2chスレ・読み物

【2chスレ】歴史上の人物で末路があまりにも悲惨だった人物って誰?

1 :人間七七四年 2009/02/08(日) 21:13:59 ID:MQMJKhoj.net
ちょww
お前あれだけこの世の春を謳歌してたのに最後はそれかよ
って感じで転落しちゃった人教えろ

3 :人間七七四年 2010/02/03(水) 17:51:04 ID:1DsQTHc8.net
残虐な事を繰り返してて、死んだときに
敵はおろか、味方にも喜ばれたのって誰だっけ?

23 :人間七七四年 2010/02/03(水) 19:50:13 ID:5/vigasW.net
>>3
森武蔵

4 :宇喜多直家信者 ◆W.uAGfax.c 2009/02/08(日) 21:30:04 ID:HVU7Z11k.net
天国と地獄なら伊東義祐とか
伊東氏全盛期を築きながら所領まで失って最後は野垂れ死に・・・

5 :人間七七四年 2009/02/08(日) 21:34:08 ID:VRkpI0bi.net
石田三成だろ
毛利や島津など多くの大名に比類なき権勢を示す資料があるが
秀吉が死んだ途端に袋叩きで処刑

6 :人間七七四年 2009/02/08(日) 21:39:40 ID:UqSeTLGp.net
中野さんも悲惨だったよな…

18 :人間七七四年 2009/02/09(月) 03:33:39 ID:NqPUK7sE.net
>>6
中野宗時は餓死らしいからな・・・

443 :人間七七四年 2010/01/27(水) 00:16:04 ID:V2R1erhw.net
>>6も挙げてるけど、中野宗時最後が餓死とか哀れすぐる、貧民でもないのに

7 :人間七七四年 2009/02/08(日) 21:49:41 ID:16iVKctG.net
伊東義祐と今川義元が真っ先に浮かんだ

8 :人間七七四年 2009/02/08(日) 21:58:58 ID:6yb5N9sc.net
大浦政信

戦死した事に気づかれないで放置される殿

9 :人間七七四年 2010/10/15(金) 13:56:28 ID:NIGDmYKC.net
あんなけ忠義を尽くしたのに結局主筋を滅亡に導いた福島正則か
あとは末代まで恥をさらした小早川秀秋

10 :人間七七四年 2010/10/15(金) 14:10:30 ID:HEHtChoL.net
盲腸とかで死んだ有力武将とかも別の意味で悲惨というかついてないな。

11 :人間七七四年 2010/10/15(金) 19:10:27 ID:pouDUM3B.net
>>540
昔は盲腸は治療手段がない死の病なんだが。

1 :人間七七四年 2009/02/09(月) 02:30:31 ID:pYP9pDWS
龍造寺隆信
最盛期を築くまでは名将だが…
最後は一説には(デブすぎて馬に乗れない為)輿をかついでた部下に見捨てられて討ち死に
馬に乗れないってww
半身不随の道雪ならまだしも原因が肥満…

91 :人間七七四年 2009/07/08(水) 23:52:22 ID:Cj8V5DcR.net
龍造寺家兼は最晩年で息子や孫を悉く失ったのは悲惨すぎる
後を託した曾孫も無様に戦死して首も受け取り拒否されたし

100 :人間七七四年 2009/02/17(火) 13:04:48 ID:LZNexLYZ
>>91
龍造寺家を滅亡させた有馬晴信も中々悲惨。
キリシタン大名なのに賄賂でお家復興を願うのはいかんよ。

17 :人間七七四年 2009/02/09(月) 03:01:56 ID:IQFkgHQh
氏元は最盛期に戦死だからまだましだけど、氏真は悲惨じゃね?
名家今川の御曹司だったのに、家督ついだら離反の嵐、結局妹の嫁ぎ先と元人質に攻められて、国も取られて海道一のお家も没落。
仕舞いにゃ親の仇に都まで呼び出されて蹴鞠やらされ見世物に…

22 :人間七七四年 2009/02/09(月) 09:38:39 ID:YU8uOb49.net
>>17
武田義信と北条氏政が何か言いたいようです

24 :人間七七四年 2009/02/09(月) 11:40:48 ID:OYExfC9H
>>17
氏真は良妻がいるし一応家は残ったから、あまり不運のイメージはないな。

山口に小京都を作りながら、お家滅亡の時に山口に滞在していた公家達をも
巻き込んでしまった大内義隆も悲惨だと思う。
三条公頼が娘(三条の方)を頼って武田信玄の所に行けば、まだ長生き出来ただろうに。

19 :人間七七四年 2009/02/09(月) 04:51:15 ID:YHwFm4kk
滝川でしょ。
秀吉以上に信長から期待されていた可能性が高い。
清洲会議の件は、
周りが滝川の力量を恐れたか、
積年の嫉妬の可能性もある。

25 :人間七七四年 2009/02/09(月) 12:22:50 ID:Hygy2SHX
>>19
危険な奴、出来る奴は先ずみんなで潰すってのは今も昔も変わんないね

