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221 :Opqr ◆XLjdU8ssbY 2013/05/07(火) 21:02:12 ID:iO/v/Aww0
帰国したセレツェは、牧畜を営みながら
ングワトの長老として活動していた。
民会の副議長や、1959年にツェケディが死去した後は
ツワナ8部族からなる部族評議会の事務局長を務めていた。
とはいえ、このころにはまだ積極的な独立構想を有するわけではなく、
地方政治家の一角を占めていたにすぎない。
この状況は、一人の男との出会いによって動き出す…
222 :Opqr ◆XLjdU8ssbY 2013/05/07(火) 21:02:12 ID:iO/v/Aww0
1961年。
あなた、お客様
なんだよ、たまの休日に
…しょうがないな
223 :Opqr ◆XLjdU8ssbY 2013/05/07(火) 21:02:45 ID:iO/v/Aww0
はじめまして、やる夫だお
はじめまして、やる夫さん。
私は南部のカニエから参りました、
クェット・マシーレと申します。
ングワケツェ族出身で、
以前はカニエ中等学校の校長をしていたんですが、
今は新聞社の社主ですな。
224 :Opqr ◆XLjdU8ssbY 2013/05/07(火) 21:04:03 ID:iO/v/Aww0
中等学校の校長先生ですか。それはすごい※
そんな偉い人が、やる夫に何の用かお?
※中等学校=中学+高校。この当時ベチュアナランドには大学がないので、
中等学校の校長は最高学府の長となります
…正直にお聞きしますが、
やる夫さんはベチュアナランドがこれからどうなっていくべきとお考えですか?
225 :Opqr ◆XLjdU8ssbY 2013/05/07(火) 21:04:56 ID:iO/v/Aww0
…いずれ独立は必要だお。
ただ、むやみやたらな独立運動や排外運動は、
ただでさえボロボロのベチュアナランド経済に耐えられるもんじゃないお。
外国からの支援なしでは一日も立ち行かないんだから、
国内で急進的な言動は避けて協調するしかないお。
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226 :Opqr ◆XLjdU8ssbY 2013/05/07(火) 21:05:37 ID:iO/v/Aww0
(そう、少しでも急進的な言動をすればすぐに大国に睨まれてしまう)
(あの騒動の時にそれは思い知ったお)
(そして、それを跳ね返す力は今のベチュアナランドではどこを振っても出てこない)
(だったら、大国の機嫌をそこねないように、すこしずつ力をつけていくほかはない)
227 :Opqr ◆XLjdU8ssbY 2013/05/07(火) 21:06:11 ID:iO/v/Aww0
(そう、あんなふざけた真似を、二度とさせないように)
228 :Opqr ◆XLjdU8ssbY 2013/05/07(火) 21:07:16 ID:iO/v/Aww0
なるほど、大変よくわかりました。
ありがとうございます。
ところで、なんでいきなりそんなことを聞くんだお?
229 :Opqr ◆XLjdU8ssbY 2013/05/07(火) 21:07:39 ID:iO/v/Aww0
単刀直入に言います。
あなた、ベチュアナランドの首相になりませんか?
230 :Opqr ◆XLjdU8ssbY 2013/05/07(火) 21:08:26 ID:iO/v/Aww0
いやいや、ベチュアナランドに首相なんて役職ないから。
そもそも議会もないから。
どうせ数年もしないうちに開設されますよ。
そうしたら独立だ。
今のイギリスに、植民地を維持し続ける実力も意思もありゃしませんからな。
231 :Opqr ◆XLjdU8ssbY 2013/05/07(火) 21:09:05 ID:iO/v/Aww0
イギリスは戦後経済力を回復しつつあったものの、
広大な植民地群を経営するには圧倒的に国力が不足していることは
もはやだれの目にも明らかだった。
そして、セレツェが帰国したのと同時に起きたスエズ動乱において
イギリスの軍事的威信は回復不可能なまでに打撃を受け、
これ以後イギリスは各植民地の統治をほぼあきらめる。
アジアの全植民地は独立し、
アフリカでも北方から順に独立が続く状態であった。
232 :Opqr ◆XLjdU8ssbY 2013/05/07(火) 21:09:55 ID:iO/v/Aww0
しかし、やる夫は結婚の件でイギリスからも南アフリカからも不興を買っているお。
やる夫がトップになってもトラブルが起きるだけじゃないかお?
