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魔よけ https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=11165468
お祓い2話『防火水槽』の続き
3 魔よけ
師匠から聞いた話だ。
大学2回生の春だった。
そのころ僕は、小川調査事務所という興信所でバイトをしていた。普通の興信所の仕事ではない。その業界で、『オバケ』と呼ばれる不可解な依頼を専門に受けている師匠の、お手伝いのようなものだ。
師匠もバイトの身だったが、そこそこいいバイト代をもらっているようだった。うらやましいが、当時の僕にとっては、バイト代の多い少ないよりも、師匠と一緒にそんな仕事に関わることができることが、なによりも楽しくて、価値のあることだった。だいいち、僕はあまり役に立っていたような覚えがなかった。
その日、師匠への依頼人が来るというので、僕も呼び出されて、事務所のなかで待っていた。僕はもうそのころには、大学の授業そっちのけだった。4年間で卒業できないことは、なかば覚悟していた。
今日は同じバイト仲間の服部さんがいなかったので、事務所のなかは、所長と師匠と僕の3人だった。その所長は、自分のデスクで腕を組んだまま上を向いて、居眠りをしている。
師匠は、その所長の、上を向いて開いている口に、ピーナツをホールインワンさせようと、しきりに照準を合わせていた。真剣な表情だった。
「師匠」
「まて、もう少しなんだ」
「来ましたよ」
事務所ビルの階段を上ってくる足音が止まり、ドアがガチャリと開いた。
「あいかわらず、辛気臭い事務所だねえ」
開口一番、そう言ったのは、黄色い縁取りの大きなサングラスをした、年配の女性だった。
「あれ、仁科さんも来たんですか」
師匠がそう言うと、盛り上がった紫色の髪の毛をゆっさゆっさと揺らしながら、その恰幅のいいおばさんが入ってくる。
仁科さんは、この小川調査事務所に様々な『オバケ』事案を持ち込んでくる、世話好きの女性だった。地元の素封家で、交友関係が異常に広い。元々、占いや心霊現象などのオカルティックなことが好きらしく、師匠のことを気に入っているようだ。今ではなんだかんだで、彼女からの紹介が、この零細興信所への『オバケ案件』依頼の多くを占めている。小川調査事務所にとっては足を向けて寝られない、大恩人である。
「この子が恥ずかしがっちゃって、ついてきたのさ。ほら、挨拶しな」
仁科さんのうしろから、おずおずと出てきたのは、若い女性だった。春物のニットカーディガンを着ている。
「あ、黒鳥八重(くろとりやえ)です」
古風な名前だったが、本人は髪を明るい色に染めるなどして、今どきの若者、という印象だった。
「あんた、もう高校生だっけ」
仁科さんに訊かれて、彼女は「2年生です」と小さな声で答えた。
「いやね。この子のおばあちゃんが、あたしの古い馴染みでね。祈祷師みたいなことをしてたのさ。昔、何度か世話になったことがあるのよ。あんた、ちっちゃいころ、あたしがお年玉あげたの覚えてる?」
黒鳥八重は首を横に振った。
「そのおばあちゃんが先日亡くなってね。そのせいで、ちょっとした困りごとがあるみたいなんだ。まあ、とにかく、話を聞いてやっとくれ。あたしゃ、忙しいから、もう行くからね」
仁科さんは、少女を置いて、せかせかと出て行こうとした。
「あ、ちょっと、仁科さん。依頼料金のこととかあるんで、高校生はちょっと」
居眠りから起きたらしい小川所長が、モゴモゴと言う。
「ああ、そうそう。請求書はあたしに回しな。あたしゃ、お得意様だからね。変に上乗せするのはナシだよ」
忙しい、忙しい、と言いながら、仁科さんはあっという間に去っていった。
あいかわらずだ。残された僕らは顔を見合わせたあと、とにかく、少女の話を聞くことにした。
