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【FGO】第七特異点 絶対魔獣戦線 バビロニア「天の鎖」【たらればさん感想】

ツイッターで有名なたらればさんが、Fate/Grand Order 第一部 第7特異点 絶対魔獣戦線 バビロニア 「天の鎖」の感想をつぶやかれていました。

いつもながらとても勉強になる内容です。


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バビロニア 感想・評価

マーリン! 王!! そしてマーーーリンーーー!!!

●第1部 7章「バビロニア」人理修復完了しました!! 心と意思と時間と聖晶石を割り進める旅でした。とんでもなく分厚いシナリオと織りなす各キャラクターの生き様に胸がいっぱいです。

●人類最古の物語のひとつ『ギルガメシュ叙事詩』は近代の学者が付けた表題で、古代にはアッカド語で書かれた冒頭句「すべてを見た人」と呼ばれていました。

●すべてを見た人(=ギルガメシュ王)、この表題が重要な役割を果たしていたんだ…と本作(FGO第1部七章)最終盤で判明して震えました(後述)

●何度かお薦めした『シュメル神話の世界』岡田明子、小林登志子著に、シュメル文明とは「泥の文明」であるという記述があります。

・イラク南部チグリス・ユーフラテス川近郊は沼の多い湿地帯であり、ペルシア湾と両河の水利を得られるいっぽうで、石材も木材も乏しい土地でもありました。

●そうした土地で頻繁に利用されたのが「泥」すなわち「粘土」であったわけです。

シュメル神話の世界―粘土板に刻まれた最古のロマン (中公新書)

シュメル文化について

●シュメル人たちは(度重なる洪水がもたらした)粘土を使って煉瓦を作り、それで倉庫や城塞、神殿、つまり都市文明を作り上げました。なにより、その粘土が柔らかいうちに葦筆で文字を記して乾かし保存する技術が発展。そこに役所や商人の記録とともに、「物語」が刻まれたわけですね。

●シュメル文明においてその「泥」が、エレキドゥだけでなく、人間そのものの創造神話に関わってくるのは当然の流れであり、またこの章の特に最後半部分で「膨大な泥」が破滅的(再生的)手段として登場するのは大変感慨深かったです。

●第3節でエルキドゥ離叛、マーリンさんとアナ登場。マーリンシスベシフォーーーウ!

●「塔から先に出してやった」って、落としたってこと? フォウもフォウで…何年生きてるんですかこの怪猫。

●第4節、本章において死が「眠り」であること、「冥界が身近であること」を示唆する解説。

●第5節、ギルガメシュ王の解説が深い。現代における差別や偏見、冤罪が、古代における「生贄」と同じ効果ではないかと。

●たとえば現行法制度における冤罪は「制度上の欠陥として出てしまうエラー」と認識されています。それはまさに神の摂理に人が対抗する「生贄」として機能しているのではないかと。

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源義経について

●牛若丸(と弁慶)、レオニダス登場。

●このコンビをこのシナリオのこの位置に組み込んだシナリオすげえ。

●どちらも「寡兵で大軍と闘った戦術的天才」かつ「非業の死を遂げた名将」で、ええと、嫌な予感しかしないという。

●加えて牛若丸(源義経)をライダーに設定したFGO運営の慧眼を超絶評価したい。

●司馬遼太郎は源義経を、「日本史上ただ一人の、もしくは世界史上数人しかいない騎兵の運用者だった」(『手掘り日本史』)と評価しています。

●以下、一之谷の合戦に代表される源平合戦において義経が発揮した天才性について、駆け足で解説します(『義経』より要約)

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源義経のライダー性

・それまで騎兵は「単独戦闘における優位性」のみが着目されていたと。

・ところが源義経は10世紀時点、一之谷の合戦において(世界で最も早いタイミングで)騎兵を戦術的に運用

つまり「徒歩では不可能な距離を馬に走らせてより多角的な集団攻撃部隊として活用した」と。

・司馬によると、こうした騎兵運用は、近代以前の日本戦闘史上においては義経の370年後にようやく織田信長が活用したのみであり、その後は日露戦争での秋山好古の出現を待つことになる、とのことでした。

・ちなみに司馬は武蔵坊弁慶を「記録者であり解説者」として描いていて、それも合わせて面白いです。

義経と弁慶関連文献は以下がお薦めです。

・英雄的、物語的、伝説的な活躍を知りたいならこちらの二冊

▼『義経』司馬遼太郎著

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▼天馬、翔ける 源義経 上 (安部龍太郎著)

