復讐話・修羅場

【復讐話】アメリカに居た時の話

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426 :おさかなくわえた名無しさん:2011/11/04(金) 19:46:39.61 ID:G6aLWCQN
アメリカにいたときの話でも

初日から女子寮で韓国人とタイ人にいじめられた。
日本人がここで人並みの生活することを許してやってもいいから金よこせ的なことを言われて
断ったら、二時間後から五時間後までちょっとした事件が起こった。
学生課に書類出しに行った帰りがけにバケツ水が上から降ってきて、
個室に戻ってきたらドアの取っ手こわされててベッドに赤と白のペンキがぶちまけられてて
部屋の中の物がPCから化粧品までいろいろ盗られてて、怒りとか悲しみ以前にわけわかめだった。
服も半分くらいゴソッと盗まれてたし。サイズ合わないだろうに。(私が145cmだから)
パスポートなどの一式は携帯してたから無事だった。

取っ手壊れたドアぶらぶらさせたまま、とりあえずタオルとジャージ持ってシャワー室に
向かおうとして部屋を出たところで、香港人の女の子と鉢合わせした。
叫ばれた。
「アイヤー!どうしたの!ひどいかっこう!」という絶叫で他の中国人の子たちも出てきた。
三人のチャイナっ子に囲まれて、貧弱な英語で「水が上から来た、私の部屋、泥棒入った」とか
説明した。
やいのやいのと捲し立てる三人にシャワー室に放り込まれて、雑巾スメルを落として部屋に
戻ったら三人が片付けをしてくれてた。マジに感謝した。

三人にお礼を言うと、ぎゅうぎゅう抱きしめられて「学生課に電話したから管理人がドア直して
くれるよ」「すぐ来るから事情説明しなきゃ。ちゃんとできる?」「髪ちゃんと拭かなきゃダメ」
「お茶いれるよ、中国茶は好き?」ってマシンガントークされた。
聞き取りは出来るけど英語喋るほうは苦手だったから焦った。
メモ帳を出して出鱈目な漢文を書いた。「我感謝 汝之仁愛心」みたいな
英語よりそっちのほうが通じた。大陸出身の二人は読めない字もあったけど、香港の子は繁体字
も読めたので、私の出鱈目漢文を解読してくれた。
管理人への事情説明も、香港さんが通訳してくれた。管理人のオバサンから見たら変な光景だっ
たと思う。コマ割りしたメモ帳に棒人間と矢印と英単語と漢字をちゃんぽんで書く日本人と、
それを翻訳する香港人ってのは。

427 :つづき:2011/11/04(金) 19:48:13.26 ID:G6aLWCQN
それが終わってから、ペンキでダメになった寝具をゴミに出して、散らかったものを全部片付けて
盗まれたものをわかるだけリストアップした。
三人がドミトリーに呼んでくれたので、改めて自己紹介をしあった。
香港さん、福建さん、黒龍江さんはジャスミン茶とパチモンのコアラのマーチでもてなしてくれた。
三人とも日本の漫画アニメ、小説や音楽、あと福原愛ちゃんが好きだと言って、集めたグッズを
見せてくれた。
夜まで話して、福建さんの手料理をごちそうになって、「一人出てったばかりでベッドひとつ
空いてるから、こっちで寝たらいいよ」と泊めてもらった。

翌朝、なんかすごい声で目が覚めた。部屋のドアのとこで泣き叫びながら土下座してるタイと韓国
がいた。盗まれたPCと化粧ポーチが戻ってきた。なんか服は戻ってこなかったけどお金置いてった。
水被ったせいで風邪っぽくなり熱が出て、最初の授業は出られなかった。
パチモンのキティちゃんとケロッピの毛布にくるまって、ドミトリーのベッドで寝込んだ。

三人が授業から帰ってくると、おかゆとか卵スープ作って食べさせたり薬飲ませてくれたりと看病
してくれた。ありがたいのと迷惑かけて心苦しいので、お礼言いながら泣けてしまった。
そしたら「ナカナイデー、ゲンキダシテー」と日本語で言って、三人でユーミンを歌ってくれた。

二日後に熱が下がって、学校の授業に出ることができた。
寮に帰って、個室からドミトリーに荷物を全部移した。ドアの修理に時間かかりまくりで、実に
十日たってもそのままという状態で、気づいたらドミトリーの住人になっていた。
三人は優しかった。毎日ごはん作ってくれたし、英語も中国語も教えてくれた。
何もしないのも悪いと思ったので、部屋の掃除は私ががんばった。
半年だけだったけど、楽しい共同生活だった。

428 :つづき2:2011/11/04(金) 19:49:04.69 ID:G6aLWCQN
学校でポーランド人とハンガリー人の友達ができた。二人とも腐女子だった。
他にはインドネシア人の女の子とも仲良くなった。この子は中島みゆきのファンで、『銀の龍の
背に乗って』をいつも歌っていた。こないだ電話したらアメリカで会社作ってた。

留学期間の残り半年は、老教授の家で間借りした。教授と一緒に放課後の散歩をしたり、頼まれた
本を日本から取り寄せる手続きをしたり、洗濯と掃除を奥さんの代わりにやるだけで、タダみたいな
部屋賃でお世話になった。
二人とも私のおなかがすいてないかどうか一日中心配してやたら食べ物をくれるし、休日は遊園地に
連れて行かれて風船を買ってくれるし、もちろん学校の勉強も見てくれた。
「英語スキルアップのために母国語禁止」だったから、家ではずっと英語だったけど
散歩中に奥さんの目がないところで、教授は私を相手に日本語会話の練習をしていたw
日本に帰って大学に入ったときに国文専攻して二外で中国語取ったのは、アメリカで会った人たち
の影響です。

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