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pixiv 双子 0/4 https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=8530387
師匠から聞いた話だ。
0 時間の話
「にい、さん、しい、ごお、ろく、しち、はち、きゅう、よんじゅう、いち、にい……」
机の上に置いた目覚まし時計の秒針の動きを、オカルト道の師匠、加奈子さんが数えている。僕はその様子をじっと見守っている。
時計の針が深夜0時を指したところで、師匠が秒針を数えるのを止め、顔を上げて僕に、「どうだ?」と訊いてきた。
「いや、どこも飛んでないです」
そう答えると、師匠は、
「うにゃあああ」
と喚いて畳の上にひっくり返った。
「わっかんねぇ!」
そう言って足をバタバタとさせる。僕はそのホットパンツからのぞく太ももにドキドキし、目のやり場に困っている。
夜に師匠の部屋に呼び出されて、「実験」とやらにつき合わされているのだが、なにがやりたいのか、こっちこそわからない状態だ。
「なんなんですこれ」
「だ、か、ら、噂だよ噂。都市伝説、フォークロア!」
「だから、なんの?」
師匠が足を上げて、それを下ろす反動で上体を起した。
「この街の24時間は、外の24時間よりも1秒短いっていう、噂だよ」
「はあ?」
なんだそれ。意味がわからない。
「うちの大学の実験なんかしている理系の学生の間では、結構有名な噂らしいぞ。知らないのか」
「知りませんよ。なんですかそれ。1秒短かったら、ずれていくってことですか。ええと、1日あたり1秒短いってことは、60日で1分でしょ。1年で6分か。てことは、大晦日から、次の年の大晦日までに6分短くなるから、12月31日には23時54分で年が明けるってことですか」
「そうならないから不思議なんだよ」
「意味がわからないんですが」
「いいか、この街では1日が1秒短いのに、街の外と時計がずれない。これがなにを意味するのか?」
「1秒短いのが気のせいだってことですよ!」
呆れてそう言ったが、師匠は首を振る。
「ところが、1秒短いとしか説明できない現象が色々起きてるらしいんだな。大学のOBやら教授やらにも聞いてみたけど、ずっと何十年も昔から、そんな噂がささやかれてんだ。市内にある製薬会社なんて、実験で1秒短い前提の調整をわざわざしているって噂もある」
僕はおおげさに眉に唾をつける真似をした。
「うるう年がなぜ起きるか知ってるか」
「そりゃあ、地球が太陽のまわりを一周するのに、実際は365日よりちょっと長いからでしょ。ずれてきちゃうから4年に1回、1日追加して366日にしてるんですよね」
「回帰年は約365.24219日だ。これが365.25日なら4年に1回うるう年にして1日追加すればちょうど合うけど、実際はそれよりもちょっと短い。西暦だと4年で割り切れる年数のときはうるう年、そのなかでも100で割り切れるときは平年、さらに400で割り切れるときはうるう年、って感じで調整してる」
「へえ、じゃあ西暦2000年は100で割れてさらに400で割れるから、例外の例外で結局うるう年なですね」
「まあ、日本の場合は皇紀を元にそれとは違う計算して決めるらしいけどな。……話がそれた。とにかく、うるう年が日数のズレを調整するものなら、秒数のズレを調整する、うるう秒ってのがあるんだ」
「うるう秒なんてはじめて聞きましたよ」
「これは本当にあるんだよ。1日は秒数で言うと、60秒×60分×24時間で、86400秒だ。ところが、実際には地球が1回転するのに、それよりほんのちょっとだけ長くかかるんだな。実は地球の自転の速度は一定じゃなくて、大体1年間で1秒から2秒、長いときで3秒くらい、24時間ジャストよりも多くかかるから、そのズレを調整するために、6月30日か12月31日に、うるう秒ってのを追加するんだ。実は去年は、そのうるう秒がなかったんだけど、今年は6月30日の23時59分59秒の次に、59分60秒っていう1秒が追加されることになってるらしい」
「へえ。今月の末じゃないですか。知らなかった」
「問題はだ、このうるう秒で、1日に1秒が追加されたとしても、普通に生活している私たちには体感できないってことだ」
「ん……。まあそうですね。学問上というか、机の上の話でしょ」
「同じように、この街にだけ、マイナスのうるう秒が1日1回、導入されているとしたら、どうだ」
「はあ? だれが。どうやって?」
「普段、時計はどうやって合わせる?」
「テレビの表示とか、まあキチンとするなら電話で時報聞くとか」
「じゃあ、テレビとNTTの時報を好きにいじることができれば、マイナスのうるう秒導入は可能だな」
「どんな陰謀論ですかそれ」
「でもその場合、この街の時計の時間が1日1秒短くなれば、街の外の時計とは、1日1秒ズレが生じる。さっきおまえが計算したとおり、1年間で6分も。でも、実際はそうなってない。これはどういうことなのか」
「だから、1秒短いなんてのは気のせいだって言ってるでしょう」
また話が元に戻った。
「その気のせいじゃないとしたら、だ。2通り考えられる。1つ目は、外の時計の秒針が1日で86400回動く間に、この街の時計の秒針は86399回しか動かない場合」
「なんですかそれ、時空でも歪んでるんですか。でもそれだと結局1秒時計がズレるでしょ」
「そうだよ。どこかで時空が歪んでるんだ。そして、86399回のうち、1回が2秒分進むとしたらどうだ」
「それがさっきやった実験とやらですか」
僕はさっき師匠が時計の秒針を数えるのを監視する役をやらされていた。
どこかで、1秒飛ばないか、よく見ててくれと言われて。
「ああ、深夜0時になるタイミングがあやしいと思ってたんだけど、やっぱり起きなかったな」
「あたりまえですよ。そんな怪奇現象」
そう言った瞬間、目があった師匠のその瞳の奥に、射すくめられるような暗い光を見た気がして、ゾクリとした。
そうだった。僕は、この師匠と一緒にいた1年間、起こるはずのない怪奇現象を何度も体験してきたのだった。
「そうなると、2つ目の可能性」
師匠は僕の目を見つめながら、人差し指を立てて見せた。
「この街の時計の秒針は外の時計と同じく、86400回動くけど、1回あたり86400分の1秒早く動く。そうすれば、時計のズレは起こらない」
「それって、時間が少しだけ早く進んでいるってことですか」
「そうだよ。本当に1日が1秒短いんだ」
ばかばかしい。いくらなんでも。そう言って笑おうとした顔が、強張る。
「短い1秒は、どこに消えてるって言うんです?」
ようやく冗談めかしてそう言ったけれど、なんだか自分でも怖くなってきてしまった。
「さあな。どこかに……」
師匠は楽しそうに上目遣いをしながら言った。
「貯金でもされてるんじゃないか」
そのころ、おかしなことでも、師匠の口から出る言葉は僕には魔法だった。それがどんな荒唐無稽なことだとしても。いや、荒唐無稽なものであればあるほど、魔法のように、僕を魅了した。
それは、結局、僕が、そんなものを愛する、変なやつだってことなのだろう。この奇妙なやりとりは、そのあとに起きたこととは、関係がなかった。しかしそういう好奇心は、いつも猫やそんな僕を殺そうとしている。師匠と、時間の不思議について語りあったその月の月末。うるう秒が導入されるという6月30日の、2日前。つまり6月28日に、僕は、死を覚悟した。