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【土着信仰】節分でも鬼を追わない土地「鬼追わぬ村」の話

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@North_ern2さんが鬼を主神として崇める青森県西部にある「鬼神社」を訪ねた時のお話です。

「鬼追わぬ村」の話

@North_ern2

節分。鬼にはつらい一日だが、一部では節分でも鬼を追わない土地もある。青森県西部の旧鬼沢村も節分に豆まきをしない。なぜならこの村で鬼は神様であり、「鬼神社」という鬼を祀る社があるからだ。なぜ鬼が神なのか…。これは青森県弘前市鬼沢集落を訪ねた話です。

156/365 #斜陽暦

冬の青森は鉛色をしている。その日、私は津軽平野の晴れ間と地吹雪が目まぐるしく変わる中を旅していた。岩木山に近づいた頃だった。地図に唐突に「鬼神社」なる文字が現れ目を剥いた。鬼の…神社?鬼が神様なのか?その妖しい響きに衝撃を受け、誘われるように国道から折れ、集落へと降りて行った。

鬼沢集落は岩木山の裾野の端であり、全体的に斜面がちな土地だった。集落を下りきると、川を挟んだ先に津軽平野が広がっている。鬼神社はその平野と山麓のちょうど境目に建っており、集落の入口から一番奥まった場所にある。その日は正月を過ぎたばかりで、鳥居にまだ旗や正月飾りが雪風に揺れていた。

石碑には確かに「鬼」と書かれているが、よく見ると鬼の字に最初の点がないものもある。そういえば仏教には鬼の神様「鬼子母神」がいる。お釈迦様に諭され改心し、子供の守り神になったので鬼子母神の鬼の字には頭の点(つまりツノ)を付けない。この神社の鬼も祟り神ではなく良い鬼なのかもしれない。

鳥居をくぐって社殿へ向かう。だがこの参道、なぜか途中で大きくU字を描き、元来た道の方向へと向かっている。つまり、鬼神社の社殿は集落に背中を向けている。なぜこの配置になっているのか、歩きながらかなり気になった。岩木山とも関係あるのか?…などと考えながら、社殿の前に辿り着く。

社叢は粉雪が舞い、静けさに満ちている。鬼瓦が乗った社の壁面には、なぜか大量の古い農具が架けられていた。そしてそのどれもがやたらと大きく、祭具であるように思えた。これは妖しい、妖しいねえ…とゾクゾク感じていると、隣の社務所から男性の声が聞こえた。

さすがにビビり倒した私に、男性は笑って話しかけてきてくれた。氏子総代らしいその人は、正月も済んだので神社の片付けをしていたのだという。この男性から、色々と話を聞くことができた。
…以下は、この鬼沢の地に伝わる鬼伝説をまとめたものである。

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鬼神社創設の由来

――その昔、津軽の岩木山には鬼がおり、麓の村(今の鬼沢集落である)に住んでいた一人の男が、この鬼と仲良くなった。鬼は男の農作業を手伝うようになった。あるとき、男は鬼に「自分の村では洪水や干ばつがよく起きて困っている」と話した。

すると、鬼は村と男のために、一晩で川に堰を造り、村の水利を整えた。それから、男に鉄製の農具の作り方を教えた。それまで村の周りは広大な湿原(青森や北海道の土地の言葉で谷地、萢(やち)という)だったが、鬼の堰と農具のおかげで村は稲作に恵まれ、豊かになった。

鬼はいつも男に「自分のことを他の誰にも教えてはいけない」と言っていた。しかし、あるとき男の妻が鬼と会っている男の姿を見てしまった。それ以来、鬼はどこかへ消え、あとには堰を造るために使った鉄鍬と簔だけが残された。

事情を知った村の人々は、岩木山の鬼を農業と村の守り神として祀り、残された鍬を御神体に神社を建てた。この地域周辺ではその鬼を「鬼コ」と呼んで拝み、村の名前は「鬼沢」になった。この村で鬼は善い神様なので節分は豆を撒かず、端午の節句で菖蒲も飾らない

…と、男性は津軽訛りで教えてくれた。

東北の訛りには北国の暮らしの情緒深さや物悲しさが染みついているように感じる。そんな口から、どこか優しくも寂しい由来を聞いてはずいぶんしんみりしてしまった。めちゃくちゃいいヤツじゃないか鬼。そうか、だから社殿に農具が奉納されてたり、岩木山を背にした場所に神社があるのだなとわかった。

