この方法を身に着けてからは1往復は無くなった。
どんな会話内容であっても関係ない。あらゆる場面で使用可能。
俺はこれを「カイワノミクス3本の矢」と名付けた。
第一の矢・感嘆符
第二の矢・そうですねファミリー
第三の矢・オウム返し
これであらゆる会話に対応できる。
時々、「こう言われたらこう返す」といった会話のパターンを事前に覚えておくというアドバイスを見かける。
だが、これは本質的に間違っていると言わざるを得ない。
まず、人はそんなに多くのパターンを覚えられないし、覚えたとしても本番で思い出せない。
さらに、相手の発言が少しでも想定とズレた瞬間に、用意した答えは役に立たなくなる。
結局、努力のわりに得るものはほとんどない。
カイワノミクスは、そのような暗記型の会話術とはまったく異なるアプローチだ。
これはつまり、
「おおー!」「へー!」「えー!」「うわー!」
とかいうやつである。
相手が何か一言言ううたびに、必ずこれを入れる。絶対にだ。
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特に驚くような内容でなければ、「はい」「ええ」程度の反応で十分だ。
大切なのは、相手が何か言うたびに必ずリアクションを返すこと。
これが会話において最も重要な要素である。
俺はかつて、この「反応」をまったくしていなかった。
理由は簡単で、こうした言葉は会話の本質とは無関係な余計なノイズだと思っていたからだ。
むしろ相手の話の流れを邪魔するものだと考えていた。
だが、それは完全な誤解だった。
実際には、このリアクションこそが会話の中核なのだ。
したがって、この「第一の矢」が最も重要である。
第二の矢:「そうですね」ファミリー
「そうですね」「そうなんですね」「そうですか」「それな」
この一群を、ここでは “そうですねファミリー”と呼ぶことにする。
一見するとただの相槌に見えるが、実はこの言葉たちは非常に強力だ。
なぜなら、これらを使いこなすことで、自分の意見を明確に表明せずに、相手の意見を否定も肯定もしないという立ち回りが可能になるからである。
つまり、「共感を示しながら中立を保つ」ことができる。
このスキルは、自分と異なる価値観を持つ相手と話す場面で、極めて役に立つ。
自分と異なる意見や価値観を持つ相手に対して、
つい即座に否定してしまってはいないだろうか。
何気ない世間話の中でも、気づけば論破モードに入ってしまう。
「それ、いいよね」と言われて、思わず
「いや、俺はあれ嫌い。だって〇〇だし」
と返してしまう――そして会話が止まる。
だが、「そうですねファミリー」を使えば、この悪循環は断ち切れる。
それは、相手を傷つけず、会話を続けるための福音である。
会話の基本は、言うまでもなくオウム返しである。
これは世間でも広く知られた会話テクニックであり、多くの場面で推奨されている。
しかしここに落とし穴がある。
コミュ障気味の人が、いきなりオウム返しだけを使おうとすると、会話が不自然になるのだ。
その原因の多くは、第一の矢(リアクション)を使っていないことにある。
「はい」「ええ」といった基本的な反応を挟まず、いきなりオウム返しをすると、
どこか機械的で、ぎこちない印象を与えてしまう。
そして多くの人が、「やっぱり自分には会話なんて無理だ」と思い込み、諦めてしまう。
繰り返すが、最も重要なのは第一の矢である。
第二の矢(そうですねファミリー)と第三の矢(オウム返し)は、
第一の矢を放った上で、その効果をさらに高めるための技法なのだ。
第一の矢が最も重要で、第三が難しいんですか!なるほど!
