師匠シリーズ

【師匠シリーズ】双子 1/4

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 1 羽根川里美

 大学2回生の夏の初めだった。6月も半ばになり、道往く人々の服も軽くなってきた季節。梅雨入りして、むしむしする日が続いていた。
 その日僕は、寝不足でしょぼしょぼする目を擦りながら、バイト先の興信所、小川調査事務所の机に座って書類整理をしていた。
 外は昼下がりに降り始めたばかり雨が、霧雨のように細かい粒を音もなくガラスに振りまいている。
「あー、眠いっ」
 何度目かのひとりごとが、自然に口をついて出てくる。
 ターンッ。という、先輩の服部さんの叩くワープロのキーの音が、そのたびに大きくなる。
 なんだよ。いいじゃないか。眠らないように、自分の眠さを客観的に確認してるんだから。
「眠いんですよ。昨日は、加奈子さんと一晩中寝ないで朝を迎えたんでねっ」
 言ってから、無駄な挑発だったと後悔した。この人はこういう会話にとにかく乗ってこない。完全に無視だ。
 寝ないで朝を迎えたのも、時計の針を延々数え続けるのを手伝わされただけだった。結局なにも変わったことは起きず、ちょっと寝るから、出てけと追い出される始末。
 不毛な時間だったが、同じ大学生たちが徹夜マージャンに明け暮れているのと、大した違いはないだろう。
 ガンガンガンという足音がして、事務所のドアが開いた。
「タオル、タオル」
 その加奈子師匠が、髪の毛をかきあげながら入ってきた。雨で濡れたらしいく、雫が散っている。そして自分のロッカーから取り出したタオルで頭をゴシゴシと拭きながら、「依頼人が来るぞ。お湯を沸かしとけ」と僕に言う。
「所長は?」
「いま下のボストンで話してる。すぐ上がってくるだろ」
 師匠は頭にタオルを被ったまま、スケジュールの書かれたホワイトボードの前で腕組みをしている。
「羽根川、里美。こいつか」
「師匠も呼ばれてたんですか。てことは、『オバケ』ですかね』
オバケというのは、ここのところ、この零細興信所の最大の収入源になりつつある依頼の符牒だ。
炊事場で、ヤカンをコンロにかけながら、ちょっとワクワクしてきた。去年から心霊スポットやいわくつきの怪異を求めて散々うろうろしてきた僕だが、この興信所にいると向こうから怪現象がやってくるのだ。オバケ専門の調査員である加奈子さんの助手として、それに関わるだけでなく、バイト代までもらえてしまう。最高のバイト先だった。
やがてカンカン、という控えめな足音がして、小川所長がドアから入ってきた。今日も色の薄いグレーのスーツを着ている。人と会ったからか、ネクタイは曲がっていなかった。
「どうぞ。お入り下さい」
所長のうしろから、スラリと背の高い女性が現われた。肩ほどの長さの髪の毛を茶色に染めていて、カジュアルな白いブラウスに、下はデニムのワイドパンツという格好。緊張しているのか、どこか表情は暗い。大学生くらいだろうか。
「失礼します」
 女性には応接用のソファに座ってもらって、その向かいに所長と加奈子さんが腰を下ろした。
「紅茶とコーヒー、どちらがよろしいですか」
 僕がそう訊くと、「あ、じゃあ紅茶を」と言う。やっぱり声がどこかうわずっている。
「羽根川(はねかわ)里美(さとみ)です」
「こちらが担当する調査員の」と所長に振られ、師匠が、「中岡です」と言って、名刺を差し出した。名前と、小川調査事務所の住所・連絡先が書かれただけのシンプルなやつだ。
『霊能者』という肩書がついたジョークバージョンがあるが、さすがに知り合い以外には出さない。
 3人分の紅茶と、小川所長用のコーヒーをテーブルに置いてから、僕も事務用の椅子を引っ張ってきて、師匠のそばに座った。
 羽根川里美と名乗った彼女は、今はフリーターをしていると自己紹介をした。
「さっき簡単に伺いましたが、もう一度依頼内容をお願いできますか」
 小川所長が丁寧な口調で言った。
「あ、ええ。あの…… 私の生き別れの兄を探して欲しいんですけど」
「生き別れの兄?」
師匠がポリポリと額をかいて、問いかける。
「羽根川さん。私をご指名なんですよね。どこかで聞いたんでしょう。私がその……。特殊な依頼が得意だってことを」
「あ、はい」
「仁科さんルートだ」
 小川所長が師匠に耳打ちする。仁科さんは師匠のファンのおばさんだ。商工会やら町内会やら、とにかく異様に顔が広いうえに、物凄いスピーカーを持っているので、この小川調査事務所に様々な『オバケ』案件が舞い込んでくる原因になっている。
