2(遊) 柴又女子大生放火殺人事件
3(左) 足立区首なし殺人事件
4(指) 名護市女子中学生拉致殺害事件
5(中) 豊浜トンネル岩盤崩落事故
6(右) 広島タクシー運転手連続殺人事件
7(一) 太田市パチンコ店女児失踪事件
8(捕) 旭川女子中学生集団暴行事件
9(三) 坪野鉱泉2女性失踪事件
P(投) 生卵事件
1(二) 池袋駅構内大学生殺人事件
4月11日午後11時30分頃、池袋駅山手線ホームで帰宅途中の立教大4年生の小林悟さん(21歳)が口論となった男に突き飛ばされて転倒、後頭部を強打し、気絶した。
犯人は上野方面行きの山手線に乗り込み、日暮里駅までの目撃証言はあるが、その後の足取りは不明である。
小林さんは搬送前に意識が戻り、医師の診断も「命に別状なし」だったが、容態が急変して5日後に死亡した。
え?捕まってないのか
証言者として名乗りでた者の情報から分かっている犯人の特徴は以下の通りである。
・24歳~38歳、身長は170~180cmでがっしりとした体格
・右の目尻に3つの古傷があり、目つきは据わっている。また、二重あごである
・黒っぽいグレーのスーツを着たサラリーマン風

その男は駅前のパチ屋に入って行った。
父親が男の隣に座ると、右目尻に古傷があるのが見えたという。
父親は男を尾行したが、千葉県の柏駅で見失ってしまった。
なお柏駅は、男が最後に目撃された日暮里駅から常磐線(快速)で5駅目である。
2010年には刑事訴訟法の改正で殺人事件の公訴時効が撤廃された。
小林さんの父親は、事件発生から10年となる2006年、他の犯罪被害者の遺族らに参加を呼び掛け、「犯罪被害者家族の会 Poena(ポエナ)」を発足させている。
しかし、法改正で既に時効を迎えた殺人事件の遺族が救われなかったことに納得できず、悟さんの17回目の命日にあたる2012年4月16日に警察庁を訪れて捜査の終結を要望している。
https://www.keishicho.metro.tokyo.lg.jp/jiken_jiko/ichiran/ichiran_10/rikkyo.html
スポンサーリンク
9月9日午後4時半ごろ、東京都葛飾区柴又3丁目の民家より火災が発生。
午後6時頃に火は消し止められたが、焼け跡から上智大4年生の小林順子さん(21歳)の遺体が発見された。
順子さんは2日後にアメリカへの海外留学を控えていた。
捜査は継続しているものの犯人は逮捕されておらず、未解決事件となっている。
「八王子スーパーナンペイ強盗殺人事件」「世田谷一家殺人事件」とともに“警視庁平成三大未解決事件”の1つとして数えられる向きもある。
事件当日、父と姉は外出中で、母親も午後3時50分ごろに勤務先の美容室に出掛けた後は順子さんは1人で自宅にいた。
火災の119番通報が午後4時39分だったため、母親の外出から通報までの約50分ほどの間に順子さんは殺害され、火をつけられたことになる。
それによると、母親が外出した直後の午後3時55分ごろ、小林さん宅の玄関前で、不審な男が表札か2階あたりを見ていたという。
年代や顔の特徴ははっきりしないが、身長約160cmで、体格は中肉か少しやせ形。
黄土色っぽい襟付きのコートに黒っぽいズボン姿だった。
事件当日は朝から雨が降り、11月初旬並みの寒さだったが、傘を差さずに立っていたという。
また、同日午後3時30分ごろに事件現場南側の交差点で目撃された、黒色の傘をさして立っていた身長150~160cmの男についても警視庁は同一人物の可能性が高いと判断しており、広く情報提供を呼び掛けている。
現場再現図

小林さん宅では一度も犬を飼ったことがなく、犯人が複数の犬に囲まれる生活をしていた可能性が高いとみられている。
また、小林さんの両足を縛ったストッキングの結び方は、「からげ結び」と呼ばれる特殊な方法だった。
造園業者が竹垣の竹の固定などに使う手法で、和服の着付けなどに使われることもあるという。
犯人はこうした仕事に関わる中で、結び方を覚えた可能性が指摘されている。
https://www.keishicho.metro.tokyo.lg.jp/jiken_jiko/ichiran/ichiran_10/kameari.html
1月9日、足立区の駐車場で布団に包まれた女性の首なし焼死体が発見された。
女性死体は陰部が切り取られていた。
警察は被害者が41歳女性であり、当時同居していた人物が小野悦男(当時59歳)だったことをつきとめた。

