師匠シリーズ

【師匠シリーズ】星を見る少女

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470 :星を見る少女 ◆oJUBn2VTGE :2011/02/18(金) 22:36:11 ID:rM70Z9OU0
「先輩は見たことありますか?どこから見れるんですか?どの部屋ですか?空き部屋なんですか?」
「おいおい。ちょっと、待て。落ち着け」
先輩は周囲の目が気になったようで、
あたりを見まわしたあと「こっちこっち」と、マンション側へ橋を渡りきった所にあったベンチに僕を誘った。

「あれってただの噂だろ。ほんとなわけないじゃん」
座って早々に先輩は言った。
あ、やっぱり。
妙に納得してしまった。それが普通の感覚なのだろう。
「誰もいないはずの空き部屋に、そんな女が見えるって話だろ。オレの知ってる限り空き部屋なんてねえよ。
 あんまガキのころは分かんねえけど、高校、ていうかたぶん中学以降は、ずっと住人メンバー変わってないはずだ。
 それに……」
先輩はマンションの方を振り向きながら顎をしゃくった。
「空き部屋ならよ、雨戸閉めるだろ、普通」
「あ」と声が出た。言われてみるとその通りだった。
フローリングだか畳だか知らないが、
空き部屋の日光の入るベランダの大きな窓に、雨戸で目張りをしないはずはなかった。
「その部屋で死んだはずの子が、夜中に窓から外を見てるとかって話はどうなんですか」
「そんな噂もあったなあ。どっちにしろデマだ、デマ。そもそもマンションで誰か死んだなんて話、聞かねえよ」
あほくさ、と呟いて先輩は、「迷惑なんだよなあ、住民としちゃあ」と真面目な顔で語った。
彼自身はもう住民ではないはずだったが。
「203号室だとか、302号室だとか、いやいや402号室だとか、全部噂の中身が違うんだぜ。適当すぎだろ。
 オレんちの部屋のバージョンもあってさ、中学のころにからかわれたこともあんだぜ」
ほんとに迷惑だと、なぜか僕を睨みつけてきた。
「すみません」ととっさに謝りながら、ふと湧いた疑問を口に出していた。
「かなり昔からある噂なんですか」
「ああ。ガキのころからあった気がするな。あんま覚えてねえけど」
昔からある噂……
まったく根も葉もないものが、それだけ長く続くなんてことがあるのだろうか。

471 :星を見る少女 ◆oJUBn2VTGE :2011/02/18(金) 22:40:06 ID:rM70Z9OU0
考え込んでいると、いきなり先輩が立ち上がり、僕の肩をドシンと叩いた。肩を叩くのが好きな人だ。
「とにかく、そんなくだらねえ噂信じてんじゃねえよ。迷信なんて信じるとろくなことにならない、って言うだろ」
後半は冗談のつもりだったらしく、笑いながら肩をバンバンと叩かれるので、
僕はぎこちなく愛想笑いを浮かべるしかなかった。

先輩と別れ、追い立てられるようにその場を後にした僕は、
自転車に跨りながら、今日得た情報を頭の中で整理していた。
昔から空き部屋はない。死んだ女の子もいない。噂の中身もバラバラ。住民自身も信じていない。
溜め息が出た。噂なんてこんなものか。現実に星を見る少女なんているわけはないのだ。
それでも……
『星を見る少女を見てこい』
脳裏に蘇った師匠の言葉に、僕は頷くのだった。

その三日後、めげない僕はまたリバーサイドマンションを望む橋の上に来ていた。
なんの目算もない。とりあえず来てみたのだ。我ながら涙ぐましい無駄な努力だ。
実は一昨日も来ていた。もちろんなんの収穫もなく帰っている。
橋の真ん中に欄干が少し外側へ膨らんだ場所があり、そこがマンションを見るベストポジションだった。
僕はそばに自転車を止めると、その位置に両肘を乗せた。
そして、ふと気づいて、先輩がいないか辺りを見回す。
この噂話にかなり迷惑を被っているであろうその先輩は、冗談めかして笑ってはいたが、
興味本位で噂を追いかける野次馬に、内心むかついているのは容易に想像できた。
また僕がこりもせずにこんなところにいるのを見られたら、どんな目に遭わされるか分かったものではない。
実は昨日も来ていたのだ。そしてなにも見えずに帰っている。ようするに毎日来ているのである。
よし、と先輩がいないのを確認して、マンションの方へ向き直り、観察を開始する。
整然と並んだベランダには、いつものように洗濯物がずらりと並んでいる。
よくもまあそんなに毎日洗濯ができるものだ。
僕などもうめんどくさくてめんどくさくて、一週間は平気で溜め込んでいる。
実家へ持ち込める先輩が心底羨ましかった。

