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師匠から聞いた話だ。
1 アンタッチャブルってことですか
大学2回生の冬のはじめだった。
僕は師匠に連れられて、タカヤ総合リサーチにやってきた。何度も来ているので、いまさら驚くこともないが、これが自社ビルだという。
「どうした。いくぞ」
見上げていると、ためいきが出そうになる。同じ興信所なのに、我らが小川調査事務所との格差を思い知らされるのだ。
なかに入ると、もう暖房が入っているらしい。ふわりとした空気の膜を感じた。まだ冬もはじまったばかりで、それほど寒くないというのに。僕は、小川調査事務所に暖房が入ったのは、去年のいつごろだっただろうか、と考える。
あいかわらず整然と並んでいるデスクと、忙しそうに書類を作っている数人の調査員の姿がある。見知った顔ばかりなので、僕らを見ても一瞬視線を向けただけで、そのまま仕事を続けている。
受付の奥にいる事務員の市川さんのところへ行こうとすると、向こうから大きな声が出迎えてくれた。
「あらぁ、加奈子ちゃんじゃない」
「いらっしゃい」
あとのほうがベテラン事務員の市川さんだ。先に声をかけてきたのは、大きく盛った紫の髪の毛に、大きな黄色い縁取りのサングラスがど派手な、おばさんだった。
「仁科さん、なにしてるんですか」
「なにって、市(い)っちゃんと、ちかごろの景気についてお話していたところよ」
仁科さんとは、いつも師匠に『オバケ』案件を紹介してくる女性だ。O市の中心街で代々手広く商店を経営している家に生まれ、婿養子をとってからその旦那に商売をまかせて、自分は婦人会をはじめ、商工会やらコミュニティ活動やらと様々な会合の役員をしている。世話好きで、噂好き。毎日たくさんの情報が仁科さんのもとに集まり、そのなかから、困りごとをよりすぐって、タカヤ総合リサーチや小川調査事務所に紹介しているらしい。もちろん、小川調査事務所に回ってくるのは、普通の興信所では扱えない、不可解な事案ばかりだ。
「加奈子ちゃん。あら、助手の坂本くんも。どうしたの2人して。あー、とうとう高谷所長のところに転職する気になったのね。そうでしょう、そうでしょう。あんなところにいたんじゃね。宝の持ち腐れだわ。小川クンにはかわいそうだけどね。なにしろ稼ぎ頭が引き抜かれたんじゃ、やってらんないもの。そうだわ、いっそ小川クンも戻ってくればいいのに。これだけ机あるんだから、どっかあいてるでショ。そうしなさいよ。ねぇ市っちゃん」
「そうねえ。所長もまんざらじゃないみたいだけど」
「ちょっと、なに2人で勝手なこと言ってるんですか。所長に会いに来ただけですよ。電話しておいたでしょう」
「あら、そうだったわ。パチンコでも打ちに行ってなかったら、いると思うけど」
市川さんはチラリとフロアの奥のほうを見る。
「なに言ってるんですか。奥の所長室から外に出ようとしたら、ここ通るでしょ」
たしかに、1階の事務室は見通しのいい吹き抜けのフロアになっている。
師匠のつっこみに、市川さんは怪談話でもするように身を乗り出し、声をひそめて言う。
「それが、ときどき、いつのまにかいなくなってるのよ。あれはきっとニンジャの血でも引いてるのね」
「なんスかそれ」
師匠はあきれている。
「ニンジャといえば、市っちゃん、あたしこないだ伊賀の忍者の里に行ってきたのよ」
「あら、お土産もらってないわよ私」
そんなかしましい2人の前を通り過ぎて、僕らはフロアの奥に向かった。
「あ、そういえば加奈子ちゃん」
まだ仁科さんがなにか言っている。
「なんですか、もう」
「よいしょっと」
仁科さんは、陣取っていた受付の横の椅子から重い腰を引っこ抜くようにして、立ち上がった。じゃらん、じゃらんと近寄ってくる。服装やアクセサリーの類もゴテゴテしていて、いったいどれがそんな音をたてているのか、判然としない。
