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【洒落怖】石じじいシリーズまとめ その2

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じじいノート その3

716 :本当にあった怖い名無し:2018/06/17(日) 12:08:18.51 ID:F8G/baKQ0.net[1/4]
夜の山は案外賑やかですね。無音になることはない。
まあ、音が止み静寂がやってくるのは、聴いている自分(耳と脳を持つ人間)側の作用かもしれません。
じじいは、一度、そのような完全静寂を朝鮮で経験したと話していたことがあります。
そこでじじいは災難に遭うのですが、それはまた別の機会に。

石じじいの話です。

彼の話のメモの断片から。

(1)山中で、カツラを見つけたそうです。枝に引っかかっていたとか。しかもかなり高い場所に。『本当にカツラだったの?そんな昔にカツラあったの?』わたし
じじい:『あったよ。あれはカツラよ。こおうて枝からようとれんかったけどな。』

(2)山童のようなものに出会ったそうです。集落近くの麓で昼飯を食っていると、子供がやってきたそうです。
飯をやろうとしたら、自分も持ってる、と言って背中にはすにかけた風呂敷包から握り飯をだして食べ始めたとか。なかなか上等な飯だったそうです。
食べ終わるとその子は、失礼します、と言って、走って行って急に消えたそうです。そう見えたと。
じじいは焦って、あとを追いましたが見つからない。近くに落ちるような穴も崖もない。
さとにおりて子供について尋ねたそうですが、そのような子供はいないということでした。  なんかありがちですね。

(3)山の中で大きなイシガメを見たそうです。のっそのっそと歩いていたそうです。普通は川に住んでいて遠く離れた山の中には来ません。
甲羅に消えかかった文字が書かれていたそうですが、読み取れなかったということです。歩き去ったそうです。

(4)山中で野営していると、夜中に『ぼと、ぼと、ぼと、』となにか液体が落ちる音がすることがしばしばあったそうです。雨かと思うとそうではない。
周りを見渡してもなにもいない。
朝になってもなにか落ちた形跡はなかったと。
例の雨だったのかもしれません。

:ということです。

イノシシの死体

737 :本当にあった怖い名無し:2018/06/18(月) 19:22:54.76 ID:g7eJQbpC0.net
野生動物に山で遭遇することは危険なことですが、じじいは、日本・朝鮮の山野でいろいろなものに遭ったそうです。
国内で多かったのはイノシシ。
これは、遭遇してもだいたい逃げていくのですが、突進してこようとするものもいたとか。
挑発しないように遠ざかる、というのは野生動物に対しては定石のようです。
イノシシは走行速度が速いこと、突進力が強いことからダメージがきつく、
個体数も多いので遭遇する確率も高いので危ない野生動物です。
じじいの田舎でも、イノシシに襲われて、服がぼろぼろになって、脚に大怪我をする、という事件が頻繁に起こっていました。
牙がするどいので、脚に切り傷を受けることが多く、山中だと出血多量で命にかかわることもあるとか。

石じじいの話です。

よくイノシシを見かける山を歩いていた時、おかしなイノシシの死体を見たそうです。
1メートルくらいのかなり大きなイノシシの「半身(はんみ)」が落ちていたそうです。
頭から尻にかけて縦に真っ二つになった死体が。
もう片方はなかったと。
その切り口は鋭く、切り口からは血が出ていました。その血は赤く固まっておらず、切られて(?)から時間が経っているようには思えなかったそうです。
狩猟をしていた人がやったのか?とも思いましたが、銃の音は聞かれなかったし、そんな獲物の処理方法はない。
頭骨まで縦に断ち切るのはいかがなものか。
わざわざ、そのような死体をそこに持ってきたとも考え難い。
『あのあたりには屠殺場(むかしはそう呼ばれていました)もなかったしな。イノシシは屠殺場では処理せんし。
 人がやったんやったら、がいな腕前で』

じじいは、山をおりてから、「あのイノシシみたいに、じぶんも切られたらどがいしょ」と思ってちょっと怖かったとか。
プレデターのしわざとにていますね。

山奥の民家

743 :本当にあった怖い名無し:2018/06/20(水) 20:48:27.94 ID:+lHQN4ux0.net
石じじいの話です。

じじいは山を歩いている時、かなりの山奥で民家に行き当たりました。電気はきていたそうです。
黒犬が親しげに寄ってきたので、それをかまっていると家人が出てきて、これからどうするのか?と尋ねてきました。
じじいは、これから山を越えて野宿するつもりだ、と伝えると、今晩あたりは冷えるからよければうちに泊まるとよい、とのことでした。
その家は古いものでしたが大きく、庭は手入れされていました。
主人夫婦は、若くはありませんでしたが主人は偉丈夫、おくさんは美人だったそうです。
導かれて入った家の中は、なかなか立派なものでした。
旅装を解くようにと言われたので、自分は、どこか納屋にでも寝るから、と伝えましたが、彼らはそのような遠慮は無用だと言います。
お茶をもらっているとピアノの曲が流れてきました。
奥さんが名前を呼ぶとピアノの音が途切れて、小学生の女の子が襖を開けて顔を出したそうです。
その子も美人でした。
『そうよのう、子供のころの和泉雅子みたいやったいねぇ』