「あ、それが……。どこから説明したらいいのか」
 里美さんはまだ緊張しているようで、言い淀んでいた。やけに「あ」が多い。20歳そこそこの年齢で、こんな興信所に1人でやってくるのは、たしかになかなかない経験だろう。無理もないと思ったが、そのぎこちない視線の動きに、ふと、緊張以外の影を見た気がした。
 ああ、これは畏れだな。じっと観察していて、そう直感した。
「あ、これを、見てください」
 里美さんは思い出したように、膝に置いていたハンドバッグから写真を取り出して、テーブルに置いた。
 写真は洋服を着た年配の男性と女性、そして着物を着た小さな女の子が家の前に並んでいるものだった。少し古い色合いをしている。
「私が3歳のときの写真です。七五三のときですね。こっちが父親、こっちが母親のはずです」
「はず?」と師匠が問う。
「母は私が4歳になる前に亡くなりました。交通事故だったと聞いています。だからあんまり母の記憶がないんですよ。特に顔は、写真を見て、ああこんな人だったっけ、って思うくらいです」
「これには、お兄さんが写っていませんね」
「ええ。私に兄がいることがわかったのは、ほんの最近です。母が死んでからは、ずっと私と父の2人暮らしでした」
 里美さんは七五三の写真を手に取り、自分の顔の横にかざして、「どうです? 似ていると思いますか?」と言った。
 喋っているうちに、少し緊張が解けてきたようだった。
「私、ずっとおかしいと思ってたんです。私は今21歳なんですけど、父が46歳、母が42歳のときの子どもです。幼稚園のころも小学校のころも、友だちに父親を見られるたびに、『あれ、おじいちゃん?』なんて、からかわれたことばかり覚えてます。『おまえ、もらわれっ子じゃないのか』とも言われました。ホントにそうなんじゃないか、ってずっと思ってました。でも年がいってるってことだけじゃなくて、顔も似てないんです。ほら」
 写真の顔と並べて見る限り、両親とも顔立ちがふっくらしていて、顎の線まですっきりとしている里美さんとは、たしかに似ていなかった。
「それに、私170センチあるんですけど、父は158センチしかないし、母は145くらいしかなかったって聞いてます」
 写真では里美さんもまだ3歳で小さく、比べるものがないが、たしかに2人とも小柄なようだ。
「養子ですか」
「父はそんなことは言いませんでした。私、訊いたことがあるんです。何度も。でも、おまえは父さんと母さんの子どもだ、って言うんです。嘘だって思ってました。本当は養子なんだろうって。大人になってから、戸籍抄本をとりました。でも、私は実子になっていました。私、ホントは変な想像してたんです。父と母には実は若いころにできた娘がいて、その子が中学とか高校のときに子どもができちゃって、その子ども、つまり私を、父と母の子どもだってことにしたんじゃないかって。なんかドラマでそんな話を見て、思い込んじゃったんですよ」
「まあ、昔はそんなことがたまにあったらしいですね。世間体のために」
 小川所長がぽつりと言った。師匠は固い表情をしている。
「実際には父も母も初婚で、子どもも私ひとりでした。でも戸籍がそうなってるからって思っても、ずっと持ってた疑いは消えないですよ」
 里美さんは興奮して喋りすぎたことに気づいたように、「あ」と言ってソファに深く座り直した。
「で、その生き別れのお兄さんっていうのは?」
 師匠が促すと、またおずおずと口を開く。
「実は去年、父が66歳で亡くなりました。急性の白血病でした。あっという間に、悪くなるんですね、あの病気。元気だった父が、たった2週間で死んだんです。……最後は感染症で、高熱を出して苦しんでました。そのあいだ、せん妄って言うんですか、苦しみながら、よくわからないことを言っていました。そのとき聞いたんです。私は、父の生まれ故郷の岩倉という村から連れてこられた、他人の子どもだって。本当は私には双子の兄がいて、今も岩倉村に住んでるって」
「それが、生き別れの兄ですか」
 師匠がふぅ、と息をついた。
「岩倉村?」
 小川所長が地図を持ってきてテーブルの上で開いた。

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「県北に、笹川町ってあるでしょう。そこの東のほうにあります」
 里美さんが指で地図をなぞる
「ああ、岩倉って地名がありますね。昭和の合併で吸収されたのか」
「父は若いころにその村を出たそうです。父がいたころはまだ岩倉村だったはずです。父の戸籍にもそう書かれていました」