こんなんされたら好きになるわ
では、実際の会話を見てみよう。
「今日はいい天気ですね。」
コミュ障の人は、ここで止まってしまう。
何を話せばいいのか。相手は何を求めているのか。
頭の中で必死に「正解の返事」を組み立てようとする。
しかし、言葉は出てこない。
1秒、2秒、3秒……沈黙が流れる。
5秒も経てば、気まずさという名の地獄が完成する。
3本の矢に従えば、もう何も悩む必要はない。
「今日はいい天気ですね。」
「ええ、そうですね。いい天気ですね。」
この一往復の中に、すべてが詰まっている。
・「ええ」……第一の矢・感嘆符(リアクション)
・「そうですね」……第二の矢・そうですねファミリー
・「いい天気ですね」……第三の矢・オウム返し
たったこれだけで、会話は自然に流れ始める。
何も難しいことはない。
ただし、ここで一点だけ注意がある。
そしてこれは、極めて重要な注意点である。
心して読んでほしい。
その注意点とは「残心」である。
弓を放ったあと、しばらく姿勢を保つあの所作だ。
コミュ障の特徴の一つに、「ものすごい早口で言ってそう」というのがある。
「ええ、そうですね。いい天気ですね」も、彼らの手にかかれば
「ええそうですねいい天気ですね(ここまで一息)」
となってしまう。
そうではない。矢と矢の間に1〜3秒の残心を置く。
「ええ(1秒)…そうですね(2秒)…いい天気ですねー(3秒)」
これだけで、会話に余裕と呼吸が生まれる。
あぁ、(感嘆符)ソープ(オウム返し)?高いでしょでも ...
文字にすると少しバカっぽく見えるかもしれないが、実際の会話では語尾を伸ばすのが有効だ。
弓道で言えば、矢を放ってから「残心」に入る前の一瞬――つまり“離れ”にあたる。
たとえば、次のような状況を考えてみよう。
自分もソープ好きだが、それを人前では隠していたいとする。
そんな中、目の前の相手が堂々とソープ好きを公言してきた。
「ソープ行くやつってモテない負け組だよな」――(相手の価値観を否定して自分を守る)
「ソープ、いいよね」――(相手に合わせるために、自分の価値観までさらけ出す)
どちらも言いたくない。
そんなとき、カイワノミクスを使うとこうなる。
「へぇ〜、そうですかぁ〜。ソープがお好きなんですねぇ〜〜。」
語尾をゆるく伸ばすことで、否定も肯定もせず、自分の意見も言わない。
しかも会話の流れ的に、次に話すのは相手の番だ。
これが、会話の主導権を失わずに空気を保つ技である。
喋りっぱなしの営業に惹かれないのは会話や話し方の「間」の取り方が下手だと思う
間を考えてゆっくり話す
不自然じゃない程度に心掛けてみよっと
たまに為になるスレがあって面白いなぁ
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コミュ障はよく、相手が何か言ったら、
それに関連する話題を返さなければならないと思い込んでいる。
だが、そんな必要はない。
相手の言葉を、そのまま追加情報ゼロで返すだけで「最初の会話」は成立するのだ。
そして、もう一度この会話を見てほしい。
「今日はいい天気ですね。」
「ええ、そうですね。いい天気ですねー。」
これ、流れ的に次に話すのって、相手の番じゃないか?
そう、ごく自然に会話のボールが相手に戻っているのである。
こちらは次に何を話すか考える必要がない。
その役目は、すでに相手側に移っている。
これこそが、三本の矢の力である。
腹減ったなー(オウム返し)
ですよねぇ?多分
うーん(感嘆符)
この辺にぃ、美味いラーメン屋の屋台、来てるらしいっすよ
あっ?(感嘆符)そうか?(そうですね系の応用)
行きませんか?
いきてーなー(オウム返し+意見の肯定)
行きましょうよ
じゃけん夜行きましょうね~
おっ(感嘆符)そうだな(そうですね系)
もうちょっと強化してみた。
「これ、夜中腹減んないっすか?」
→「おう(感嘆符)、そうだなぁ!(そうですね系)腹減ったなー(オウム返し)」
「ですよねぇ? 多分」
→「うーん(感嘆符)」
「この辺に、美味いラーメン屋の屋台、来てるらしいっすよ」
→「あっ?(感嘆符)そうか?(そうですね系の応用)屋台かぁー!(オウム返し)」
「行きませんか?」
→「ああ(感嘆符)そうだなぁ(そうですね系)行きてーなー(オウム返し+意見の肯定)」
「行きましょうよ」
「じゃけん夜行きましょうね〜」
→「おっ(感嘆符)そうだな(そうですね系)夜行くかぁー(オウム返し)」
でもそもそも人と話をするのが面倒なんだ
このやり方使ったら使い続けなきゃならないね
例えばどんな?
