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『毒 前編』3/5の続き
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4 なんだいまの。かわいいじゃねえか
松浦から依頼されたCというクスリの件が、思うように進んでいないなか、僕は資料整理のバイトのために小川調査事務所に来ていた。
これまでに何度かタカヤ総合リサーチの資料ファイルを見せてもらって、その仕組みを自分なりに研究し、小規模ながらそれに似たやりかたができないか、試行錯誤をしていた。小川所長からは、「綺麗にできたら、金一封はずむよ」と言われていたので、多少やる気がでている。
その日は午前中からやっていたが、午後には師匠がやってきて僕の仕事の邪魔をしはじめた。僕に怒られると、今度は服部さんの仕事の邪魔をしていた。なにをしにきているのだろうか、本当に。
そうこうしていると、珍しく不破刑事が事務所に顔を見せた。近くまで来たから陣中訪問に来ただけだ、と言っていたが、師匠はこれ幸いと、不破刑事を1階の喫茶店ボストンに誘った。捜査経費という名目で、この手の食事に領収書を切ってもらっているのを知っているので、昼飯をたかろうとしているのだ。
「いい話があるんだって」
「本当かよ」
うさんくさそうに不破刑事はついてくる。
「マスター、いつもの!」
と言いながら師匠は機嫌よく喫茶店のドアを開けた。あいかわらず、昼時だというのに、客が少ない。よく見かける近所のおじいさんが1人、日替わりランチを食べているだけだった。
「あ、不破さんお久しぶり」
ウェイトレスのひかりさんがおしぼりと水を持ってくる。最近、ひかりさんは化粧がなんというか、入念になっている気がする。師匠はマスターとの仲を勘ぐっていたが、進展はなさそうな感じだった。そうなると、別の彼氏ができたのか。ひかりさんから注文を聞いているマスターの態度を横目で見ながら、僕はそのあたりを推理していた。
どうも小川調査事務所に来ると、探偵脳になってしまう。このあいだ、小川所長から遠まわしに、「お前はまだこの世界の土俵にも上がってない」と言われたのを、未だにひきずっていた。
「で、なんだって。言ったと思うが、弓使いの件なら、俺は降りたぜ。勝手にやれ」
不破刑事は、以前、連続殺傷事件の犯人と思われる、通称『弓使い』について、師匠に、「わかったら、一課より先に教えろ」と迫っていた。彼は元々、刑事としてそうした強行犯の担当だったのが、現在は暴力犯担当にされているのを苦々しく思っているらしい。超一級の容疑者を自分で挙げたい、という気持ちがあるようだった。
しかし、弓使いの件で、松浦が絡んできて以来、不破はめっきりそのことを口に出さなくなった。『不破さん、あなたには話していない』と、面と向かってけん制されてからだ。ヤクザの脅しなどに簡単に屈するとは思えない強面の不破だったが、松浦に関しては別のようだ。『丸山警部によろしく』という以前の脅しも効いていたのかも知れない。
僕は先日、小川所長から、この街の暴力団のあいだの不穏な現状を聞かされていたので、なんとなく腑に落ちるものがあった。
「これなんですよ、ダンナ」
師匠は小瓶をテーブルに置いた。例のクスリだ。
「なんだこりゃ」
「おや、ご存じない? いま若者のあいだで密かに流行しているドラッグを」
「ドラッグ?」
不破は小瓶を手にとって眺めた。
「名前は」
「Cって呼ばれてるみたいでゲスよ」
「妙なしゃべりかた、やめろバカ。聞いたことねえな。最近俺ァ、生安ともあんまり情報交換してないからな」
生安とは、県警で違法薬物の取締りを担当している、生活安全部の刑事のことだ。
「俺の担当のヤクザどもは、こんなポッと出のファッションドラッグになんか目もくれねぇよ。やつらはシャブだ、シャブ。覚醒剤を自分の血で溶かして打つような、筋金入りどもだよ」
