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10:本当にあった怖い名無し:2006/04/27(木) 23:27:01 ID:Lvd5YnDm0
平家物語の那須与一の話。
当時の戦争ってのは意外となぁなぁな部分があって、
戦闘中に「ちょっと休憩~」と余興が挟まれることがしばしばあった。
そしてこれもまたそんな余興の1つ。
船で海を逃げる平家。馬で陸沿いに追う源氏。
平家の女が船から出てきて、さおの上に1枚の扇を掲げた。
陸からこれを射抜いて見せよとの挑戦だ。
風が強く波も高めで、難しい注文だった。
その大役を仰せつかったのが小兵の那須与一。
与一は見事に扇のど真ん中を射抜いてみせる。
平家も源氏も、大歓声を上げる。
その歓声の中、船の中から1人の武将が現れ、舞を舞う。
よいものを見せてくれた返礼である。
それを見守る武士達、そして与一。そこへ義経の側近が歩み寄り、命令する。
「あの男を射よ。これは義経の命令だ」
流石の与一も戸惑うが、再び「命令だ」と繰り返され、
弓を引き、男の首を射抜く。
静まり返る平家。
源氏は「よくやった!」と言う者もあり、「なんてことを」を嘆く者もいた。
13:本当にあった怖い名無し:2006/04/27(木) 23:33:13 ID:EHMWumgx0
古典の授業でしか読んだ事無かったんだけど、
教科書には扇を射る所しか載ってなかった気がする
そんな続きもあったんだ…
いい話だなーって思ってた分余計に後味悪い
39:本当にあった怖い名無し:2006/04/28(金) 11:10:51 ID:8+bkboU5O
与一の話は
「余興であれ戦いの最中に舞を舞うような奴の方が空気読んでない」
とか言う頼朝の考えだって学校では習ったな…
67:本当にあった怖い名無し:2006/04/28(金) 23:48:30 ID:nwnzyb5v0
>>39
平家が公家的な風雅も解する(その代わり、実戦にはちと弱い)
一族だったのに対し、源氏は質実剛健(そして無粋)な
根っからの武士集団だったという対比だと習ったような。
73:本当にあった怖い名無し:2006/04/29(土) 01:26:53 ID:m9/Da4pj0
>>67
蒙古の襲来の時、日本の武士は作法に乗っ取って
まず名乗りを上げてから闘おうとしたんだけど、
敵さんは言葉も解らなかったし意味も知らなかったしで、
名乗りの途中で矢を射てきて大乱闘。怒りも倍増
てのを習ったの思い出した。教師面白そうに話してたけど、
くだらん争いにしか思えなくて、授業ごと後味悪かった。
77:本当にあった怖い名無し:2006/04/29(土) 07:43:16 ID:Q8dcIOV10
>>73
「源氏が無粋な集団」って言うか、義経が掟破りだったんだよ。
壇ノ浦では、それまで非戦闘員という事で攻撃の対象外だった水夫(船頭)を
容赦無く射殺して、パニックを巻き起こしている。
勿論、戦闘の方法としては至極合理的なんだが、それをやるのはタブーだったのね。
だからこそ彼は天才とも言われるし、同時代人に「アイツはちょっと…」と思われたりもする。
源氏の御曹司とは言え、武士としてのまともな教育を受けてないから…という
批判の対象になったのにも、そういう事が絡んでいるらしい。
どの時代でも、天才ってのは諸刃の剣だよね。
画期的な事をすると成果は上がる、けれど往々にして倫理や義理を欠く。
それを恐れず実行出来るのが天才だとも言えるけど。……と、無理矢理後味悪くしてみる。