760 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2006/04/29(土) 17:04:21
翌日、俺は熱を出して寝込んでしまった。
母は会社を休み、看病してくれた。
「ゆっくり休んでいきなさい」
母の言葉がありがたかった。
今、ひとりになるのは、辛い。怖い。
熱は三日間続いたが、四日目の朝にはすっかり復調した。
「もうだいじょうぶだから」
心配そうにしている母を会社に送り出した。
まだまだ日差しの強い縁側に座り、ぼーっと外の空気に触れた。
昼。
用意されていたお粥を腹に流し込んでいたら、電話がかかってきた。
守さんだった。
「身体の調子はどお?」
寝込んでいたこの三日間、守さんは毎日電話をくれたと、母に聞いていた。
「すみません、ご心配をおかけして。もう、だいじょうぶです」
「そうか…よかった」
本来なら俺のほうが守さんたちを気にかけなければいけないのに…。
ありがたい気持ちと申し訳ない気持ちが胸を締め付けた。
「健吾君、いつ横浜に帰るの?」
「休みは日曜日までなので…明日か明後日には帰ろうかと思ってます」
「そうか。なら帰る時でかまわないから、ウチに寄ってもらってもいいかな?」
「ええ、かまいませんけど…」
「渡したいものがあるんだ」
「なんです?」
「恵子の手紙を見つけたんだ。健吾君宛ての」
手紙…?
恵子ちゃんからの?
「あの…今からお邪魔してもいいですか?」
「別にかまわないけど…だいじょうぶなのかい?無理しちゃダメだよ?」
守さんの気遣いを他所に、俺はただちに家を出た。
気持ちが急いて仕方ない。
それでも普段よりゆっくりと運転するよう心がけ、
一時間半ほどかけて守さんの家に着いた。
761 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2006/04/29(土) 17:05:16
浩美さんも在宅していて、ふたりで俺を迎えてくれた。
やつれた顔で明るく振舞うふたりは痛々しかった。
俺も無理矢理、笑顔を作った。
恵子ちゃんの元へ案内された。
型通りに線香を手向け、手を合わせた。
相変わらず、箱は何も語らなかった。
居間に通され、茶を出された。
それに口をつけるのもそこそこに、守さんに目で促す。
守さんは黙って頷き、件の手紙を差し出した。
桜色の小さな封筒。
表に“健吾君へ”という文字。
俯きながら浩美さんが言った。
「今日ね、恵子の部屋の整理、始めようと思ったの。
でも…途中でやめちゃった。
あの子の物を触ってたら、まだそのままにしておきたくなって…」
当然だろう。
遺品の整理をすることが、心の整理につながるとは限らない。
いや、心の整理がつかないからこそ、遺品も整理できないのかもしれない。
「今はまだ…そのままでいいんじゃないですか」
「そうよね。まだ…いいよね」
顔を上げた浩美さんは、許しを得たかのようにほっとした顔をしていた。
762 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2006/04/29(土) 17:06:11
「私らのことは気にしないで。早く帰って、読んであげて」
俺の気持ちを察してくれたのか、守さんがやさしく言ってくれた。
俺は深く頭を下げ、その場を辞去した。
車の運転がもどかしい。
早く。早く。
しかし俺の邪魔をするように道はどんどん混み始め、
とうとう高速のインターの手前で渋滞にハマった。
タバコをくわえ、イライラしながらハンドルを何度も叩く。
もう、その辺に車を止めてしまおうか。
なにも家に帰ってからじゃなくてもいいんだ。
そう思い始めた時、バックミラーに遠くの山々が映った。
(そうだ。あそこに行こう)
それはバーベキューの時に行った、恵子ちゃんのお気に入りの場所。
俺はすぐさま渋滞の列から抜け出し、Uターンした。
763 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2006/04/29(土) 17:07:01
川原の土手に車を止め、車外へと躍り出る。
封筒を握り締め、あの日恵子ちゃんと歩いた森の小道を駆けた。
緑は数瞬で流れ去り、あっという間にあの滝が目に飛び込んできた。
乱れた息を整えながら、あの時ふたりで座った岩に腰を下ろす。
と、背後に人の気配を感じ振り向いた。
今日は先客がいたようだ。
小学生くらいの男の子がふたり。
ほんの少しの間、彼らは俺を見つめ、
やがて興味を失ったのか、また遊びに戻っていった。
封筒に視線を落とす。
一呼吸。二呼吸。そして最後にもう一呼吸。
そうして心を落ち着け、封筒を開封した。
ふわっと、アリュールの香りが鼻先を漂った。
封筒と同じ桜色の便箋が2枚。
そこには俺が愛した、しなやかで美しい文字が詰まっていた。
764 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2006/04/29(土) 17:10:00
『健吾君へ
今度のデートの時に渡そうと、この手紙を書いています。
いつもおちゃらけてばっかりいる私だから、
こんな手紙を書くと健吾君はきっと笑うだろうけれど、今日はガマンしてね。
私の素直な気持ちです。
健吾君、ありがとう。
いつも笑わせてくれて。
いつも話を聞いてくれて。
いつも励ましてくれて。
いつも心配してくれて。
いつも素敵な言葉をくれて。
いつも、私を幸せな気分にしてくれて。
ありがとう。
でも私は、その何分の1でもお返しできていますか?