744 :本当にあった怖い名無し:2018/06/20(水) 20:48:48.14 ID:+lHQN4ux0.net
その女の子は、来客(じじい)をちょっと警戒しながらもの、めずらしそうに見ていましたが、夕餉の支度を手伝い始めました。
なかなか美味しい夕食をもらい、お酒をすすめられて主人と飲んでいました。
主人は、戦争中、朝鮮にいったことがあるそうで、朝鮮に住んでいたじじいと話が盛り上がったのです。
じじいは、小学校のころ特に習ってピアノが少しひけたので、女の子にピアノについて尋ねました。
彼女は、父親にうながされてじじいを自分の部屋に連れていきました。
大きな屋敷だったので、まあ不思議はなかったのですが、自分の部屋を子供がもっているのも当時は珍しかったそうです。
その女の子の部屋を見てじじいは驚きました。
ピアノがあって、椅子机がある。座机ではなく。
本棚には本がぎっしりと。洋書の画帳のようなものもある。
籐のベッドのそばの脇机にはマイラジオもありました。
女の子がいうには週に1度、町からピアノの先生が通ってくるのだそうです。

745 :本当にあった怖い名無し:2018/06/20(水) 20:49:44.05 ID:+lHQN4ux0.net
その生活水準・文化水準の高さに驚嘆しましたが、じじいは、同時に疑念を持ちました。
『どがいして、こがいな生活がここでできるんぞ?なにしよる人らぞ?』
あまりにも不自然でした。
そんなじじいの心を読み取ったのか、主人はじじいを居間によび酒と肴をくれながら話はじめました。
じじいによると。
心配はいらない。わたしたちは、旅人からものを盗むようなものではない。
しかし、まあ、じまんできるようなものでもないが。
あなたは、犬神筋といものを知っているか?
私たちは、その筋なのだ。
じじいは、その地方が犬神つきの風習があることを知っていました。
その主人曰く。
犬神つきは、犬を使役して富を蓄える術である。これを使う家は血筋であり、今(当時)ではそう多くはない。
これをかけられたら逃げるすべはない。土佐の西のほうの村でそれを落とす術をもった者がいるにはいるが。
主人は言いました。
「この血筋ももうおわりにせんといけませないなし」
「わたしらのうちに今晩泊まったゆうことは、ここら辺の人には言わんほうがええけん、きいつけんさい」

のちにじじいは、その「犬神落とし」に遭遇することになります。

犬神憑きは、じじいの故郷周辺ではよく知られていて、あるいみ本場でした。
犬神筋の人たちは、差別されていたそうです。結婚も他とはできなかったとか。
犬神に憑かれた人は、憑かれたことを他人に言ってはいけないのだそうです。
まあ、差別を考えれば、そうなるのでしょう。
犬神の血筋の人々は、ある特定の部落(集落の意味)を作っていることもあり、落人部落のように考えられていたところもあったと。
「血が濁っている」と、心ないことを言う人もいたようです。
いまでは、犬神憑きという話は、まったくありません。絶えました。

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山の中の崖に掘られた防空壕

768 :本当にあった怖い名無し:2018/06/25(月) 19:54:09.15 ID:zNd7VPmL0.net
ぽっかりと開いた穴は怖いですね。
入ってみたくなるのですが、恐怖心が・・・

石じじいの話ではありません。

子供のころ、わたしの田舎には(=じじいの田舎)たくさんの防空壕がのこっていました。
それらは、危ないというので、すべて埋められました。
ただ、1つだけ、山の中の崖に掘られた防空壕だけは、まったく手付かずで埋められませんでした。
大人たちに絶対に行くな!!!と言われていたのに、埋めてしまう気配はまったくない。
山の中だったので無視されていたのか?埋めようと思えば埋められるのに。
子供だった私たちは、よく近くまで行きましたが中には入りませんでした。

ある日、友人が一人懐中電灯を持ってきて入ってみる、と言い始めました。
大人が厳しく禁じていたので皆ためらって、結局入ったのはその友人だけでした。
なかなか出てこないので、入り口から呼んだのですが応答がない。
時計を持っていなかったので時間は不明ですが、大人を読んでこようか?という決意をするくらいの時間がたって、彼は出てきました。
すぐに、中はどうなっていたのか?と尋ねたら、彼は、すこし青い顔をして、
『ひとがおった』
そう言うや否や、だあ~っと走って逃げる彼を追いかけて皆で逃げました。
その後、彼は学校で英雄となりましたが、次の週、自分の母親に殺されました。
無理心中でした。