「あなた最近疲れてるんじゃない?」
「はあ? なんでですか」
「あたし、人を見る目はたしかなのよ。なんというか、こう、生気がなくなってきてる感じ」
僕は一瞬、ドキリとする。脳裏に、主治医の鹿田教授の検査を受けにいく師匠の姿が浮かんだ。
「こんな若い子のお相手してるからじゃない? ほどほどにしなさいよ」
急に下品な声で笑いはじめる。
「僕はそんなんじゃないですよ」
思わず抗議する。
「そう。むしろそんななら、生気を吸収してるんじゃないの」
師匠は、アホくさ、と言って去ろうとする。そこに、仁科さんが笑いを引っ込めたかと思うと、肩に手をやって止めた。
「あたし、最近、この街がおかしいこと、気づいてるのよ。急にオバケの相談増えたじゃない? まわりにも、変なもの見たり、聞いたりした人いっぱいいるのよ。こないだの、空から聞こえたギィギィうるさい音もそう。あたしちょっと、反省してるのよ。そんなときにさ。あなたにいろいろ押し付け過ぎたんじゃないかって」
「いやいや、ありがたいことですよ。仁科さんからの紹介案件は、小川調査事務所の貴重な収入源ですからね」
師匠はやんわりとその手をどかした。
「なにか困ったことがあったら、相談してね。あたし、これでも顔が広いんだから」
「重々承知していますよ」
師匠は苦笑して、頷いた。
そうして、ようやく僕らは所長室に向かった。
重そうな扉をノックすると、なかから返事がきこえた。
「お邪魔します」
「やあ、儲かってるか、きみたち」
重低音の声が、僕らを迎えた。タカヤ総合リサーチのオーナー兼所長、高谷英明氏だ。もと県警本部の捜査第一課長で、途中退職してからこの興信所稼業に身を乗り出し、大成功をしてあっという間に自社ビルを持つまでに至った、立志伝中の人物である。
海外にもよくコースを回りに行くというゴルフ焼けで、もう冬だというのに、肌がテカテカと黒光りしている。
僕は、以前に師匠から、「ああいう色のゴキブリいるよな」と言われて以来、会うたびにそのシルエットが重なって見えてしまうようになっていた。
「まあかけたまえ。マカダミアナッツ食べるかい?」
60歳を越えているはずだが、年齢を感じさせない、精力的な印象を相手に与える人だった。その高谷所長が、マカダミアナッツの大きな箱を棚から持ってきながら、「お?」と言ったかと思うと、額から触覚を抜いた。僕は驚いてしまった。
僕には、Gの姿と重なってそう見えたのだが、実際のところは、オールバックの髪からツン、と前に1本飛び出ていた白髪が気になって抜いたようだ。
僕らは所長室のソファで、しばらく雑談をしていた。
「ははは、そりゃあ、市川さんがうたた寝でもしてるんだよ。僕はちゃんと声をかけてから出るから」
「パチンコにですか」
「いやあ、最近はこれさ」
そう言ってなにかを混ぜるように両手を動かす。
「フリー麻雀ですか。今度僕も連れて行ってくださいよ」
「いいとも。でも僕のやってるところは、レートがこれだからねぇ」
5本の指が見えるように広げられたそれが意味するのが、どんなレートなのか正直わからなかったが、僕は生唾を飲んでひるんでしまった。
そんなことを話しながら、ようやく師匠が今日高谷所長を訪ねようと思ったその本題を切り出した。
「所長。ヤクモ製薬の本社ビルをご存知ですよね」
「うん? もちろん知ってるよ。何度かなかに入ったこともあるけど」
「角南グループの系列だというのも?」
「それは情報商売の人間じゃなくても、知ってることだろう」
「ヤクモ製薬本社ビルに、地下があるのをご存知ですか」
高谷所長のにこやかな顔が、一瞬固くなったのが僕にもわかった。
「地下とは?」
「地下鉄ですよ。その遺構だと言っていましたけど。私たちはこの目で見ました」
「Oh」
高谷所長は大げさな身振りで額に手をやった。
「あれを見たのか」
「ええ」僕も頷いた。
