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【洒落怖】石じじいシリーズまとめ その3

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オロチョン

778 :本当にあった怖い名無し:2019/06/28(金) 17:12:29.86 ID:8Nr6jLQ+0.net
石じじいの話です。

これは彼が朝鮮にいたときに、満州方面に旅行した時の話だと思われます。
興安嶺山脈の山奥に住んでいる人々の話です。
新京から蒙古の方へ行く時に、興安嶺山脈を越える必要がありました。
それを越えると、ジャイアント馬場の歌で有名な国境の町『満州里』というわけです。
興安嶺は非常に深い山で、そこには少数民族が住んでいたそうです。
オロチと呼ばれていたと。
今調べてみると、『オロチョン』でしょうね。
彼らの言い伝えで、
「森の中で悪いことを言うな」
というものがあったそうです。
そのようなことをすると、森から何かがついてきてよくないことが起こるのだと。
人が死んだり、病気になったり、流産をしたり、獲物が捕れなくなったりすると。
これだけの話です。
日本でも、縁起の悪いことを言うな!本当になるぞ!という戒めがありますね。
オロチョンたちは蒙古人や満州人とは違い、かなりロシア化されていたそうです。
特に、食器、衣服の一部など。
ロシア語を解するものもいたとか。
使っている猟銃もロシア製だったそうです。
オロチョンは狩猟民で、銃が普及していました。
使っている銃はベルダンと言ったそうです。
単純な単発銃で、再装填に時間がかかるものだったと。
じじいは銃の扱いに慣れていたらしく、これに興味を持って詳しく聞き取っています。
彼らは依託?射撃で猟を行っていたそうです。
1メートルほどの二本の棒を組み合わせて、それで銃を支えて撃つ方法だとか。
(メモが不明瞭です。たぶんこんな感じでしょう)
彼らは蒙古人と同様、非常に視力が良かったのです。
一発で獲物をしとめたそうです。
連発銃ではなかったので、一発で仕留める必要があったのでしょう。
今もその人々はいるのでしょうか?

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悪臭

779 :本当にあった怖い名無し:2019/06/28(金) 17:19:08.86 ID:8Nr6jLQ+0.net
石じじいの話です。

蒙古の話で、ある谷に迷い込むと死ぬ、という話をしたことがありましたね。
似たような話です。
これも興安嶺に住むオロチョンの話でしょう。
森の中では数十年に一度、ものすごく臭い匂いがあたりに立ち込めることがあったそうです。
それは非常な悪臭で、最初ほとんどの人が吐いたそうです。
肉が腐った匂いのようだったと。
そして、大量のハエが繁殖して、生活にも支障がでたのだそうです。
あたり一帯が臭うので、どこが発生源をつきつめることができない。
非常に臭いので、誰も探そうとしない。
ひたすら収まるのを我慢して待つのだ、と。
ある人が言うには、森の神が死んで、その死体が腐るのだ。
ある人が言うには、地面の中に大昔の動物の死体が凍って残っていて、それが暑い夏のときに地面の露出して腐るのだ。
その埋まっている死体には、見たこともない太古の人間のものもあるのだ。
別に伝染病がはやるというわけではありませんでしたが、その悪臭には辟易していたと。

