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328: 本当にあった怖い名無し 2013/03/09(土) 08:30:09.66 ID:2b02pRld0
喜納昌吉&チャンプルーズの「ハイサイおじさん」
近所のたんなる変なおっさんのことを歌ったものだと思っていたが
コンサートで喜納氏が語る話を聞いて驚愕した
このおじさんは喜納家の隣に住んでいた人だが、太平洋戦争の沖縄戦後に
戦争未亡人や浮浪者になった女の人を次々と家に引き込み
そのことが原因で奥さんが精神異常をきたし
自分らのまだ小さい娘の首を切り落として鍋で煮るという事件を起こした
このためおじさんは長いこと村八分の状態で、ただし喜納家ではいくらか優しく接していたため
アル中状態のおじさんがたびたび酒をもらいにくるようになった
喜納氏はこんなおじさんに元気を出してもらいたいと思い、この歌を作ったのだという
そのことを知ってこのあたりの歌詞を読むと実にブラックな味わいがある
>年頃なたくと 妻小ふさぬ うんじゅが汝ん子や 呉みそうらに
(標準語訳 年頃になったから女房が欲しいんだけど おじさんの娘をくれないかい?)
以下、Wikipediaの「ハイサイおじさん」詳細
ハイサイおじさん
『ハイサイおじさん』は、沖縄県のミュージシャン「喜納昌吉&チャンプルーズ」の代表的な楽曲である。
概要
喜納昌吉のデビュー曲であり、喜納が中学生の時に創作された。歌詞は実体験を元にしている。「ハイサイ」とは沖縄の言葉で「こんにちは」の意。1969年に沖縄の地元レコード会社マルフクレコードから発売の民謡集のアルバムに初収録。1972年にシングルカットされ、30万枚[1]の大ヒット。同年、ロックミュージシャンの久保田麻琴のアルバム『ハワイチャンプルー』でもカバーされた。
沖縄民謡のリズムや音階をベースにした非常に明るく踊りやすい楽曲であり、いわゆるウチナーポップの先駆者的な楽曲である。当初は「民謡ではない」との批判も多かったが、現在では創作民謡として定着し、カチャーシーの定番曲にも数えられる。
歌詞では、近所に住む「おじさん」(女性ヴォーカルが担当)と、そのおじさんに「ハイサイ、おじさん」から始まる挨拶で話しかける少年(喜納昌吉が担当)とのやりとりが明るくコミカルに描かれる。「おじさん」は、酒飲みで少年に屁理屈をこねる存在として描かれており、少年もまたおじさんの屁理屈に屁理屈で対抗するようなやりとりを見せる。このおじさんのモデルは実在の人物であり、彼に語りかける少年は昌吉自身であるとされる。
喜納はこの曲の由来についてインタビューや自著で度々触れており、あっけらかんとした楽曲の背景にある沖縄戦の傷跡を生々しく語っている。この「おじさん」はかつて喜納家の隣人であったが、妻が精神に異常をきたして実の娘の首を切り落とし鍋で煮るという事件を起こしたために村八分同然の身となり、以前から交友のあった喜納家に酒を無心に来るようになったのだという。この孤独な「おじさん」との触れ合いの中で「おじさんに歌を作ってあげよう」と思い立った昌吉が生まれて初めて作詞作曲したのがこの「ハイサイおじさん」である。
NHJ Music Storeでは「「ハイサイおじさん」のモデルはもともと校長先生にまでなった優秀な人だったのだが、沖縄の戦乱の中でアル中になり狂ってしまった実在の人物である。そんな彼を、少年時代の昌吉は沖縄の伝統的共同体のやさしい眼差しで歌っている。」との解説がある[4]。また、2011年7月9日付朝日新聞朝刊土曜版beの「うたの旅人」において、二面に渡ってハイサイおじさんの詳細が掲載されている[5]が、こちらでは校長だったというのは虚言で[注釈 1]、戦前は遊廓で働く馬子であったことや、妻の狂気の原因が、おじさんの酒量が増え、戦災でホームレスとなった女性たちを家に連れ込むようになったことにあったなど、細かい事情が説明されている。
全国的ヒットへ
沖縄県外ではまず関西圏でヒットした。1976年春、大阪のラジオパーソナリテイの中村鋭一が沖縄旅行中にこの曲を聴いて気に入り、キダ・タローのアレンジで吹き込んで発売(テイチクレコード A-95)。このレコードのB面には日本語対訳篇(中沢修一訳)が収録されており、適度に沖縄語を残しながら、本来の語呂の良さを崩さずに対訳する秀作であった。同年、喜納自身も中村鋭一の番組「おはようパーソナリティ中村鋭一です」に出演して、「ハイサイおじさん」他数曲を演奏した。この時はスローテンポのヴァージョンであった(ラジオだと、ビートたけしのオールナイトニッポンのエンディングにも流れていた。下述)。
全国的に知れ渡ったのは、1977年11月にアルバム『喜納昌吉とチャンプルーズ』収録の、沖縄民謡のテイストを残しつつもアップテンポのロック調にアレンジされたヴァージョン(編曲は矢野誠)である。アルバム『喜納昌吉とチャンプルーズ』は全曲ライブ録音されている[注釈 2]。ライブ収録された場所は喜納が経営していた民謡クラブ「ミカド」だという。沖縄県発の全国区ヒット曲の走りともいえる。現在の沖縄県では新作の沖縄民謡として認知されている。
最初のレコードシングル盤は地元のマルフクレコードから出された(喜納昌吉と喜納チャンプルーズ名義)。その後メジャーデビューし、フィリップスレコードでも出された。マルフク盤とフィリップス盤の物はバージョンが違っており、マルフク盤はマルフクレコードが沖縄のローカルレーベルであるということもあって伝統的な沖縄民謡アレンジになっている。一方フィリップス盤は、先述したアルバム『喜納昌吉とチャンプルーズ』収録の沖縄民謡のテイストを残しつつもアップテンポのロック調にアレンジされたヴァージョンである。ジャケットにその頃ライブ音源を用いたシングル盤に記されていた「実況録音盤」とは記されてはいないが、アルバムと同じライブ音源を用いている。そのフィリップスから出されたメジャーシングル盤のジャケット画を描いたのは、赤塚不二夫である。なお、アルバム『喜納昌吉とチャンプルーズ』と同じイラスト(河村要助作)のジャケット違い盤も存在する。その後もリメイクバージョンが日本コロムビアからCDシングルで出されている。日本コロムビアは本作の最初のマルフクのシングル盤のレコードの製造元でもあり、シングル盤の袋も同社の物だった。
逸話
志村けんが「志村けんのだいじょうぶだぁ」(フジテレビ)のコントの中で歌った「変なおじさん」は、この曲の替え歌として非常に有名[6]。1992年には第二電電(現・KDDI)のCMでも替え歌のCMソングが流れていた。ニッポン放送のラジオ番組『ビートたけしのオールナイトニッポン』のエンディングテーマとしても使われていた。沖縄県のレゲエユニットU-DOU&PLATYが3枚目のアルバム『BUSS UP』でカバーしている。
現在では、那覇空港のターミナルビル内で、航空会社による搭乗便関係のアナウンスの際の効果音に利用されている。