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【洒落怖】三島由紀夫「英霊の声」

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212 :本当にあった怖い名無し:2011/08/16(火) 22:38:23.73 ID:jYQPhHMJ0
先週千葉の海に行ってきたー!
やっちゃダメだよって、千葉のばーちゃんに言われてた事やってきたー!

213 : 忍法帖【Lv=18,xxxPT】 :2011/08/16(火) 23:44:11.05 ID:2ojaF/ZE0
>>212
何をやっちゃダメって言われたの?

222 :本当にあった怖い名無し:2011/08/17(水) 23:01:39.54 ID:qwpuDkcA0
>>213ごめ
お待たせ。

千葉のばーちゃんも、子供の頃から言われてたんだって。
『海岸にある孔の開いた石を吹いちゃ駄目だ』って。
海岸にゴロゴロ転がってんだわ、孔の開いた手頃な石がw
人の頭より大きいのから摘まめる大きさの石まで。
『石笛』とか『いわふえ』とか言って、盆の時期に吹くと海から死んだ人達が岸に寄って来て、生きてる人に悪さするって。

232 :本当にあった怖い名無し:2011/08/18(木) 11:17:00.83 ID:T2atnBDO0
>>222
三島由紀夫の英霊の声っていう小説が有るんだけど、
その話って、三島の小説の中では異彩を放っているというか、はっきり言って異様な話なんだ。
あらすじはこう。

ある時、主人公は降霊会に招かれる。
神を霊媒体質の盲目の美少年に降ろして、その言葉を聞こうというもので、その話で神主が持っているのが石笛だ。
これは人工的に作ったものではない。自然に出来た逸品で、これを吹いて神を降ろすんだ。

しかし、この日の会はいつもとは雰囲気が違っていた。
まず少年に降りてきたのは、かなりの荒魂(あらみたま)と思われる、非常に格の高い霊。
様々な話を聞く内に、2/26事件で処刑された将校の霊だと明かす。
そして、月の海上に神霊達が集まっている事を告げる。
次に現れたのは、空に散っていった特攻隊員の神霊。

話が進むにつれ、それぞれの神霊達は戦後の日本への憤りを高まらせ、
「などてすめろぎは人となりたまいし」(どうして(神であった)天皇は、人と成ってしまったのか)と、
次々と降臨しては、少年の声を借りて苦しみを吐露していく。
そしてそのすべてが終わったとき、少年は息絶え、
その美しかった顔は、誰のものともつかない顔に変化していた・・・

・以下抜粋
感情は鈍磨し、鋭角は磨滅し、烈しきもの、雄々しき魂は地を払う。
血潮はことごとく汚れて平和に澱み、ほとばしる清き血潮は涸れ果てぬ。
天翔けるものは翼を折られ、不朽の栄光をば白蟻どもは嘲笑う。

かかる日に、

などてすめろぎは人間(ひと)となりたまいし
などてすめろぎは人間(ひと)となりたまいし
などてすめろぎは人間(ひと)となりたまいし・・・・・

この小説は、三島自身が英霊に取り憑かれて書かされたとも言われている。

※三島由紀夫はエッセイでも「なにかブツブツと声が聞こえるかと思えば死んだ英霊達の声だった」と書いています。

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英霊の聲

『英霊の聲』(えいれいのこえ)は、三島由紀夫の短編小説。二・二六事件で銃殺刑に処せられた青年将校と、神風たらんと死んだ特攻隊員の霊が、天皇の人間宣言に憤り、呪詛する様を描いた作品である。〈などてすめろぎは人間(ひと)となりたまひし〉という哀切なリフレインが、能の修羅物の2場6段の構成で綴られている。

二・二六事件で処刑された青年将校・磯部浅一の獄中の手記(獄中日記、行動記)や、河野壽の兄・河野司著『二・二六事件』から影響を受けて執筆された『英霊の聲』は[1][2]、1960年代の三島の一つの転換点となり[3]、その後に書かれる『文化防衛論』などの評論への前駆的な役割を担っていた作品である。

内容

木村先生の主宰する「帰神の会」に列席した「私」が、そこで見聞したことを〈能ふかぎり忠実に〉記録していくという体裁をとって、二・二六事件の蹶起将校と、大東亜戦争の神風特攻隊の兵士たちの霊が次々と、霊媒師の青年・川崎重男に憑依し、呪詛する模様が綴られてゆく。

〈などてすめろぎは人間となりたまひし〉(なぜ天皇は人間となってしまわれたのか)と繰り返される畳句は、昭和天皇に向けられている。二・二六事件の際の天皇の振舞いと、敗戦後の1946年(昭和21年)1月1日のいわゆる「人間宣言」で、天皇が「人間」になってしまったことを、兵士たちの〈裏切られた霊〉は悲しみ憤り、その英霊たちの声がこだまする。

