名作・神スレ

【名作スレ】<長編> 従姉に恋をした。

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123 名前:1 ◆SemWiFNIUE 投稿日:2005/11/17(木) 05:18:39
職場は東京だったが、俺は住まいを横浜に決めていた。
田舎モノの俺にいきなり東京暮らしはハードルが高いとビビッていたのと、
俺の生まれは川崎市だったので生まれ故郷に近いところを選んだからだ。
しかし横浜もとんでもなく都会だった。

新しい職場での仕事は思ったよりもすんなりと入っていけた。
順調な滑り出しに心に余裕が持てた俺は、暇を見つけては色々な場所へと出かけ、遊び、観て、食べた。

124 名前:1 ◆SemWiFNIUE 投稿日:2005/11/17(木) 05:20:10
そして東京に来て2週間後、俺は芽衣子さんに会いに地元に帰った。
さすがに早っ!とは思ったが、遠距離恋愛なんて初めての経験だったし、
こういうことは男側が努力しなければいけないと思っていた。

なにより芽衣子さんに会いたい。なんの苦もなかった。
芽衣子さんはホームまで出迎えに来ていた。

降り立った俺に芽衣子さんが抱きついてきた。
背の高い彼女の顎が俺の肩に乗っている。俺は彼女の頭を撫でた。

あの早退の時もそうだが、芽衣子さんは俺が思っていた以上に積極的で行動派だった。
付き合い始めてから知る相手の意外な一面というものは良いことも悪いこともあるが、芽衣子さんのそれは俺を喜ばせることばかりだった。

125 名前:1 ◆SemWiFNIUE 投稿日:2005/11/17(木) 05:21:08
楽しすぎたデートはほんの一瞬に感じた。
帰りもまた、彼女はホームまで一緒に来てくれた。
朝から今まで、ずっとふたりは喋り続けていたが、

新幹線がホームに入ってくると彼女は黙りこんでしまった。

はぁ、行くか…と、ベンチを立つ俺の手を彼女が放さない。
座ったまま、芽衣子さんがじっと俺を見る。

上目遣いをする女性は確信犯だと思う。
俺は彼女の顔に俺の顔を重ねた。

それからも俺は2週間置きに芽衣子さんに会いに行った。
いつのまにかクリスマスがまた近づいていた。

126 名前:1 ◆SemWiFNIUE 投稿日:2005/11/17(木) 05:22:25
クリスマス・イブ。

彼女がいない時の俺は
「ヘン!俄かクリスチャンどもめ!!」
と街行くカップルを妬ましく見つめるが、芽衣子さんがいる今は
「なんて素敵な日なんでしょう」
と穏やかな心でいる。

(単純だなぁ)

新幹線の中で苦笑しながら、彼女へのプレゼントが入ったカバンを一撫でした。

127 名前:1 ◆SemWiFNIUE 投稿日:2005/11/17(木) 05:24:05
いつものようにホームまで出迎えにきていた彼女の手をとり、街へと連れ出す。昼食をとり、映画を観て、お揃いの来年の手帳を買った。

すっかり陽も落ち、街路樹を覆っているイルミネーションがライトアップされた。抜かりなく予約しておいた店に彼女をエスコート。
前菜が出た時、買っておいたプレゼントを彼女に渡した。指輪。

今思えば恥ずかしいほど定番のクリスマスを演出していたが、舞い上がっていた俺にそんな意識はない。

彼女からのプレゼントはライターだった。
高価なブランド物だ。裏に文字が彫ってあった。

“Do not smoke too much”(吸い過ぎないでね)

「ライターをプレゼントしといてなんだけど…」

恥ずかしそうに俯く彼女。可愛い人だよ、ほんと。
デザートを食べている時、彼女が言った。

「今日は帰らないよね?」

照れたが「うん」と頷いた。
彼女も照れながら微笑んだ。

128 名前:1 ◆SemWiFNIUE 投稿日:2005/11/17(木) 05:25:16
初めて彼女と朝を迎える。もちろん緊張しっぱなしだった。

キラキラした並木道をホテルに向かって歩いていた時、彼女が立ち止まり、
ベンチに腰掛けた。
もう少しイルミネーションを見てるのもいい。俺も隣に座った。
彼女がじっと俺を見ながら言った。

「あのね、健吾君に聞きたいことがあるの」
「ん?」
「健吾君、好きな人がいるでしょ?」

へっ?

予期しない言葉に俺はうろたえた。

「い、いるよ。芽衣子さん」なんとか取り繕う。

129 名前:1 ◆SemWiFNIUE 投稿日:2005/11/17(木) 05:27:10
しかし俺の一瞬の動揺を彼女は見逃してくれなかった。

「…今の健吾君の顔ではっきりしちゃった…」

何が起きてるんだ、今。彼女は何を言ってるんだ。
しかし更に彼女が言った一言が、俺をより混乱に陥れた。

「あの従姉の人じゃない?健吾君の好きな人」

もう何がなんだか。

俺は彼女の次の言葉を待つしかなかった。

「見送りに行った時感じたの。あの人に対する健吾君の態度が違う気がしたの。
 何が、というのはうまく言えないけど。あと、目。あの時あの人を見る健吾君の目。
 今、私を見る目と同じだった」

そんな馬鹿な。

あんなちょっとの時間で、芽衣子さんは俺の気持ちがわかったと?
いや、現に当たっているけど、でも、今は!

130 名前:1 ◆SemWiFNIUE 投稿日:2005/11/17(木) 05:28:06
俺は芽衣子さんと付き合うことになった日までのことを正直に話した。
芽衣子さんは黙って聞いてくれた。
冗談じゃない。あれは終わったことなんだ。俺の気持ちはもう…。
俺は懸命になって芽衣子さんに説明した。
なんてこと言うんだ。やめてくれ。たのむよ。

全てぶちまけた俺を見て、芽衣子さんが言った。

「ごめん。今日は帰らせて」

俺は彼女を引き止められなかった。

142 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/18(金) 08:26:50
家まで送るという俺の申し出は断られた。
突然ひとりぼっちになった俺は、頭の整理がつかないまま、
今夜泊まる予定になっていたホテルへと向かった。

「お連れ様は?」フロント係りが憎たらしい。
「…後から来ます」

さっさとキーを受け取り、部屋へ。

広いなぁ、ダブルって。

一ヶ月前、知り合いのコネを使って無理してとったこの部屋も、今は何の意味もない。だったら泊まらなければよかったのだが、知り合いの顔を潰すわけにはいかなかった。眼下にはさっきのベンチが見えた。
こんなに惨めなクリスマスは初めてだ。

ルームサービスで頼んだワインボトルを空けた時、フラフラに酔った俺は我慢できなくなって芽衣子さんに電話した。

出ない。

諦めて切った5分後、芽衣子さんからメールがきた。

「まだ冷静になれません。ごめんなさい。明日連絡します」

携帯を投げつけ、俺は寝た。

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143 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/18(金) 08:28:08
翌朝、フロント係りの顔を見ないようにしながら清算を済ませ、
俺はホテルを後にした。外は快晴。幸せな夜を過ごしたであろうカップルたちが、楽しげに歩いている。
気が滅入る。本当なら俺も仲間だったのに。

ファーストフードの店に入り、俺は芽衣子さんからの連絡を待った。
俺も芽衣子さんも今日は休みをとっていたから、連絡は必ずくる。
そう信じ、俺は携帯と芽衣子さんからもらったライターを両手に握り締めた。

144 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/18(金) 08:29:35
一時間後、芽衣子さんからメールがきた。

「電話だと冷静に話せないと思うのでメールで許してください。
 昨日は本当にごめんなさい。健吾君の気持ちを台無しにしてしまったと 反省しています。
 でもずっと気になっていたんです。あの従姉さんのこと。
 あの日は健吾君の目が何を意味しているのかわかっていませんでした。
 でも付き合っていくうちに私を見る健吾君の目があの日と同じ目に なっていると感じてきました。
 健吾君の目は優しくて、私を大切に想ってくれていることが伝わって きました。うれしかったです。
 でも同時に、私は従姉さんに対して嫉妬するようになりました」

145 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/18(金) 08:31:08
すぐに2つ目のメールがきた。

「私は自分でも嫌になるほど独占欲の強い人間です。
 健吾君が100%、私だけを見てくれていると思えなければ安心できないのです。
 健吾君は昨日、もう従姉さんに気持ちはないと言っていたけど、
 私はどうしても疑ってしまいます。
 健吾君はあの人とは付き合ったわけじゃないし、何もなかったという言葉 も信じているけど、でもだからこそ、まだ未練がありませんか?
 今、健吾君があの人を見る目と、私を見る目が同じかどうかはわかりません。
 私は健吾君が大好きです。
 だから、本当の健吾君の気持ちを教えてください」

146 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/18(金) 08:32:26
ため息が出た。何なんだよ一体。

恵子ちゃんを見る目と芽衣子さんを見る目が同じ?
そんなこと俺にはわからない。自覚無い。
ただ恵子ちゃんを見るといつも辛かっただけだ。
でも芽衣子さんを見るといつも暖かい気持ちになれたんだよ?

確かに芽衣子さんとは受身で始まったし、
その時の俺の心の中にはまだ恵子ちゃんへの想いが残っていたとは思う。
でも今の俺は君との「これから」ばかりを考えてる。
付き合っていけばそれはもっともっと大きくなって、
いつか恵子ちゃんは俺の心からいなくなる。
そのためにも君に側にいてほしい。
それじゃダメなのか?
勝手な言い分なのか?

俺は店を出てひと気の少ない公園に行った。
そして芽衣子さんに電話をしてありのままの気持ちを伝えた。

芽衣子さんは言った。
「少し時間が欲しい」

もう何だかわからなくなった俺は、東京行きの新幹線に飛び乗った。

147 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/18(金) 08:34:08
一週間が過ぎた。大晦日。今日は俺の誕生日だ。

俺の仕事は365日、平日と休日の別ない仕事だったが、
転勤してまもないということで職場の先輩が気を遣ってくれ、
この年末年始はまるまる休みとなっていた。
しかしその休みも今は恨めしい。
この間、俺は芽衣子さんに連絡をしなかった。
彼女からも一切連絡はなかった。

夜も昼も、芽衣子さんに言われたことをひとつひとつ考えてみた。

彼女の言うとおり、恵子ちゃんへの想いが顔に出ていたのだろうか。

感情が顔に現れやすい人間だと、自覚はしていた。
怒れば口がとんがり、嬉しければ目尻が下がりっぱなしになる。
しかしそれがこんな結果を招くとは。

なんだかなぁ。このまま年越しかよぉ…。

148 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/18(金) 08:35:27
そうやって腐っていたら、午後、宅急便が届いた。
芽衣子さんからだった。

中にはマフラーと手紙が入っていた。
一呼吸して手紙を開ける。

「誕生日おめでとう。
 編み方を勉強する時間がなかったので、マフラーは買ってきたものです。
 でも一生懸命選びました。よかったら使ってね。

 大切な日なのに健吾君の横にいられなくて残念です。

 健吾君が私に側にいてほしいと言った言葉。
 うれしかったけど、私には無理です。
 健吾君が忘れようと努力すればするほど、
 きっと私の従姉さんへの嫉妬心は大きくなります。
 そして嫌な姿をいっぱい健吾君に見せてしまう。私はそれが怖いのです。

 勝手な言い分ですが、健吾君が従姉さんを忘れられる日まで、
 距離を置いて待っていてはダメですか?