朝鮮の山野

783 :本当にあった怖い名無し:2018/06/29(金) 20:07:30.18 ID:Ht5lTH4S0.net
石じじいの話です。

朝鮮の山野を歩いていたときに、不思議な声を聞いたそうです。
夜、野営をしていたときに、遠くから女性の呼び声が聞こえてきたそうです。
「おんまー」
「さりょー」
じじいは、誰か助けを呼んでいるのではないか?!と思いその声の方向に向かおうとしましたが、それを朝鮮人の同僚が止めました。
「行くな、行くな」
じじいは、あれは助けを呼んでいる声だろう!どうして止めるんだ!と言うと、
朝鮮人は、「やめたほうがいい、あれは違う」と。
二人は黙ってその声を聞いていました。
「おもにー」
「あっぱー」
「サリョ・・」
じじいは、声を聞きながら、同僚の顔を見ました。朝鮮人の同僚の顔はこわばっていました。
呼び声は、いつの間にか子供の声に変わっていました。
「おっぱー、オッパー」
「あっぱー」
「アボジー」
「ぱりー」
「おせよー」
同僚は、じじいの腕を握って「無視しろ、考えるな!」と言いました。
その声は、女性の声や子供の声で、小一時間続いたそうです。
じじいも、ついにおかしいことに気がつきました。
こんなに長時間、あんな声は出し続けられないだろう。

784 :本当にあった怖い名無し:2018/06/29(金) 20:08:17.35 ID:Ht5lTH4S0.net
そのうち、声はぴたっとやんだそうです。突然、ぴたっと。
二人は緊張して、大汗をかいていました。
じじいは、朝鮮人の同僚にあれは何か?とたずねました。
同僚曰く:
「あれは、声だ。声だけだ。あれに呼ばれて近くに行くと危ない。
 声の主を探しに行って戻ってこなかったものもいた。あれにはかかわってはいけない」
「多人数で声の主を突き止めたものはいないのか?」とじじい。
「わからん、あの呼び声にむかっていったものは帰ってこない。
 XX(じじいの名)さん、気がついたか?呼び声の主が変わったし、言葉もかわったろう?
 最初はおかさんとか呼んでいたけど、だんだん男を呼ぶようになったろう」
「それで?」じじい。
「だんだん、こちらのことを理解してくるんだよ、声の主は。
 それに関心を持つと、だんだんと、声の主はこちらを見透かしたように言葉を選んでくる」

その後も、なんどか、時刻に関係なく、そのような呼び声を野山で聞いたそうです。
例外なく、それは女性か子供の声だったそうです。
『ありゃ、トラが人間を喰らうために人間の声で呼びよるんじゃ、ゆう朝鮮人もおったね』

794 :本当にあった怖い名無し:2018/06/30(土) 12:09:55.15 ID:mzt4HWUV0.net
>>784
石じじいの話です。

この話に補足を。朝鮮語について(メモから、じじいの受け売りですが)
「おんまー」(おかあちゃん)
「おもにー」(おかあさん)
「さりょー」(サリョジュセヨ:助けて)
「おっぱー」(おにいさん)
「あっぱー」(おとうちゃん)
「アボジー」(おとうさん)
「ぱりー」(パルリ:早く)
「おせよー」(来て)
じじいは朝鮮半島からの放送を聴いていたので、わかるの?と尋ねたら、
「わからいでか。東北のほうのことばよりわからいw」と笑っていました。

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人形液

17 :本当にあった怖い名無し:2018/09/05(水) 15:24:59.25 ID:mjMHFqIX0.net
石じじいの話です。

みなさんは、「人形液」というものを知っていますか?
これは昔、日本人形の肌の表面を汚れや傷からまもるために用いられた、一種の樹脂です。
昔の人形の肌は貝がらをすりつぶしたもの(胡粉)を使っていたので、はかなり繊細で美しいものでした。
しかし、柔らかく傷がつきやすく汚れがつくと落ちにくかったのです。
その対策として昭和のはじめごろに考え出されたものだとか。

