師匠シリーズ

【師匠シリーズ】双子 2/4

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「私たち、O大学の学生で、庚申塔とか道祖神を見て回っているんです」
 今日何度目かの説明をした師匠に、男性は、「そうですか」と静かに返事をした。
「宮司の月本です」
「あ、どうも。こちらは岩倉神社という名前ですよね。かなり古い神社のようですが、いつごろからあるんでしょうか」
「安和(あんな)元年と伝えられていますが。もっとも、建物は何度か造りかえられているはずです」
「安和って、千年くらい前ですよね。平安時代だ。歴史があるんですね。岩倉というと、もしかしてこのあたりに大きな石があったんですか?」
「……いまはありません。昔は、といっても、それこそ当神社が開かれたころで、大昔の話ですが。磐座(いわくら)と言われる大きな石があったそうです。この天神山の麓に」
 宮司はそう言って、社殿の奥の山を指さした。師匠と僕も、そちらを見上げる。
「あの尖った山は天神山と言うんですね。やっぱり、巨石が岩倉神社や岩倉村の由来でしたか。でも、あった、と言うのはどういうことなんでしょう。どちらかに移したのですか?」
「いえ、それが不思議な話ですが、社伝によると、砕けたとされています」
「砕けた?」
「はい。千年ほど前に、天狗星がこの地に落ちたそうです。天狗星によって、磐座が砕かれ、天神山にも亀裂が入ったと伝えられています」
 宮司は表情を変えず、淡々と話している。よそ者に対する警戒心なのか、普段からこんな調子なのかはわからなかった。
「天狗星……」
 師匠とは僕は絶句した。レイラインで繋がっている、新城村と同じだ。隕石が落ちたという伝説が、ここにもあった。これは、偶然なのか?
「この岩倉神社は、そのあとにできた神社です。この地の神を慰め、天変地異の混乱から人心を救うためにできたのではないでしょうか」
「その、磐座があったという場所には行けますか?」
「いえ、申し訳ありませんが。今でも聖域ですので、立ち入りはできません」
「聖域、ですか。天神山には入れますか」
「いいえ。天神山も同じで、地元の者でも入れません」
「入会権(いりあいけん)ってやつですか」
 師匠は垣根の奥に広がる、山の裾野の木々を眺めながら口元をゆがめた。
「実は、私たちの恩師が以前、こちらの神社を訪ねたことがありまして。そのときに、宮司さんから、この岩倉村のある伝承について聞かされたそうです」
 師匠が、あっけらかんとした口調を改め、どこか挑むような声色で話し始めた。
 行った。攻め入った。僕はごくりと生唾を飲んだ。始まったからには、もう行くしかない。そんな気分だった。
「人は、すべて男児と女児の双子で生まれるという民間伝承です。片方は現世に、片方はあの世に生れ落ちる。その理が崩れ、現世に双子として生れ落ちたものは、どちらかが、あの世に生まれるはずだった、忌み子として扱われると」
 師匠は、宮司の顔を正面から見つめている。宮司は視線をそらさずに、「それを、だれから聞いたと?」と言った。
「30年ほど前に、この神社の宮司から聞いたそうです」
「それならば、私の父ですね」
「お父様はいま?」
「10年前に亡くなりました」
 ふう、とそこで息を吐いて、宮司は「どうぞ、上がってください」と社務所のなかへ僕らを案内した。
 畳敷きの部屋に通されて、僕らは向かい合って座った。宮司の背筋はピンと伸びていて、僕も思わず背筋を伸ばして正座をした。師匠は猫背で、挑発的に見上げている。
「勘違いされては困りますが、その伝承はもう昔の話です」
「では、双子を忌む慣習自体はあったんですね」
「ありましたが、いまでは私どもも、言い伝えを聞かされているだけです。男子と女子の双子が生まれたら、どちらかを里子に出していたと」
「里子、というのは村のなかでですか」
「……」
 宮司は目を閉じた。それを見て、師匠は畳みかける。
「村の外ですね。里子に出したのは。そうでなくては意味がない。古来より、人の住む『里(サト)』と、その外の世界には断絶があります。サトから一歩出れば、そこは異界です。地続きの異界。イザナギが行った黄泉の国は、黄泉比良坂で隔てられた、現世と地続きの異世界でした。だから、サトとその外の境には道祖神が置かれ、招かれざる禍(わざわい)を、悪霊を、塞ぐのです。この村の入り口にも、大きな道祖神がありました。サトとソトの概念を、村の人々が昔から意識していた証です。間違って現世に生まれたこどもは、あの世に返す必要がある。だから、里子に出すなら、村の外だ。サトという共同体のなかにいてはならない。そうですね」
「……古い話です。戦前には、そうしたこともあったと、聞いたことはあります」
「戦前って。だって、僕らが聞いたのは」
「ちょっと黙ってろ」
 依頼人のことを言いかけた僕を、師匠が瞬時に押しとどめた。
「古くは、間引きがあったのではないですか。あの世に返す、もっとも確実な方法ですから。近代化以後、それも難しくなって、やむをえず取った方法が、村の外への里子です。それも、養子縁組ではない方法がとられていた。この村には病院がないようですが、近隣に出身者がやっている医院があるのではないですか。そこで出産し、もし男女の双子が生まれれば、出生届は1人分しか出さず、里子に出す先の母親がもう1人を生んだとする出生証明を偽造する。そうまでして、養子縁組を避けるのはなぜか」
