師匠シリーズ

【師匠シリーズ】怪物「結」下

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【霊感持ちの】シリーズ物総合スレ4【友人・知人】

324 :怪物 起承転「結」下  ◆oJUBn2VTGE:2008/08/03(日) 22:31:29 ID:ScuN9+/G0
暗い。暗い気分。泥の底に沈んでいく感じ。
私はやけに暗い部屋に一人でいる。
散らかった壁際にじっと座ってなにかを待っている。
やがて外から足音が聞こえて、私は動き出す。玄関に立ち、ドアに耳をつけて息を殺す。
暗い気持ち。殺したい気持ち。  
足音が下から登ってくる。
私はその足音が母親のだと知っている。
やがてその音がドアの前で止まる。ドンドンドンというドアを叩く振動。
背伸びをしてチェーンを外す。
そしてロックをカチリと捻る。
手には硬い物。私の手に合う小さな刃物。  
ドアが開けられ、ぬうっと青白い顔が覗く。
母親の顔。見たことのない表情。見たくない表情。
ドアの向こう、母親の背中越しに月。真っ黒いビルのシルエットに半分隠れている。
どこかから空気が漏れているような音がする。それは私の息なのだろうか。
いや、私の身体には、きっとどこかに知らない穴が開いていて、そこから隙間風が吹いているんだろう。  
私は入り込んでくる顔に、話しかけることも、笑いかけることも、耳を傾けることもしなかった。
ただ手の中にある硬い物を握り締め、暗い気持ちをもっと暗くして。

「……ッ」
悲鳴が聞こえた。
それは私が上げたのだと気づく。
動悸がする。息が苦しい。
夢だ。夢を見ていた。
身体を起こす。ベッドの上。
天井から降り注ぐ光が眩しい。明かりがついたままだ。

325 :怪物   ◆oJUBn2VTGE:2008/08/03(日) 22:34:33 ID:ScuN9+/G0
時計を見る。夜中の1時半。服を着たままいつの間にか寝てしまっていた。
手にはじっとりと汗をかいている。まだなにか握っているような感覚がある。
何度か手のひらを開いたり閉じたりしてみる。
辺りを見回すが特に異変はない。粟立つような寒気だけが身体を覆っている。
そのとき、床に置いたラジオから奇妙な声が聞こえてきた。
ひどく間延びした音で、笑っているような感じ。
夜の家は静まり返っている。カーテンを閉めた2階の窓の向こうからもなんの音も聞こえない。
ただラジオだけが間延びした笑い声を響かせている。
私は思わずコンセントに走り寄り、コードを引き抜いた。
ぶつりとラジオは黙る。
つけてない。私は眠る前にラジオなんてつけてない。
なんなのだ、これは。
家電製品の異常。まるでポルターガイスト現象だ。
私は机の引き出しを恐る恐る開け、乱雑に詰め込まれた文房具の中から鋏を探し出した。
中学時代から使っている小ぶりな鋏。手に持ってみたが、特におかしな所はない。
ひとまずホッとして引き出しを閉める。
どういうことだろう。
今までの夢は明け方、目覚める直前に見る明晰な夢だった。他の人たちの体験談も一様に同じだ。
しかし今のは、1回目か2回目のレム睡眠時の夢だ。
今までだって本当は、この眠りについてあまり経っていない時間帯にも、同じ夢を見ていたのかも知れない。
ただ忘れてしまっているだけで。
でも、さっきのリアルさはなんだ?明らかに今までの夢とは違う。鋏を握る感触もはっきり残っている。
私は左手で自分の顔を触った。そしてこう思う。
『こっちが夢なんてことはないよな』

326 :怪物   ◆oJUBn2VTGE:2008/08/03(日) 22:38:47 ID:ScuN9+/G0
母親に鋏を突き立てようとしている少女こそが本当の私で、
今こうして考えている私の方が、彼女の見ている夢なんていうことは……
なんだっけ、こういうの。漢文の授業で聞いたな。胡蝶の夢、だったか。
ありえないと首を振る。
だが少なくとも、今までの夢とは緊迫感が違った。
恐怖心のあまり途中で目覚めてしまったのだから。
『夢……だよな』
私は恐ろしい想像をし始めていた。
真夏の夜の部屋の中が、冷たくなって来たような錯覚を覚える。
これまでのは、焦点となっているその少女の見ていた殺意に満ちた夢が、夜の街に漏れ出したもので、
今見たのは、現実のドス黒い殺意が、リアルタイムで私の頭に干渉していたのではないか、という想像を。
だとしたら、さっきの光景の続きは?
もし、夢を見ながら、彼女の殺意に同調していた街中の人間たちが、
私のようにあのタイミングで目覚めていなかったとしたら?
私は居ても立ってもいられなくなり、部屋の中をぐるぐると回った。
油断なのか。もう明日にも手が届くと思って、だらしなく寝てしまった私のせいなのか。
でも、なにが出来たって言うんだ。
あんな遅くに間崎京子の家まで行って似顔絵を描かせ、それを手にまたあの住宅街を聞き込みすれば良かったのか?
せめて家の場所が特定できれば……
そう考えたとき、私は視線を斜め下に向けた。
待て。
ドアの向こうの景色。月が半分隠れていたビルのシルエット。夢の中の視線。
あのビルは知っているぞ。
市内に住む人間ならきっと誰でも知っている。一番高いビルなのだから。
ビルの位置と月の位置。
それが分かるなら場所が、それらが玄関の中からドア越しに見えている家が、ほぼ特定出来るかも知れない!