そこいらへんは大丈夫ですよ。
やる夫さんが王位を放棄した時点で、両国とは和解が成立したと解釈していい。
向こうの言い分をすべて飲んだわけですからね。
だから、公職に就いても何も言ってきてないでしょう?
233 :Opqr ◆XLjdU8ssbY 2013/05/07(火) 21:11:19 ID:iO/v/Aww0
でも、それだけ独立容認の動きが目に見えてるなら、
やる夫じゃなくても立派な候補がもう出てるんじゃないかお?
いるにはいるんですけどね。
アフリカ統一主義者でアフリカ各国の連帯を訴え、
白人追放とアフリカ人のみの政府を訴える社会主義者で
アパルトヘイト急進反対派…
237 :名無しさん 2013/05/07(火) 21:13:29 ID:6M3uatls0
何その役満人物wwwww
234 :Opqr ◆XLjdU8ssbY 2013/05/07(火) 21:11:53 ID:iO/v/Aww0
トラストミー!!
ベチュアナランド人民党の
モツァイ・ムポ氏です!
(この物語はフィクションです。実在の人物・団体とは一切関係ありません)
235 :Opqr ◆XLjdU8ssbY 2013/05/07(火) 21:12:36 ID:iO/v/Aww0
…やる夫が出ないとどうしようもねーということは理解したお
236 :Opqr ◆XLjdU8ssbY 2013/05/07(火) 21:13:22 ID:iO/v/Aww0
わかっていただけましたか!
今ベチュアナランドに必要なのは、保守的で穏健な指導者です!
この条件を満たすのはあなたを置いてほかにいません!
…そのスタンスがほかにいないとか、
どうなってんのこの国…
238 :Opqr ◆XLjdU8ssbY 2013/05/07(火) 21:14:31 ID:iO/v/Aww0
こうして1961年、
カーマとマシーレによってベチュアナランド民主党が創設される。
基本理念は保守主義で、無用な対立は避けつつ改革を進めていくことを目指した
非常に穏健な党だった。
239 :Opqr ◆XLjdU8ssbY 2013/05/07(火) 21:18:49 ID:iO/v/Aww0
【英領ベチュアナランド高等弁務官】
ふーん。
ま、いいんじゃないの。
マシーレの予想通り、英国側から強い反発は起きなかった。
ベチュアナランドは利益に対して金がかかりすぎ、
到底維持すべき植民地ではなかったのである。
240 :Opqr ◆XLjdU8ssbY 2013/05/07(火) 21:19:48 ID:iO/v/Aww0
独立運動は淡々と進み、1963年には憲法制定会議が南部のロバツェにて開始された。
会議に招かれたのは、当時ベチュアナランドにあった3党。
ベチュアナランド人民党
フィリップ・マタンテ
ベチュアナランド人民党ムポ派(内ゲバで叩き出された)
モツァイ・ムポ
241 :Opqr ◆XLjdU8ssbY 2013/05/07(火) 21:20:31 ID:iO/v/Aww0
そして、ベチュアナランド民主党のやる夫である。
独立に対して3党に異議はなく、
1点を除いては会議は非常に順調に進んだ。
問題となったのは、選挙権をどこまで認めるか、ということである。
242 :Opqr ◆XLjdU8ssbY 2013/05/07(火) 21:21:23 ID:iO/v/Aww0
ツワナ人は定住民ではあるが、経済は牛の牧畜に大きく依存していた。
とはいえ砂漠か半砂漠ばかりのベチュアナランドにおいて、
飼育できる牛の数は必ずしも多くない。
必然的に、多くの働き手があぶれることになる。
243 :Opqr ◆XLjdU8ssbY 2013/05/07(火) 21:21:53 ID:iO/v/Aww0
カメとかキノコとか、
変な生き物しかいないんだぜあの鉱山
マジかよ
あぶれた労働力の多くは、南アフリカの鉱山で鉱夫として働いていた。
農業収入は国家全体の35%を占めるにすぎず、
歳入の多くは鉱山労働者からの送金に頼っていた。
244 :Opqr ◆XLjdU8ssbY 2013/05/07(火) 21:22:49 ID:iO/v/Aww0
これらの鉱山は危険な環境のものが多く、
低賃金で、定着を防ぐために妻の同伴も許されず、
さらに白人との労働格差を日々目の当たりにする職場であった。
白人たちの多くは安全で楽な職場で高い賃金を得ていた。
人種差別立法によって、こうした仕事に黒人がつくことは禁じられていたのである。
鉱山とは、アパルトヘイトの現実が最も目につきやすい場所だった
いきおい鉱夫たちは反アパルトヘイト的となり、急進化していった。
245 :Opqr ◆XLjdU8ssbY 2013/05/07(火) 21:25:58 ID:iO/v/Aww0
もう一つの問題は、国内に居住する白人…特にアフリカーナーに関するものであった。
ベチュアナランドはあまりにも貧しいため白人はそれほど多くなかったが、それでもある程度の人数はいた。
英国系も少数居住しそれなりの勢力を持ってはいたが、
グレート・トレック期にカラハリ砂漠のオアシスに住み着いたアフリカーナーは、
彼らの技術で岩盤の下にある良質の水源を掘り当て、
大牧場を経営していて侮れない勢力を持っていた。
だが彼らの多くは南アフリカ国籍を取得しており、その扱いも焦点となったのである。
246 :Opqr ◆XLjdU8ssbY 2013/05/07(火) 21:26:37 ID:iO/v/Aww0
選挙権は英国籍を持つものに限ろう。
南アフリカ国籍の者は外国人扱いで、参政権は与えない方向で。
問題は、南アフリカへの出稼ぎ労働者の救済案だ。
…郵送投票を認めてはどうだろう?
