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謎の舞姫「ジュリー・アリンダ」
@kitatoshio1982
戦後すぐ、妖艶なスパニッシュ・ダンスを踊る国籍不明の「謎の舞姫」として話題になったジュリー・アリンダ。
進駐軍のアイドルとして人気を博した後に日本の舞台にも進出。
日劇の踊り子の月給8千円の時代に、月80万円稼いでいたという。
その正体は日系人で、1950年当時16歳の少年だった。
その時稼いだお金は母親が土地の購入に回していた。
先見の明があったということだろう。
20代で引退した後は実業家として数多くのマンションを経営し、
財産を築いたという。
思いの外、ジュリー・アリンダのツイートがバズったので補足説明を。
彼女(彼?)についてのまとまった文献は桑原稲敏著『戦後史の生き証人たち』(1982年)だけようです。
40年以上前の本なので気軽に読めるものではありません。
ですので、ここでかいつまんでアリンダの人生をご説明します。
●ジュリー・アリンダの本名は「アリンド本田」。
1934年にリオデジャネイロ生まれ。
父親は日系ブラジル人の実業家。
母は愛媛県出身で高等教育を受けた女性。
5人兄弟の末っ子。れっきとした男の子である。
●1940年、6歳で母親の里帰りに11歳の兄と同行。
翌年太平洋戦争が勃発し帰国出来なくなる。
●戦時中、アリンドは日本人離れした容姿と
女言葉から「スパイの子」、「おんな男」と陰口を叩かれる。
少年航空兵となった兄は日本兵として戦死した。
●小学生の頃、アリンドはその女のような雰囲気から
花街に預けられ女の子として育てられる。
アリンドからアリンダという女名になるきっかけに。
●ブラジル時代からダンスが好きだったアリンダは、
京都の祇園などにいるうち日本舞踊も習得した。
●戦争は終わったが、父親は病死していた。
ブラジルに帰れない母子は、日本での生活を決意する。
●12歳のとき、アリンダは当時洋舞のトップダンサーだった
益田隆に弟子入りする。
●14歳の頃からアリンダは生活のために進駐軍の将校クラブで踊るようになる。
「長いプラチナブロンドの髪にバラの花をつけて、胸も露わに腰蓑ひとつで踊る姿はなんとも愛らしい」。
身長は165センチ。美しい肢体美と情熱的な踊りに、
GHQの高官たちは熱狂し、引っ張りだこのアイドルとなった。
●1940年代後半からアリンダは日本資本の舞台にも出演するようになる。
ギャラは当時の芸能人のトップクラスだった。
●この頃からマスコミでアリンダは男なのか女なのか、
という話題が出るようになる(それが人気を呼んだ)。
アリンダは「男でも女でもどっちでもいい」と答えている。
●その後アリンダの肉体は成長していった。
髭も生えるようになり、男性ダンサーに「転向」する。
芸名を寿里有人(ジュリ・アリンド)に改名するも人気は下火に。
1950年代半ばに芸能界を引退した。
●アリンダのギャラをマネージャーでもあった母は土地に投資、そこに次々と建物を建てた。
●アリンダはその資産を管理する会社を設立。
1982年当時、家賃収入だけで月750万円の収入があるという。
「ジェリー・アリンダという名前は私の青春の記念碑です」と
45歳にして相変わらず美青年の元アリンダはインタビューに答えている。
(終)
参照元:https://twitter.com/kitatoshio1982/status/1665194914735624192
皆のコメント
@digigeki
素敵なお話!
@cncn1549
ダンスの芸はブラジル人の父親から受け継いだのでしょう。とても上手だったんだろうなと想像してしまいます。
@ZOAef15jMggCu4v
近いうちに映画かドラマになりそう
@nekomataotsuki
ヤマトタケルみてえだな
@SoundOf_K39
ヤマトタケルは女装して熊襲に侵入してクマソタケルを倒した。マッカーサー元帥もワンチャンいけたかも。でも天皇残してくれたからいいや。
@mWleeLYURuuEFhv
いわば「謎の女装の麗人」という事ですか。
戦後すぐの時代だと、少し前に、李香蘭(実は日本人の山口淑子)が持て囃された土壌があるから、ミステリアスな雰囲気がある謎の美女が、爆発的に売れる時代だったんでしょうね。
@kitatoshio1982
ジュリー・アリンダの全身はこちら。