 来年は手編みのものをプレゼントしたいです。        芽衣子」

149 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/18(金) 08:36:29
読み終えた俺の頭に疑問が湧いた。

芽衣子さんがまだ俺を想ってくれているのはわかった。
独占欲というコンプレックスがあって、嫌な姿を俺に見せたくないという気持ちも理解できる。
過去に何かあったのかな。
そんな姿は見たことなかったから相当抑えていたのだろう。
気づいてやれなかった俺が鈍感だったんだ。

でもね芽衣子さん。

俺が恵子ちゃんのことを完全に忘れたと、誰が、どう判断するの?

君の勘が鋭いことはよくわかった。
俺が口先だけで「忘れた」と言ってもすぐに看破されるだろうことも。

かと言って本当に忘れたとしても、そのことは君に伝わるのだろうか?
君の勘は、それを受け入れてくれるのかい?

2002年も笑顔で終われなかった。

150 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/18(金) 08:37:32
年が明けても、相変わらず俺は悶々としていた。

(一生の間に、俺は何回「悶々」とするんだろう)

笑いたくなった。

どうしてよいものかわからなかったから、芽衣子さんへの連絡はずっと出来ないでいた。
この頃の俺は仕事も忙しくて精神的にも参っていた。
追い詰められた心と頭が、芽衣子さんへの不満を生み出す。

忘れようが忘れまいが、今の俺たちには一緒にいることこそ必要なんじゃないの?芽衣子さんは考えすぎだ!

…自分こそ、いつも理屈で恋愛を考えていたくせに。

151 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/18(金) 08:39:37
その頃、俺は会社の女の子とよく飲みに行っていた。
そのコ・新藤 明日香さんは別の会社から俺の職場に出向していた人で、
同じ部署の仕事仲間だった。
仕事も優秀で、サバサバとした性格は付き合いやすく、
また住まいも俺と同じ横浜だったので、よく帰りがけに一杯やった。
男女ふたりが飲みに…とは言っても話す内容はいつも仕事のことばかりで色気のある会話は別段無かった。

しかし回数を経るごとに彼女の態度が変わってきた。

俺に気があるような態度、仕草が目立ってきた。
俺も芽衣子さんと膠着状態にあったので、そんな彼女のアプローチを甘受した。だが決定的な言葉は言わせず、言わずのノラリクラリ。
芽衣子さんの存在も新藤さんには言わなかった。

いい気になっていた。

今思い出すに、実にいやらしいヤツだったと思う。

152 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/18(金) 08:40:21
2月に入ってまもなく、仕事中、新藤さんが俺に小声で言った。

「来週の金曜日、帰りに食事しません?」

その日はバレンタイン・デー。
「大塚さんに予定がなければですけど…」

俺はOKした。

153 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/18(金) 08:41:30
バレンタイン・デー当日。
会社から少し離れた喫茶店で待ち合わせした俺と新藤さんは、
地元のほうが終電を気にしなくていいからと、横浜に移動した。

「明日はふたりともお休みだから、朝まで飲みましょうね(笑)」

丁度いいウサ晴らしになると、俺も「望むところさ~」と軽く返した。

彼女のお気に入りだという店に案内された。
店内はカップルだらけ。

ここに来て突然、俺は自分に動揺した。

なにしてんだ俺!? いや、なにしようとしてんだよ、俺!?

乾杯の後、新藤さんがチョコの包みを出しながら言った。

「付き合ってくれますか?」

その言葉を遮るかのように俺は言った。慌てふためいていた。

「ごめん新藤さん、ごめん! ここまで来ておいて、こんなこと言うのはおかしいし矛盾してるけど、 ごめん、俺、付き合っている人、いるんです!ごめんなさい!」

ワッ、と彼女が泣き出した。

154 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/18(金) 08:42:39
もう俺の視線は彼女に釘付けで、周囲の視線は感じたけれど、
それを恥ずかしがる余裕など全く無かった。
彼女は言葉もなく泣き続ける。
自分のしたことに居た堪れなかった。

ようやく彼女が泣き終えた顔を上げた。
俺はひたすら謝った。ごめんと言うばかりで他の言葉は浮かばない。
彼女が言った。

「いいんです、いいんです…言ってくれてよかったです。ごめんなさい」

謝るのは俺のほうです。本当にごめんなさい!

「大塚さんの言葉だけに泣いてしまったんじゃないんです…  最近別れた彼氏のこと、思い出して…」

155 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/18(金) 08:44:00
彼女がその彼氏のことを話し始めた。
俺は黙ってその話を聞いた。
聞くことで俺のしたことが少しでも償えるなら…
そんな身勝手な気持ちだった。

その彼氏とは去年の11月に別れたという。
理由は彼氏の浮気。
というよりも、新藤さんと付き合い始めた当初から、同時進行で別の女性がいたらしい。
結婚を誓い、双方の親にも挨拶を済ませた頃、それが発覚したそうだ。
責める彼女に対して、彼氏は開き直るばかりか、暴力まで振るったという。

踏ん切りをつけて彼氏と別れ、気持ちはボロボロになって何もかも嫌になった。
もう会社も辞めてしまおうかと思った頃、俺が転勤してきた。
いつも飄々としていて、明るく自分に接してくれる俺の姿に、彼女は救われたという。

責められるどころか、そんな風に俺のことを話す彼女に、ますます申し訳なく思った。

156 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/18(金) 08:45:19
その後も彼女の話を聞き続けた。
話しながら彼女は杯を重ね、店が閉店時間を迎える頃には、彼女はヘベレケになっていた。俺の酒量もとっくにリミットを越えていたが、
とてもじゃないが酔えなかった。

酔い潰れた彼女を引きずるようにして店を出、タクシーを拾う。
彼女をタクシーに押し込み、自分は別のタクシーをと思ったが、
いくらなんでもそれは酷いと思い直し、俺も一緒に乗り込んだ。

正体をなくした彼女から住所を聞き出すのは骨が折れたが、
それでもなんとか彼女のマンションまでたどり着くことが出来た。
しかし揺さぶったりホッペを叩いても彼女は起きない。

タクシーの運転手が苛立った声で言う。
「一緒に降りてくれませんか?彼氏でしょう?」

口論する気力も無かったので、彼女を抱えて降りた。

157 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/18(金) 08:46:49
酔っ払いは重い。
俺は彼女を背負い、ひぃひぃ言いながらドアの前まで歩いた。
と、彼女が目を開けた。

「よかった。もう大丈夫だね?」
「はい。すみませんでした」
「じゃ、降ろすよ」

だが彼女は降りようとしない。

「どした?まだ立てないかい?」
「大塚さん」
「ん?」
「今日は一緒にいて」

耳元で囁かれたその言葉にクラクラとした。
俺は泊まった。

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158 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/18(金) 08:47:43
なんともバツの悪い朝を迎えた。

のそのそとベッドから出た俺に新藤さんが日本茶を差し出した。
「コーヒーよりこっちのほうが、大塚さん、いいでしょ?」

笑顔だ。
なんで笑顔になれるんだ?
俺は苦笑いすら出来なかった。

あまりまともに会話も出来ず、俺は帰ろうと身支度を整えた。

「私も出掛けるので、駅まで一緒に行きましょう」
早くひとりになりたかったが、俺は何も言えなかった。

道すがら、彼女が言った。

「何も考えないでください。私、これきりだと思ってますから」

彼女はいつもの職場での顔になっていた。

159 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/18(金) 08:48:47
家に帰ると、郵便受けに宅急便の不在票が入っていた。

芽衣子さんからだ。

宅配会社に連絡すると、1時間後に荷物が再配達された。
中には手作りと思しきチョコと、ブランド物のネクタイが入っていた。

今回は手紙は無かった。
それが何か無言の圧力に感じた。

いろんな感情に塗れながら食べたチョコは、味がしなかった。

160 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/18(金) 08:49:32
翌週、職場で会った新藤さんはいたって普通だった。

ありがたいというか、なんというか。

自分が卑怯な男に思えたが、俺も努めて平静を装い、彼女に接した。

以後、彼女は全くあの日のことに触れず、俺も口に出さず、
ふたりで飲みに行くこともなくなった。

161 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/18(金) 08:50:39
一ヶ月後のホワイト・デー。
芽衣子さんにお返しを送った。ちょっとだけ値の張る小物入れ。
メッセージの類は入れなかった。
何か事務的で、虚しさを感じた。

162 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/18(金) 08:51:38
それから一ヶ月、二ヶ月、三ヶ月。季節は春を迎えた。

相変わらず芽衣子さんとのやりとりはない。
飽きもせず俺は考え続けていた。

しかも今までは恵子ちゃんや芽衣子さんのことだけだったのに、
なぜか新藤さんのことまで悩みの数に入れた。

なんともはや俺という男は小心者で、ナルシストで、くだらない人間なのか。

163 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/18(金) 08:52:32
ある日、同僚と飲みに行った。
いい加減酔い、終電に飛び乗った時、俺は衝動に駆られた。

芽衣子さんに電話しよう。

横浜駅はまだ先だったが俺は途中下車した。
改札を出てすぐに電話する。
2、3コールで芽衣子さんが出た。

164 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/18(金) 08:53:35
「お仕事ご苦労様!」

芽衣子さんの言葉を聞いたらたまらなくなった。
俺は芽衣子さんが口を挟む隙さえ与えぬほど、捲くし立てた。

たのむよ!俺の側にいてくれよ!恵子ちゃんのことなんて関係ないだろ!
忘れたかなんてわかんないよ!忘れたって言ったって信用してくれるのか!
芽衣子さんが必要だってことだけわかってるんだ!
嫉妬なんて構わないよ!嬉しいよ!嫌になんて絶対ならない!