(彼らが投票できれば、反アパルトヘイトのうちが有利になるからな)
異議なし。
やっぱり国民同士、友愛が大切だよね
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247 :Opqr ◆XLjdU8ssbY 2013/05/07(火) 21:27:21 ID:iO/v/Aww0
国籍については問題ないけど…
郵送投票だと、信頼性に問題があるお
申し訳ないが、国外にいる場合は投票を遠慮してもらうしかないと思うお
(冗談じゃない。急進派をこれ以上抱え込んだら選挙が危ない)
結局やる夫の提案が通り、郵送投票案は見送られた。
これにより、国外急進派の影響力は大きく削られることとなった。
248 :Opqr ◆XLjdU8ssbY 2013/05/07(火) 21:28:38 ID:iO/v/Aww0
そして1965年、ついに自治政府樹立のための選挙が実施されることとなった。
人民党と独立党(ムポ派が改称)はアフリカの連帯を訴え、
反白人と急進的で理想的な政策を掲げた。
政権交代さえすればできるんです!
白人を追い出し、豊かなベチュアナランドの実現を!
249 :Opqr ◆XLjdU8ssbY 2013/05/07(火) 21:29:16 ID:iO/v/Aww0
今のベチュアナランドの現状じゃ、
夢みたいなことは言えないお。
1950年には貧困度が世界で下から4番目だったような国に、
異分子を排除する余裕だってない。
国内すべての人種で協力して、
牧畜を中心に、少しでも豊かな国を作っていくお!
これに対しセレツェは、反白人のスローガンを掲げず、
あくまで穏健な改革案に終始した。
250 :Opqr ◆XLjdU8ssbY 2013/05/07(火) 21:31:24 ID:iO/v/Aww0
この中じゃ民主党が一番マシかなあ
この穏健さは、白人社会からも好意的に受け入れられた。
セレツェの妻が白人であることも、民主党への好意につながった。
白人が妻であるなら、急進的な反白人主義には将来にわたって走らないと考えられたからである。
251 :Opqr ◆XLjdU8ssbY 2013/05/07(火) 21:31:57 ID:iO/v/Aww0
やる夫様が選挙に出馬された!
ングワトの全力を持って支援しなくちゃ!