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・史学的な実像がお好みなら、この三冊。

▼『陰謀の中世史』呉座勇一著

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▼『源義経の合戦と戦略 その伝説と実情』菱沼一憲著

▼『源義経』五味文彦著。

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●個人的には、英雄的、物語的、伝説的な活躍を知らせる前者もスリリングで面白いんですが、伝説的な義経像を受けてなお丁寧な史料研究で積み上げた実像が味わえる後者(『義経』司馬遼太郎著から始まる3冊)が大変わくわくします。

●たとえば鵯越(ひよどりごえ)の逆落としは『平家物語』の創作(合戦の中心地や平家軍の中心地は鵯越に隣接してない)でどう考えても無理とか。

●義経は一年近く京都で警護職についていた史実から、横暴な平家、粗暴な木曽義仲に代わって(頼朝の代官として)洛中の治安維持に尽力したからこそ義経は英雄として広く語り継がれたとか。

●太平洋戦争において(楠木正成、北条時宗と並び)忠君の武神が必要で、だからこそ義経が担がれた、とか。

●いっぽうレオニダスはテルモピュライの戦いの英雄ですね。

●彼がいたからこそギリシアはペルシアを破ることができたと。それももちろんギリシアが勝ったからこそ記述された。

●こうした「(政治や文明の要請により)発明された英雄」という造形って、FGOにおけるサーヴァントの本質のひとつですよね。

(閑話休題)

ギルガメシュ叙事詩について

人類最古の文学作品『ギルガメシュ叙事詩』

●現在ウルクで王に謁見しております。ゲーム内でバビロニアの世界観の解説があり、並行して『ギルガメシュ叙事詩』(矢島文夫著・岩波文庫刊)を読んでいることもあって、FGO本編の感想とは少し離れますが、現時点でギルガメシュ叙事詩について思うことを少し呟いてみます。

●ご承知のとおり、『ギルガメシュ叙事詩』は人類最古の文学作品のひとつであり、(古代の作品にしては珍しく)政治性や宗教性が薄いことや普遍的な「生と死」をテーマとして扱っていること、もちろん物語としての面白さもあって、予想よりかなり楽しく読めています。特に解説が勉強になってすばらしい。

●この叙事詩がいまだ全体の半分しか解読されてないことや(未発見だったり粘土板が欠損していて解読できなかったり)、それでもこの最古の物語を読めるのは偉大な先人たちの天才的なひらめきとひたすら地道な努力の積み重ねであることがよくわかって、岩波文庫版『ギルガメシュ叙事詩』、お薦めです。

▼ギルガメシュ叙事詩

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●なによりギルガメシュ王が女神イシュタルに言い寄られてすっぱり断るの、元ネタどおりなのか…などがわかるし。

●あと「カルデア」という言葉がばんばん出てきてちょっとドキドキします。カルデアって、メソポタミア南東部の地域名でありかつ新バビロニア王国を建国した人々の名称だったのですね。

ギルガメッシュ叙事詩と源氏物語の共通点

●さておき、このギルガメシュ叙事詩を読んでいてふと、これ『源氏物語』と共通点がふたつあるなあ…などと気づきました。

●ひとつめは「友人の死」。もうひとつは「結末」。以下、説明します。

出会った意味を考えさせる両作品のモチーフ

●ご承知のように、ギルガメシュ叙事詩において、ギルガメシュ王は唯一の友であるエレキドゥを亡くします。そのことがギルガメシュの死生観に強い影響を与え、物語を進める鍵になっている。

●いっぽう『源氏物語』の作者・紫式部も、親しい友人を亡くしています。

●小倉百人一首にもとられた「めぐり逢ひて 見しやそれともわかぬ間に 雲がくれにし夜半の月かな」は、その亡くす友人を最後に見かけた際の歌です。

●上述の「めぐり逢ひて」という紫式部の和歌は、「せっかく久しぶりに逢えたというのに、まるで雲間にちらりと見えてすぐ隠れてしまった月のように、あなたはすぐ行って(見えなくなって)しまいましたね…」という内容です。友との久々の邂逅とも、また人生における人と人との出会いとも読みとれます。

●その友人の存在は『源氏物語』に繰り返し描かれる「身代わり」というテーマのモチーフのひとつになっていて(紫式部は母と姉を亡くしており、その友人が母代わり、姉代わりだったと言われている)、光源氏や薫中将の人生観や死生観、親しい人に対する考え方に影響を及ぼしているといえるでしょう。

