後味の悪い話

【後味の悪い話】二子玉川の伊東屋でバイトしてた時

Veni
もう20年くらい前だから普通に名前出しちゃうんだけど、二子玉川の伊東屋でバイトしてた時、◯山さんっていうしごできな40代くらいの男性社員がいて、面接と教育その人にしてもらってバイトとして重宝されて何かとかわいがってもらったんだけど、途中でなんか接し方が変になってきて

休みの日に家近くまで差し入れを持ってきたり、昼休みを延長して職場近くのカフェでランチを奢ってくれたりして、でもその時私21〜22の箱入り娘だったから父親感覚で面倒見てくれてると思い込んでた。閉店後の食事の誘いを断ると不機嫌なにったりしてってもまだ自分の違和感を信じられなかった。

その同時期に、別フロアの新卒2年目くらいの歳の近い男性と意気投合してたまに一緒に帰ったり、家が近いのがわかって買い物に付き合ってもらうのうな交友関係もあったし40代の人に執着されてるとは想像できなかったんだよ。それで年始のフェアの打ち上げで遅くなった時に、40代のおじさんは泥酔して

同じ路線だったけど私より先に降りる駅なのに降りてくれなくて「危ないから送る」ってしつこくされて、諦めて私の最寄り駅の改札で解散しようとしたら、その◯山さんも改札出ちゃってこちらの説得も聞かず強引にタクシー捕まえてわたしを押し込んだの。もうその時点で充分怖かったけど、

一応わたしは実家住まいだったのでいざとなったら親に助けてもらえないかあれこれ考えて、◯山さんはタクシーでわたしを家に送り届けて自分はそのまま自宅に帰るって言い張ってたけど、わたしは自宅のロケーションとか知られたくなかったし、かなり手前で降りる画策して、でも途中から抱きつかれて

いやです、やめてくださいって押し返しても何度も親密な男女のつもりみたいに抱きついてきてあり得なさすぎて混乱して大声も出せなかったし殴ったりもできなかった。必死で運転手さんに、自分は降りるけどこの泥酔男性は◯◯駅最寄りなのでそこまで乗せてあげてほしいって伝えて、

ある程度察したぽい運転手さんが早めに私だけ降ろしてくれた。惨めだった。社会人経験が少ないなりにシフトを埋めて終電まで頑張った日もたくさんあったし、頑張りを評価して担当持たせてくれてたなのに、こんなことになるんだって。
しかも翌日そういうのの常習犯だって他の女子社員から聞かされた。

次の日以降もわたしは仕事休まなかったけど、レジ内でそのひとが後ろに立つとフラバして具合が悪くなって、だんだんと出勤できなくなった。ストレスで胃を壊して内科に駆け込んで、その時の女医さんに心当たりを訊ねられ我慢してたものが決壊して、この出来事で眠れず胃が変になってると泣いて伝えた。

メンクリの受診も勧められたけど、ひとまずその日緊張して眠れなくならないようにデパスを服用してもらって、それを飲んだら気分が落ち着いて数日間自分が恐慌状態だったと理解した。母に相談し、母と店長が面談することになった。

母は激怒して帰宅した。店長は「シフトが重ならないよう配慮するし、しばらくは出勤を減らして構わない。でもこういう時ふつうは女の子の方が辞めていくんですよ」と母に言い放ったそうだ。
セクハラされた側が耐えられなければ辞めるという醜悪な常識がそこにはあった。

その後、本社の専門部署の方がヒアリングしてくれることになり、そこに繋いでくれたのはわたしと入れ違いで本社に転属した以前のターゲット女性だった。解決すると思った。
伊東屋って当時渋谷店もあったし移動先には困らないし、◯山さんが現店舗を離れることで穏当に解決できるならそれでよかった。

◯山さんと店長は、セクハラとその隠匿をしようとした問題でそれぞれ地下の工房(鉛筆や手帳の名入れをする部署)や、新砂の倉庫に飛ばされた。わたしはやっと二子玉川の店舗に出られるようになったと思い、数週間ぶりに店に新しいマネージャーとの打ち合わせのため訪問したが、そこで待ってたのは

ベテランの女子販売員たちの「あなたのせいで店長も◯山さんも異動した。あなたはもうこの店舗に来ない方がいいと思う」という冷たい反応だった。そこから自宅に引き返した時の記憶はない。新マネージャーはわたしを別の店舗へ移動させ、希望する仕事を続ける計らいをしてくれたけど、あの時以降

二子玉川の駅で降りていない。今は少し離れた場所に住んでるので、通ることもないけど、しばらくは転職先への出勤で通るたびに気分が悪くなって息をするのもやっとだった。伊東屋は銀座が本店なので、数年後銀座をぶらぶらしている時に、店の制服姿で歩いている前述の女子社員を雑踏で見つけた。

わたしは暴力に訴えないし、あなたの生活も脅かす気はないけど、二次加害を臆面もなくやった貴殿を一生許さないよと思った。
それで、銀座は好きな街だけどいまでも伊東屋には立ち寄らない。
ヒアリングしてくれた方も繋いでくれた方も男性優位な社内でおそらく嫌な目に遭ったのか連絡はすぐ途絶えた。

今、どのくらい社内ルールが改善されているかわからないけど、伝統を傘に着て2000年代中盤から後半にこんな杜撰な対応をしていた伊東屋は内部は恥まみれだったと思う。
接客の醍醐味や質の良い品物を勉強する機会をたくさん得たけど、今もフラッシュバックはあります。

その件以降、2年くらいはひとの目を直接見ることができず伊達メガネをかけていました。
素肌を触られたり、それ以上の被害、暴行を受けた方の苦しみは想像をありあまる。
まずは立場を振り翳し身体や精神の危険を感じされる行動をした加害者がちゃんと裁かれるようになってほしい。切に願います。

(また、あの頃ぼろぼろのわたしのまとまらない話を聞いてくれた中学からの親友にはその件では今でも感謝してるし、今でこそ絶縁したけど、母がわたしのために怒って行動してくれたことにも感謝してる。忘れない。わたしも誰かにバトンを渡せるよう、頑張ります)

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