ングワトはもちろんセレツェ支持だった。
彼らはいまだにセレツェのことを王とみなしていた。
252 :Opqr ◆XLjdU8ssbY 2013/05/07(火) 21:33:20 ID:iO/v/Aww0
ングワトの先王が出るのか
主張も悪くないし、ここは支持しとくか
他7部族の首長も、セレツェを王族とみなすことに違いはなかった。
ングワト優遇との危惧も、ングワケツェ出身の副党首・マシーレの存在によって薄れていた。
253 :Opqr ◆XLjdU8ssbY 2013/05/07(火) 21:38:24 ID:iO/v/Aww0
そしてなにより、結婚騒動によってセレツェの名前はベチュアナランドのすみずみにまで鳴り響いていた。
話題の少ない辺境のこと、黒人の王と白人女性の悲恋は格好の話題だった。
そしてセレツェの行動と騒動の顛末も、また国民のほとんどは知っていた。
こうして民主党は、国土全域にわたる幅広い支持を得ることに成功した。
254 :Opqr ◆XLjdU8ssbY 2013/05/07(火) 21:38:57 ID:iO/v/Aww0
そして、選挙当日…
【投票中】
【開票中】
255 :Opqr ◆XLjdU8ssbY 2013/05/07(火) 21:39:35 ID:iO/v/Aww0
結果は民主党の大勝利に終わり、セレツェの政権獲得は決定的となった。
民主党 28議席(31議席中)
256 :Opqr ◆XLjdU8ssbY 2013/05/07(火) 21:40:29 ID:iO/v/Aww0
こうして1965年、セレツェは独立準備のための初代自治政府首相に就任。
ベチュアナランドは独立への道を歩み始めた…
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268 :名無しさん 2013/05/07(火) 22:13:04 ID:kn3Pqc/o0
政策を見たのか、単に王様だとか有名人だとかで入れたのか
そのへんの研究とかもされてるのかな?
269 :Opqr ◆XLjdU8ssbY 2013/05/07(火) 21:39:35 ID:iO/v/Aww0
>>268
両方みたいですねえ。
政策を見たのもいたし、王として支持したのもいたし、
政策がいい上に血統もよろしいということで支持したのもいたし。
279 :名無しさん 2013/05/08(水) 09:17:57 ID:M01nA3eY0
選挙はやっぱイギリス式に小選挙区だったんだろうか?
281 :Opqr ◆XLjdU8ssbY 2013/05/07(火) 21:39:35 ID:iO/v/Aww0
>>279
はい、小選挙区です。
じゃなきゃいくら相手があれでもここまでの大差はつきません。
ちなみに小選挙区制は現在まで継続中です。
275 :名無しさん 2013/05/07(火) 23:33:04 ID:6M3uatls0
当時のベチュアナランドや周辺地域の情勢もちょっと解説して欲しいな。
ど田舎とジャイアンくらいしか分からんので申し訳ない^^;
289 :Opqr ◆XLjdU8ssbY 2013/05/07(火) 21:39:35 ID:iO/v/Aww0
>>275
ベチュアナランドの情勢は…おいおい書いていくとは思います。
基本的にド貧乏ということ以外はそれほど特筆すべきことはないんですが。
276 :名無しさん 2013/05/08(水) 01:10:27 ID:xqNAmc0A0
乙
やらない夫の人の経歴凄いな
国民のために出来ることを探してたらこうなったみたいな感じ
300 :Opqr ◆XLjdU8ssbY 2013/05/07(火) 21:39:35 ID:iO/v/Aww0
>>276
ちなみにやらない夫の人が校長になったのは25歳の時です。
やらない夫はやる夫の4つ下です。
だから政権獲得時はやる夫が44、やらない夫が40ですね。
286 :名無しさん 2013/05/09(木) 01:55:50 ID:sBWvEOCw0
25で校長とは
俺はそん時何やってたっけなあ…(遠い目)
287 :名無しさん 2013/05/09(木) 08:10:42 ID:AF7c0b/g0
高等教育がごっそり欠けてる状態だから、逆に言うと出来がよければあっさり上限に達するわけで
資産とか家柄がそこそこで頭がよければ25で校長もそう不思議でもないと思う
288 :名無しさん 2013/05/09(木) 09:42:19 ID:xLiL7/io0
明治の元勲は20代30代で日本動かしてたがそんなのと同じでしょう
他の独立なり共産化の革命家もそうですし
294 :名無しさん 2013/05/10(金) 13:10:54 ID:p2c1VDOE0
D.R.コンゴも独立時の軍参謀長は30歳、5年後にそいつが2代目大統領だ。
「解放者、舵取り役、救世主、指導者、何にでも飛び乗る雄鶏」で
あらせられるところのモブツさんじゃないですかー!やだー!
モブツさんは映画とかに出てくる邪悪な三流独裁者すぎて、
史実がスラップスティックにしか見えなくなるという稀有な才能をお持ちの方です。
295 :名無しさん 2013/05/10(金) 19:24:40 ID:OsqOzGD.0
アフリカ独立の年代のアフリカ諸国の平均寿命40歳を切ってった気がするから20代は中堅世代になると思うのだが?
