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【洒落怖】ガチな禁足地「八幡の藪知らず」

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コメント

@irohani_live
仕事上がりに見たら予想以上に伸びててびっくりした……
ここに立ち入った徳川光圀(水戸黄門)も神の怒りにあったという伝説も残っているようです

周辺には住宅もあり、神社の一角を除いては立入禁止になっています
決して " 中 " には入らず、マナーを守って散策を楽しみましょう!

@yoko61571038
八幡の藪知らず隣りに産院があって私はそこで産まれて。結婚するまで、ずっと本八幡に住んでました。小さい頃祖母から藪知らずの中に入ってはいけないし。指をさすのもダメだよって聞かされてました。
@Rinka_Kotone
たまに行くけど何か見られてる感じがする😆
@motoyawata__bot
本八幡の藪知らずのご紹介ありがとうございます!水戸黄門様が入ってしまわれたことでも有名で、地元住民でも夜は近付きません…迂闊に入ると警察と神主さんが飛んできて厳重な注意を受けます…中には何を祀っているのか今となっては分からない祠(ほこら)と窪地があるのです、決して入られぬよう…
@gang_o1980
正式名称の「不知八幡森」は『主家水神🔯』の御霊地なので禍神の魔界👿
将門の首や九尾狐やら八岐大蛇の怨霊を祀っておられるのです🙏
@motoyawata__bot
この神隠しの森にて、ものの怪と対峙された水戸黄門様が戦われた戦闘の記録あります。
お気付きでしょうか?厳重に封鎖されたこの森には入口など存在しないのです…
文献を紐解いても土に触れるなと死者行方不明者の記録ばかり、一体何が埋めてあるのか…
千葉県本八幡市(公式)
@motoyawata_shi

日本で一番有名な禁足地(自称)
八幡の藪知らず

八幡の藪知らずを浮世絵師が描くとこうなります

幕末から明治初期にかけて活躍した
浮世絵師、月岡米次郎(月岡芳年)による「不知薮八幡の実怪」という作品

藪知らずに足を踏み入れた水戸黄門が現れた妖怪と対峙している様子

— 千葉県本八幡市(公式) (@motoyawata_shi) November 3, 2018

@motoyawata__bot
ありますね平将門伝説!どうなのでしょう、何か文字が彫ってありそうなのですが森の奥深くで近付けないのです…

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Wikipediaの記述

八幡の藪知らず

八幡の藪知らず(やわたのやぶしらず)は、千葉県市川市八幡にある森の通称。古くから「禁足地」(入ってはならない場所)とされており、「足を踏み入れると二度と出てこられなくなる」という神隠しの伝承とともに有名である。

市川市が設けた解説板には「不知八幡森(しらずやわたのもり)」と記されており、ほかに「不知森(しらずもり)」「不知藪(しらずやぶ)」とも称される。現在は不知森神社(しらずもりじんじゃ)の一角のみ立ち入りができる。

概況

八幡の藪知らずは本八幡駅から徒歩5分程度離れた千葉街道(国道14号線)沿い、市川市役所の斜め向い側にあり、現在は付近の人通りも多い。近くには八幡の地名の由来となった八幡神社(葛飾八幡宮)もある。藪の広さは奥行き・幅ともに18メートルほどで、決して方向感覚を失って迷うほどの広さとは言えない。なお、近年の道路拡張で一部が削り取られている。

古くは細竹・漆の樹・松・杉・柏・栗の樹などが生い茂っており、昭和の末頃までは樹齢を経た木々の鬱蒼とした様を見ることができたが、近年は孟宗竹に侵食され、樹木は僅かに残るのみである。また、藪の中央部が窪んでいるという地形的特徴がある。「藪」の範囲はかつてはさらに広かったとも言われるが、少なくとも江戸時代の文献には既に現在と同程度の広さであったことが記されている。

