師匠シリーズ

【師匠シリーズ】お祓い1話『石』

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参照元:https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=11148378

1 石

 大学2回生の夏だった。
 俺はオカルト道の師匠に連れられて、ある神社に来ていた。西のK市にある山のなかの神社だ。
 師匠の軽四でノロノロと山道を登っていると、石垣が見えてきた。路肩の広いところに車を停めて、神社の敷地に入った。
 雑草を踏みながら進み、師匠の懐中電灯が狛犬を照らし出す。苔むしたそれは、片割れがいない。向かって左側の台座から、本体が失われていた。
そのとき、頬に雨粒が落ちてきた。そう思ったのもつかのま、パラパラと雨脚が強くなる。師匠と俺は、社殿に入り込む。扉は閉まっているが、軒があったのでそこで雨宿りができた。
「傘ありましたっけ」
「車に1本だけ積んでる」
 俺は周囲を見回す。目の前には、石段と狛犬、そしてその向こうの山道がある。その周囲は、黒々とした雑木が視界を覆っている。敷地の背後は真っ暗な山だ。
 ふいに懐中電灯の明かりが消えた。完全な暗闇がやってくる。
「電池ですか」
 少し焦って訊くと、「いや」と一言返ってきた。
 パタパタパタパタ……。
 神社の軒を打つ雨音が、だんだんと大きくなる。
「少し待とう」
 師匠が静かに言う。
 ここは以前、師匠が、師匠の師匠に教わった場所なのだそうだ。もちろん、なにかいわくのある神社なのだろう。なにも聞かされていない俺は、不安と恐れ、そして一滴の期待を胸に、じっと前を見ていた。雨に包まれた夜の山の、奥行きのある暗闇を。
「なにか話でもするか」
 師匠が軽い調子で持ちかけてきた。もっとも、そちらのほうには、黒い輪郭がうっすら感じられるだけだ。
「なんの話ですか」
 その黒いものに向かって返事をする。
「そうだな。神社だから、お祓いにまつわる怪談なんてどうかな。なにか、あるか?」
「お祓いですか……」
 俺は少し考えてから、「あります」と言った。これは、師匠にはまだ話したことがなかったはずだ。子どものころから、霊感が多少あったので、その手の話は豊富なほうだった。でも師匠とのつきあいのなかで、紹介していない話は、もうほとんど残っていなかった。
 いい話が残っていた。そう思って、俺は5年前のことを慎重に思い出しながら、話しはじめた。