仕事の会話だとそれでいいけど、世間話だと微妙かもしれない。
相手「彼氏が最近私がご飯作るのが当然って感じで何も感謝してくれない。私がそれ指摘するとそんなつもりはないって言うけど、態度に出てる。かと言って私も作るの苦痛なわけではないんだ。作ったもの喜ばれるとこっちも嬉しいしね。けどなんか納得行かないんだよね」
自分「そっか、折角がんばって作ってるのに彼氏さんはあなたへの感謝をちゃんと伝えてくれなくて納得行かないのね。でも作りたくないわけじゃないんだもんね、難しいね…」
とりあえずこう返して向こうがそれは違う、と反論してきたらそれを聞くしそうだよ、と言うとそこから先の解決策考えるなりもっと質問掘り下げるなりする
>「折角がんばって作ってるのに彼氏さんはあなたへの感謝を
>ちゃんと伝えてくれなくて納得行かないのね。」
この一文、ものすごい早口で言ってそうである。
ここは焦らず、分解して残心を入れる方がいい。
3本の矢でいくと、まずはこうだ。
「うわぁーっ(感嘆符)そうなんだぁー(そうですね)それは納得いかないねぇー(オウム返し)」
ここで少し長めの残心を置き、相手の反応を見る。
相手が続きを話し始めたなら、そのまま三本の矢を駆使して聞き続ける。
もし相手が黙っていたら、そこから続きを入れる。
これは三本の矢の範疇を少し超えるが、残心の意識を忘れずに。
「そっかぁー(残心)折角がんばって作ってるのにねぇー(残心)
感謝をちゃんと伝えてくれないんだねぇー(残心)
うーん(感嘆符)、でも作りたくないわけじゃないんだもんねー(残心)難しいねぇー(残心)」
こうすれば、多分最後まで言い切る前に、どこかの残心中で相手が話し出すはずだ。
ありがとう。
申し訳無いが、残心や間は入れてる前提として、相手の話をまとめて良いのかどうかを聞きたかったがそれは>>1の専門ではないようだな
残心のバリエーションは参考になったよ
ありがとう
それは話の「内容」になる。
申し訳ない。三本の矢においては、内容はどうでもいいのである。
会話を1往復以上できない人が、何往復もできるようになるため技術なのだ。
往復したうえで、内容を充実させることは、三本の矢の範疇外である。
そうだな
スレチなこと言って悪かった
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さて、そもそも相手はなぜ「今日はいい天気ですね」と話しかけてきたのか。
多分、天気なんてどうでもいい。
ただ、話したかっただけだ。
つまり、話すモチベーションは向こうの方が高い。
だからこそ、三本の矢で流れを止めずにボールを返せば、
あとは相手が勝手に話を続けてくれる。
向こうから話しかけてきたなら、
こちらが話題を考える必要などないのである。
ほんとこれ
結局相手頼みだし、相手が話広げてくれること前提だもんな
俺も普段からその三本の矢を使ってるけどその場の雰囲気が悪くならないだけで状況は好転しないし、ましてやそれで仲良くなったり出来ないぞ
特にまだ親しくない異性や営業先の相手には厳しいな
三本の矢は、ナンパや営業の技術ではない。
せっかく相手が心を開いて話しかけてくれたのに、何も返せず沈黙してしまう。
あるいは、相手の姿を見た瞬間に逃げてしまう
そんなかつての俺のようなコミュ障のための技術である。
数学で言えば、これは九九のレベルだ。
ナンパや営業のような会話術は、三角関数や微分方程式の領域。
三本の矢では、そこまでは解けない。
そりゃそうだな
基本の「き」の字ってとこだな
まあそうだな
深刻なコミュ障には役に立つかもなー
会話のイロハのイってとこで
それは確かにそう。
警戒している相手との会話には、もっと高度なテクニックが必要だ。
もちろん、三本の矢が身についていることが前提で。
三本の矢の主なターゲットは、他愛もない世間話である。
そもそも相手が世間話をしかけてくる時点で、多少なりとも心を開いているのだ。
相手が黙ってしまったら
どうするの?
