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【洒落怖】穴守稲荷神社

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521: 不要不急の名無しさん 2020/08/20(木) 14:40:40.93 ID:Yxlkj5VA0
>>508
羽田空港の駐車場にあった鳥居を撤去しようとしたら、工事の作業員が死んだ。
死人・怪我人は続出。
とうとう鳥居撤去を請け負う業者がいなくなった。
今は、空港の外れに移動させられた。

穴守稲荷神社とは

穴守稲荷神社(あなもりいなりじんじゃ)は、東京都大田区羽田五丁目2番7号にある稲荷神社である。祭神は豊受姫命。かつては海老取川の東にあり周囲は羽田穴守町と呼ばれていたが、終戦直後の羽田空港の拡張工事に伴いに現在地に移転した。

厄除け、方位除けに抜群の効果。

羽田空港に残された鳥居

第二次世界大戦が終わった直後の1945年(昭和20年)9月21日、羽田飛行場を軍事基地として拡張するため米軍(GHQ)より強制退去命令が下され、干拓地内の住民ともども移転先を探すことになった。

社殿や他の鳥居はGHQによって取り壊されたが、門前の赤鳥居だけは撤去されず、そのまま空港の駐車場に残っていた。

この残された鳥居については以下のような流布話がある。

門前に建っていた赤い鳥居はとても頑丈な作りだった。ロープで引きずり倒そうとしたところ、逆にロープが切れ、作業員が怪我したため、いったん中止となった。再開したときには工事責任者が病死するというような変事が何度か続いた。 これは、「穴守さまのたたり」といううわさが流れ、稲荷信仰などあるはずもないGHQも、何回やっても撤去できないため、結局そのまま残すことになった。

— 京浜急行電鉄『京急グループ110年史 最近の10年』(2008年)「羽田飛行場の始まりと穴守線強制接収」抜粋

なお、強制的に住居を退去させられた後に整地に動員された元居住民らが、反抗心から意図的に鳥居を残したのだともいわれている[9]。

1990年代に入り、羽田空港の沖合展開事業にあたり新B滑走路整備の障害になるためこれを撤去する計画が出たが、地域住民らから穴守稲荷神社や強制接収の憂き目にあった旧住民らのシンボルとして残したいとの要望があったこと等から、拝殿の移設から半世紀以上経った1999年(平成11年)2月に移設されることとなった[7][8]。

移転工事にあたって土台の周りを掘ると、鳥居が非常に頑丈にできておりロープで引きずり倒せるようなものではないことが判明した。鳥居をクレーンで吊り上げた時にそれまで晴天続きだった天候がにわかに雨風となり、クレーン車のワイヤーが揺れ動く一幕もあったというが、2日間の工事は滞りなく終わり、現在地の弁天橋のたもと(天空橋駅南、弁天橋交番近く)に移設されて今に至っている

─ 穴守稲荷神社

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