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【洒落怖】寅子石(とらこいし)の伝説

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730:本当にあった怖い名無し:2014/02/04(火) 01:29:12.24 ID:jrukSZ+Z0
空気転換に地元の話を一つ
といっても調べれば出てくる話だし、昔話だけれども。
考察なんかもあるから興味を持ったら調べてみると面白いかと。

731:寅子石1:2014/02/04(火) 01:29:55.50 ID:jrukSZ+Z0
寅子石
昔、その地に寅子という大変器量の良い娘がいた。その娘は長者の老夫婦の娘で、老夫婦も歳が行ってから出来た一人娘で随分と可愛がっていたらしい。
さてその寅子、近隣の男だけではなく、離れた地の豪族までもが結婚を申し込むほどの娘で、その娘に惚れた男どもは皆仕事も放り出して一日中寅子のいる屋敷の周りをうろついたり、寅子を想って夜まで物思いに耽るなど村自体の生活にまで影響が出始めた。
老夫婦のほうも、一日中押しかけてくる男どもから誰を婿にするべきか、と頭を抱えていたらしい。
豪族に嫁に出すのもいいが、心優しい寅子は誰か一人を選べないとまで言い出す始末。

732:寅子石2:2014/02/04(火) 01:30:31.79 ID:jrukSZ+Z0
そんなうちに、老夫婦は結婚を申し込む男達を全員呼び集め寅子に会わせると言いながら料理を振舞った。
たいそう豪華な膾と沢山の酒に気を良くした男どもは食って呑み楽しんだ。しかし一向に寅子は顔を見せず、しだいにじれてきた男どもが老夫婦に寅子を出せ、と声を上げた。
すると老夫婦は悲しそうな顔で
「寅子は皆に分け与えました」
先ほどから食べていたその膾、鹿でも猪でもなく寅子の肉。
寅子は苦しみのなか、老夫婦に自分が命を絶ってこの肉を皆に分け与えてほしいと言ったそうだ。
男どもはおいおいと泣き、その寅子を偲び、苦悩を与えた償いを込め寅子石という供養塔を立てたという。

733:本当にあった怖い名無し:2014/02/04(火) 01:31:55.65 ID:jrukSZ+Z0
この寅子石、今でもしっかり残されていて、近くには子膾神社という神社もある。
複数の類話があって、これは私が祖母から口伝で聞いたものを今の言葉に少し変えたもの。自分の出身地に悲しく恐ろしい昔話があるのは、この板的には自慢できるのだろうか。

寅子石
【とらこいし】

高さ4mの板碑であり、それが水田の広がる一画にスクッと立っている。刻まれている内容によると、この板石塔婆は延慶4年(1311年)に、親鸞の高弟であった真仏法師の法要供養のため、唯願という者が銭150貫で建てたものである。しかし、この碑は「寅子石」という名で呼ばれ、この地方に伝わる悲劇を語り継いでいる。

この付近に住む長者夫妻には、寅子という見目麗しい娘がいた。一説によると、寅子は実の子ではなく、承久の乱後に姿を消した三浦義直という侍の娘であり、母子で父を求めている最中に母がこの地で病を得て亡くなったために長者の娘になったという。

成長するにつれてその美しさは際立ち、周辺の若者達は毎日のように長者の許を訪れて嫁に欲しいと頼み込んできた。最初は喜んでいた夫妻であるが、求婚話のせいで周囲でいさかいが起きるようになって、却って心配事に変わっていった。そして寅子も自分のためにいがみ合い騒ぎとなる状況に心を痛め続けたのであった。

ある時、長者夫妻は寅子に求婚してきた若者全員を酒宴に呼んだ。いよいよ寅子の婿が決まる時と若者達は勇んで屋敷を訪れた。そして豪勢に盛られた膾を肴にして酒を呑みその時を待ったが、一向に肝心の寅子が現れない。業を煮やした若者達が長者に詰め寄ると、長者は涙ながらに真相を語り出した。

皆の者に求婚され悩み果てた寅子は自害しました。最期に「皆様に等しくこの身を捧げたい」と望んで死にました。先ほど出しました膾こそ、寅子の腿の肉。寅子の遺言通り皆の者に等しく分け与えました。

その言葉を聞いた若者達は言葉を失い、そして己の浅ましさを恥じ、寅子の冥福を祈るために全員で供養塔を建立したという。さらに出家をする者もあり、供養塔が見える土地にそれぞれ自分たちの俗名にちなんだ源悟寺・満蔵寺・慶福寺・正蔵院・多門院を建てたとも伝わる。

場所:埼玉県蓮田市馬込

引用元:https://japanmystery.com/saitama/torakoisi.html

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