暑い夏に出てくるのは、映画プレデターのようですね。

地蔵

788 :本当にあった怖い名無し:2019/06/29(土) 16:28:31.42 ID:FqwYvKlR0.net
石じじいの話です。

学校関係の話をひとつ。
学校、病院(入院)、軍隊(昔)の3つは怪談話が頻繁に語られる場所です。
誰もが、望まず強制的に収容され上からの命令に縛り付けられる、というストレスがそれを生むのかもしれません。
昔、ある学校の学校の敷地用地の造成を行った時に、たくさんの地蔵が出土しました。
当時は廃仏毀釈の考えが残っていたのか、それに小便を引っ掛ける、その上に腰掛けるという狼藉をして、最後には、砕いて捨ててしまったそうです。
祟りがあるのでは?と恐れた人もいたようですが、迷信は撲滅すべきという教育のため学校関係者は相手にせず。
地蔵は仏さまだから祟らないだろう、祟るのは神道の神様だけだ、とポジティブに考える人もいました。
そのうち、作業をした人夫たちの幾人かが死ぬ、
学校の事務長が死ぬ、
祟りだと学校長に忠告する者もいましたが、校長はもちろん相手にせず。
その校長も死ぬ。
これはいかんということで、学校の校舎の脇に新しい地蔵を祀ったところ、その「祟り」はいちおうおさまったようです。
時代を経て、その近くに植わっていた樹木が、その地蔵を取り込んで大木となり、校舎の邪魔になり始めました。
この木を伐採しようということになりましたが、大昔の話が伝わっていて、切ると祟りがあるのでは?と恐れたそうです。
結局、樹木は切り倒されませんでした。
その大木は、珍しいということで、昭和三十年代ごろまで、地蔵と一緒に校舎の脇にありました。
しかし、その後、切り倒されて地蔵もどこかへ移された(廃棄された?)そうです。

石の仏像

792 :本当にあった怖い名無し:2019/06/30(日) 21:49:34.46 ID:MXakxkNX0.net
石じじいの話です。

ある村で、ため池の対岸にある古いお堂に新しい石の仏像を安置することになりました。
お堂は長い間放っておかれていて、そこまでの道がもうないので、仏像の運搬がたいへんです。
それで、木材を組んで筏を組んで最短距離で運ぼうということになりました。
運んでいると、素人細工でなので、途中で綱が緩んで筏が2つに割れて仏像が落ちて沈んでしまったそうです。
ため池なので水深は浅いのですが、引き上げるのは大変です。
農作業で忙しいというので、それ以上の作業は後回しにしようということになりました。
その後、ずるずると引き上げ作業をしないままになってしまったのです。
ある夜、その池に夜釣りに来ると、だれかが泳いでいる。
危ないので呼びかけてもこたえはありません。
村人は、これは仏様がはやくどうにかしろ、と言っているのではないか?
引き上げないといけない。
と思って、作業をすることにしました。
一人が仏が沈んだところに潜ってみました。
水はそれほど濁ってはなかったのですが、どこにも仏像はありません。
鉄の棒であたりの水底を探ってもない。
そうしているうちに、濁った水の中からぬっと仏像の顔が出てきて、その人の顔をのぞきこみました。
そして、その仏は、長い手足を上手に動かして泳ぎ去ったそうです。
上から見ている人も、なにか大きな黒い影が水中を泳ぎ去ったと言いました。
潜っている人が泳いでいるのかと思ったそうです。
もう一度別の人が潜ってみました。
仏と水中で対面した人は、腰を抜かして溺れかけていたからです。
仏はいませんでした。
村人は、仏様が怒って、どこかへ行ってしまわれたのだと恐れました。
そこで、お堂までの道をあたらしく作って新しい仏像をまつったそうです。
そこの池では、その後、釣りをしないことと決められたそうです。
この話を聞いて、じじいは夕暮れ時にそのお堂に拝みにいきました。
拝んでいると突然背後の池の水面で、じゃばっと大きな音がして、驚いてふり向くと、水面に大きな波紋ができていました。
まだ仏がいるのか?!と少し不安に思い、そこを早々と後にしました。
お供えものを池に投げ入れようかと思いましたが、かえって、それはあまりにも無礼だろうと思いとどまったそうです。

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ゆうれい屋敷

875 :本当にあった怖い名無し:2019/08/12(月) 17:53:45.16 ID:zqSZ4dX/0.net
石じじいの話です。

じじいは、国内外各地(国外といっても朝鮮、満州、蒙古ですが)を歩いた時、いろいろな「ゆうれい屋敷」を見たり聞いたりしたそうです。
それぞれの「屋敷」の話は、私のメモのいろいろなところに断片的に記録されているので、それら一部をまとめてみましょう。

(1)じじいの古い家
これは、以前お話ししました。死んだ母親の残像が出てくるというやつです。

(2)すべての出入り口と窓が内部からがっちりと閉じられている家
出入り口を閉じた後、どうやって出たのか?
老夫婦が住んでいたそうですが、ある日突然、密閉状態になったと。
「あけてなかにはいってみんのかな?」と近所の人に尋ねたそうですが、曖昧な返事だったそうです。
まあ、夜逃げでしょうかね。