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473 :星を見る少女 ◆oJUBn2VTGE :2011/02/18(金) 22:46:15 ID:rM70Z9OU0
それにしても今日は良い日差しだ。
ここ数日の寒さが嘘のように春らしい暖かさが戻ってきたし、絶好の洗濯日和と言えるだろう。
午後の陽光に目を細めながら、僕は良い気持ちでマンションの全景を眺めていた。
カーテンが閉められている部屋が全体の六分の五。半端に開いているのが二部屋。全部開いているのも二部屋。
どの部屋のベランダにも、布団を叩いたり洗濯物を干したりするような主婦の姿はない。
平日だし共働きも多いのかもしれない。
主婦のスケジュールはよく分からないが、
専業でも洗濯物を干したりなんかは、午前中にするものと相場が決まっているのかも知れない。

……
あくびがでた。
欄干に顎を乗せる。眠くなってきた。
今日は風がないな。
だから暖かいのかも知れない。
首を伸ばして川を見下ろすと、凪いだ水面が静かにたゆたっている。
昨日までの風でさざなみ立っている時とは全く違う相貌だ。
川面はまるで鏡のように、周囲の景色が鮮明に映りこんでいる。時が止まったように。
鏡の中のマンションを見ると、ベランダに出された布団の色も見て取れる。目を凝らせば柄まで見えそうだ。
洗濯物も、カーテンも、人間の顔まで見えた。
妙に感心してしまった。
いくら風がなくても海ではこうはいかないだろう。
湖や流れの緩やかな川で、しかもよほど条件が整わなければ、これほど綺麗に景色を映すことはないだろう。

実に良い物を見たような気になり満足してしまったので、今日はもう帰ろうかと顔を上げかけた。その時だ。
じくり、と首筋に何かが這うような、気持ちの悪い感覚が走った。
顔。
顔だ。
さっき確かに人間の顔が見えた。
思わず顔を上げて、橋の向こうのマンションを見る。
一階、二階、三階、四階。どの部屋もベランダは無人だ。そしてほとんどの部屋はカーテンが閉まっている。
人の姿は見えない。
胸に動悸を感じながら橋の下に目を向け、鏡の中のマンションを見つめる。
いる。
部屋の一つ。三階の、右から三番目の窓。カーテンが半分開いている。

477 :星を見る少女 ◆oJUBn2VTGE :2011/02/18(金) 23:03:33 ID:rM70Z9OU0
その窓際から外を見ている顔。女の子だ。髪が長い。
僕は狼狽して目を擦った。鏡のようだとは言っても、しょせんは流れている水だ。
見間違いということはあるかも知れない。
しかし何度目を擦っても、水面に映るその部屋の窓には女の子の姿があるのだ。
顔を上げて現実のその部屋に目を凝らしても、カーテンは半分開いているが、窓の向こうには人影すら見えない。
そのまま顔を下げると、鏡像の女の子はじっと外を見続けている。
それも気のせいか、こちらを見ているような気がする。
ぞくりとして生唾を飲み込む。
橋の下の川面に映った鏡像の中からの視線が、橋の上にいる僕の方へ伸びてくる。
思わずその視線を避けて、のけぞるように顔を背ける。
自然とその視線を可視的で立体的なものとしてとらえ、その行方を追いかける。
視線は僕のいた場所を通り過ぎ、そのまま突き抜けるように空へと向かっていった。わずかな雲の浮かぶ青空へ。
その瞬間、僕の中に凄まじい、感情とも快感ともつかない、なにか未分化の奔流のようなものが走り抜けた。
空を見る少女!
先輩は確かにそう言った。噂の原型はそれなのだ。言い間違いでも聞き間違いでもなかった。
どおりで夜には見られないはずだ。
そうなのだ。この、空を見る少女こそが!