23 :人間七七四年 2009/02/09(月) 09:46:08 ID:/xaQRRNh
徳川信康
もし信長の命でなく、父である家康の思惑で殺されたなら相当悲惨だよな
もし生きていたなら長男である信康は次の天下人にだってなれたであろうに

674 :人間七七四年 2012/03/10(土) 01:46:32.48 ID:tjERcgjV.net
秋山信友
武田と織田家の同盟の時に信玄の名代で信長に逢いに行った信ともは信長に大
変大事に扱われ至れり尽くせりの歓待を受けるが…
その数年後 信長によって長良川で逆さ磔にされてしまった。

50 :人間七七四年 2009/02/11(水) 00:16:14 ID:aefh8R4j
>>26
秋山は自業自得

信長の叔母を妻にして、信長の息子を人質に甲斐に送る
怒るのは当然

57 :人間七七四年 2009/02/12(木) 12:07:39 ID:qFLswk3I
>>50
自業自得もなにも
信長が援軍送らなかったから岩村は攻略されたのに。
叔母まで酷い殺し方だし。

562 :人間七七四年 2010/10/30(土) 17:49:26 ID:+1AxLxJ7.net
死んでからという意味では、浅井・朝倉の髑髏杯かな
あれって安土城と一緒に焼けたのか、埋葬されたのか

563 :人間七七四年 2010/10/30(土) 19:36:27 ID:Jrcw+xPO.net
やっぱり、一時代の栄華から転落して、路上浜辺とかに
野ざらしに置かれちゃう人とかかなあ・・・

564 :人間七七四年 2010/10/30(土) 20:23:30 ID:V+AyzHL7.net
国宝になっている茶碗だけ持って野垂れ死にしていた
喜左衛門

30: :人間七七四年 2009/02/09(月) 19:25:39 ID:Ueb9uXVw
秀吉の晩年も哀れっちゃあ哀れ
小便漏らしたり悪夢で錯乱したりしながら死んでいった。

38 :人間七七四年 2009/02/10(火) 01:22:24 ID:ZAR8dBuf
>>30
それが哀れなら世の中のおじいちゃんみんな哀れじゃねえか
悪夢云々は信憑性無いし

33 :人間七七四年 2009/02/09(月) 19:52:38 ID:FyO4i1EQ
斎藤龍興 信長に美濃を追われてから朝倉氏に身を寄せたが、元亀4年刀根山討ち死に。

36 :人間七七四年 2009/02/09(月) 22:11:41 ID:9FmGsP52
上杉憲政。
人は一代でここまで落ちぶれるものなのか。
まさか越後の片田舎で氏康の孫と心中するとは、人生のどの段階でも想像しなかっただろう。

534 :人間七七四年 2010/08/29(日) 23:41:34 ID:ICfVXoI+.net
上杉朝定も悲惨だなあ。川越夜戦で不意を喰らって討ち取られ、子供もなかったので、
名門扇谷上杉氏は断絶(子孫なし)。
上杉憲政(山内上杉氏)は、本人は御館の乱で殺害されたが、子孫は生き延びて上杉
の御一門衆として残ったからまだマシ。

44 :人間七七四年 2009/02/10(火) 18:51:22 ID:PhSYJWMt
>>36
まずなんで御館の乱で景虎側にまわったんだか…
北条の血を引いたヤツに肩入れする理由なんか本来ないはずなのにな

89 :人間七七四年 2009/02/15(日) 21:02:28 ID:dJuFcJsk.net
>>36
実際御館の乱で死んだのかわかってない。

593 :人間七七四年 2010/12/31(金) 15:55:37 ID:xBOogWEp.net
上杉憲政

関東管領山内上杉家に生まれてワガママに育つ↑↑
→北条にフルボッコされて涙目↓↓
→かたきのはずの長尾家頼る↑
→家督をゆずった政虎が北条フルボッコしてくれて少しスッキリ↑↑
→謙信が死んで何故か酷い目に遭わされた北条の子供を支持
→どさくさ紛れに殺される↓
→甲陽軍鑑に暗君の筆頭として紹介される↓↓↓
→2chに経歴を晒される↓↓↓

595 :人間七七四年 2011/01/01(土) 00:17:43 ID:ZOUqzO3V.net
>>593
>→甲陽軍鑑に暗君の筆頭として紹介される↓↓↓
これって一番悲惨だよね
実際に武士が居た時代のベストセラーで叩かれて訳でしょ
今の時代で叩かれてるより本人には辛いと思うよ

39 :人間七七四年 2009/02/10(火) 04:35:14 ID:j1o5xOwn
永田寿康

45 :人間七七四年 2009/02/10(火) 20:51:07 ID:YY87FRSD.net
>>39
はげどう

188: 人間七七四年 2009/07/04(土) 19:40:43 ID:hEkjztj5
>>39
永田元議員は確かにカワイソス 
自業自得の面も大きいが、九州の大金持ちの医者の家に生まれ、慶応付属から東大、大蔵省と進み代議士までなり、 
結婚もし(どっかのドーム借り切って寿の一文字やった)人生の春を謳歌していたのに、 
偽メール問題で民主党から追い出され復活目指すも党に相手にされず精神に異常をきたし自殺 
妻からは離婚をつきつけられていた 
まさに慢れるものは久しからず