不破は左肘を上に向け、注射を打つ真似をした。
「で、このファッションドラッグがなんだって?」
「いや、なにかご存じないかと思いましてネ」
不破はガクッ、と首を下げた。
「てめえの情報収集じゃねえかよ。なぁにが、いい話だボケ」
「えへへ」
「なんだいまの。かわいいじゃねぇか。もう1回言え」
そんな、不破と師匠のやりとりを見ながら、僕はふと思った。
そうだよな。ヤクザはやっぱり覚醒剤だ。若者のあいだで、新しいドラッグが流行ろうが、そんなものにいちいち戦々恐々としないのではないだろうか。まして、松浦のいる石田組は、その親組織である立光会から、クスリご法度の令が出ているという。密かに流行りつつある、という段階のこんなよくわからないモノを、そんなに警戒するものだろうか。
どうも、松浦はなにか隠している気がする。小川調査事務所に、1人で来たのもひっかかっていた。西沢という舎弟が、松浦のことを、「変なお遊びばかりしやがって」と言っていたのもそうだ。これは、組など関係なく、純粋に松浦の個人的な興味で行っている調査なのではないだろうか。その動機が、どこから出ているのか。
僕はテーブルの上の小瓶を見つめながら、ぼんやりとそんなことを考えていた。
『ヤークモ、ヤークモ、ヤクモ製薬♪』
壁際にあるテレビから、そんな歌が流れてきて、ちらりとそっちを見た。よく見る風邪薬のCMだ。地元出身の女優が、やけに元気そうに風邪薬の錠剤を飲んでいる。これを見るたびに、こいつ風邪なんか引いてないだろ、と思ってしまう。
『用法、用量を守って、正しくお使いください』
ピンポーン、という音とともに、女優が注意の言葉を読み上げて、CMは終わった。
捻っていた頭をもとの位置に戻すと、師匠がテレビのほうを見ながら、怪訝そうな顔をしている。
「どうかしたんですか」
「なんか……。いまのなにかおかしくなかったか」
「は?」
いつも見ているCMだ。僕は特になにも感じなかった。たしかに、ヤクモ製薬とは最近因縁めいてきたので、こうして普通にテレビのスポンサーをして、CMを流しているのを見ると、なんだか変な気分だ。あんな大きな企業を、僕らは敵に回しているようなものなのだと思うと、現実感が薄くなってくる。
師匠は真剣な顔で、なにかを思い出そうとするように目を見開いている。しかし、考えてもわからなかったのか、やがて首を振った。
「そういえば、不破さん。2年くらい前に、コンクリ詰めの変な死体があがった事件を知りませんか。ヤクモ製薬の社員が疑われたっていう」
「あん? ……ああ。チラっと聞いたことはあるが、ありゃあ本店のヤマだ。俺は知らねぇ」
本店とは、県警本部のことらしい。不破は所轄である西署の刑事だった。
「胃の内容物から、ヤクモ製薬の未認可の薬の成分が出たとか」
「だから、知らねぇって。だれに聞いたんだよ。高谷のおやっさんか。ったく。調べろっつっても、あれは無理だぜ。打ち切りは本店の上の判断だ。ヤクモ、っていうか角南グループ絡みはいろいろ難しいんだよ。昔から」
不破の態度から、これは望み薄だと感じた。師匠がなにか頼むと、たいていそっけなく断るのだが、なんだかんだ言って、最終的に協力してくれることがよくあった。だが、これは本当にだめなやつだ、という気がした。
「まあ、このCってやつのことは聞いておいてやるよ。あんまり期待するな」
不破は、ランチを食べ終わって、先に立ち上がった。僕らはまだ半分残っている。刑事は早食いだというが、本当にそうだ。
不破は伝票をひかりさんに渡して、領収書を、と言った。どうやら一応おごってくれるらしい。
「じゃあな。あんまり変なヤマに首突っ込むなよ」
カラン、というベルの音とともに、不破はボストンを出て行った。残された僕らは、黙々と残りのランチをやっつけた。食べ終わるころ、またボストンのドアベルが、カランと鳴った。
意外な人物が入ってきた。見覚えのあるコートを着ている。あ、と思った。