「すぐに捕まって追い出されましたけど、あれはかなり遠くまで伸びているようにも見えました。いったいどこまで完成しているのか、ご存じないかと思って」
「なんてこった」
おちゃめな態度で首を振りながら、わざとらしいため息をつく。「どうしてそれを僕に?」
「捕まったあと、角南家の本家に連れて行かれて、そこで聞かされたんですよ。あれは、県や市や警察の幹部も知ってるって」
「ほう。それは大冒険だったようだね」
高谷所長ははぐらかすようにそう笑った。
「所長は県警本部の警視で、捜査第一課長だった人です。天領の本部長や警務部長には知らされないでしょうが、生え抜きの刑事部長には申し送り事項だったはずですよ」
「僕は刑事部長にはなれなかったんだけどなぁ」
「幹部の定義はわかりませんが、刑事部長以外にも現場指揮をするトップは知っていてもおかしくないでしょう。特に、キレ者で鳴らしていて、次期刑事部長確実って言われていた高谷さんなら」
「ううむ。もっと言ってくれよ」
「ハンサムにして、キレモノ!」と僕が合いの手を入れると、師匠に、「うるせぇ」と怒られた。
「ああ、知っていたとも」高谷所長は観念した、というように両手を広げた。「もっとも、この目で見るまでは眉唾物だと思っていたがね」
「見たんですか」
「隠された秘密の地下鉄、なんて聞いた日にはね。だって考えてもごらんよ。市内の渋滞に巻き込まれることなく、市電のダイヤや路線とも関係なしに、だれに目撃されることもなく、地下を通って、目的地に最短で行けるとしたら。この市内で起きる殺人事件のアリバイにも、関わってくる問題だ」
「あ、なるほど」
僕はいまさらながら、そのことに気づかされた。時刻表トリックもののミステリでもありそうな話だ。いや、秘密の地下鉄なんてトリックが、かつてあっただろうか。大都会ならまだしも、こんな地方都市で。僕ならミステリを読んでいて、いきなりそんなものが出てくると、怒ってしまいそうだ。
「それで、確認させてもらいに行ったんだけどね。もう10何年も前の話だ。もちろん、地下鉄の車両は地下に設置されてはいなかった。そして、線路だけど、東西どちらも150メートルほどで行き止まりになっている。壁にぶつかるんだ。地面を掘り進めている途中で、工事をやめたんだね。あるいは、最初からそこまでの規模の、実験的な事業だったのかも知れない」
「東西150メートル、あわせて300メートルか」
師匠が顎に手をやってつぶやく。
「地下鉄敷設の実験にしては、大規模すぎませんか。いったいどれだけ金がかかってるのか」
僕の問いに、高谷所長が答える。
「角南一族は、うなるほど金持ってるからねぇ。それに酔狂だ。金持ちのやることはよくわからないよ」
「でもとにかく、あの地下鉄は、路線としては1区間も完成してないということですね」
「ああそうだ。いまとなってはもうわからない経緯で、代々の秘密の申し送り事項になってしまっている。県警や行政側としては、そんなもの、とっとと埋めてしまってもらいたいさ。もっとも、そう迫って、強制執行でもしろと開き直られたら、そんな大工事の予算、とても捻出できないんだけどね」
高谷所長はため息をついた。
「それにしても、ずいぶん危ないところに首を突っ込んでるなあ。角南グループは、というか角南家は、県警でも相当にアンタッチャブルな存在だよ」
「所長は、『老人』と呼ばれる人を、ご存知ですか。角南大悟という人物を」
「……ああ、いまのグループ会長と、県議会議長の父親だね。僕も若いころに本人を見たことがあるよ。遠くから。あの当時で何歳ぐらいだったかなぁ。亡くなる少し前だと思うけど」
「どんな人でした」
「枯れ木のように細っていたけど、目が爛々としていて、迫力というか、一種異様な、魅力のある人物だった」
「その角南大悟を、いまでもどこかで見た、なんてことはないですよね」
「おいおい。死んでから何十年経つと思ってるんだ」
「じゃあ、その角南大悟の孫にあたる、角南大輝さんはご存知ですよね」