それは沈黙で構わない。
会話を止めたのは相手だから、むしろ相手のほうが「やべ、何か話さなきゃ」と焦っている。
そして新しい話題を出してきたら、また三本の矢のターゲットになる。
こちらから世間話を振る方法もあるが、それを説明すると本一冊分になる。
今回は受け身の三本の矢に絞っている。
結局のところ、相手にボールを渡し、三本の矢を使える状態に持っていく。それが目的である。
会話するのが怖いほどのコミ障だけど
今度試してみようかな
わかりやすい説明ありがとう
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相手が黙ってしまったら
どうするの?
よく「話す内容はなんでもいい」と言う人がいる。
これは半分正しくて、半分間違っている。
正確に言うなら、「話す内容はどうでもいい」のである。
三本の矢は、話の内容そのものには一切触れていない。
どんな話題であろうと関係ない。
つまり――会話を続けるうえで、内容なんて本当にどうでもいいのだ。
コミュ障だから
人に対して失礼な物言いをしてしまう人や距離の取り方がわからないタイプ等はまた別だが
人に対して失礼な物言いをする人でも、3本の矢は有効だと思う。
あらかじめ放っておくだけで、その後の言葉がかなり柔らかくなる。
例1(通常)
「私これ好き」
「俺は嫌い。だって〇〇だから。」
例2(三本の矢あり)
「私これ好き」
「へぇ、そうなんだー。これがいいんだー。
んー、でも俺は嫌い。だって〇〇だから。」
相手の意見を否定する場合でも、まず三本の矢を放ってから言えばトゲが取れる。
三本の矢あり=会話のキャッチボール。
三本の矢なし=ピッチャー強襲ライナーである。
という質問が来たらどうすればいい?
それは意見を表明せざるを得ない。
ただし、その前に三本の矢を入れる。
Yes/Noで答えられない質問には、1→3→2の順で矢を放つ。
「あなたの好きな食べ物は何ですか?」
「ええーっと(感嘆符)、好きな食べ物ですかぁー(オウム返し)。そうですねぇー(そうですね)。
(長めの残心)んーっ(感嘆符)○○ですねぇー。」
ポイントは、三本の矢を入れることで考える時間が稼げることだ。
残心を丁寧に入れれば、それだけで約5秒。
さらにその後の沈黙も自然に見える。
いきなり無言で考え込むと相手は困るが、
三本の矢を使えば、考える間も会話の流れが保たれるのである。
感嘆符は、演劇やアニメのような極端なリアクションを真似して練習するといい。
ただし「ふにゃ〜!」みたいな非現実的なものではなく、実際に口にできそうな大げささで。
本番を想定した練習では、自分の殻は破れない。
あえて現実ではあり得ないレベルのリアクションを練習することで、殻が破れるのだ。
すると本番では、以前と同じつもりでも、自然とリアクションが豊かになっている。
それなー(棒)
>>70
そう、「間」は本当に大事だ。
コミュ障はよく、間をあけずに早口で一気に話してしまう。
これは、話しているうちに相手の興味が薄れていくのを感じて、
「完全に興味を失われる前に全部言わなきゃ」と焦るからだ。
少なくとも、俺はそうだった。
だが違う。
間をあけないから、相手の興味が続かないのだ。
相手も第一の矢を放とうと構えているのに、
いつまでもその隙がないから、やがて構えを解いてしまう。
間をあければ、相手も矢を放ってくれる。
そしてまた、次の矢を構えてくれるのである。
三本の矢は本来、相手が話してくることが前提だ。
だが、自分が話す番になったときにも、この考え方は役に立つ。
76でも書いたが、相手に矢を放たせる――つまり「残心」である。
これさえ意識しておけば、つまらない話でも相手は一応聞いてくれる。
本当につまらない話でも、残心があれば途中で遮られない。
相手は残心中にさりげなく口をはさみ、自然に話題を切り替える。
そして相手が話し始めたら、そこからは三本の矢の出番だ。
結局のところ、会話で重要なのは「内容はどうでもいい」ということだ。
ネットで見るコミュ障の悩みの多くは、「何を話せばいいのか」に集中している。
つまり、「会話が続かないのは内容が思いつかないからだ」「内容さえあれば続く」という思い込みだ。
だが実際は、内容を思いついても一往復で終わる。
だから「もっと内容を考えなきゃ」と焦る――これが根本的な誤りである。
内容が何であっても、三本の矢がなければ会話は続かない。
そして三本の矢さえあれば、内容なんてどうでもいい。
多くの人が想像する「コミュ強」は、相手に話しかけられた瞬間、0.5秒で気の利いた返しをする人だと思っている。
だが、そんな人間はいない。
コミュ強でも、三本の矢で数秒の余裕を作り、その間に内容を考えているのだ。
街中で他人の会話に耳を傾けてみるといい。
会話をしている人は皆、無意識に三本の矢を使っている。
むしろ、それを使わない人の方が珍しい。
三本の矢を放つこと――それが、会話が成立するための大前提なのである。
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普通に会話できるよ
知りたいのはまともに会話が通じない相手の攻略法なんだよ
揚げ足取ったり最初からバカにする気満々で質問してくる奴な
答えようの無いことを答えろと詰め寄る奴とかな
そういう人間に屈してきたことでコミュ障の烙印を押されるんだわ
それはそもそも必要なのか?