「奉納農具は鬼が使ったものになぞらえてるんだ。鬼は『大人(おおびと)』だからね。これくらい大きいんだ。鬼が造った堰や灌漑も『逆堰』とか『鬼神堰』とか言って今も残ってる。雪があると見れないけど近くに鬼の足跡なんて石もあるしね」と男性は続ける。ああ土着の信仰って感じがする。素敵だ…。

そして、「せっかぐだべし神社ン中見でがねが?(せっかくだし神社の中も見ていかない?)」と、本殿の鍵を開けてくれた。正月中はそれなりに初詣客で賑わうそうだが、今は本殿の外も中も、完全に田舎の神社然としている。そして、雪の照り返しの中に、薄暗い社殿の中身が浮かび上がった。

闇の中に扁額や絵馬が並んでいるのが見えた。男性が電気を点けると、一瞬ゾクリとした。…鬼の字。鬼、鬼、鬼。造りは神社だが、およそ神社らしからぬ字が社殿の壁一杯に並んでいる。右手隅には鬼面が架けられている。先に男性から縁起を聞いていなければ、相当異様に感じただろう。…面白い。

男性が「あの中に御神体の鍬があるよ」と本殿正面を目で示した。もちろん直接は見られない。男性も一度も見たことはなく、先祖や神主からそう伝え聞いたと語った。鬼が川を造り変えた道具がこの先にあるのか…。名前は鬼でも、恐るべき存在ではないはずだ。それでも私はこの空間を畏れていた。

神様に畏れを感じるのは特別なことではない。「恐ろしい」ではなく「畏ろしい」だ。それは崇敬や信仰の精神であり、ここはまさに「畏れ」の空間だった。ただ私はソトの人間だ。土地の人は「鬼コ」にとても親しみを感じており、この辺一帯には鳥居に鬼があしらわれた村社がいくつもあるという。

帰り際、金棒の形をしたお守りをいただいた。なんでもこの神社でだけ配っているもので、「鬼に金棒」な縁起物とのこと。私もいつか神を畏れるだけでなく、鬼と男のように、妖しい世界と友達になってみたい…。お守りではあるが、そんな願いを込めつつ、鬼沢集落を去るのであった。

鬼追わぬ村・完

鬼追わぬ村 解題編

さて…夜中なので少々長くなっても大丈夫でしょ(適当)

ここからは解題篇です。この心優しい鬼、岩木山の鬼コさんの正体、気になりません?気になりますよねえ?私もなんですよォ…。ここからは鬼の正体と津軽の岩木山信仰について考えていきます。

男が会った鬼。そして、土地の人が信仰する鬼コとは何者なのでしょうか? 鬼といえば、あのツノがあって体が赤くて…というイメージが先行しますが、「オニ(ヲニ)」とは本来「正体がわからない、強い力を持った人ならざるもの」全般を指す言葉です。

幽霊も妖怪も神仏もヲニの一種と言えます。人間も、強い怨みや感情を持てばヲニになり得ます。「自分の属す領域や集団と異なる奇妙な存在」という意味合いもあり、時として異民族や奇怪な身なりの動物や人間もヲニに見做されました。岩木山にいた鬼とは、あの赤い鬼というわけではありません。

岩木山は霊峰であり、津軽地方には古くから岩木山信仰があります。これは富士山や出羽三山なんかと近しいものです。そして、岩木山信仰は自然信仰や祖霊信仰、仏教寺院、津軽藩主の政治的意向と結びついて現代まで続いています。でも、「岩木山の鬼」はこの岩木山信仰とは別系統のものです。

岩木山の鬼が文献に初めて登場するのは江戸中期頃で、1701年の『別当寺光明院元禄書上』には「岩木山には鬼が住んでいたが平安の頃、坂上田村麻呂により退治され、赤倉沢に封じ込められた」という記述があります。1731年の津軽藩史『津軽一統志』には「岩木山の赤倉には2人の鬼が住んでいる」とも。

明治期にまとめられた津軽地方の地誌には、「この鬼は天気を操り人心を惑わし、岩木山へ登る参詣者を悩ませた」「麓の人間の農作業を手伝い、鉄を作る技術を教えた」と、善悪相反する性格が記述されています。そして、岩木山北東部の津軽平野には、この鬼を祀る集落が点在しています。