ちなみに、平均寿命が短いからって
一線級の政治家の年齢がそこまで低くなるということは基本ないですよ。
長生きする人は長生きしますし。
ただ、新独立国の首脳、とくにフランス領とかで割と簡単に独立できた国だと
独立運動の歴史が数年しかなかったりするんで、
若いのがそのまま首脳になったりしますね。
年を取ってから独立運動を始めることって少ないですし。
だから、アフリカ独立時の政治家はわりと最近まで生きてる人が多い。
ケネス・カウンダ(ザンビア)なんかまだご存命ですし、
DRコンゴのアントワーヌ・ギゼンガが数年前カビラ(子)政権の首相になったときは本気でびびった。
コンゴ動乱の時に処刑されてるとばかり思ってた。
308 :Opqr ◆XLjdU8ssbY 2013/05/11(土) 20:02:36 ID:.FvDV6e.0
1965年。
やあやあ、首相就任おめでとう。
ぼくはベチュアナランド保護領の高等弁務官だよ。
短い間だろうけど、よろしく頼むよ。
新首相のやる夫と申しますお!
こちらこそ、よろしく頼みますお!
310 :Opqr ◆XLjdU8ssbY 2013/05/11(土) 20:03:29 ID:.FvDV6e.0
さっそくだけど、国内に新首都を建設しておいたよ。
さすがに独立国となると、国外に首都を置いとくわけにいかないからねえ。
お代はいらない、引き出物だと思ってくれればいいよ。
それは助かりますお!
うちの国力じゃ庁舎建設にも一苦労なんで!
311 :Opqr ◆XLjdU8ssbY 2013/05/11(土) 20:04:10 ID:.FvDV6e.0
そう言ってくれるとうれしいな。
見てよ!これがベチュアナランドの新首都だよ!
どうだい!このしっかりとした都市計画!
新首都 ガベロンズ(見るからに計画都市)
312 :名無しさん 2013/05/11(土) 20:04:41 ID:NzHIUxs20
す、すごいですね!
313 :Opqr ◆XLjdU8ssbY 2013/05/11(土) 20:05:04 ID:.FvDV6e.0
…これは…
314 :Opqr ◆XLjdU8ssbY 2013/05/11(土) 20:05:27 ID:.FvDV6e.0
すげえだろ!
あの貧相な村が、こんなになるなんて!
さすが世界の大英帝国だろ!
315 :Opqr ◆XLjdU8ssbY 2013/05/11(土) 20:05:51 ID:.FvDV6e.0
316 :名無しさん 2013/05/11(土) 20:06:10 ID:NzHIUxs20
劇的ですね!
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317 :Opqr ◆XLjdU8ssbY 2013/05/11(土) 20:06:41 ID:.FvDV6e.0
お、おう。
喜んでもらえてうれしいよ。
ま、前のマフェキング政府庁舎は南アフリカの連邦離脱で
かなり使いにくくなっちゃったしねえ。
.この際援助ついでに新調させてもらうことにしたのさ。
318 :Opqr ◆XLjdU8ssbY 2013/05/11(土) 20:07:23 ID:.FvDV6e.0
【南アフリカ共和国首相 ヘンドリック・フルウールト】
南アフリカ共和国はイギリス連邦を脱退する!
もともと反英派の強い南アフリカ、特にアフリカーナーにとって、
英国王を元首とする立憲君主制の廃止は悲願だった。
1960年、ついに国民投票が行われ、英国系の多いナタール州を除く3州が王制廃止に同意。
南アフリカは連邦から共和国となる。
共和制のままでも英連邦への加盟はできるので、フルウールトは継続加盟申請を出したのだが、
反アパルトヘイト派のインドなどの強力な反対にあうと、あっさりと連邦を脱退してしまったのだ。
319 :Opqr ◆XLjdU8ssbY 2013/05/11(土) 20:08:25 ID:.FvDV6e.0
でも、「ガベロンズ」ってむちゃくちゃ発音しにくいお
昔のクウェナの族長の名をとったらしいけど、
英語なまりにもほどがあるお
そうですな。
ツワナ語の発音だと少し綴りも違って、「ハボローネ」になりますからな。
320 :名無しさん 2013/05/11(土) 20:09:05 ID:NzHIUxs20
全然違うのね、発音
321 :Opqr ◆XLjdU8ssbY 2013/05/11(土) 20:09:12 ID:.FvDV6e.0
まあ、その辺は独立してから考えてよ。
それより、言いにくいんだけどさ…
本当に独立するの?
もちろんですお
…何か問題でも?