「私のおばあちゃんの家は、昔から霊能力があるとかで、その、霊媒師? みたいなことをしてたらしいんです」
「おばあちゃんの家って、おばあちゃんのお母さんも霊媒師ってこと?」
「たぶん」
来客用のソファで僕らは向かい合っている。
「ふうん。そのおばあちゃんは、なにか動物みたいなものを使役……、使ってたりした?」
「わかりません」
師匠は腕組みをして、唸った。
「憑き物筋だと、だいたい女系で受け継ぐからな。その可能性はあるな。元々の出身はどこ?」
「総座市です」
総座市というと、僕らのいる県都のO市から見て西にある、歴史ある地域だ。
「ふうん。そのあたりにも憑き物筋の分布はあるっちゃあるけど、それだけじゃあな。まあとにかく、その困りごとってどんなこと?」
少女は、なにか迷っているような顔をしたあと、「あの、ここは、オバケとか、出ないですよね」と訊ねた。
「オバケ? 幽霊が出るかって? どうなんですか、師匠」
「まあ、大丈夫ですよ。昼間だし」
師匠はまじめくさって答える。
すると彼女は、「ちょっと、待ってください」と言って、いきなり靴を脱ぎはじめた。コンバースの、ピンク色のスニーカーだった。
「これ、なんですけど」
少女は、左右の靴を手に持って、僕と師匠の前に突き出した。小川所長も、自分のデスクでこちらの会話に聞き耳を立てつつ、書類を読んでいたが、そのときは、顔を上げた。
靴の内側の底に、なにか見慣れない模様があった。左も右も、同じように。
「んん?」
顔を近づけようとすると、横から師匠に、「おい、女の子だぞ」と制止された。
そして師匠は、「ちょっと、いい?」と言って、右足用の靴を受け取り、しげしげと眺めた。
「なにか書いてあるな」
僕も、そのうしろから覗き込む。黒い文字のようなものが書いてあるようだが、かすれていてよくわからない。
「ちょっと、待った。これはだれが書いたの?」
師匠は、幾分緊張したような声で訊ねた。
「おばあちゃんです。おばあちゃんの血筋の女の人は、小さいときから、霊感が強いというか、お化けがすごく寄ってくるんだって、言ってました」
「霊媒体質ってことですか」
僕が訊ねると、彼女は頷く。
「あなたも、そうだったの?」
師匠が慎重な声で言った。
「はい。子どものころから、よく見ました。その、幽霊とか、そういうのを……」
震えるその声は、語尾が消え入りそうだった。
「それで……、いつも、おばあちゃんが魔よけだって、これを靴に書いてくれたんです」
「魔よけ……」
師匠はなにか難しそうな顔で、そうつぶやいた。
「昔から、夜に外を歩いていると、急に青白い顔だけが、いくつも、ヌーッて近寄ってきたりしたんです。魔よけのおまじないを書いてもらった靴を履いていると、それ以上のことはないですけど、私、怖くていつも走って家に逃げ帰りました」
本当に心細い様子で、依頼人の少女は震えている。
「おばあちゃんが言うんです。うちの女に生まれたら、仕方がないんだって。おまえも、大きくなったら、ああいう恐ろしい連中を、打ち破る術(じゅつ)を練習するんだよって」
「おばあちゃんは、憑き物落としみたいなことをしてたんだね」
「私は、見せてもらったことはないですけど。大きくなって時期がくるまでは、秘密なんだって」
「ええと。そのおばあちゃんって、先日亡くなったって、仁科さんが言ってましたよね」
僕が訊くと、彼女は頷いた。
「3ヶ月くらい前です。急に体調を崩して、そのまま…。私……、なにも習ってません」
少女は顔を覆った。震えているその背中を、師匠がさする。そのまま、しばらくそうしていた。
ようやく落ち着いて、少女は顔をあげた。
「中学生のときから、おばあちゃんとは離れて暮らしています。両親が、こっちに家を建てたから。でも、この靴のおまじないがないとだめだから、ときどき会いに行って、書き直してもらってたんです。すぐ、こすれて薄くなっちゃうから」
