668: 1:2010/09/30(木) 23:13:05 ID:udXw9XbT0
既出かなあ。曽野綾子の『長い暗い冬』
現代、北欧のどこかの国。
石山は、幼い息子と二人で冬を迎えようとしていた。
母親はいない。石山が単身赴任して一年後、呼び寄せようとする直前に部下と心中したのだ。
既に家族で住むための家を購入してしまっていたので、宅内は無駄に広く感じる。
暗がりの目立つ居間で、息子は暖炉の残り火を前に「カチカチ山」を読みふけっていた。
日本から持ってきた唯一の絵本。
それは言語の壁に邪魔されこの土地で孤立していた息子の、ささやかな拠り所となっていた。
石山は、息子にそろそろ眠るようにと告げてから外出した。
自分を訪ねてきた旧い友人と、バーで落ち合うためだ。
街路のナトリウム灯が、通行人達の顔を死人のように浮かび上がらせる中を、彼は陰鬱に歩く。
そして精神科医である友人の顔を見るや、グラスを空ける間もなく尋ねた。
自分は錯乱してはいないかと。
彼は恐れていた。妻の死以降、眠れないこと。絶え間ない孤独感。息子との距離も測れず。
アルコールを浴びるように飲って、無理に眠っても見るのは悪夢ばかり。
そうした薄暗い時間を経る中で、ふと誰かを殺してしまうのではないかと。たとえば息子を、と。
友人は明るく、頼もしく、石山の肩を叩いた。そんなことないさ。大丈夫だ。
医師らしくない簡単な言葉だったが、それだけで石山は励まされる自分を感じていた。
そうして貴重な友人の存在に心で感謝する。
それでも拭いきれない不安から逃れるため、彼は友人に家に泊まるように勧めた。
そうすれば、今晩だけでも安らかに過ごすことが出来る。全てを察して頷く友人。
二人はタクシーに乗り込み、饒舌に語り合いながら石山の家へと向かった。
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669: 2:2010/09/30(木) 23:14:24 ID:udXw9XbT0
居間には息子がいた。出かける前と同じように、暖炉の前に座って本を開いている。
石山は「いつまで読んでいるんだ?」と彼に軽く声をかけつつ、暖炉の火を入れ直した。
そして、寝室を暖めるために2階に上り、全ての電気ストーブのスイッチを入れる。
さらに、もう一度1階に下りて台所のガスコンロの火を付けた。
彼はバーナーの火をじっと眺める。手をかざして熱を感じ取る。
心地よかった。たとえそれが一時的なものであっても。仮初の熱であっても。
全ての火を灯し、この家は今、暖かい家庭になったのだと思った。
すみずみまで活動し、人の気配と笑いに満ちた、人間の住む場所になったのだと。
しかし突然彼は、言い知れぬ不安を感じ振り返った。台所の間口に立つ友人と目が合う。
ちょっと来てくれ、と友人は言った。どうしたんだ、と問いかけても答えはない。
ただ、来てくれ、と告げる友人に訝りながらも、後を付いて居間に向かう。
息子はまだ座っていた。座り続けていた。そして「カチカチ山」の絵本を開いている。
友人は唐突に、絵本の筋を知っているか、と尋ねてきた。困惑しながら答える石山。
悪さをしては逃げる狸。それを兎を捕まえ、お爺さんに報告する。喜ぶお爺さんの姿で幕。
それだけの話。
だがふと絵本に目を落とした石山は気づいた。最後の場面の後に、もう一ページめくるところがある。
乱丁になっていたのだ。めくってみると──狸が逃げ出すシーン。これでは、狸の悪さはまだ続くことになる。
続く物語。終わらない話。いつまでも読んでも読み続けても、悪い話は終わらない。
息子は絵本を開いたままうつむいていた。ずっとずっとうつむいていた。
暖炉の火の爆ぜる音。それも聞こえなくなる。静寂が肌を刺す。
石山は息子の名を呼んだ。息子は姿勢を崩さない。もう一度呼んだ。腕を掴んで立たせようとした。
それを友人が制した。石山は、なぜだ、と問いかける。目に恐怖の色をたたえ、友人は答えた。
「君は問題ない。けれど、息子の方は、もう狂ってしまっているんだ!」
670: 本当にあった怖い名無し:2010/09/30(木) 23:27:40 ID:udXw9XbT0
あ。以上です。
自分のあらすじだとラストが唐突に見えてしまうかもですが、
原作は物凄い緊迫感とともに上手く纏めてます。
674: 本当にあった怖い名無し:2010/10/01(金) 01:02:54 ID:4oF0VCpfO
>>670
乙です。凄く読みやすかったし緊迫感も伝わりました
オチには背筋が凍った
675: 本当にあった怖い名無し:2010/10/01(金) 01:07:04 ID:Ted791DQ0
>>670
乙。息子は死んでると思ったので、いい意味で裏切られたw
678: 本当にあった怖い名無し:2010/10/01(金) 02:31:07 ID:T7cMwyqfO
>>670
いいねえ
てっきり本物の息子は暖炉の中に、的な展開かと思ったw