がアウトバーンの出口付近にいたのを目撃した、と証言している
これが前述の「白いジャケットを着た人物」と同一人物であるか、確認は取れなかった

ギュンターは休日になるとオランダまで出かけクスリの売人と接触していたのではないか、という説もある
確かにオランダはそっち系の薬物が緩い国ではあるが、ギュンターが関わっていたかどうかは判っていないのが実情である

単なる事故死でないらしいこと以外は何もわかっていない
「やつらに狙われている」という言葉は、本当に妄想から出たありもしない話だったのか
妄想と薬物の間に関係はあったのかなかったのか
そして、事件の名前にもなっている「YOGTZE」、これは何を意味しているのか
ほとんど何も解明できず、謎まみれのまま今に至っている

826: 名無しさん 2017/08/14(月)05:33:58 ID:3Uu
本当に狙われてたかのような感じで草
轢いたから適当に処理したようにも思える

829: 名無しさん 2017/08/15(火)10:14:31 ID:8eF
国内の未解決は結構スレ立つから知ってるけど
海外のは初見ばかりで興味深いンゴ
もっと見たい思いますた

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830: 名無しさん 2017/08/16(水)04:48:09 ID:uQN
   ケディ事件

36歳のグレナ・スー・シャープは5人の子供の母で、1980年11月から小屋を借りていた
小屋というよりはバンガローに近いものだったかもしれない
5人の子供たちとともに借りた小屋に居を構えて過ごしていた
その小屋があるカリフォルニア州内陸部のケディ地区で事件は起きたのである

1981年4月12日、朝の7時45分頃だろうか、隣の家での外泊から帰ってきたシェイラ・シャープ
彼女はスー(グレナ・スー・シャープはミドルネームが愛称になっていた)の娘であるのだが
とにかくシェイラが3人の遺体を発見したのだった
母スー、スーの息子ジョン(15)、そしてジョンの友人ダナ・ウィンゲイト(17)が
リビングルームで縛られた状態で死んでいたのだった
別室では3人の年少の少年が、ケガもなく生存した状態で発見された
侵入者はこの3人の子供らに気付かなかったのだろうか

遺体発見者のシェイラと通報を受け駆けつけた捜査当局は不審な点に気付いた
現場に一緒にいたはずだった、これまたスーの娘ティナ・シャープ(12)がいなくなっている
まさかティナが事件を起こすとも考えづらく、ティナに何があったのだろうか

まず目撃情報である
息子ジョン・シャープはダナ・ウィンゲイトと2人で州道70号線を歩いているのが目撃されている
それは4月11日夜遅い時間であったという
その後自宅の小屋に帰った時点で、既に小屋の中でスーを殺害していた侵入者に気付かれたか
あるいは殺人者を止めに入ったかしたのかもしれない
いずれにしてもジョンとダナは翌日遺体で見つかっている

スー、ジョン、ダナの3人はいずれも医療用テープや電気コードでがんじがらめに縛られていた
検死を行ったところ、犠牲者らは少なくとも2種類以上のハンマーかそれに類似する鈍器で殴られた痕跡があり
特にスーが殴られたのはライフルの銃床であるらしいことが判明した
また、ダナの死因は手で首を絞められた事によるものと考えられた

現場付近から凶器として使用したものと思われるさまざまな遺留物が見つかっている
テーブルナイフや肉切りナイフ、血みどろのハンマーなどである
しかし、殴られた痕跡から判明したライフルはどういう訳か発見されなかった
ナイフのうちの1つはケディの雑貨屋のゴミ箱から発見されている

4000人もの捜査体制を敷いてしらみつぶしに捜査に当たったが
例によって何人もの参考人の名が挙がったものの、そのいずれも浮かんでは消え浮かんでは消えして
容疑者特定には至らなかった

831: 名無しさん 2017/08/16(水)04:49:01 ID:uQN
何か大事なことを忘れている
ティナ・シャープのことである
1984年、つまり事件から3年後、ケディから100kmほど離れたカリフォルニア州ビュート郡で
人間の頭蓋骨の一部が発見された
鑑識に回した結果、この骨の主はケディ事件以降行方不明になっていたティナ・シャープであることが判明した
ティナ・シャープの遺体であることがわかったのはいいが、なぜそんな離れたところで見つかったのか
そもそもなぜ行方不明になっていたのか、全く分からない