じじいは、面白い石をとることができる比較的近場の採集地に、トラックの定期便に便乗して通っていました。
ある日、山に登るところの集落で、一人の少女を見かけたそうです。
彼女は、農家の前で歌を歌っていました。
『それはのう、「門付け」ゆうもんでのう。まあ、ゆうたら乞食(ママ)よ』
しかし、家の人はだれも出てきませんでした。留守だったのかもしれません。
じじいは、不憫に思って彼女に声をかけて話を聞きました。
彼女が言うには、母親と二人で住んでいるのだが、
今、母親は病気で伏っていお金がないのでこうやってお金を乞うているのだ、ということでした。
彼女が言う彼女たちの住処は、じじいの行く方向とは逆だったので、少しのお金をやって別れたそうです。
その日、帰るときに村の人に尋ねたところ、
その母子は数年前にどこから流れてきて、村外れのお堂(そのころは廃されていた)に住み着いたのだとか。
(昔は、そのような人を「ほいと」、「ほいど」などと呼んでいました)
母親は、そのときは元気で手先が器用だったので、竹箕の修繕や農作業の手伝いをして金を稼いで生活をしていたと。
彼女たち以外の家族や親戚は空襲で全滅した、ということでした。
よそ者でしたが戦後の混乱期だったので、不憫なことと思って村の近くでの滞在を許したそうです。
母親の人間性も良かったからだとも。
別に彼女たちを嫌って特に冷たく接している様子は、地元の人間には見られなかったといいます。
ただ、少し前から母親は病気がちとなり、あまり外出しているところを見かけることがないとのこと。

18 :本当にあった怖い名無し:2018/09/05(水) 15:26:00.84 ID:mjMHFqIX0.net
次にその女児に会ったとき、彼女は青い顔をしてすこしやつれているように見えました。
田舎では戦後の食料危機はそれほどでもありませんでしたが、
まあ、乞食の身であるので食べられないこともあるだろうと思い、じじいは自分の飯をあげたそうです。
彼女は、それの半分を美味しそうに食べ、残りを習字に使われた半紙(ほご)にくるみました。
これは病気で寝ている母にあげるのだ、と。
そして、彼女はもっている巾着のようなものから茶色のガラス瓶を取り出して、その中の液体を一口飲んだそうです。
じじいはそれは何か?と尋ねると、彼女は、これは「人形液」だと答えたそうです。
「にんぎょうえき?」じじいは意味を尋ねました。
彼女曰く:
これを飲むと、人形になれるのだ。
人形になれば、病気になることも、年をとることも、死ぬこともない。寒くもない。
だから、これを飲んで人形になるのだ。
もし、自分が人形になれたら、この薬を母親にも飲ませて一緒に人形として暮らすのだ。
ということでした。

じじいは、迷信深い人間ではなかったし、ある程度の医療の心得もあったので(衛生兵程度)、
そんな薬はないだろう、ということを彼女に話して、それは害はあっても益は無いので、やめるように説得しました。
母親が病気なら、医者に見せて、それなりのところ(孤児院:当時の名称)に移れるのではないか?とも話しました。
いろいろと説得しましたが、彼女は納得せず、困ったような顔をして泣きそうになったそうです。
『こどもあいてに、おとながむつかしいことゆうてもわからなんだろうのう。わしもばかやったい』
彼女はつらそうな顔をして言ったそうです。
「こんなもので人形になどになれないことは、わかっている」と。
大人のような口調だったといいます。
じじいは、あとから村の人がお堂に行くから言うことを聞くように、と言い残して別れました。
石の採集作業の帰りに村人何人かにあって、
その母子の命が危ないかもしれないので面倒をみること;役場や警察などと相談すること;なにか手助けできることがあれば連絡するように、と自分の住所を教えました。

じじいが自宅に帰ってから1周間ほどたって電報が届いたそうです。
「ホイトハハコシス・・・」

19 :本当にあった怖い名無し:2018/09/05(水) 15:27:31.18 ID:mjMHFqIX0.net
じじいはその部落に急行しました。
村人に尋ねると、じじいが村を離れたあと村人がその母子のところにいって説得し、
役場にも相談して、母親を病院に入れよう、ということになり、母子を迎えに行ったら、母親はお堂のなかで死んでいたそうです。
病死(心臓麻痺)だったとか。
では、その女児は?
女の子の姿はどこにも無かったそうです。
村人は探しましたが、見つけられなかったと証言しました。
警察にもとどけましたが、まあ、そのような時代ですからあまり真剣に捜査などはされなかったそうです。

それからしばらくたって、その村(山)に再度石を取りに行ったときに、
山の中で人形(種類不明、メモに記述なし)を見つけたそうです。
それは、松の木の根本に転がっていたそうです。
女児の「人形液」のことを思いだしたじじいは、感じることがあり、それを寺のお堂(廃堂とは別)に持ち込みました。
その人形は、そのお堂にずっと祀られていたそうです。

「その女の子の薬(人形液)は、どうやって、どこで、だれからもろうたん?」
私は当然の質問をしたと思うのですが、それの答えについてはメモの記録にも私の記憶にもありません。
このような話であったと思います。