「この藪に足を踏み入れると二度と出てこられなくなる」という伝承は、後述するように由来には諸説あるが少なくとも江戸時代から当地で語り継がれており、藪の周りは柵で囲まれ人が入れないようになっている。街道に面して小さな社殿が設けられており、その横には「八幡不知森(やわたしらずのもり)」と記された安政4年(1857年)伊勢屋宇兵衛[1]建立の石碑がある。この社殿は凹状となった藪囲いの外側にあり、社殿の敷地に立ち入って参拝をすることができる。

由来

八幡の藪知らずの伝承は江戸時代に記された書籍にすでに見ることができるが、江戸時代以前から伝承が存在したか否かは定かではない。また、なぜこの地が禁足地になったかの理由についても、唯一の明確な根拠があるわけではない。しかし諸説いずれにせよ、近隣の人たちはこの地に対して畏敬の念を抱いており、現在も立ち入る事はタブーである。

以下、伝承の由来に関する有名な説を挙げる。

  • 日本武尊の陣屋説
  • 平良将の墓所説
  • 平将門の墓所説
  • 平将門の家臣の墓所説
    当地で平将門の首を守りつづけ、そのまま泥人形になったといわれている。寛延二年(1749)に書かれた『葛飾記』には、討たれた将門が当地を通った際に慕って付いてきた部下6名が土人形として顕れ、風雪により土と化した、とある[2]。

これらの偉人に関する説は、いずれも該当する人物の祟りなどのために立入禁止になったといわれている。ただし、墓所・陣屋跡の比定地には異説も多い。

  • 将門征伐のために布かれた八陣の法の跡 - 陣を布いた平貞盛と藤原秀郷が乱平定後帰京に際し、地元民に「この場所は八門遁甲の死門(天地の鬼神が各方隅を循環して生殺するとの信仰に基づく8つの門のうちのひとつ[3])であるゆえ今後足を踏み入れてはならない、踏み入れた者には必ず害がある」と告げて言った、とする説[4]。
  • その他、昔の豪族・貴族の墓所とする説
  • 水戸黄門が迷って出てこられなかった説
    月岡芳年「不知藪八幡之実怪」。水戸黄門(右)の前に異人があらわれる
    水戸黄門こと徳川光圀が当地に立ち入って迷い、ようやく出たのちに禁足地とした説。後に錦絵に描かれ広まった。しかし、それ以前からここは禁足地であった可能性は高い。
  • 藪の中央部の窪地から毒ガスが出ているという説
    中央部が窪んでいることにも関連しているが、科学的な根拠に乏しい。事実であるなら、藪の周辺すら人が通ることは危険なはずである。
  • 藪に底なし沼があるという説
    これも、中央部が窪地になっていることに由来する。
  • 葛飾八幡宮の跡地説
    至近にある葛飾八幡宮の旧地とする説 - 文化七年 (1810) 刊行の『葛飾誌略』には、地元の古老の話では仮遷宮(本殿落成の間や社殿改築工事の間、神体を移しておく仮の社殿)だった、とある[2]。また、この地には死んだ動物を供養するための八幡宮の池があり、周囲の人々から「むやみに池に入ってはいけない」と言われていたものが、この行事が廃れたために「入ってはならない」という話だけ今に残ったのではないか、という仮説がある。
  • 近隣の行徳村の飛び地(入会地)説
    地元である八幡の住民は当地に入れないため、このような伝説ができたという説。

慣用句

伝承が有名になったため、「八幡の藪知らず」は「入ったら出られない藪や迷路」の総称となった。それが更に転じて「道に迷うこと」「出口のわからないこと」を「八幡の藪知らず」「やわたしらず」と言うようになった[6]。

また、江戸時代にはこの森を真似て迷宮式の藪を作り、入場料を取って中に入らせ、無事に出てこられた者に賞品を出すという興行場が現れたことがあった[7]。これが明治10年頃に復活し、大流行となった[7]。こうした迷路は八幡不知(やわたしらず)のほか、八陣、かくれ杉などと呼ばれた[7]。

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