322 :Opqr ◆XLjdU8ssbY 2013/05/11(土) 20:09:42 ID:.FvDV6e.0
正直、やってけると思えないんだよね。
産業って牧畜だけでしょ?
ぶっちゃけ、行政費すら税収から捻出できないわけだし。
南アフリカに合併してもらって面倒見てもらったほうがいいんじゃない?
いくらなんでも、それはありえねーですお
豊かであっても奴隷にされちゃたまらない。
324 :名無しさん 2013/05/11(土) 20:10:18 ID:NzHIUxs20
そこまで貧しかったのか
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323 :Opqr ◆XLjdU8ssbY 2013/05/11(土) 20:10:11 ID:.FvDV6e.0
南アフリカのアパルトヘイトはますます盤石となり、
このころには絶頂期を迎えていた。
国内の荒れ地にはホームランドと呼ばれる居留地が設定され、
国内黒人のほとんどはここに集められた。
しかしホームランドは不毛の地であり、
多くの黒人はヨハネスブルグなどの大都市の近郊にソウェトなどの「タウンシップ」と呼ばれる
巨大なスラム街を作り、そこから大都市へと通勤していた。
325 :Opqr ◆XLjdU8ssbY 2013/05/11(土) 20:10:42 ID:.FvDV6e.0
そして何より問題なのは、
そんな状況でも周辺諸国より南アフリカの黒人のほうが暮らし向きがいいという現実だった。
いくら使い捨てとはいえ、効率向上のために最低限の保障をしているところも多かった。
南アフリカは各種産業をすべて備えた大国であり、全く産業のない周辺の新興黒人諸国から多数の労働者を受け入れていた。
そのなかでも、産業のさの字もないベチュアナランドからは多くの労働者が流れ込んでいたのである。
326 :Opqr ◆XLjdU8ssbY 2013/05/11(土) 20:11:21 ID:.FvDV6e.0
うちとしても数年は援助できるけどさ、
いつまでも援助頼りというわけにもいかないし。
南アフリカとは縁が薄くなったし、
あそこの肩を持つ義理もないんだけどね。
とりあえずお断りしておきますお。
いくら現実主義とはいえ、それはさすがにやっちゃいかんでしょ。
327 :Opqr ◆XLjdU8ssbY 2013/05/11(土) 20:12:46 ID:.FvDV6e.0
ま、そういうならこの件はここでおしまいにしようか。
それより、頼んでおいた新政府の組織案だけど、
できたかな?
\
もちろんですお。
首相職は廃止して、そのまま大統領に。
議会は二院制で、上院(族長会議)は各地の首長を議員に、
下院(国民議会)は今の準備議会をそのまま持ってきます。
ただ、下院は大統領選出議席を4議席作りますお。
328 :Opqr ◆XLjdU8ssbY 2013/05/11(土) 20:13:17 ID:.FvDV6e.0
大統領選出議席?
その制度がある国は結構あるけどさ、
割と民主主義に抵触しかねないよ?
329 :Opqr ◆XLjdU8ssbY 2013/05/11(土) 20:13:45 ID:.FvDV6e.0
作者が「巨乳分を!一心不乱の大巨乳分を!」
ということで急きょ登板させられました、
解説の高良みwikiです。
大統領選出議席というのはその名の通り、
大統領が自分で勝手に選べる議席のことです。
在野の賢人を自由に登用できるという点ではよいのですが、
ともすると大統領の勢力拡大に利用されがちで、
民主国家で採用している国はあまりありませんね。
330 :Opqr ◆XLjdU8ssbY 2013/05/11(土) 20:14:24 ID:.FvDV6e.0
でも、これはぜひとも欲しいとこだお。
各地の王は首長院で拾えるけれど、
王以外の賢人も残さず登用しないと国が危ないお。
ベチュアナランドに贅沢言ってる余裕はないですから。
まあ、強いては止めないけどさ。
それで、この族長会議というのは?