田村だ。心霊写真の件で、ヤクザ相手にうまく立ち回ろうとして失敗し、松浦に監禁されて酷い目にあった情報屋。あれ以来だ。どうやら松浦とのことはなんとか穏当に終わったらしい。
「やあ。いま小川さんに挨拶してたんだ。不破さんが来てたらしいな。君らだけで、よかったよ。あの人は苦手だから」
「お前、あのあと大丈夫だったのか」
「まあな」
田村は僕らのテーブルの向かいに座った。
「怪我は治ってたんだが、精神的にちょっと参っててな。ようやくまた、ライター活動を再開しようという気分に、なってきたところだ」
「ライターねぇ」
師匠はバカにするような口調で、ふんぞり返りながら水を飲んだ。
田村は、目が落ち窪んでいて、陰鬱そうな顔をしていた。あのときは、腹を刺されて重傷を負っていたからか、と思ったが、元からそういう顔立ちらしい。
「西沢に気をつけろよ」
田村がボソリと言った。
「西沢?」
「石田組のチンピラだ。会ったこと、あるだろ」
「ああ、あいつか」
「あいつは、ただのガキじゃねぇ。爪を隠しているぞ。石田の親分の一人娘をコマしていて、上を狙っている。松浦の寝首をかこうとしているって噂だ」
「噂ねえ。ヤクザに詳しいんだな、あんだ」
師匠の嫌味を、そう受け取らなかったのか、田村は神妙な顔で頷いている。
「なんでその西沢なんてのに、気をつけなきゃいけないんですか」
ちゃんと聞いたほうがいい気がして、師匠に代わって僕が訊ねる。
「松浦が、『オバケ専門』の探偵女にご執心なのを、知っているからさ。上を目指すのに、目の上のタンコブになっている松浦を叩くには、そういうネタを利用するのがヤクザってものだ」
田村の言葉に、師匠が気色ばんだ。
「うっせえよ、情報屋ァ。なにをてめえ、勝手に嗅ぎ回ってんだ」
「……そう怒るなよ。これでも、松浦とのことに巻き込んだのを、悪いと思っているんだぜ。わりと真剣に心配してんだよ」
田村は苦笑しながら、ボソリと言う。師匠は硬い表情のまま、彼を睨み続けている。
「ほっとけ」
僕は、師匠のその態度に、なにか複雑な思いを抱いていた。それは松浦というあのヤクザの存在が、師匠のなかで大きくなっているのを、感じていたからなのかも知れなかった。
その日の夜、謎のクスリCについての情報が、意外なところから舞い込んできた。僕は師匠に呼び出されて、一緒にそこへ向かった。
『写真屋』のマンションだ。僕は先日ちょっとしたことがあって、そこには正直入りづらかったのだが、仕方がない。何食わぬ顔で師匠と一緒に彼の部屋を訪ねた。
「本当だろうな、写真屋」
師匠はドカドカと、『写真屋』天野の部屋に上がりこむと、その辺にちらかっていた小物を、ガシャガシャと勝手にどかして座った。
「あ、ああ」
天野は僕の顔を見ると、少しビクリとしたが、すぐに視線をそらした。
「こういう仮面か」
師匠はそう言って、天野に写真を見せた。白い仮面を被って、なにか演技をしているような人物の写真だ。劇団くじら座の稽古風景のように見えた。僕の視線を見て、師匠は付け加える。
「一昨日だったか。またくじら座の稽古場に乗り込んでいったんだ。例のクスリの売人に関わりがあるかも知れないからな。でも、どうも望み薄だな。やっぱり副座長の吉崎も含め、なにも知らないみたいだった。座長の達樹蓮(たつき・れん)というやつがくさいが、あいかわらずつかまらない」
天野は写真を見て答えた。
「似てると思う。もっとこう、縁取りとかあって、不気味な仮面だけど」
「で、お前はそいつがやってる、変態パーティの会員なのか」
「『毒を飲む会』だよ。ひ。会員といっても、何回かしか、参加してないけど」
毒を飲む会? 聞いただけで危なそうな、アングラな響きだ。
「不定期で集まって、いろんな毒を、飲んだり、調理して食べたりして、楽しむんだ」
「そんなことしてなにが楽しいんだ。自殺志願者の集まりなのか」
