たらればさんFGO記

【FGO・終局特異点ソロモン】テーマは「死」の照り返して浮かび上がる「生」【たらればさん感想・評価まとめ】

ツイッターで有名なたらればさんが、Fate/Grand Order 終局特異点 冠位時間神殿 ソロモン「極天の流星雨」の感想をつぶやいていました。

いつもながらとても勉強になる内容です。


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※以下、たらればさんの「FGO・ソロモン」に関する話題まとめです。

終局特異点 冠位時間神殿 ソロモン 「極天の流星雨」考察

・FGO終局、「あいつがまだ出てきてないぞ、いつ出てくるんだ!」、「おおおこの勇壮なBGMは!」とわくわくしている自分がおり、「エジソン」の登場を待ち望むことになろうとは。。

・もうこの先一生、トーマス・エジソンの偉大な業績に触れるたびに、あの獅子頭人間が頭に浮かぶと思うと感慨深いし罪深い

・ところでいま、わりと自分で自分にびっくりしています。。。(↓の発言を過去にしていたので)

・英霊はもともと自然に対する召喚だった、人に対する召喚が現在の(聖杯戦争用の)英霊召喚だったと
・文明を築いて以来3000年、「死」を克服できない人類を「無為なので滅ぼす」というすごい理屈

・「死」は克服すべき現象か? むしろ進化の過程で獲得した長所では? と思うのですが……まあいいか

・絶対に負けたくない戦いでぼっこぼこにやられて全滅するの、そろそろ慣れるかなと思ってたんですけど、毎回律儀に泣きそうになりますね。このやろう。。。

・あーーーーーーーっ! そうかなるほど!! 開幕令呪→即宝具という手段があるのかーーー!!! すげえ、なるほどなーーー!! ちゃんと一本通れる道を残しているんだなーーー!!

たらればさん、人理を救う

人理……………

……修復……………………。。。

………………………完了……………………。。。。

あぁ………………。。。

空が…きれいだ……。。。。

「世界はうつくしい」、ということか。。。。

「終局特異点」感想

FGO第1部 終局特異点 人理修復完了

・正直まだ放心中なのですが、この「ほかほかした心理状況」でないと書けないこともあるかなとも思いますので、あれこれ感じたことや気づいたことを書き残しておきます。

・いつもと微妙に文体が違うのは、魂が抜けてるからです。なお相変わらずネタバレ頻出注意です

・というか、今回は本編が短いこともあり参考文献の提示も特になく、平たくいうとネタバレしかありません。くれぐれもFGO第1部未履修の方は履修後に読まれることを推奨します。

本当に大切なことなので何度も同じことを書きます。初体験は人生で一回きりです。どうか大切にしてください。ではいざ

終局特異点のモチーフ

・終局特異点は、これまでの各章で出会ったサーヴァントたちと再び出会い直す局面でした。

・カーテンコールを見るようだ。

・章の冒頭でソロモン王が「永遠の生」を語り、いきなりマシュに否定されます。

・あー…第1章序盤で「生の意味付け」に繰り返しとまどうマシュの姿がここでオーバーラップするわけで。

・本作終盤(具体的には6章~終局)で語られる「神代の終わり」とは、「ソロモン王が天に指輪を返す」という象徴的行為だけでなく、「生の意味や価値は、これからは(天や神や全能の王ではなく)人が、それぞれ自分で決めるのだ」という決別を指すわけですね。

・第7章最終決戦時に「Childhood's End(幼年期の終わり)」と表示されたことがここで生きると。この「それぞれの生」を実感するために、終局で「絆レベル比例ダメージ制」を導入したのでしょうけど、これ演出としてすばらしい。

・各自ともに歩んできたサーヴァントと終局を進めるよう自然と促されると、個人的には、マリー・アントワネット、ドレイク船長と玄奘三蔵、アーラシュさんが元気で涙が出てきました。

・この「また会える英霊システム」の長所をしみじみ実感させたところで、後半部分で「もう会えない(英霊システムからすら除外される)」という決別を見せる運営、マジで悪魔か(後述)

サーヴァント達の集合

・毀誉褒貶が激しい「メインストーリーだけやってる人は誰が誰だかわからないサーヴァント大集合」は、確かに「あなたたち…だれですか…?」と面食らうわけですが…。

とはいえこれは、ローンチ直後から開発と一緒に走って、イベントも丁寧にこなしてきたコアユーザーに対するご褒美なんでしょうね。

・それと、サポート欄でお世話になった、名前しか知らない膨大な「フレンド」たちの象徴でもあるのかなと思いました。

・わたしとしては、膨大なサポートサーヴァントたちにも感謝する機会をもらった気持ちになれて嬉しかったです。

ありがとうございます、皆さんがいなければとっくに投げ出していました

■ラスボス戦

・ラスボスは「召喚式」そのものが受肉化したビースト

・人類史とともに歩んだ召喚式が、無為と絶望に沈む多くの生を見て、死のない世界を望んだと。

・いっぽう人間として過ごす機会がなかったソロモン王が、聖杯戦争後に望んだ姿が「人間として生きること」であり、それがドクターロマンだったと。

・(個人的には7章の牛若丸で実感したのですが)本作では「その人物(サーヴァント)がどのように実在していたか」よりも、「どのように語られてきたか」に重点を置いてますよね。

・つまり「歴史を刻むこと」、「語り、意味や価値づけをしてゆくこと」を辿る旅だったと暗示しているわけですね。

■死(照り返して浮かび上がる「生」)

・では人類史は、どのように語られてきたか。その多くは(『アーサー王物語』や『ギルガメシュ叙事詩』に代表されるように)「死」をどのように語るか、ではなかったか。

・この「死(照り返して浮かび上がる「生」)」こそが、(神に代わって)人がそれぞれの生を意味づけるうえで欠かせない概念だと。

つまり、それこそが「ロマン」であると。

ロマン…かーー…

人が死の恐怖を乗り越えて生きるための処方箋ですね。

・その象徴的な行為が、人類を丸ごと焼き尽くせるほどの炎を、我が身をかえりみず「円卓(物語の束)の盾」で防ぐマシュの姿であるわけですね。

この物語における壮大な回収劇は最序盤から仕込まれていたわけで。

・プロローグと最終決戦前で、同じことを同じ顔で語るドクターの物語だったんだなぁ…と。これは思わずマイルーム見返しました(画像)

・それをひとはロマンと呼ぶ。ドクターと怪猫キャスパリーグ、また会えるといいなぁ…。

・そんなわけで、さすがに疲弊しているのでしばらくぼちぼち手持ちサーヴァント育成に励みます。

・応援してくださった皆さん、本当に本当にありがとうございました! 駆け抜けられたのは皆さんの応援のおかげです!

・気が向いた頃に再開したら、イベントや1.5部や2部の感想も呟くのでそのときまた!

(了)

レイドバトルについて

・友人からFGO第1部終局はレイドバトルだったと聞く。そうなのかー。

歴戦のマスターが集って膨大な数の魔神柱をすさまじい勢いで攻め滅ぼしたのだと話す友人は、まるで関ケ原を語る薩摩人でした。

・サッカーにおけるドーハの悲劇とかプロ野球の10.8決戦とか、あの戦いも共体験として歴史になるのかな。

・地球を旅するには遅すぎて、宇宙を旅するには早すぎたぼくたちは、それでも紫式部と一緒にFGOの世界を旅する機会に恵まれました。ありがとう運営。

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