この事件は物的証拠が結構残っている
ナイフやハンマーなどがそれだ
完全犯罪に近いような行動を取ったようには見受けられず、杜撰であるとさえ感じられる
にもかかわらず容疑者特定にすら至らないので、警察はあらぬ疑い―何か隠しているのではないか、など―
をかけられる始末だという
識者なども、この事件は性質の悪いチンピラの類の犯罪者によって成されたものであると考えられているが
無能ゆえもあってか、警察が共犯のようなものであると看做されているようだ
一応容疑者?の似顔絵も用意されているが、こんなもので犯人逮捕に繋がるとは到底思えない
https://orion-uploads.openroadmedia.com/lg_c8e1b9-keddiemurders_suspects.jpg

そんな按配で、現在に至るまでケディ事件の謎は一切解かれていない

なお、ケディの当地にあった現場の小屋は、2004年に他の近隣の建物と一緒に取り壊された

832: 名無しさん 2017/08/16(水)11:08:52 ID:kzJ
初動捜査に失敗するとこんなもんなんやなって
誰でも当てはまりそうで特徴ある絵を描くならともかく特徴もないなこれ

850: 名無しさん 2017/08/23(水)14:56:08 ID:LW6
医者のおっさんやっけ?陰謀論混じりのやつやったかな
付近に類似事件ないならどうにもならへんやろなぁ

861: 名無しさん 2017/08/28(月)05:34:04 ID:wg2
  リッキー・マコーミックの暗号

高校を中退したリッキー・マコーミックはミズーリ州やイリノイ州で居住地を点々とする生活を送っていた
彼は慢性的な心疾患と肺疾患に悩まされていた
リッキーは未婚であったが少なくとも4人の子供をこさえていたという
そんな彼には法定年齢未満の女性と性交渉をもった廉で懲役3年の刑を食らい11ヶ月獄中にいた過去があった
事件当時彼は無職で、慢性疾患持ちだったからか障害者として扱われていた

リッキーが41歳だった1999年6月30日、ミズーリ州ウェストアルトンの州道367号線沿いのコーン畑の傍らに
男性の腐乱遺体があるのを州道運転中の女性が発見した
警察の調べにより、その遺体の主がリッキー・マコーミックであると判明した

ここで1つ謎が浮かんだ
遺体発見現場はリッキーの現住所から25kmほど離れていた
リッキーは車を運転できない、また遺体発見現場に近い公共交通機関も存在しない
つまり、自分の意思でここに来た訳ではないらしい
また、失踪届けも出ていなかった
さらに、殺害されたような痕跡も見つからなかった
というか、当局が死因を確定できなかった
なぜこの場所に遺体があるのか、死因は何なのか、全くもって謎だらけの死である
なお、リッキーは6月25日に病院で健康診断を受けているので
それ以降6月30日の間までに死亡したであろうことだけは判明した

これだけなら単なる謎の死であって、恐らく人々の話題にも上らなかっただろう

862: 名無しさん 2017/08/28(月)05:34:31 ID:wg2
12年の時を経て2011年3月29日、FBIが登場する
FBIがリッキーの死を殺人として扱うと発表したのである
それだけではない
FBIは、リッキーのズボンのポケットから2つのメモ書きを見つけていたことも公表した
なぜこの期に及んでこのようなことを公表したのか

実は、警察は遺体発見時に既にこのメモ書きを見つけていたらしいのである
当局はこのメモ書きがリッキー死亡の3日前頃に本人によって書かれたものであろう、としている
ところが、このメモ書きは全く意味がわからない
彼自身にしかわからない文法や規則性、つまり彼独自の暗号で書かれているらしいのである
リッキーの家族も、彼が子供の頃から暗号でいろいろ書き記していたが家族の誰もそれを読むことは出来なかった
と証言している
警察当局はこの暗号がリッキー死亡の手掛かりになるのではないかと考え
FBIの暗号分析室や全米暗号協会の力を借りてリッキーのメモ書きを解読しようと試みたのだが
全く歯が立たなかったというのだ
そこで、我こそはという暗号解読の猛者を募るために一般公表に踏み切ったのだった