これ2chで実況してたやつ?
深夜徘徊とかなんとかで不審な布団見つけてたが
スポンサーリンク
対象となっていた事件は10件で、被害者は12人に上った。
被害者の大半は20代、多くが暴行の末に放火という残虐さで、手口に類似性があることから同一犯によるものという見方が強かった。
捜査線上に400人ほどの人間が上がり、中でも特に疑わしい人物が7~8人おり、その中に清掃作業員である小野が含まれていた。
一連の殺人事件はどれも証拠がほとんどなく、殺人では逮捕することができなかった。
別件逮捕ではあったが、警察側はこれで小野を逮捕し、一連の殺人事件についても自供させる予定であった。
警察内部では首都圏連続殺人事件の犯人は小野にほぼ間違いないとの確証を持っていたのである。
取調べの中で小野は、1件の殺人事件について犯行を認め、殺人容疑で再逮捕、起訴される。
1986年9月、千葉地裁松戸支部は自白の強要を認めず、無期懲役の判決を下す。
一方、控訴審では東京高裁が自白の強要を認め、1991年4月、一審での無期懲役の判決を破棄し、逆転の無罪判決を下した。
小野は16年ぶりに釈放され、「冤罪のヒーロー」として自白を強要するような捜査を批判する集会に出席して自分の経験談を語ったり、冤罪被害者の集会で講演を行ったりしていた。
しかし、翌年再び小野は窃盗事件を起こし、2年間服役している。
なお、小野は16歳で無免許運転により初めて逮捕されたのを皮切りに、窃盗、詐欺、暴行などで10回以上の逮捕・刑務所暮らしを経験していた。
だが、警察はうかつには手が出せなかった。
安易な捜査をすれば、刑事裁判の過程で出来た支援団体を中心に世間から再びバッシングを浴びることは目に見えている。
駐車場で発見された焼死体をくるんでいた布団から男の体液が発見されており、この体液を分析してDNAが割り出された。
小野のDNAと照合するため、捜査員は浮浪者に変装するなどして小野がゴミを出す時を待った。
そして、小野のゴミから採取された唾液を鑑定に回した。
幸いこの時には目撃者がおり、女児は一命をとりとめた。
26日、目撃証言から少女殺人未遂の容疑で小野が逮捕される。
5月1日、小野の住居の裏庭から腐敗した頭部と切断につかったとみられるノコギリが発見された。
切り取られていた陰部は冷蔵庫の冷凍室に入れられていた。
もはや小野に言い訳はできなかった。
ところが1月5日の夜、女性が家事をしないことで口論となり、頭をバットで殴ったところ死亡したため、頭部と陰部を切り取り、リヤカーでゴミ類と一緒に駐車場へ運び、火をつけたという。
かつて冤罪のヒーローとなった男は、一転して完全なる殺人鬼として再び世間の注目を浴びることとなった。
99年2月、無期懲役が確定。
スポンサーリンク
首都圏女性連続殺人事件は1件のみ真犯人が逮捕されているが、他の9件は未解決事件となっている。
これらの真相が明らかになることはもうないであろう。
6月21日午後7時過ぎ、沖縄県名護市の農道で、帰宅途中だった女子中学生Aさん(15歳)の拉致事件が発生した。
事件当日は夏至で、事件発生時刻当時、現場周辺はまだ昼間のように明るかったという。
犯人の2人組はAさんに道を尋ねるふりをして近づき、白いワンボックスカーに無理矢理押し込めた。
直ちに警察へ通報し、沖縄県警は緊急配備を敷き検問を行ったが、Aさんの行方は発見できなかった。
8日後にはAさんの顔写真や氏名を公表する公開捜査に踏み切った。
大田昌秀県知事の協力呼びかけもあり、2万5千人の住民が参加した県内一斉捜索が実施されたがAさんの行方はおろか、手がかりすら見つけられなかった。
柳は事件後、本土に渡り広島・岡山・香川を転々とし、12月下旬に実家のある種子島へ渡った。
そこで家族から「刑事が調べに来ている」と言われ、出頭を決めた。
柳はAさんを婦女暴行し、殺害したことを自供し、供述通りの場所でAさんの白骨遺体が発見された。
遺体の首には殺害に用いられたロープがかかったままであった。
翌年1月12日には共犯の上野勝(当時37歳)も沖縄県浦添市内の市営球場で野宿している所を逮捕された。
検察は死刑を求刑したが、98年3月17日、那覇地裁は2人に無期懲役の判決を下す。
検察は控訴したが福岡高裁での判決も変わらず、上告を断念したため、99年10月に無期懲役が確定した。
現在、遺体発見現場には観音像が建立されている。
北海道の余市町と古平町を結ぶ豊浜トンネルで2月10日午前8時10分頃、古平町側のトンネル入口付近の岩盤が崩落した。
岩盤は最大高さ70m、最大幅50m、最大厚さ13m、重さ2万7千トンという巨大なもので、トンネル内を走行中だった路線バスと乗用車1台が直撃を受けた。
https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0009030277_00000
この岩盤を取り除かなければ内部に入っての救助活動を行うことが困難なため、発破(火薬類を利用した粉砕)による除去が敢行された。
しかし、内部にいる人が生存している可能性を考慮し、岩盤除去に使用する爆薬の量が制限されたため、作業は難航した。
その後、瓦礫は取り除かれ、押し潰された車内から被害に遭った人々が外へと運び出されたが、取り残されていた20名全員の死亡が確認された。
乗用車は原形をとどめておらず、また、バスは3mあった高さが1mにまで押し潰された有様であり、死因は全員とも圧死で、ほぼ即死状態であったと考えられている。
なお、91年と94年にも現場付近で小規模な崩落が起きており、安全対策を怠ったとして北海道開発局の元幹部2名が書類送検されたが、不起訴処分となっている。
遺族の一部は責任を追及しようと、道路管理者である日本国政府を相手取り民事訴訟を起こしたが、判決では賠償金の支払いは命じたものの、責任については明確にされなかった。
真冬の中一週間休みなしで働いた自衛隊の方々には頭が上がらない
遺族の方々も見ていて浮かばれなかった
4月から9月にかけて、広島市およびその近郊で売春婦4人が相次いで殺害された。
9月14日、4人目の犠牲者であるDさん(32歳)の遺体が発見される。
Dさんがタクシーに乗るところを目撃した人が多数おり、このことから捜査上にタクシー運転手の日高広明(当時34歳)が浮上。
同21日、日高逮捕となった。