「昭和の大合併は昭和30年前後だから、ええと、お父さんが30歳くらいのころか。その前に村を出たってことですね」
 小川所長が電卓叩いて言った。
「依頼内容はだいたいわかりましたけど」と師匠が口を開く。
「要するに、その生き別れの兄を、岩倉村で探せばいいんですね」
「あ、えと」
 里美さんは、最初のころのように、そこでまた口ごもった。表情に、また緊張が浮かんでいる。
 いや、これは、畏れだ。
「紅茶、おかわり持ってきましょうか」
 いつの間にかあいていたカップを見て、僕は腰を浮かせた。
「あ、はい。すみません。喉がかわいて」
 ううむ。これはまだなにかあるな。
 僕はお盆の上にカップを回収しながら、胸の奥に好奇心がむくむくと湧いてくるのを感じていた。
 師匠がズズズーッと、慌てて目の前の紅茶を飲み干して、炊事場に向かう僕のお盆にカップをのせる。
 こういうところだよ。
 こういうところに、平均的な女子の爪の垢を飲ませたい。
 もう一度、お湯を沸かしていると、師匠が顔を出して、「おい、ラジカセどこ置いたっけ」と言う。
「あのラジカセですか。奥のキャビネットの下のはずです」
「そうか」
 ラジカセをなにに使うんだろう。
 紅茶をいれなおして持っていくと、応接テーブルの上で、師匠がラジカセにカセットを入れるところだった。里美さんが持参したものらしい。
「これは、岩倉村のことを調べていて、県立図書館で見つけた、童歌(わらべうた)集です。県内のいろんな地域の童歌を集めた、20年くらい前のテープですけど、このなかに、岩倉村のものがあるんです」
 里美さんが再生ボタンを押して、何度か早送りをする。
『…うしろの正面、だぁれ……』
 その合間に、そんな歌が聞こえてきた。
「かごめかごめって歌がありまけど、地方によって歌詞がちょっとずつ違うみたいで、その違うのを集めたみたいなテープですね」
 ここです、といって里美さんはラジカセから指を離した。あまりよくない音質で、『笹川町 岩倉』という男性のナレーションのあとに、子どもたちの歌が流れてきた。
『か~ごめ かごめ
 か~ごのな~かの と~り~は
 いついつねやる かたわれどきに
 なぬか などぉって つぅべった
 うしろのしょうめん だぁれ……』
 里美さんが巻き戻しボタンを押し、もう1回流しますね。と言った。
 また同じ歌が流れる。師匠は腕を組んでじっと聞いていた。そして聞き終わると僕に、
「おい、かごめかごめの歌をうたえ」と言った。
 有無を言わせない口調に、衆人環視のもと、しぶしぶ歌う。
「か~ごめ かごめ
 か~ごのな~かの と~り~は
 いついつであう よあけのばんに
 つると かめが すぅべった
 うしろのしょうめん だぁれ……」
 うわあ。なんかすごい嫌。こんな昼間の事務所で、ひとりで見られながら歌うのほんとキツイ。
 歌い終わると師匠は、「違うのは中盤からの部分だな」と言った。
「いついつ出会う、が、いついつ寝やる、になってる。夜明けの晩に、は、かたわれどきに、か。鶴と亀が、って部分は、なぬか、などって、に変わっている。鶴と亀がつべった、ってところは確か、あまり意味のない拍子言葉だって言われてるよな。『なぬか』はたぶん『七日』か。『などって』は方言かな。意味はわからないけど、頭韻を踏んでるだけの拍子言葉の可能性が高い。でも、『いつ出会うのか』、って問いかけが、『いつ寝るのか?』って問いかけになってるのは、意味がありそうだな。あと、その時間が、『夜明けの晩』から『かたわれどき』になってるのも意味深だ」
 師匠は里美さんを見た。
「夕暮れのことを、誰ぞ彼は、って書いて、『たそがれどき』って言うけど、それに対して、明け方の薄暗闇のことを、彼は誰ぞ、で『かわたれどき』と言う。まあ古くはどちらも日暮れ、明け方両方の薄闇をさす言葉だったみたいだけど。この童歌の『かたわれどき』はもしかして、『かわたれどき』と同じ言葉じゃないのか?」
 里美さんは「昔何度か、父に朝早くから魚釣りに連れて行かれたことがありました」と言った。「まだ暗い空を見て、父が、かたわれどき、と呼んでいたことを覚えています」
「いついつねやる、かたわれどきに、ということは、夜明けに寝る、つまり徹夜をするってことだな。なぜ徹夜をするんだろう」
 師匠は童歌の歌詞に興味を持ったようだったが、僕はこの歌が、生き別れの兄を探す話とどう関係しているのか気になった。
「で?」と言ってみると、里美さんがまたハンドバッグを探りはじめ、バインダーを取り出した。今度こそなにか有益な情報だろうか。