ところが、翌年の地元週刊新聞にリッキーの家族のインタビューが掲載された
家族曰く
 「リッキーは自分の名前ぐらいしか書けないはず」「殴り書きくらいの文字しか書けないぞ」
おいおい、子供の頃から暗号書いてたんじゃねえのかよ

 「ニュース見るまでポケットに暗号が入ってるなんて話知らなかったわよ」
「子供の頃から暗号を書いている」という話をする前に聞いてなかったのか?

情報が錯綜しまくっていて、どっちが本当かわからない
週刊新聞の飛ばしの可能性もあるし、警察当局の思い込みかもしれない
オーストラリアで有名な「タマムシュッド事件」や以前に出てきた「YOGTZE」事件のように
本当に暗号かもしれない
いずれにしても、リッキー・マコーミックの死にどんな背景があったのか
そのあらゆる謎は全く解かれていない

FBIのページ
https://www.fbi.gov/news/stories/help-solve-an-open-murder-case-part-2

863: 名無しさん 2017/08/28(月)14:14:54 ID:mMW
暗号解読専門家とかもどうにもできへんのやね

864: 名無しさん 2017/08/29(火)00:14:50 ID:U93
暗号見たいンゴ

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873: 名無しさん 2017/09/02(土)06:10:39 ID:idG
ホワイトホール・ミステリー

1888年9月11日、ロンドン中心部ウェストミンスターのピムリコにあるテムズ川の河岸の泥の中から
人間の肩から右腕にかけての一塊が発見された
こんな事をされて無事な人間は世の中にそうはおるまい
しかし誰の腕肩であるか、判別しようもなかった
指紋が身分証明の決め手となるのは20年近くものちのことである

同年10月2日、ロンドン警視庁、通称スコットランドヤードの新庁舎を建築しているさなかの
ロンドン中心部ウェストミンスター、テムズ川の畔である
建築中の庁舎の中で労働者が包みを見つけたのだが、嫌な予感がする
果たしてその嫌な予感は当たり、中から出て来たのは人間の、女性の胴体の一部だった
9月29日の時点でそこに包みが置かれていなかったのが確認されており、3日間のうちに誰かが置いたらしい
異体は黒いペチコートらしきもので包まれており、外は紐で縛ってあった

警察の鑑識は10月の胴体と9月の右腕が同一人物のものであると確認した
これは殺人なのか、単なる死体損壊・遺棄なのか
イギリスの新聞タイムズ紙は、医学生がいたずらで捨てたものではないかと推測する記事を出した
医学部なら解剖用の遺体、それも解剖済みのものが存在しても不思議ではない
筋の通った推理ではある

そののち新聞を賑わせたのが、かの「切り裂きジャック」と結びつける論調である
まさにこの年、1888年8月31日から11月9日にかけて、ジャックはロンドンのイーストエンドで少なくとも5人を殺害している
時期的には完全に合致する
(10月2日時点で確実にジャックによると思われる犠牲者は4人、ジャックが自らを「ジャック・ザ・リパー」
と名乗った手紙が新聞社に届いたのが9月27日)
しかし、警察は「ジャック」とホワイトホールの遺体との間に関係性を見出すことが出来なかった

874: 名無しさん 2017/09/02(土)06:11:01 ID:idG
10月8日には検死官による詳細な調査が行われた
白い肌に濃い色の髪の毛を持っており、手作業や肉体労働に従事した経験はないか、あっても少なそうだと見られた
死後6週間~2ヶ月ほど経っていると推定され、「身長が高く、栄養状態もいい、24歳前後の」女性であるとの見解を示した
そしてこれが特徴的であったのだが、子宮が体から切り取られていた
また、右肩から腕を切り取った傷口から、外科的な知識を持った人間による遺体の損壊であると推測された
止血帯のようなもので縛った痕も見られた
そして、この女性が子供を産んだ形跡は認められなかった
犠牲者は死亡時に錦のサテン生地のドレスを着ていたらしかった
そのドレスはイングランド北部・イギリス中央部のブラッドフォードで、約3年前から生産されているものであることまでは判明した

