後味の悪い話

【後味の悪い話】特高用ジェット戦闘機「桜花」

84:本当にあった怖い名無し:2013/11/19(火) 07:59:57.56 ID:xm/YtSbZ0
特高用ジェット戦闘機「桜花」

「桜花」は機首部に大型の徹甲爆弾を搭載した小型の航空特攻兵器で
連合国側からは日本語の「馬鹿」にちなんだBAKA BOMBと呼ばれた。

桜花の発案は、海軍特務少尉の太田正一である。
はじめは無人誘導兵器として開発する話もあったが、太田が
「自分が初めに乗っていく」と各方面に説いて回り、有人特高兵器となった。

桜花は開発に着手されたたが、自ら乗っていくと言った大田は、
決定後「また、新しい発明を考えて持ってきます」と言をひるがえしたという。

大田は桜花の戦果を報じた新聞において、
「特攻兵器の原理概念とっくの昔にわかっている。
科学者は実施者でないことに躊躇し将兵死なせることに気遅れしている。
戦局は躊躇などしている時ではなく将兵の命など考えるべきではない」と語った。

合計10度に渡る桜花特別攻撃隊神雷部隊の出撃の結果、桜花パイロット55名、
その母機の搭乗員368名の戦死者に対し、桜花が与えた確実な戦果は、
沖縄戦においてアメリカ海軍の駆逐艦マナート・L・エベール撃沈1隻、
その他連合国の駆逐艦以下の数隻に損傷を与えるにとどまった。

85:本当にあった怖い名無し:2013/11/19(火) 08:01:12.56 ID:xm/YtSbZ0
終戦を受けると1945年8月18日、太田は茨城県の神ノ池基地において
零式練習戦闘機に突然乗り込んで離陸、そのまま行方不明となった。
基地の机に「東方洋上に去る」と遺書を残した。9月5日に死亡認定、
殉職として大尉に昇進、戸籍も抹消された。

大田は新聞に桜花の発案者として戦時に新聞で華々しく取り上げられ、
不遜な態度をとるようになっていた上、桜花搭乗員の人命を
軽視する発言も行っており報復を恐れていたとされる。

その後、米国のテレビ番組において大田の戦後追跡が行われた。
取材によると、大田は基地から離れた金華山沖の洋上に着水し、
漁船に救助され生還。行方不明者として名乗り出ることもなく、
戦後の混乱に乗じて別人を装い、新しい戸籍を作成。

「青木薫」を名乗り各地を転々としつつ、家庭を持ち二人の子どもをもうけた。
最後は京都バプティスト病院において1994年12月7日に癌で死亡した事が確認された。

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