中学時代には野球部の主将を務め、県内トップレベルの進学校に入学した。
友人も多く、付き合っている彼女もいたという。
高校3年になると、日高は担任の教師から、筑波大学への推薦入学をすすめられ、受験したが不合格だった。
絶対確実、と踏んでいた福岡教育大学も失敗し、結局私立の福岡大学法学部へ進んだ。
この挫折を境に日高は変わっていく。
中退後、宮崎市の実家に戻った。
周囲には「司法試験に失敗した」と話し、プライドを保った。
そして市役所の臨時職員として働き始める。
しかし、バイクの酒気帯び運転で逮捕され、遊ぶ金欲しさのひったくりを繰り返し、遂には会社員宅に包丁を持って押し入り、2万円を奪ったとして2年の実刑をくらっている。
92年には叔父の紹介で1歳年上の女性と結婚、これが転機となって荒れた生活が徐々に改善していき、翌年には長女も生まれた。
しかし、長女誕生からわずか2日後に、事態は暗転する。
妻が精神疾患を発症し入院、長女は妻の実家に預けられた。
日高は再び、酒とギャンブルに溺れていった。
そしてサラ金からの借金を抱えていた日高は落ちるところまで落ちていった。
日高は事件の3、4年ほど前から流川地区に頻繁に訪れるようになり、「タクシーの男」として知られていたが、96年ごろからは遊ぶ金も尽き、冷やかしだけで帰ることが多くなっていたという。
広島駅付近のラブホテルに入り、日高が2万円を渡した後、Aさんは「行方不明の父親の借金返済のため、大阪から広島まで働きに来た。あと10万円返せば完済できる、今日は最後の返済日なので10万円を持って呉市に行く」と涙ながらに身の上を話し始めた。
するとAさんは笑顔を見せ、服を着込み、帰り支度を始めてしまった。
日高は内心「やられた」と思いながらも、お人よしのタクシー運転手を装い、呉まで送っていくと約束した。
その道中、日高の心の中にどす黒いものが芽生え始める。
「Aさんの所持金10万円と自分の渡した2万円の計12万円あれば、今月の借金返済が賄える。身寄りのないよそ者なら殺して金を奪っても発覚しないだろう」
「エンジンの調子が悪いけえ、ちと足元のシートをめくってくれんかね。配線をチェックするけえ」
Aさんが身をかがめると、日高はネクタイを緩めながら運転席を降り、後ろから近づき、ネクタイで首を絞め殺害した。
ところが、Aさんの所持していたのは5万円だけで、日高が目論んだ12万円などどこにもなかった。
現場から約25km離れた広島市安佐南区内の用水路土管内に遺体を遺棄した。
「大阪在住」と言っていったが、実際は呉に住む定時制高校の1年生だった。
日高は震え、自分の身辺に捜査の手が迫っている気がして生きた心地がしなかったが、3カ月以上経っても周囲に警察の動きはなかった。
そのため「自分と接点のない行きずりの女を殺しても警察は何も分からないじゃないか」と自信を深めた。
それから1カ月も経たない9月7日、以前から顔見知りであったホステス・Cさん(45歳)を車内でバックの体勢をさせてからの絞殺。
日高は3年ほど前にCさんの客になった際、所持金を盗まれた恨みもあった。
日高はこの時には行為と金銭が目的だった犯行が、殺人そのものに快感を覚えるようになっていた。
被害者は何度か遊んだことのある、主婦・Dさん(32歳)だった。
しかし日高の“運”はここまでだった。
山林の斜面に棄てられたDさんの遺体は5時間後、犬を散歩中の老女に発見された。
前夜、日高のタクシーにDさんが乗り込む姿が目撃されており、犯人が割り出されるまでにそれほど時間は要しなかった。
9月21日、日高は逃走先の山口県防府市で逮捕された。
日高は自供の理由をこう話している。
「刑事さんから『他に隠していることはないか』と聴かれたので、警察は死体のありかを知っていて、わたしの情状のために自分から言うのを待っているのだろう、と思った」
10月に入って、日高の供述によりBさんとCさんの遺体も発見された。
2000年2月9日、広島地裁で死刑判決。
日高は控訴せず、このまま刑確定となった。
06年12月25日、死刑執行(享年44)。
スポンサーリンク
7月7日午後1時40分過ぎ、群馬県太田市のパチンコ店から、横山ゆかりちゃん(当時4歳)が姿を消す。
両親がパチンコに熱中し、目を離したすきの出来事だった。
ゆかりちゃんは行方不明となる直前、母親のところにやってきて「~のおじちゃんがいるよ」と言った。
この時の声は店内に鳴り響く電子音にかき消されよく聞き取れなかったという。
「おじちゃん」という言葉だけ理解できた母親はゆかりちゃんに「ちゃんと座っててね」「ついてっちゃだめよ」と言った。
その10分ほど後に、母親がゆかりちゃんの姿が見えないのに気付いた。
防犯カメラの映像に、店内でパチンコ台にはほとんど目を向けずゆかりちゃんをつけまわし、声をかける様子が残されている。
https://youtu.be/omuRty86Aiw(※リンク切れ)
さらに、映像の解析結果からこの人物の特徴として次のようなことが挙げられている。
・身長は158cm前後
・事件当時30代~50代
・鼻がかなり高い
・頬骨が張って、顎がやや突き出ている
・頬がこけている
この人物について店員は「一見の客」と証言したが、慣れた様子で店内を徘徊しているなど、これも定かではない。
1984年11月に起きた「有美ちゃん誘拐殺人事件」と1990年5月に起きた「真実ちゃん誘拐殺人事件」である。
後者は「足利事件」の名で知られ、容疑者として逮捕された男性の冤罪が後に確定している。
ジャーナリストの清水潔はこれらを同一人物の犯行と推理し、週末に足利市や群馬県太田市のパチンコ店で過ごす、「ルパン三世」に似た容姿の人物が事件に関わった可能性が高いと著書などで述べている。
さらに、独自の調査でその男性のDNA型が、足利事件の真犯人のDNA型と一致したと主張している。
2015年に放送された「新報道2001(フジテレビ)」にて、カナダのクィーンズ大学のバイオモーションラボに画像解析を依頼した結果、体格的に歩き方が大袈裟すぎる点や、脇を締め、肘を曲げて指差す動作は女性に多く見られることなどを指摘している。
さらに、この事件を機に、子供連れでのパチンコ店への入店が厳しく規制されるようになり、その副産物として駐車場に停めた車の中に残された子供が熱中症で死亡するという事例が夏季の風物詩となってしまった。
群馬県警察:ゆかりちゃん誘拐事件
https://www.police.pref.gunma.jp/28473.html

