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サンジェルマン伯爵
アヴァンチェリエと呼ばれて活躍した国際的山師で、都市伝説の人物としては数々のフィクションの逸話で有名。
伝説の数々・不死伝説
サン・ジェルマンには様々な噂が付き纏ったが、生前に敢えてそれを否定しなかったこともあり、類稀なる特異な人物として歴史に名を残すこととなった。彼が人類普遍の夢である不死の象徴として語られることも、こうした伝説の流布を助長したと考えられる。以下はそうした伝承の代表的なものである。
彼は、沢山の宝石を散りばめた豪華な衣装に身を包み、普段は丸薬とパンと麦しか口にせず、ギリシア語、ラテン語、サンスクリット語、アラビア語、中国語に加えて仏・独・英・伊・葡・西の数か国語に堪能であったと言われる。また、身なりにも気を使い、クラヴサンとヴァイオリンの名手でもあり、作曲も熟した。更に化学と錬金術にも精通しており、ついには不老不死に関する著作を物したとも言われる。
更には、前世の記憶とそれに関連する知識がある、或は、大変な長寿を齎す(もたらす)秘薬を持ち、その結果、2000年とも4000年とも言われる驚異的な生命を有していたとされ、カナの婚礼やバビロンの宮廷を巡る陰謀等と云った古代の出来事を、まるでその場で直接見て来たかの様に、臨場感たっぷりに語ったとも言われる。哲学者ヴォルテールは1760年4月15日のフリードリヒ2世に宛てた書簡で、このサン・ジェルマンについて「決して死ぬことがなく、すべてを知っている人物」であると書き、フリードリヒ2世も彼を「死ぬことのできない人間」と評している。ニコラ・シャンフォール (Nicolas Chamfort) によれば、サン・ジェルマンの使用人に「あなたの主人は本当に2000歳なのですか」と問うたところ、彼は「それはお教えすることができません。わたしはたった300年しかお仕えしていないのですから」と答えたと言う。日中戦争での目撃情報もあることから、タイムトラベラーであるという説もある。
また「自分は不老不死なので、霊薬を口にする他は食事は必要としない」と言って、実際に人前では全く食事をしなかったともされる。
カスパー・ハウザー
16歳頃に保護されるまで長期に渡り牢獄に閉じ込められていたため、
その性質上しばしば野生児に分類される。
発見後に教育を施されて言葉を話せるようになり自己の生い立ちを語り出すようになったが、
その全貌が明らかになる前に殺され、判明している事実は断片的で、謎が多い。
特異なまでの鋭敏な五感を持っていた事で有名。
文献も多く、暗殺現場となったアンスバッハでは現在祭礼が二年毎に行われている。
カスパーの感覚機能は発見当初はほとんど麻痺状態であったが、やがて外界のものを知覚できるようになっていった。そこで発揮された知覚の鋭さは異常とも言えるほどのもので、暗闇でも聖書を読めたり色彩を判別できるのみならず、金属を握っただけで鉄や真鍮などその材質を見抜いたり、遠く離れたクモの巣に獲物がかかっていることを言い当てるなど並外れていたとされる。本人のこの能力は、特殊な視覚など一部を除き、一般の食事や生活に順応するにつれ消失していったと記録されている。
その過去は完全な謎に包まれており、かつ特異な感覚能力の持ち主である彼に興味を持つ人々は増える一方であり、群衆の眼前に彼が連れてこられることもあった。
武内宿禰
『古事記』『日本書紀』で大和朝廷初期(景行・成務・仲哀・応神・仁徳天皇の5代の天皇の時期)に棟梁之臣・大臣として仕え、国政を補佐したとさ れる伝説的人物。建内宿禰とも表記される。紀・巨勢・平群・葛城・蘇我氏などの中央諸豪族の祖とされるが詳細は不明。神号は高良玉垂命とも。
『因幡国風土記』逸文によると、仁徳天皇55年3月に武内宿禰は360余歳にして因幡国に下向し、亀金に双履を残して行方知らずとなったという。同文では続けて、因幡国法美郡の宇倍山山麓には武内宿禰の霊を祀る社(鳥取県鳥取市の宇倍神社)があるが、武内宿禰は東夷を討った後この宇倍山に入って行方知らずになったのだと伝える。