 俺が中学3年生のときのことだ。夏休みに、当時親しかった友人たちと、山でキャンプをすることになった。男ばかりの5人で。
 電車を降りたあと、数キロ歩いてたどり着いたのは、オンシーズンだというのに、俺たちのほかに数組しかいない寂れたキャンプサイトだった。昼のうちにテントを張り、近くの川で遊んだあと、夕方には、あらかじめ買っておいた食材でカレーを作った。ボーイスカウトをやっていたというやつが、自信ありげにひきうけた飯盒での飯炊きがみごとに失敗して、カレーというより、カレー味のリゾットみたいになりはしたものの、それなりに仲間での夕食を楽しんだ。
 夜も更けてきたところで、俺たちは示しあわせて、キャンプサイトを抜け出した。あらかじめ調べていた肝試しスポットに行くためだ。
 そこは、近くの山のなかにあるお堂で、かつてその山中で行き倒れた旅人の霊が、いまだにそこでさまよっているのだ、という話だった。昼間のうちに一度、みんなで下見をしてきたのだが、人の背丈ほどもない、古くて朽ちかけたお堂だった。
世話をしている人も、ほとんどいないのだろう。花を供える筒のようなものがそばにあったが、水が涸れていて、花らしきものもなかった。
俺たちはそのお堂の前に、川で拾った拳ほどの石を5つ、並べておいた。学校の先輩から聞いた話では、このお堂にとりついている霊が、石に乗り移ることで、それを持っていく人間についてくるのだという。
昼間にきた山道も、夜になると雰囲気がかなり違う。それぞれ手に持った懐中電灯で、足元を照らしながら目的の場所にやってきた。
お堂のある場所から、5分ほど下った場所にある稲荷神社だ。ここも、控えめな鳥居と拝殿があるだけの、物寂しい小さな神社だった。
俺たちは不安そうな顔を見合わせて、だれかが口を開くのを待った。キャンプといえば、肝試しだろう! という軽い気持ちではじめたものの、先輩たちからあそこはマジで出るぞ、と聞かされた言葉が、今さらながらよみがえってきたのだった。
「よっしゃ、チャッチャとやろうぜ」
 宮元という、そもそもの言いだしっぺが、パンパン、と手を叩いてようやく口火を切った。
 その宮元が、懐中電灯を持って鳥居から外に出ると、左手側に伸びている山道を登りはじめた。その先に、昼間に石を置いたお堂があるのだ。
残った4人はその背中を見送った。石を持ってくるのは1人ずつだ。俺は時計を見ていた。5分、10分。宮元はまだ帰ってこない。夜の山道を歩くのは、どうしても時間がかかるのだろう。俺たちは無言で待っていた。
結局15分ほどして、ようやく懐中電灯の明かりが近づいてきた。声が聞こえる。
「寒いか。もうちょっとだからなぁ。大丈夫だからな。食い物もあるからよぉ」
 宮元の声だ。まるでなにかに話しかけているようだが、ひとり分の影しかない。これもルールなのだ。お堂の霊を石に入らせ、神社まで持ってくるときには、ずっと話しかけ続けなければならない。そうしないと、途中で石から抜け出てしまうというのだ。
なんでもいいから、とにかく霊をだまして連れてきてしまう。それがこの肝試しだった。
宮元が、慎重に歩きながら鳥居をくぐる。体が完全に敷地に入ったとたん、「うわぁ」と言って、石を地面に放りだした。
「気持ち悪かったー。気持ち悪かったー」としきりに繰り返しながら、俺の肩を揺する。
「おいおい」と俺がその手を叩くと、宮元は、ほっとしたせいか、やけに高いテンションで言った。
「なんか入ったわ。本当に。石のなかに。あれヤバイわ。ヤバイ」
 俺たちはそれを聞いて、地面に転がった石を、気持ち悪そうに見る。
 一応あらかじめ聞いていた話では、鳥居をくぐると成功で、石からは霊が離れる。そのとき本人はもう神社の敷地のなかなので安全。そしてとりつくもののない霊は、ふたたびお堂に戻る。そういう筋書きだった。
 俺たちは顔を見合わせた。
「次だれ行く?」
 その言葉に、俺は真っ先に手を挙げた。みんな嫌がってジャンケンになりそうだったからだ。俺はしかし、これは先に行くべきだと思った。
「じゃあ、残りも決めとくか」と言いながら、ほかの連中も気づいたようだった。こわばった顔で俺をじろりと見ている。
「じゃあ、行ってくる」
 俺は懐中電灯を持って、鳥居から外に出た。すぐに山道に出て、左に曲がる。昼間通ったときとは雰囲気がまったく違う。
 ガサガサと、道のはたの雑草の山が揺れるたびにそちらに懐中電灯を向けてしまう。風なのか、小動物かなにかなのか。
道はわずかに上り坂になっている。ドキドキしながら歩いていると、懐中電灯の光の先に、俺の背丈よりも低い、小さなお堂の姿が現れた。
お堂には石の台座があり、前に出っ張った部分に、拳大の石が4つ並んでいる。