ここまではわかったのだが、肝心の死因がわからない
遺体の主は溺れたり窒息したりしたのではないことは判明した
左肺には深刻な胸膜炎の罹患が認められたが、これが死因と関係があるか否かはわからなかった
心臓は健康そのもので、右肺、肝臓、胃、腎臓、脾臓など体の各器官にも異常はなかった

犬を使って捜索を続けたところ(イギリスで正式に警察犬を導入するのは20世紀に入ってから)
まもなく、ロンドン警視庁新庁舎建築現場に程近い地中から埋められた左足が見つかっている
しかし今に至るまで、遂に頭部など残りの部分は発見できず、よって遺体の主が誰であるかは判明していない

その後1890年にロンドン警視庁新庁舎が完成した
しかし、まさにその地で発覚した「ホワイトホール・ミステリー」
これの謎が今に至るまで全く解かれていないのは、何とも皮肉な話である

875: 名無しさん 2017/09/02(土)23:17:44 ID:JdF
とりあえず切り裂きジャックと絡められる当時のロンドンの事件
まぁーしゃーない

877: 名無しさん 2017/09/03(日)16:04:10 ID:kqI
切り裂きジャックと同時期に似たようなやつがいたんやろなぁ
というか切り裂きジャックに集中しすぎて他がおざなりになったか模倣犯がいっぱい出ただけかもしれへん

879: 名無しさん 2017/09/04(月)06:27:58 ID:mNw
ある程度分かってたら切り裂きジャックと並ぶくらいの事件になってたかもしれへんな
もしも同一だったらやけど

880: 名無しさん 2017/09/05(火)02:22:04 ID:FJh
  バタシー・ミステリー

またまたロンドンの話、1873年9月5日、ちょうど144年前の今日の話である
テムズ警察がインナーロンドンのバタシー地区を警邏中に女性の胴体の左上部分を発見した
続いて、程近いナインエルムズ地区で右胸部が、やや下流のライムハウス地区で首から上の頭部が
左前腕部はバタシーで、腰回りはさらに下流のウールウィッチ地区で、それぞれ発見された
これらバラバラ遺体を集めると、どうやらこれが1人の女性がバラされた末の姿であることがわかった
頭部顔面は鼻とあごが切り取られており、髪の毛の部分は頭皮が剥がされていた

ロンドン警察の監察医トップのトーマス・ボンドはバラバラになった遺体を元の姿に組み直して身元確認をしようとしたが
組み直してもバラバラ遺体である、一般大衆に見せても野次馬根性か気味悪がるかでうまくいかない
そこでまずは写真にして目撃証言を集めることにした

医学雑誌「ランセット」は次のように報じている
 大方の意見に反しこの遺体は闇雲に叩き切られているのではなく、巧みに切り分けられている
 関節は皮膚筋が切り開かれ、骨ぼねは足首や肘などの関節が複雑な部分までうまくバラされている
 臀部と肩の部分だけは関節から分けられず、骨がのこぎりか何かで切られていた

この医学雑誌の報道からわかることは、遺体を解体した人間はかなり人体または動物の構造に関する知識を有しているらしいことだ
ちなみに、10数年後の「(テムズ川)トルソ殺人者」との関連が指摘されたのはこれが理由である

予備審査で「身元不明の単独若しくは複数人による故意殺人」と断じられたものの
当時の捜査技術では、犯人が誰であるかどころか犠牲者が誰であるかすら判明しなかった

翌年の6月、今度はバタシーから5kmほどテムズ川上流部にあるパトニー地区でまたも女性の遺体が見つかった
この遺体は首から上と両腕、そして片足がない状態だった
さらに監察医E・C・バーンズの検死によれば、この遺体は川に投げ込まれる前に石灰にまぶしてあったらしいことも判明した
一般に石灰を使うと遺体の腐敗が早く進むとされており、遺体をバラした人物は恐らくこのことを知っていたものと思われる
つまりバラした遺体を意図的に腐敗させようとした訳であり、殺人など重大犯罪の痕跡を消し去ろうとした可能性が大である
にもかかわらず予備審査では「この遺体は死因不明」と判定してしまった
確かに死因不明に違いはないが、死因がわからないバタシー事件は殺人として扱ったので
殺人と死因不明の境界がどこにあるのかよくわからない
恐らく当時の法曹関係者もわからなかったと思う

