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【洒落怖】アルミン・マイヴェス事件

※閲覧注意。画像はありませんが、非常にグロテスクな内容なので、食事中の人や苦手な人は注意。

アルミン・マイヴェス事件とは、2001年3月のドイツにて、インターネットで「自分に殺されたい犠牲者」を募集し、同意のもとで知り合った男性の身体を二人で食し、その後、遺体を保存し食べ続けた事件である。

彼は、さらに殺されたい人の募集をかけていたところで、逮捕された。


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Wikipediaでの事件の詳細

アルミン・マイヴェス(Armin Meiwes、1961年12月1日 - )はインターネットを介して出会った自発的な被害者を殺害して、食べたことで国際的に有名になったドイツの元コンピュータ修理技術者である。「ローテンブルクの食人鬼(Rotenburg Cannibal)」「肉屋の主人(The Master Butcher)」という異名でも知られている。殺害までの様子を収めたビデオテープを彼らが作ったことから、その詳細が知られている。なお、このビデオは公開されていない。

事件の経過

2001年3月、マイヴェスと被害者の男性は落ち合った。二人はマイヴェスの家まで移動。マイヴェスは男性の陰茎を切断し、男性と共にそれを食している。男性は自分の陰茎をマイヴェスによって噛み千切られる事を要望したが、それは行われなかった。代替の方法として、マイヴェスはナイフで男性の陰茎を切断しようとしたが切れ味が悪かったことから、より切れ味のいい物に持ち替え切断を達成する。その後、彼らはその陰茎を二人で分け食べようとしたが、火が通っていない状態では噛み切りづらく、結局、塩コショウとにんにくで味付けしソテーにしている。このビデオを見たジャーナリストの見解は一致していて、失血により男性が自分の陰茎を食べている頃には男性は既に衰弱している様に見えたという。マイヴェスは大量のアルコールと鎮痛剤を男性に与えた。それから、この殺害の為に彼の家に増設した部屋でその男性の同意の下、殺害した。急速冷凍冷蔵庫で男性の遺体の一部を保管し、マイヴェスは数ヶ月にわたりそれを食べた。

2002年12月、新たに食人させてくれる人を求める書き込みをインターネット上に掲示したことから、マイヴェスは逮捕された。捜査官の家宅捜索により、殺害の様子が収められたビデオテープと遺体の一部が見つかった。ビデオのあまりの内容に、それを見た人の多くが心理カウンセリングを求めるほどだった。

2004年、カッセル地方裁判所でおこなわれた裁判でマイヴェスは故殺罪により8年6ヶ月の禁錮刑を言い渡された。この事件では、被害男性は自発的にこの行為に参加している為、マイヴェスを断罪できるのか注目を集め、また議論された。2005年4月、判決を不服とした検察が上告した事から、ドイツ連邦裁判所は再審命令を下し、2006年5月9日、フランクフルト地方裁判所はマイヴェスに謀殺および死体損壊の罪により前審より重い終身刑を言い渡した。これに対し、マイヴェス側は控訴したものの、2008年10月7日終身刑が確定した。

参照元:Wikipedia アルミン・マイヴェス

アルミン・マイヴェスの生い立ち

アルミンは1961年12月1日、ドイツ西部の町エッセンで、三兄弟の末っ子として誕生。母親が2番目の夫の間に産んだ子で、母親にとっては3人目、父親にとっては最初の子供だった。アルミンが3歳のとき、一家はロッテンブルク近郊のヴュステフェルトという町に古くからある邸宅マナーハウスを購入。36部屋もある豪邸だった。

アルミンは兄たちとは比較にならないほど母親に溺愛されながら育った。1970年9月、夫婦関係の悪化により両親が離婚。アルミンは、家を出て行く父親を必死で制止しようとしたが、父親はその手を冷たく振り払った。

夫に裏切られたと思い込み、男を憎むようにになっていた母親は、アルミンのことを女子の愛称である「ミンチン」と呼び、長々と愚痴を聞かせた。兄たちはさっさと自立し家を出て行ったが、母親に依存され共依存状態になっていたアルミンは思春期になっても家に居ることが多く、家事や買い物をするなど、母親に尽くした。

ロビンソン・クルーソーを読む
そんな大人しい性格のアルミンが人食に興味を持ち始めたのは10歳のとき。小説『ロビンソン・クルーソー』を読んだのがきっかけだった。この小説には人食い蛮人が登場するのだが、アルミンはこの「人を食べるという人種」に強く惹かれたのだ。彼は肉屋に通うようになり、肉が切られる様子を何時間も眺めるようになった。

軍隊へ入隊
1981年、19歳になったアルミンは家を出て西ドイツ陸軍に入隊する。規律の厳しい軍隊にいれば「人食」の妄想を断ち切れるだろうと思い、また、軍人として成功を収めたいとも思ったのだ。しかし、若い男たちの中での共同生活は彼をさらなる妄想にかき立てることに。女性との交際もうまくいかず、同性愛者ではないかと噂されるようにもなった。

アルミンは酒を浴びるように飲むようになり、飲酒運転による自損事故を2度も起こし、これ以上軍隊にいても意味がないと諦めた。アルミンは1993年、32歳で陸軍をやめ、年老いた母が住むヴュステフェルトの実家に戻った。