(3)畳が湿る家
奥の八畳間の中心部の畳が気がついたら、じっとりと湿っているという。
床が高いので、床下に入って調べても何もなかった。
雨漏りもなし。
誰かが隠れて水を垂らしているのでは?と考えられましたが、そうでもなかったそうです。

(4)屋根を歩く人
夜、便所に行くために外に出ると、かわら屋根の上をがたがたと歩く音が聞こえたそうです。
懐中電灯で照らしても誰も何もいない。
夜行性の野生動物だったのかもしれませんが、目に見えないものが歩いているようだったと。

(5)かつて住んだ人の幽霊が出る屋敷
今まで住んだ人の幽霊が出るのだそうです。
その中には、存命の人もいたので「生き霊」も混じっていたのでしょう。
これ、同じような話があるようです。

(6)鴨居に不思議なお札がある家
お札が天井近くに貼ってあって、昔からそれを剥がすと住んでいる人が死ぬ、という言い伝えのある家があったそうです。
そのお札は、周辺の寺院、神社には見られないもので、また文字も読めないものだったと。
旅の行者がくれた、という話もありましたが、はっきりとしたことはわかりませんでした。

876 :本当にあった怖い名無し:2019/08/12(月) 17:54:03.14 ID:zqSZ4dX/0.net
(7)地下室のある古民家
古い百姓屋敷でしたが、そこに立派な地下室があったそうです。
それは、地盤の泥岩を深く広く掘り抜いたものでした。
岩石に興味があったのでじじいは入ってみたそうですが、
真っ黒な硬い泥岩が真四角に正確に掘り抜かれていて、四面の岩石壁に人間の姿をうつしたレリーフ?が彫ってあったそうです。
とんでもなく臭い匂いで充満していました。
入り口は厚い板で閉じられていまて、階段がないので綱をつたって出入りしたそうです。

(8)幽霊?の写る座敷がある家
十二畳の座敷の襖の前で人の写真を撮ると、その背景(襖)に、いくつかの人の影が浮かび出たそうです。
人が立たずに襖だけを撮影しても、その影は写らない。
撮影するごとに毎回、写り込む影の位置や形、大きさが異なるのです。
薄気味悪いのですが、その家の住人は、正月にその襖のまえで着飾って家族写真を撮影していたそうです。
頼まれる写真屋さんは嫌だったのですが、商売なのでしかたがありません。
写真屋さんに写した写真乾板が残っていたらしいのですが、どうなったことやら。

(9)生き物が死ぬ部屋がある家
ある座敷に生き物が入るとすべて死ぬらしいのです。
人が入ってもなんともないのですが、他の生物が死ぬ。
走り込んだ猫がすぐに死ぬ。
ネズミが死ぬ。
ムカデが死ぬ。
クモが死ぬ。
夏に障子を開け放っているときにトンボが飛び込んできて、ぱたりと落ちて死ぬ。
植物は枯れなかったそうです。
しかし、なまもの(料理や肉など)は、腐らずに長期に保存ができたそうです。
家の人は重宝していました。

(10)柱に切り傷がある家
別に背比べで印をつけたものではなく、なにか大きな刃物でつけたような傷だったと。
傷のついた柱は2本で、別の部屋のものだったと。
街中の中古の家だったのですが、前の住人になにかあった、という話は聞かなかったそうです。