42: 人間七七四年 2009/02/10(火) 16:17:15 ID:78CkvSjC
佐久間信盛

185 :人間七七四年 2009/07/04(土) 08:55:54 ID:NlXCtX+U.net
佐久間信盛も餓死したとか

187 : ◆LeD1MMOS.k 2009/07/04(土) 11:24:17 ID:zbiJjaeA.net
>>185
いや、史料では「病死」。
まあ、実際どうだったかはわからないけどね。

192 :人間七七四年 2009/07/07(火) 04:24:41 ID:K9L0tKHA.net
がんばって華々しく散った人より
放浪で餓死とかのがつれーな。

46: 人間七七四年 2009/02/10(火) 21:41:20 ID:0+LnUg20
石川五右衛門 油をたっぷり入れた大釜で、こんがりと揚げられる。

48: 人間七七四年 2009/02/10(火) 23:39:08 ID:Ypa8EkJs
小笠原長時
源氏の名門小笠原氏の嫡流で信濃守護職
親父が苦労して一族を統一し周辺勢力とも友好関係を築いたのに
家督を継いだらプライドの高さと人望の無さで内外から嫌われ
それにつけ込んだ武田晴信には連戦連敗。ついには所領を追われ
その後は劉備並みの流転人生で転がり込む先が悉く没落するという
貧乏神っぷり。最期は蘆名家(ここも数年後滅亡)にて病死だが
長年いじめてきた家臣に殺られたとの説もある。
「風林火山」じゃ憎めないバカ殿という感じだったのにね。

77: 人間七七四年 2009/02/13(金) 23:05:16 ID:RHqVt3sR
>>48
武田滅亡を見届けられたから良かったんじゃないか?

55: 人間七七四年 2009/02/12(木) 07:39:50 ID:gifc8S4d
戦で死んだ人はまだ本望だろ
最盛期とのギャップで言えばやっぱ伊東義祐か佐久間信盛じゃないかと

58: 人間七七四年 2009/02/12(木) 12:12:53 ID:vsbNhUcF
豊臣秀次しか考えられん。

59: 人間七七四年 2009/02/12(木) 12:25:15 ID:eIwdxJLF
>>58
どう考えても駒姫のが上

73: 人間七七四年 2009/02/13(金) 16:03:23 ID:uNW1BfjU
>>58 >>59
秀次とその家族、お手伝いさん達数十人だね。
ありゃあ惨いよ。

74 :人間七七四年 2009/02/13(金) 20:17:58 ID:n66Gkn3T.net
>>73
秀次の正妻は、池田輝政の姉妹で助かったらしい

438 :人間七七四年 2010/01/24(日) 18:59:15 ID:rPPkIJmZ.net
昨年の溝ドラマで人間であることを完全否定された
桂岩院(景勝の側室)が最上駒姫と並ぶ女性部門トップか。

61: 人間七七四年 2009/02/12(木) 12:58:42 ID:ghkwiSRt
斎藤龍興
美濃滅亡後も各地の大名の客将になり信長に抵抗するが全戦全敗。

561 :人間七七四年 2010/10/30(土) 16:49:34 ID:wBJdTTzZ.net
藤原泰衡だろ
耳は削がれ、眉間に五寸釘打ちつけられたからな
写真で泰衡の骸骨みた事あるけどグロかったぜ

581 :人間七七四年 2010/11/14(日) 00:45:51 ID:f/BuXz+X.net
藤原泰衡は平泉から逃亡しながら鎌倉に対して命乞いの
投書をする等小物臭が半端なかったな。

68: 人間七七四年 2009/02/12(木) 22:31:23 ID:pgeVWgoI
マイケル・ジャクソンがなりそう
2009年6月25日(満50歳没)

158: 人間七七四年 2009/06/28(日) 00:35:19 ID:b8e1YmHs
>>68
すげー

160: 人間七七四年 2009/06/28(日) 04:23:59 ID:dbr6phBM
>>68
何者だろう?

161: 人間七七四年 2009/06/28(日) 09:26:56 ID:6d6voRog
>>68
現在最も信用出来る預言者様www

76: 人間七七四年 2009/02/13(金) 22:54:55 ID:jtQJ4Eg6
悲惨というほどではないけど真田昌幸
もう少し長生きして息子と一緒に脱出してたらな・・・。

82: 人間七七四年 2009/02/14(土) 12:51:01 ID:X+wJd1C5
あとスレタイは荒木一族だ
女房どもの磔で泣き叫ぶ声天にも届かんばかり・・・
家に押し込め火をつけて上へ下へ影が踊る、いくらなんでも正気と思えん

荒木村重
11月19日、信長は「尼崎城と花隈城を明け渡せば、おのおのの妻子を助ける」という約束を、村重に代わって有岡城の城守をしていた荒木久左衛門(池田知正)ら荒木の家臣たちと取り交わした。久左衛門らは織田方への人質として妻子を有岡城に残し、尼崎城の村重を説得に行ったが、村重は受け入れず、窮した久左衛門らは妻子を見捨てて出奔してしまった。信長は村重や久左衛門らへの見せしめの為、人質の処刑を命じた。