「父が、もうろうとしながら言っていたことのなかで、しきりに繰り返していた言葉があります。おまえは、双子だったと。双子の忌み子だったって。だから、うちにもらわれてきたんだと」
 スッ、と開いたページに、なにかの記事のコピーが綴じられていた。
「凄くショックでした。もらわれっ子だってことは、薄々わかっていたことでしたから、そのことはいいんです。でも、忌み子って、忌まわしい子どもって意味でしょう? そんなこと、どうして言われなくちゃならないんだろうって、ほんとに悲しかったです。記憶もないような赤ん坊のころに、どうしてそんな、忌まわしいなんて……。父が死んでから私、調べました。岩倉村のこと。県立図書館とか国立の大学の図書館で。そしたら、この記事を見つけたんです」
『現代の庚申信仰』というタイトルがついている。
「郷土史の研究論文か。書いたのはだれだ、これ。佐藤正継って、聞いたことないな。結構古い記事?」
「あ、ええと、奥付にありますけど、1971年ですね」
 20年くらい前のものか。
「元小学校の校長ね。ふうん。で、これに岩倉村が出てくるんですか」
 師匠がバインダーをパラパラとめくる。どうやら、県内に残る庚申信仰が地方ごとに紹介されているようだ。
 あった。『岩倉』という項目が。岩倉では、古来から数戸から十数戸でなる講が地区ごとにいくつかあり、それらの本尊が青面金剛であることや、『南無阿弥陀仏』という唱えごとから、直会(なおらい)までの作法などが記されていた。ただ、現在ではその講も催されることは稀になっている、と注記がある。
「大ごもり?」
 師匠が興味深そうに読んだ箇所は、一風変わった風習として紹介されている部分だった。
『なお、岩倉地方独特のものとして、大ごもりという習慣がある。七庚申の年や、初庚申、あるいは終庚申(つめこうしん)に平素よりも大掛かりに行うことはよく見られるものであるが、ここでは毎年決まった時期に、近隣の複数の講がひとつところに集まって夜明けまでこもるという。以下に、記録の残っている大ごもりの日付を記す。
・1955年6月29日
・1956年6月28日
・1957年6月29日
・1958年6月29日
・1959年6月29日
・1960年6月28日
……:』
 師匠がそこまで読み上げて、首をかしげた。
「おかしいな。庚申は60日ごとだろ。6回で360日。1年は365日だから、5日余る。その分、翌年の同時期の庚申の日付がズレていくはずじゃないか。前倒しになって。でも、この大ごもりってやつは、6月28日と29日の2種類しかない」
 その後、記事では師匠が指摘した日付の疑問について、触れていなかった。
「おお~い。そこはつっこめよ、研究者」
 イラッとした様子で師匠が毒づいた。
「あ、ええと、その後ろを読んでください」
 興味のある部分にいちいち引っ掛かる師匠に、里美さんが焦れて促した。
「んん? ……また、岩倉地方では、近代においても双子を忌む、興味深い風習があった……」
 双子。里美さんの生き別れの兄は、双子だと言っていた。キーワードになっていた言葉の登場に、師匠の表情が緊張を帯びる。
『男女の双子が生まれると、あとに生まれた方を忌み子として、里子に出すのである。かつては、間引きのようなこともあったとされる。なお、同性の双子は、忌み子とはみなされないようだ』
岩倉の記事はそこまでで、また別の地方の庚申信仰の説明が続いていた。
「これは」
 小川所長が険しい表情をしている。
「父の言った通りでした。きっと私は双子で岩倉に生まれて、妹だったから、忌み子として、村の外に里子に出されたんです」
「ちょっと待ってください。戸籍上、養子ではなく、実子だったんですよね。里子だとしても、戸籍を偽装するなんてやりすぎだ。父親はともかく、母子関係は分娩の事実を持って発生するって民法に規定されてる。出生届って医師の書類がいるんでしょ?」
 師匠の問いに、小川所長が答える。
「ああ。出生証明書がいる。それを役所に出す必要があるから、羽根川さんが他人の戸籍に子として記載されているなら、医者か、役所か、どっちかを丸め込んでるな」
 おいおい、と僕は思った。今の時代にそんな前近代的なことが本当にあるんだろうか。そこまでして、双子を忌み子扱いするなんて。
「さっきの歌、かたわれどきに、って歌詞。あれ聞いて、私怖くなったんです。ゾクッて、背筋が冷たくなって。彼は誰時(かわたれどき)って、あれはだれだろう? って意味でしょう。薄暗くて、そこにいるのがだれだかわからない。なんだか怖い言葉ですよね。同じ朝の薄暗闇を、岩倉村では『かたわれどき』って言う……。絶対良い意味じゃない。双子の片割れ。もう片方の我。まだ明けない暗闇のなかに、もうひとりの自分がいる。はっきりとは見えないけど、きっといる。それを忌まわしいって言ってるんです」