そのほか『公卿補任』では薨年未詳で295歳にて死去(一説として仁徳天皇55年に年齢未詳で死去)、『水鏡』では武内宿禰は仁徳天皇55年に280歳で死去、『帝王編年記』では仁徳天皇78年に年齢未詳(一説として312歳)で死去したといい、他にも諸伝説がある。なお、そのうち『帝王編年記』では、死去の地として甲斐国説、美濃国不破山説、大和国葛下郡の室破賀墓説(奈良県御所市の室宮山古墳か)を挙げる。
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果心居士
安土桃山時代末期のものとされる愚軒による雑話集『義残後覚』には、筑後の生まれとある。大和の興福寺に僧籍を置きながら、外法による幻術に長じたために興福寺を破門されたという。その後、織田信長の家臣になりたいという思惑があったらしく、信長の前で幻術を披露して信長から賞賛されたが、仕官は許されなかったと言われている。
また、江戸時代の柏崎永以の随筆『古老茶話』によると、慶長17年(1612年)7月に、因心居士というものが駿府で徳川家康の御前に出たという。家康は既知の相手で、「いくつになるぞ」と尋ねたところ、居士は88歳と答えた。また、小泉八雲の『日本雑記』に『果心居士の話』があり、果心居士が絵の中から船を呼び出し、船に乗り込むとそのまま絵の中に消えていったという。また天正12年(1584年)6月、豊臣秀吉に殺害された説もある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/果心居士
鉄仮面
仮面の男(かめんのおとこ)は、フランスで実際に1703年までバスティーユ牢獄に収監されていた「ベールで顔を覆った囚人」。その正体については諸説諸々。
囚人は1669年に、ルイ14世の大臣からピネローロ監獄の
監獄長サン・マールに預けられ、監獄長自ら世話をしたという。
以降、サン・マールの転任と共にその囚人も移送され、サントマルグリット島を経て、
1698年にバスティーユに移送された。当時のバスティーユの看守は、
「囚人は常にマスクで顔を覆われ、副監獄長直々に丁重に扱われていた」と記録している。
なお、鉄製の仮面を常に着用していると言うイメージになってしまったが、実際には布製のマスクだったといわれ、
それも人と面会する時にだけ着用させられていた。
もし人前でマスクを取ろうとすれば、その場で殺害せよとの指示が出されていた。
そのため、牢獄で世話をしていた者も囚人の顔を知らなかった。
囚人は1703年11月19日に死亡。彼の所有物などは全て破棄されたという。
http://ja.wikipedia.org/wiki/鉄仮面
切り裂きジャック
1888年にイギリスで連続発生した猟奇殺人事件の犯人の通称。この事件は未解決事件である。
1888年8月31日から11月9日の約2ヶ月間にロンドンのイースト・エンド、ホワイトチャペルで
少なくとも売春婦5人をバラバラにしたが、犯人の逮捕には至らなかった。
署名入りの犯行予告を新聞社に送りつけるなど、劇場型犯罪の元祖とされる。
神経症患者から王室関係者まで、その正体については現在まで繰り返し論議がなされているが、
1世紀以上経った現在も犯人は不明。
切り裂きジャックは売春婦を殺人の対象に選んだ。犯行は常に公共の場もしくはそれに近い場所で行われ、
被害者はメスのような鋭利な刃物で喉を掻き切られ、その後、特定の臓器を摘出されるなどした。
そのような事実から解剖学的知識があるとされ、ジャックの職業は医師だという説が有力視されている。
ただ、このような事件が起きていた間に、被害者の女性たちが警戒心もなく犯人を
迎え入れている形跡がある事から、実は女性による犯行とする説もあった。
また、犯行は1年以上続いたという説もある。
「ジャック」とはこの場合特定の人物の名前を示すわけではなく、
日本でいう「名無しの権兵衛」のように英語圏で呼び方の定まっていない男性を指す名前である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/切り裂きジャック
