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17 :本当にあった怖い名無し:2014/03/02(日) 23:24:06.15 ID:Ea/cYHHe0
俺のうちは親父が地元企業に勤めていたから、生まれてから一度も引っ越しをしたことがなく、
生まれた時から高校を卒業するまで18年間、同じ所に住んでいた。(大学は東京の私大だったのでそれ以降一人暮らし)
家と同じ並びで4軒ほど離れた家に、おじいさんが一人暮らしをしていた。
俺が地元を離れる時もぴんぴんしてたから、実際はそれほど年じゃない初老の人で、
子ども目線だから年寄りに見えたのかも知れない。
18 :17-2:2014/03/02(日) 23:28:28.71 ID:Ea/cYHHe0
近所づきあいはあまりしない人だけど偏屈ということもなくて、普通だった。
おじいさんの家は敷地の奥まった所に建ってて、前は小さな空き地みたいになってた。
駐車スペースみたいな感じだが、車はなかった。
あとコンクリートやアスファルトで固めてもないから、夏は雑草が伸びて、たまにおじいさんが草刈りしてた。
19 :17-3:2014/03/02(日) 23:30:52.80 ID:Ea/cYHHe0
親からは「ご近所の人には挨拶しろ」と言われてて、おじいさんも挨拶すれば返してくれた。
でも一つだけ普通じゃないことがあった。
1ヶ月に数回の割合で、家の窓や、あるいは家の前に立って、
誰もいないその空き地に向かって「出て行け」とか「出て行きなさい」と怒鳴っていることがあった。
しかもその時は一回じゃなく何度も怒鳴るし、
普段はマトモで、たまに変になる人かと思ってた。
21 :17-4:2014/03/02(日) 23:33:00.14 ID:Ea/cYHHe0
小学校の高学年にはなってたある日、学校帰りに角を曲がって、あとは家まで一直線という時、
その「出て行け」と怒鳴ってるのに出くわした。
その家の前を通って4軒目が俺の家。
出くわしたことは前にもあったし、「またか。やだな」と思いつつ通り過ぎようとした。
そうしたら何故かその時だけ、あの空きスペースにたくさん人がいたんだ。
大人じゃなくて、その時の俺くらいの子どもばかり。男の子も女の子もいた。
みんな道路に背を向けて、おじいさんのほうを見て微動だにしなかった。
22 :17-5:2014/03/02(日) 23:35:04.74 ID:Ea/cYHHe0
残念なことに、俺はその場を離れず見ていたらしいのに、子ども達がどうしたかは何故か記憶がない。
覚えているのは、おじいさんが「見えたんだろう、すまんな」と言ったこと。
もう子どもたちはどこへ行ったのかいなくなってた。
その時の会話はこんな感じ。
「あの子たちはなんですか?」
「わからない。俺も見えるだけでどうにも出来ない。
ただ、ああやって強気で怒鳴りつけないと、家の中にも入ってくる」
そう言われた時、ちょっとぞわっとした。
子どもたちは別に半透明とかぼんやりではなく、その場に存在しているようにしか見えなかった。
24 :17 6話:2014/03/02(日) 23:40:19.41 ID:Ea/cYHHe0
家に帰って話したら、お袋も知ってたし、
仕事から帰ってきた親父も至って普通に、
「見ちゃったか。気にすんなー。この辺に住んでる人は、みんな見てるから。
なんかの加減で見えたり、見えなかったりするんだけどなー」
と言ったんでびっくりした。
だからおじいさんの奇行にも見える怒鳴り声を、誰もおかしいと言わず普通に接してたんだ。
25 :17 完結:2014/03/02(日) 23:43:26.17 ID:Ea/cYHHe0
でもうちの近所も、もっと広い範囲の地域でも、いっぱい子どもが死んだ事件とかはまったく聞いたことはないし、
誰もそんなことがあったと知ってる人もいない。
34 :本当にあった怖い名無し:2014/03/03(月) 03:01:43.87 ID:hRu6iQfX0
>>26
子供たちの服装は?
戦中戦後に空襲か飢えで死んだ子供たちじゃないの
40 :本当にあった怖い名無し:2014/03/03(月) 20:40:06.53 ID:3bcy2+bL0
>>34
17です。
これ、マジで実話なんで、
今日になってから「うわ、実家の近所の人がこのスレ見てたら俺、身バレするわ」とか思って書いているんですが、
たぶん戦時中の子どもたちって、火垂るの墓の兄妹みたいに坊主頭とかおかっぱとか、服装も古くさいと思います。
で、今思い出すと、長髪で天パの子とか確かいたような気がして、
当時も「子ども達」と普通に思って、それ以外の違和感はなかったように思うんです。
俺の出身地は工業都市で港や鉄工所、造船会社もあるし、戦時中は空襲の激しい地域だったのは間違いないです。
でもその時代の子どもかどうか、はっきりしません。