いずれにしても、この2件の遺体が誰のものであるか、殺されたのか、殺されたとして誰の仕業か
殺したのは同一人物によるものか別々の人物の犯行か
いずれも全くわからないまま、一旦歴史の忘却の彼方に消えていった
この事件が再び脚光を浴びるのは10年のちのことになる

881: 名無しさん 2017/09/05(火)17:33:07 ID:q9A
これもう当時のロンドン暗黒街ってレベルやないやろ
そらホームズ人気出るわ

883: 名無しさん 2017/09/06(水)03:20:17 ID:2C4
今度は12月9日である
やはりトッテナムコートロードから離れていないモーニントンクレセント駅敷地内で見つかった包みから
右腕と両足のそれぞれ骨がが発見された
地区の監察医によれば骨の主は「1人の女性のもので、巧みにバラされている」
また出て来たキーワード、またしても技術か知識を持った人間による解体らしい
しかも続けて監察医が言うには「トッテナムコートロードの女性とは別人」

この時代のロンドンはよほど治安が悪かったんだろうと思わずにはいられない
12月の遺体も誰のものであるかわかる術もなく、しばらく後に埋葬された
もちろん、2件とも未解決のまま今に至っている

>>881
1882年の記録では、1年間にテムズ川で544遺体を収容したらしい
約半数の277体は死因不明扱いだったとか
テムズ川が不法投棄の場になっとったみたい、人間の

884: 名無しさん 2017/09/06(水)06:45:44 ID:5qq
>>883
えぇ…同一人物の殺人じゃなくて無関係の複数の死体遺棄場みたいなもんなのか…

警官の巡回時間知ってたんかな

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882: 名無しさん 2017/09/06(水)03:17:22 ID:2C4
  トッテナムコートロード・ミステリー

1884年10月23日、まーたロンドンの話である
トッテナムコートロード近辺というからビッグベンから1km程度の距離のロンドン中心部と言っていいだろう
そこで人間の、恐らく女性と思われる遺体が見つかった
それは肉が付着した状態の頭蓋骨と大腿骨であった
そして状況的に、犯罪に巻き込まれたものであろうことが容易に推測できた
時をほぼ同じくして、すぐ近くのベドフォードスクウェアでは小包が発見されたのだが
中を見たら案の定、人間の腕が入っていた
柵を挟んで道路から投げ込まれたと思しきこの腕には、個人が特定出来る可能性があるタトゥーが彫られていたが
これは恐らく被害女性が売春婦であるだろうことを意味していたらしい
売春婦の識別用タトゥーだったのだろう

5日後、やはり近隣のフィッツロイスクウェアの建物前で、警察官は茶色い大きな紙包みを発見した
嫌な予感がするなあ
予感通り、中から人間の胴体が出てきた
殺人者であろうと思われる遺体の捨て主は、捨てる時に極めて大胆か運が良かったのだろう
ポールモールガゼット紙にはこう書かれている
 この建物の前の歩道は絶え間なく警察官がパトロールしている
 紙包みが捨てられたのは10時から次の警官が警邏に来る10時15分までの15分の間と思われる

しかも紙包みが捨てられた建物というのが軍の練兵所だったというから
捨てた人間は大胆か運が良かったのどちらかだろう、と思われるのもむべなるかな

11月11日から検死法廷が始まった
タイムズ紙はこう報じている
 医学的証拠からは、このバラバラ遺体の主は同一女性であり、遺体を解体したのは「技術を持った」人物である
 但し、医学的解剖目的などでは断じてない

まーたある程度の技術を持っ人物による解体らしい
10年前のバタシー・ミステリーに似たシチュエーションである
これまた「(テムズ川)トルソ殺人者」との関連が指摘される訳である