 里美さんは冷たい息を吐くように言った。うつむき、右手で自分の肩を抱くようにしながら。
「いついつねやる、かたわれどきに」
 師匠は腕を組みながら、童歌の歌詞を呟いた。
「いつ寝るのか。朝に。つまり徹夜、夜明かし。庚申の、大ごもり……。なにか繋がっているな、これは」
 考え込んだ師匠を横目にため息をつき、小川所長が訊ねた。
「羽根川さん。ちょっといいですか。ご自分では岩倉村には行かれたんですか」
 ビクッとして、里美さんは顔を上げた。
「あ、あの。はい。行きました。もちろん。でも、あの村は、その、すごく閉鎖的って言うか。200人くらいの村なんですけど、双子の兄を探してるって言ったら、みんな取りつくシマがない感じで。きっと今でも、双子はタブーなんです。だから、お願いしたいんです。私の代わりに岩倉に行って、生き別れの双子の兄を見つけてください。そうじゃないと私……」
 そこまで言って、声を詰まらせた。そして口元を押さえて、「私、もう、たったひとりなんです」
 うわずった声で搾り出したその言葉を聞いて、僕はもらい泣きしそうになった。
彼女は母親と3歳で死に別れ、2人暮らしだった父親は去年他界。しかもよそからもらわれてきた子どもだったと明かされて、本当の家族すら失ったのだ。
「父は…… 去年死んだほうの父ですが、私には岩倉に双子の兄がいる、としか言っていませんでした。本当の父と母はもう亡くなっているのかも知れませんが、ひょっとしたらまだ兄と一緒にそこにいるのかも知れない。どうかお願いします」
 里美さんは涙のこぼれる目尻を拭いながら、頭を下げた。
「師匠」
 考え込んだまま反応がない師匠に、声をかけた。すると、息を吐いてから指を組み、口を開く。
「人探しならたしかに興信所の出番ですよ。そんな、頭を下げていただかなくても、料金さえ払っていただければお引き受けします。するよね?」
 顔を向けられ、小川所長は頷いた。
「でも、仁科さんに聞いて、『オバケ専門』の私をわざわざご指名ってことは、なにかいま聞いたこと以外に、理由がありそうだ。どうなんですか」
「あ、あの」
 はっきりと、畏れの表情を浮かべている。じっと師匠に射すくめられて、里美さんは意を決したように、言った。
「かごめかごめの歌って、あれ、子どもの遊びの歌ですよね。目をふさいだ子どものまわりを、手をつないだ子どもたちがグルグル回って、うしろの正面にいる子の名前を当てるっていう。私、あのテープを聞いてから、怖くてたまらないんです。私、霊感とか、なかったはずなのに、夜起きてると、急にあの歌が聞こえてきて、うしろにだれかいるような、気がして。でもうしろにいるのは私なんです。私がうしろにいるんです」
 ごくりと喉を鳴らして、里美さんは自分の両肩を抱いた。
『か~ごめ かごめ
 か~ごのな~かの と~り~は
 いついつねやる かたわれどきに
 なぬか などぉって つぅべった
 うしろのしょうめん だぁれ……』
 師匠が急に口ずさんだのは、あのテープの歌だった。いい声をしているので、僕よりよほど上手い。
「や、やめてください」
 そう呻いて怯えている里美さんを見つめ、師匠は、「童歌は、まだ社会性が育っていない、子どものアミニズム的発想から生まれています」と言った。
「古来から子どもの歌は、遊戯的なものと、祝詞にまで昇華する前の呪術的なものが未分化の状態で存在しています。例えば、ほうほう、蛍こい、あっちの水は苦いぞ、こっちの水はあ~まいぞ。ってのは『だまし型』と呼ばれる類型の童歌です。遊戯でもあり、そして、だまして蛍をこっちによび寄せるための呪術的な歌でもあるのです。かごめかごめの歌は、籠の女と書いて、籠女の歌だから、籠に閉じ込められたような暮らしの遊女のことだって説もある。お腹が籠を抱いたように見える、妊婦のことで、流産を歌っているって話もある。籠の目と書いて、籠目で、六芒星のことだなんて言ったり。ま、いろいろ説はあるんですが、はっきりしません。さっきの、岩倉村の歌は、一般的に知られているものと異なる部分が中盤にあります。そこには、なにかそう歌うべき意図があるんでしょう。羽根川さんが言うように、『かたわれどき』という言葉が双子と関わりのあるものなら、双子を忌み嫌う村で歌われる以上、それは遊戯の形をした原初的な呪術です。『おどし歌』や『のろい歌』の類なのかもしれません。その脅しや呪いの対象は、双子に生まれた羽根川さん自身……。そう直感で、わかってしまってるんでしょう? 言葉の意味はわからなくても」