「もちろん。医療法人ヤクモ会の理事長だ。以前ゴルフで、コースをご一緒したこともあるよ。あれはなんの付き合いだったかな」
大柄で、日焼けした2人が並んでグリーンに立っているところを想像して、似合うなあ、と思ってしまった。
「大輝氏の子どものことを知っていますか」
「子ども? たしか2人いるという話だったなぁ。女の子のほうはゴルフ場で見たよ。まだ小さかったな。息子さんは会ってないけど」
「真悟というそうです。20代なかばで、いまはヤクモ製薬に入社しています」
「ほう。それがなにか」
「彼について、なにか噂を聞いたことがありませんか」
「ふうむ」
高谷所長は、腕組みをして、ソファに深く座りなおした。師匠の頭からつま先までを眺めて、質問の意図を読み取ろうとするような様子だった。
「ないね。悪いけど」
「ヤクモ製薬の超能力研究機関についても?」
「なんだいそりゃ」
「金持ちの酔狂ですよ。ご存じないなら、いいです。すみません」
「……」
高谷所長は、なにか考えているような表情を浮かべていたが、やがてゆっくりと口を開いた。
「2年前くらい前に、管内で不思議なホトケが上がったんだ。詳しくは聞いていないが、なんでも、身元不明の男が、コンクリートに埋め込まれるようにして、死んでいたらしい」
「コンクリ詰めですか」
「いや、それならヤクザのケジメでもたまにあることだ。そのホトケは、体の一部がコンクリートと同化しているみたいな、不思議な状態になっていたそうだ。一般には公表はされてないけどね」
「なんですかそれ、気持ち悪いですね」
僕がそう言うと、続けて師匠は、「犯人は捕まったんですか」と訊ねる。
「残念ながら、お宮入りだ。被害者も、どこのだれだか、結局わからなかったようだ。ただ、捜査線上に、ヤクモ製薬の社員が上がったと聞いたよ。最終的にその線は消えたらしいけど」
「どうしてヤクモの社員が?」
「胃の内容物に、薬の痕跡があったんだ。溶けきっていないカプセルが残っていたとか。そのカプセルがヤクモ製だったから、残っていた成分について問い合わせたら、開発中の新薬の可能性が浮上したそうだ。そうなると、話が変わってくる。ヤクモ製薬がこの件に、関わっているんじゃないかってね」
「それで、どうして疑いが晴れたんですか」
「それはよくわからない。捜査段階での疑いが晴れた経緯がよくわからないってことは、それは永遠にわからないようになるってことだ」
僕は高谷所長の、禅問答のような説明に、煙にまかれた気分になったが、師匠は顔を歪ませて唸っていた。
「アンタッチャブルってことですか」
所長は首をすくめて、なにも言わなかった。
「極秘の捜査情報なのに、よくご存知ですね。さすがいまでも県警に太いパイプがおありだ」
「いや、有効なパイプを持つには、細くて目に見えないパイプにすることがコツさ。さて、そろそろ次の約束があるんだ。もう失礼していいかな」
高谷所長はキビキビと立ち上がった。僕らもしかたなく立ちあがる。部屋を出るとき、師匠が振り返って、ぼそりと言った。
「所長。地下鉄の工事で、地面の下を途中まで掘ってやめているのに、どうして線路を敷いたんでしょうね。どこにもたどりつかない線路を」
「うん?」
「そうして、戦前に県議会にもはかった地下鉄計画の頓挫を、はっきり見える形で置いておく。まるで、なにかのカモフラージュみたいに思えませんか」
「なんのカモフラージュだね」
「……東京の地下鉄って、いろんな路線が入り組んでいて、ぶつかってしまわないように、多層化されているところもあるそうですね。地下鉄の地下に、さらに別の地下鉄が走っているなんてことも」
「えっ」
僕はそれを聞いて、師匠の考えていることが見えてしまった。
「なにを言っているんだね」
高谷所長も察したのか、困惑した顔で唸っている。
「さあて。金持ちの『たぶれごころ』は、よくわからないってことですよ」
師匠はそう言って笑った。