馬鹿を相手にしなきゃいけない環境になんかいる必要もないし、気にする必要もないじゃん
それ答えわかる。
結論からいうと「関係をぶち切る覚悟」と「相手と刺し違える覚悟」。
問題なのは、なめられてる関係性。
これを解決しないと、コミュニケーション以前の問題。
そもそも、なめてくるような奴らとまともな関係もつ必要ない。←ここ大事。
そんな奴らにたいしてはむしろ突き放すべき。
コミュニケーションとしては冷たく接するのが正しい。
たとえば女子高出身の男慣れしてない女、警戒して黙ってしまう女(でも親しくなったらよくしゃべるぽい)
にどう話しかけてどう仲良くなれるかみたいのがテクニックでしょ
ドラクエでロマリアから東に行ってゴリラに瞬殺されるのと同じ話だ。
自分から話しかけられないのはテク以前に自己肯定感の問題だ。
相手が「おばちゃん」でも「女子高生」でも本質は同じ──人が何に喜ぶかを知らないだけ。
まずは対人スキルを鍛えろ。よく喋ってくれる人(まずはおばちゃん)を相手に場数を踏んで感覚をつかめ。
それができてから若い相手にも行け。
あと空っぽの返事感が更につまんない奴レベルを上げそうな?
2chの人間ってとにかくマウント取りたがりすぎ。
「つまんない奴」って言葉が、それを象徴してる。
でも考えてみろ。
本当に“面白い話”ができる人間なんて、この世にどれだけいる?
逆に言えば、面白い話ができる人間にしか好意を持てないのか?って話だ。
面白い話で得られるのは、せいぜい尊敬とか畏敬。
けど多くの人にとって大事なのは、相手が自分を受け入れてくれるかどうかだ。
だから面白くなんかなくていい。
2chに毒されてる人ほど、マウントを取られるのを恐れる。
でも、マウント取らせてやるくらいの余裕を持って接すればいい。
自分が面白くなくても、相手に面白いこと言わせて、それを笑ってあげればいい。
それで十分、会話は成立する。
それではウイスキー水割り飲みますね…
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枝葉末節な小手先テクニック論よりも
話しかけるのも話しかけられるのも不快すぎる自分の感情の方が問題だわ
それなら、無理に会話しなくていいんじゃないか。
不快に感じる理由の一つは、
やっているコミュニケーションの距離感が、自分にとって近すぎることだと思う。
「仲良くしなきゃ」と無理して踏み込みすぎていたり、
逆に人当たりが良すぎて、相手に踏み込まれすぎていたり。
どちらにしても、自分が快適に感じる距離感を保てていない。
だから、無理して仲良くしようとせず、
自然体で話せば、不快感はだいぶ減るはずだ。
もちろん、もしそれがトラウマや見下され体験などに起因するなら、
話はまた別だと思う。
相手から踏み込まれ過ぎてるという視座はなかったわ
なるほどなー
3本の矢は、相手との距離を調節することもできると思っている。
親友・親子・恋人のように、強い信頼関係で結ばれている間柄では、
三本の矢を使わなくても会話は成立する。
これを便宜的に「心友会話」と呼ぶことにしよう。
ただし、この心友会話を、信頼関係がまだ浅い相手に使うと、
「距離感がおかしい人」になってしまう。
この心友会話、つまり、三本の矢に依存しない会話こそ、
コミュ障が憧れる理想の会話だったりする。
「うまく話せるようになりたい」と思い、会話上手の真似をする。
しかし、前提となる信頼関係を理解できていないまま真似すると、
ただの空回りになってしまう。
心友会話をすれば仲良くなれるわけではない。
仲良くなった結果として、心友会話ができるようになるのだ。
それを理解せず、たいして親しくない相手に心友会話をしてしまう。
そして「距離感がおかしい」「コミュ障」と呼ばれる。
三本の矢を使えば、まだ十分な信頼関係のない相手とも、
適切な距離を保ったまま自然に会話ができる。
これこそ、三本の矢のもう一つの力である。
会話そのものが不快だったり、早く終わらせたくなるのは会話が怖いからだ。
