後味の悪い話

【後味の悪い話】アメリカの歌手「ジャニス・ジョプリン」

スポンサーリンク

※ジャニス・ジョプリンとは1960年代後半のカウンターカルチャー、ヒッピー&フラワームーヴメントを象徴したアメリカの歌手。内向的な少女がロックを歌うことで開放された、という印象が先行します。しかし薬のオーバードーズで27歳で亡くなってしまいます。

@1004Jet
どれほどの名声を得ても埋められない孤独、ジャニス・ジョプリンを想うと切なくなる。大観衆の拍手の後、ひとりホテルに帰る虚しさ、それを知っているからジャニスの歌は深く響くのです。容姿をからかわれ続けた故郷には居場所がない、ジャニス誕生日おめでとう、暖かく眠れる場所は見付かったかい?

※この動画は、高校時代にいじめられていた彼女に故郷のことを執拗にインタビューする場面。

ジャニスの映像の決定版、これを見なけりゃ始まらない1974年の映画作品。ライブもたっぷりでもちろん最高、インタビューも貴重なものばかり。モンタレーで一夜にしてスターダムに駆け上りたった3年で燃え尽きたのは切ない、タバコの釣り銭と開封してないマルボロ、ホテルでひとりで逝ったのです…

ジャニス(字幕版)
https://amzn.to/4byb4gH

参照元:https://twitter.com/1004Jet/status/1748321539328737529

皆のコメント

@browngrey
先日Amazonプライムでジャニスのドキュメンタリーを観ました。抱えた孤独の深さにせつなさを感じます。今でもファンから手紙が届くと母親が言っていた。“ステージやレコーディングが終わると皆んな家族の元に帰って行くけど私は一人”と語る寂しそうな笑顔は忘れない。

@kuwao_beauty888
素晴らしい歌声の背景には孤独や切なさがある。だからこそ響く歌が歌えて人を魅了する。シンガーって凄いな‥

@jack_chou_sun
このインタビュー今ならパワハラモラハラって言われるね、本当にそうだし。聞かれたくも言いたくもない事を何故何度も何度も同じ事聞く?最後に自虐で「虐められてたのよ」と悲しい笑顔で誤魔化して彼女の心の中がどんなだったかがわかんないのかな?聞く側はダンパに誘ってくれない同窓生と同じじゃん

@gyokuronworld
つい最近アマプラで見ました
常に濁流の中で泳ぎ続けるような人生、だけど自分のオールは死んでも手放さない。そんな人生だったなあと。
多分そういう経験をしないとあそこまで人を惹き付ける声は出せないんでしょうね。疲れただろうジャニス。ゆっくり休んでくれ

@Zarathustra69
今にも泣き出しそうな表情がサングラス越しに伺える。この後ホテルで一人になりこの受け答えを反芻し孤独に押し潰されそうになっているのではないかと心配になってしまうくらい、痛々しい映像ですね。
初めてです。こんな彼女の表情を見たのは。

@niconicotrader
それでも友達は大切なものって言ってたなぁ・・この映像じゃないやつだけど
友達でも ろくでもないヤツいっぱいいるけどね🌝

@ATJaTveKRAE7B9U
そんなこと聞いてどうするの。
何を言えば満足なの。
って言いたくなる。
私なら。

@suzu06241
もう10年以上前、渋谷でフェスティバルエクスプレスという映画を観た。ジャニスよりデッドとザバンドが目当てだった。そしてジャニスのCryBaby、音源自体は聴いたことのあるものだったのにジャニスが歌い出して2秒で号泣した😭もの凄い破壊力だった。あの時以来CryBabyを落ち着いて聴けない。。

@hatsusekouen
ジャニスはありったけの心の力で歌い同じ様な環境の人を元気づけ、風のように去っていきました。決して高校時代の連中や同類には彼女の歌はわからないでしょう。

@manorixxx
国分寺のBARでmercedes benzを聞いてフリーズ、この人は詩人!と思い「単純な労働歌からブルーズへ」の詩の授業を思い出した。単純な魂のほとばしりだからか。
サマータイムとかは「歌手だな」と感じます。
インタビューとか、魂むきだしすぎだよ、と忠告したくなります。彼女のことまだよく知らない、

@TakeMessi9
絵画や文学などの芸術と、歌ってなんか違うなぁと思ってたけど、これかー
絵画は内面に向くけど、歌は開放的になり意識が外へ向かう。
ジャニスの言う通りだと思う。歌は他人と感覚を交流するためのツールだ!間違いない!

@kuroba192263104
大学生の頃から、ずっと好きです。
私のつらい気持ちを慰めてくれるひとりです。あなたの歌声は、本当に素晴らしい。

@blackcogiy
ジャニス安らかにな…ほんまお疲れ様…疲れたやろ…

wikiより

ジャニス・ジョプリン
アメリカ合衆国のミュージシャン。1960年代後半のアメリカにおけるカウンター・カルチャー時代を象徴する破滅型の女性ロック・シンガーであった。27クラブの会員であり、代表曲は『Move Over(ジャニスの祈り)』。

「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第28位。「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第46位。「Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第17位。

生涯
ジョプリンは、小さな頃からベッシー・スミスやオデッタ、ビッグ・ママ・ソーントンなどのブルースを聴いて育つ一方、地元の聖歌隊に参加していた。1960年に、ポート・アーサーのトーマス・ジェファーソン・ハイスクールを卒業し、テキサス大学オースティン校に入学。高校では、他の生徒から孤立しがちであったが、仲の良かったグラント・リオンズという生徒にレッドベリーのレコードを聴かされたのを契機に、ブルースやフォーク・ミュージックに関心を持つようになった。しかし、大学在学中男子学生によって非公式に行われたミスコンに対するいわゆるブスコンでトップに選ばれ、これにショックを受けそのまま大学を中退した。

大学をドロップアウトしたジョプリンは、1963年にサンフランシスコへと向かった。フォーク・シンガーとして生計を立てていたが、この頃から麻薬の常習が始まったとされる。ヘロインやアンフェタミンなどの薬物の他に、アルコールも大量に摂取していた。

当時の女性シンガーについて当てはまることであるが、ジョプリンのイメージと内面には大きな隔たりがある。後に彼女の妹、ローラが著わした手記『Love, Janis』には、彼女が知的でシャイ、繊細な家族思いの人物であったことが記されている。

死去
ジョプリンが生前最後に公の場に姿を現したのは、1970年6月と8月に放映されたテレビ番組であった。6月の番組で、彼女は高校の同窓会に出席する予定だと述べた。同じ番組で、自分は今までクラス、学校、町、そして国中の笑い者だったとも語っている。一躍スターとなり彼女は同窓会に出席したが、その際も疎外感の中、孤独な表情がカメラにおさめられている。この一件は、ジャニスの孤独感を表す象徴的なエピソードとして語られている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/ジャニス・ジョプリン

曲「Kozmic Blues」

スポンサーリンク

-後味の悪い話