2(左) 木曽駒ヶ岳大量遭難事故(1913・11名)
3(中) 福岡大学ワンゲル部ヒグマ事件(1970・3名)
4(一) 八甲田山雪中行軍遭難事故(1902・199名)
5(三) 吾妻連峰雪山遭難事故(1994・5名)
6(捕) エベレスト大量遭難(1996・8名(日本人1名))
7(二) 富士山大量遭難事故(1972・24名)
8(遊) ニコ生主富士山滑落事故(2019・1名)
9(投) トムラウシ山遭難事故(2009・9名)
日本人が死亡してる事故で、ネットに情報がまとめてあるものを選んだ
話聞くだけでも恐ろしかったが
1989年10月8日から立山三山を縦走中だったパーティ10名が荒天により遭難、うち8名が死亡した事故。登山ブームと交通機関の整備により、経験の不足している未熟な登山者が増加し発生した、最初の大量遭難事故とされている。
1913年8月26日から27日にかけて日本列島を襲った台風により、木曽駒ヶ岳を登山中だった生徒・教員38名が遭難、うち11名が死亡した事故。後に小説化、映画化もされた。
慢心、準備の違い
指揮官が違うと運命も違う典型やな…
でも別働隊に無理やり引っ張られて死んだ現地民おったはず
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カセットテープもこれだったっけ
1970年7月25日から27日にかけてカムイエクウチカウシ山で発生した獣害事件。ヒグマが福岡大学ワンダーフォーゲル同好会のメンバー5人を襲撃し、3名が死亡した。メンバーのひとりがヒグマに殺害されるまでの心境を克明に記録したメモが存在する。
続きやってくわ
執拗に追跡された事件だっけ。
1902年1月23日より、冬季軍事訓練のため八甲田山に入山した日本陸軍第8師団歩兵第5連隊210名が悪天候に見舞われ遭難、うち199名が死亡した、近代登山史における世界最悪の遭難事故。小説や映画、テレビ番組の題材に度々なっており、日本一有名な山岳事故でもある。
1994年2月13日より発生した猛吹雪により、7名のパーティが遭難、うち5名が死亡した遭難事故。メンバー全員に登山経験があったにもかかわらず、天気予報の確認をしなかったこと、装備・計画の不備により、吾妻連峰最大の遭難事故を引き起こした。
1996年5月10日から12日にかけてに起きた、エベレスト登山史上最大規模の遭難事故。商業登山会社によるツアー登山で発生し、行程の大幅な遅れと悪天候によりガイドと顧客のうち日本人1名を含む8名が死亡した。
商業登山はシェルパやガイドが荷揚げやルート工作を行うため、必要な技術や経験を持ち合わせないアマチュアでも入山できてしまう点が問題視されている。
行列ができるようなスポットだものなあ…
1972年3月19日から20日にかけての悪天候の中、下山を強行した登山者が低体温症や雪崩により、18名が死亡、6名が行方不明となった事故。
軍隊の訓練を別とした日本の登山史上として最悪の遭難事故となった。
2019年10月28日に、ニコニコ生放送で動画配信をしながら富士山を登っていた男性が山頂から滑落した事故。
滑落の瞬間がインターネットで生配信されるという、極めて珍しい事故であったため、ネットユーザーのみならず世間の耳目を集め大きな話題を呼んだ。
2009年7月16日からの悪天候により、北海道にあるトムラウシ山を登山中だったツアー客とガイド、単独行の登山者計9名が死亡した事故。過密日程やガイド同士の連携不足、ツアー客の登山に対する認識の不足など、国内でのツアー登山の問題点が浮き彫りになった。
また、このツアーを企画したアミューズトラベル社は、2012年に万里の長城を巡るツアーでも死亡事故を起こし廃業。トムラウシ山ツアーにて業務上過失致死罪に問われた同社社長とガイドリーダー(死亡)は、2018年3月嫌疑不十分で不起訴となっている。
ツアー側もやが客もアホで
・悪天候
・情報収集能力の不足(山や天気の情報収集を怠った)
・判断ミス(本来撤退または待機すべきところ、登山を強行した)
・装備の不足(当然携帯すべき雨具やビバーク装備、雪山装備品を持っていなかった)
などのミスが重なって起きたのが共通点やで
登るの疲れるし降りるの怖いし熊怖いし
みんなもこれらの事故を反面教師に楽しく登山してや!
雪山は別だなぁ…
関係ないけど三毛別羆事件もよう読んでヒグマの生態を把握してクレメンス
週末の登山の準備するから、ほなまた…
日本昔ばなし: 「吉作落とし(きっさくおとし)」
崖の途中に取り残された、哀れな一人の男の話
ある山に、岩茸(いわたけ)を採って暮らしている「吉作」という若者がいた。独り暮らしの吉作は山の男らしく、身も心も清くたくましい立派な若者だった。
ある晴れた日、初めて入った傾山(かたむきやま)のある岸壁で岩茸を採っていた。岩茸はそそり立つ断崖絶壁の壁面に生えているため、綱一本に捕まりながら採るという大変な仕事だった。岩茸はたくさん採れ、ふと崖の途中に人が座れるくらいの小さな岩棚があるのに気が付いた。苦しい姿勢が続いていた吉作は、岩棚に降りてしばらく休憩する事にした。
岩棚に座って十分に休憩しそろそろ上にあがろうとすると、今までぶら下がっていた綱に手が届かない。吉作の体重を支え伸びきっていた綱は、吉作が手を放した際にずいぶん上の方まで上がってしまっていた。吉作は、岸壁の途中に一人で取り残されてしまった。
吉作は声を限りに何度も叫んだが、その声は岸壁にこだましまるで化け物の叫び声のようになった。何日か経ち、吉作は飢えと寒さのためほとんど意識を失いかけていた。おぼろげな意識の中で、「鳥のようにふんわりと飛んで着地できるかもしれない」と錯覚し、崖の岩棚から身を踊らせた。吉作は、美しい紅葉で赤く染まった谷間に消えていった。
後に、この事を知った村人達はあの岩場を「吉作落とし」と名付け、山に登る人々の戒めとしたという。
http://nihon.syoukoukai.com/modules/stories/index.php?lid=1067
普通の気軽な気持ちと、遭難の分岐点が描かれてて。
死者は還らず
映画も良かったけど読んでないと細部で何が起きてるか分からん作りやったな
参照元:https://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1583301687/