ジョン・タイター
2000年11月3日、アメリカの大手ネット掲示板に、2036年からやってきたと自称する男性が書き込みを行った。
男性は「ジョン・タイター」と名乗ると、複数の掲示板やチャットでのやりとりを通じ、タイムトラベルの理論や自身のいた未来に関する状況、未来人である証拠などを提示していった(その過程でアップロードされた資料は、現在も閲覧可能である[1])。
タイターは、最初の書き込みから約4か月後の2001年3月に「予定の任務を完了した」との言葉を残して書き込みを止め、現在は消息を絶っている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ジョン・タイター
D.B.クーパー事件
アメリカ合衆国で発生した、身代金を要求したハイジャック事件である。単独犯による事件であり、パラシュート降下による逃亡という大胆さなどから、アメリカ国内においてもっとも有名な未解決事件の一つとされる。
犯人は、身代金を受け取った後、飛行中のボーイング727の後部にあるドアを開けさせ、現金200,000ドル(現在の貨幣価値にして約1億円)を持ってパラシュートで脱出した。検挙されず、また犯人の身元も不明な未解決の事件である。後に身代金の一部がコロンビア川で発見され、実際には犯人は死亡したともいわれているが、死体は発見されていない。
「D.B.クーパー」はFBIの手配の際、手違いで広められた犯人の名前であるが、犯人による自称「ダン・クーパー」もまた偽名であることは確実である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/D.B.クーパー事件
人体発火現象
61: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/05/31(木) 10:04:43.85 ID:fsQFpGWO0
地下鉄に現れる巨大ワーム
13番ホームに現れる異次元空間
13のつく通りに現れる黒ずくめの処刑人
耳から侵入して人間を操るカタツムリ(食中アリの場合も)
人体発火(ゆっくり燃えて死んだ男と、突然発火して悶え死んだ少女)
「人体自然発火現象」という呼称は基本的に、人体が燃えてしまった状態で発見された事例に対してさまざまな判断が加えられて用いられている。燃えてしまった人の周囲には火気がなかったなどの理由により「人間が自然に発火した」と判断した人が、その事例にこの呼称を用いているのである。
たとえば、ある人が友人や同僚の家や仕事場に行ってみたら、その友人や同僚の身体が一部ないしほとんどが燃えてしまった状態で発見され、なおかつ周りにはストーブなどの火の気が無く、人体の周囲だけが焦げ、部屋全体は燃えておらず、しかも人体そのものはほんの一部を残して炭化ないし焼失してしまっている状態で発見された、といったような事件が、(今まで知られているだけでも)数百件以上発生しているのである。
▼人体発火現象についてゆっくり解説を作りました。
https://www.youtube.com/watch?v=0oIneXKu6Qo
オーストラリアで起こったインド人連続殺人事件
10: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/05/31(木) 09:33:56.00 ID:mw8xW+v20
オーストラリアで起こったインド人連続殺人事件
オーストラリア政府は人口増加を目的に1980年代からは白豪主義を撤廃し、多文化主義の多民族共存国家をスローガンとして世界中から移民を受け入れて来た。21世紀になると人口が爆発的に増加傾向のあるインドからの移民・留学生も急激に増え始め、留学生だけでも9万3000人(2009年)となり、その多くがシドニーとメルボルンに在住している。そして職種によってはインド人が独占する職場も見受けられるようになり、インド人を良く思わない風潮が出始め、ついには新聞でも「カレー臭い」「シャワーを浴びろ」などインド人を差別する表現も目立つようになった。