俺の話が終わるのを待って、芽衣子さんが言った。泣いてた。

「健吾君の気持ちはうれしいの。でも私は、自分が嫌な女になるのが嫌なの!」

初めて聞く彼女の泣き声に、俺は少し冷静さを取り戻した。

「一体なんで、そこまでこだわるんだい?」

165 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/18(金) 08:55:09
俺の問いに泣きながら彼女は答えた。

昔、結婚を考えた彼氏がいたこと。
でも自分はいつも彼を疑ってしまったこと。

そしてとうとう、彼は「わずらわしい」と言って去っていったこと。
自分は病気だと、芽衣子さんは言った。

俺は胸がいっぱいになった。

「じゃあ、俺が本当に恵子ちゃんのことを忘れたと、芽衣子さんが確信を 持てるまで芽衣子さんは待つの?そんなの芽衣子さん次第であって、
 いつになるかわからないじゃない!」

ほんの少し無言になった後、芽衣子さんが言った。

「それでも私は待ちたいの」

ああ、理屈じゃないんだな、と思った。
堂々巡りに疲れた。もう、いいや。

俺は電話を切った。

166 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/18(金) 08:56:05
家までのタクシー代は2万円近かった。

こんなことならカプセルホテルにでも泊まりゃよかった。

自宅のベッドで横になりながら、
そんなことを冷静に考える自分を冷たいと思った。

167 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/18(金) 08:57:17
夏。初めて体験する東京の暑さは俺を一層、滅入らせた。

ある日、出勤すると新藤さんが職場のみんなに挨拶回りをしていた。
俺の姿を見つけ、彼女が深々と頭を下げる。

「このたび、会社を辞めることになりまして…」

俺とのことが原因!? 動揺した。

「今晩、飲みに行きません?」

小声で言った彼女は笑顔だった。

168 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/18(金) 08:58:09
その晩、飲み屋に入り席に着いた彼女が、開口一番言った。

「私の退職は、大塚さんとのことと全く関係ありませんから」

きっぱりとしていた。

話を聞いた。
彼女は彫金を趣味としていたのだが、
最近、知り合いの彫金師にこれまで作ったアクセサリーを見せたところ、
強くプロになることを薦められたそうだ。
でもまだまだ自分は勉強不足だと感じるため、
会社を辞め、その知り合いのもとで修行をしようと決めたらしい。

169 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/18(金) 09:00:37
生き生きと話す彼女がなんだか羨ましい。

その時の俺はどういう精神構造をしていたのか。
こともあろうに俺はとんでもないことを口にした。

「俺と付き合ってください」

はぁ?

そうは彼女は言わなかったが、
一瞬真顔になった後、すぐに笑顔でこう言った。

「そんなこと言わないで。
 残酷だけど、私の中では終わったことなんです。
 それって『今更』、ですよ?」

穴があったら入りたい、なんて言葉じゃ生温い。
今思い出しても、恥ずかしさで腹の辺りに空洞を感じる。

自業自得。また俺はひとりになった。

176 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/19(土) 06:11:17
プライベートがうまくいってないと、仕事までうまくいかないのだろうか。

毎日なにかしらやらかし、何をしても空回りする日々がしばらく続いた。
社会に出て10年余、
どんなに辛いことがあっても仕事に影響するなんてことはなかった。
それが、色恋沙汰で我を失っている。
これじゃアカンがなと思う反面、案外俺も普通の人間だったんだなと実感した。

177 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/19(土) 06:12:45
秋になった。
大きな失敗こそしなくなったが、相変わらず仕事はパッとしない。

ある日、見かねた先輩が俺を飲みに誘った。

「どうしたんだ、ここんとこ?何かあったか?」
「いえ、別に。何もないですよ」
「そうか?お前はそういうことあんまり話さないからなぁ。彼女と何か あったのか?」

彼は俺が転勤する際、本社から残務整理の手伝いのために来ていた人だったので、俺と芽衣子さんが付き合っていることは知っていた。

「彼女とは…終わったんですよ」
「…そか。まぁ、どうせ話さんだろうから深くは聞かんけど」

そう言って、先輩はそれ以上クドクド説教することはしなかった。
飲んでいる間、先輩がさりげなく気を遣ってくれているのがよくわかった。

ありがたかった。
こんなところで駄目になっちゃだめだ。
たった1年かそこらで都落ちなんてしてられっか!
俺は少し前向きになれた。

そろそろお開きにするかというところで先輩が言った。
「パーッと合コンでもすっか?俺、セッティングしたる」

それもいいか。

「レベル高いの、たのんますよ!(笑)」

カラ元気で言った。

178 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/19(土) 06:14:05
2週間後、六本木で合コンとなった。

こちらは先輩と俺、相手はOLふたり。
とても綺麗な人たちだった。
丸の内で働いているというふたりはさすがに垢抜けていて、会話も洗練されている。話していて楽しかったが、当たり障りのない会話に虚しさも感じた。

「ダメですよ!故郷のこと、そんな悪く言っちゃ!」

OLのひとり、関口さんが真剣な顔で言った。

会話の流れで俺の田舎の話になっていた時だった。
「○○なんて、いいところに住んでたんですね~」
「いや、大したトコじゃないですよ。田舎だし」
「ええ~?都会じゃないですか~」
「中途半端にね。あんまり面白いところじゃないです」

横で聞いていた関口さんが俺を叱り付けた。

場が一瞬凍った。

「大塚~!関口さんがもっと訛っていいってよ!(笑)」
先輩、ナイスフォローです。

また和気藹々とした雰囲気に戻ったが、
関口さんは恥ずかしそうに俯いていた。

179 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/19(土) 06:15:35
2軒目はどうするかということになった。
俺は関口さんのさっきの態度が気にかかり、先輩に誘ってもいいかと尋ねた。
先輩は意外そうな顔をしていたが、
もうひとりのOLさんを連れてさっさと行ってしまった。

「もう少し、飲みません?」
「ええ」

関口さんを伴い、落ち着いて話せそうな店に入った。

1軒目よりも静かな会話だったが、お互い打ち解けた感じになった。
関口さんも
「こうして落ち着いて話せるほうが好きです」
と言っていた。

まったりとした時間を楽しみつつ、俺は気になっていたことを口にした。
「さっき、俺叱られちゃいましたね、関口さんに(笑)
 なんか悪いコト、言っちゃったかなぁ?」

彼女が目を丸くした。
「ごめんなさい!あんな大声出すつもりなかったんですけど…なんか…」
「なんか?」
「故郷の話をしてた時の大塚さん、辛そうな顔してた気がして…」

180 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/19(土) 06:16:46
黙って話を聞いた。

「私はずっと東京で生まれ育ったから故郷がある人の感覚はよくわからない んですけど、普通、故郷の悪口を言う人って、それが冗談だったり、
 口ぶりに愛着が感じられたりして、本心で言ってるようには感じられない んです。でもさっきの大塚さんはとても辛そうに見えました」

真剣に話す関口さんが恵子ちゃんとダブって見えた。

お互いのメアドを交換し、関口さんと別れた。

なんだか無性に恵子ちゃんと話したくなった。
携帯のアドレス帳を開いたが、やっぱりやめた。

181 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/19(土) 06:18:15
俺の気持ちが通じたのか。
数日後、携帯に恵子ちゃんから電話が入った。

その日はタイミング悪く夜勤中で、着信に気づいたのは翌日だった。

電話しようかしまいか夜まで迷った挙句、メールを送った。

「久しぶり~!元気だった?昨日はごめんよー。夜勤中だったから」

返信はすぐに来た。

「ごめんね、突然電話して。夜勤だったんだ。ごめんなさい」

また送る。

「どしたん?何かあったのかい?」

また返信が来る。チャットのようなメールのやりとり。
「うん。最近落ち込んでて…ちょっと健吾君の声が聞きたかっただけ」

こんなに弱い感じの恵子ちゃんは初めてだ。
思い切って電話した。

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182 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/19(土) 06:19:20
メールほど暗い声音ではなかったけれど、
恵子ちゃんが無理して明るく振舞っている感じがした。

「悩みがあるなら話してみなよ。大したことは言えないだろうけど」

「ありがとう。あのね…」

よっぽど我慢していたのだろう。どっと恵子ちゃんの言葉が溢れ出た。

ずっと仕事のことで悩んでいたこと。
精神状態が影響したのか、三半規管をおかしくして耳の病気になったこと。
仕事を続けられなくなり、とうとう会社を辞めてしまったこと。
お母さんが更年期障害で倒れたこと。
次の仕事も決まらず、またお母さんのことも考え、
マンションを引き払って実家に戻ったこと。
そんな状態だから、次の書展に出す作品も煮詰まってしまっていること。

気丈に話していたが、言葉は泣いているように感じた。

俺は通り一遍の慰めしか言えなかったが、
彼女は何度もありがとうと言ってくれた。声が震えていた。

「健吾君と飲みに行ってた頃が恋しいよ。
 あれって、私にとって大事な時間だった」

深い意味は無い。彼女は気弱になってるだけ。

落ち着きを取り戻した彼女がおやすみと言った。

183 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/19(土) 06:20:09
翌日、俺は開き直った。

恵子ちゃんと、このままで行けないだろうか。

もう恵子ちゃんを無理に忘れなきゃいけない理由は何もない。
俺と彼女の道が交差することは絶対に無いし、そんなことは出来ないけど、
せめて平行に歩いていくことは許されないか。
それは辛さを伴うし、
いつかこの先、もっと大きな辛い結末を迎えるかもしれないけど、
その時まで、ほんのちょっとでも幸せな気分を味わいたい。
俺の気持ちさえ誰にも悟られなければ、なんの問題もないはずだ。

ナルシシズムな考えに、俺の気持ちは軽くなった。

184 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/19(土) 06:20:57
それからは頻繁に電話とメールのやりとりをした。

決して気持ちを気取られぬよう、細心の注意を払いながら、
真面目な話、馬鹿な話、楽しい話をした。
恵子ちゃんも明るさを取り戻してきた。

185 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/19(土) 06:21:58
12月。
いつものように送られてきた恵子ちゃんのメールは沈んでいた。

秋に仕上げた書の作品が落選したという。
彼女の書道歴は年季が入っており、
階位で言えば「師範」の腕前を持っていた。
それだけに周囲から受けるプレッシャーも相当なものだったろう。
加えてあの頃の彼女のプライベートはボロボロだったし。
無鑑査で出展はされるが、見に行く気力がないと言っていた。

拠り所とするものが上手くいかない。
きっとそれはものすごく辛いことなんだろうな。

186 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/19(土) 06:23:18
すぐさま慰めたくて俺は携帯を手にとったが、
口にできる言葉なんて高が知れている。
俺はメールを送ることにした。

「ひとつの作品を生み出したというコト、
 それを多くの人が見にくるというコト、
 それが恵子ちゃんへのご褒美だと思う。
 だから、おめでとう」

返事はすぐ来た。

「ありがとう。
 まだまだ私は未熟だけれど、でも何かを表現したくて、
 それをいろんな人に見てもらいたくて、
 だから、それを形に出来て、そういう場を持てているということは、
 有難くて、幸せなことなんだよね。目が覚めました。
 とっても素敵な言葉を、ありがとう」

おかげで展覧会に行く気になれたと彼女は言った。
上野の美術館で来年2月。
ぜひ一緒に観てほしいという彼女に、俺は「もちろん!」と約束した。

今年もひとりの年末だったが、心は少しあったかかった。

187 名前1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/19(土) 06:24:16
2004年。

年が明け、俺は2月を心待ちにした。遠足を待つ小学生の気分。
仕事はますます不規則になり大変だったが、張り合いがあるから苦にもならない。現金なものだ。

そして当日がきた。
上野駅に降り立つとすでに恵子ちゃんはいた。

なんか痩せたな。ちゃんと食べてんのか?