ほとんど白黒

36 :本当にあった怖い名無し:2018/09/11(火) 19:51:19.92 ID:qeQRzb0s0.net
石じじいの話です。

テレビや映画などがほとんど白黒、という時代がありました。
じじいは、白黒の世界を経験したことがあったそうです。
山を歩いていると、急に風景が白黒になったそうです。
別に視界がぼやけているわけでもなく狭くなっているわけでもなく、はっきりとしている。
しかし風景は白黒。
木々の葉っぱも灰色。白い雲が浮かぶ青空も灰色。
体調不良(目の病)気だ、と焦ったじじいはしゃがみこみましたが、そのときに変な感じが。
自分(の体、服、持ち物)には、すべて色が残っているのです。
自分はカラー。
周りは白黒。全くの白黒。
これは、目ではなく精神がおかしくなったのかもしれないと、考えました。
どうにもならないので、そこから慎重に山を歩きましたが、ずっと白黒の世界だったそうです。
視界はぼやけてはいなかったので危険は感じなかったと。
ただ、色がわからないと石を見分けることが難しいので困ったものだ、と考えていました。
はよ、病院にいかんといけない。
人里に向かうかどうか?考えながら歩いていると、
ずるっと足が滑って転びそうになり、近くの木の枝を掴んだときに、急に色が戻ったそうです。急に。
いきなりの色の洪水でめまいがしたそうです。
その後は、視界が白黒になることはなかったと。
家に帰って病院に行きましたが、視力が落ちていることもなく、なんの問題もなし。

『あのときはたまげたい。めがみえんようになるんやないかおもうてこおおてな。
 やまん中でめくら(ママ)になってしもうたらおおごとやけんな』

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山の墓

39 :本当にあった怖い名無し:2018/09/13(木) 22:30:04.35 ID:d20U3ZPj0.net
石じじいの話です。

日本では墓は、寺の周辺、畑や田んぼの近く(中)など、里に近いところにあるのが一般的でしょう。
じじいが住んでいた当時(戦前)の朝鮮では、墓の多くは里から離れた山の中にあったそうです。

仕事で山道を降りているとき、1つの墓に行きあたったそうです。
山中の墓など別に珍しくはないので通り過ぎようとすると、その山道を朝鮮人の親子が登ってくる。
じじいは朝鮮語で彼らに話しかけてみました。
その父親と思しき男性とすこし世間話をして、その周辺の地理について尋ねたりしたそうです。
そうして話が一段落すると、男性は微笑みながら「あなたは日本人ですね」と言ってきたそうです。
じじい:わかるか?
朝鮮人男性:わかる。発音がちょっとおかしい。しかし、あなたの朝鮮語はたいしたものだ。最初は平壌の方の街の人かと思った。
別に敵対心をあらわにするわけでもなく、その男性は上手な日本語を喋り、
また、息子だという男の子も流暢な日本語を話したそうです。
男性が言うには:
これから山を下ると夕方になるから、山をおりた家(彼らの自宅)によければ泊まれば良い。遠慮することはない。
今日は死んだ父親の墓参りに来たのだが、用事を済ませてすぐ帰るから一緒に山をおりよう、ちょっとまってくれ、と。
そして男性はじじいに、朝鮮の墓を見たことがあるか?ときいてきました。
じじいは「まあ、ある」と答えたのですが、男性は詳しく見せてあげよう、と言ってじじいをうながしました。
うながされてじじいは一緒に墓にいったそうです。

40 :本当にあった怖い名無し:2018/09/13(木) 22:31:38.98 ID:d20U3ZPj0.net
墓には窓があって、そこから中(すなわち埋葬された遺体)を見ることができるようになっていたそうです。
当時は朝鮮では土葬でしたのから、埋葬が最近ならばその遺体の骨を見ることになるのです。
男性はじじいに遺体を見るようにとすすめたりはしなかったのですが、そのしくみを説明してくれたそうです。
その窓を開けて中を覗き込んでいた男性は急に驚いた表情になり、彼の顔がくもりました。
じじいがどうしたのか?と尋ねると、男性は、これは良くない!と言って狼狽し始めたそうです。
どういうことかと男性が説明するに、
遺体は骨になっているが、その骨の色が真っ黒だ。骨が真っ黒になるのは供養が良くなかったからだ。
たぶん、墓の場所の選定に間違いがあったにちがいない。
そういって、じじいにもその中を見せてくれたそうです。
残っている骨は真っ黒でした。
男性は、親戚たちと相談しなければならないといって、供物をそなえてじじいといそぎあしで山をおりたそうです。
家に帰って、男性は息子や他の家族のものたちをあちこちにやり、人が来ていろいろ騒がしくなってきました。
呪い師のような人物も来て、今後の相談をしているようだったと。
じじいはその様子を見て、その日の宿を遠慮しようと申し出ましたが、それは問題ないから、といって男性は引き止めます。

