師匠シリーズ

【師匠シリーズ】心霊写真2

【霊感持ちの】シリーズ物総合【友人・知人】

97 :心霊写真2  ◆9mBD/1hPvk :2013/03/01(金) 23:26:49.04 ID:fdt0E6Bd0
畳敷きの和室に着物姿の男が座っていて、その回りを囲むように軍服を着た男たちが正座をして背筋を伸ばしている。
軍服たちは誰もみな若い。揃って微笑みの一つも浮かべず、ただ何か強い意思を秘めたような瞳をしている。
数えると軍服たちはちょうど十人いた。
着物姿の男と合わせると、十一人が和室の上座側の壁を背にしてこちらを向いている構図だった。
背後の壁には鳥が飛んでいる掛け軸が見える。
古い写真だ。白黒コピーの前も、元からカラーではなかったことが推測できる。
戦時中に撮られたものだろうか。
師匠は怪訝な顔で、その写真の中ほどを見つめている。
着物姿の男がいるあたりだ。いや、正確にはその男の顔のあたりを見ている。
顔を見ている、と断言できないのは、その着物姿の男の顔は大きく歪んで黒く潰れたような画質になっているためだった。
体つきや服装で、男であること、そして周囲の軍服たちほど若くはないことも明らかだったが、
どんな顔をしているのか全く分からなかった。
「その顔は違う。ただの複写ミスです。そんなことは分かっている。そんなことで霊能者を頼ろうとは思わない」
その顔のことではない。松浦はもう一度そう言った。
表情は変わらないが、まるで照れを隠しているように思えて、僕は少しこのヤクザに親近感を持った。
もう一度良く見ると、画像の歪みは着物姿の男の顔だけではなく、写真の中央のライン全体に渡って発生していた。
「順序だてて説明する必要があります。
 田村がこの複写の原本である写真をもたらしたのは昨日の朝。ある弁護士事務所のオフィスに持参してきたのです。
 その弁護士は我々の顧問を引き受けてくれている人物なのですが、田村はそれを知っていて、
 我々との交渉の端緒として、その弁護士事務所を選んだということです。
 確かにこんなもの……」
松浦はコピーを蔑んだような眼で見ながら、ふんと笑った。
「我々に見せたところで、その価値に気づくはずがない。特に若い衆などはね。田村は賢明でしたよ。
 弁護士先生はその手の話のマニアでね。
 アポイントもなしに訪ねて来た男の与太話から、ことの重要性を見抜いてすぐ私に連絡をくれました。
 『不発弾が出てきた』と。『それも核爆弾のだ』とも言ってましたっけ」
松浦はスーツの胸の内ポケットに手を入れ、一冊の本を取り出した。

98 :心霊写真2  ◆9mBD/1hPvk :2013/03/01(金) 23:32:20.80 ID:fdt0E6Bd0
文庫本だ。ページのところどころに付箋がついている。
『消えた大逆事件』
そんなタイトルが表紙に見える。
「この本はその弁護士先生に教えてもらったんですがね。なかなか興味深いものでした。
 大逆事件、というものを聞いたことがありますか」
大逆事件か。日本史で習ったことがあるような気がするが、はっきりとは覚えていなかった。
「天皇や皇太子など、皇族に危害を加えようとすることです。戦前の刑法では大逆罪として極刑に値する罪とされています。
 現人神であった天皇陛下にそんな恐れ多いことをするなんて、当時としては今よりも遥かに重い大罪ですよ。
 その大逆事件としては、主に四つの事件が知られているようです。
 1910年の、社会主義者らによる明治天皇暗殺計画。1923年の、社会主義者・難波大助の起こした皇太子狙撃事件。
 1925年の、朝鮮人アナーキスト・朴烈とその愛人、文子が計画したとされる大正天皇襲撃計画。
 そして1932年の、抗日武装組織の闘士、李奉昌による昭和天皇襲撃事件」
松浦は親指から四本の指を順に折り、最後に残った小指を立てたまま続ける。
「いずれも失敗に終わっていますが、社会に与えた衝撃は非常に大きいものでした。
 内閣の責任問題となり、総辞職に至ったものもありますし、
 また一番有名な1910年のいわゆる幸徳事件では、幸徳秋水ら社会主義者の徹底弾圧にもつながりました。
 実際は、視察にやって来た皇族に危害を加えようとして、取り押さえられるような、
 突発的ケースなど、もっとあったはずです。
 しかし大逆事件として裁かれるのは、その行動に相応しい禍々しい背景と、高度に政治的な判断があってこそです。
 『ヤマザキ、天皇を撃て』の奥崎何某のように、
 ただ目立ちたいがためにパチンコで天皇を狙撃するなどの、しようもない事件は、
 たとえ大逆罪がまだ存在したころに起こったとしても、その適用はなかったでしょう。
 本来の大逆事件とは、社会主義者、無政府主義者の台頭、そして朝鮮独立運動の激化といった反政府的な背景があり、
 それに対して断固たる対処をするという、意思表示の場でもあったのです」
松浦は文庫本のページを捲りながら淡々と喋っている。
だが、その眼は洞穴のようにひっそりと静まり返っていて、文字など追っていないように見えた。