母親と二人の生活を送っていたアルミンだが、普及し始めたインターネットで同じ趣味、つまりカニバリズム嗜好を持つ人々と交流を始めた。彼はウェブサイトを立ち上げ、人体解剖を模した写真をアップしていた。マイヴェスの食人への興味はますます膨らんでいった。

食べられたい人募集中

1999年9月2日に母親が死亡。一人で暮らすなか、彼はネット上で「「殺して食べられたい人」の募集を始めた。条件は「ハンサムな若い男性、年齢は18~25歳、魅力的で健康的な外見だが、筋肉質ではないこと」だったそうだ。

60回も出してようやく31歳の男がアルミンに連絡をしてきたが、いざとなると死ぬのは嫌だと拒否したため、アルミンはあっさり彼を開放した。「食べられたい人を合意の上で殺して食べる」のがアルミンの望みだった。

参照元:https://tocana.jp/2015/08/post_6965_entry_5.html

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被害者:ユルゲン・ブランデスの生い立ち

ユルゲン・ブランデス(当時43歳)はドイツの一流企業に勤めるコンピュータ技師で、男も女もOKのバイセクシャルであった。彼は自分の肉を自分で食べたいという衝動に日頃から苛まれていた。子供のときから「ペニスを切断されたい」「焼かれて食べられたい」という願望を持ち続け、叶えてくれる相手を探していた。

2001年の2月、ユルゲンは「生きた人間を食べたいという人に、私の体を提供します。」というような広告を出した。それを見たアルミンはユルゲンにすぐ連絡を取り、翌月には意気投合してアルミンの自宅へ向かった。

事件について

被害者は生きている状態で自分の性器を切断し、二人で食べることを望んでいた。そして、「切るのは意識がない時にしてほしい」と言い、鎮痛剤の瓶の半分ほど飲んだ。しかし、その30分後、ベルントは「申し訳ないが今回はやめにしたい」と言い出し、アルミンは無理強いは一切せずに了承。落ち合った場所にベルントを送り届けようとしようとした。しかし、「帰っても、どうして何も言わずに消えたのかと交際相手に責められるだけで面倒」だと思い直し、計画は実行しようと言った。

「決断が揺らぐから、意識があるときに切ってほしい。ビデオテープに撮影もしてほしい」とも懇願した。アルミンは、そう願うのならと薬局で強めの風邪薬と睡眠薬を購入し、ベルントと共に帰宅。風邪薬と睡眠薬でもうろうとしているところを切断する作業に取りかかった。

2人は生のまま食そうとしたが、ゴムのような食感で噛み切ることができなかったため、アルミンが塩、こしょうをふりかけ、にんにくでじゅっと焼いて食べた。念願の人肉を口にできたアルミンだが、思っていたほどおいしくなかったと回想している。

その後、ベルントはアルミンに「熱い風呂に入りたい」「そうすれば早く失血死できるし。今、とても凄く寒く感じるんだ」と頼んだ。アルミンはその通りにした。

しかし、ベルントはそう簡単には死ねず、お湯もさめてしまったため2時間後に風呂から出てきて、床に倒れ込んだ。アルミンはベルントをベッドまで運び、どうしたいかと聞いた。ベルントは、「救急車は絶対に呼ばないでくれ。朝になっても生きていたら、一緒に残りの生殖器を食べよう」と告げた。しかし、早朝5時頃、ベルントは絶命したとのこと。

死後、遺体はバラバラに解体し、その様子をビデオカメラで録画した。残った遺体は冷凍冷蔵庫で保存した。

ベルントの交際相手は出張からなかなか戻ってこない彼を心配した。しかし、アルミンにつながるものはベルント自身が何ひとつ残していなかったため、失踪事件として処理されてしまった。

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逮捕

2002年12月、新たに食人させてくれる人を求める書き込みをインターネット上に掲示したことから、マイヴェスは逮捕される。

11月28日、警察が、アルミン邸の家宅捜索に踏み切った。目立った証拠はなかったが、冷凍庫に保管されている肉を押収。検査には時間がかかるためアルミンは拘束されずに帰宅が許されたが、弁護士に相談し、全てを話そうと決意。「ベルントが望んだから殺し、食べた」「切断するとかには興味がなかったけど、彼が強く望んだからつきあった」と自供した。

12月10日、警察本部に移送されたアルミンは全てを話し、翌日ビデオなどの証拠品も提出した。頭蓋骨や手や足の骨、35袋に別けられた肉片などが押収された。検死官は、アルミンの供述通り、ベルントの肉は、30キロほどを食したと結論づけた。

そして裁判へ

自殺幇助か? 殺人か?
2003年12月3日、カッセル地方裁判所でアルミンの裁判が開始された。スポットライトを浴びたアルミンは生き生きとしており、「殺人などしていない」と主張。殺人ではなく自殺幇助だと訴えた。

裁判に出廷するアルミンの様子
※特に怖い画像ではありません。

2004年1月13日、アルミンは故殺罪で有罪判決を受け、禁錮8年半に処された。しかし、世間はこれに納得しなかった。誰もが殺人罪で処されるべきだと声を上げた。再び裁判が行われることになった。2005年に検察が上告したことから連邦裁判所は再審命令を下し、2006年、謀殺および死体損壊の罪による終身刑を言い渡された。

参照元:https://matome.naver.jp/odai/2153075019866666501?page=2

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