「恵子ちゃんもお母さんも、身体は大丈夫?」

ふたりとも快方に向かっているとのことだった。
しかも彼女は地元で職に就き、順調な生活を送っていると。ほっとした。
一年半ぶりに会う恵子ちゃんの笑顔は変わってなかった。

188 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/19(土) 06:25:13
彼女の案内で美術館へ。
「初めて見せるね、私の作品。これが賞を逃した傑作です(笑)」
彼女の指の先に、懐かしい字があった。

今回の作品は俵 万智の歌だった。

 朝市はにんげんの市。
 食べる買う歩く語らう
 手にふれてみる。

この歌は俵のバリ旅行記の歌だそうだ。

昔、恵子ちゃんもバリを旅行したそうで、
その時感じたバリという国が持つ生命力が、あのとき無性に懐かしくなったという。

きっと彼女は自分の作品に癒されようとしたんだろう。
あんな精神状態の中でこんな力強い文字が書けるなんて。
しかもそれを書いたのは、今俺の横にいる小さな女性なのだ。

「この人です!この人がコレ書いたんですよぉ!」

俺は叫び出したくなった。

189 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/19(土) 06:26:15
その後、2時間以上もかけて会場を観て回った俺たちは、
彼女の「ベタな観光地に連れてって(笑)」という要望を叶えるべく、
汐留の有名な店でランチをとり、お台場の某TV局を巡った。

「なんだか垢抜けたね、健吾君。いろいろあったんだろうね」

TV局の「球」から夕暮れの海を眺めていたら、
恵子ちゃんがまじまじと俺の顔を見て言った。

ドキンとしたが、

「もともと持ってた俺の都会的な一面が、ハマで開花したんだよん(笑)」
とかわした。

恵子ちゃんはツッコミもせず、ただ微笑んでいた。

190 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/19(土) 06:26:56
帰りの新幹線の時間を気にしなくてもいいように、
俺たちは東京駅で晩飯を食べることにした。

酒も食もすすんだ。
ふと、恵子ちゃんが言った。

「あのね。私、今付き合ってる人いるの」

鼻の奥がツーンとした。

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191 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/19(土) 06:28:11
その彼は友人から紹介された人だと言う。
年は30代後半。大人の人だ。

「おお!おめでとさーん!」
やめろ馬鹿。
「どんな人?照れんなよぉ!教えろって(笑)」
口が止まらない。

「ん。やさしい人。私が大変な時も助けてくれた」
「いいじゃん、いいじゃん!…で、結婚とか考えてるの?」
「まだわかんない。そういう話はまだしてない」
「しちゃえばいいじゃん!恵子ちゃんに気持ちはあるんだろ?」
「うん…でも考えること、いろいろあって」
「なにを考えるってのさ?こういうのってタイミング大事だぞぉ(笑)」
お前はそのタイミングをいつも逃してるだろ…。

恵子ちゃんが真顔になった。
「なんか…結婚させたがってない?」

「そ、そりゃ従姉が幸せになるってのは嬉しいことだもの!」

「ありがと」と言う恵子ちゃんとは目が合わせられなかった。

改札口まで恵子ちゃんを送った。
早く帰したいような、引き止めたいような。
改札の向こうに行ってしまった恵子ちゃんは、何度も振り返って手を
振った。姿が見えなくなるまで俺も手を振った。

192 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/19(土) 06:29:22
また、“大好きな”悶々とした時間が訪れた。

開き直ってわずか3、4ヶ月。
これが結末か…早いなちょっと。もう少し時間があると思っていた。
一ヶ月後、結婚式の招待状が届いた。
送り主の名は…田中…。

きた!!!!!!!

…ん、いや、違う。恵子ちゃんのお父さんの名じゃない。

それは田中一族の別の従兄さんからの招待状だった。

脱力して安心し、安心したことに憮然となった。

(もう覚悟決めろよ、俺)

しかし覚悟を決める材料は、
いつまで経っても恵子ちゃんから届かなかった。

193 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/19(土) 06:30:20
6月。
従兄さんの結婚式に出席するため俺は帰郷した。

2月以来、一切連絡を取り合っていなかった恵子ちゃんと顔を合わせる。
いたって普通。元気そうだ。変に意識していたのは俺だけだった。
きっと彼氏とうまくいってるんだろうな。チクリとした。

またも席は同じテーブルだった。
しかも今回は隣。まぁ、意識する必要はないんだけど。

披露宴もたけなわを迎えた頃、恵子ちゃんが俺の肩を叩いた。

「終わったらすぐ帰るの?」
「いや。この後親戚だけで軽く飲むんでしょ?顔出してくつもりだよ」
「そう。だったら後で時間くれる?話があるの」

きた。今度こそきた。はぁ。

「んん~?彼氏のことかい?(笑)」

おどけた俺の言葉は、なぜか無視された。

「???」

194 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/19(土) 06:31:17
田中の家に移ってからは、時間がやたら長く感じた。
酒の味もよくわからない。

やだなぁ。ああ、いやだ。
このまま恵子ちゃんのスキを見て、逃げちゃおっかな。
本気で考えた。

帰りの新幹線の時間が迫ってきた。
恵子ちゃんは台所に行ってる。
チャンスだ。
俺は中腰になって「そろそろお暇しますね」と親戚一同に挨拶した。
従兄のひとりが「駅まで送るよ」と言った時、背後から声がした。

「私、送るよ。飲んでないし」

…恵子ちゃん。
つかまってしまった。

195 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/19(土) 06:32:25
みんなの手厚い見送りを受け、恵子ちゃんの車に乗り込んだ。

走り出すと恵子ちゃんが言った。

「話があるって言ったじゃない」
「ご、ごめんごめん。酔ってて…」

彼女は怒ってた。ちょっと怖い。

駅前のロータリーに車が止められた。
俺は覚悟を決めた。でもまた口が動いた。

「とうとう彼氏と結婚する気になったん?」

「黙って聞いて」

ぴしゃりと遮られた。

「あのね」

「健吾君のことが、好きなの、ね。
 付き合ってほしいな、って」

今までで一番色気のない告白だったが、
俺を一番動揺させた告白だった。

216 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/21(月) 16:35:19
もう1コ、脳が欲しかった。
とてもじゃないが混乱しすぎて整理できない。
また病気が再発したんじゃないかと思えるほど鼓動もひどい。

ようやく、半開きになった口から言葉を出した。

「かかか、彼氏は?彼氏のことは?」

「別れたの」

恵子ちゃんはずっとそっぽを向いたまま、こちらを見ようとしない。
「別れたって…どうして!?」

恵子ちゃんが上ずった声を上げた。

「理由なんかない!」

「健吾君が、好きなんだもん」

もうこの場に居るのが耐えられなかった。

「ごめん。考えさせて」

俺は逃げた。

最後まで恵子ちゃんはこちらを見なかった。

217 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/21(月) 16:36:38
いつもなら爆睡する新幹線。でも今日は寝れるわけがない。

うれしかった。正直に。

本当に好きで好きでたまらない相手から告白された。
初めての経験。

恵子ちゃんの顔が浮かぶ。
思考が短絡化する。

もう何も考えないで、恵子ちゃんの気持ちに応えてしまおうか。
「俺も好きです」と、ぶちまけてしまおうか。

きっと最高の日々が始まる。
笑顔の俺の顔が頭に浮かんだ。

…いけね。また口、開いてら。

乾いた口の中を舐めた時、親父の顔も浮かんできた。

218 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/21(月) 16:37:35
我に返ると横浜に着いていた。
あんなに考え事をしていたのに乗り換えミスも乗り過ごしもしていない。
習性ってすごいなと、くだらないことを考えて気を紛らわそうとした。

引き出物を床に広げ、もらった折り詰めに箸をつける。
普段食べてるコンビニ弁当よりも格段に豪華な食事。
なのに食がすすまない。

恨むよ、恵子ちゃん。
せめて夕食後に告白してくれれば。
いや、だからといってどうというわけじゃないんだけど。

愚にもつかないことを考えながら、食べ残した折り詰めを冷蔵庫にしまう。

ダメだ。今日は何も考えられない。
車の中での風景がリピートされる。

「考えさせて」

馬鹿な台詞を吐いたもんだ。考える余地なんて、そもそもないだろ?
もうずっと昔から、答えなんて決まってただろうに。

もう寝よう。夢を見よう。いい夢たのむ。

219 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/21(月) 16:38:26
0時頃、メールの着信音で目を覚ました。

恵子ちゃんからだった。
立て続けに3通。

俺はメールを開かずにまた目を閉じた。

………。

着信ランプが瞼越しにチラつく。

わかった。わかったよ。見りゃいいんだろ。

薄目でメールを開いた。

220 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/21(月) 16:39:29
「こんな夜中にごめんなさい。
 無事、お家に帰れたでしょうか。

 さっきは聞いてくれてありがとう。
 でも恥ずかしくて伝えられなかったことがあって…メールしました。

 私は、健吾君と話をしたり、一緒にいると楽しいの、ね。
 健吾君の話は、
 色んなところに話が広がっていったり、色んなことが出てきたりして、
 頭の中いっぱい引出しがあるんだなぁって、すごいなぁって、
 いつも思ってた。
 気楽でお馬鹿な話題が多かったけど(ごめんね)、

 健吾君がする真面目な話も好きだった。
 その中で、健吾君の言葉で前向きになれたり、
 「あ、そうか」って気付かされたりしたことがいっぱいあったの。
 それも、とっても素直に。
 落選した時にもらったメールでは、
 とっても素敵な言葉の使い方をする人なんだなって思ったし、
 忘れかけてたことを思い出させてもらいました」

221 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/21(月) 16:40:08
「それと健吾君って、最初に会った頃から変わったような気がするのね。
 良い意味で。(どこが?って言われると上手に説明できないけど)
 その、変わっていけるというか、変われる力を持っているというか、
 そういうのがとてもすごいなぁと、かっこいいなぁと、思ったの。

 そして他にもいろいろ…。
 だから、好きになりました」

222 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/21(月) 16:40:51
「好きって気持ちに気付いたのは、東京で会った時。
 今まで色々あったから、無意識に気付かないようにしてた気がする。
 でも気付いてしまったから、色々考えたけど、伝えようって決めました。

 従姉弟だから、だからこそ言いました。
 言わないでこの気持ちのまま見ていくほうが、嫌だなって思ったの。

 上手く伝えられているかわからないけど、
 どんなでもいいから、
 健吾君の気持ちを教えてほしいな、です。

 長くなってしまってごめんね。
 おやすみなさい」

223 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/21(月) 16:42:40
翌日は夜勤だったから、出勤時間まで時間があり過ぎた。