99 :心霊写真2  ◆9mBD/1hPvk :2013/03/01(金) 23:35:22.98 ID:fdt0E6Bd0
ただ、書かれている内容をなぞっているだけだ、というポーズのためだけに本を開いているような。そんな印象を受けた。
だとしたら、松浦は本の内容を記憶しているということだ。
ただでさえ暴力の世界に身を置いている人間という非日常的な存在だというのに、
さらにそこからもはみ出している異質さを感じて、僕は得体の知れないものを見る思いがした。
また一枚、ページが捲られる。
「ところが、です。
 政治背景のない衝動的な安っぽい暴挙ではなく、重要な意味を持つ計画的な策謀だったというのに、
 大逆事件として歴史に残っていない、一つの不可解な出来事がありました。
 昭和14年の夏のことです。
 昭和12年に起こった盧溝橋事件から、泥沼の日中戦争に突き進みつつあった当時の日本は、
 ソ連、アメリカとも衝突は不可避の状況にありながらも、未だ真珠湾攻撃には至らず、
 また欧州では、世界を二分する最悪の大戦争、第二次世界大戦の前夜という際どい時期にありました。
 そんな折、北関東で行われる観兵式のためにお召し列車が出ることになり、
 警察の警護の元、天皇陛下のご一行が皇居を出立し、東京駅へ向かっているその途上で事件は起こりました。
 銃器で武装された集団により、鹵簿(ろぼ)が襲撃されたのです。
 わずか十名程度のその武装集団の動きは非常に統制されており、
 警護の警察の部隊と陛下ご搭乗の自動車を分断することに成功したそうです。
 しかし、陛下の車に銃弾が届く前に、陸軍の近衛歩兵連隊所属の部隊が駆けつけ、
 すんでのところで武装集団は鎮圧されました。
 未遂に終わったにせよ、本来であれば大事件です。
 大逆事件として法の裁きを受けるのみならず、その行動の背景にある不穏なもろもろのものを巻き込んで、
 大粛清の嵐が吹き荒れるほどの出来事だったはずなのですが…… 
 問題はその武装集団が、現役の軍人、それもすべて陸軍の若き将校ばかりで構成されていたという事実にありました。
 天皇の統帥権の下に存在するはずの、帝国陸軍の将校が、その天皇の命を狙ったのです。
 このとてつもないスキャンダルは、白昼の事件にも関わらず、即座に闇に葬られることとなりました。
 対中戦争のみならず、全方位戦争へと突き進みつつあった当時の大日本帝国において、
 この大逆事件と、それを生んだ背景など存在してはならないものだったのです。
 これが仮に、陸軍と海軍の軋轢から生まれた事件だったならば、
 陸軍がいかに揉み消そうとしても成功しなかったでしょう。
 しかし、この事件には、陸軍も海軍も、そして政界や財界に至るまで、既存のいかなる勢力も関与していませんでした。
 それゆえに、この暴挙は正式な裁判に掛けられることもなく、
 徹底した緘口令の元、秘密裏に処理されることとなったのです」