 師匠は里美さんに問いかける。
「その、うしろにいる自分は、はっきりと見たんですか?」
「いいえ。あ、あの、きっと気のせいですけど。怖い夢も見るようになったりして」
「……わかりました。お兄さんを探してきます。で、その歌の意味も調べてきますよ。意味がわかれば、対処のしようもある。私は拝み屋じゃないから、お祓いはできないけど、ま、こういうのは専門なんで。任せてください」
 ホッとした表情を浮かべる里美さんに、小川所長がラミネート加工された料金表を差し出して説明を始める。
 里美さんは「これなら、ためたお金でなんとかなります」と言って、「その、とりかかる開始日ですけど」と壁のカレンダーに目をやった。
「ああ、わかってますよ。6月28日、29日の大ごもりまで、あと10日あります。まだやっていれば、ですが。童歌との関わりもありそうだし、そのイベントにあわせるのがいいでしょう」
「大ごもりは、まだやっていると思います。たぶん、今も。はっきりとは聞けませんでしたが」
「そういえば、お父さんの戸籍を調べたんでしょう? 岩倉村で、本籍地を訪ねてみたんですか?」
「もう家は残っていませんでした。父は、両親も早くに亡くして、親類もいないと言っていました。だから村を出たんだって」
 師匠は里美さんに補足質問をいくつかして、これまで自分で調べたバインダーの資料や、童歌のテープなどを借り受けた。
「では、よろしくお願いします」
 里美さんが長身を折って、頭を下げながらドアから出ていった。
「やっかいそうな依頼だな」
 依頼人が去ったドアを見つめながら、師匠がため息をついてそう言うと、ふいに静かな声が事務所のなかに響いた。
「あとはつけなくていいんですか?」
 びっくりした。服部さん。いたんだ。
 僕は完全に事務所のデスクと同化していた服部さんを、あらためて忍者みたいだと思った。そして、なんで里美さんの尾行をする必要があるのだろう? と首を捻ったが、師匠がムスッとして睨みつけているのを見て、気づいた。
 春にあったばかりの、心霊写真にまつわる事件のことを引き合いに、からかっているのだ。あの時も、依頼人を、いや、依頼人になりそこねた男を、服部さんは独断で尾行して、師匠の鼻をあかしたのだった。
「うっせー。Mind your own business!!」
 師匠は妙に流暢な英語で服部さんを罵倒して、中指を立てた。

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 そんなことがあった2日後、僕は師匠につれられて、南の港の近くの住宅地へ向かった。
「着手日まで、まだ5日ありますけど~」
 潮の香りのする風を顔に浴びながら、言った。僕の頭のうしろから、師匠の声がする。
「いーんだよ。せっかくまだ生きてるってんだから、話を聞いとかなきゃ」
「生きてるったって、もう90歳なんでしょ」
「電話で話したけど、まだ呆けてはなかったぞ。それに、着手日前だろうが、調査にかかる交通費は依頼人持ちになる契約だ。自腹切ってるわけじゃないから、いーんだよ」
「だったら交通費かけて来ましょうよ」
 僕はうしろに師匠を乗せて、必死に自転車をこいでいた。
「いーんだよ。たまには海の近く走ってみたいから」
 こいでんの僕ですけど、という文句を言おうとして諦めた。師匠が潮風を受けて楽しそうにしていたからだ。
 少々遠回りをして堤防沿いを走ってから、僕らは古めかしい日本家屋に到着した。あのバインダーに綴じられていた、庚申信仰に関する記事を書いた、佐藤正継という研究者の家だ。
 師匠が懇意にしている元大学教授に電話をかけて、その研究者のことを尋ねると、住所まで知っていた。教えてもらって、さっそく連絡を取ったのだ。
 元々教師で、小学校の校長を歴任し、退任したあとは趣味で郷土の史談会や、民俗学のフィールドで筆をとっていた人だった。いわゆる在野の民俗学者だ。御年90歳になり、もう会合などにも顔を出さなくなって久しいそうだが、師匠が言ったように、まだ頭はしっかりしているらしい。
「こんにちは」
 玄関で声をかけると、娘か、お嫁さんらしい年配の女性が出てきた。
「ああ、お待ちしておりました。でもおじいちゃん、近ごろはあんまり人と話さないから、失礼があったらごめんなさいね」
 そう言いながら案内してくれた応接室では、厳めしい顔の老人が、奥深い皺のなかに、寄り付きがたい表情を浮かべてひっそりと座っていた。
「今日は急に済みませんでした」