スポンサーリンク
12月に北海道旭川市の市立中学校で発覚した女子生徒に対する集団性的暴行・婦女暴行事件。
女子生徒は中学1年生だった1994年から暴力を受けていた。
非常にセンセーショナルな内容で、2ちゃんねるをはじめネット界隈で長年にわたり話題になってきた事件であるが、自称元同級生の書き込みやソースが風俗雑誌の情報などであふれており、真相を捉えるのが難しいカオスな状況になっている。
以下、裁判で事実として認定された内容を中心にみていく。
スカートめくり、胸や尻を触る等の比較的軽微なものからエスカレートしていき、中学2年生の夏に男子生徒の一人の家に連れ込まれ、婦女暴行された。
96年12月には男子生徒10人に取り囲まれ、校内の男子トイレに連れ込まれ、集団性的暴行を受ける。
被害直後、友人と泣いている被害少女を見た教師が女子生徒を家まで送り届け、家族が警察に通報したことで事件が発覚した。
その後、3人が少年院送致、6人が試験観察、1人が保護観察処分を受けている。
担任教師(男性)は6月の時点で女子生徒から被害の相談を受けていたが、他の教師たちや被害者および加害者の双方の保護者への報告を怠った。
しかも、担任教師は男子生徒たちに少し注意するだけに留まり、かえって暴力をエスカレートさせる結果を招く。
01年1月、旭川地方裁判所は判決で、事件全体の慰謝料を1千万円が相当と認定し、すでに加害少年グループとの間で成立していた示談金860万円を差し引いた上で、少女に対して170万円、両親に対しては30万円を支払うよう、旭川市と北海道に命じている。
安すぎでは?
スポンサーリンク
5月5日夜、富山県氷見市在住の19歳の女性2人が家族に「魚津市に肝試しに行く」と告げて外出し、友人のポケットベルに「今魚津市にいる」とメッセージを送ったのを最後に消息を絶つという怪談話のプロットそのままのような事件が発生した。
魚津市の山中には、県内屈指の心霊スポットとして知られるホテル坪野跡・通称「坪野鉱泉」があり、2人はそこに向かったとみられている。
ホテル坪野跡