結局、腕のタトゥーも身元判明の決め手にならなかったようで
この遺体が誰のものであるか判明していない

888: 名無しさん 2017/09/08(金)17:44:49 ID:enp
ジャックもいい迷惑とか思ってそうなレベルでロンドンの売春婦事情が糞すぎる…

921: 名無しさん 2017/09/18(月)03:37:06 ID:pJ9
クリッシー・ヴェン

1921年2月20日、場所はオーストラリアのタスマニア島北部ノースモットン村
12歳の少女クリッシー・クレア・ヴェンは午後5時ごろにちょっと用事とばかりに家を出て
そして二度と生きて帰ってこれなかった

捜索が行われてもなしのつぶて、そう思っていた3月1日に彼女のバラバラ遺体が発見された
空洞になった切り株の中にあったのが見つかったのだが、それはクリッシーが目的地に歩いていく途中にあった切り株だった

ところが、別の記事には違う内容が書かれている
それによれば彼女が殺害されたのは2月26日(前の記事は2月20日だがこちらは殺害日)
そして彼女の遺体はバラバラにされておらず、絞殺または窒息殺だったという記述である

記述がバラバラな時点で既に解決に向けて暗雲が垂れ込めてくるわけだが
遺体捜索活動を行っていたうちの一人、ジョージ・ウィリアム・キングが3月8日に逮捕された
手に傷を負っていたのが逮捕の理由だが、彼はその傷をクリッシー捜索中に負ったものだと説明していた
ジョージは35歳の元鉱夫にして警察官、被害者の母とは知り合いだった
そして被害者クリッシーはジョージのことを恐れていたらしい。

地元住民の話だと、クリッシーはジョージが来るのを見ると藪の中に隠れたというから尋常ではない
彼女が何でそんな行動をとるのかわからん、とジョージは主張している

8月になって裁判が始まったが、手の傷とクリッシーのジョージに対する態度ぐらいしか証拠がない
こんな証拠で有罪にされてはたまったもんではない
恐らく陪審もそう考えたのだろう、ジョージは無罪評決を受け釈放された

他に容疑者がいないわけではない
チャールズ・パートンという男が有力な容疑者として昨今では名前が挙がっている
彼はクリッシーが行方不明になった当日、現場付近にいたのを目撃されている
ジョージ・キングの裁判では弁護側商人としていくつか興味深い話もしていたという
チャールズ・パートンに関してはさらに興味深い話があって、一つは彼が1944年に失踪し二度と姿を見せなかったこと
二つ目はクリッシーの遺体を切り株から発見したのがチャールズの父であるという説があること
三つ目の話は、クリッシー殺害犯はチャールズに違いない、とチャールズの子孫が信じているらしいことである

しかし証拠らしい証拠もなく、

殺害犯はジョージ・キングともチャールズ・パートンと確定させることも出来ない
そんな訳で、今なお未解決事件として残されたままである

922: 名無しさん 2017/09/18(月)06:47:56 ID:H5U
1920年代で記述がばらばらなのは駄目みたいですね

子孫に疑われるチャールズ君はどんな人物だったのか

978: 名無しさん 2017/10/10(火)05:48:05 ID:QyP
ジョゼフ・ドゥセ

1990年7月19日、心理学者にして破門された元牧師だったジョゼフ・ドゥセ(45)は
午後9時前にパリの自宅で、「警察であると称した」2人組に呼び出され、彼らと外に出て行って
そのまま二度と帰ってくることはなかった
ちっとも帰ってこないジョゼフを心配した同居人が丸1日後に警察に通報し
警察は4日後に誘拐事件として捜査を開始した