「なにをおっしゃってるんですか」という、制するような宮司の声に、被せるように師匠は続ける。
「たどられるのを防ぐためですよ。養子に出された子どもが、本当の父母やきょうだいを探してこの村にやってくることを、防いでいるんです。サトのソトというあの世、かくりよから、忌み子が戻ってくるのを止めるためです。禍の侵入を防ぐ道祖神のように。この村の入り口の道祖神は、双体道祖神でした。夫婦、もしくは兄・妹の兄妹を表す、男女の道祖神です。通常、双体道祖神は仲睦まじく体を寄せ合っています。しかしこの村のものは、体が離れています。この別離は実に象徴的じゃないですか。男女のきょうだいが、うつしよとかくりよに引き離されている、まさに象徴です」
「待ちなさい。まるで邪教のような物言いは見過ごせません。憶測でも、あなたの言葉は私たちへの侮辱ですよ」
 宮司の表情にあまり変化はないが、言葉は強烈だった。師匠も少し怯んだようだった。
「すみません。知り合いが、この村の出身かも知れないと相談を受けまして。恩師からそんな双子を忌む慣習のことを聞いていたもので、つい言葉が過ぎました」
「お知り合いとは?」
「羽根川里美さんという女性です。先年この村の出身だったお父様が亡くなられたのですが、その間際に、聞かされたそうです。この村から里子に出されたのだと」
 僕は、師匠とやりとりをする宮司の表情をじっと見ていた。怒っているような口調だが、やはり顔は変わらなかった。
「存じませんね。羽根川というと、昔、篠田のほうにそんな家がありましたが、外へ働きに行っていたのか、村ではお見かけした記憶がありません。当神社の氏子でもなかったと思います」
「里美さんはいま21歳ですが、お兄さんがいるのでは、ということでした。双子の」
「その里美さんという方は、ご養子ですか」
「いえ」
「では、思い込みでしょう。あなたがたの。そんな古い慣習に縛られて、いまでもそんな残酷な違法行為を行っているなど、無礼な憶測です」
 宮司の言葉には、これ以上の詰問は受け付けない壁を感じた。師匠も、どうしたものか、考えあぐねているようだった。
「あのー。この神社に祀られているのは、イザナギとアマテラスオオミカミだと聞いたんですけど、そうですか?」
 言葉の接ぎ穂に、そう訊いてみた。
「伊弉諾神(イザナギ)と、大日孁貴神(オオヒルメノムチノカミ)です。それがなにか」
 なんだか、言葉の端々にトゲを感じる。実に居心地が悪い。
師匠が口をはさんだ。
「大ごもり、という風習があるようですね。庚申講のように、一か所に集まって夜を明かす慣習で、毎年6月末にあるとか。今年は、あさっての28日にあると聞きました。祀るのは、この神社の祭神と同じ、イザナギとオオヒルメノムチだとか。会場の集会所には青面金剛の庚申塔がありましたが、大ごもりは、庚申講ではないんですね」
「……土地の人間はみな、この岩倉神社の氏子ですから。祀る神は自然とそうなったんでしょう。もとは庚申講だったのかも知れませんが、昔より人も減って、世話役の当番を回すのも難しくなってきましたから。庚申の日にこだわらず、年1回にして、田植えの終わった良い時期にやるようになったのではないでしょうか」
 宮司は人ごとのようにそう言った。僕の推測と同じだった。
昼間にも拘わらず薄暗い室内だった。窓が開け放たれていたが、風はあまり入ってこず、そのかわり扇風機が動いていた。
 沈黙を経て、師匠が言った。
「大ごもりの目的がはっきりしませんね。庚申講であれば、三尸の虫が身体から抜け出さないように寝ないで過ごす。庚申の日でなければ、寝ずに過ごす必要がない」
「古い習慣などそんなものでしょう。合理的な理由を求めるのは意味がない」
「庚申講をやめて年1回決まった時期に行うようになったのは、人が減り、世話役の当番を回すのが難しくなったからなのでしょう? 田植えの終わった時期にやることも含め、充分合理的な理由ですよ。寝ずに過ごすという部分が残ったことにも、きっと意味がある。大ごもりとは、いったいなんなのですか。もとが庚申講だと言うなら、本尊は、青面金剛のままでいいでしょう。この村には、とても歴史のある青面金剛の庚申塔がありましたよ。それが大ごもりになって、祀るのがイザナギとオオヒルメノムチになったというからには、そこにも絶対に理由がある。合理的な理由が。どちらも、きょうだいが、かくりよへ行った神です。双子のかたわれをサトのソトに。つまり、かくりよへ追放するこの村には、ふさわしい守り神ではないですか。うつしよの象徴として」
「研究者というのは、土地の人間の慣習に土足で踏み入っても、かまわないと思っているのですか」
 師匠の言葉を遮るように、厳しい言葉が飛んできた。
「O大学の学生とおっしゃいましたね。学生証を見せなさい」
 え。
 やばい。財布に入っているけど、出しても大丈夫なのだろうか。警察に通報されるとは思わないが、ちょっと嫌だ。しかも、やまと屋の宿帳に、偽名を書いてしまっている。いま本名の学生証を出して、やまと屋に確認をされたら、面倒なことにならないだろうか。
 頭のなかでそんなことがぐるぐる回る。すると、師匠が財布を取り出して、カードを宮司に渡した。
「浦井加奈子さん、ですか。たしかにO大学の学生ですね」
「考古学の寺島教授のゼミにいます。こいつはまだゼミ専攻前で、見習いです」
「あ、すみません、僕は学生証持ってきてないです」
 とっさにそう言ったが、それ以上追及されなかった。師匠の態度が堂々としていたからだろうか。考古学の寺島教授のゼミとは、師匠が出入りしている研究室の1つだ。完全なウソというわけでもない。それにしても、本名を名乗るとは。