最近起きたのとは別やで
旭川終わってんな
オーナーは行方不明となった。
1993年までに隣接する施設は解体されたが、ホテル本体は解体されないまま廃墟となった。
この廃墟は暴走族などの反社会勢力のたまり場になり、内部には侵入者によって破壊されたり落書きされた箇所が至る所に見られる。
ぼや騒ぎも2度発生しており、心霊とは異なる側面も持つ恐怖スポットといえる。
ホテル坪野内部

事件は、不謹慎だが非常にキャッチーな内容であるため、ネットの普及とともに知名度を増した。
さらに、オカルトめいた話に付きものであるデマや尾ひれとともに虚実入り混じって拡散していった。
また、当初は公開捜査を行っていなかったこともあってか事件そのものが創作ではないのかという見方や、北朝鮮拉致説も根強かった。
未解決事件をコンテンツとして楽しむ不謹慎な勢力から高い人気を誇ったこの事件であるが、発生から24年もの月日を経て思わぬ展開をみせる。
同月11日には軽乗用車が引き上げられ、少女の一方が使っていた車だと特定されたと富山県警が発表した。
人骨については損傷が激しく、頭蓋骨や骨盤は残っていなかったが、大腿骨の一部から検出されたDNAの鑑定結果や残された遺留品から、失踪した2人のものと特定された。
伏木富山港は位置関係としては、彼女らの自宅がある氷見市と坪野鉱泉の間に位置し、坪野鉱泉を訪れた帰り道に立ち寄ったとみられている。
スポンサーリンク
そこからさらに5年後の19年春に、その目撃者とされる男性3名を特定し、翌20年1月に情報聴取を行い証言を得て、3月に車を引き上げた、ということだ。
男性3人は「96年の大型連休の深夜に、射水市の『旧海王丸パーク』付近で、駐車中の女性2人に声をかけようとして近寄ったら、2人が乗った車が後ろ向きに急発進して海に転落した」
「怖くなってその場を立ち去った」「転落の責任を問われるのが怖くて通報はしなかった」などと証言している。
ここでロケしたやつな
なお、廃業から30年以上放置されてきた「坪野鉱泉」であるが、2023年6月5日の魚津市議会にて、魚津市側が廃墟の解体と、跡地に富山湾を一望できる展望台を建設する計画を示し、こちらも進展を見せ始めている。
5月9日、大阪・日本生命球場における最後のプロ野球公式戦となる近鉄バファローズ対福岡ダイエーホークスの試合後、敗戦に激怒したダイエーファンが王貞治監督や選手らが乗るバスに生卵をぶつける事件が発生した。
ダイエーはこの年、開幕から低調でこの敗戦で4連敗、この日時点での成績は9勝22敗の借金13で最下位に沈み、7日にも敗戦に怒ったファンがバスを取り囲む騒ぎが起こっていた。