同年10月24日、パリ近郊のランブイエの森からジョゼフの遺体が発見された
検死の結果、彼は失踪直後に絞殺されたものであることが判明した

この事件にはいわくのある話がある
ジョゼフは破門された元牧師であったのだが、恐らくこれが破門の理由であろうと推測されるのだが
彼はカミングアウトしたゲイだったのである
前述の同居人も恋人の男性だった
そしてジョゼフは性的マイノリティのための国際組織の設立にも寄与している
そこで彼は性的マイノリティのために親身になって働いたのは良かったのだが、少々度が過ぎたらしく
サド/マゾ趣味の人間やペドフィリアの悩みまでもサポートしていたらしい
確かに性的マイノリティではあるかもしれないが、ペドフィリアのサポートをしてはいかんでしょ
彼がショタコンだったのではないかと疑いを持たれたこともあったようだ

そんな人物であったので、ジョゼフは警察の監視対象であったらしい
警察の監視責任者だったジャン=マルク・デュフルが別件で逮捕され、私文書偽造の罪で有罪になったものの
ジョゼフの事件に関しては一貫して否定し続けた

2007年10月24日、ジョゼフの遺体発見からちょうど17年後のこの日、公訴は棄却され
ジョゼフ殺害に関しジャン=マルクの無罪が確定した
ジョゼフはフランス国家権力に消された、と信ずる者が今でも多いらしいが、真偽のほどは判らない
ペドフィリア関係であれば憎しみを持つ人間も多いので、警察に限らずジョゼフを目の敵にする人間は多かった可能性がある
もし仮に警察が関わっているとしても、権力が性的マイノリティを抹殺しましたなどと認める訳がなく
数多の陰謀論を残しつつ、本件は未解決のままである

979: 名無しさん 2017/10/10(火)13:31:24 ID:Eeh
でもフランスのペド率って高いから逆に政府の大物のペドな秘密を握ってペド側に消されてそうでもある

980: 名無しさん 2017/10/11(水)03:59:10 ID:YxS
本日は小ネタ

チャールズ・バド・ロビンソン

チャールズ・バド・ロビンソンは1873年生まれのカナダ人植物学者兼冒険家だった
そのチャールズが消息を絶ったのは1913年12月5日、パプアニューギニア島の西。モルッカ諸島へ遠征に発って以降のことである
それ以来100年以上、チャールズの消息はつかめていない

しかしながら、チャールズの当地アシスタント役をしていた現地住民のレポートに
彼の失踪の顛末とされるものが書かれている
それによれば以下の通りである
 チャールズは現地でココナツの木にのぼっている少年に出くわした
 ところが、運の悪いことにその少年は白人を見たことがなかった
 少年はチャールズを首狩りに来た異民族であると信じ込んでしまい、慌てて大人たちがいる集落の方に逃げていった
 そして集落の大人たちがチャールズを殺害し遺体を海に沈めた…
チャールズの訃報記事もこれを踏襲し、「無知で野蛮な数人の原住民に殺害された」とある

但し、モルッカ諸島自体はオランダの植民地になって長いこと経っていたので
白人を見たことがなかったのは件の少年だけだったと思われる
首狩りに来たという少年の言い分を大人たちが疑うことなく信じてしまったのだろう

これに関して、マレー語でココナツを示す「kelapa」を、頭を表す「kepala」と混同してしまったのではないかという説がある
もしチャールズが少年に「ココナツを切り取ってくれ」と言ったつもりだったのが「頭部を切り取ってくれ」と間違えてしまったのだとしたら
少年は驚いて集落の大人たちに知らせに行くだろうし、大人たちも自分らの身を守ろうとしてしまっても不思議ではない
まことに不運と言うほかない
チャールズは現地の言葉を少し喋れたらしいのだがそれは拙いレベルのものだったので
言い間違いや発音の不備は十分にあり得る話である

おそらくこの辺りが真実であると思われるが、

チャールズの遺体がいまだに見つかっておらず
また集落の原住民の手にかかったとしても、もはや特定することも出来ないだろう

981: 名無しさん 2017/10/11(水)13:45:58 ID:lVJ
知らんおっさんが頭を切り取ってくれと頼んだら切り取ってくれる優しい民族やな
ギャグみたいな最後やな

1000: 名無しさん 2017/10/18(水)07:17:00 ID:J6q
海外はむごいの多いな

330: 名無しさん 2017/07/20(木)21:57:23 ID:CuG
なんだかんだ意味不明なんが一番怖いと思う

参照元:https://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1500550900/

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