オーストラリアでのインド人の被害者は2009年6月初めから三年前までに約1500人が襲われ、メルボルンはその一年前に遡る期間に70件を上回る襲撃事件が発生し、5月31日にはインド人留学生数千人が抗議の座り込みを行った。一方シドニーでも4月だけで襲撃事件は約20件も発生していたが、そのほとんどの学生は告発して面倒が起こり永住権が取れなくなる事を恐れ警察に届け出なかった。2009年4月以降は、毎月平均40件以上となっている。
16: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/05/31(木) 09:39:11.95 ID:H23XHKzR0
>>10
これ都市伝説っていうか現在進行形の事件だ。確かに怖いけど
グリゴリー・ラスプーチン
帝政ロシア末期の祈祷僧。シベリア、チュメニ州ポクロフスコエ村出身。
奇怪な逸話に彩られた生涯、怪異な容貌から怪僧・怪物などと形容される。ロシア帝国崩壊の一因をつくり、歴史的な人物評はきわめて低い反面、その特異なキャラクターから映画や小説など大衆向けフィクションの悪役として非常に人気が高く、彼を題材にした多くの通俗小説や映画が製作された。
1916年12月29日、皇帝と姻戚関係のあったユスポフ公は皇帝の従兄弟であるドミトリー大公と謀って、
ラスプーチンを晩餐に誘うと青酸カリを盛った食事でもてなした。
しかしその食事に本人は死なず周囲を驚かせる。
食後に平然と祈りを捧げていたラスプーチンは恐れをなした周囲から背後より銃撃を受ける。
ここで反撃に出るがさらに2発の銃弾を受けた。計4発の銃弾を受け、倒れたところに殴る蹴るの暴行を受け、
窓から道路に放り出された。それでも息が残っていたので、ネヴァ川まで引きずられ氷を割って
開けられた穴に投げ込まれた。三日後、ラスプーチンの遺体が発見され、検死の結果、
肺に水が入っていたため死因は溺死とされた。川に投げ込まれた時もまだ息があったのである。
http://ja.wikipedia.org/wiki/グリゴリー・ラスプーチン
ミリン・ダヨ
オランダ生まれのスイスで死去したオランダ人男性で、特に1945年から1947年にかけ、胴体の様々な箇所に西洋の槍状剣を突き刺し貫通させ抜かせる事を繰り返し、死ぬどころか出血多量や重傷にも全くならないという超常現象まがいの行為を『写真や動画映像』に残した謎に満ちた人物である。
釘を食べ、医者に麻酔をかけずに取り除いてもらえという啓示を受け、実際に釘を食べて医者に取り除いてもらった2日後に死去した。この際医者に麻酔をかけないよう伝えるのを忘れたため、麻酔を打たれての除去手術だったというが、その死が麻酔によるものなのかは不明。
ツングースカ大爆発
地球に落下した天体が爆発したとみられるが、隕石孔や隕石の残片などは発見されておらず、
爆発の原因はいまだに特定されていない。地面の破壊規模から見て、爆発した「物体」の大きさは、
3メートルから70メートルと推定されている。
1946年にはロシアのSF作家アレクサンドル・カザンツェフ(英語版)が「爆発は地球に墜落した異星人の宇宙船に積まれた核爆弾によるものである」という内容の小説「爆発」を発表した。これを受け、トムスク大学の研究員などを中心とした総合自主探検隊 (KSE) が結成される。後にKSEは現地で数回の残留放射能の測定を行うが検出されず、カザンツェフの説は否定された。
エリア51
アメリカ軍機密の航空機のテストを古くから行っていたとされ、
近年では、特にステルス機の試験飛行を行っていると考えられている。
また、「墜落したUFOが運び込まれているのではないか」とか、
「ロズウェル事件と関係しているのではないか」さらに、「グレイと呼ばれる宇宙人が居るのではないか」
とも疑われていたが、軍事機密が解除になったのを受け、オンレコで証言をした元職員により否定されている。
いずれにしても、何らかの機密事項が基地内に存在することから、
基地の敷地周辺の立ち入りはもちろん、撮影も一切禁止されており、