 俺は小さく息を吐いてから、あらかじめ聞いていた言葉を唱える。
「ついてきてください。ついてきてください」
 これだけだ。気の利いた言い回しではない分、なにか逃れようのない感じがして、薄気味が悪かった。
 背筋がゾクゾクとする。そっと右端の石を持ち上げた。
「この石に乗って、ついてきてください」
 その言葉を2回繰り返すと、ふいに石が重くなったような気がした。早くいかなきゃ。そう思って、俺はすぐに元きた道を振り返った。
 なぜか寒気がする。いま石のなかにいるなにかに、離れられては困る。そう感じた。さっき第一陣の宮元が、呼んできておいて、鳥居をくぐったとたんに突き放した。だましたのだ。その恨みがさらに石を重くしているような気がする。
「寒かったでしょう。寂しかったでしょう。どうぞついてきてください」
 俺は声に出して語りかけた。もし、石のなかから出てしまったら……。そう思うと無性に怖くなった。
 こんな肝試しに真剣になって……。そんな、恥ずかしいという思いはまったくなかった。とにかく必死だったのだ。
 集中しているせいか、視界が狭い。懐中電灯の照らす、細い砂利道だけが目の前にあった。その外は、なにもない空間だった。
「もうすぐですから。もうすぐあたたかい場所に行けますから」
 そう言いながら、俺は暗闇のなかにぽっかりと現れた古い鳥居をくぐった。
 オオー、という声が周囲にあがる。俺は手のなかの石を落とした。周りには友人たちの顔があった。
 着いた。
ほっと息を吐いて、俺はカラになった手のひらをこすり合わせる。いた。さっきまで、たしかに石のなかになにかいた。それが、まだ手にこびりついているような気がして、俺は懸命に手をこすった。
 俺の次は、沼河という男だった。沼河もおっかなびっくり出発すると、やはり15分ほどして戻ってきた。
「ひもじいですか。大丈夫ですか。もう着きますから」
 沼河も必死で手のなかの石に話しかけている。そして、鳥居をくぐると、うわぁ、と叫んで石を落っことした。
「重かった、重かった」
「な? な?」
 すぐに宮元が肩を叩く。
 鳥居をくぐれなかった霊が、もやもやしたものになって宙に浮かんでいるような気がして、俺はそちらを見られなかった。
 その次は、井沢というお調子者だ。いつになく神妙な顔で神社から出て行くと、10分もかからず戻ってきた。今までで一番早い。
「たいへんでしたねぇ。もうすぐみんないるところに着きますから。まだいてくださいよ。寒いですか」
 そんなことを言いながら、小走りに駆けてきた。そして最後はほとんどダッシュするようにして、鳥居をくぐった。
 井沢はすぐに石を鳥居の外に投げ捨ててから、ヤベーヤベーと繰り返した。
「これはいたわ。ぜったい。もう手のなかで、こうモヤモヤと……」
 大げさな手振りで、残る1人を脅かす。
 最後になった大月が、嫌そうな顔で震えている。すでに終わったやつらは気楽なものだ。俺も一緒になって、大月を脅かした。最後のやつは、一番やばいんじゃないか、と言って。
 そうしていると、しまいには大月が、「行かない」などと開き直りかけたので、なだめすかして、とにかく送り出した。
 暗い神社の敷地で待つこと20分。あんまり遅いので、ちょっと心配になって、様子を見に行こうかと相談していると、ようやく懐中電灯の明かりがチラチラと見えてきた。
 声が聞こえてくる。
「ゆるしてください。ゆるしてください」
 何度もそれを繰り返している。様子がおかしかった。石は持っているようだ。けれど、握りこんだ右手を、体からできるだけ離そうとして、つっぱっている。
 神社に近づくと、大月は小走りになり、「ひゃああ」と言って、鳥居に駆け込んできた。そして鳥居をくぐったとたん、石を山道の草むらのほうへ投げた。
 あっ、と思ったが、止める間もなかった。
「おいおい、なにしてんだよ」
 言いだしっぺの宮元が問い詰めようとしたが、大月はガタガタ震えていて、それどころではなかった。
「なにかあったのか」
 と、俺が訊ねると、「なにもない」と言って首を振る。
 そのとき、空から、ぼおーん、という不気味な音が聞こえてきた。巨大な風船が膨張して、それを叩いたような、鈍い音。
 ここも安全じゃない。そう直感するような音だった。最初に走り出したのはだれだったか。とにかく、それにつられて全員で逃げだした。夜の山道をキャンプ場まで走り続けて、そのあいだ、暗闇がまとわりついてくるような感覚に襲われた。
 テントのところまでたどりついたときには、何度か転んで服が泥まみれになっていて、ひどい有様だった。
 その夜はテントのなかで全員でくっついて、風の音にもおびえながら朝まで過ごした。