あの暗い世に、一つかみの老臣どものほかには友とてなく、たつたお孤(ひと)りで、あらゆる辛苦をお忍びになりつつ、陛下は人間であらせられた。清らかに、小さく光る人間であらせられた。
それはよい。誰が陛下をお咎めすることができよう。
だが、昭和の歴史においてただ二度だけ、陛下は神であらせられるべきだつた。何と云はうか、人間としての義務(つとめ)において、神であらせられるべきだつた。この二度だけは、陛下は人間であらせられるその深度のきはみにおいて、正に、神であらせられるべきだつた。それを陛下は二度とも逸したまうた。もつとも神であらせられるべき時に、人間にましましたのだ。

— 三島由紀夫「英霊の聲」

強い怨念の霊の力を受け止めた霊媒師の川崎重男が息をひき取るところで物語は終わり、その死顔が川崎君の顔ではない、〈何者かのあいまいな顔〉に変貌しているところで締めくくられる。

作品背景

三島は『英霊の聲』を書いた動機として、〈二・二六事件の挫折によつて、何か偉大な神が死んだ〉と述べ[1]、心の裡で底流していた、〈永く私を支配してきた真のヒーローたちの霊を慰め、その汚辱を雪ぎ、その復権を試みようといふ思ひ〉を手繰ると、どうしても天皇の人間宣言に引っかかるとした。

また、河野壽の兄で、『二・二六事件』の著者の河野司は、馬込の三島宅を訪れ、二・二六事件の挫折の原因について三島と話し合った時のことを述懐し[11]、河野が、「最終的には天皇との関係の解明につきると思います」と言うと、三島も、「やはりあなたもそうですか」と同意したという。また、叛乱部隊となった青年将校らが、天皇の赤子として自らの犯した罪を、死を以て償おうと最後に自決を決意して、その際の勅使の差遣を仰ぎたいと侍従を通じて申し入れたにもかかわらず、昭和天皇は、「自殺するなら勝手に為すべく此の如きものに勅使など以ての外なり」と個人的感情を前面に出してしまったことに関しても、「日本の天皇の姿ではありません。悲しいことです」と三島は言ったという[11]。

そして、もしもこの天皇の発言を知ったとしたら、将校たちは、はたして「天皇陛下万歳」と絶叫して死んだだろうかと、河野が訊ねると三島は、「君、君たらずとも、ですよ。あの人達はきっと臣道を踏まえて神と信ずる天皇の万歳を唱えたと信じます。でも日本の悲劇ですね」と、涙ぐみ声を詰まらせていたという[11]。

『英霊の聲』を発表後、三島は河野司への書簡で、〈御令弟をはじめ、二・二六蹶起将校の御霊前に捧げるつもりで書いた作品であります。――しかしそれにつけても、現代日本の飽満、沈滞、無気力には、苛立たしいものを感じてなりません。これは小生一人のヒステリーでありませうか?〉と記している[12]。

秋山駿との対談では、『英霊の聲』を書いたことで、自分が〈救われた〉として、三島は以下のように語っている[13]。

「三熊野詣」とか一連の短篇を書いたことがある。あの時は、自分がどうなるかと思いました。文学がほんとうにいやでした。無力感に責められていやでした。なにをしても無駄みたいで、なにか「英霊の声」を書いた時から、生々してきちゃったのですよ。人がなんと言おうと、自分が生々していればいいのですからね。あれはおそらく一つの小さな自己革命だったのでしょう。とてもよかった。
— 三島由紀夫(秋山駿との対談)「私の文学を語る」[13]

山本健吉は、戦後民主主義の「空虚な偽善」、「厭うべき低俗」を批判しようという三島の創作動機に同意しつつ異論も交えて以下のように評しながら[22]、二・二六事件の将校や特攻隊の「心情と行動」を素直に愛惜できない現代人の「心の卑俗さ」に比して、白虎隊士の心情や行動力の方が「はるかに立派だった」と述べている[22]。

一たび神性を棄てられた天皇を、国民はもう一度神に復帰させることはできない。その不可能を作者は知りながら、あえて書いたとすれば、それは作者の考える今日の状況の絶望の度の大きさを物語るものだろう。その空虚を、民主主義という護符で埋められると思っている知識人たちののんきさが、氏にはいらだたしいのだろう。
だが若い英霊たちの復権を訴えようとする時事的な姿勢のせいか、これは三島氏の小説としては想が痩せている。私にはこれは、天皇制の問題でなく、宗教の問題だと思っている。
— 山本健吉「文芸時評」[22]

https://ja.wikipedia.org/wiki/英霊の聲

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