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964: 1/2@\(^o^)/ 2015/11/19(木) 10:27:00.18 ID:AEO/njscO.net
阿刀田高「死亡診断書」
姑が中風で倒れて3年。嫁の兄が内科医で、週一の往診あり。
その義兄によると、症状はよくも悪くもならない。
姑は食欲ばかり旺盛で、つまり排泄物が多い。だから家中にすえた悪臭がたちこめている。
姑は不自由な口で言葉にならない声をあげ、腹が減ったのオムツが汚れたのと一日中嫁を呼びつける。
嫁は綿のように疲れきっている。
介護義務は実子に、しかし夫は激務。
介護を引き受けざるを得ない嫁に夫は感謝しているとわかっているが、夫婦喧嘩が増えた。
六歳の娘は恨みがましい目で姑を睨む事がある、と嫁は思う。
姑が倒れてから親子水入らずの団欒も楽しいお出掛けもない。
数日前、嫁が妊娠を告げると、夫は堕胎を命じた。
今のままでは絶対無理、という言い分なので、今までで一番ひどい口論になった。
このままではいけないと嫁は思い、お疲れなのはわかっているがせめて日曜日に娘を動物園にでも連れていってくれないかと頼むと、夫は快諾した。
娘はパパと二人のお出掛けを楽しんだようだ。
土産話をはしゃいで話すうちにうとうとしたので、嫁は夫に寝かしつけを頼んで炬燵に潜り込んだ。
山積みのオムツを洗わなければ。それ以前に夕食の片付けを。それより少しでも眠りたい。
うとうとしかけたところを夫に揺り起こされた。思い詰めたような顔をしている。
「聞いてくれ。俺は昔、人を殺したことがある。父方の祖母だ。いつ言おうかと悩んでいたんだ」
30年前、夫(以下、息子)と両親と父方祖母は疎開先にそのまま居着いていた。
父は出張の多い仕事で、あまり家にいなかった。
祖母は嫁いびりがひどかった。
ある日、祖母が母に物を投げつけ、母の顔に怪我をさせた。
息子は母の外出を待ち、祖母を殺した。
母の外出は、出張帰りの父を駅まで迎えに行くためだった。
帰宅した父母は祖母の死体と凶器を見つけた。
母と懇意の医者(母の父に恩があったらしい)により、祖母は心不全と診断された。
その後、一家は都会に越した。
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965: 2/2@\(^o^)/ 2015/11/19(木) 10:28:52.51 ID:AEO/njscO.net
「でも俺は全く覚えてないんだ。おかしいだろ、六歳なのに」
「記憶を封印したのではなくて?」
「大人同士で何があったのか知らないが、俺にとっては優しい母を虐めるひどい祖母だった。敵討ち、快挙だよ。封印するはずがない」
夫は本当に覚えていなかったが、その医者の息子(子供の頃は交流がなかったが、偶然同じ大学に進んだので親しくなった)が最近教えてくれたのだった。
「今さらアレだけど」と前置きしての事だったが、夫が覚えていないと言っても信用しなかった。
夫もあえて強弁しなかった。
医者は数年前、亡くなる前に息子に打ち明けていたそうだ。
「でも、おかしいわね。そんなに完全に忘れるものかしら……あっ!」
「そう、答えはひとつ。俺がやったんじゃない」
おそらく母は、カッとなって祖母を殺したのだろう。
父と話し合い、息子を犯人に仕立てあげて一家を守ったのだ。
恩人の娘である母に、息子には将来があるしまだ小さくて自分が何をしたかわからないのだからと土下座されて、医者は心不全の死亡診断書を書いたのだろう。
「お義母さんは立派だったわ。あなたを守ったのよ。あなたを告発しても、お義母さんが身代わりに自首しても、あなたの人生に傷がつくわ。
そのお医者様さえ口をつぐんでいてくれたら、あなたは知らずに済んだのに」
「信じてくれたかい?実は全部嘘なんだ」
「は!?」
「信じてくれたんだね。ずっと考えていた甲斐があった」
「馬鹿馬鹿しい、何なのよ…お義母さんのオムツを替えてあげないと」
「その必要はないよ、おふくろは死んでる」
「あなた…?」
「喉に小さな手の跡がついてる」
「まさか、あの子が?」
「君は疲れきっている。俺も疲れた。あの子はぐっすり寝ていて何も知らない。俺が手を添えて…」
「あなた…」
「筋書きも心構えも将来のリスクも、全部教えたはずだ。沈黙がすべてを守るって事もね。お義兄さんから死亡診断書をもらってきてくれ」