極貧球団として知られた末期南海から経営状況は大幅に改善されたものの、慢性的な戦力不足は打開されずチームは万年Bクラスから脱却できずにいた。
1年目こそ最下位に沈んだものの、オフに積極的な補強を敢行。
佐々木誠と秋山幸二を軸とする3対3の大型トレードを成立させた他、この年導入されたFA制度で阪神タイガースから松永浩美を獲得。
同じくこの年導入された逆指名制度で渡辺秀一・小久保裕紀を獲得している。
ここいる?
野球板やぞ
スポンサーリンク
最終的に同率2位のオリックスブルーウェーブ・近鉄にゲーム差なしの勝率わずか6毛差で4位となり、Aクラス入りは逃したものの、69勝60敗1分で南海時代以来17年ぶりのシーズン勝ち越しを決めた。
根本はこの年、チームの指揮を執りながら王の監督招聘にも動き、自身はこの年限りで球団専務に転身した。
オフは前年同様派手に動き、FAで西武ライオンズから石毛宏典・工藤公康を獲得した他、メジャーで本塁打王の経験がある大物外国人ケビン・ミッチェルの獲得に成功。
さらに、ドラフト会議では駒澤大学への進学が内定していた城島健司を強行指名し物議を醸した。
しかし、前年強力打線を形成したベテラン陣が軒並み不振や怪我に見舞われ、期待されたミッチェルは初打席満塁本塁打という衝撃的なデビューを果たしたものの、トラブルを繰り返し、2度の無断帰国で37試合の出場に留まった。
投手陣も工藤以外は計算が立たない状況で、中継ぎの柱だった下柳剛も交通事故でシーズンの大半を棒に振った。
さらに、新コーチの達川光男と高橋慶彦が選手の前で掴み合いの口論を展開する一幕もあった。
2年目の小久保が28本塁打で本塁打王を獲得したが、チームは首位オリックスと26.5ゲーム差の5位に沈む。
5月7日、日生球場で行われた近鉄戦でダイエーはミスも絡み4ー10の大敗。
試合終了後、監督・選手らを乗せたバスが20分にわたって怒った300人のファンに取り囲まれた。
「サダハル辞めろ!」「パの恥だ!」などと罵声が飛び、周辺は一時暴動寸前の緊迫した雰囲気に包まれた。
試合前から不穏な空気の日生球場

この写真ヤバいな
いくらなんでも度を超えてるだろ
試合終了と同時に一部のファンがグラウンドになだれ込んだ他、レフト定位置付近には発煙筒が投げ込まれ、白煙が立ち込めるなど球場は騒然とした雰囲気に包まれた。
バスも再び暴徒と化したファンに取り囲まれ、この日は大量の生卵がぶつけられる事態に発展した。
ほとんどはフロントガラスにぶつかったものの、一部はバスに乗り込む最中の選手にも直撃している。

その直後のミーティングでは「ああいうファンこそ本物なんだ」「将来優勝した時に、一番喜んでくれるのはああいう人たちなんだ」と選手に檄を飛ばしたという。
しかし、このシーズンは首位オリックスと22ゲーム差をつけられ最下位に終わる。
シーズン終盤9月16日の西武球場で行われた西武戦では、過激な横断幕の掲示や野次が飛ぶ中で、再び発炎筒が投げ込まれる事件も発生している。
さらに南海時代から含めて19年連続Bクラスとなり、広島カープが設立当初に記録した連続Bクラス日本記録である1950年から1967年までの18年連続を更新した(記録は翌年さらに更新され20年まで伸びる)。
ホークスが常勝球団へと変わる道のりはまだ険しかった。

(終)
ワイらの身近にもおるのかもな殺人犯
参照元;https://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1691675092/