最近思ったの。
私は健吾君からもらうばっかりで、
何ひとつお返しできていないんじゃないかって。
つき合う前の、もうずっと昔のこと。健吾君は言ったね。
「俺は親戚とか少ないからみんなと親戚になれてうれしい」って。
そしてその言葉どおり、
健吾君は今までいつも、私やイトコ、親戚たちに優しく接してくれたね。
私たちを、大事にしてくれたね。
私はそれがすごくうれしかったけれど、反面、こう思ったの。
健吾君はずっと、さみしかったんじゃないかって。
健吾君はいつも堂々としていて、言葉も力強くて…私はそんな健吾君を
いつも“すごいなぁ”って思いながら見てきました。
でもいつだったか健吾君がご両親の話をしたとき、いつもと違う健吾君を
感じたの。
健吾君が、泣いてるような気がしたの。
健吾君はあまり詳しくは話してくれなかったけれど、
きっと辛い体験をしたんだね。
そのとき私は何も言えなかった。何もできなかった。
はじめて健吾君の心に近づけた気がしたのに、どうしたらいいか
わからなかった。
私が勝手に感じたことだし、気のせいかもしれないけれど、
でもこれからは、さみしいと感じたとき思い出して。
私はいつでも、健吾君の横にいます。
私はずっと、健吾君の手をにぎっています。
健吾君
愛してます
2005.8.21 恵子 』
恵子ちゃんからの、最初で最後のラブレターだった。
765 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2006/04/29(土) 17:10:47
ドボン、ドボンと、先程の子供たちが滝壺に飛び込んでいる。
大きな水しぶき。楽しげな嬌声。入れ代わり、立ち代わり。
咄嗟に口を手で押さえた。
そんなことをせずとも、彼らには聞こえなかったかもしれない。
俺は泣いた。
766 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2006/04/29(土) 17:11:46
あれから二ヶ月。
俺は俺の日常に戻った。
時折、無性に腹が立つ。
君という大事な要素を欠いているのに、この世界は変わらず機能しているから。
いつもと同じ朝。
いつもと同じ夜。
まるで君を忘れてしまったかのような世界。
でも俺は、この世界のそこかしこで、君を感じている。
職場に君と同じロングヘアの女の子がいる。
その後姿が君を思わせるから、見るたびいつも視線をはずしてしまうけれど、
ついついもう一度見てしまう。
通勤電車でアリュールの香りがした。
香りの主を探してキョロキョロしたんだけど見つからなかった。
でも、それでもあきらめられなくて、電車を降りるのをためらった。
本屋に行くと必ず、君からもらった本を探す。
そして見つけては安心し、指でそっとなぞる。
見つからないと落ち着かなくて、ただそれだけのために別の本屋に行ってしまう。
いなくなった君に、ずっと恋をしている。
『早く結婚してくれ』と、君は言ったね。
見たかったなぁ。
あの時君は、どんな顔をして、その言葉を言ったんだい?