「この岩倉の人々が昔から持っている、共同幻想があります。それを、あなたたちはほかの土地の人々には知られなくないと思っている。双子を忌むということを、恥じていることから生まれた禁忌の感情だと思いました。サトのソトへ子を捨てることを恥じているのだと。でも宮司さん。あなたとやりとりをしていて、思いました。双子を忌む理由のほうにこそ、大きな禁忌が含まれているような気がする。人はみな男女の双子で生じる、という共同幻想がなぜ生まれたのか。そこに鍵があるのでは。六部殺し(りくぶごろし)のように、共同体として持っている、原罪のような口をつぐむべき感情があるではないでしょうか」
 宮司は、顔色を変えなかった。しかし、立ち上がって、毅然とした言葉で告げた。
「お話しすることは、もうなにもない。お帰り下さい」
 さあ。そう言って、両手で追い立てるような仕草をする。
「この岩倉は、昔から双子が多く生まれる土地柄だったのですね。あなたたちは、そこに共同幻想を抱いた」
「立ち去りなさい!」
 大喝された。僕は思わず首をすくめる。師匠は、宮司を睨みつけるように見ていたが、やがて肩を落として、「わかりました」と言った。
 社務所の部屋の電気が消され、廊下の電気が消され、玄関の扉が背後で閉まった。慌ただしく追い立てられた僕らは、社務所の外で顔を見合わせる。
「手ごわいな。学生証見せろときたよ」
「よかったんですか。見せて。宿帳を確認されたら」
「大丈夫。こんなこともあろうかと、私は本名書いといたから」
「それ、逆に面倒なことになったら、偽名で逃げられないですよ」
「こんなことで警察沙汰なんかにはならないだろ。まして命までは取られないから、大丈夫だ」
 どうしてこんなに楽観的なのか。僕など、余計な心配をして胃が痛くなってきた。
 師匠は、腰に手をやって、神社の敷地を覆う垣根の奥の森を見つめている。その向こうには、天神山がそびえている。
「ちょっと、だめですよ」
「そうだな」
 師匠は視線をそらさずにそう答えた。
「まじでだめですよ。聖域だって言ってたでしょ。私有地か神社の土地かわかりませんけど、不法侵入ですよ」
 磐座がくだけたという天狗星の伝説に、挑みかねない雰囲気だったので、思わず必死でいいつのる。
「わかったわかった」
 そろそろ6時だから、宿に戻るか。と言って、師匠は参道を戻り始めた。
 車に乗ったところで、僕は疑問に思ったことを口にした、
「昔から双子が多く生まれる土地柄だった、って言ってましたけど。あれはどういう意味ですか」
「今回の依頼を聞いてから、双子について調べてみたんだよ。そしたら、ちょっと面白いことがわかってな」
 エンジンをかけながら師匠は続けた。
「双子には大きく2種類あって、一卵性双生児と二卵性双生児とがある」
「知ってますよ。一卵性のほうは同性で、遺伝的にもほぼそっくり。二卵性のほうは、男と女のペアもあるし、遺伝的に一卵性ほど似ていないんでしょ」
「いや、異性一卵性双生児ってのも稀にあるらしいぞ。それはともかく、面白いのは発生率なんだよ。双子の発生率は人種によって違って、黒人で50分の1くらい、白人で100分の1くらい。日本人だと150分の1くらいなんだと」
「日本人は低いんですね」
「一卵性双生児の発生率は、どの人種も一律でだいたい250分の1。約0.4%なんだってさ。ようするに、二卵性双生児の発生率が異なるんだな。遺伝的要因やら、食べ物なんかの環境的要因で、二卵性双生児が生まれやすい、生まれにくいってことが起こるんだ。さて、ここで算数の問題です。日本人の双子発生率が150分の1、そのうち一卵性双生児の発生率が250分の1だとすると、二卵性双生児の発生率は何分の1でしょうか?」
 う。急に数字を並べられても、暗算だと、とっさに答えがでない。チチチチチ……。と師匠が時計の音の真似をする。
「さあ、時間がないぞ。双子の誕生とかけて、双子の出生率と解く。その心は? チチチチチチ。はい残念。どちらも、あんざんが大事でしょう!」
 そんな妨害にもめげず、僕は答えを出した。
「375分の1」
「正解」
 すごいな僕。我ながら。
「その二卵性双生児のうち、男と女の発生率はだいたい同じです。では、二卵性の男女の双生児の発生率はいくつでしょう」
「それは簡単ですよ。2人目が1人目と同じ性別になる確率は2分の1です。だから、375かける2で、750分の1です」
「せいか~い」
 師匠はハンドルを離して拍手する。危ない。狭い田舎道なのに。
「一卵性双生児はほぼ100%同性だ。だから、日本人の男女の双子の発生率は、二卵性双生児の男女が生まれる確率と同じ、750分の1という計算になる。750人の妊婦からやっと1組生まれる計算だ。さて、この岩倉の人口は何人だった?」
「200人弱くらいでしたね」
「高齢化、過疎化が進んで、若者が少ない。生まれる子どもは、多くて年間1人2人だろう。小中学校の生徒が合わせて3,4人って言ってたしな。750分の1が発生するのに、いったい何十年かかるんだろうな。いや、何百年か」
 笑う師匠の言葉に、ゾクリとした。
 そうだ。男女の双子が生まれる確率を考えると、たしかにそうなる。この小さな過疎の地区で、男女の双子が生まれるのは、ほとんどありえないような確率だ。