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台風の時に帰ってくる

877 :本当にあった怖い名無し:2019/08/12(月) 18:06:42.92 ID:zqSZ4dX/0.net
石じじいの話です。

じじいの住む地方は、頻繁に台風がやって来ました。現在でも。

台風の時に帰ってくる人たちがいたそうです。
これは、いくつかの村がある山間部での出来事です。
台風が来て、戸締りをして家の中で警戒していると、雨戸を叩く音がします。
ドンドンドン
「XXちゃん、わたしよ、おばあちゃんよ、帰ってきたい、はようあけてや」
おばあちゃん、20年前に死んどるが。
「あけてくれんと濡れてしまわい、あけてや、おみやげもこうてきたんで、おはぎもつくってきたい」
死人が訪れて来た家の人は、絶対に入り口を開けなかったそうです。
さらに、年によっては死人以外の人間?もやって来ました。
「XXさん、役場からきたんよ、げんきでやっとるかな、ごはんたべよるかな、あつうなったなあ」
台風の時に安否確認のために役場の人間がやってくることは、まあ、不自然では無いのですが、その人間?の話す内容がちぐはぐでおかしい。
当然、村人たちは相手にしませんでした。
まったく知らない人も来たそうです。
「XXさん、おそうなってすまんかったな、拝みにきたい、今年は初盆やけん、お船流しに来んといけんで」
その村のお寺の住職さんの声とは違う。
台風が来ると毎回、どこかの村のどこかの家に帰って来た(やって来た)そうです。
夜、昼、関係なく来る。
小一時間ほどでいなくなる者もいれば、数時間もねばる者もいたそうです。
今年も、どこかに来るのでしょうか?

じじいノート その10

881 :本当にあった怖い名無し:2019/08/12(月) 23:13:33.45 ID:zqSZ4dX/0.net
石じじいの話です。

とても短いメモをいくつか。
ある家を訪れた時、座敷で話をしていると子供のすすり泣きが聞こえてきます。
どうも、押入れから聞こえてくるらしい。
じじいが押し入れを気にしていることを察した主人は、その押し入れを開けました。
中には、子供などいません。
「弟は六つで死にましたが、いまでもこうして押し入れで泣くのです。」

ある家の庭さきには大きな柿の木がそびえていました。
そこに、その家や近所の子供達がのぼって遊んでいました。
じじいのふるさとでは、庭さきに柿の木が植わっているのはごく普通でした。
しかし、柿の木は折れやすいので、のぼるな!柿の木から落ちたら三年後に死ぬぞ!と子供をいましめていました。
その家の主人によると、その柿の木で、先代とその妻が首をつったそうです。
その主人も、その後、つったそうです。

ある人が、旧友から手紙をもらいました。
自分の近況を伝えて、受取人の安否を心配し、なつかしい昔の思い出にたのしく触れた、とても心地の良い手紙だったそうです。
その手紙には追伸があり、これから自分(差出人)は死ぬ、とありました。
手紙を読んだ男性は、おどろき、大急ぎで近くの店屋から市外電話をかけたのですが、はたして、その手紙の差出人は数日に自殺していたそうです。

人工食料

883 :本当にあった怖い名無し:2019/08/12(月) 23:34:15.53 ID:zqSZ4dX/0.net
石じじいの話です。

中国地方を石探しに歩いた時、ある老人に会ったそうです。
その人の家に招かれたのですが、その家屋は、当時としては珍しいコンクリート建築でした。
その人が言うには、土台から自分一人で建てたのだ、と。
外装は荒削りで綺麗ではなかったのですが、内部は非常に立派で清潔でした。
家の一部には、「実験室」があったそうです。
その実験室には、たくさんの実験器具や文献、おおきな金属容器(風呂桶のようなもの)が揃っていました。
また、金属の扉で次の部屋や納戸がさかいされていたと。
実験室には、ほんのわずかながら、なにか肉の匂いが漂っていました。
さらに、発電機も備わっていたそうです。
その男性は熱く語り始めました。
わたしは、「人工食料」を研究しているのだ。
これが完成すると、食糧難が解決されるのだ。
飢饉が来ても大丈夫なのだ。
あの、10年前の戦後の食料難での、多くの子供たちの餓死も起こりはしないのだ。
その研究は完成したのか?とじじいが尋ねると、その男性は、もう一息だ、と。
しかし、彼は、その人口食料をじじいに見せることはありませんでした。
原料は何か?と尋ねたところ、その人は、ある種のタンパク質だ、ということでした。
じじいは、原料がタンパク質で、それが人工食料になる、というのも無駄な話だと思いましたが、
まあ、醤油のようなもんかいな?と思ったそうです。