12月13日、有岡城の女房衆122人が尼崎近くの七松において鉄砲や長刀で殺された。この事は

百二十二人の女房一度に悲しみ叫ぶ声、天にも響くばかりにて、見る人目もくれ心も消えて、感涙押さえ難し。これを見る人は、二十日三十日の間はその面影身に添いて忘れやらざる由にて候なり。— 『信長公記』

と記されている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/荒木村重

83 :人間七七四年 2009/02/14(土) 13:34:29 ID:djWgNXYN.net
裏切られれば人質は’残酷に処刑’するのがこの時代の常識。
残酷な処刑法をしたからって信長の人格の問題にするのは大間違い。
当時は磔こそが残酷な処刑法と認識されていた。それを火刑に変えたってだけ。

だいたい信長は荒木の家族は最初は助命しようとすらしていたんだが。
それを降伏勧告は拒否する。使者は帰陣して報告の義務があるのに逃亡。
これでお咎めなく助命解放なんてそれこそありえん。

88: 人間七七四年 2009/02/15(日) 20:32:48 ID:ITchj7Wn
ここまで出てないみたいだけど光秀も悲惨だったな
藤孝や順慶にも見捨てられ、最後は土民にうちとられる

92: 人間七七四年 2009/02/15(日) 22:37:11 ID:SqyzWuuv
松永久秀 大好きな九十九と氏ねたから本望かWW
松田憲秀 降伏論者でありながら、切腹を命じられた

95: 人間七七四年 2009/02/16(月) 18:39:54 ID:c/x8Yohb
降伏したのに磔にされた波多野秀治・秀尚兄弟

96: 人間七七四年 2009/02/16(月) 19:46:52 ID:oZ1G3drc
>>95
実際は、城兵がクーデター起して波多野兄弟を拘束して、身柄を差し出して降伏したらしい。
三国志の呂布の最後状態か。

106: sage 2009/02/19(木) 12:00:23 ID:17Ti79Dw
伊達輝宗
伊達家は亡くなる時は代々たたみの上で亡くなっている
らしいけど  この人だけは殺された

109: 人間七七四年 2009/02/20(金) 03:38:47 ID:UaCBm2x2
やっぱ築山殿。しかも死んだ後まで家康による殺害を正当化するため、筋金入り
の悪女にされようとは…

113: 人間七七四年 2009/02/20(金) 17:48:39 ID:28VjZTkO
>>109
山岡荘八氏は静岡に取材に行った時に悪女説が虚構だと感づいてたけど
話を面白くする為にあえてああいう風に書いたみたいだね

111: 人間七七四年 2009/02/20(金) 16:03:10 ID:4UEqKR8y
吉良上野介義央 キレたあんちゃんに切り付けられた上、屋敷を暴徒に襲われて殺される。

112: 人間七七四年 2009/02/20(金) 17:39:19 ID:CS8PBft3
しかも死後も、やってもない事までやった事になって叩かれてた。

120: 人間七七四年 2009/03/11(水) 22:17:27 ID:qEzMiX3D
小早川秀秋

123: 人間七七四年 2009/03/12(木) 23:55:19 ID:YhxT62VW
時代は下るが細川宗孝。
本人自身、何で死んでいくのか分からなかっただろう。

136: 人間七七四年 2009/03/20(金) 01:42:44 ID:phhfUyog
>>123
人違いで殺されたのかよ カワイソス

延享4年8月15日、月例拝賀式に在府の諸大名が総登城した際、宗孝が大広間脇の厠に立つと、そこで旗本寄合席7000石の板倉勝該に突然背後から斬りつけられ絶命するという椿事が出来した。

勝該には日頃から狂気の振る舞いがあり、このときも本家筋にあたる安中藩主板倉勝清が自らを廃するのでないかと勝手に思い込んだ勝該が、これを逆恨みして刃傷に及んだものだった。ところが細川家の「九曜星」紋が板倉家の「九曜巴」紋とよく似ていたことから、宗孝を勝清と勘違いしたのである。

宗孝にとってはとんだ災難だったが、これは細川家にとっても一大事だった。31歳になったばかりの宗孝にはまだ世継ぎがおらず、さりとてまだ若いこともあり、養子は立てていなかったのである。殿中での刃傷にはただでさえ喧嘩両成敗の原則が適用される上、世継ぎまで欠いては肥後54万石細川家は改易必至だった。

この窮地を救ったのは、たまたまそこに居合わせた仙台藩主伊達宗村である。宗村は機転を利かせ、「越中守殿にはまだ息がある、早く屋敷に運んで手当てせよ」と細川家の家臣に命じた。これを受けて家臣たちは、宗孝を城中から細川藩邸に運び込み、その間に藩主舎弟の紀雄(のちの重賢)を末期養子として幕府に届け出た。そして翌日になって宗孝は介抱の甲斐なく死去と報告、その頃までには人違いの事情を幕閣も確認しており、細川家は事無きを得た。