「昭和30年の合併当時の人口は700人だったな。多めに見積もって、子どもが今の10倍、年間で仮に15人生まれていたとしても、50年に1回の確率だ。おかしいと思わないか。そんな、一生に一回お目にかかるか、かからないか、というできごとのために、『男女の双子は忌み子』だなんて伝承を後生大事に伝えてきたなんて」
「そうですね。禁忌にしては、起こらなすぎる」
「ああ。禁忌には、それを忌む教育的な理由がある。夜中に爪を切るな。夜中に口笛を吹くな。秋茄子は嫁に食わすな……。自分の健康を守り、地域に迷惑をかけない生き方をするためにだ。起こらないことを禁忌にするのは、意味がない。だから、考えたんだよ。この岩倉では、伝統的に双子が生まれやすいんじゃないかってな」
「でもそんなことあるんですか」
「言ったろ。二卵性双生児の発生率は、遺伝要因や環境要因で上下するんだ。昔、テレビの特番で、双子の村ってふれこみの村のロケを見たことがある。南米のどっかだったと思うけど、そこでは双子の発生率が10%だって言ってたよ。妊婦の10人に1人が双子を産むんだ。遺伝だよ。そういう遺伝子が脈々と伝わっている。地理的に隔絶していて、閉鎖的なメンタリティを持っている人々の住む場所では、外の世界と血が混ざりにくい。双子が生まれやすい血が、さらに濃くなることで、さらに双子が生まれやすくなる。そういうことが、起こりうるんじゃないかって、思うんだ」
「それが、さっき宮司さんに言ってた、共同幻想ってやつと関わりがあるんでしょうか」
「さあなあ。なんかもう今日は疲れたよ。超怒られたし。とっと宿に帰って飯食って寝よう」
 あくびをしながら、師匠は言った。
 もう少しで午後6時だった。6月の末というこの時期は、夕方の6時くらいでは、まだ日は落ちない。なのに、いま車の窓から見える景色は、どこか薄暗かった。
 四方を山に囲まれているからだ。平地だと、太陽が沈むのは水平線に近い角度だ。けれどこの山間の村では、沈む太陽が山の端にかかると、そこが日暮れになる。車が走っている道は、まだ太陽を見ることができるのでそれほどでもないが、東のほうの山の麓は、どこも森の緑が暗く沈んで見える。
「時間の流れが、違うんですね」
 ぼそりとつぶやいた。師匠が、「あ?」と訊き返してきたので、「いや、別に」と答えた。
 この山深い土地は、僕らが暮らしている市街地とは、異なる時間の流れのなかにあった。何百年も、何千年も、この早い日暮れの世界がここにあったはずだ。そう思うと、なんだか感傷的な気分になった。
 そこで暮らす人々のことを考えた。きっと僕らとは、どこか違う考え方を持っているだろう。その思いを、少しでも理解したい。その向こうに、師匠が言っていた、『共同幻想』の答えがあるような気がした。
師匠の運転する車のうしろから、山の影が夜をともなって迫りつつあった。

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 また東西に延びる中川沿いの道に出た。村の入り口に近い西のほうにある、やまと屋へ向かってゆっくりと車を走らせる。
 左手の小学校を過ぎたところで、右手のほう、つまり山手側の道路沿いに、人がたむろしているのが見えた。2階建ての大きな建物があり、そこから出てきた人たちのようだった。
『岩倉森林組合』という看板が出ていた。女将が言っていた、元村役場だった建物だろう。
「いるじゃん、若者」
 師匠が車を道ぶちに寄せて停める。作業着姿の数人がこちらを見た。みんな男だった。建物の入り口の横に自動販売機があって、その周りに集まっているのだ。
「こんにちは」
 師匠と僕が声をかけると、彼らはじろじろとこちらを見てきた。
「なんだあんたら。見たことないな。観光客? だれかの親戚?」
 太った金髪の男が、初対面とは思えない横柄な態度で言った。手には缶コーヒーを持っている。
「こんなところに観光客がくるかよ」
 痩せた男が笑った。しゃがみこんでタバコを吸っている。この2人が年嵩のようだ。30歳手前くらいだろうか。
「いやあ。実は石碑の研究してるんですよ。庚申塔とか、道祖神とか」
「なんだそれ。そんなん見て面白いのかよ」
「みなさん地元の人ですか?」
「違うよ。俺はこれからかえーるー」
 痩せた男が運転をする真似をした。
「地元だけど俺もでーてーくー」
 金髪の男も真似をして笑っている。下品な笑いだった。なにが面白いのかわからない。実に感じが悪い。こいつらに話しかけたのはまずかったのでは。僕はそう思い始めていた。
「ああ、今日は金曜日でしたね。花金だ。お仕事が終わって、これから街に繰り出すんですか」
「オネエちゃんも一緒にくる?」
「いいねえ。行こうぜ」
 金髪のデブとガリが、言い寄ってきた。やっぱりだめだ、こいつら。まずかった。2人よりも若い他の同僚は、それをたしなめるでもなく、愛想笑いを浮かべている。
「いやあ、実は今日、全然若い人見てなくて。ここって林業が盛んだって聞きましたけど、やっぱり若い人はこの森林組合で働くんですか。私21歳なんですけど、同い年の人っていたりします?」
 今年で25歳になる師匠がサバを読みながら、なんとか重要な情報を聞き出そうとしている。依頼人の羽根川里美の生き別れの兄は、21歳のはずなのだ。
 しかし、彼らはふざけて答えようとしない。
「はい! ボク21歳」
「ボクも!」
 デブとガリがおどけて手を挙げる。彼らは明らかにずっと年上だ。
「なあ、行こうぜって」
 デブが師匠に近づいた。僕は思わず、そこに割って入る。
「なんだよ」
 デブが睨みつけてくる。ガンを飛ばすってやつだ。そういうのは、高校生で卒業しろよ!
