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知人から聞いた話。
彼女の家には、古くから受け継がれる箱がある。サイズは30×30×30というから、それなりに大きい。見た目は船箪笥のようなもので、上面に持ち手がある。前面に取っ手と錠前がついており、開け閉めができる構造になっている。ただし、錠についた鍵穴はなんらかの金属で埋められていて使えない。一応、鍵も一緒に伝わってはいるが、こちらはひどい錆でやはり使えない。施錠された状態で受け継がれているため、中身はその有無も含めて不明。いわゆる開かずの箱だった。
知人の家は女系で、箱は母から子へ受け継がれてきた。それは、この箱を受け継いだものが当主となるという意味でもある。知人がこの箱の存在を知ったのは高校生の時だったが、その時すでに、箱を受け継ぐのは彼女であると決まっていた。彼女には兄と弟がいたが、姉妹はいなかったからだ。
「当主の証、なんて言うから緊張したよ。でも、別に特別になにかすることなんてない、たまにホコリ払うだけでいいって言われて安心したんだよね」
知人は当時のことをそう語った。
それから数年後のことだ。
都内の大学に進学していた知人は、就職先を地元で探すか、首都圏で探すかで悩んでいた。家族に相談したところ、両親は地元での就職を希望したが、兄は首都圏での就活を勧めた。
地元は田舎で、仕事が少ない。土地柄、肉体労働の割合が高く、女性が正社員で働ける場所は競争率が高い。それに田舎はセクハラが未だに横行している。だから働くなら都市部のほうがいい。両親のことは、兄である自分が世話するから気にするな。
兄は、そう言ったそうだ。
知人はその言葉に背中を押され、都内で就活を始めた。当時は就職難の時代で、なかなか内定は得られなかった。
四年生になり、いよいよ焦りだしたころ、訃報が届いた。
兄が死んだ。
心不全だった。
葬儀の後、高校生だった弟からこんな話をされた。
兄は、自分こそが家を継ぐべきだと両親に主張していた。長男なのだから、と。両親は相手にしていなかったようだ。女系というものについて、よく調べなさい、と母が兄を叱っていた、と弟は言った。
「兄貴、箱を盗んだんだよ」
倒れた兄を見つけたのは、弟だった。夕食の時間になっても顔を見せない兄を、部屋まで呼びに行った。半開きのドアから中を見ると、兄が倒れていた。その傍らには箱が落ちていた。弟が目を向けたのと、箱がぱたんと閉まるのが、ほぼ同時だったという。
弟は、すぐに両親を呼んだ。やってきた父が救急車を呼ぶ間、母は部屋に入ると真っ先に箱のもとへ向かい、慎重に拾い上げた。そして開かないかどうかを確かめた。
箱は、開かなかった。取っ手を引いても、カチャカチャと鳴るだけだった。
母はそれを確かめると、ほっとしたように息を吐いたという。
「兄貴より先に、箱の心配をしたんだ。変だよな。──それに、あの箱、開かないって話だったのに。俺が部屋に行った時は開いてたんだ。それが、ひとりでに閉まった」
絶対、変だよ。箱も、母さんも。
弟は何度もそう繰り返した。
「兄貴の顔、凄かったんだ。化け物でも見たような顔で。──俺、怖いよ。なんなの、あの箱」
あれは自分が受け継ぐと決まっているものだから、お前は心配しなくていい。自分が受け継いだら、すぐに処分する。それまでは、できるだけ近寄らないように気を付ければいい。
知人は半泣きの弟に、そう言い聞かせた。
その後、知人は結局地元へ戻り、そこで就職した。確かに仕事は少なかったが、女性が特別不利ということはなく、またセクハラ被害にあうことなかった。
「たまたま、運が良かっただけかもしれないけどね。でも、少し疑っちゃうよね。兄さんが私を疎んで、嘘を言ったのかなって」
実際のところ、どうだったのかはわからない。もはや、確かめようのないことだ。
弟は大学進学を機に家を出て、そのままそちらで就職した。帰省はめったにしないが、それなりに連絡は取っているという。
「箱は、受け継いだんですか」
「まだ。今は、母が健在だから」
「もしよかったら、一度見せてください。外見だけでいいので」
「いいよ。処分する前に、連絡するね」
最後に、そんな話をして別れた。
この数年後、一通のメールを送ってきたきり、彼女とは音信不通になった。
最後のメールは、箱を受け継ぐことになったと知らせるものだった。