この殿中うっかり刃傷事件の報はたちまち江戸市中に広がり、口さがない江戸っ子はさっそくこれを川柳にして

九つの星が十五の月に消え 剣先が九曜にあたる十五日

と詠んでいる。「剣先」は「刀の先の尖った部分」を「身頃と襟と衽の交わる部分(=剣先)」に引っ掛け、また「九曜」は細川家の「九曜」紋を「供養」に引っ掛けた戯れ歌である。

事件後、細川家では「九曜」の星を小さめに変更した(細川九曜)。さらに、通常は裃の両胸・両袖表・背中の5ヵ所に家紋をつける礼服のことを「五つ紋」というが、その「五つ紋」に両袖の裏側にも1つずつ付け加えて、後方からでも一目でわかるようにした。この細川家独特の裃は「細川の七つ紋」[3]と呼ばれて、氏素性を明示する際にはよく引き合いに出される例えとなった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/細川宗孝

144: 人間七七四年 2009/04/04(土) 21:19:23 ID:4Oixqwaq
>>136
wikiの紹介文、“殿中うっかり刃傷事件”の記述にwwwww

126: 人間七七四年 2009/03/13(金) 10:28:20 ID:SPrrzZ2q
もう少し生まれるのが早ければその軍才を活かす場もあったし、
死後になってまで源氏名“幸村”の人に功績をもってかれるような事もなかったかもしれない、
と思えば毛利勝永もある意味悲惨な末路、かも。

まあ文字通り悲惨な末路なら鋸引きにされた大賀弥四郎とか。
あんな死に方は絶対したくない。

134: 人間七七四年 2009/03/14(土) 09:16:55 ID:Xw3cSYmc
前田利家
病気で苦しんでいるとき長年連れ添った妻に「地獄に落ちますね♪」と言われる

131 :人間七七四年 2009/03/13(金) 20:12:23 ID:ts+XZUD6.net
秋田実李
晩年は自分の木像に対して話し掛けたり飯の世話してたそうな
若いときはあんなに輝いてたのに、、、、

138: 人間七七四年 2009/03/20(金) 12:46:47 ID:rloz7vED
畠山義継
バラバラに切り刻まれた揚げ句に藤蔓で繋ぎ合わせて数キロに渡って引きずられ
街道筋の木にぶら下げて晒された
大名でここまでスプラッターな最後を遂げた人はまずいないかと

140: 人間七七四年 2009/03/21(土) 09:33:57 ID:STN2MtY3
>>138
その義継に拉致されて殺された伊達輝宗もかなり悲惨かと・・・
実質この二人を殺した息子がきっちり天寿を全うするあたり世の不条理を感じるわ

141 :人間七七四年 2009/03/26(木) 13:11:47 ID:l3vkAdK3.net
悲惨なのは大家に生まれながら、全てを失った揚句
困窮しながら生き続け、最後は野垂れ死にってパターンだな・・・

142 :人間七七四年 2009/03/26(木) 18:04:08 ID:/1pNmG2p.net
つまり伊東ですね

150: 人間七七四年 2009/04/05(日) 14:49:04 ID:u0ul8EnD
宇喜多秀家
南海の孤島に流され、船が見えると
手を振って施しを求めたという

146 :人間七七四年 2009/04/05(日) 05:45:16 ID:EVwN4A1p.net
スレ違いだけど
末路というより死後悲惨だったのは斉の桓公
死んだ後彼の家臣たちが勢力争いにあけくれ
遺体は何十日も放置され蛆が湧いたという

151 :人間七七四年 2009/04/05(日) 20:03:12 ID:L9r4sVlJ.net
>>146
その人物と比較するなら、後土御門天皇かな。

お金が無いから息子に譲位出来ず、息子の即位式をするのに21年待ち、
亡くなった後も葬儀をするお金が無いから、遺体を一ヶ月以上そのままにされたという。

152 :人間七七四年 2009/04/06(月) 01:50:11 ID:voeK6qJ4.net
すげえなw

153 :人間七七四年 2009/06/02(火) 18:55:29 ID:K3Kkw/Kk.net
淀君
まさに戦国そのものの浮き沈み
死後もどちらかと言えばDQN扱い

147 :人間七七四年 2009/04/05(日) 13:00:44 ID:iu75iEDg.net
中国の戦国時代なら趙の武霊王は2ヶ月だか自分の息子の軍に宮殿を包囲
され続けて餓死したよね。彼のおかげで趙は秦と張り合える強国になったのに。

193: 人間七七四年 2009/07/07(火) 13:35:36 ID:89VbCqbq
織田秀信
赤ん坊の頃から利用されて最期は高野山で夭折
天下人三代目の可能性もあったのにかなり悲惨な末路

198: 人間七七四年 2009/07/08(水) 22:00:49 ID:yFXWVEdo
>>193
「流された秀信が、土地の娘に手をつけたのが我が家のルーツ」
と、ほとんど与太のような、裏づけも何もない伝説根拠に、
「うちは信長の末裔」と名乗る家が現れてしまった悲劇www