起きて洗濯に取り掛かった。
チンした折り詰めを無理矢理、腹に入れた。
未開封のDVDを観た。

それでも時間はなくならない。

早く職場に行きたかった。
仕事が始まれば、考えることは仕事のことだけになる。

出勤前に少し寝ておこうとベッドに入った。

…寝れない。

何度も寝返りを打つ。

…ダメだ。

寝酒を飲んだ。

具合悪くなった。

224 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/21(月) 16:43:27
結局一睡も出来ずに時間は経った。
必死に歯磨きして酒の臭いを消し、会社に行った。

こういう時に限って仕事は暇。

逃げても無駄。眺めていた天井がそう言った気がした。

225 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/21(月) 16:45:53
考えよう。
みんなが笑顔でいられる方法を。

シミュレーションが始まった。

1.恵子ちゃんと付き合う。
   ↓
2.円満に交際が進み、お互い結婚の意志をもつ。
   ↓
3.彼女を親父に会わせる前に、親父と母のこれまでの経緯を話し、
  母(太田家)と親戚関係にあることを親父に言わないよう口止めする。
   ↓
4.結婚。披露宴はガーデンパーティ。

………アホか。

4の前には「両家顔合わせ」があるじゃないか。
その時に恵子ちゃん側の誰かが口を滑らしたらバレるだろ。

なら、

4.田中、太田の両家の人間全てに口止めする。
   ↓
5.結…

………無理だそんなの。

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226 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/21(月) 16:46:59
大体、
結婚式なんてことになったら親父か母、どちらかは参列できなくなる。

親父は妹の結婚式の時、参列を辞退した。
母に「花嫁の親」としての権利を譲ったのだ。
結果、妹はバージンロードをお父さんと歩いた。

この上、息子の晴れ姿まで見せられないなんて。
いや、俺が誰と結婚しようが、
ふたりが揃って参列することはないんだろうけど。

ええい、もう。

それに口止めが成功したって。
一生、恵子ちゃんにウソをつかせるのか?
田中や太田の人たちに、ワケのわからない約束をずっと守ってもらうのか?
そして親父を、一生だまくらかすのか?

みんなが笑顔でいられる方法?
そんなのありゃしない。

二ヶ月後、俺は恵子ちゃんにメールを送った。

227 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/21(月) 16:47:52
「こんばんは。
 元気に過ごしてますか?

 まずはお返事が遅くなってしまったことをお詫びします。

 そして、ごめんなさい。
 俺は恵子ちゃんとお付き合い出来ません。

 あれから色々と考え込んでいました。

 正直な話、俺も恵子ちゃんと会っていると楽しいです。
 俺の一方的な感覚かもしれませんが、
 恵子ちゃんとはウマが合うと感じています。
 打てば響く会話、
 同調し合える価値観、
 何より恵子ちゃんの誠実さにはいつも感嘆していました。
 (いつも馬鹿なことばっかり言って、
  その気持ちは表に出ていなかったかもしれませんが)

 ですから、
 これまでの恵子ちゃんとの関係を恋愛に発展させるのは、
 俺にとって非常に良いことだと思えます。

 しかし俺は、恵子ちゃんを恋愛対象として見ていません。

 女性として見ていないわけではないのです。
 ただ今まであまりにも近いところで接していたから、
 親友としての気持ちしか持てないのです。

 残酷な言い方になって、本当にごめんなさい。
 どうかお身体をお大事に」

228 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/21(月) 16:49:56
送信ボタンを押した時、吐き気がした。

二ヶ月も待たせた挙句、なんて返事だ。
こんなに残酷な言い方をする必要があったのだろうか?

だけど親父のことは出せない。
恵子ちゃんに「じゃあ、そのことがなかったら…」なんて思わせるわけにはいかないのだ。

これでいい。
こんな男を美化させる必要はない。

恵子ちゃんとの付き合いはこれで終わってしまうだろう。
それに耐えられるように、俺は強くならねば。

229 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/21(月) 16:50:47
一週間後、恵子ちゃんからメールがきた。

「メールありがとう。
 正直、お返事は諦めていました。

 結果は残念ではあったけど、
 でも、健吾君が二ヶ月考えてくれたこと、
 そしてちゃんとお返事をくれたことに、
 今は感謝しています。
 本当にありがとう。

 気持ちを伝えることが出来て良かった。
 言わないときっと私は後悔してた。
 まだちゃんと気持ちの整理がついたとはいえないけど、
 でも、好きになれたことは、うれしかったよ。

 最後にお願いがひとつ。
 これからも健吾君とは今までどおりのお付き合いがしたいです。
 それだけでいいから。
 次に会う時は、従姉として普通に会えるようにするから」

230 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/21(月) 16:51:57
複雑な気持ちだった。

嫌われなかったことに「ほっとした」、なんてことはない。
むしろ避けられるほどに嫌われたかった。

物理的な距離は遠いのだから、会おうと算段しなければ、会わないで済む。
一年に一回会うか会わぬかの関係なら、忘れられる日もきっと早く来る。

だが、彼女の言う「今までどおりの付き合い」
それはこれからも一緒に書展に行ったり、一緒に食事したり、
そんなことを意味するのだろう。

「こちらこそ。これからもよろしく!」
返信したメールとは裏腹に、
これからはもっと意識的に彼女を避けなければ、と思った。
彼女を傷つけないように。
彼女に悟られないように。
“意識した無意識”で。

231 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/21(月) 16:52:41
秋の始め、俺はとりそびれていた夏休みを利用し帰省した。

折り良く、
他県に住んでる妹一家や、妹たちと同じ県で住み働いている義弟も遅めの夏休みで里帰りしていた。

みんなが揃うのは久しぶりだった。

帰省最終日、みんなで食事に出た。
お父さんの行きつけの店だった。

姪っ子たちにいじられながら、合間合間で酒食を楽しむ。
忙しないが落ち着く。東京では得られない安らぎ。

と、義妹が厨房から男性を連れてきた。
「健吾君は初めて会うよね。今、付き合ってる人です」

聞けばその人とは結婚を前提に同棲も始めており、
お父さんも公認の男性だった。

「はじめまして。これからよろしくお願いします、お兄さん」
俺よりも年上なのに深々と頭を下げる彼。
こそばゆかったが、ふたりの幸せそうな顔に俺の顔も綻んだ。

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232 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/21(月) 16:53:34
すると義弟が口を開いた。
「俺も結婚します」

彼も同棲している彼女がいた。
会ったことはまだなかったが話だけは聞いていた。

しかも、
「子供、できちゃって(笑)」
とまで言った。

あらら。お兄ちゃん、ちょっとショックよ。

数年前には結婚一番手だったのに、いつのまにやらドンケツだ。
いや、相手もいないんだからスタートラインにすら立ててないじゃないの。

笑顔で動揺してた俺の心中を見透かしたかのように、母が言った。

「とうとう、アンタひとりだね(笑)」

ズッシーン。それを言っちゃあ、おしめぇだよ母ちゃん。

「アレでしょ?おにぃ、結婚する気ないでしょ?」と妹。

「なぜ?」
「なんか、独身で遊んでるのが楽しいって感じ」
「だね。アンタ今、結構充実してるでしょ?」

…お前ら何年、俺の母親と妹やってんだよ。
身内に遊び人と思われてるとは。

その後、みんなが俺の結婚観を代弁してくれた。
ひとっつも当たってなかったが。

233 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/21(月) 16:54:17
東京に戻った俺は仕事に打ち込んだ。
というか、打ち込むしかなかった。
張り合いはなかったがヤル気は出した。

ある日、先輩(合コンに誘ってくれた人)に飲みに誘われた。

「お前に会わせたい人がいるんだ」

生ビールで乾杯した後、意味深な目つきで先輩が言った。

「誰です?女のコでも紹介してくれるんですか?(笑)」
「んふふ」

いたずらっ子のような目で先輩は笑った。

234 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/21(月) 16:55:09
一時間ほど経った時、先輩の「会わせたい人」が来た。

関口さん、だった。

関口さんとは合コンの後、2~3ヶ月ほど一緒に飲みに行った。
先輩と一緒だったり、ふたりだけで行ったこともあった。
しかしいつしかお互いに連絡もしなくなり、ここずっと疎遠になっていた。

先輩の隣に座った彼女が、眉を落として挨拶した。頬が赤い。

「お久しぶりです」
「ほんと、久しぶりだね~」

「あのな」
先輩が俺のジョッキに自分のジョッキをぶつけながら言った。

「俺ら、結婚するんだ」

はぁ、そうですか。

235 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/21(月) 16:56:05
おいおい。会社でも俺ひとりかい。

会社での独身男性もとうとう俺だけとなった。

帰りの電車の中、吊革にもたれながら外の暗闇をじっと見る。
無性にこみ上げてくる孤独感。酔ってるから尚更。

(まぁ、焦っても仕方ないのはわかってるけどさぁ)
(でも焦らないと、お前、次のコト考えないんじゃないの?)
(そうは言っても、こんな不規則な生活じゃ出会いも無いし)

(仕事のせいにすんなよ。気の持ちようだろ)

頭の中で一人で会話しながら、乗り換えのために地下鉄ホームへ。

(出会いなんて、その辺にころがってんじゃないの?)

ちょっとだけ、カッコつけてホームに立ってみた。

300 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/25(金) 11:28:44
11月。夜勤明け。

携帯の留守電をチェックしたら親父からメッセージが入っていた。
「母さんのことで話がある。連絡をくれ」

大抵は忙しさに託けて電話を返さない俺だったが、
この時のメッセージはなんだか親父が普通じゃない気がした。
しかも親父の口から母のことが出るなんて。

夜、親父に電話した。

「あのな。お前には言ってなかったんだが」

前置きした親父が語った話はひどく俺を動揺させた。

301 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/25(金) 11:29:54
「母さんな、俺名義のキャッシュカード持ってるんだ」

「母さん、ブラックリストに引っかかっててな。
 離婚後、母さんに頼まれて、信用金庫のやつ作ったんだ」
「目的は?理由は?」
「亜矢(妹の名だ)の私立高校の学費で生活が苦しいって」
「苦しい?待てよ、あの時は俺も母ちゃんも働いてたから、
 亜矢の学費だってなんとかなってたはずだぞ?
 借金は親父が背負ってくれてたし…」
「俺もそう思った。
 だけど私立は部活の寄付金だのなんやかんやで金がかかるって言われたんだ。
 それに、借金を背負う代わりに、亜矢の養育費はいらないって言われてたから、
 せめてカードぐらいはと思って、な。
 返済は母さんが責任持ってやるって言ってたし、
 現に返済が遅れて俺に督促の連絡が来ることもなかった。
 それにその後、亜矢は私立の短大にも入ったろ。
 だから、亜矢が短大を卒業したらカードも解約するって約束で、
 そのまま持たせてたんだ」

302 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/25(金) 11:30:58
釈然としない。嫌な予感もする。
「…それで?」
「ところがな、カードが解約されてなかったんだ」

「この間、俺のアパートに督促状が来てな。二ヶ月分たまってた。
 俺も『まだ解約しないで使い続けてたのか!』って思ったら頭が
 カーッとなってな。
 でも母さんに連絡してアチラの家に迷惑かけるわけにもいかんから、
 直接、信用金庫に電話したんだ。別れた女房が使ってるって言っちまってな」