 ◆

「で、そのあとで、先輩に聞いたんですよ。前にそこで肝試しをしてから、おかしくなったやつがいて、お祓いしたんだって」
 闇のなかで、師匠らしき気配にそう語りかける。気配は、うっそりと頷いて、「ふうん」と言った。
「それで俺たちもしたほうがいいんじゃないか、って話になって、たしか宮元の親父のつてで、わりと大きな神社の神主さんにお祓いしてもらったんですよ」
「全員で?」
「全員です。でも……」
「でも?」
 俺はごくりと唾をのんでから続けた。
「そのすぐあとで、ひとり、足の骨を折る大怪我をしたんですよ」
「へえ」
「ああ、やっぱり呪われたんだって思って、本当に怖かったです。よくもあんなところ教えてくれたな、って先輩を恨みました」
 ザアザアと、雨音が激しくなっていく。師匠がぼそりとなにか言った。
「え? なんですか」
 体を寄せると、師匠らしい気配がこっちを向いた。
「だれが怪我したか、当ててやろうか」
「は?」
 今の話で、師匠にはわかるのだろうか。俺は挑発的な態度で、「当ててみてください」と言った。
 師匠は、ふん、と気分を害したような鼻息を出してから、「なんって言ったっけ、あいつだよ、あいつ」
 たぶん外れる。
俺はそう思っていた。しかし……。
「井沢、だったっけか、名前」
「最後の、大月じゃなくて?」
 俺は驚きながら一応確認したが、師匠は、「最後から2番目のやつだよ」と、雨音のなかを縫うように言った。
 俺はぞわっ、とした。当たっていたからだ。しかし、なぜ? 困惑すると同時に、なにかえたいの知れない不気味な感覚に襲われた。
「山のなかで行き倒れた旅人の霊が、お堂のあたりでさまよっているって話だったよね」
「はい」
「霊の情報はそれだけだろ」
「ええ」
「それを石にとりつかせて神社に連れてくるあいだ、話しかけてる内容は、みんな同じようなものだったろ」
「まあそうですね」
「寒い、寂しい、ひもじい。霊に語りかけた、その3つのキーワードのなかで、おかしいものがひとつある」
「えっ」
 なんだろう。わからなかった。
「行き倒れたというイメージから、寂しい、ひもじいはわかる。でも、寒いは、どこからきたんだ」
 ハッとした。そういえば、そうだ。
「夏のキャンプ場なんだ。そんな寒いイメージがなぜ浮かんだのか。お前たちは、石に向かって話していたけど、まるで示し合わせたかのように、ひとつの特定の人格に対して話しかけている。それはなぜなのか」
 手のなかで、石が重くなったあの感覚が、蘇ったような気がした。俺は思わず、なにかを振りほどこうとするように、手のひらを振った。
「でも、様子がおかしかったのは、最後の大月ってやつですよ」
「そうだな。もともと臆病なんだろう。ビビらせすぎだ」
「……どうして、井沢なんですか」
「大月は、ひたすら、許してください、って言ってたんだろ」
「はい」
「大月には、3つのキーワードは浮かんでない。つまり、いなかったんだよ。握った、石のなかに」
 師匠の言葉に、ゾクリとする。
「宿っていないんだ。大月の持っていた石のなかには。ひとつ前の、井沢のときに、失敗しているんだよ。鳥居をくぐっても、還ってないんだ。だから、井沢にずっとついてしまっていた。だいたい、神社がすぐ近くにあるのに、そんな逸話のある霊が、奉られてないってことからして、想像できるだろ。本来、神社の力があまり及ばない霊なんだよ。そのお堂にいたのは。お祓いをしても、効かなかったことからも明らかだ」
 俺の持ち出した怪談話だったのに、師匠は怖がるどころか、俺を怖がらせることに成功していた。
 今なら、見られるだろうか。井沢についてきていた、その霊の姿を。思わず、周囲を見回した。跳ねた雨粒が、顔をかすめる。その向こうに、細かな音と、闇が、のっぺりと横たわっていた。
「さて、次は僕の番だな。せっかくだから、お祓いにちなんだ話をしよう」
 師匠はしばらく沈黙したあと、ふう、と息を吐いて、話しはじめた。

お祓い2話『防火水槽』に続く

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