41 :本当にあった怖い名無し:2018/09/13(木) 22:35:04.35 ID:d20U3ZPj0.net
騒ぎ(一族会議?)が一段落すると、その男性(家の主人)はじじいに無作法を詫て、その件について説明してくれたそうです。
ここらでは人が死んだら、その遺体を焼かずに呪い師に頼んで良い位置を選定してもらって、そこに墓をたてて埋葬する。
これは一時的な埋葬で、そこで遺体が骨になってしまうのを待つ。
そして、完全に骨になってしまってから、その骨を集めて壺に入れてあらためて埋葬する。
骨になったかどうかを定期的に確認して、そのときに骨の色をしらべる。
遺体の骨の色が黄色みを帯びた白色になっているのが最良であり、死んだ人が「成仏」している証拠だ。
(埋葬方法は別に仏教ではありませんが、じじいは、『成仏』と表現したようです。メモにそうあります)
しかし、骨が黒色になるのは、その埋葬場所が間違っていたからであり不吉だ。別の良い場所を見つけて改葬しなければならない。
のだと。

翌日、じじいはその家をあとにしましたが、弁当を作って持たせてくれたそうです。

『あれからあのひとらはじょうずにええ墓をたてさったろうかのう。
日本でも「墓相」いうもんを気にするひともおんなはるが、まあ、そういうもんやろうかなあ』

その墓の詳細な構造はメモにないのでわかりません。
朝鮮で人の病気や生き死にに呪術師が関わってくることについては、じじいがいくつかの例を話してくれました。

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ハラボラグ

46 :本当にあった怖い名無し:2018/09/16(日) 17:25:47.50 ID:uuJUKjPG0.net
石じじいの話です。

朝鮮に住んでいたころ、じじいは何度か満州国へ旅したことがあると言っていました。
両国とも日本の支配下にあったので、交通は容易だったといいます。
その旅での話もいろいろと話してくれましたが、あまり覚えていませんし、メモ書きも多くありません。
海外の話をこどもの私が理解できなかったからでしょうが。まあ、今もそうですが(笑)。
少ない話のなかから、ひとつお話しましょう。

蒙古(モンゴル)の話です。
モンゴルは当時、北半分はモンゴル人民共和国としてソ連との同盟国として独立、南半分は、清朝から続いて中華民国に属していました。
満州国にも多くの蒙古人が住み、有力者や分限者もいたそうです。
じじいは、馬に乗って現地満州人(中国語しか喋らなかったと)と一緒に蒙古人たちの居住する草原を旅したそうです。
『もうこじんの家によったら、ちちからつくったお酒をようけのましてくれるんよ。
いちどに五合もついでくれるんで、おおきな唐津に。おかしげな味でおうじょうしたい』
蒙古人たちは、いろいろな家畜をたくさん飼っていて、それらの肉、革、毛、乳を使って生活していたそうです。
遊牧民である蒙古人は、草原に広く広がった羊とヤギの群れを、ぱっとひと目で、「235頭いる」などと正確に数えることができ、さらに、一頭一頭を識別できたといいます。

47 :本当にあった怖い名無し:2018/09/16(日) 17:29:03.10 ID:uuJUKjPG0.net
ものすごく暇な生活だったそうで、そのためよそ者には興味津々で、いろいろなことを尋ねてきたそうです。
じじいも彼らからいろいろな話を聞きました。
彼らが、以下のような話をしてくれたそうです。
ここから馬ですこしいったところにハラボラグという谷があって、そこに泉がある。
その一帯では、何十年かごとに不思議なことが起きる。
その谷に入った家畜たちが皆例外なく死んでしまうのである。
水場なので、放牧している家畜が勝手に行ってしまうので目が話せない。
その現象は、数ヶ月ほど続くのだ。
と。
それは、その泉の水に有毒物質が含まれているのでは?とじじいは尋ねましたが、水は関係ないと蒙古人は答えたそうです。
それ以外の年には、家畜をそこに連れて行って、水を飲ませても草を食べさせても死なない。土にも問題ないようだ。
死ぬのは家畜だけで人は死なない。
この現象は昔から言い伝えられているが、そのあたりに住む遊牧民でも一生に一度遭遇するかどうかなので原因がよくわからないと。
そういう現象はどうやって収束するのか?とじじいは尋ねました。

48 :本当にあった怖い名無し:2018/09/16(日) 17:41:12.39 ID:uuJUKjPG0.net
「知らない間におさまる」と答えたそうです。
また、周りに住んでいる遊牧民の家族で幼い子供が死ぬと、その現象がおさまるとも。
そのことが起きた年には、かならず子供が何人か死んだそうです。
(医療レベルの低い当時は、子供が病気などで死ぬことは別に稀ではなかったでしょうから、偶然だと思うのですが)
じじいがその谷に行ってみたいと言うと、案内してくれたそうです。
そこは青々とした草の生えた場所で、泉からは水がよく湧き出ていました。
周りには黒い岩が露出していたそうです。
それは、丸い穴がたくさんあいたスポンジのような石で、とても硬かったそうです。
その当時、じじいは石には詳しくはなかったのですが、おそらく火山から噴出した溶岩らしかったと。
近くに火山など無いのに、不思議なことだと思ったそうです。