331 :Opqr ◆XLjdU8ssbY 2013/05/11(土) 20:14:56 ID:.FvDV6e.0
それは自信作ですお。
今までの部族評議会の拡大版で、ツワナ8部族の王8人、
それに王制のない非ツワナ人地区4地区からは選挙で選ばれた4人、
合わせて12人からなる議会ですお。
立法権はなくて諮問機能だけですけど。
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332 :Opqr ◆XLjdU8ssbY 2013/05/11(土) 20:15:25 ID:.FvDV6e.0
やる夫の件でもわかるように、
民主制とはいえ、いや、だからこそ、
ツワナ各部族において王の存在は大きなものだった。
伝統的権威のうえ、部族内利害の調停者としての面が大きかったからである。
やる夫の案は、族長たちに権威とある程度の権限を与えて新体制の安定を図り、
そのうえで諮問機関にとどめて伝統的勢力の勢力削減をもくろむものだった。
これにより王たちは、現実政治にかかわるには辞職して下院から出馬することを余儀なくされることとなった。
333 :Opqr ◆XLjdU8ssbY 2013/05/11(土) 20:16:11 ID:.FvDV6e.0
なるほど。
まさに「貴族院」なんだね!
そういうことなら理解も賛同もできる。
いい案だと思うよ。
ありがとうございますお!
…これで懸案事項は全部ですかお?
334 :名無しさん 2013/05/11(土) 20:16:58 ID:NzHIUxs20
のび太、面倒見がいいな
339 :名無しさん 2013/05/11(土) 20:19:14 ID:gM.aEMJ60
>>334
面倒見なかった余所の国を考えるとねぇ…
335 :Opqr ◆XLjdU8ssbY 2013/05/11(土) 20:17:03 ID:.FvDV6e.0
まだあるよ
これが最大の問題かもしれない。
保護領政府の今勤めてる官僚、どうするんだい?
のび太弁務官の懸念には正当な理由があった。
当時、人種問題はアフリカ各国における最大の問題だったからである。
白人入植者の多い国では当然の問題であったが、
ベチュアナランドのようにあまり入植者のいない国においても重大な問題であることに変わりはなかった。
それは、なぜか。
336 :Opqr ◆XLjdU8ssbY 2013/05/11(土) 20:18:00 ID:.FvDV6e.0
その理由は、どこの植民地政府においても官僚はほとんどが白人が占めていたからである。
高級官僚になればなるほど、その割合は高かった。
これは人種主義も大きかったが、最大の理由は黒人にそれだけの業務をこなせる人材が育っていなかったためである。
教育の格差と長年の人種主義が、この結果を生んでいた。
337 :Opqr ◆XLjdU8ssbY 2013/05/11(土) 20:18:34 ID:.FvDV6e.0
新独立国政府はどれもほぼ例外なく、政府官僚の黒人化を主張した。
官僚の働きは目に見えにくいし、
なによりどこの独立国においても政府そのものこそが、
国内からあがってくる利益を分配し、その過程で多くの人々を雇用することのできる、
最大規模の「企業」であったからである。
338 :Opqr ◆XLjdU8ssbY 2013/05/11(土) 20:19:05 ID:.FvDV6e.0
この政府雇用を黒人に与えることは、黒人解放の象徴と考えられることが多かった。
理念においても、実利においても。
新政府において、独立によってもたらされる生活向上を象徴するパフォーマンス、
それが政府官僚の現地人化であったのである。
340 :Opqr ◆XLjdU8ssbY 2013/05/11(土) 20:19:39 ID:.FvDV6e.0
しかし…
もちろん全員継続雇用ですお!
職員のみなさんには、安心して働き続けてもらうお!
そりゃ、長期的には黒人の割合を増やしていきたいけど、
人種を理由にクビにすることは絶対ないから安心してほしいお!
そうかい、だったらよかった。
それなりに経験を積んだ有能な職員がそろってるから、
存分に使ってやってくれ。
じゃあ、僕はこれで。
新国家がいい国になることを祈ってるよ。
341 :Opqr ◆XLjdU8ssbY 2013/05/11(土) 20:20:32 ID:.FvDV6e.0
おい、あれでよかったのかよ?
政府の職は数少ない「現金収入のある」職だし、
欲しがってるツワナ人はいっぱいいるぞ?