244: 人間七七四年 2009/07/28(火) 19:01:54 ID:89G/MAoD
福島正之
安芸広島五十万石の世継ぎにして、家康の養女を嫁にしていながら最期は餓死かよ・・・
まあ、発狂したという話が本当ならしょうがないのかなとも思うけど。

384 :人間七七四年 2009/09/20(日) 21:42:45 ID:NRjEMHTW.net
福島正之
別所家から養子に貰われてきたが、正則に実子生まれたので
幽閉されて餓死

一番悲惨だとは言わないが哀れではある

386 :人間七七四年 2009/09/21(月) 15:44:46 ID:0v3uI0Ib.net
>>384
広島県に伝わる話だと、鉄砲で民を撃ちかけたとかあるな
正則の実子が生まれ、自分の地位に危惧を感じて狂っていったのかもしれん
最期については割腹自害したという説もあるそうな

388 :人間七七四年 2009/09/21(月) 20:04:17 ID:HlYwI+0V.net
>>386
殺す言い訳だろ>狂っていた

389 :人間七七四年 2009/09/22(火) 00:08:30 ID:qI+xdSoP.net
>>388
言い訳かもしれんが狂ってると伝えられてるって話。
今となっちゃ狂ったってのが本当かどうかはわからん。
腹切って死んだって説もあるし、
個人的には言い訳だと思うけど、断言まではできんよ。
まぁどっちにしても哀れな最期だわなぁ。

390 :人間七七四年 2009/09/22(火) 01:20:49 ID:5Mex11xX.net
切腹を強要されたとか、自殺に見せかけて殺されたとか言う話はあるが
餓死、というのは日本の武士の死に方としては(篭城戦とかは除くと)結構珍しいような気がする
正則は軟禁、廃嫡に留めるつもりでいたけど、正之の方は抗議の意味もこめて
自ら食を断って餓死したのかな、などと思うと余計哀れだな。
ちなみにこの人の息子の大道寺直秀は、福島家再興を画策して、
その動きを危険視した母親に毒殺されたそうな。

393 :人間七七四年 2009/09/22(火) 03:11:48 ID:H1+mk/7y.net
戦国じゃないが、藤原清衡
錆びたノコで首落としたんだよな

391 :人間七七四年 2009/09/22(火) 01:37:01 ID:xPJ54wjJ.net
僧侶とかなら良くある話なような気もするが

245: 人間七七四年 2009/08/03(月) 17:08:53 ID:+6Dqneqx
武田勝頼
周辺諸国から一斉に攻め込まれ、味方には次々に背かれ
ついには女房達をつれて路頭に迷い、最後は餓えで体力をなくしたところを
敵の名も無いような兵に首をもぎとられた。
…なんか集団リンチみたいで残酷さが際立つ滅亡劇。

565 :人間七七四年 2010/10/31(日) 10:46:25 ID:nkhQqJ7c.net
武田勝頼の最期もかなり悲惨。
空腹と疲労で動けないところを織田方の兵に討ち取られ、首は他の首と一緒に
馬にくくり付けられて運ばれ、誰の首だか分からない状態に。首実検でかろうじ
て勝頼の首と分かった。

246: 人間七七四年 2009/08/03(月) 20:29:34 ID:pwhg2jS2
勝頼はなるべくしてなったという感じだろ
死ぬ時も「わしがなんでこんな目に」って泣き言めいた感情はなかったと思うよ

「朧なる 月もほのかに雲かすみ 晴れてゆくへの 西の山の端」

やることはやったんだという満足感が感じられる辞世の句である

414: 人間七七四年 2009/09/30(水) 16:06:48 ID:WQduSqC2
>>246
すごい歌を詠んだもんだよな。この歌はすごい。

721 :人間七七四年 2013/03/21(木) 23:12:11.08 ID:CPEiUndL.net
勝頼って逃避生活に疲れ果てて身動き出来なくなってたところを
無抵抗のまま討ち取られたんだよな
切ないな

722 :人間七七四年 2013/03/21(木) 23:30:16.33 ID:n+68H/LB.net
>>721
まぁ落ち伸びていった先の小山田が裏切って鉄砲撃ちかけてくるわ
後ろからは織田軍が迫ってるわで
まぁ勝頼敵には小山田と穴山が悲惨な死を遂げたのがせめてもの救いだろうな

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251: 人間七七四年 2009/08/05(水) 23:56:46 ID:35jv+ESW
真田幸村って首を取られた後、雑兵が寄ってたかって
只でさえ薄い髪の毛を全部毟られたんじゃなかったっけ?