毎日のように俺は、その顔を想像してる。
そしていつのまにかその顔が、俺が思い出す君の顔になってしまった。
君の願いは、俺の願いでした。
恵子ちゃん。
さよなら。
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エピローグ
767 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2006/04/29(土) 17:12:43
以上です。
まずはこのような駄文・長文にお付き合いくださったみなさんに
あらためて御礼を申し上げます。
そして重ねて、長期に渡りスレッドを放置した件についてお詫び申し上げます。
本当にすみません。
このスレッドを立てた当時、私は精神的にも肉体的にも病んでいました。
何をしていても考えることは彼女のことばかりで、
食事も睡眠も満足にとっていませんでした。
そして心身共に日に日に弱っていく中、この2チャンネルに出会いました。
お恥ずかしい話、コンピュータ業界に身を置きながら
この掲示板について全くの無知だった私は、とあるスレッドに書かれていた悩みと、それに対する多くの意見・アドバイス・励ましを拝見し、とても感動しました。
そこには真摯に相談を受ける人々と、それによって悩みから解放された人々がいました。
768 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2006/04/29(土) 17:13:39
私はこの掲示板に縋ることで楽になれるのでは…と考えました。
おかしな話ですが、家族や身近にいる友人よりも、モニターの向こう側にいる赤の他人に救いを求めたのです。
そして私は書き始めました。
仕事をしていても、寝ても覚めても、このスレッドのことばかり考えました。
ある意味、捌け口として成功していたと思えます。
文章を書くために彼女との出来事を思い出していく作業―
それは一見矛盾しているようですが、機械的なその作業に熱中することにより、
確実に悲しみや痛みが和らいでいったのです。
そして何よりみなさんからの感想、アドバイス、激励、叱咤その他諸々がますます私をこのスレッドに没入させていきました。
769 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2006/04/29(土) 17:14:21
大との件を書き終えた時、身体が悲鳴を上げました。
長らく忘れていた痛みが胸を襲いました。
しかし私はそれを軽視し、「あと少しだから」と書く手を緩めず、
会社に行くこと以外の全ての時間を(それこそ食事や睡眠をおざなりにしてでも)文章作りに費やすようになりました。
三、四日ほど経った頃。あの日は夜勤明けでした。
家に着くなり書き始め、夕方にとうとう書き終えました。
(今回アップした分です)
書き上げたことへの安堵からか、一気に疲労感に襲われた私は、
スレッドにアップする前に一眠りすることにし、ベッドに雪崩れ込みました。
そして私は、自分の身体の限界を知りました。
夜半過ぎ、激しい動悸に目覚めました。
かつてないほどの痛みに危険を感じた私は救急車を呼びました。
そして駆けつけた救急隊員の担架に揺られながら、私は気を失いました。
770 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2006/04/29(土) 17:15:10
目覚めると病院のICUにいました。
驚いたことに、倒れた晩から丸二日が経過していました。
しかも二度の手術を経た後でした。
担当医の説明に更に驚きました。
私の心臓は、数年前に倒れた時よりも格段に重い病にかかっていたのです。
その年の春に受診した健康診断ではなんの問題もなかったのに…。
担当医の問診に対し、この二ヶ月の私の生活について打ち明けました。
担当医は合点がいったという表情で私に言いました。
精神的な要因が強いですね、と。
なんとたった二ヶ月の間に、私の心は私の身体を殺す寸前まで追い詰めていました。
771 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2006/04/29(土) 17:15:51
精神が肉体に及ぼす作用というものを直に体験し、
さすがに私も驚きましたが、恐怖はまったくありませんでした。
それどころか「もうどうでもいいや」という、捨て鉢な気分を自覚しました。
ようやく2チャンネルで手に入れかけていた安らぎや解放感も、この時は霧散していました。
私の病気は決して難病というわけではなかったのですが、あと二度ほど手術をする必要があると担当医は言いました。
そしてそれに耐えられるだけの体力と気力も必要だと。
両方ともその時の私には無いものでしたが、それを取り戻す気にもなれませんでした。
772 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2006/04/29(土) 17:16:38
入院生活が始まり、母が泊り込みで付き添ってくれました。
母は常に私を気遣い、励ましてくれましたが、私の無気力さは変わりませんでした。
父やお父さん、弟妹たち、守さんや親戚の人たち、
友人や同僚、様々な人々が私の病室を訪れ、
みな口々に私を慰めてくれましたが、やはり私の心に変化はありませんでした。
そしてもはや自力で歩けなくなるほど衰弱した私は、この先に訪れるであろう己の末路をただひたすらに待ちました。