そして会話が怖いのは、うまく返せないことで相手から軽蔑されるのが怖いから。
「こいつ人と話せないの?」「失礼じゃね?」「頭おかしいの?」
そう思われている気がして、相手の困った表情を見るたびに、
「ああ、また軽蔑された」と感じてしまう。
結果として、
「会話する=人格否定される」
という誤った構図が心の中に出来上がってしまう。
実際の相手はそんなこと思っていなくても、
自分が勝手にそう忖度してしまっているのだ。
だが、三本の矢を使えばこの恐怖は消える。
会話が続くかぎり、相手は困惑せず、舌打ちもせず、空気も悪くならない。
つまり、「会話=安全な行為」として再定義される。
そうなれば、話しかけられても怖くない。
不快でもなくなる。
無理に早く終わらせようとも思わなくなる。
三本の矢を身につけることは、会話に対する価値観を根本から変える第一歩である。
(これだけで完全に克服できるとは言わないが、確実にスタート地点には立てる。)
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俺が三本の矢の効果を最初に実感したのは、近所のおばちゃん相手だった。
道でバッタリ会うのは数か月に一度。
いつも向こうが一方的に世間話を仕掛けてきて、俺はただ黙ってうなずくだけ。
正直、苦痛でしかなかった。
だから、話が一瞬途切れたタイミングで「すいません、ちょっと…」と切り上げ、速足で逃げていた。
会話の持続時間は、長くても30秒。
だが、三本の矢を身につけたあと――
同じおばちゃんとの会話が5分以上続いた。
こちらから話したわけではない。
ただ、向こうの話に合わせて三本の矢を放っていただけ。
それでも会話が自然に続いた。
当時はまだ三本の矢も不完全だったが、それでもこの成果が出たことで、大きな自信がついた。
しばらくして、今度は親戚のおばちゃんから電話が来た。
この人もまた、一方的に話してくるタイプ。
俺は無言で聞くだけ。電話なのでうなずいても意味がなく、
たまに「ちょっと、聞こえてる?」と言われて「ぅん…」と答えるしかなかった。
会話はせいぜい3分で終わるのが常だった。
それが――三本の矢を使ったら、40分以上続いた。
電話が切れたあと、通話時間を見て衝撃を受けた。
おそらく、人生最長の会話時間だった。
しかも、俺から積極的に話したわけではなく、内容はすべて相手任せ。
この二つの経験で確信した。
相手に話す意思がある限り、三本の矢は圧倒的に効果がある。
世の中には、コミュニケーション上達のアドバイスが溢れている。
ネットでも本屋でも、無数の「会話術」「人間関係のコツ」が紹介されている。
しかし、それらの多くは――三本の矢を身につけていることが前提だ。
三本の矢を知らない人が読んでも、ほとんど使い物にならない。
時には、周囲の人が見かねて直接アドバイスしてくれることもある。
だが彼らも、三本の矢は「誰でも当然できる」と思っているから、
わざわざ説明する必要がない前提で話してくる。
そして最後は決まってこうなる。
「なんで言った通りにやらないんだ!」
「やる気ないならもう教えない!」
こうして、話は終わる。
ほとんどの会話アドバイスは、三本の矢を身につけている“健常者の世界”の言葉だ。
人間はみんな歩ける前提で、サッカーを教えるときに二足歩行の仕方から教える人はいない。
だから、三本の矢を身につけていない人は、会話の世界ではいわば歩けない人だ。
だが、三本の矢を覚えればようやく同じスタートラインに立てる。
そこからようやく、世間にあふれるアドバイスのいくつかが機能し始める。
すべては、ここから始まる。
うまく話さなければならないってプレッシャーは
会話をぎこちなくさせる
コミュ力って単語がコミュ障を増やしてる気がするわ
なんか今の世の中っておかしいんだよ
重要なのは相手が信用できるかどうかであって
口下手かどうかではないんだけどな
玄関先で巧みなトーク力で物を売りつけようとする奴が来たら普通に怖くね?