 そういって師匠と2人で頭を下げ、挨拶をしている間も、こちらの話を聞いているのかよくわからない顔で、頷きもせずにじっとしていた。
「で、えーと。この記事なんですけど」
 と里美さんから預かっているバインダーを取り出して、かつて目の前の老人が書いた記事のコピーをテーブルの上に置いた。しかし、老眼鏡や拡大鏡を取り出す仕草も見せず、佐藤老人は師匠の顔を見ていた。
「師匠」
 思わず小声で耳打ちをすると、師匠も、「電話で話したときは、会話できてたんだよ。ボケてるなら、さっきの嫁がなんか言うだろ」と小声で返してきた。
「あー、えーと。この庚申信仰のことというより、岩倉村のことをもう少しお聞きしたいんですよ。覚えてらっしゃる限りでいいんですが。あの」
 困り顔でそう言かけた師匠を、ふいに老人が遮った。
「岩倉のことは……。それを書くだいぶ前に、行ったきりだ」
 表情を変えず、入れ歯がずれるのか、もぐもぐとした口調だったが、たしかに老人はしゃべり始めた。
「岩倉神社……の宮司と親しくなって、聞いた。岩倉に伝わる、伝承を」
 師匠と僕は、思わず身を乗り出した。
「……人は、すべて男児と女児の双子で生じると、言っておった。双子で生じ、うつしよと、かくりよにそれぞれ生れ落ちると。もし、うつしよに、双子が生まれたれば、片方は過ちて生まれし忌み子として、隠されると……」
「過ちて、生まれし忌み子」
 師匠がその言葉を繰り返した。僕は、そのはじめて聞いた伝承に気持ちの悪いものを感じた。
「じゃ、じゃあ、僕は男だから、あの世に双子の姉か妹がいるってことですか」
「いや、記事にあっただろ。あとに生まれた方を忌み子として里子に出すって。つまり、弟、妹のほうがあの世に生まれるはずなんだ」
 そうか。里美さんも妹だった。
「なぜそんな妙な伝承が、今も続いているんです?」
 師匠の問いかけに、佐藤老人はゆっくりと瞬きをするばかりで、答えようとしなかった。師匠はしかたなく質問を変え、記事にある大ごもりの部分を読み上げた。
「先生の記事に、この岩倉では、毎年きまった時期に、近隣の複数の庚申講がひとつところに集まって夜明けまでこもる、とあります。大ごもり、という習慣です。
・1955年6月29日
・1956年6月28日
・1957年6月29日
・1958年6月29日
・1959年6月29日
・1960年6月28日
・1961年6月29日
・1962年6月29日
 日付が記されていたのは以上です。記事が書かれたのは1971年となっていましたから、おそらく先生が岩倉を訪ねられたのは、その9年前の1962年ごろですね。ざっと見ると、6月29日が多くて、6月28日が2日間だけありました。見た瞬間におかしいと思いましたよ。実際の庚申の日がいつだったか、調べてみました。1955年は6月28日でした。おしいですね。大ごもりは6月29日で、1日違いだ。普通の地域のお祭りならそれでいいかも知れない。でも、これは庚申講の集まりなんですよ。1日でもズレれば。庚申の日でなければ、意味がない。そして、その後の日付はもうめちゃくちゃだ」
 師匠は持参したメモを読み上げる。
「いいですか。実際の庚申の日は、
・1955年6月28日
・1956年6月22日
・1957年6月17日
・1958年6月12日
・1959年6月7日
・1960年6月1日
・1961年5月27日
そして、1962年は、5月22日で、その60日後の庚申が7月26日です。大ごもりは、6月末に固定されていて、庚申の日なんかとは関係なく行われているんです。これはいったいどういうことでしょうか」
 たしかにおかしい。僕はゾクゾクするものを感じて、老人の反応を待った。師匠は応接テーブルの向かいに座る老人を睨みつけるように見据えている。
「……岩倉の庚申講の本尊は、青面金剛だった。だが、大ごもりの本尊は、青面金剛ではなく、岩倉神社の祭神と同じだった……」
 ようやく口を開いて、出た言葉。師匠はすぐさま、「その祭神は?」と訊く。
「……岩倉神社の、祭神は伊弉諾神(イザナギ)と、大日孁貴神(オオヒルメノムチノカミ)だった。どちらも、近しいものが、かくよりへ行った。だからこそ、うつしよを守る、カミなのだ……」
 そう言って、老人は口を閉ざした。地層のように、唇がはりついている。
 イザナギはわかる。でも、もう1人の神がよくわからなかった。
「オオヒルメノムチのカミって、聞いたことある気がしますけど、なんでしたっけ」
「バカ。アマテラスのことだ」
 そうか。近しいものが、かくりよ、つまり黄泉の国へ行ったというのは、イザナギの妻のイザナミと……。ん? アマテラスはだれだ?