これを無視して進み憲兵や衛兵に見つかった場合は逮捕され、処罰される。
特に不審な場合は警告無しに発砲される事もある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/エリア51
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モアイ
チリ領イースター島にある人面を模した石造彫刻のこと。
大きさは3.5m、重量20トン程度のものが多いが最大級のものは20m、重量は90トンに達する。
現代の実験では、平坦な砂地で重さ約10トンの小型の像を約90メートル運搬するのがやっとであった。しかし、島にある多くの像はそれより重いものが殆どである。さらに、高さ100メートル以上の崖から切り出し、高低の激しい山地を平均で6〜8キロメートル運搬したということが判明している。また、実験での方法は頭部に傷を付けてしまったが、現存している像には運搬時や立てた時に付けられたと見られる傷は殆どない。
バミューダトライアングル
超常現象を取り扱う雑誌や書籍やテレビ番組の報道によると、通過中の船舶や飛行機が突如何の痕跡も残さず消息を絶つ海域とされる。消息を絶つ直前にコンパスや計器の異常等の兆候があるとされる[要出典]。100年以上前から100を超える船や飛行機、1000以上の人が消息不明となっているとされる[要出典]。「魔の三角地帯(または三角海域、三角水域)」とも呼ばれている
フィラデルフィア実験
アメリカの駆逐艦〈エルドリッチ〉が、電磁波を使った実験中にテレポートしたといわれる事件。
1943年10月28日、ペンシルバニア州のフィラデルフィア海軍工廠で、の消磁実験が行われた。
巨大な船は同じ方向を向いたまま建造されるので、地球の磁場により磁気を帯びる。
これを利用して開発されたのが、磁気に反応し爆発する「磁気水雷」である。
そこで、船体を電磁波で包むことで船体の磁気を消し、磁気水雷を避けようという実験である。
また、レーダー探知を避ける実験だったともいう。
電磁場発生装置が作動すると、〈エルドリッチ〉は緑色の靄に包まれ、
レーダー上だけでなく本当に目の前から消えてしまった。
そして1600km離れたノーフォークに忽然と現れ、またフィラデルフィアに瞬時に戻ってきた。
乗組員は、行方不明、火だるま、発狂、体の裏表が逆転、壁や床と同化するなど、
甚大な被害を受けていたという。都市伝説
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首なし鶏マイク
首をはねられた後も18か月間生存していたことで知られるアメリカの雄鶏である。
コロラド州Fruita(フルータ、フルイタ)の農家ロイド・オルセンの家で、1945年9月10日に夕食用として1羽の鶏が首をはねられた。通常ならそのまま絶命するはずであったが、その鶏は首の無いままふらふらと歩き回り、それまでと変わらない羽づくろいや餌をついばむようなしぐさをし始めた。翌日になってもこの鶏は生存し続け、その有様に家族は食することをあきらめ、切断した首の穴からスポイトで水と餌を与えた。
翌週になって、ロイドはソルトレイクシティのユタ大学に、マイクと名づけた鶏を持ち込んだ。科学者は驚きの色を隠せなかったが、それでも調査が行なわれ、マイクの頚動脈が凝固した血液でふさがれ、失血が抑えられたのではないかと推測された。また脳幹と片方の耳の大半が残っているので、マイクが首を失っても歩くことができるのだという推論に達した。
結果、マイクはこの農家で飼われることになったが、首の無いまま生き続ける奇跡の鶏はたちまち評判となり、マイクはマネージャーとロイドとともにニューヨークやロサンゼルスなどで見世物として公開された。話題はますます広がるとともに、マイクも順調に生き続け、体重も当初の2ポンド半から8ポンドに増えた。雑誌・新聞などのメディアにも取り上げられ、『ライフ』、『タイム』などの大手に紹介されることとなった。
1947年3月、そうした興行中のアリゾナ州において、マイクは餌を喉につまらせ、ロイドが興行先に給餌用のスポイトを忘れたため手の施しようもなく、窒息して死亡した。