詐欺師にしか見えない
でも最近詐欺師みたいな話し方の奴増えてんだよな
いかにもそういう訓練されて話してるって感じ
不気味なんだよ
あの…あの…って奴の方が逆に安心するわ
こいつ嘘つけない奴だなって思えるから
大事なことを忘れていた。
「女性と仲良くなるには使えない」という指摘があったが、それは全くの誤りだ。
三本の矢こそが、女性と仲良くなるコツである。
「不倫は文化」で知られる石田純一は、
「へぇ」「そうなんだ」「すごいね」
の三語だけで女性と2時間話し続けられるという。
元AKBの高橋みなみも、
「ふ〜ん」「なるほど」「大変だね」
の三つで女性からの相談はすべて片付くと言っている。
これこそまさに三本の矢の理論であり、
モテたいなら三本の矢は必須である。
ここに書かれてあることは概ね同意なんだが
これって基本的に1対1の対人関係スキルなんだよね
俺は、3人以上で話す場面、話題が飛び交う場面だと話せなくなるわ
基本的に頷いてるだけで、まるで空気、最後の方には気使われて無理やり話を振られるみたいな
原因としては圧倒的な知識不足で、例えば今流行りのことだとか、どこどこにはこういう面白いものがあるとか、そんな知識がまるで無いから、会話の引き出しが少なくて話についていけないんだよね
とっさのやりとりで面白いことを言える能力もないし
基本的にコミュ障で内気な人間だからそもそもそういう情報にもあまり興味がないしなあ
1対1なら聞き役に回ることも出来るけど、3人以上で話している場面で俺が会話から弾かれる率がどうしようもなく高すぎるわ
どうしたらいいですか、そういうことを勉強するしかないですか
それはまだ話の内容にとらわれている。
三本の矢において、話の内容は本当にどうでもいい。
多人数の場でも、第一の矢・第二の矢は放てる。
どんな話題でも「へー、そうなんだ」くらいは誰でも言える。
それだけで、会話に参加している雰囲気が出る。
実際、世の中の会話なんてその程度だ。
試しに多人数の会話を観察してみるといい。
パッと見は全員が話しているように見えても、
実際は1〜2人がメインで話し、残りは「へー」「そうなんだ」係。
話題が変わるごとに役割が入れ替わって、
結果的に「みんなでワイワイしている」ように見えているだけだ。
そしてもう一つ、非常に重要なことを書き忘れていた。
三本の矢で最も大事なのは、相手の顔を見て放つこと。
できれば目を見て言うのがベストだ。
顔を見て言う「へーっ!そうなんだーっ!」は、
「あなたの話に興味があります」「もっと聞きたいです」という意味になる。
相手の顔を見るだけでも、“興味がある”というメッセージになる。
逆に、顔を見ずに「へー、そうなんだ」と言えば、
「あなたの話には興味がない」というサインになる。
つまり、顔を向けるかどうかで三本の矢の意味が変わるのだ。
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相手にも興味がなければ致命的だけど
「相手への興味」と言っているが、実は相手の顔を見ているだけでもいい。
顔を見ずに言う「へー、そうなんだ」は、
あなたの話はどうでもいいです興味ありません、という意味になる。
>>117 のいう「他人事のような返事」になってしまう。
>>117 のいう「他人事のような返事」になってしまう。
例え方がわかりやすくて感心した