●最後は必ず別れることになるのに、人はなぜ出会いを喜び、心待ちにするのでしょうか。最初から出会わなかったほうがよかったのではないか。出会う必要はないのではないか。

●その葛藤は、人の、人と人との出会いの運命といえるでしょう。そういう示唆が、この「別れの歌」にはあります。

「終わっていないような終わり方」をする共通点

●現時点で発見されているギルガメシュ叙事詩は、やや唐突な終わり方をしています。不死を求めたギルガメシュは冒険の果てに「若返りの草」を手に入れますが、水浴びをしている間にその草を蛇に盗まれます。ギルガメシュは泣きはらし、ウルクに帰って物語は終わります。

●前述のようにギルガメシュ叙事詩は全体で約3600行あると推察される中で、約半分しか解読されてませんから、この先「ギルガメシュが人の生と死について、どういう結論を出したか」が描かれた粘土板が見つかるかもしれません。

●しかし重要なのは、この唐突な結末のまま長く伝えられているということです。

●いっぽう『源氏物語』の結末も、非常に唐突な終わり方をしています。

●全54帖、約100万字、作中では70年にわたるこの物語は、死んだと思っていたかつての恋人・浮舟が生きていると知った薫が「会いたい」と手紙を出し、その文に「会えない」と浮舟が答えたところでふっつりと終わっています。

●むろん『源氏物語』も「続きがあるのでは」という研究もあり、もしかするとこの先どこかの宝物庫で紫式部が書いた「五十五帖」が発見される可能性もありえます。

●しかし先ほどのギルガメシュ叙事詩と同じく、『源氏物語』もこの「終わっていないような終わり方」で、長く長く伝え続けられているのです。

●この「終わっていないような終わり方」は、物語にある種の効果を与えることがあります。それは「続き」や「結論」を読者にゆだねられること。

●もっと言えば、こうした結末の演出は、「ここからはあなたが考えるあなたの物語です」と、その空白の終焉から語りかけられるような印象を与えられるのですね。

●これはあくまでわたしの印象論ですが、こうしたギルガメシュ叙事詩と源氏物語の共通点、「(自らの一部ともいえるような)友人の死」と「(結末を読み手にゆだねる)結末」は、作品に普遍性を持たせるのかなぁと、ぼんやり考えています。

●いやーいろいろ深く広く連想させてくれる作品ですね、FGO。

●【補足資料】なおこれが、楔形文字で記された『ギルガメシュ叙事詩』の冒頭。ここからよくあの物語を解読したなぁ…。。と、考古学者たちの偉大な研究の積み重ねに感謝が湧き起こります。
(上述の『ギルガメシュ叙事詩』矢島文夫著、ちくま学芸文庫刊 より)

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アナについて

●第8節最後、アナの真名が話題に。マーリン、「非人間的存在が非人間性を隠して人間と付き合うのはよくあることだ」というのは説得力あるなあ…。

●アナ、髪色がメデューサさんと一緒ですね。関係あるんだろうなぁ。。

●第9節終了で牛若丸、レオニダス退場(そっと痛む胸をさする)

●第10節「人間は(神をなくして人のみで生きるのは)生の苦しみ、死の恐怖から逃れられなくなるだろう」という解説。

●これが、キリスト教も仏教も生まれる前の時代の発言として描写されているわけで、あー、、なるほどなー。

●12節でキーパーソン、ケツァル・コアトルが「神性」と世界観について語る。

●女神は(人間からは)一見放埓に思えるけど、それぞれの「宿命」のなかでどう自由に生きるかという話でした。これは「宿命」に対する受け入れ方、態度や規範の話ですね。

●錯綜する新年を「魂のプランチャ」で説得。ジャガーマン、元ネタ(テスカポリトカ)があるんですか。

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ケツァル・コアトル登場

●当方すっかりケツァル・コアトルが好きになったんですが、南米神話にまつわる知識が圧倒的に不足しております。

●手持ちの知識の8割が『水曜どうでしょう』の「中米・コスタリカで幻の鳥を激写する!」という状況。

●ケツァール(ガシャコン!)よい入門書をご存じの方はお知らせください…。

第18節 シドゥリさんのあの場面

●第18節、怒涛の展開。瀕死のエレキドゥ(キングゥ)を助けた「ラフム」は、、、、、まさか、、、、これ……シドゥリさ……??

うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああ!!!(語彙消失

(このあと丸2日ほどプレイできなくなる)

●FGO第7章、「第6章よりはマシ」と聞いていたんだけど、マシなのはゲーム難度というよりも「油断するとすぐ全滅する、ということがわかっているので精神的にややマシ」という程度だったのですね。。。

●なお現在、わりと心を折りにくるような全滅の仕方を何度かしておりまして、全体的にデッキ強化中のため第七章クリアにはもうちょい時間がかかりそうです。。。あの黒くて増えるの、、、超強い。。

●出張帰りの新幹線の車内で泣きながら聖晶石を割る、という、かなり変態度の高い状況で進めております。

●フレンドさん超ありがたい。そして何よりなんだこのシナリオ。全滅しても地獄、させても地獄やないかい。

●よりマシな地獄を選べと、生きるとはそういうことだと言いたいのかちくしょう。

(血が出そうなほど唇を噛んで考察に戻る)

●これまでの人理修復にはどこかしら「昇華」があったのですが、それがない!?

●タイムラインに「第1部1〜5章は布石」と書いている人がいて、「あははいやいやこんな重い布石があるかよ」と思っていたんですが、めちゃめちゃ重い布石でしたもうしわけない。

●「別れ」ははっきりと別れであり、「死」は死である、とギルガメッシュ王から明かされます。

●あ…なるほど…これは1章から入念に準備された絶望なのですね。櫛の歯が欠けてゆくように身近な人(とサーヴァント)が去ってゆく。

●また会えるかなぁ……会えるといいなあ…。(と、ガチャを回す)

イシュタルの滲みる言葉

●第19節、イシュタルから
「別れは必ず訪れるもの。それを悲しんでいたら人生はたちゆかない。だから精一杯感謝をして送り出す。出会えた喜びと、生きてお別れを言える幸運を喜びながら」と…

●このセリフ、スクショして何度も見返してます。沁みすぎる……。。。。

●ギルガメッシュ王からあらかじめ「すべてを見ていた」と解説。そして王はそれをウルクの民にすべて話していたと。あああーー…ウルクの民が異邦人(主人公たち)に優しかったのは、滅びを受け入れていたからかーー…そして滅びを受け入れてなお客人を喜びもてなす「強さ」を見せたかったからか!!

増殖黒若丸・撃破

●20節、増殖黒若丸なんとか…なんとか撃破。爽快白若丸から闇落ち怨恨丸を鎮護する武蔵坊弁慶という構図、日本人が愛した『義経記』と重なります。

●義経の悲劇と兄への複雑な反応は、司馬が「天才的戦略家であり政治家としての兄の立場を最後まで理解できなかった天才的戦術家であり幼稚な弟」と活写。

●21節、ギルガメッシュが見た未来にカルデアが加わることで「特異点の中に特異性が生まれる」という発想すげえ。かなり無理のある「救世主登場」を、それでも論理的な説明が可能なように(作品世界の仕組みを利用して)伏線を貼るシナリオが超秀逸です。その筆力で絶望を描くとこうなるのだな(納得)

●お、、、大きくなってる……しかも見た目凶悪な感じに……。。。

徒歩で来たマーリン

(以下メモ帳に貼ってある絶叫を記録のため列記)

  • は、は、は、走ってきたの??????!!?? 歩ける距離なの???
  • つつつっ強……マーリン超強い超頼りになる。マーリン墜落どういうことなの。。。
  • 王っ! カッコよすぎるーー! 王(涙)
  • ジャガーマンここで大活躍! 女神さま!!! ジャガーマン、、、、強いのね、、、、。。。。こんな格好なのに。。。・・。。
マーーーーリンっ!!!! きみは!! きみってやつは!!!!!

・発作的に調べてしまった…。。。。。

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バビロニアは「歴史を刻むこと」に意義を見出す旅

●本章は「歴史を刻むこと」に意義を見出す旅だったんですね。

●歴史は「人の生」に意味や意義を見出す装置でもあると。それは「英霊」という存在そのものに関わる営為であり「人理」の根幹を為すと。

●だからこそ人類最初の物語『ギルガメシュ叙事詩』の舞台バビロニアで人理を修復する必要があったと。

▼以下、前掲『シュメル神話の世界』より引用

「冒険のはてに、不死をあきらめたギルガメシュは故国ウルク市へ戻り、王としてなすべきことをはたしたのである。(中略)普遍的な文明社会であるシュメルの神話は多民族の共感を得た。「人間は死すべきもの」と見据えたところから、生き方が定まるのであり、この考え方は多くの民族が共有でき、古代世界だけでなく、二十一世紀を生きる日本人にとっても示唆に富む神話である。」

●と胸をなでおろしてカルデアへ帰還したら休む間もなく終局(第1部最終章)への展開が。

●フレンドの皆さま、いつもいつもありがとうございます!! 皆さまのご助力がシナリオ&バトル前進のためだけでなく、折れる心の添え木となっております!!