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100 :心霊写真2 トリ間違いでした ◆oJUBn2VTGE :2013/03/01(金) 23:37:46.88 ID:fdt0E6Bd0
松浦が、一本だけ残っていた小指をゆっくりと折った。
隠された五つ目の大逆事件、という意味なのだろう。
「いくら戦時中とはいえ、実際に武装衝突を伴ったそんな大事件を揉み消せるものなのか」
師匠が至極当然の疑問を口にする。
「もちろん、不可能です。どれほどの人間が『処分』されたのかは、はっきりしませんが、
 軍が血道を上げたところで、遅かれ早かれそれを語る人間が出てきます。
 戦後になってから、その事件の研究が成され、こうして本にもなっているのですから」
松浦は手にした文庫本の表紙をもう一度こちらに向けた。
「しかし、その陸軍の将校たちは、何故そんな襲撃事件を起こしたのか、
 捕縛された後の尋問にも、一切口を割らなかったとされています。
 そしてそのまま全員が処刑されている。
 彼らの動機については、後世の研究においても判然としていないようです。
 一般的には、社会主義運動の影響下にあったとされているようですが、
 加担した将校たち個々人の人となりを掘り進めて行くにつけ、そうした影が全く見えてこないのです。
 というよりも、まったく何一つ、彼らが天皇を襲撃・殺害するような理由など、ないはずなのです。
 この本をまとめた作者は、昭和14年、つまり1939年に起きたこの事件を、
 それに遡ること三年前、1936年に起きた二・二六事件と対比させて語っているのですがね。
 陸軍皇道派の青年将校が起こした、君側の奸たる中央幕僚を除かんとするクーデターだった二・二六に対して、
 1939年の大逆事件は明白な思想的背景がない。
 このことを著者は、『北一輝がいない』と表現しています」
「北一輝……」

101 :心霊写真2  ◆oJUBn2VTGE :2013/03/01(金) 23:43:15.00 ID:fdt0E6Bd0
師匠はその名前を呟き、なにか察したような顔をした。松浦も少しだけ眉を上げる。
「そうです。『怪物』、『隻眼の魔王』などと称された、社会主義者にして国家主義者。そして宗教家。
 著作『日本改造法案大綱』は、そのころ高度国防国家を目指す陸軍統制派と反目し、
 財閥資本と癒着する政治腐敗を看過できない、皇道派青年将校たちの鬱屈したフラストレーションを、
 クーデターへと駆り立てたと言われています。
 つまり、二・二六の理論的な首謀者、思想的背景と言える人物であり、
 クーデターが昭和天皇により賊軍と見なされたがために、成就することなく鎮圧された後、
 それに連座する形で死刑を賜っています」
松浦は頁に目を落としたまま、その視線を全く動かすことなく淡々と語った。
「それに対し、この消された大逆事件のリーダーと目された人物は、実行犯でもある岩川雅臣という陸軍大尉で、
 近衛歩兵第四連隊旗下の中隊長でした。
 事件当時三十歳。
 取り立てて思想的な偏りをもたず、連帯して取調べを受けた上司である佐官たちも、
 『なぜこの男が』と困惑するばかりだったそうです。
 そして他のメンバーもすべて三十歳前後の陸軍尉官ばかりでしたが、
 大隊や連隊を同じくするものはほとんどおらず、彼らがどのようにつながりをもっていたのかも判然としません。
 この事実は、陸軍内でもある種の戦慄を持って迎えられました。
 今上天皇を襲撃するという大罪を犯すのに、彼らの思考は、脳の中は、あまりに空虚だったのです。
 群れた青年将校が、理由なく大逆事件を起こす……そんなことは二重の意味であってはならないことでした。
 だからこそ彼らは、歴史の闇の中に葬られたのです」
しかし。そう言いながら松浦は本を閉じ、師匠の持つ写真のコピーに目をやる。
「田村がもたらしたその写真に写る、軍服姿の男たちは、
 岩川以下、ほぼすべて消された大逆事件に連座した将校、つまり実行犯たちです。
 この本にも出ていますが、一人ひとりは、当時の様々な資料から顔写真が判明しています。
 しかし隊も違う彼らが一同に会した、このような写真は今まで世に現れていませんでした。
 恐るべき青春の肖像と言えるでしょう。そしてここにいる、人物」
松浦は身を乗り出し、写真の中心部を指さした。