マイクの死後、ギネス記録に首がないまま最も長生きした鶏として記録された。
▼映像あり
アトランティス
古代ギリシアの哲学者プラトンが著書『ティマイオス』(Тίμαιος, Timaios)
及び『クリティアス』(Κριτίας, Kritias)の中で記述した、大陸と呼べるほどの大きさを持った島と、
そこに繁栄した王国のことである。強大な軍事力を背景に世界の覇権を握ろうとしたものの、
ゼウスの怒りに触れて海中に沈められたとされている。
コスタリカの石球
1930年代の初め、コスタリカの密林で発見された石の球体である。
現在までに200個以上が発見されている。
誤差数ミリメートルのほぼ真球であるとする主張もあるが、単なる創作であるとする説もある。直径が箇所によっては約5センチメートル以上異なる球体もあり、また最大級の球体に関しても、のちの焼畑の際の過熱によって、熱せられた表面がかなり崩れているので、本来の形状がどれほど真球に近かったかは既に計測不能である。
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カブレラ・ストーン
南米ペルーの内科医ハビエル・カブレラが所有する
1万5,000点以上にわたる彫刻石のコレクションのことを示す。
石の中には恐竜と人間が共存するかのような絵もあり、オーパーツと言われた。
別名、。イカ (Ica) の石とも呼ばれる。
当初から、彫刻の彫りが鋭すぎて古いものではありえないと言われていた。
後にイギリスBBCの取材に対して、石を作った者も
名乗り出たことで論争には終止符が打たれている。
石に歯科用のドリルで彫刻した後、靴墨を塗って火であぶって古めかしい雰囲気を出していたもので、
肯定派は石の表面の酸化度合いによる年代測定結果を持ち出すが、
もし火であぶっていれば、酸化による年代測定では古い結果が出て当然である。
バズビーズチェア
イギリスのノース・ヨークシャー州で絞首刑に処された、殺人者トーマス・バズビーの亡霊に取り付かれ呪われていると伝えられる、オーク材の椅子。「ザ・バズビー・ストゥープ・チェア」、「デッドマンズ・チェア」とも呼ばれている。
バズビーは、1702年に義理の父であるダニエル・オーティを殺害した罪により逮捕され、死刑が宣告された。伝えられるところによれば、それ以来この椅子に腰掛けた63人が、ほどなく死亡するという事態が相次ぎ[1]、巷ではバズビーの亡霊に取りつかれると噂されるようになった[2]。
椅子に座って亡くなった人で伝えられている中では、2人のイギリス空軍飛行士と家具修理工カーロ・パニーニが、椅子に座った数時間後に自動車事故で亡くなっている[1]。
1972年、最終的に椅子は、座られることを防ぐためにサースク博物館[2]の天井から吊り下げられた[3]。
ファフロツキーズ
一定範囲に多数の物体が落下する現象のうち、雨・雪・黄砂・隕石のようなよく知られた原因によるものを除く「その場にあるはずのないものが降ってくる」現象を指す。 命名者はオーパーツ(OOPARTS)の命名でも知られる超常現象研究家、アイヴァン・T・サンダースン。
日本においても古くから知られた現象であり、江戸時代の百科事典、『和漢三才図会』には「怪雨(あやしのあめ)」として記述されている。
ロアノーク植民地集団失踪事件
ロアノーク植民地はウォルター・ローリーにより出資、組織化された殖民事業である。バージニア植民地内に恒久的開拓地を設立するために、16世紀後半に、ラルフ・レーンとリチャード・グレンビル(ローリーの従兄弟)によって実行された。
1585年から1587年にかけて数度の植民地建設が試みられたが、どれも放棄されるか開拓者が死亡するかした。最後の100名余の開拓者集団は、おりからの英西戦争のためにイングランドからの補給がないまま3年が経過した後に全員姿を消していることが確認された。開拓者たちの行方は分かっておらず、以後ロアノークは「失われた植民地」と呼ばれ語り継がれることになり、研究・考察が進められている。