「それで…親父もブラックリストに入ってしまったのか?」

「いや、きちんと払って解約してくれればそこまでの処置はしないって、
 信用金庫の担当者が約束してくれた。
 それで…悪いがお前に頼みがあるんだ。
 母さんや信用金庫と連絡とって、後の処理をしてくれないか?
 俺は母さんに連絡なんてしたくないし、出来ないし、
 それに今、仕事で名古屋に来てるんだよ。
 抜けられん仕事だから、信用金庫に出向くことが出来ないんだ」

仕方ないか、としか思えなかった。夜勤明けで疲れていたせいもあると思う。

303 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/25(金) 11:31:52
「わかった。やっとく」
「本当にすまん。昔からお前に頼ってばかりで…」

そこで電話が終わればよかった。

「大体、アイツは、」
親父が母に対する愚痴を言い始めた。

離婚から今に至るまで、親父が母のことを悪く言うことはなかった。
初めて聞く、親父の心情。溜め込んでいたのだ。

だが俺にそれを聞いてあげられる余裕なんてなかった。

「やめてくれよ!
 俺は親父と母ちゃんの息子だぞ!?
 そんなこと、聞かせることじゃないだろ!?」

荒々しく携帯の電源を切り、ぶん投げた。

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304 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/25(金) 11:33:12
翌日、信用金庫に連絡をとった。
既に親父が俺を代理人とする旨を連絡していたため話は早かった。
解約には俺の身分証と、
俺と親父が血縁であることの証明書があれば問題ないとのことだった。
夕方、役所に戸籍抄本をとりに行き、そのまま仕事に向かった。

職場に着くと、仕事を始める前に母に電話した。
夕飯の準備をしていたという母に、すぐ本題を切り出した。

「どういうことだよ?」

努めて口調は抑えた。

「ちょっと待って」
母は慌てた声を出した。別室に移ったようだった。

「お父さんから聞いたの?あれはちょっと振込みを忘れただけ。大丈夫」
「…そういう問題じゃない!!」

305 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/25(金) 11:34:13
「別れた旦那のカードを、
 再婚してからも使ってる神経がわからないって、言ってんだよ!!!!」
「………」
「俺もだいぶ貸したよな?あんまり返してもらえてないけど。
 お父さんが家にあんまり金を入れてくれないから、なんて言ってたけど
 本当にそうか?
 そこにお父さん、いるんだろ?俺、お父さんに聞いてもいいか?」

もちろん、そんなことはするつもりは無い。

「それは…やめて。お願い」
母の振り絞った声が、いつも思っていた疑問の答えになった。

「…つまり…そういうことなんだな。
 お父さんが原因じゃなく、自分で勝手に作った借金なんだろ?」
「…うん」

「あんた、病気だよ」

母は黙っていた。

信用金庫に返す金を準備するよう母に言い、電話を切った。
その日の仕事はやたら長く感じた。

306 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/25(金) 11:34:54
翌朝、職場を出てすぐに信用金庫に電話した。
これから訪ねる旨を伝え、次に母に待ち合わせの時間をメールする。
その足で新幹線に乗り、今までで一番、気乗りしない帰郷をした。

駅の改札口にいた母が目にとまった。
その姿にますますムカムカした。

母が何か言いかけたが、
俺は黙って母の手から金の入った封筒をひったくった。

信用金庫では責任者らしき年配の男性が俺の応対にあたった。
つつがなく手続きが済んだ後、男性が言った。

「大変ですね。お察しします」

仕事上の言葉だったと思うが、少しありがたかった。

307 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/25(金) 11:35:48
また12月がきた。

いつもなら、年末年始に帰郷するのか母から連絡が来るところだが、
今年はない。

当然か、と思っていたら、恵子ちゃんからメールがきた。
「今年は帰ってくるの?久しぶりに健吾君と会ってお酒でも飲みたいな」

避けようと決めてからは俺からメールを送ることはなかった。
恵子ちゃんから来ても、当たり障りのない言葉で2、3行のメールを返すだけ。

この時も、仕事が忙しくて帰れないな~、風邪ひかないようにね、とだけ返した。

実際、恵子ちゃんのことを抜きにしても、今年は帰りたくない。

わざとスケジュールに仕事を入れ、職場のTVで除夜の鐘を聞いた。

308 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/25(金) 11:36:41
2005年。
1月の中頃のことだった。

母と恵子ちゃんからほとんど同時にメールがきた。

母の内容はこうだった。

「お元気ですか?
 去年はひどい思いをさせて、本当にごめんなさい。
 とても反省しています。
 まだ怒っていることでしょう。当然です。

 だけど、それを承知の上でお願いがあるのです。
 2月に英治君(義弟の名)が彼女を連れて帰ってきます。
 彼女の家族とウチの家族の顔合わせをするのです。
 当人たちは結婚式をしないつもりだそうで、

 だからこの顔合わせはとても大事なものです。
 みんな、貴方も同席してくれるのを望んでいます。
 どうか一時だけでもいいので、私への怒りを我慢してもらえませんか?
 勝手なことを言ってごめんなさい」
気持ちは大分落ち着いていたが、まだ母への怒りが消えたとは言い難かった。もちろん英治君たちは祝ってあげたい。
でも…母の顔を見たらきっと俺は…。

309 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/25(金) 11:37:39
悩んでいたら恵子ちゃんからメールが。

「元気?
 2月にまた上野で書展があります。
 今回は入賞しました!
 もちろん今年も行く予定。
 一緒に行ける?
 またこのおのぼりさんを東京見物に連れてってほしいな」

入賞したのか。
よかったなぁ。
うれしくて仕方ないだろうな、恵子ちゃん。
一緒に祝ってあげたいなぁ。

でも。

すぐに返事のメールを送った。

「ごめん。
 その日は仕事なんだよね。
 忙しい時期だから抜けられないんだ。
 入賞おめでとう。
 君はやればできる子だと思ってたぞ(笑)」

仕事は暇だった。スケジュールのやりくりはいくらでも出来た。

310 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/25(金) 11:38:22
恵子ちゃんからもすぐに返事が来た。

「そっか~残念。

 私は健吾君の感想が一番好き。
 偉い先生とか書をやっている人とかから色んな感想や意見をもらうけど、
 書をやっていない健吾君からもらえる感想はとっても素直で、
 ストレートに私に入ってくるの。
 私の作品が書をやっていない人の心に残って、
 書って良いね~って思ってもらえてる、そんな気持ちになれるの。

 だから本当に残念。
 お仕事がんばってね。
 無理して身体壊さないようにね!」

311 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/25(金) 11:39:04
10分後に2通目が来た。

「話は変わりますが、工藤 直子って憶えてる?
 健吾君は観てないけど、
 健吾君が転勤するちょっと前の書展で
 私が作品の題材にした「花」という詩を書いた人。
 その人の本で私のお気に入りのがあるのね。
 それ、ぜひ健吾君に読んでほしいので送るね。プレゼント。
 本当は会って直接渡したかったけど。
 気に入ってもらえるといいな」

312 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/25(金) 11:39:52
「花」
本当は俺、あの作品観たんだよ、恵子ちゃん。

あれを観て、俺は母との喧嘩別れを思い直し、
家族を二度と切り捨てないって、誓ったんだ。

恥ずかしくて、そんなこと君には話してないけど。

恵子ちゃんの字が頭に蘇ってきた。

どんなことがあっても家族は家族なのだ。

俺は母に「出席する」とメールをした。

313 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/25(金) 11:40:58
ホテルで食事をしながら、両家の顔合わせが執り行われた。

こちらは亜矢の家族も同席し、ちょっとした大人数だったが、
彼女側もおじいちゃんやおばあちゃん、兄姉の家族などが揃い、
大変な賑わいとなった。

(こうして、家族ってのは増えていくんだな)

みんなに酌をしながら、そう思った。

314 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/25(金) 11:41:42
会もお開きになり、お父さんが俺を駅まで車で送ってくれた。
母も同乗していた。

駅で一旦、俺と母を下ろし、お父さんは車を駐車場に置きに行った。

母が口を開いた。
「今日は本当にありがとう。ごめんね」

今日は会ってからあまり会話をしてなかった。

足元を見ながら話す母に、俺も言った。
「ひとつだけ、本当のことを話してよ」
「うん」
「もう、借金は無いんだね?大丈夫なんだね?」
「うん。大丈夫」
「その言葉、信じるからね?」
「うん。本当にごめんなさい」

「ならいいよ。忘れようぜい(笑)」
本心から笑えたわけではなかったが、それでも少しは軽くなった。

母は相変わらず下を見ながら、また「ごめんね」と言った。

315 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/25(金) 11:42:35
数日後、恵子ちゃんから荷物が届いた。

中にはチョコと本が入っていた。

本来の意味として受け取りたかったチョコを頬張りながら、
本を読み始めた。

工藤 直子 「ともだちは海のにおい」

それはイルカとクジラの友情物語だった。
どこかほのぼのとさせる挿絵と、飾らない文章がとてもいい。

(確かに恵子ちゃんが好みそうだ)

読んでいたら恵子ちゃんの顔が浮かんできた。
読み進めたら、ますますその顔が増えた。

だめだ。

1/3も読まないうちに、本を閉じた。

そしてそれ以来、一度もこの本を開いたことはない。

316 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/25(金) 11:43:30
2,3日後、
ホワイトデーの意味で俺も本を贈った。

大森 裕子というイラストレーターの書いた絵本。
「よこしまくん」と「よこしまくんとピンクちゃん」という2冊。
見栄っ張りで、ヘソ曲がりで、ぶっきら棒で、格好つけなフェレットが
主人公で、ピンクちゃんというガールフレンドがいる。
大人が読んで思わず「くすっ」となる絵本だ。
「ともだちは~」ほど深いものはないが、俺はとても気に入っていた。

317 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/25(金) 11:44:18
恵子ちゃんからのお礼のメールは喜んでいた。

「本、ありがとー!
 よこしまくん、すごくいい!
 かわいくて、ほんわかしてて。
 『けっ』とか『ふんっ』とか言ってるひねくれモノなんだけど、
 素直じゃないな~コイツ♪って感じで、どこか憎めない。
 こんな人、いるよねぇ…あ、いたいた!横浜にひとり(笑)
 ピンクちゃんとのコンビもいいね!
 なんだかんだピンクちゃんに言っても、
 ちゃーんとピンクちゃんのこと大事に思ってて、
 ピンクちゃんも、よこしまくんのことすごいなーって思ってて。
 なんか微笑ましい。
 ホントにありがとう!大事にします」

ああ…そういや俺、似てるかもな。
よこしまくんほど、ハッピーじゃないけど。

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318 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/25(金) 11:45:18
それは3月に入ってすぐの、日曜日の朝のことだった。

夜勤明けでマンションに帰ると、
エントランスホールの郵便受けの前に、
長髪のデカい男が立っていた。
そいつの足元には大きな旅行用トランク。
なにやら携帯で話していた。

(マンションの住人じゃないな)

俺の住んでるマンションは、
エントランスホールにあるインターフォンの操作盤に鍵をささないと
エレベーターが動かないようになっていた。
部外者が2階以上に上がるには、インターフォンで住人に呼びかけ、
エレベーターを動かしてもらわなければいけない。

(邪魔くせーな)

そいつをすり抜けるようにして郵便受けに手を伸ばしたら、
そいつが声を上げた。

「あ」

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319 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/25(金) 11:46:25
なんだ?と思い、そいつを見た。目が合った。

「来た。帰ってきた」

電話の相手に言っているようだった。帰ってきた?俺のことか?