「実際には致死量ほどは摂取しないよ。ただ、珍しい毒や歴史的な背景のある毒を。ひ。主催者の薀蓄を聞きながら摂るのさ」
「たとえばどんな毒だよ」
「砒素とか」
「本当に毒じゃねぇか」
「だから、ひ。ヤバイんだ。即死はしなくても、常連の連中は相当内臓とか壊れてるよ。たぶん。ひ。死んだやつもいるはずだ。そんな、薬事法とか、いろんな法律に違反してる、非合法な集まりだからね。会員になるには、ほかの会員の紹介がいるんだ。僕は知り合いのアングラ仲間から聞いて、紹介してもらった。ひ。最初は、人が死ぬところが見られるんじゃないかと期待してたんだけど。参加を続けてると、こっちまで死にそうだから、ひ。怖くなってね。行かなくなった」
「その主催者ですけど」
僕が口を開くと、天野はビクリとしたが、すぐに平静を装って、「なんだい」と言った。
「その人が、こういう仮面を被っているんですか」
「そうだよ。名前は知らない。みんな主催って呼んでる。大時代的な黒いマントを着ててね、まるで怪人二十面相の世界だ。でもそれが不思議と似合ってるんだ」
「探している売人に、似てるな」
師匠がボソリと言う。
「でも売ってるやつは、アニメの仮面を被ってたって話ですよ」
「いや、あのあとも何件か別の購入者の話を聞けたんだが、白くてのっぺりした仮面だった、っていう人がいてな。気になってたんだ」
それでは、その主催という人物は、白町でCを売っているという人物の目撃例と、合致している部分があるようだ。それにしても、この20世紀も終わりに差し掛かっている時代に、ずいぶん古風な怪人スタイルだ。いや、そういう怪人へのカリカチュアと言うべきなのか。
「ほかの会員もみんな仮面を被って参加するんだ。ひ。だからみんな、ほかのメンバーの顔を知らない。名前も偽名で参加するから、ひ。だれがだれなのかは、ほとんどわからない」
「みんなこんな仮面ですか」
「いや、会員の仮面はいつも、会場の入り口で配られるんだ。口から下が開いていて、飲み食いできるようになっている。ひ。ホストの主催だけが、口まで覆われた仮面を被っている」
「ふうん」
師匠は腕組みをして唸っている。
「で、どこでやってんだ、その変態パーティは」
「『毒を飲む会』だよ。会場は決まってない。たいてい、元バーがあったところみたいな、どっかのビルの地下とかでやってる」
「開催の情報はどうやって知るんだ」
「メンバーのところに、手紙が届く。こうやって」
天野は机の引き出しから、手紙を取り出した。住所と日時だけが記された、簡素なものだ。これじゃあ、なんのことかわからない。差出人も書いていない。
「いつもこの手紙なんだ。それでわかる」
手紙は、黒いくねくねとした模様で、独特の縁取りがあった。
「会費は」
「そういえば取られたことないな。主催が、趣味でやってるんじゃないか。人を毒殺したい趣味と、毒殺されたい趣味の、需要と供給だよ。金には変えられないね」
狂ってるなあ。
師匠はため息をついたあと、手のひらを打った。
「よし、私たちをそこに紹介しろ」
「えっ」
天野と僕の声がハモった。
「お前、まだ会員なんだろ。私とこいつが参加できるように、紹介してくれ」
やっぱりそうなるか。話の流れで、覚悟していたこととはいえ、少々、というか、かなり気乗りしなかった。嫌な予感しかしない。
「もう関わりたくないんだけど」と渋っている天野に、師匠は「な?」と言って、札を何枚か握らせていた。
「うーん、しょうがないな」
天野は、その札よりも、師匠の手の感触のほうに喜んでいるように見えた。
「電話番号は聞いてるけど、伝言サービスみたいだ。用件を伝えてから、折り返し連絡があるまで、ちょっと待ってもらうよ」
「たのむよ、天野チャン」
師匠は揉み手をしていた。
その次の日、天野から連絡があった。
「会員に空きが出たから、OKだってさ」
空きが出た、ということの意味を、できるだけ考えないようにして、僕らは5日後の、『毒を飲む会』に、参加することになったのだった。