「じじい箱」をあさっていたら、この話に対応するであろう『その黒い石』らしきものを見つけました。
写真を添付します。触っていたら割れてしまいました。
明日あたり死んでしまうかもしれません。

満州国への旅行話

61 :本当にあった怖い名無し:2018/09/19(水) 19:29:24.21 ID:SK5YB4GZ0.net
石じじいの話です。

満州国への旅行の話をしてくれたときのメモがあるので、そこから解読したものを。

(1)
モンゴル人の視力はとても良いとか。
「ほら、向こうから誰々が馬に乗ってやってくる」とモンゴル人指差すので、その方向を見てみると、じじいには何も見えない。
それから数十分して、馬に乗ったモンゴル人が現れたそうです。
視力5.0ちゅうやつですかいのう。

(2)
モンゴル人が言うには、「首の無い(頭の無い)遊牧民」に真っ昼間に出会うことがあるそうです。
また、「頭の無い馬にのった頭のある遊牧民」、「頭の無い馬に乗った頭の無い遊牧民」に出会ってしまうこともあるそうです。
いずれも無視してかかわらないようにすると、向こうから去っていくとか。
『首切れ馬みたいなもんよのう』
今回調べてみたら、ばけ物としての「頭のない馬」は日本にもあるようです。「首切れ馬」とか。
また、「首なし騎士」についてのフォークロアは欧米にもあって、「スリーピー・ホロウ」などは有名ですね。
もうすぐハロウィンです。

(3)
「いつまでたっても近づいてこない灯り」が、夜に出現することがあるそうです。
夜の草原に小さな明かりが遠くに見えていて、それがゆらゆらと揺れて、だんだん明るくなってくる。
旅人がカンテラを下げてやってくるのだな、と思って待っていると、いつまでたってもその明かりが近づかない。
でも明かりは見えていて動いている、と。

(4)
何度も出会うラクダの群れ、というのもいたとか。
馬に乗って旅をしていると、ラクダの群れに出会う。
そのうちの一頭のラクダには、コブの間に乗れるように鞍がおいてあるが、人はない。
不思議なことよ、と思って通り過ぎると、あとでまた同じようなラクダの群れに会う。
よく見ると同じ鞍ののったラクダがいる。それに何度も行き会うのだと。
そういうときには、ラマ教のお経を唱えて行くと、会うことはなくなるそうです。
これは、欧米や日本にある都市伝説に似ていますね。

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じじいノート その4

64 :本当にあった怖い名無し:2018/09/21(金) 19:42:04.23 ID:LPLugedj0.net
石じじいの話です。

メモから断片を:
(1)じじいは山を歩いているときに、雛人形人セットが打ち捨てられていたのに行きあたったことがあるそうです。
それは本格的なフルスタッフのもので、それがシダの茂みの上に乱雑にばらまかれていた、と。
全部の人形が髪を振り乱していたのが怖かったとか。
かなりの山奥で、道もほとんど無い場所だったので、なぜそれがあるのか不思議だったと。
雨のあとで、湿った滴るようなシダの緑と緋毛氈の色とのコントラストが印象的だったそうです。

(2)じじいは、「小人」に襲われたことがあるそうです。
山を歩いていると、正面からガサガサと音をたてて長さ1尺に満たない黒い人間が走ってきて、じじいに飛びかかってきたそうです。
じじいは、構えていた山歩き用の杖を振り下ろして、その黒い小人をはらい落としました。
かなりのジャンプ力だったと。
地面に叩き落とされた黒い小人は、すぐに起き上がって走り去ったそうです。
「それは、リスかムササビやったんやないかな?」私
「いや、あれは人やったで。両手両脚を広げてな、わしに向かって飛びかかってきたんで。二本足で走りよったけん」

65 :本当にあった怖い名無し:2018/09/21(金) 19:43:59.54 ID:LPLugedj0.net
(3)じじいが長い間親しく付き合っていた、石探しルートの近くに住んでいた家族が全滅したことがあったそうです。
1年ぶりにその家を訪れていると誰もない。家が無人になって庭も荒れている。
近く家の人が言うには、(じじいが最後に訪れたときから)半年くらいの間に、六人の家族全員が病気や事故で死んでしまったと。
近くの寺に墓があるというのでお参りに行ったら、その家の墓に、たくさんのまあたらしい卒塔婆が林立していたそうです。