「おお、大塚!」

声を聞いてようやくわかった。
高校時代の友人、辻田 大だった。
「大か!?…なんで、ここに」
「おお!ほれっ」

大が携帯を俺に差し出した。

「大塚、おひさ~!」

電話の相手は三浦 勝だった。こいつも高校の時の友人だ。

すぐに俺から携帯を取り返した大は、

「ありがとな!じゃな!」

と三浦に言い、電話を切ってしまった。

あまりに突然で二の句が告げずにいる俺に、大が言った。

「とにかく部屋に入れろ。話はそれからそれから」

言われるまま部屋に案内した。

320 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/25(金) 11:47:27
不思議な風景だ。大が横浜の、俺の部屋にいる。

俺はコイツが大好きだった。

高校時代、
俺は大と三浦、そして木島 周平、河相 真子という友人たちとバンドを
組んでいた。
世は空前のバンドブームで、
河相 真子以外の4人は女の子にモテたいがための結成だった。
俺以外の4人は同じ高校で、
中学の時から大と友達だった俺が後から誘われた格好だった。

高1の終わりから2年間バンドは続いたが、高校卒業と同時に解散した。

卒業後、俺と三浦は社会に出、周平と真子は東京の大学に進学し、
大は「ビッグになるぜい(笑)」と笑いながら、
なんとイギリスに行ってしまった。
ベーシストだった彼は、その道でメシを食っていこうとしていたのだ。

それ以来の再会だった。

321 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/25(金) 11:49:14
断りもせずに冷蔵庫を開け、缶ビールを取り出す大。
俺にも差し出し、缶をぶつけてきた。

「ほい、おひさしぶり」

相変わらずなヤツだ。
中学の国語の授業で「豪放磊落」という言葉を習った時、コイツの顔が
浮かんだ。今も変わっていない。なんだかうれしかった。

「おい、飲みに行こうぜ」

ビールも飲み干していないうちから、大が言った。

「アホか。まだ11時だぞ。それに俺、夜勤明けなんだ。少し寝かせろ」
「なんだ、仕事明けか。私服だから、てっきり朝帰りかと思った」
「(笑)土日はスーツ着ていかなくていいんだ」
「あ、そ。なぁ行こうぜ、飲み。
 横浜なら、昼間からやってるトコあるだろ?まして日曜日だし」
「勘弁しろって。行ったら潰れちまうよ。俺が酒弱いの、憶えてるだろ?」

高校の時、大とはよく飲んでいた。

「OKOK。んじゃ俺も寝るわ」
「それはそうと、どうして帰ってきたんだ?なんで俺んとこに来た?」

聞きたいことは山ほどあった。

「話は夜な。寝ろ寝ろ」

こうしてコイツに振り回されるのも高校以来だった。悪い気はしない。

322 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/25(金) 11:50:12
夜7時。寝すぎた。
しかし大はまだイビキをかいていた。

「おい、起きろ」

大を叩き起こし、外に連れ出した。地下鉄に乗る。

吊革が大の胸元で揺れていた。
190cmあるコイツと並ぶとまるで大人と子供だ。

「地元にいた時、三浦からお前の様子は聞いてたけど、仕事は順調なのか?」
「当然」

いつでも自信家なコイツが本当に羨ましい。
しかし現に大の言ってることは真実で、
4年ほど前、イギリスでは割とメジャーなバックバンドに入ったと、
三浦から聞かされていた。
俺もそのCDは何枚か持っている。

323 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/25(金) 11:51:47
「それで、今度は日本で活動するのか?」
「いや、用があって帰ってきたんだ。すぐまたあっちに戻る」

「用って?」
「俺のばあちゃん、憶えてるか?こないだ死んだんだ」
大は幼い頃に両親を亡くし、祖母と二人暮しの生活を送っていた。
こんな豪気な大も、日本を離れる時、祖母の心配だけはしていたが、
祖母は元気に大を見送った。
俺たちバンドメンバーも一緒に空港まで見送りに行ったのだが、
大がいなくなることよりも、その祖母の姿に涙が出てしまった。

324 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/25(金) 11:52:37
「そか。大変だったな」
「位牌持ってきてるから、後で拝んでやってくれ(笑)」
「位牌を持ってきてる…?」
「実家、処分するんだ。
 もう誰も住むやついないしな。手続きは済ませてきた。
 ついでにお前や三浦に会っていこうと思ってさ。
 お前の住んでたアパートに行ったけど、もう別の人間が住んでてよ。
 んで、三浦のところに行って聞いたんだ。お前がこっちにいるって。
 横浜なんて来たことなかったから、だいぶ迷ったわ(笑)」
「それで朝、三浦と話してたのか(笑)」
「うん。つーか三浦に電話するのも四苦八苦だったんだぜ(笑)。
 日本の携帯電話の使い方って、イギリスと微妙に違うんだよ。
 これ空港で借りてきたやつだからさ」
「なるほどな。なら三浦に悪いことしたな。
 こっち来てから初めてアイツと喋ったのに、誰かさんに電話切られちまって(笑)」
「三浦なんてどうでもいいんだよ(笑)
 お前は会おうと思えばいつでも会えるんだから。
 それより俺との再会、大事にしろよ?(笑)
 もう一生会えないかもしれないぞ」
「お前、もう日本に帰ってくる気はないんか?」
「ん。それに今度、アメリカに移るんだ。今のバンド抜けて」
「? 今のバンド、あんまり良くないのか?
 仕事の依頼もバンバン来てるらしいって、三浦も言ってたぞ。
 勿体ないじゃん」

325 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/25(金) 11:53:25
大が俺の言葉を遮った。

「それはそうと…
 おい、お前まさかハードロックカフェに連れてくつもりじゃないだろな?
 知ってんぞ、横浜にもあるって。
 やめてくれよ、アッチで行き飽きてんだ(笑)」

まさにそのつもりだったからドキッとした。

「違うわい。ほら、降りるぞ」

慌てて関内で降り、行き着けの店に行き先を変更した。

326 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/25(金) 11:54:16
和食の店に連れてった。

「それほど、日本食に飢えてるワケじゃないんだがな(笑)」
「うるさい。文句言うな」

そうは言っても刺身や日本酒に、大は喜んでいた。

「さっきの話。アメリカって、なんでだ?」
「もっかい勉強し直そうと思ってさ。アングラから再スタートだ(笑)」
「メジャーCDにもなってるってのに、なぁ。惜しくねーか?」
「まだまだよ、俺の腕は」
「ん?イギリス人に『謙虚』って言葉を学んだんか?(笑)」
「(笑)たまたま以前のライブで知り合ったプロモーターにアメリカ行き
 を勧められてさ。
 費用から住むところから、全て面倒見てくれるってんだ。
 少し行き詰まってたところだったから、世話になることにした」

目をキラキラ輝かせて未来を語る、
なんてことはこの三十路を越えた男にはなかったが、
忙しく箸とお猪口を動かしながら話すその声は弾んでいた。

327 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/25(金) 11:55:00
「あ、それでな。木曜日まで泊まるからな」

事も無げに言いやがった。

「すぐ帰らなくていいのか?つーか、帰れ(笑)」
「(笑)見納めしときたいんだよ、日本の」
「仕方ねぇなぁ」
「宿泊費は出さんぞ」
「出せバカ(笑)」

ふたりともグデングデンになって家に帰り、
それでも祖母の位牌の前ではふたり並んで手を合わせ、寝た。

328 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/25(金) 11:56:04
翌朝8時。
起きると大が床に寝ていた。
ふたりとも昨日の服のまま。
たしかふたり揃ってベッドに倒れこんだはず。
俺はかろうじてベッドに寝ていた。

(ズリ落ちたか、大)

なんだかニヤけてしまった。
この図体のデカい男とこれからちょっとの間、一緒に暮らすのだ。

俺は3日間だけの同居人に毛布と合鍵を被せ、
静かに身支度を整えて会社に向かった。

電車の中でふと思った。
(10年以上会ってなかったのに、昨日はすんなり話せたな)

高校時代の友人は一生モンだと、誰かが言っていた。
こういうことを言うのだろうか。

329 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/25(金) 11:57:00
その日の仕事は日勤だけだったので、夜8時には家に帰り着いた。

(なにワクワクしてんだ(笑)新婚さんかよ)

ドアを開ける時、やたら可笑しくなった。
そしてドアを開けたら、笑い転げてしまった。

エプロン姿の大が立っていた。

「なんだよ!?その姿!!」
「メシぐらい作ってやろうかと思ってよ。あ、この姿はウケ狙いだ(笑)」

190cmの長身にまるで合っていないサイズだった。

「それよか、お前んち最低!包丁もフライパンもねーじゃねーか!」
「仕事から帰ってきたら作る気力なんかないんだよ。
 一人暮らしだから作る量も難しいし」
「俺はあっちでも自炊してたぞ。ちゃんと全部平らげてたしな」
「お前とは食える量が違うんだよ」

台所に行ってみると、
包丁やらまな板やら鍋やらが、出来上がった料理と一緒に並んでいた。

「宿泊費だ。とっとけ」

料理は美味かった。見事なもんだ。味噌汁まで出された。

330 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/25(金) 11:57:48
食い終わると待ってましたとばかりに大が言った。

「おい、カラオケ行こうぜ。久しぶりに歌聴かせろよ」

バンド時代、俺はボーカルを担当していた。
楽器なんてひとつも出来なかったから。

「すげぇな、今時のカラオケって」

近所のカラオケ屋に連れて行った。大は大はしゃぎだった。
イギリスにもカラオケはあるそうだが、機材がまるで違うらしい。
採点システムに感動していた。

大は黙って俺の歌を聴いていた。
冷やかしもしなければ合いの手すら入れない。
およそ同僚と来る時とは雰囲気が違う。なんだか照れた。

「相変わらず聴かせるじゃねぇか」
「プロに言われるとうれしいな(笑)
 世話になってるからって、世辞を言う必要はねぇぞ(笑)」
「いや、上手いよ」

大の顔は真剣だった。
普段はふざけたヤツだが、こと音楽のことになると顔つきが変わるようだ。
これがプロってものかと感心した。

大の選曲は洋楽オンリーだった。
あまり上手くはない。
ベースを持つと天下一品なんだけどなぁ。
ギャップに笑った。

331 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/25(金) 11:58:54
2時間コースが終了し、俺たちは軽く飲んでから帰ることにした。