102 :心霊写真2  ◆oJUBn2VTGE :2013/03/02(土) 00:01:30.97 ID:fdt0E6Bd0
「彼ら青年将校たちをまるで付き従えるように中央に座り、腕を組むこの和装の男こそ、
 この事件をめぐる、後世のどの研究にも出てこない影の首謀者。
 いないと言われた『北一輝』に他なりません」
偶然……なはずはない。
事件を起こした所属の違う青年将校たちが、こうして一室に集まって写真に写っているのだ。
そこに居合わせた人物が無関係なはずはない。
間違いなく、彼らを扇動した男なのだろう。昭和史に欠け落ちたピースだ。
僕は予想外に大きく、そしてヤバさを増した話に、緊張で手のひらがじわりと汗ばむのを感じた。
話の流れから、もうその和服姿の男が誰なのか分かってしまったからだ。
「それが『老人』か」と師匠がぼそりと言うと、松浦が「角南大悟です」と後を受けた。
「この青年将校たちの着る軍服は、昭和13年制式と呼ばれるものだそうです。
 そのことから昭和13年、つまり1938年から、事件が起きた1939年までの間に、
 撮影されたものだということが推測できます。
 軍とは無関係の名家の出でありながら、陸軍士官学校に進学し、狭き門である陸軍大学校にも合格。
 卒業の際には、わずか成績上位六名のみに与えられるという、恩賜の軍刀を授受した角南大悟は、
 陸軍大佐にまで昇進した後、胸を病み、予備役として一線を退きます。
 そしてこの1938年から39年のこの時期、
 彼は五十代後半で、座間にあった陸軍士官学校の教官の任についていました。
 正確には1928年から教官の職にありました。
 主に、戦地における地形に関する課目を受け持っていたようです。
 重要なのは、この青年将校たちが、全員陸軍士官学校の卒業生であり、
 時期的にも、教官・角南大悟の教えを受けていたであろうという事実です。
 もっとも、陸軍の幹部候補生は、すべからく陸軍士官学校を出ているものであり、
 ただ陸軍士官学校生だったというだけで、実行犯である彼ら青年将校らを結びつけるヒントにはならないはずでした。
 ただ、元教官である角南大悟と彼らとが、
 大逆事件の年かその前年に、こうして一緒に写っているこのような写真が出てくると、話は全く変わってきます。
 もし仮に、陸軍士官学校時代に、岩川たちが角南大悟の教えを受け、その信奉者となり、
 卒業後もその助言・讒言に従うがままに、今上天皇陛下を弑逆しようとしたならば、
 実行犯でなくとも当然に連座し、思想的首謀者として死罪に値します。
 刑法から大逆罪が消え去った現代においても、その罪はとてつもなく重い。
 敗戦を経てなお、天皇という王を国民の上にいただくこの国においては、ね」

103 :心霊写真2  ◆oJUBn2VTGE :2013/03/02(土) 00:03:06.10 ID:v75nDQty0
「確かにスキャンダルだな。選挙どころの話じゃない」
師匠はぼそりと言った。
「これが公になれば、事件当時二十歳と十八歳であり、すでに成人していた息子の角南総一郎と盛高の二人にも、
 世間の非難の矛先は向かうでしょう。
 この写真一枚で、角南一族の命運は大きく変わることになります」
ですが、と松浦は声を落とした。
「この写真をどのようにしてか手に入れた田村は、我々の顧問弁護士の事務所に現れ、取り引きの仲介を依頼します。
 単に金が欲しいのであれば、角南家を強請ればいいはずです。
 誘拐事件の身代金どころではない、とてつもない金額が積まれることでしょう。
 しかしそうしなかったのは、
 この歴史の闇に葬られた真実を白日の下に晒したい、というルポライターとしての彼なりの想いがあったのかも知れない。
 そして角南家と敵対している、と彼が思い込んでいた我々の元へとやってくるのです。
 弁護士は冷静に状況を判断し、私に連絡をします。
 私はすぐに近くにいた若い衆を向かわせました。
 その写真の公表を条件に、あとは幾らで譲り渡すか、その腹の読み合いをしていた、いや、しているつもりだった田村は、
 現れた若い衆を見て、自分の読み違いを悟ります。
 つまり、我々もその写真を握りつぶす腹だということをね。
 田村は抵抗しましたが取り押さえられ、それを尻目に弁護士は事務所にあったコピー機で写真の複写をとろうとします。
 しかしその複写が完了する前に、一瞬の隙をついて田村が若い衆を振りほどき、
 弁護士を突き飛ばして写真を奪い返します。
 そして逃走したのです」
松浦は指を交互に組んで淡々と語る。
「若い衆ともみ合いになった時に、腹を怪我していた田村ですが、逃げ込んだこちらの事務所で応急処置をされ、
 その後も逃走したまま捕まらないでいます」
余計なことを、とも言わず、ただ事実として語っているような口調だった。
「我々の元に残された、この失敗した複写。肝心の『老人』、角南大悟の顔が黒く潰れて写っていないのです。
 これでは、毒としての価値は極めて弱いものとなります。
 早急に、本物を持って逃走を続けている田村を押さえる必要があるのです」