話がはすんで遅くなったので、じじいはその家に一泊させてもらうことになりました。
夕食は、男性の奥さんのとても美味しい料理をいただいたそうです。
けんちん汁、フライ、当時としてはめずらしいハンバーグ。
翌日、礼を述べてじじいは石探しの旅を続けました。
出発して、すぐに、じじいは腹をくだしてしまい、その後の旅で往生したそうです。

皮袋

907 :本当にあった怖い名無し:2019/08/18(日) 20:27:26.14 ID:uvmG6uRk0.net
石じじいの話です。

これは蒙古の話のようです。話の舞台が不明ですが、遊牧民が出てくるので、朝鮮での話ではないでしょう。
遊牧民がこんな話してくれたのだそうです。

ある家(といってもゲルという移動式テントですが)を訪れた人が、その入り口にある皮袋を見たところ、それは人間の皮だったそうです。
そのような皮袋は、家畜の皮で作り、馬乳酒を作るのにつかわれたのだとか。また、井戸から水を組むバケツがわりに使われたのだとか。
なぜそれが人の皮だとわかったかというと、その皮袋には腕も脚もついていたからです。
頭の部分は切断されてなくなっていた、その断面がそそぎぐちになっていました。
他の動物で皮袋を作るのと同じ方法で、頭を切って、そこから体の肉と骨をほじくり出して、袋にしたのだろうと思ったそうです。
皮袋には大きな縫い目がなかったのです。
すわ、この家のものたちはマハチンかっ!とその人は身構えました。
人間袋に気がついたことを、その家の人たちにさとられるとまずいので、我慢してしらばっくれていたそうです。
そうして、逃げ出す機会をさぐっていたと。
ゲルには子供がいましたが、その子が鼓を鳴らして遊んでいます。
その鼓をよく見ると、それは人間の頭蓋骨を割ったものに皮をはったものだったそうです。
蒙古人が信じるラマ教では、処女の大腿骨で笛を作る、ということがあったそうですが、それとはちょっと違う。
これは自分も太鼓になるかも知れんと思って、その人は便所に行くふりをしてゲルを出て、一目散に馬にのって逃げ出したそうです。
幸運にも、自分の馬がどこかへ隠されていた、ということはなかったのです。

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城壁

908 :本当にあった怖い名無し:2019/08/18(日) 20:29:54.17 ID:uvmG6uRk0.net
石じじいの話です。

これは満州の話です。
満州には、旧石器時代からはじまり各歴史時代の多くの遺跡があるのだそうです。
どるめん、と呼ばれる巨石を組んだ墓も多いのです。
契丹人の国、遼の時代の城壁が多く、それが、のちの金の時代にも人々によって再利用されていたとか。
満州に領土を有していた高句麗時代の城壁も多く、その城壁遺跡に寄りかかるようにして当時の満州人が家を建てていたそうです。
城壁を自分たちの家の一部(耐力壁?)として使っていたわけです。
そのような家には、よく化け物がでたそうです。
家の中で、城壁の方向にある部屋や城壁それ自体から夜な夜な人型の黒いものが出てきて、何かを話し訴えかけるのだそうです。
満州人にはその言葉は全く理解できなかったと。
近くに住む朝鮮人も理解できませんでした。
これはお祓いしかない、ということで祈祷師に頼んで拝んでもらっても効果なし。
道士をよんで、お祓いさせても効果なし。
道士の場合など、お祓いの後、数ヶ月して死んでしまったそうです。
まあ、その因果関係はあやしいのですが。
どうしても出没がおさまらないので城壁の別のところに家を移したところ、その化け物は出なくなったということでした。
どうも、城壁の特定の場所で、そのような黒い人間が出ていたようです。
そのような満州人の村では、城壁遺跡のギリギリまで耕してコウリャン畑にしていたので、耕作作業中にいろいろな考古遺物が出土したそうです。
それらは、当時の日本人によって、さかんに購入されていました。

海・山にまつわる怖い話・不思議な話 2 http://toro.2ch.sc/test/read.cgi/occult/1535920044/

「石じじいシリーズまとめ その4」に続く

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