 そこに、まあまあ、と師匠がさらに割って入る。
「なんか、明後日に大ごもりってのがあるって聞いたんですよ。寝ずのパーティみたいなやつだって。面白いんですか」
「はあ? 面白いわけねえだろ。あんな辛気くせえの」
「辛気くさい?」
「あんなのジジババの社交場だっつの。俺らみたい若者が行くわけないだろ」
 おまえらも行かねえだろ?
 同意を求めるデブに、同僚たちがおずおずと頷いた。
「くっだらねえから、今夜から出てくんだよ。おい。月曜の朝遅刻したら、頼むぞ」
「ボクも月曜帰りッスから。こっちこそ遅刻したらすんません」
 耳にピアスをした若者が返事をした。
 師匠がそのやりとりを見て、ハッとした表情を浮かべた。
「大ごもりは明後日、28日の日曜日の夜からですよね。参加したくないなら、それでいいと思うんですけど。どうしてわざわざその間地元から出て行くんですか」
「別にいいだろ。なにもねぇ村なんだ。出ていくしかねえだろうが」
 そう毒づいたデブだったが、その表情になにか奇妙な感情が浮かんだのを、僕は見逃さなかった。師匠も気づいたようだ。周囲を見ると、ほかの同僚たちの顔も強張って見える。
「いいから来いよネエちゃん。一緒によ」
 恐怖だ。これは、恐怖を隠している。
 強引に手を握ろうとしたデブに、師匠がそれを握り返して関節を極める。
「痛ッて。なにすんだよ」
「あっと、ごめんなさい。つい」
 すぐに離して飛びずさる。ガリが立ち上がった。まずい。
「この人、生き別れの双子のお兄さんを探してるんです!」
 僕はとっさに師匠を指さして、声を張り上げた。
「お願いします。この村にいるはずなんです。どんなことでもいいんで、教えてください」
「は、はあ? なんだよそれ」
 デブが手をさすりながら、悪態をつく。その声は、どこかうわずって聞こえた。
「21歳くらいの人なんです。知りませんか」
 ほかの同僚たちにも振ったが、彼らは一様に強張った顔のまま首を横に振った。
「おい。行こうぜ」
 デブがガリにアゴをしゃくって見せる。ほかの連中も、空き缶をダストボックスに投げ捨てながら、ゾロゾロと僕らの横を通り過ぎていった。裏手に駐車場があるようだ。そちらの方へ回り込んでいく。
「ちょっと待ってください」
 そう言って追いかけようとした僕を、師匠が止めた。
「失敗したな。これは見つけられないぞ」
「どうしてですか」
「あいつら、怖がってる」
 駐車場から次々と車が出てきて、僕と師匠に一瞥をくれながら去っていった。ほとんどが西のほうへ向かっていた。この岩倉村の出口のほうだ。
「ちょっとわかってきたぞ」
 師匠は左目の下を指で掻きながら、そう言った。
「まあ、とにかく腹減った。飯食いに帰ろう」
 パンパンと僕の肩を叩いた。僕はなんだかよくわからないまま頷いた。
 やまと屋に帰り着くと、ちょうど6時だった。
 女将が出てきて、一階の居間のようなところに僕らを案内した。
 丸い卓袱台が置いてあって、そこに料理が並んでいた。
「あんまり上等なものは用意できないですけど、ゆっくり食べていってください」
 山菜のたっぷり入った炊き込みご飯に、数種類のキノコの入ったお吸い物。それにチキンカツとキャベツの皿が添えられている。
「うまいうまい」
 師匠がガツガツとかき込む。温泉旅館の料理のような凝ったものではないが、地元の食卓を思わせる、素朴な味わいの夕飯だった。おそらく今夜の女将の家の晩御飯も同じメニューなのだろう。
「どちらに行かれてましたか」
「神社に行ってきましたよ。岩倉神社。宮司さんはいい方ですね」
 皮肉をこめた師匠の言葉に、女将はニコニコと同意した。
「あ、そうだ。今夜と明日の2泊をお願いしてましたけど、もう1泊延長できますか? まだわかりませんけど、お願いするかも知れません」
 師匠の提案に、女将が「えっ」と困った顔をする。
「それが、28日はちょっと、都合が……」
「なにかあるんですか」
「はあ。お祭りの日でして。その日はやってないんですよ」
「お祭りというと、大ごもり、ですか」
 師匠が茶碗を置きながら尋ねた。
「そうなんです。宮司さんからお聞きになりましたか。毎年大ごもりの日は、みんな集会所に集まって夜を明かす決まりになっているんですよ」
「そうなんですか。残念だなあ。私たちも参加することはできないでしょうかね」
「それはちょっと、どうでしょうか。よその方は参加されてるのを見たことがないですねえ」
「女将さんも参加されてるんですか」
「ええ」
「元は、よそからお嫁にいらっしゃったんでしょう? 別にこの村の生まれでなくてもかまわないってことじゃないですか」
「でも、私からはなんとも」
 そんな問答をしていると、外からジャリジャリという音がした。やまと屋の敷地に車が入ってくる音だった。
「あ、主人です。いま畑をやってまして」
 やまと屋の奥に、女将の住む滝野家の家があった。女将の夫は、その家に向かう前に僕らのところへ顔を出した。
「いらっしゃい」
 農作業で服が汚れている。それを気にしてか、玄関の方から顔だけを出して挨拶をした。
「どうも。お世話になっています」
 滝野氏は無骨そうな人で、無愛想に頭を下げると、そのまま去ろうとした。
「あの。大ごもりに私たちも参加させてもらいたんですけど、なんとかお願いできませんか」
 それを聞いた滝野氏の問いかける表情に、女将が「民俗学だかの学生さんだそうですよ」と言った。
「……申し訳ないが、内輪のお祭りでして。ご遠慮ください」