少女は、もってきた鞄から、ビニール袋を取り出した。なかからは、もう一組、スニーカーが出てきた。こっちは黒っぽい色だ。
「おばあちゃんが死んじゃって、魔よけのおまじないが残ってるのは、この2つだけなんです。どっちも、もう消えそうになってて。私、どうしたらいいのか……」
泣きそうな顔でそう言う。
黒いほうの靴底を見ると、ピンクの靴と同じ模様が書いてあるようだったが、同じくらいに薄れている。
「なるほど、それで困っていると」
師匠は頷いている。
「ちょっと確認したいんだけど、今でも幽霊とかを外で見るの?」
「……はい。夜に1人で歩いてると、首筋がぞわぞわして。そうなると、だいたいいつも、真っ黒いものとか、気持ちの悪い顔とか、そういうのが寄ってくるんです」
「それは、家にまでは来ないの?」
「家には出ないです。おばあちゃんが、魔よけの結界を張ってるって言ってました。お父さんが家を建てたときも、わざわざ来てくれて、おまじないをしてたみたいです」
「そのおまじないを教えてもらってないわけか。なにか祭文……、書き物で残してくれてないのかな」
「遺品は、見せてもらったんですけど、なんにも」
「ふうん。代々、口伝で受け継いでいたのかもな」
少女は、怯えた顔のまま、すがるような目で師匠を見ている。
「どうするんですか」
僕は師匠に小声で耳打ちをした。本格的な悪霊払いなんていう話になると、師匠にはできないはずだった。
「1日、この靴を預かっていいですか。どっちか1足でいいので」
師匠はそう提案した。
「多少心得があるので、調べさせてもらったら、魔よけのおまじないは再現できるかも知れません。それに、仁科さんは、おばあさんの祈祷を受けたことがあるみたいだから、私から詳しく聞いてみますよ。私の知っている作法かも知れませんし」
それを聞いて、少女は嬉しそうな顔をした。
「お願いします。じゃあ、こっちの靴を置いていきます」
そう言って、黒いほうのシューズを差し出した。そして、いそいそと、ピンクのほうの靴を履いた。
明日またここへ来てもらうことにして、会う時間を決めてから、少女は去っていった。
僕らは、事務所の窓から、彼女の歩いていく姿を見下ろした。まだ日は沈んでいなかったが、おっかなびっくり、周囲をキョロキョロ見回しながら、ゆっくりと歩いていた。
「かわいそうにな」
師匠がボソリと言った。
「大丈夫なんですか」
「ああ、たぶんな」
師匠は、靴の底に書いてある模様を見つめた。
その顔は、いつになく、険しかった。
そこまで話して、師匠は深く息を吐いた。
俺は続きが気になって、早く聞きたかった。しかし、師匠は、雨の音に耳を澄ますように、黙ってしまった。
しかたなく、視線を師匠から戻すと、前方の止まない雨のなかに、淡く白い光が見えた気がした。師匠も、それを見ているのか。それは、神社の敷地に入るでもなく、遠方で揺らめいてるようだった。
怪談話をしていると寄ってくる、と古来言われているが、そういうことはあるのだ。実際に。経験上知っていた俺は、それほど驚かなかった。それが、なにかこちらに悪意を持っているようにも感じなかったから、平常心でいられたのだ。
やがて、それが、それ以上近寄って来ないのを確認したのか、師匠は話の続きを口にした。
「次の日、待ち合わせの時間に、僕の師匠は、神職の服装でやってきた。どこで借りてきたのか、白い唐衣に、単、袴という正装だ。扇に、漫画で見る女王卑弥呼みたいな、釵子(サイシ)っていう、髪飾りまでつけてきていた。そして、依頼人の黒鳥八重に言ったんだ。おばあさんの作法がわかったので、もっと強い祈祷で、あなたの血にかかっている呪いごと、うち消してあげます、ってね」