「なるほど、イザナミと、スサノオですね。イザナミはホトを焼かれて死に、黄泉の国へ行った。スサノオもまた、母イザナミを慕ってその黄泉、根の堅洲国(ねのかたすくに)へ行った。でもなぜです。大ごもりは、なぜそのうつしよを守るという神を祀るのです? 庚申とはまったく発想が違う」
 師匠の問いかけに、老人は目を見開いたままなにも言わなかった。
 しばらく無言の時間が過ぎた。応接室の柱時計が、カッチカッチと音を立てている。
 師匠は、苛立った様子で頭を掻いて、「コンセントお借りしますよ」と言った。そして持って来たリュックサックから、ポータブルラジカセを取り出して、あのテープをかけた。
 静かな部屋に、子どもの歌が流れる。岩倉の子どもたちが歌う、かごめかごめの歌だ。
『か~ごめ かごめ
 か~ごのな~かの と~り~は
 いついつねやる かたわれどきに
 なぬか などぉって つぅべった
 うしろのしょうめん だぁれ……』
 終わると巻き戻して、もう一度流した。老人は聞いているのか、よくわからない。
「この、かたわれどき、というのは早朝を指す、『彼は誰どき(かわたれどき)』と同じ言葉です。岩倉に伝わる、双子を忌む習慣からも、興味深い言葉です。そして、いつ寝るのか、という問いかけに、朝だと答えています。眠らずに朝を迎える、庚申講と関わりがあるように思えます。あるいは、庚申ではなく、大ごもりと、なのか」
 師匠の言葉は、老人を素通りしているように見えた。
「なぬか、は七日。その次は、などう、または、などる、という言葉でしょうか。方言だと思いますが、意味はよくわかりません」
 歌の意味を尋ねる師匠に、老人はもはや石化したかのように動かなかった。目だけがはっきりと見開いて、それがどこか異様な感じだった。
 あんまり知った口を聞くと、気分を害する大学教授もいるということを、わずかな大学生活で学んでいた僕は、師匠とは逆に、まったくの素人丸出しの質問を無邪気に投げかけたりもしてみた。しかし、それも無駄だった。佐藤老人は、1日にしゃべることのできる量が決まってて、もうそれをオーバーしてしまったかのようだった。
 師匠は諦めたのか、ようやく「ヨシッ」と言って、立ち上がった。
「おいとまします。色々教えていただいて、ありがとうございました」
 あんがい皮肉でもなさそうな口調で、そう言った。僕も頭を下げて、立ち上がる。部屋を出るとき、座ったままの老人が、ボソリと言った。
「……スサノオでは、ない……」
 師匠は振り向いて、目を見開いた。
「スサノオじゃない?」
 それから、ハッとした表情を見せたかと思うと、勢いよく、「ありがとうございました!」ともう一度頭を下げた。
 なんだかわからない僕は、そのままドアを出て行く師匠の背中と、応接室のイスに座ったままの老人とを、キョロキョロ見返していた。
 そして、ふと気づいた。地層のなかの化石になったように、反応がなかった老人の、その異様に見開かれた目を。その目に浮かぶ、かすかな感情の起伏を。2日前に、里美さんに見たものと同じだった。
 畏れ。
 湧き上がる畏怖をこらえているような、そんな目をしていた。

『双子 2/4』に続く

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