行き着けのバーに案内した。

軽く、のつもりが昔話に花が咲き過ぎた。
お互い酔っているのがすぐわかるほどだった。
でも酒が美味くてやめられない。
今度コイツと飲める日なんて来ないかもしれない。
そう思うと今日という日が惜しくなり、潰れる覚悟でおかわりし続けた。

「そういえば、さ。お前、真子とはあの後どうなったん?」

グラスにしな垂れかかりながら大が言った。

「真子って、バンドの時の真子か?」
「他にいねぇだろ」
「あの後って、なんだよ?どうなったってのは?」
「周平が死んだ後だよ。お前、真子のこと好きだったんだろが」

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332 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/25(金) 11:59:45
ドラムを担当していた周平とキーボードの真子は付き合っていた。
俺は真子のことが好きだったが、仲の良いふたりを見続けるだけだった。
高校卒業後、ふたりは東京の大学に進み、俺は地元に残った。
そこでバンドは終わり、俺の想いも終わった。

20歳の時、周平が亡くなった。車を運転中の事故だった。
大は仕事で戻ってこれなかったが、俺と三浦は周平の葬式に参列した。
同じく参列していた真子は痛々しいほどに悲しみに暮れていた。
葬式の時もその後も、俺は慰めの言葉をかけてあげることが出来なかった。

それから3年ほど経った時、彼女から連絡があった。
大学を卒業した後、東京で就職したとのことだった。

その時の真子は、周平のことを引きずっている様子もなく、俺は安心した。
それ以降、彼女がどうしているかは知らない。

333 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/25(金) 12:00:48
今頃になって彼女の話が出るとは。

「気付かれてたのか(笑)」
「俺にはな。こう言っちゃなんだが、チャンスだったんじゃないか?」
「真子に言い寄るチャンス、か?」
「そうだよ」
「あの時はとっくに気持ちなんてなかったよ。
 お前も知ってるだろ?
 あの頃俺んち大変だったから、そんな余裕もなかったしな」
「そうか?家のせいにしてただけじゃないか?」
「お前、あの時いなかっただろが(笑)見てたようなこと言うな」
「まぁな。なんとなくそんな気がしただけだがな」
「甘酸っぱい思い出ってやつだ(笑)」

もう一杯だけ飲んで帰ることにした。

334 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/25(金) 12:01:31
「で、今は付き合ってる女とかいないのか?」
「いないねぇ」
「好きなやつは?」
「いないなぁ」
「つまんなくねぇか?好きな女すらいないなんて」
「別に」
「ふーん」

お互いリミットだと判断し、グラスを空けることなく店を出た。

「そういうお前はどうなんだよ?金髪のステディでもいるのか?(笑)」
「俺のことより、お前のほうが心配だよ」

大きな身体を俺に覆い被せながら、つぶやくように大が言った。

335 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/25(金) 12:02:28
翌日の二日酔いはひどかった。

ベッドでウンウン唸っていたら、
大がゼリーとミネラルウォーターをコンビニから買ってきてくれた。

「俺、観光に行ってくるわ。今日、夜勤だろ?合鍵くれ」
「おばあちゃんの位牌に、ご飯出したか?」
「なんだ、それ?」
「茶碗にご飯を盛って、箸差して位牌の前に出すんだよ。知らんのか?」
「知らね。イギリスにそんなん無かったもん」
「日本にゃあるんだよ」
「お前、ジジくさいこと知ってんな」

いそいそとご飯を位牌の前に置き、大は元気に出て行った。

ベッドでひとりで寝ていたら、無性に寂しくなった。

(気色わりぃ)

苦笑して、また眠りに落ちた。

336 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/25(金) 12:03:19
大の水が効いたのか、寝覚めは良かった。

大はまだ帰っていなかった。

家を出る時、「いってきまーす」と俺は部屋に声をかけた。

翌朝、家に帰ると大が俺のベッドで寝ていた。酒臭い。

(こんにゃろ)

と思ったが、俺もベッドの横で毛布にくるまった。

夜、目覚めるといい匂いがした。また味噌汁だ。

「起きたか。メシ食え」
「うれしいけど、なんだか気色悪いな(笑)」
「俺だって(笑)」

差し向かいでの夕飯。可笑しくなる。

337 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/25(金) 12:04:23
ふと大が聞いてきた。至極、真面目な顔だった。

「お前、仕事楽しいか?」
「? 別に…楽しくはないわな。女も出来んし」
「こんな不規則な生活じゃあな」
「おお!?お前に言われるとはな(笑)
 ミュージシャンなんて、不規則の代名詞だろうが」
「お前、マスコミに毒され過ぎ(笑)意外と真面目なもんだぜ?」
「そうかね」
「そうさ」

(?)

なんだ。何が言いたかったんだ?

「大塚」

答えはすぐにわかった。

「お前、俺と一緒にアメリカ行かねぇか?」
爪楊枝を口に加えながら大が言った。

338 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/25(金) 12:05:18
「おほ。なんだ?
 仕事の息抜きにアメリカ旅行でも連れてってくれるってのか?(笑)」

「違う。アッチで一緒にまたやろうって意味だよ」

コイツ、何言ってんだろ?

大が冗談を言ってるわけではないことは、その顔を見ればわかったが、
その真意が計りかねた。

「お前と一緒にバンド組むのか?」
「そう」
「俺にボーカルやれってか?」
「うん」
「アメリカで?」
「で」
「俺の歌、そんなに良かったかぁ?あんなカラオケごときで」
「いや、全然ダメだ。歌唱法も何も、基礎から全然なってない」
「なんだそりゃ」
「でもな、いいモン持ってると思ったんだよ」
「そんなのわかんのか?」
「わかる」

これは俺も真面目に話さなければいけないと思った。

339 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/25(金) 12:06:12
「あのな、大塚。俺、ここ数年悩んでたんだよ。
 雇われバンドじゃなくて、自分のバンドを持ちたいってな。
 確かにお前も知ってるとおり、
 雇われバンドとして俺はある程度成功したのかもしれない。
 仕事の依頼も多いしな。
 でもこのままじゃ、どこまで行ってもそれ止まりな気がするんだよ。
 所詮は雇われだ。
 CDのジャケットに俺の名前がドーンと載るわけじゃない。
 バンドの名前も俺が考えた物じゃない。
 全部、他人が創り出したモンなんだよ。
 それに俺は乗っかってるだけ。
 そんなこと考えてたら、
 こないだ話したプロモーターから今回の話を持ちかけられたんだ。
 心機一転、やってみろってな。
 今からアメリカに乗り込むんだから、
 当然、下積みからまた始めなきゃいけない。
 それは長い時間になるかもしれない。でもチャンスだと思ったね」

340 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/25(金) 12:08:06
「それはすごくいいことだと思うけど、
 その相棒が俺である必要はないだろ?」

「確かにな。
 お前より歌えるやつを俺はいっぱい見てきたよ。
 実のところ、
 カラオケに行くまではお前を誘う気なんてこれっぽっちもなかった。
 でもな。
 あの時、俺、思い出したんだよ。
 俺はお前の声が好きだったな、ってな。
 高校の時にお前をバンドに誘ったのもそれが理由だったんだよ。
 単にお前が友達だったからじゃないんだ」

「キーが高すぎるって、いつも文句言ってたじゃん」

「ガキだった俺に、お前の声好きだ、なんて言えると思うか?」

「………」

「どうせ再出発するんだったら、俺の好きなモノを集めたいと思ったんだ。
 俺の好きな声や好きな音を持ってるやつ。
 もうギタリストは見つけてあるし、
 そいつも俺と一緒にアメリカに行くことが決まってる」

「俺に会って、懐かしさが蘇っただけじゃないのか?」

「俺、プロだぜ?そんなことぐらいで、お前に人生賭けねぇよ」

「でもプロの世界って厳しいんだろ?そんな我侭が通じるのか?」

「甘い考えだとは思うよ。
 でも我侭ってのはちょっと違うと思う。
 俺にとって音楽は仕事でもあるけれど、でも俺の音は俺のものだからな」

言ってることは夢見がちな十代の台詞に思えたが、大の顔は大人の顔だった。

341 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/25(金) 12:09:26
「以上!お前の考えを聞かせてくれ」

大の真っ直ぐな視線が俺を射抜いている。
言葉を整理しながら、俺はゆっくりと話した。

「まず…結論から言うわ。ごめん、俺はアメリカには行けない」

やっぱり、という顔を大はしたが、黙って俺の話の続きを聞いてくれた。

「正直、お前の話は魅力だよ。
 俺、一瞬、アメリカに立ってる俺の姿を想像しちまった。
 ものすごくワクワクした。
 俺の声を好きだとも言ってくれた。うれしいよ。

 それに、打算的な考えになるけど、
 ちゃんとお前にはお前を認めてくれるスポンサーもいることだしな。
 例えアングラなフィールドから始まるにしても、
 お前が力強い気持ちでアメリカに行く気になれるのはよくわかるよ。
 現実を踏まえた上での夢なんだな。
 でもな。俺の中の現実は違うんだよ。
 俺には、お前が言うほど、俺に力があるとはどうしても思えない。
 それはアメリカに行ってからの俺次第でどうにかなるって、
 お前は言うだろうな。
 俺、お前たちの仕事は天分だと思うよ。
 お前にはそれがあって、俺にはない。
 これは努力とかでなんとかなるもんじゃないって気がする。
 どっかで聞いた台詞だなんて言うなよ?
 本当にそう思うんだ。
 それに、俺はビビッてる。
 お前の誘いほど、俺の今の仕事に魅力があるわけじゃないけど、
 でもそれを捨てて知らない世界に飛び込めるほどの勇気は、俺にはないんだよ。
 お前は昔のまんま、相変わらずすごいヤツだけど、俺だけ年とったんかな(笑)」

342 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2005/11/25(金) 12:10:34
プッと、加えていた爪楊枝を俺に飛ばしてきた。
ようやく大の視線がズレた。自分の茶碗を見つめていた。

「なんだよ、考えさせてくれ、の一言くらい言ってくれよなぁ(笑)

 …わかった。
 ただな、ひとつだけ言うぞ。
 俺がお前を誘ったのは、勘違いでも郷愁にかられたからでもない。
 俺の頭がお前だって言ったんだよ。

 …後で後悔すんなよぉ。俺の直感て、案外当たるんだぜ(笑)」

大は笑顔だった。

「よし!大塚!ビール飲むか!持ってくる」
「うん。俺の冷蔵庫から、俺のビールを持ってきてくれ(笑)」

「だけどなぁ…」大が両手にビールを持って戻ってきた。

「彼女もいないし、仕事もつまらんって言うから、
 日本に未練ナシってことでOKしてくれるかと思ったんだよなぁ。
 甘かったか。未練とかそういう問題じゃないんだな」

未練。

さっきの大の視線よりも鋭く、それは俺に突き刺さった。

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