87: 本当にあった怖い名無し 2010/01/31(日) 18:16:26 ID:fXy0MD5bi
父方の田舎で聞いた話。
明治時代、ここからさらに山奥にA村という寒村があった。ひどく貧しく年中食べ物に不自由していたという。
そのため間引きや姨捨も頻繁にあったようだ。
ところがある年、その村だけが大豊作に沸いているという噂が流れた。
味や大きさも立派な農作物が山ほど取れ、麓の街で売りさばい結構な稼ぎになっているそうだ。
それを妬んだ同じくらい貧しい隣村の若者が、農作物を盗もうと真夜中A村に潜り込んだ。
そして畑を見つけると、噂どおり立派な大根を引っこ抜いた。
「ぎゃあああああああああああああ」
凄まじい叫び声が、その大根から聞こえた。
この話を聞き及んだ近隣の村々は寄り集まり、総出でA村に押しかけた。
A村の畑を検分すると、畝のところどころに不自然な盛り土がしてあるのが分かった。
ここに至ってA村の村長は観念した。
A村ではある呪(まじな)いでもって、大豊作を興させたのだという。
それは、嬰児を生きながら畑に植えて、養分とするものだった。
しかしこうして露見したからには効果はなくなる。それどころか呪(のろ)いが返ってきて村は終わりだ。
そう言って村長は泣き崩れた。
事実、三年と経たないうちにA村の連中は死に絶えたという。
しかし近隣の村々でA村を悪しざまに言える者はいなかった。
そもそもなぜあれほどの数の嬰児がA村にいたのか?この近隣の村々では、嬰児を間引きする時にはA村に送り、処理の代行、つまり押し付けるのが慣習となっていたのだ。