●さあがんばるぞーーーー!

(了)

義経について

●FGO第1部7章を終えて一晩たって書き散らしたメモを眺めて思うのは、いや感慨ポイントは山ほどあるんですけど個人的に一番の収穫は、牛若丸(源義経)にまつわる知識をこの機会にまとまって得られたことでした。

今までなんとなく知ってる程度でしたが、知識をかじればかじるほど「義経」は面白いです。

義経伝説のなりたち

●義経を描いた『平家物語』は北条政権時の成立で、かなり強引に源氏から政権を奪った北条氏にとって、源頼朝は冷血で非情な人物である必要がありました。

そんな人物が雅で強い平家を倒せた理由として、天才的な名将がいたほうが都合がよく。おまけに口承で伝えられた軍記物語は次第に尾ひれがついてゆくと。

・次第に義経は浄瑠璃や歌舞伎でも祭り上げられ、さらに太平洋戦争時には忠君の名将として称揚されて。美しい母、無念の父、複雑な幼少期。劇的な再会を果たした冷血で優れた政治家の兄、奇跡的な勝ち戦の数々、怪力無双の相棒(弁慶)と、素材が揃いに揃って、とどめに司馬遼太郎が作品化するという。

多くの人の想いが英霊を作り上げる

・呉座勇一さんや菱沼一憲さん、五味文彦さんといった優れた史学者たちの本を読むと、実在の「源義経」という一人の人間が、まさに「英霊」として作り上げられていく様子がよくわかって大変スリリングでした。

・FGOに登場する歴史的サーヴァントの面々も、大変優れていたのは間違いないにしても実像は一人の人間であって、それが多くの思惑や期待が集まり積もってゆくことで「英霊」となっていったのだろうなと思うと、つまり英霊を英霊たらしめているのは多くの人の「想い」なんだなぁと感じた次第です。

源頼朝の皆殺し作戦

●そういえば『ドリフターズ』で「源頼朝は功績のあった部下を生かしておくと敵を滅ぼしたあとに厄介だから勝ちが見えた時点でずばずば粛清していった」というようなことが描かれていて、そうなの? と思ってたんだけど、史実ではちゃんと鎌倉に呼んでは殺し呼んでは殺しで、あの記述ガチでした。

●史学者の皆さんもそれを当然だと思っているから「頼朝は、義経だって最初から殺そうと思ってたら呼んで殺せばよかったのにさんざん逃げられているのだから、陰謀ではめたわけではなくて殺そうと思ったタイミングが後手に回っただけ」みたいに書かれていて、鎌倉武士。。。。ってなりました。

そして最終決戦へ・・・

【FGO】終局特異点 冠位時間神殿 ソロモン「極天の流星雨」【たらればさん感想】

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『TVアニメ FGO-絶対魔獣戦線バビロニア- Episode 0』をみたたらればさん

●いまFGO内で視聴できる『TVアニメ FGO-絶対魔獣戦線バビロニア- Episode 0』、見ててはらはらと泣けてしまった…。。。これはFGOの全日譚から6章までの、総括であり秘話であり祝福譚でもありました。

FGOは(少なくとも第一部は)つくづくDr.ロマンの物語であり、マシュの物語なんだなあ…。。

●加えて、観ていて伝わるのは、FGOは歴史や物語や「人間以外の存在(英霊や亡霊)」を丁寧かつ大胆に描くことで、(影絵のように)「人間とはどのような存在か」を照らし出そうとしているんだなぁということでした。それをマシュとともに学ぶのだと、そうDr.ロマンが願ったのだと、しみじみ思います。

●アニメ内でロマンがマシュに世界の風景写真を見せ、星空や青空を見せたいと願ったのは、「世界は美しい」と知ってもらいたかったからですよね。

●それは端的に、「世界は救うに値するものだし、それはきみの人生に意味や意義を与えることなんだ」と伝えたかったからだと、第一部を終えた今わかります。

●それは本アニメ前半部にある、ロマンが名乗った直後のマシュのセリフ、「ロマン…。明日には多くの可能性がある、という希望的観測。そういった意味ですか」に現れているわけです。

●いやー泣けた。これあと3日しか見られないのか。。。ネトフリとかで恒常的にみられるようにならないかな。。。

(了)

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