俺は驚いた。加奈子さんにそんな力があるのだろうか。初耳だった。いつもハッタリや、毒を持って毒を制するやりかたで、解決していたはずだった。たしかに、やろうと思えば、そんな正攻法でもやれそうな、底知れない印象はあったけれど。
「そんなこと、できたんですか」
「できないよ。でもやったんだ。依頼人の前で。みごとに祓ってみせたよ。彼女にかかった呪いを。結局、靴の魔よけのおまじないも必要なくなった。依頼人は半信半疑だったけど、もう大丈夫だっていう師匠の断言と、雰囲気に飲まれて、おまじないの靴を履かずに帰っていった。後日、あれからお化けが出なくなったっていう、お礼の連絡があったよ」
「本当にお祓いができたんですか。すごいですね」
俺は素直にそう言った。しかし、師匠は首を横に振る。
「お祓いなんか、見よう見まねだよ。祓詞(はらえことば)も適当さ。あとで聞いたら、安産祈願かなにかのやつだったらしい」
「はあ? なんですかそれ」
「問題を解決するために、師匠のやったことはただひとつ。彼女に、魔よけの靴を履かせずに帰らせたことだ」
師匠のその言葉に、なぜかゾクリとした。頭のなかにかすかに浮かんでいた疑念に、色がついたような気がしたのだ。
「靴に書いてあったのは、呪言道の厭魅法の術だったそうだ。簡単にいうと、『この者を脅かせ』って書いてあったんだ」
俺は絶句した。おばあちゃんが書いていたのは、魔よけのおまじないじゃなかったのか。
「お化けが寄ってくるから、靴におまじないを書いたんじゃない。靴に呪いの言葉が書いてあったから、お化けが寄って来ていたんだよ。彼女が、子どものころからずっと。外に出るときは、必ず呪いの靴を履いていたからね。家に、魔よけの結界が張ってあったってのは、ウソじゃないかも知れない。でも、仮にそうじゃなかったとしても、彼女にとって、もともと家は安全地帯なんだよ。靴を、履いていないから」
「ひどすぎますよ、それは。ひどすぎます」
思わず、声が震えた。どうしたら、怖がっている孫に、そんなひどいことができるのだろう。
「これは、僕の師匠の想像だけど、小さなころから呪いを受けて、悪霊の類に迫られ続けた子どもは、多かれ少なかれ、そういうものに対抗する力を身につけると思われたんじゃないかな。それは霊媒の能力を上げることになるわけだ。呪言道の蟲毒の発想だよ。そうやって生き残ったものを、後継にする。そうして、代を繋いできたのかも知れない。彼女の母系の一族は」
「ひどい、話ですね」
俺はため息をついた。
「でも、これでその伝統も途絶えたわけですね」
その言葉に、師匠は首を振った。雨に降り込められた暗闇のなかで、かすかな振動がそれを伝える。
「依頼人のほかに、女の孫は4人もいるそうだ。秘密を受け継いだ人間が、ほかにいても、おかしくはないんじゃないかな」
不気味な……グロテスクな話だった。俺は陰鬱な気分になってしまった。
「最初に、お祓いが効いた話だって、言ったじゃないですか」
俺の苦情に、師匠は静かに笑っている。
「ある意味効いたじゃないか。祖母の死後も彼女にまとわりつく呪いを、祓ったんだから」
「それは……」
なにを言い返そうとしたのか、頭から飛んでしまった。
目の前に、白いものがいたからだ。
俺と師匠の数メートルの距離に、降り続く雨を透過して、それはたたずんでいる。さっきまで、神社の敷地の外で揺れていたものだ。いつの間に、こんな近くまでやってきたのか。
緊張が走った。
「師匠」
「大丈夫だ」
短い返答。俺は身構えていたが、その白いものはそれ以上近寄っては来なかった。こちらをじっと観察しているような気配。悪意のようなものは感じない。むしろ、悲しみのようなものが、漏れ出ているような気がした。
「昔、この土地に、逢引をする2人がいた。かねてから家同士の利害が対立していて、許されない恋だったらしい。戦時中の話だ」
師匠は、静かに語りはじめる。