そして入院生活も一ヶ月になろうとしていた去年の暮れ、
心配した担当医と家族の勧めで、私はカウンセラーの治療を受けることになりました。
773 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2006/04/29(土) 17:17:13
そのカウンセラーは私と同い年の女性でした。
嫌々、カウンセラー室を訪れた私は、
初日から反抗的な態度で彼女の診断を受けました。
(どうせ型通りの診断だろう)、(俺の気持ちなどわかるものか)、と。
しかし返ってきた彼女の反応は実に冷静で、ともすれば冷淡でした。
正直な話、これがプロというものかと私は感心しました。
慰めや励ましの言葉に埋もれていた私にとって、彼女の態度は新鮮でした。
774 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2006/04/29(土) 17:17:45
感心したとはいえ、私は反抗的な態度を改めませんでした。
悪態をついたり無視したり。しかし悉く、彼女には受け流されました。
一週間、二週間とそれが続いた時、私の心に変化が現れました。
それまで無気力で起伏のなかった心の中に、イライラする気持ちが生まれていました。
それは彼女に対して向けられていたものでした。
いつも表情を変えずに私の相手をしている彼女を、なんとか困らせてやりたい。
あのすまし顔を、困った顔に変えてやりたい。
非常にサディスティックで、暴力的な感情でしたが、その一心が私の糧になっていたのです。
歪んだ感情に支えられ、私は毎日、カウンセラー室に車椅子を走らせるようになりました。
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775 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2006/04/29(土) 17:18:36
とはいえ、病院食もあまり口にせず、
栄養のほとんどを点滴でまかなっていた私の身体にも限界が来ていました。
1月下旬、私は再び昏睡状態になりました。
三日後、私は目覚めました。
ICUのベッドの上、様々なチューブを身体に纏いながら、私は
(あーあ、また生き延びてら、俺)
と、生に感謝することなく己の悪運を恨めしく思っていました。
それから更に四日後、個室に戻った私の元にカウンセラーの先生がやってきました。
空元気を振り絞って相も変わらずに毒づく私をにらみ、彼女は一言、
「馬鹿じゃないの?甘えるのもいい加減にしたら?」
そう言い捨て、病室を出て行きました。
唖然としました。
彼女の目には涙が溜まっていました。
776 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2006/04/29(土) 17:19:14
翌日、私はカウンセラー室を訪れました。
さすがに悪態などつけようはずもなく、恐る恐る彼女の顔色を伺いながら話しかけました。
彼女は私の顔など見ず、ただ生返事をするだけ。
私は居た堪れなくなり、この日は早々に退散しました。
その後も毎日、彼女の元に通いました。
あの時の涙が気になっていた私は、まるで彼女の機嫌をとるかのようにカウンセリングに身を入れました。
777 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2006/04/29(土) 17:19:48
10日ほども経った頃には彼女の態度もようやく軟化し、以前よりも穏やかに会話ができるようになりました。
まだ気持ちは前向きとは言い難かったのですが、私は彼女に、親身になってくれていることへのお礼を言いました。
「仕事だから」と言いつつも、彼女は照れ臭そうに笑っていました。
お互いに打ち解けた気がした私は、彼女にあの時の涙の意味を尋ねました。
778 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2006/04/29(土) 17:20:28
単に親身になってくれていたから泣いたのだ…そう思っていました。
しかし彼女が訥々と語ってくれた話は、そんな単純なものではありませんでした。
彼女は旦那さんを亡くしていました。
同じ精神治療の現場に身を置いていた旦那さんは、職場では尊敬すべき師であり、家庭では優しく申し分のない夫だったそうです。
その頃の二人は都内の大病院に勤務していたそうで、きっと二人の前途は、明るく希望に満ちていたことでしょう。
しかし6年前、旦那さんを病魔が襲いました。
私と同じ心臓の病で、私のそれよりも数倍重いものだったそうです。
そして皮肉なことに、それと前後して彼女の妊娠も判明しました。
779 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2006/04/29(土) 17:21:01
新しく生まれてくる命のためにもがんばって、と彼女は病床の旦那さんを励ましました。
しかし元々エリート意識の強かった旦那さんは、
病気が自分のキャリアに傷をつけたとひどく落胆し、自暴自棄になったそうです。
担当医ばかりか、妻である自分の言うことも聞き入れなくなった旦那さんは
日毎に衰弱し、わずか半年足らずの闘病で亡くなられたということです。
彼女の言った言葉が今でも耳に残っています。
「彼は闘病なんてしなかった。あれは自殺のようなもの」
780 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2006/04/29(土) 17:21:35