104 :心霊写真2  ◆oJUBn2VTGE :2013/03/02(土) 00:06:21.40 ID:v75nDQty0
「ちょっと待て、田村を押さえる必要があるのは、本物のスキャンダル写真を公表されたくないからだろう。
 なんで、すでに手中にあって握りつぶせるコピーの方の毒性が関係あるんだ。
 まるでそれじゃあ……お前らも、角南家を強請ろうとしているみたいじゃないか」
師匠の問い掛けに、松浦は顔色一つ変えず、なにも答えなかった。
ただ「説明を続けます」とだけ言って、失敗した写真のコピーに目をやった。
「この写真ですが、直接本物を見た弁護士先生の弁では、
 この中央の和装の人物は、間違いなく初老のころの『老人』だったそうです。
 弁護士先生は、まだ『老人』が存命だったころの角南家とも仕事上での付き合いがあった人なので、
 まあ信用していいでしょう。
 またそれだけではなく、我々も裏を取るために、
 角南家につながりのある人間に、この複写の来歴そして人物たちを隠して見せたところ、
 『老人』が陸軍士官学校での教官時代に住んでいた、横浜の別邸の一室で撮られたものに間違いないと証言しました。
 今でもその角南家の別宅は現存しており、この後ろの壁に掛かっている、『寒中飛鳥図』の掛け軸もあるそうです。
 『老人』は本物。大逆事件の実行犯たちも本物。撮影された屋敷も本物。
 なのに、この写真には、不純物とも言える、おかしなところがたった一つだけあるのです」
昨日から言っていた、おかしなところ、か。
一体なんのことか分からないが、松浦が師匠に依頼をしようというのは、
その不純物とやらが、師匠の得意分野、つまり心霊現象がらみのものだからなのだろうというのは想像がついた。
僕は緊張して唾を飲み込んだ。
松浦が口を開く。
「この軍服の襟を見てください。みな階級章をつけています。
 そのすべてに五本の縞が見えますが、これが尉官を表すものです。
 そして中の星の数でさらに階級が分かれます。
 星がなければ准尉、星一つで少尉、二つで中尉、三つで大尉という具合です。
 ここに写っている彼らのものは、すべて二つか三つ。中尉か大尉ということです。
 十人のうち、星三つなのは三人。
 まず、写真に向かって老人の右隣にいる岩川雅臣、そして左隣にいる早田二郎、最後が一番左の隅にいる正岡哲夫。
 残り七人は中尉ということになります。
 先ほど、この写真の男たちは、岩川以下、ほぼすべて消された大逆事件に連座した将校、
 つまり実行犯たちだと説明しましたが、
 たった一人、実行犯ではないものがいます。
 それが、左の隅にいる正岡哲夫大尉です。
 彼の名は、事件後の尋問中、複数のメンバーの口から漏れています。
 『正岡さえいれば』
 口々にそう言っていたそうです。
 そのために、メンバーの中の中心人物の一人として認識され、この研究本の中でも顔写真つきで紹介されています。
 本来であれば、岩川に成り代わって、リーダーの任についていてもおかしくなかったその正岡ですが、
 なぜか実行犯には加わっていません。
 なぜか分かりますか。
 それは、彼がその事件当時、すでに死亡していたからです」

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