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848: 本当にあった怖い名無し2020/11/04(水) 19:50:21.11ID:FzMucJQU0
19世紀、ゼンメルワイスというドイツ系ハンガリー人の医者がウイーンの総合病院にいたころ、
病院では産婦が産褥熱で死亡することが非常に多かった。
しかし、奇妙なことに二つある病棟のうち片方では産褥熱による死亡が10%を超えているのに対し、
もう片方ではわずか2%に過ぎなかった。ゼンメルワイスがこのことについて調べていたころ、
友人が死体解剖中に誤ってメスで指を傷つけてしまい、それがもとで死亡してしまう。
その友人を解剖して死因を調べたところ、産褥熱で死亡した女性患者たちとよく似ていることがわかった。
そしてこれによって、二つの病棟の死亡率の差についても説明がついた。死亡率が高いほうの病棟では
出産を医師や医学生が担当しており、低いほうでは産婆(助産婦)が担当していたのだ。
当時はまだ細菌学が確立されておらず、医師たちは死体を解剖したあと手を洗うことなく出産に臨んでいた。
ゼンメルワイスは死体が持つ何らかの粒子が医師を介して産婦にうつることで産褥熱が発生すると考え、
手を洗って消毒することを医師たちに義務付けた。これによって産褥熱は減少し、二つの病棟ともほぼ
死亡率が変わらなくなったが、ゼンメルワイスはさらに消毒の範囲を広げ、医療器具も含めるようにしたところ、
産科病棟から産褥熱をほぼ撲滅することに成功した。
これらの実績にもかかわらず、ゼンメルワイスの発見はドイツ医学界で認められることなく、「病気は体液の
バランスの崩れや悪い空気によって起こるものであって、接触によって起こるはずがない」、「医術は神聖なもの
であり医師は神聖だから穢れていることはありえない、手を洗う必要などない、だいたい診察の前に手を洗う
なんてことは面倒でやっていられない」とメタクソに批判され、ゼンメルワイスは失職してハンガリーに戻った。
ゼンメルワイスの去ったウイーン産科病棟では産褥熱による死亡率がふたたび上昇した。
手と医療器具を消毒することで産褥熱を予防するという試みはハンガリーでは受け入れられて、彼のつとめた病院や
設立した病院だけではなく国中に広がり妊産婦の死亡率低減に多大な貢献したのだが、ハンガリー国外、特にドイツでは
ゼンメルワイスの学説は否定されつづけ、多くの妊産婦が権威を守りたい医学界によって意味もなく死んでいった。
853: 本当にあった怖い名無し2020/11/05(木) 08:31:08.47ID:IcPqz9HS0
>>848
世界中で似たような話があるな
脚気が理解できず識者の言うこと聞かず根性論で押し通して大勢の死者を出した旧日本軍とかな
脚気(かっけ、英: beriberi)は、ビタミン欠乏症の一つであり、重度で慢性的なビタミンB1(チアミン)の欠乏によって心不全と末梢神経障害をきたす疾患。最悪の場合には死亡に至る。
日本では、玄米から白米が流行した江戸・大坂において疾患が流行したため「江戸患い」「大坂腫れ」と呼ばれた。大正時代には、結核と並ぶ二大国民亡国病と言われた。1910年代にビタミンの不足が原因と判明し治療や予防が可能となったが、死者が1,000人を下回ったのは1950年代である。その後も1970年代にジャンクフードの偏食によるビタミン欠乏、1990年代に点滴輸液中のビタミン欠乏によって脚気患者が発生し、社会問題となった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/脚気
854: 本当にあった怖い名無し2020/11/05(木) 08:50:43.23ID:6FPgRyWY0
>>848
ゼンメルワイスについては徹底的な対照実験を行なったことも追加で
>>853
根性論というよりは石黒直悳をはじめとした陸軍が当時主流であったドイツ細菌学説に固執し
イギリス医学の影響を受けた海軍の高木兼寛による和食のみの戦艦と洋食のみの戦艦の対照実験の結果にも
ドイツで学んだ森鴎外がpost hoc ergo propter hoc(前後即因果)の誤謬と難癖をつけ
高木兼寛の洋食や麦飯の導入に反対し続けたため
856: 本当にあった怖い名無し2020/11/05(木) 12:11:01.07ID:C/J71Gd90
>>853
つか押し通したのが森鴎外な