放心した僕の頬を風が撫でた。暖かい春の風が。
ハッと気づいて川を見下ろす。
もう水面はたなびく風に波立ち始めていた。
マンションも、部屋の窓も、その向こうに儚げに立つ少女の姿も、なにもかもが溶け合うように虚ろに揺らめいている。
もう見えない。
川の上流に目をやると、波立った水がどこまでも伸びている。
少なくとも、上流のあの波立った水面がこの橋の下を通り過ぎるまで、もう鏡のような姿には戻らないだろう。
それまでにまた風が吹いてもだめだ。
僕は力が抜けたように欄干へ身をもたせ掛けた。

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478 :星を見る少女 ◆oJUBn2VTGE :2011/02/18(金) 23:06:34 ID:rM70Z9OU0
そして橋の下に目を向け、もう見えなくなったあの繊細な鏡像を、あの顔を、そこに見ようとする。
星を見る少女に恋した大学生の気持ちが、少し分かったような気がした。
手の届かないものだからこそ、美しいのだ。
僕はもう一度、今度は心の中で思い描いた。
気まぐれに現れた奇蹟のような時間、確かにそこにあった幻を。

その夜。
師匠の部屋に乗り込んだ僕は、ことの次第を告げた。
ニヤニヤしながらも師匠は口を挟まないまま聞き終わる。
そしてやおら押入れに上半身を突っ込むと、ごそごそと中を探り、一冊のバインダーを出してきた。
パラパラと捲っているのを見ると、色々な新聞記事などのスクラップのようだった。
「お前が見たのが、まさに噂の正体だ。空を見る少女。
 川の中から空を見上げているその姿を、たまたま見てしまった人がいたんだろうな。
 霊感と、鏡のような水面。その二つが偶然に重ならないと見られない、実にレアなお化けだ」
ページを捲りながら師匠は言う。
『お化け』と表現されると、ロマンティックな気持ちに浸ったままの僕は、なにか釈然としないものがあった。
「元々はその正しい噂があったのかも知れない。
 しかし『星を見る少女』という、もっと有名でかつ似た名前の都市伝説があったために、混同されてしまったんだ。
 空を見る少女の方はめったに見るもいないんだから、噂の混同部分の比率では自然にマイノリティになってしまう。
 結局、様々にバージョンの広がった『星を見る少女』の中に、取り込まれちまったんだ」

「あった、これだ」と、師匠は古びた新聞紙の切り抜きを取り出した。
地元紙の地域欄だ。日付は十七年前。
何か裏を取ったのか、この人は。感嘆が喉元まで出掛かる。
記事には『女子高生水死』という文字が大きく印字されている。
場所はあの川で、まさにリバーサイドマンションの堤防のすぐ前のあたりだ。
それほど水深もなさそうだったのに。記事を読む限り水死の原因は分かっていないようだ。
死亡した女子高生の住所も出ていたが、リバーサイドマンションではなかった。
「そりゃそうさ。この子は、リバーサイドマンションになにか執着があって、そこに迷い出てきてるわけじゃない」

479 :星を見る少女 ラスト ◆oJUBn2VTGE :2011/02/18(金) 23:08:46 ID:rM70Z9OU0
師匠は記事をひらひらさせながら、説教じみた口調で続けた。
「鏡の中からの視線が空に向いてるってことは、
 本来のマンションの部屋からの視線は、水面に向かっているってことだ。
 反射角度とか難しいこと考えなくても、それは分かるよな。
 ようするに、この子は自分の死んだ場所を見つめているだけだ」
それを聞いた瞬間、ぞくっとした。
『星を見る少女』にも負けず劣らず、グロテスクなものを感じたからだ。
「噂では203号室だとか、302号室だとか、肝心のその部屋がどこかって部分はバラバラだ。
 実際にどこでもいいからだよ。
 要するにこの子は、その川の場所さえ見られたらどこからだっていいいんだ。カーテンが開いている部屋なら」
と、いうわけだ。そう言って師匠は、満足したように口を閉じた。
そして新聞記事を、スクラップの中に淡々と戻している。
僕は数日間のささやかな冒険のことを思い返し、複雑な気持ちだった。
『星を見る少女』という怪談、あるいは、都市伝説に塗り替えられてしまったあの少女のことを思うと、
なんだかやり切れない思いがあった。
直接マンションの部屋に出るわけではなく、いや、実際はそこにいるのかも知れないけれど、
水面に映った幻の中でだけ見ることが出来る、というのが、
なんだか若くして儚く散った彼女の生涯に重なるようで、思わず目頭が熱くなってしまった。
そんなことをぽつぽつと呟いていると、師匠は僕の肩をどやしつけた。最近やたらと肩を叩かれる。
「一応、ミッションは合格にしといてやるけど、優良可で言うと良だ」
なんだ偉そうにこの人は。ムカっときて思わず睨むと、その数倍鋭い眼光に射竦められた。
「だったら優はなんなんです」
僕がなんとかそれだけを返すと、師匠は暗く輝く瞳を細め、その眼球を自分の手で指さしながら、ぼそりと囁く。
「俺は、直で、見られる」
「いつでもな」と、口を歪めて笑った。

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