259: 人間七七四年 2009/08/07(金) 17:19:59 ID:JyFQPZbv
>>251
すんごい戦いっぷりに感銘を受けた連中が、お守り代わりのような意味で丁重にきりとっていったんじゃないっけ。
名誉なことだと思うけど。

421 :人間七七四年 2009/10/06(火) 01:29:59 ID:35ty1S4q.net
わずか10歳で処刑された浅井長政の子、万福丸。串刺し刑が本当なら悲惨過ぎる

423 :人間七七四年 2009/10/09(金) 14:27:27 ID:q4GyqNfP.net
>>421
串刺しで殺すんじゃなくて、
打ち首で殺してから、見せしめのために死体を串刺しにして晒す、という方法。

529 :人間七七四年 2010/06/02(水) 00:00:14 ID:1nedczAw.net
浅井長政の母親だったかが
指を一本ずつ切断されたあげく殺されてるんだよね
単なる大名母堂に過ぎないのに
何でそんな目にあってしまったんだろう
信長を侮辱かなんかしたのかな

530 :人間七七四年 2010/06/04(金) 13:04:49 ID:ThJQ0SUI.net
朝倉義景の母だったと思う>指一本づつ

532 :人間七七四年 2010/06/11(金) 19:04:02 ID:OaIeM0+W.net
指をちょっとずつ信長にちょんぎられたのは小野殿(阿古御料人)
浅井長政の生母

まあ長政の裏切りがよっぽど憎かったということだろう

473 :人間七七四年 2010/03/11(木) 09:39:04 ID:JLw3v+yX.net
初めてこのスレを見てるけど、
足利義昭
じゃないの?
現職の将軍様なのに追放されて鞆の浦に隠棲。
秀吉の唐入り時には名護屋城で布陣している。
信長の下の秀吉にも完全屈服。

474 :人間七七四年 2010/03/11(木) 20:50:25 ID:BafoJxF3.net
義昭はもともと兄たち同様三好松永に殺されるはずだったのが、大逆転で将軍になれた人だからな。
似たような境遇の尼子勝久よりずっと長生きできてるし、むしろいい方じゃないの?

479 :人間七七四年 2010/03/12(金) 19:02:25 ID:JfGH8iMT.net
俺も義昭が悲惨だったという見方は反対だな。
生まれた頃から栄華を極めた将軍から転落したというならともかく、
室町幕府なんて三代義満以外はロクな権力も持たず、
六代は殺され10台あたりから全国流浪が始まってたからな。
とうの昔に有名無実であった将軍家なのに織田や毛利のもとで
寄宿して生きるのがそんな悲惨だったとは思えん。

288: 人間七七四年 2009/08/17(月) 05:54:48 ID:wareytu4
よく考えてみると島流しされたり追放されたり所領をうしなって放浪するやつは
意外と長寿だな

292: 人間七七四年 2009/08/17(月) 10:56:23 ID:fyrK3v4Y
>>288
食事が質素になるからじゃない?
天海とか家康も長寿だし

289: 人間七七四年 2009/08/17(月) 06:49:14 ID:8aq0+8IE
島流し健康法

294: 人間七七四年 2009/08/18(火) 00:18:19 ID:SL+9A1Db
島津勝久一度も出てないな

薩摩島津氏の本家本元で(戦国島津は所詮分家)、
30年も流浪したのに覚えてもらえないという・・・
悲惨の横綱だろう

317: 人間七七四年 2009/08/19(水) 23:22:37 ID:5pPri/S1
>>294
島津勝久は貫久より長生きしてるんだよな。
武田信虎・土岐頼芸もそうだが、追放された側が追放した側より
長生きする事はよくある。

324: 人間七七四年 2009/08/20(木) 19:29:00 ID:Wt6ANt0U
>>317
ストレスの問題だろうな
油断したらいつ殺されるかもわからない強大勢力の当主何十年も勤めてたら
そりゃ病魔も住みやすいわ

590 :人間七七四年 2010/12/31(金) 09:04:35 ID:gbJQFV92.net
武田信虎は八十歳すぎても追放前と変わらぬ荒々しさで、
昔を知る老臣がビビって甲斐に入れさせなかったという

298: 人間七七四年 2009/08/18(火) 20:05:00 ID:W8t/5irl
どう考えても信長が一番悲惨だろ、
天下統一直前に家臣にバーべキューにされ、その政権は家臣に簒奪される。
いいとこなし。

299: 人間七七四年 2009/08/18(火) 21:13:22 ID:+8WdiWCd
いや信長はカッコよすぎるだろ
戦国武将としては唯一世界的に有名なひとだし

303: 人間七七四年 2009/08/18(火) 23:30:50 ID:W8t/5irl
>>299
信長の、あのうすら間抜けな最後のどこがかっこいいのか理解できない。

304: 人間七七四年 2009/08/18(火) 23:42:43 ID:PnP2wqf9
>>299
欧米の評価は家康>>>秀吉>>>超えられない壁>>>信長
特に家康の評価はめちゃくちゃ高い。
Ieyasu で検索するとすげー出るぞ。

ちなみに歴史的人物の欧米人の書き方は苗字・名前なので、
徳川家康や武田信玄も Tokugawa Ieyasu 、Takeda Shingen となる。
Ieyasu Tokugawa、Shingen Takeda としているのはたいていは日本のサイト。

301: 人間七七四年 2009/08/18(火) 22:43:17 ID:GNcc4E9Q
信長は謀反されすぎ。どうしても信頼できない部分があったんだろう。
なんとなく気持ちがわかる。

