@madanaizo
太宰治は何度も自◯未遂を起こしてるけど、
田部シメ子との心中に関しては太宰のコロシだって説があるんだよね。
で、彼の文学にはそのことに対する言い訳と罪悪感に溢れてる、と。
で、剣豪小説で知られる五味康祐は太宰文学が大嫌いだったんだけど、
ある時子供を事故死させる交通事故を起こしてしまった
有罪判決を受けて、罪の意識に苦しめられるんだけど、
そんな時にふと嫌いだった太宰治を読み返したら、面白いくらいその面白さがわかった。
いや、本当は太宰が「何を言っているか、何を言いたかったか」まで理解できたんだって。
世の中にはあるんだな、人殺しにしか理解できない、人殺しの書いた小説が。
村上春樹の文学もいろんな人に論じられているが、
まだ本当の意味で理解されていない部分もあるんだと思う。
それこそ、実際に自分が犯罪を犯してみないとわからないような、
こわーい部分だってあるかもしれない(別に村上が犯罪を犯してる、という意味じゃないよ)。
それが明らかになる日が楽しみだよ。
「太宰治――贖罪の完成」という五味のエッセイに書いてるよ。
参照元:https://x.com/madanaizo/status/2048185525501300790
皆のコメント
@p19480820
殺人という同じ言葉であっても、自ら手をかけて殺したのと、事故で死なせてしまったのとでは、性質が異なる。
五味は自分よりも醜悪な人の言い訳を聞くことに救いを見出してたのではないだろうか。
@5trbHGmxic28559
映画『太陽を盗んだ男』見たとき
同じようなこと感じた。何故なら、二回見たんだが、一日目の時は胃が最高潮に悪いときで(今も悪いが)血を吐いて血便も出てたときで、死期が近いと感じていて、沢田研二と同化しながら見たので死ぬほど面白かったが、5年後ぐらい二日目見たときはつまらなく感じた。
@MaQBbVMdxJkh3rb
調べたら脇見運転とスピード違反のコンボで女性とその孫を轢き殺していて同情できない。1年前は真冬に雪駄履きで猛スピード、トラックと正面衝突しているし(三重県鈴鹿市の1964年1月なら今より寒く積雪か道路凍っていただろ)
これより前にも飲酒運転で捕まっているのもヤバいし轢き殺しの時には著名人らが連署で執行猶予を乞う上申書を裁判所に提出されているのも胸糞悪い。これ知って好きな作家が嫌いになる人も居るんちゃうんか。
@tomorrowmame
太宰への嫌悪って、単に作風が合わないというより、「罪悪感を文学に変換すること」への拒否感でもあったのかもしれないんですよね。ところが五味康祐自身も、取り返しのつかない事故を経験してしまう。そこで初めて、加害の記憶から逃げられない人間が、言葉にすがる感覚を理解した可能性はあると思います。
@Mmgp0r
どうしてそんな変化が起きたかわからなくて、AIに聞いてみたら、事故後に「地獄の底で隣に座ってくれる男」に変わったって言っててなんか納得してしまった。
@8O7TEPVybIxEZ9U
まあすげえ陽キャが人間失格を読んでも1ミリも理解できないとは思いますけどね…w☺
@ChiakiEagle
面白い!初めて知った!
人殺しの気持ちは分からないけど、子どものときに読んだらイマイチだった小説が、おとなになってから読み返すと理解できるって現象と同じってことだよね
私ももっと自生経験を積みたいと思った(今のところ人殺しをする予定はないけど)
@momu339
素晴らしい文章ですね。文豪って往々にしてそうなのかもしれません。言われてみれば、深淵の部分について芥川龍之介には統合失調症患者しかわからないかもしれないし、中島敦は喘息患者じゃないとわからないのかも。そして、村上春樹は何を抱えてるのでしょうね。私には何故か響かないけど。
@ElveWave
少数にでもしっかり刺さるものが描けたら作家としては本望かもしれないなぁ。それがもう大衆からは理解されないモノたちだとしても
@RonielYamato
実際に同じ体験をしたのかどうかは別として、その時のそのタイミングでしか味わえないものってある。特に文学は。出会えるのは幸せなことだ。