一連の鬼信仰は、鬼がいるとされる岩木山赤倉沢にちなんで「赤倉信仰」と呼ばれています。岩木山信仰とは異なるこの「鬼」の正体には昔から多くの意見があり、ある者は鉄器を造る技術と土木工事の知識を持っていたことから「大陸から来た異民族」だとか、ある者は「エミシの末裔集団」だともいいます。

いずれにしても、この「鬼コ」が何らかの技術を持った集団の人間であったことは確かでしょう。ではなぜこのような信仰が生まれたかですが、それはやはり津軽平野という地域の風土と開発の歴史が関係していると考えられます。…クソ長くなるので今日はこれくらいで辞めます。

ちなみに鬼が造った「逆堰」や「鬼神堰」も鬼の正体に迫る重大要素で、今も約8㎞が現存しています。鬼の優しさは令和になっても津軽平野の田へ岩木山の水を引いているのです。史実や事実と別個として、昔話や信仰ってこういうところが素敵だと思うんですよね。
長いことすみませんでした(今度こそ完)

深夜の向こう側の話

個人的に「鬼」の民俗学的研究は、馬場先生の『鬼の研究』がバイブル

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参照元:https://twitter.com/North_ern2/status/1489210937454170112

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皆のコメント

@SeriharaHisuke
面白すぎますね……!

@miya05kuroneko
大変興味深いお話でした。(こういうの大好き)
そして香川には鬼無駅という駅があったのを思い出しました。

@North_ern2
そこは確が鬼骨寺と関係ある土地だった記憶がありますね

ナマハゲの由来

@harunotukiyo
男鹿半島のなまはげと同じですね。角がないんですよ、なまはげ。神様のお使いなので。

@North_ern2
ナマハゲは来訪神でしたね。ナモミハギっていう語源、わりと好きです。

@kazukitohma1
横から失礼します。ナモミハギて語源だったんですねナマハゲ…
前々から名前以外まんまナマハゲだと思ってた能登半島のアマメハギと名前まで似てしまって… きっと大昔は同じものだったのでしょうなぁ。

@harunotukiyo
火に当たってサボってばかりいて、体に畳のナモミ(跡)が出来たのを剥ぎに来るので、ナモミハギからナマハゲに呼び方が変わったようです😃

@harunotukiyo
アマメは地元ではどんな意味があるのか気になりますね(^∇^)

@kazukitohma1
(;゚Д゚) ふぁぁ!!ほぼ一致……
今気になってWikipedia見てましたら「アマメ」って長い時間囲炉裏や火鉢などにあたって出来る火マメの事だそうで。やはり同一人物(?)であったか…

@harunotukiyo
勤勉を良しとした時代だから、戒めの為に存在したのかも知れませんね🤭

@shino03016493
長野県には鬼無里村がありましたね(過去形)

@North_ern2
徳島県には神山町鬼籠野がありますね

@ma_monkey_dx
岩手県北上市界隈では鬼剣舞という郷土芸能があり、盛んな地域では、福ハ内鬼も内と声を掛ける

@North_ern2
面白いですね。今度行ってみたい…

鬼はうち

@himawari2126250
群馬県の鬼石も節分では鬼はうちと豆撒きするそうです!

@North_ern2
あら初めてききましたわ!今度はそちらも訪ねてみます

@oikawayumi
記事興味深く拝見しました!
自分も鬼神社が大好きなので、とりあげていただいて嬉しいです。
夏祭りの時期には、こんな感じに賑やかになりますよ~

@North_ern2
おお夏はこんなに賑わうんですね。すごい…出店の雰囲気がなんと長閑

@saami1116
生まれも育ちも弘前市だけど初めて知りました!
めっちゃ面白かったです(*^^*)

@North_ern2
弘前や青森にはこういう謎の民俗や言い伝えがわりと多くあります。また逐一あげていきたいですね

@Athlon108
面白いお話ありがとう。
鬼斬丸や鬼殺隊に知られる前に逃げ去ったのか(違う)…

@zE1OS1wF1Of6RrJ
鬼が全部、悪ではないって事です。魔除けになる鬼も居るし、神様でも悪神も居る。

@North_ern2
陸奥国と長門国の向こう…正反対すぎて文化まるで違うって感じ確かにあります。私も津軽文化圏で生まれ育ったので、九州の雰囲気は旅する際かなり興味深いです。

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