全てが終わった後、お子さんが生まれました。男の子でした。
以来、彼女は息子さんと二人で生きてきたそうです。
私の膝に手を乗せ、彼女は最後にこう言いました。
「心を持っているのはあなたひとりだけじゃないの。
あなたの周りには、あなたの心を“思いやる心”がいっぱいあるのよ」
781 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2006/04/29(土) 17:22:07
翌朝、私は入院してから初めて、食事を残さず平らげました。
すっかり小さくなった胃袋には拷問のようでしたが、なんとか詰め込みました。
病気を治そうと思いました。
前進しようと思いました。
他人の悲話を聴いて自分を見つめ直す…陳腐なメロドラマのような話です。
でも私が、今の前向きな気持ちを抱く第一歩でした。
782 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2006/04/29(土) 17:22:42
それからは順調に体力も戻っていきました。
時折、思い出して瞼を晴らしたこともありましたが、
無理矢理にでも顔を上げ続けました。
そして三月末、体力的にも精神的にも万全となった私は、3回目の手術に臨みました。
手術前の面会にはたくさんの人々が私の病室を訪れました。
家族や親戚、友人、同僚、カウンセラーの先生までもが来てくれ、私は
「大袈裟だなぁ、みんな(笑)」
と笑いながら手術室に入ったおぼえがあります。
…しかし、後から知ったのですが、決して大袈裟ではなかったのです。
私が無気力でいた頃、母は幾度となく担当医に言われていたそうです。
「手術日が延びれば延びるほど、成功率も下がっていきます」と。
そして手術前夜に母が聞かされていた成功率は50%をきっていたそうです。
きっと面会に来ていた誰もが(見納めだな、こりゃ)と思っていたのでしょう(笑)
…私も今だからこそ笑えるのですが。
783 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2006/04/29(土) 17:23:16
手術は8時間にも渡りましたが、私は無事に目覚めることができました。
術後、ICUには父と母とお父さんだけが通されました。
母が言いました。
「扉の向こうにはみんながまだ残ってくれてるの」と。
うれしかったです。泣きました。
784 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2006/04/29(土) 17:24:04
入院当初に担当医から言われていたとおり、
あと一回、最後の手術を受けなくてはいけませんでした。
しかもそれまでは薬の投与が続くため、必然的に体力も落ちてしまうとのこと。
担当医は厳しく、私に体調管理の徹底を命じましたが、
私は素直に言いつけを守る気になれていました。
それからの日々は病院側の管理に従い、また自己管理にも努めました。
体力を完璧なまでに維持し、車椅子の世話にもならなくなりました。
一見すると健康体かと思えるほど、血色も良くなりました。
カウンセラー室にも毎日通い、精神状態も良好でした。
ある時、カウンセラーの先生が私に質問しました。
「手術が終わった時、どんな気持ちだった?」
私はありのまま答えました。
「うれしくて、怖かったです」
「怖かった?」
「後から、実は成功率が低かったって聞かされて…。
もしかしたら俺は死んでたかもしれないんだって思ったら、震えました」
「…そっか。うん。
もう…この部屋に来てもらわなくてもいいかもしれないなぁ」
「…もうカウンセリングの必要がないってことですか?」
「そう。怖かったってことは、生きてるのがうれしいってことだからね」
その言葉と彼女の笑顔がとてもうれしかったです。
785 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2006/04/29(土) 17:24:49
4月の中頃。
このまま順調に行けば4月末には最後の手術をすると、担当医が言いました。
そして前回よりも成功率は高くなるだろうとも。
担当医は「まず問題ないですね」と満面の笑顔でした。
その頃、私は気にかかっていたことがありました。
それはまさに今、開催されているだろう恵子ちゃんの書展のことでした。
守さんから聞いていた会期は4月一杯。
手術が成功しても退院まではまだまだかかることでしょう。
到底、間に合いません。
恵子ちゃんの作品は入選ばかりか、特別な賞まで獲得していました(賞の名前は失念しました)。
そのため5月以降は全国を盥回しにされます。
この機会を逃すといつ会えるのか見当がつきません。
ダメモトで担当医に懇願しました。二日、外泊許可をくださいと。
一日は書展のために、もう一日は恵子ちゃんの墓参りのためでした。
当然ながら担当医は難色を示しました。
ちょっと考えさせてと、すぐに結論はもらえませんでした。
786 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2006/04/29(土) 17:25:43
二日後、担当医が許可をくれました。
ただし条件付き。
・外泊は一日だけ。横浜の自宅でのみ。
・外出してもいいが長距離はダメ。
・外出時は病院側の付き添い(看護士さんとカウンセラーの先生)がつく。
・その他、食事制限や細かなことetc.etc.