 滝野氏はきっぱりとそう答えた。
「一晩中じゃなくてもいいんです。最初だけでも。世話役の方に訊いてみてもらえませんか」
 師匠が粘ったが、滝野氏は首を振った。
「私も今年は役員の一人です。申し訳ないが、お断りします」
 滝野氏は低い声でそう言って、去って行った。
 残された女将はきまりが悪そうに、「おかわりもありますよ」と炊き込みご飯を勧めてきた。
「あ、僕もらいます」
 よそってもらう僕とは対照的に、師匠は黙り込んでしまった。それを見かねてか、女将が明るい声を出した。
「でも、大ごもりなんて大層な名前がついてますけど、たいしたお祭りじゃないですよ。最初に宮司さんがお祈りをして、あとはみんな、持ち込んだお料理を食べて、飲んでするだけですから」
「それだけですか?」
 僕が訊くと、女将は頷いた。
「それだけです。寝ないで一晩中おしゃべりして、朝になったら解散するんです」
 庚申講と同じだ。本当にそれだけなのか。
 女将はウソをついているようには見えなかった。それならば、なぜこんなに頑なに、よそものを排除するんだろう。
「女将。森林組合に、若い人が結構いましたね」
「ええ、はい。ここでは、若い人の仕事は山仕事くらいしかないですからねえ」
「私、今年で21歳なんですけど、同い年の人もいるんでしょうか」
「あら、21歳ですか。しっかりされているのね。同い年ねえ。だれかいたかしら。……森林組合だったら、ミノルくんがそのくらいじゃないかしらね。月本実(みのる)くん。宮司さんの息子さんですよ。あと、森林組合じゃないけど、藤崎さんの息子さんが去年成人式だって言ってたから、もう21歳じゃないかねえ」
「藤崎、というと、篠田地区の?」
「篠田? あの辺は家がないですよ。もともとあそこにいたのかって、さあ、私にはわかりませんねえ」
 女将は、藤崎さんの家を教えてくれた。少し北の山側に入るが、やまと屋からわりと近い場所にあった。
「ごちそうさまでした」
 食事が終わり、僕らは手を合わせた。
「お風呂、これから沸かしますね。狭いですけど、家族風呂なので一緒に入れますよ」
「いや、こいつはただの後輩ですから。順番で」
 きっぱりと師匠は言う。
「エロいので、覗かないように監視してください」
「そうでしたね。ああ、そうそう。いいものがありますよ」
 女将はそう言って、棒切れのようなものを持ってきた。農具の柄のようだ。
「寝るときはこれを」
「ありがとうございます」
 師匠はその棒を受け取って、僕をさげすんだ目で見た。バカな。夜這い対策の警棒なのか。まさかあんな棒で僕を?
 楽しい、お・と・ま・り、はどこに行ったんだ?
 打ちひしがれながら、僕らは部屋に引きあげた。
 なんだか疲れて、風呂が沸くまで部屋の畳のうえで寝転がっていた。
「先に入れ」
 風呂が沸いたところで、師匠がそう言うので、お言葉に甘えた。妥当な順番だろう。民家の普通の風呂より、ほんの少し大きい、という程度の風呂だった。ほのかに柑橘系の香りがした。お湯になにか入っているらしい。汗をかいていたので、さわやかな香りは、気持ちがよかった。
 僕に続いて師匠も風呂から上がり、用意されていた浴衣に着替えて出てくる。
「ごゆっくり」
 と言って、女将が棒を持つようなジェスチャーをして、僕らを見送った。
「さて、作戦会議といくかね」
 布団の敷かれた師匠の部屋で、畳のうえに向かい合って座った。
「なかなか、きびしいですね」
「ああ」
 最初の感想がそれだった。今回の依頼は、羽根川里美さんの双子の兄を探すことだった。しかし、戸籍上の証拠がないうえ、真実を知っている父親が他界。その身内ももういないという。年齢を頼りに探すことはできるが、どうも双子だということは、想像以上にこの村の人々にとって、タブーのようだった。

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「あの森林組合のオールドヤンキーたちは、双子と聞いてビビったな。忌み子だからだ。あの世に生まれるはずが、間違って現に生まれた、忌まわしい子ども。生まれてすぐに外へ捨てて、戻ってこないように、戸籍をいじり、口をつぐむ。さらに道祖神で封印する念の入れようだ。大ごもりを辛気臭いって言って、参加しないヤンキーどもでさえ、戻ってきた忌み子が怖いんだ。小さいころからうみ付けられた、共同幻想だぜ、これは」
 師匠はどこか楽しそうにそう言った。
「どうやって探しますか」
「まあ、とりあえず教えてもらった2人。宮司の息子と、藤崎さんちの息子をあたってみるしかないな」
「でも、本人に訊いてもわかりますかね」
 非合法な方法で戸籍を偽造するほどの念の入れようだ。双子の兄に、わざわざおまえは双子だったなんて、親は告げるだろうか。
「それなんだがな。やっぱり本人には教えないと思うんだよ。するとどうなるか。みんな疑心暗鬼になるんじゃないかな。自分が本当は双子の片割れで、生き別れた妹か弟がいるんじゃないか? 忌み子として捨てられたそいつらは、自分を恨んでいるんじゃないか? いつか帰ってきて、恨みを晴らそうとするんじゃないか? ってな」
「なんだか本末転倒ですね。マッチポンプって言うか、忌み子だって、捨てておいて、恨まれて、やっぱり忌み子だったって。ひどい話ですよ」
「ただ、現にみんな双子を恐れている。女将は村の外の出身だから、それほど頓着してないみたいだけど、ほかの人の協力は得られそうにないな」