(4)じじいは、稲わらで縄を編むことができて、わらじも器用に自分で作っていました(まあ、農家では今でもそうなのかもしれませんが)。
地下足袋の上にわらじをはいて沢を歩くと、濡れた石の上で滑らないのだそうです。
編んだ縄をハサミなどの刃物を使わないで指だけでぷつっと切っていました。

こう書いていると、畑仕事の休憩でタバコをふかしていたじじいの姿を思い出して、ちょっとおセンチになってしまいました。
じじいの年齢に近づいて、私の記憶もだいぶ薄れてしまっています。
じじいの家の庭にあった柿は甘かった。
器用に皮を向いて柿を食べさせてくれましたが、「渋柿が混じっとるけん、きいつけんさいよw」というのがじじいの決まり文句でした。
渋柿の木などないのに。

夜釣り

86 :本当にあった怖い名無し:2018/09/24(月) 00:15:03.84 ID:WI6NMuef0.net
石じじいの話です。

海の話もしましょう。
じじいは、友人が島に住んで漁師をしていたので、たまに遊びにいっていました。
ある夜、友人と舟で釣りにでかけたそうです。闇夜で釣果もなかなかのもだったそうです。
降るような星空を眺めていると急に海面が光りました。
そのころにはまだ夜光虫がたくさんいて、水面が光るのはそれほど珍しくはなかったらしいのです(いわゆる「しらみゆうれん」ですね)。
ところが、その光は人間ほどの大きさがあり、それがゆっくりと移動していたそうです。
まるで人間が泳いでいるように形を変えながら。
二人がそれを目で追っていると、さらにもう「一人」人間のようなものが光りながら泳いでいったそうです。
そうしているまに次から次に光る人間が泳いでいって、全部で五人ほどの光る人が舟の横を泳ぎ過ぎていきました。
最後の一人(一匹?)がいなくなってからも、モーター音で気づかれてその「光る者たち」が寄ってくるのではないかと海の上を長い間漂っていたそうです。
港に帰って、次の日、村の古老に尋ねたそうですが、そのようなものには見たことがない、と言われたそうです。

「それは、魚のむれやったんやないかな?」私
「いや、あれは人間やったで、長い手足を動かしよったけんね。いなげなもんやったい」
変な人間(のようなモノ)が海を泳いでいる、という話は他にもいろいろあるようです。

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機動力をつけたじじい

97 :本当にあった怖い名無し:2018/09/25(火) 00:52:06.06 ID:5Cv9umLk0.net
石じじいの話です。

小銭を貯めたじじいは8000円の中古自動車を手に入れて、これで石とりに歩いていた、という話は以前したことがありますね。
機動力をつけたじじいですが、その一方では、「消えるタクシー客」的な事態に何度か遭遇したそうです。
そのうちのひとつ:
じじいが夜、車を走らせていると、女の子を連れたお年寄りの女性が夜道を歩いているのに出会いました。
すでに暗くなっていましたが、二人は明かりも持たず道路を歩いていました。
あたりの家の人かと思いましたが、念のため、じじいは彼らに声をかけてみました。
その女性は、そこから何キロか離れた場所まで歩いて帰るのだ、と言うので、送ってあげることにしたそうです。
じじいの車は運転席・助手席しかない小型のトラックだったので、女の子を真ん中にのせて走ったそうです。
話を聞くと、この子(女児)を連れてXXX(そのあたりで一番大きな町=市)に映画を見にでかけたのだが、買い物をしていたので遅くなった、ということでした。
車中で、その女の子も見た映画のことや町のことなどを嬉しそうに話して、わきあいあいの車中だったそうです。

98 :本当にあった怖い名無し:2018/09/25(火) 00:53:49.99 ID:5Cv9umLk0.net
目的の場所につくと、女性は女の子を連れて降りて丁寧にお礼を言って、一人で真っ暗な山の中に歩いて入っていこうとしました。
「あれ、YYちゃん(女児の名)は、どこぞな?」とじじいは車中から尋ねました。
「だれです?なんのことやろ?わたしはひとりやが。この先に、家があるんよ」と振り返って老女。
じじいは、車から降りて周りを見回しましたが、女の子の姿はない。
「気いつけていきんさいや、だんだん」と言って、老女は真っ暗な山の中に歩き去ったそうです。

車にのせたヒッチハイカーがいつの間にか消え失せる、というのは昔から(18世紀から:その時代では馬車で)ある有名なですね。
世界各地にあるとか。「消えるヒッチハイカー」都市伝説ですね。
日本でポピュラーなのは、「タクシーに乗せた客が消えてしまう」というやつでしょう。
この話は外国の都市伝説の翻案らしいのですが。
しかし、明治初年頃に上演された、三遊亭円朝作「真景累ヶ淵」でも、死んだはずの豊志賀が籠の中から消える、という場面があり、
おなじような話(アイディア)は日本でも昔からあるようです。

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