「夜毎に、だれにも見つからないこの神社で、許されないときを過ごした2人は、やがて引き裂かれる。男が戦争に取られて、前線で死んでしまったんだ。残された女は、他家へ嫁ぐように言いつけられたが、その直前に自ら命を絶ってしまう。そののち、戦争が終わり、世のなかが落ち着いてきたころに、妙な噂が立ちはじめた。この神社で、幽霊が出るというんだ。真夜中に、道の左右からそれぞれ白い霊魂がやってきて、この神社でひとつになるという。そんな噂だ。男女の逢引を、密かに知っていた人間が、あの2人の幽霊だ、という噂を広めたようだ。そんな破廉恥な噂を、両家は苦々しく思っていた。家の恥だからだ。やがて代がかわっても、そんな幽霊の噂は続いた。さらにひとつ代がかわったところで、女のほうの家のだれかが考えた。そんなふうに迷い出てくるものならば、この世から消してしまえと。その依頼は、どこをどうたどったのか、僕の師匠のもとへやってきた」
「加奈子さんのところに」
俺の吐く息が、白いものを揺らすような気がする。雨音が、遠のいていくようだ。あたりが妙に静かになる。そんななかに、師匠の声が響く。
「師匠は、女の家からの依頼で、女のほうの霊を祓ったそうだ。どんなやりかたをしたのかは聞いていない。でも、なんらかの形で、確実に祓ったんだろう。さっきの、靴の彼女のときのように。依頼は達成され、そうして、逢引は止んだ。ただひとり、夜にさまよい、この神社にやってくる男の霊魂を残して」
白いものは、やがて俺と師匠の前を離れ、揺らめきながら、神社の周りをさまよいはじめる。その姿からは、ただ、ただ、悲しみが伝わってくる。
「残酷だ」
俺は吐き捨てるように言った。
「ああ、そうだな」
師匠は淡々と応える。
「僕が、小川調査事務所でバイトをはじめる前。師匠が、まだ黒谷夏雄と組んでいたころの話だ。僕だったら、そんなやりかたはさせなかった。このことを聞かされて、実際にここへ来てみて、そう思った」
「なぜなんです」
それは、俺のなかに作られていった、加奈子さんのイメージとは違う。師匠にとっても、きっとそうだろう。
師匠は静かに言った。
「僕は考えていた。あの師匠がなぜこんなやりかたをしたんだ? 金を出したほうだけ、望みをかなえて、もう片方をこんなふうに残す。なぜ? ここへ来るたびに、そう思っていた」
白いものは、神社の敷地からふらり、ふらりと、ゆっくり出ていこうとしている。俺たちは、それをただ見つめている。
「この話は伝聞で成り立っている。2人が逢引していたという噂。そして、神社に現れる2人の幽霊。確実なことは、女のほうの家から、除霊して欲しいという依頼があったことと、今、ひとつの霊がまださまよい出ているということ。その霊は、なにかを捜し求めて、見つからず、悲しみに包まれている」
「ですから、それは、やるんならやるで、両方除霊してあげなかったから……」
「僕の師匠は、両方の霊を見ている。その上でやったことは、女のほうの霊だけを、この世から解放してあげたことだった。それを踏まえて、ここからは推測だ。夜毎のそれは、本当に逢引だったのか。なにか弱みにつけこんでの、一方的なものだったのではないか。もう他の人のもとにも嫁げないと思い込み、命を絶ってしまうような、そんなひどいものだったのではないか」
師匠の言葉を聞いて、僕は絶句した。そんなことを、師匠は考えていたのか。
「もしそうだったなら、僕の師匠は許さない。この世に残し、永遠にさまよわせるような罰を、与えるかも知れない」
小さな、人魂のような姿になり、それは、雨のかなたに消えようとしていた。
雨の音が、だんだんと大きくなっていく。
「これは、僕の推測だ……。そして僕の、希望でもある」
悲しみに包まれた、孤独な、儚い光を、師匠は希望とはかけ離れたような口調で、そう言い捨てていた。
〈『お祓い』 完〉