部下に裏切られるにしても、武田勝頼のほうが悲惨さは数倍上。
こっちはなんか裏切る側が非情な気がする。

353 :人間七七四年 2009/08/30(日) 01:45:04 ID:ra7KFnd1.net
「あまりにも」悲惨ってスレだが、
悲惨度はたいした事ない人物が多く挙がるてるのは確か

354 :人間七七四年 2009/08/30(日) 01:47:55 ID:VLNLMcqV.net
シナや中世ヨーロッパみたいな派手で残虐な処刑がないからな
せいぜい磔に釜茹でだし、

402: 人間七七四年 2009/09/28(月) 12:47:47 ID:zgdhhU0S
殺され方が悲惨な戦国武将か・・・
徳川から武田に寝返ろうとした、大賀弥四郎とかどうだ?
裏切り計画が露見して、妻子磔を見せられた後に、足の腱と両手の指全部切断されて。
首だけ出して埋められて、鋸びきの刑。6日後に死んだみたいだが。

407: 人間七七四年 2009/09/30(水) 01:52:32 ID:ksgnuibw
>>402
大賀弥四郎なんか存在したのかどうかもあやふやだし
そもそも戦場に一度も出たことがない経理の人だからな
武将か?っていわれるとちょっと違和感が

374 :人間七七四年 2009/09/19(土) 19:36:47 ID:Bn9NZkKP.net
信長狙撃した坊さんだろ

380 :人間七七四年 2009/09/20(日) 00:15:28 ID:tarr61bb.net
>>374
杉谷善住坊な。鋸引きの刑。

371 :人間七七四年 2009/09/19(土) 13:56:52 ID:2cKididI.net
末路が悲惨というか
「殺され方がいちばん悲惨な戦国武将」っていったら誰だろうな?
処刑が地味な日本じゃなかなか難しいか?
シナの処刑もグロいが欧州も鉄板の上で焼き殺したりすさまじいものがあるからな

373 :人間七七四年 2009/09/19(土) 16:05:21 ID:uneRQjZi.net
>>371
戦国武将の家柄の人物なら石川五右衛門(一色家家臣石川氏出身説がある)。
釜煎りの刑(釜茹では誤伝)だから、焼いた鉄釜で煎られるという
>鉄板の上で焼き殺したり
これと似たような感じ。
残虐な殺し方についてはキリシタンに対する拷問方法が一番残酷。
蓑踊りとか。
あと秀吉は播磨攻めの際に反抗した郷村の人間を見せしめのため串刺し刑にしてる。
逆さ串刺しだったかな?
そんで街道そばにズラリと並べた。
国許の近江に「せいせいしたぜw」みたいな手紙を送っている。
日本の残酷な処刑というと「鋸引き」じゃないかなぁ。

まっとうな戦国武将ならやっぱ秋山ぐらいしかいない気もする。
日本だとほとんど自害か斬首・磔刑・切腹だからな。

382 :人間七七四年 2009/09/20(日) 11:19:03 ID:BSvd//Bu.net
>>373
だから戦国武将だっていってんだろw

383 :人間七七四年 2009/09/20(日) 17:50:45 ID:DuSO5bMS.net
>>382
くそ、そう言われるだろうと思ったが実際に言われるとほんと悔しいなw
だって残酷な死に方した戦国武将ってなかなか見つかんねーんだもんw
逆さ磔ぐらいしか見当たんねーw

385 :人間七七四年 2009/09/21(月) 03:02:53 ID:COlbJWXt.net
幕末まで行けば勤皇志士が拷問死されてるんだけど
思いっきり戦国じゃないし

346 :人間七七四年 2009/08/25(火) 02:45:09 ID:jooKBjAb.net
お前ら大昔の死んだ人達の事でなにやってんの?やめなさい恥ずかしいw

347 :人間七七四年 2009/08/26(水) 01:37:49 ID:gqxn0oQl.net
>>346
おまえはなんのためにこの板にいるんだよw
現代板住民ならそっちいけw

404: 人間七七四年 2009/09/28(月) 18:53:44 ID:HHbomWeT
二階堂なんちゃらも、死んだ後のあつかいが、、、
某ゲームのグラなんか凄いよ。

405 :人間七七四年 2009/09/28(月) 19:05:36 ID:S0snVhSG.net
息子は天下一の美男子なのにな。

78 :人間七七四年 2009/02/13(金) 23:21:07 ID:jeShwqHL.net
俺がもうじきそうなりそうだorz

79 :人間七七四年 2009/02/14(土) 08:04:35 ID:XCzP7tHJ.net
良い時期がなかったのにか?

598 :人間七七四年 2011/01/04(火) 14:12:58 ID:0wAMeUdu.net
死んだ後も永久に腰抜けとか馬鹿って言われ続けるのが一番悲惨だよな・・・
「名こそ惜しめ」とはよく言ったものよ

797 :人間七七四年 2013/08/15(木) NY:AN:NY.AN ID:8DzZI/7h.net
良スレの予感

798 :人間七七四年 2013/11/02(土) 10:40:15.41 ID:X70xVdbo.net
断トツで俺

参照元:https://ikura.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1234095239/

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