一日だけかとちょっと不満に思いましたが、
つい最近まで死にそうだった男なのですから文句は言えません。
恵子ちゃんには申し訳ないけれど、墓参りは退院してからということにしました。
そしてそれからはますますリハビリにも熱が入りました。
787 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2006/04/29(土) 17:30:28
そして今、私は横浜の自宅にいます。
付き添いの母が外出したのでこれ幸いとばかりにこの文章を書いています。
(医者からパソコンは禁止されているのです。母は夜まで戻らない予定ですが、
アップし続けるうちにこんな時間になってしまいました。大量過ぎですね。
親の目を盗んで悪さをしている小学生のように、今はドキドキしてます(笑))
入院中、何度もこのスレッドのことを思い出しました。
正直な話、スレッドを放置してみなさんに迷惑をかけたということよりも、
自分にとって大切な存在をほったらかしにしている…、
そんな思いが強かったです(すみません)。
母が外出するとすぐにパソコンを起動しました。
そして先程このスレッドを発見し、とてもうれしく思いました。
過去にいただいたみなさんからのコメントを読み返し、涙がでました。
入院前のあの当時もみなさんのコメントに救われてきましたが、今はまた違った、もっと温かな感情が胸をしめています。
788 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2006/04/29(土) 17:31:42
ただ削除依頼が出されていたのはショックでした(あれは私ではありません)。
そこまで嫌悪されていたのか…
と、正直、続きをアップするのを躊躇いました。
しかし…どうかお許しいただきたい。
「最後まで書き上げたい」
という私のくだらない願いを、どうか許してください。
また、私の文章が創作であるとお思いの方々もいらっしゃいました。
ライターだった時の癖でついつい小説然とした文体となり、また内容も三文小説にも劣るものですから、そう思われるのも当然でしょう。
それに対し、創作ではないと証明する術は私にはありません。
勝手な物言いですが、みなさんのご判断に委ねさせていただきたいと思います。
それと、私の文章に似たスレッドがあるとおっしゃった方がおられましたが、
私が2チャンネルに立てたスレッドはこれひとつです。
これまた証明する術はありませんが…。
789 名前:1 ◆6uSZBGBxi 投稿日:2006/04/29(土) 17:33:01
みなさんそれぞれのお考えでこのスレッドを存続させてくれたのだと思います。
純粋に待っていてくださった方。批判として保管してくださっていた方。
しかし、そのどなたにも感謝を申し上げます。
みなさんのおかげで、私は最後のけじめをつけることができました。
明日、私は恵子ちゃんの作品を観に行きます。
彼女の最後の作品です。
看護士さんとカウンセラーの先生(と、その息子さん)が付き添ってくれますが、
きっと私は、憚ることなく泣いてしまうでしょう。
しかし明日は、明日だけは勘弁してもらおうと思います。
それで最後にしますので。
明日の夜には病院に戻ります。
私がこのスレッドに来ることももうないでしょう。
退院にはどれくらいかかるのか…それは私次第ですが、恐らく、その時にはこのスレッドはなくなっていることと思います。
みなさん、本当にありがとうございました。
長々と…本当に長々と失礼いたしました。
さようなら。
参照元:https://love3.2ch.net/test/read.cgi/lovesaloon/1131655290/l50