「どうするんですか」
「とにかく考えたってしょうがない。当たって砕けろだ。案外、親から教えられてなくても、感づいてるかもよ。狭い村だ。自分の噂はどうしたって耳に入るだろうさ」
 師匠は、開け放った窓のふちに肘を置いて、もたれかかった。
「あの宮司の子どもが、答えてくれますかね」
「さあなあ」
「名誉棄損で訴えられたりしたらいやですね」
「ありえるな」
「勘弁してください」

 外から気持ちの良い風が吹いている。その風に乗って、カエルの鳴き声が聞こえてくる。
 コリコリコリ、コリコリコリ…………。
 そう聞こえる。アマガエルの声も地方によって違うと聞いたことがあるが、僕の知っている鳴き声とはどこか違っていた。
「それにしても、この岩倉村にも、天狗星の伝説があったなんて驚きましたね」
「ああ。この県北レイラインは種ありかも知れない」
「種ありって、なんですか」
「茨城の鹿島神宮から、宮崎の高千穂神社へと日本列島を縦断するレイラインはな、富士山レイラインなんて言われたりするけど、実は中央構造線とかなりの部分重なるんだよ」
「え。中央構造線って、あの地震の?」
「そう。日本最大・最長の断層帯だ。活断層も含み、多くの地震を生んでいる断層ライン。当然火山活動とも関わりがある。この中央構造線は、富士山のあたりを避けるような形になっているけど、それ以外は、富士山レイラインとかなり重なっているんだ。宮崎から四国、そして伊勢神宮のあたりを通って、ここから少し北に逸れて、諏訪へ、そして鹿島へと抜ける」
 師匠は、ノートに簡単な日本地図を書いて説明する。そこに黒い線と、赤い線を引いた。
「黒いのがレイライン。赤いのが中央構造線」
 なるほど。黒は直線になっている。赤いほうは、富士山のあたりを避けるように北まわりになっているが、それ以外は重なって見える。
「この一致は、あながち偶然でもないかも知れないんだ。この中央構造線の南側は、7千万年くらい前に、イザナギプレートというプレートに乗って、はるか南からやってきた土地なんだ。それが北側、つまり中国大陸側の土地とぶつかってくっついた。そのつなぎ目が中央構造線ってわけだ。くっついた、っていっても動物の傷口みたいにぴったり癒着するわけはない。その断層帯は、いまも地震や火山活動を生む動脈だ。地下に莫大なエネルギーを蓄えた、日本の動脈。龍脈ってやつだよ。明治神宮や伊勢神宮、皇居とかっていうパワースポットがそのライン上にあるのは、卑弥呼に代表される、シャーマンの国だったこの日本では、ある意味必然だ。古代の日本人はプレートテクトニクスなんぞ知らなくても、龍脈がどこにあるのか知っていたんだ。それが霊力であれ、経験則であれ、だ。だから古来より、龍脈の上には、その活動を封じるための祭祀の場が必要だったんだ」
「それがレイラインの正体ってわけですか。お、オカルトですねぇ」
 僕の好物の話だ。真偽はともかくとして。師匠も楽しそうに語っている。
「意味のないはずの直線に、隠された意味があった。この県北の地域を南東から北西へ貫く、レイライン。天狗神社、戻り沼、岩倉神社と結ぶこのレイラインにも、意味があるのかも知れない」
「その種ありの、種って?」
「実はな。死んだ人が生き返るという戻り沼には、昔、天狗が宝物の珠を落として、その珠が沼の底に眠っている、という伝説があるんだ。その珠の力で、死人が還るんだと」
「天狗……」
 また天狗だ。僕は背筋にゾクゾクしたものが走った。
「落ちた天狗を捕らえたという、新城村の天狗神社。天狗が珠を落としたという、廿日美村の戻り沼。そして、天狗星が磐座を砕いたという岩倉神社。これは偶然か?」
 師匠はニヤリとして問いかけた。
「同じ現象なんですね、すべての原因は」
「千年前、空を赤く切り裂いて、天狗星がやってきた」
 師匠が立ち上がって、天井に向かって両手を広げた。
「高度を下げながら、県北を南東から北西へと飛行し、そこで落ちた。途中で割れた天狗星は、その軌道上の大地にも傷跡を残した」
「北西から南東に向かって落ちてきたのではなくて?」
「ああ。新城村の北には小さな隕石湖がある。その底は、北西が深く抉れた形状になっている。そこが終着地点だよ。北西に向かって飛来してきたんだ。その手前にバラバラといろんなものを落としている。この天狗星は」
「それが、県北レイラインの正体」
「ああ。そしてこのレイラインには、直線になっていること以外に、共通点がある。天狗神社には、食べると不老不死の力を得る、という天狗の肉の伝説が伝わっていた。戻り沼には、死者がよみがえる、という伝説が。そして、信仰していた巨石を天狗星に砕かれた岩倉地方では、あの世に生れ落ちるはずの忌み子が、双子としてこの世に生を受けて現われる。本来の750分の1という確率をはるかに超えて」
 立ったまま、オペラでも歌うように語る師匠の言葉に、背筋のゾクゾクが強くなる。恐ろしいような、心地良いような、不気味な感覚だった。
「この天狗星に関わる伝説は、どれも『生と死』に深く関わっている。それも、『死ぬべきもの』が、そうならないという、忌まわしい伝説だ。こいつは、いったいどういうことなのか。落ちたのははたして、本当にただの天狗星……隕石だったのか?」
 師匠はイタズラっぽく流し目をつくって、僕を見た。
「とまあ、オカルト好きにはたまらない謎があるわけだが、私たちの仕事は、依頼人の双子の兄を探すこと。あんまり余計な仕事は増やさないようにしないとな」