せめて人種ごとの割当制にして、少しでも国民に職を与えたほうが…
342 :Opqr ◆XLjdU8ssbY 2013/05/11(土) 20:21:03 ID:.FvDV6e.0
人種ごとの割当制にしても問題は同じだお。
結局、これまで積み重ねてきた経験を失うことになってしまう。
ベチュアナランドにそんな余裕はないお。
…それに、やる夫は正直、人種というものがそんなに重要とは思ってないお。
344 :名無しさん 2013/05/11(土) 20:22:02 ID:gM.aEMJ60
露骨にやると政府が無能化するからな
ぶっちゃけ例外なしってレベル
343 :Opqr ◆XLjdU8ssbY 2013/05/11(土) 20:21:29 ID:.FvDV6e.0
最愛の妻である有希ちゃんは白人だお。
それなのに、あんな目にあってもずっとやる夫と一緒にいてくれたお。
345 :Opqr ◆XLjdU8ssbY 2013/05/11(土) 20:22:16 ID:.FvDV6e.0
それに、あのつらいときにもやる夫とともに戦ってくれた白人たちは多かったお。
逆に、どうしようもない黒人だってたくさん見てきた。
346 :Opqr ◆XLjdU8ssbY 2013/05/11(土) 20:22:53 ID:.FvDV6e.0
人種なんて、きっと些細なことなんだお。
人種ごとに割り当てなんか設定すれば、
それは結局「異なる人種集団間の妥協」にすぎない。
もちろん人種のために優れた人材を追っ払うなんて論外だお。
さまざまな人種が、全く垣根なく、一緒に混ざり合って暮らす。
それが、やる夫の夢なんだお…
この思想は「ノン・レイシャリズム」(非人種主義)と呼ばれ、政治家としてのやる夫を特徴づけるものとなる。
これは黒人至上主義とも、人種割当制などの「マルチ・レイシャリズム」(多人種主義)とも違った、
全く新しいタイプの思想だった。
やる夫以前からこの思想は存在していたが、やる夫ほどこの思想を貫き通した政治家はあまりいない。
351 :名無しさん 2013/05/11(土) 20:25:02 ID:NzHIUxs20
能力ってのは見掛けじゃ分からないからな
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347 :Opqr ◆XLjdU8ssbY 2013/05/11(土) 20:23:23 ID:.FvDV6e.0
全くよぉ…
お前さん、仮にも独立運動の指導者のくせに
夢見すぎだぜ?
だがよ、悪くない。
まったくもって悪くない。
その夢、俺も一口乗らせてくれや。
どんな国ができるのやら、本気で見てみたくなった。
そしてマシーレはその忠実な右腕として、生涯にわたってやる夫のよき補佐役となっていくのである。
348 :Opqr ◆XLjdU8ssbY 2013/05/11(土) 20:23:58 ID:.FvDV6e.0
結論から言えば、やる夫の決断は英断だった。
拙速に官僚を黒人化した国家のほとんどが、
深刻な行政機能の低下を招いたのである。
官僚はその国全体を切り回す技能職に他ならない。
その経験のある職員を全員クビにし、下級職員や新卒、
果ては有力者のコネで入ってきた新職員だけで一つの国家を運営するのは、
土台無理な話だった。
349 :Opqr ◆XLjdU8ssbY 2013/05/11(土) 20:24:27 ID:.FvDV6e.0
行政は停滞し、汚職や腐敗、無能が横行した。
独立以前に機能していた行政が失われ、貧困化が進んだ国も多かった。
350 :Opqr ◆XLjdU8ssbY 2013/05/11(土) 20:24:53 ID:.FvDV6e.0
一方でボツワナにおいてはこの低下が起こらなかった。
経験豊富な白人官僚が、引き続き国家機構の運営を行ったからである。
やがて教育を受けた黒人が入省してくるようになるが、
彼らも上司の適切な指導を受けつつ成長し、やがて彼らが国家を担う人材となっていった。
352 :Opqr ◆XLjdU8ssbY 2013/05/11(土) 20:25:20 ID:.FvDV6e.0
近代国家としてのボツワナを特徴づける、
アフリカとしては異例なほどの行政効率の高さ。
そしてそれを支える、しっかり整った、強力な官僚制度。
これはこの時の決断によってもたらされたといっていい。
353 :Opqr ◆XLjdU8ssbY 2013/05/11(土) 20:26:00 ID:.FvDV6e.0
こうしてすべての準備を終え、1966年9月30日、
ついに新国家、ボツワナ共和国
(英語のベチュアナランドから、ツワナ語で接頭語のボ(国家)+ツワナ(民族名)へと改名。
つまり、「ツワナの国家」という意味である)は誕生した。
領域は日本の1.5倍、人口は約50万人の国家である。
やる夫は首相からそのまま横滑りで初代大統領となり、副大統領にはマシーレが就いた。
しかし、肝心要の経済はお寒い限りで、
どの分野にも難題が山積している中での船出となった。
こうしたなか、カーマとマシーレの苦闘が始まる…