 そう言って、師匠は肩の力を抜いたように両手をぶらぶらとさせ、窓辺に近づいた。
「カエルさんが元気に鳴いてるぞ。明日も晴れそうだな。しっかし、真っ暗だな外は。街灯がイッコもないんじゃないか」
「深山幽谷みたいなところですからね」
「あれ? おい。あれ見てみろ」
 急に師匠が、窓の外を指差した。見てみると、道の向こうの川のあたりに、いくつも光が瞬いている、
「ホタル、ですか」
「人魂かもよ」
 師匠は「行ってみよう」と言って部屋を出た。ついていくと、1階で片付けをしていた女将に会った。
「川に光? ああ、ホタルですよ。お町の人には珍しいでしょう。あたしらは見慣れてるから、なんとも思わないですけど」
「やっぱりホタルだ」
「とにかく近くに行こう」
 僕と師匠は、やまと屋の外に出た。道路を渡って、その向こうの川に下りる。暗いから手探りだ。
「うわー。すごいな」
「綺麗ですね」
 僕らの周りに、無数の黄色い光が舞っている。闇のなかに瞬きながら浮かぶ、その淡い光はどこか儚げで、僕は郷愁のようなものを胸のなかに感じた。僕のふるさとにはない光景だったのに。
ああ、これがアタイズムというやつか。
大学の講義で、教授が言っていたことを思い出した。個人の記憶ではなく、民族として持っている共通の遺伝的記憶。見たことのないはずの景色を懐かしく思う感情。これを、間歇遺伝(かんけついでん)、アタイズムと言うのだと。
「水が澄んでいるんだな、ここは」
 師匠がしゃがんで、川の水を掬った。川の流れは穏やかだ。水の流れる静かな音が、夜の闇のなかに一定のリズムを刻んでいる。
僕には、この清流とホタルを懐かしく感じる、遺伝的記憶があるのだろう。かつての日本では、どこでも見ることができたこの景色の記憶が。しばらくその懐かしさのなかに身を浸し、師匠とふたりで、光の舞を眺めていた。
宿に戻ると、女将が「どうでしたか」と訊いてきた。
「よかったです。あれほどのホタルの群は、なかなか見られないですよね」
「これでも、昔よりは数が減ったらしいですけどねぇ」
「これ、ホタルの里とか銘打って、もっと観光のPRをしたらいいのに」
 師匠の提案に、女将は首を振った。
「知る人ぞ知る、っていうのがいいんじゃないでしょうかね。地元を離れた方とか、いまでもこのくらいの季節に、うちに泊まっていかれますよ。みなさんホタルを見て喜んで帰られます。うちももう半分以上道楽でやってるような宿ですけんど、そういうお客さんがいる限り、開けておこうということでやらしてもらってます」
 僕は2、3週間に1人しか客のいない宿帳を思い出した。
「もっと人を呼び込んだほうがいいですよ。環境保全だって、やりようはあるんじゃないですか」
「この時期は、やっぱりちょっとね……」
 女将はそう言って困った顔をした。師匠はそれを見て、なにか気がついたような表情をした。
「ホタルの季節は、6月から7月にかけてが最盛期でしょう。この岩倉の、1年に一度の大ごもりの時期と被る。それを、避けているんじゃないですか。その大ごもりの時期に、外から人がたくさんやってくるのを。だから、観光PRもできない」
「私は、わかりません」
 女将は頭を下げ、「もう家のほうに戻りますから、すみませんが、ここ、戸締りさせてもらいますんで」と言った。
 女将の態度は、それを肯定しているように思えた。
「わかりました」
 やまと屋の玄関が施錠され、僕らは2階の部屋に引っ込んだ。師匠の部屋に入ろうとすると、「もう寝よう。疲れた」と言って追い出された。
「はあ」
 僕は仕方なく自分の部屋に入って、布団のうえに寝転がる。今日一日で色々なことがあった。頭のなかで整理ができていない。そのひとつひとつを思い出しながら、天井を見ていた。
 明日、双子のお兄さんを当たってみるとして、本人が認めなかったり、知らなかったりしたら、どうすればいいんだろう。最終的には、DNA鑑定ってやつをしないといけないんじゃないだろうか。めんどうだな。まあ、師匠がなにか考えるか……。
 そんなことをぼんやり考えながら、うとうとしていると、いつの間にか寝てしまっていたらしい。夢うつつのなかで、ふいになにか聞こえた気がして、僕は目を開けた。
 なんだろう。外から?
 耳を澄ましても、もうなにも聞こえなかった。『夜中、かごめかごめの歌が聞こえる』という里美さんの話を思い出して、怖くなってしまった。
 起き上がり、そっと自分の部屋を出て、隣の師匠の部屋の引き戸に手をかける。
「師匠、起きてますか」
 そう言って開けようとした戸が、ビクリとも動かなかった。
「あれ?」
 力を入れてみるが、ガタガタと揺れるだけで開く気配がなかった。おかしいな。内鍵なんてなかったはずなのに。
 なにかがつっかえているような感じだった。そこではたと思い至った。
 あの棒か。師匠が女将に渡された棒。あれがつっかえ棒になっているのだ。そういうことだったのか。バカな。これではまるで、僕が夜這いをしようとして追い返される男のようではないか。
「師匠」
 戸に耳をつけてみると、かすかなイビキが聞こえてきた。かわいい。
 僕は肩を落とし、しかたなく自分の部屋に戻って布団を被った。聞いてない。妙な音なんて、なにも聞いてない。そう自分に言い聞かせながら。

『双子 3/4』に続く

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