327 :怪物   ◆oJUBn2VTGE:2008/08/03(日) 22:42:10 ID:ScuN9+/G0
私は部屋を飛び出した。
そして階段を降りながら、眠っている家族を起こさないようにその勢いを緩める。
家の中は静まり返っていて、父親のいびきだけが微かに聞こえてくる。
私は玄関に向かおうとした足を止め、客間の方を覗いてみた。
いつもは2階で寝ている母親だが、最近は寝苦しいからと言って、風通しの良い客間で寝ているのだ。
襖をそっと開け、豆電球の下で掛け布団が規則正しく上下しているのを確認する。
良かった。何事もなくて。
そして踵を返そうとしたとき、暗がりの中、鈍く光るものに気がついた。
それは私の右手に握られている。さっきから右手が妙に不自由な感じがしていた。
なのに何故かそれに気づかず、目に入らず、あるいは目を逸らし、気づかないふりをして、ずっとここまで持って来ていた。
鋏だ。
机の引き出しを閉めながら、鋏は仕舞わなかったのだ。右手に持ったままで。
逆再生のようにその記憶が蘇る。
全身の毛が逆立つような寒気が走り、ついで目の前が暗くなるような眩暈がして、私は鋏をその場に落っことした。
鋏は畳の上に小さな音を立てて転がり、私は後も見ずに玄関の方へ駆け出す。叫びたい衝動を必死で堪える。
ギィ、というやけに大きな音とともにドアが開き、湿り気を含んだ生暖かい夜気が頬を撫でた。
外は暗い。
玄関口に据え置きの懐中電灯を手にして駐車場へ向かう。
そして、自転車のカゴにそれを放り込んでサドルを跨ぐ。
始めはゆっくり、そしてすぐに力を込めて、ぐん、と加速する。
『鋏を持ってた!無意識に!』
混乱する頭を風にぶつける。いや、風がぶつかって来るのか。
私は今、自分がしていることが、すべて自分自身の意思によるものなのか、分からなくなっていた。

330 :怪物   ◆oJUBn2VTGE:2008/08/03(日) 22:45:12 ID:ScuN9+/G0
もうたくさんだ。こんなこと。もうたくさんだ。
寝静まる夜の街並みを突っ切って、自転車を漕ぎ続ける。
空は晴れていて、遥か高い所にあるわずかな雲が月の光に映えている。
この同じ空の下に、目に見えない殺意の手が、無数の枝を伸ばすように今も蠢いているのか。
それに触られないように身を捩りながら、前へ前へと漕ぎ進む。

と――――
耳の奥に、風の音とは違うなにかが聞こえて来た。
聞き覚えのあるようなないような音。人を不安な気持ちにさせる音。
夜の電話の音だ。
自転車のスピードを落とす私の目の前に、暗い街灯がぽつんとあるその向こう、公衆電話のボックスが現れた。
音はそのボックスから漏れている。
DiLiLiLiLiLiLi……DiLiLiLiLiLiLi……と、息継ぎをするようにその音は続く。
ばっく、ばっく、と心臓が脈打つ。
お化けの電話だ。
そんな言葉が頭のどこかで聞こえる。
誰もいない、夜の電話ボックス。
私は自転車を脇に止め、なにかに魅入られたようにフラフラとそれに近づいていく自分を、
どこか現実ではないような気持ちで、まるで他人ごとのように眺めていた。
擦れるような音を立てて内側に折れるドア。
中に入ると自然にドアは閉まり、緑色の電話機が天井の蛍光灯に照らされながら不快な音を発している。
私はそろそろと右手を伸ばし、受話器を握り締める。
フックの上る音がして、Lin、という余韻を最後に呼び出し音は途絶える。
この受話器の向こうにいるのは誰だろう?
そんなぼんやりした思考とは別に、心臓は高速で動き続けている。
「もしもし」
声が掠れた。もう一度言う。
「もしもし」
受話器の向こうで、笑うような気配があった。

331 :怪物   ◆oJUBn2VTGE:2008/08/03(日) 22:48:13 ID:ScuN9+/G0
『……行ってはいけない』
この声は。
そう思った瞬間、脳の機能が再起動を始める。
間崎京子だ。この向こうにいるのは。
『鉱物の中で眠り、植物の中で目覚め、動物の中で歩いたものが、ヒトの中でなにをしたか、わかって?』
冷え冷えとした声がノイズとともに響いてくる。
「何故だ。どうやってここに掛けた」
沈黙。
「お前も見たのか。あの夢を。行くなとはどういうことだ」
コン、コン、コン、と、せせら笑うような咳が聞こえる。
『……その電話機の左下を見て』
言われた通り視線を落とす。そこには銀色のシールが張ってあり、電話番号が記されている。
この電話機の番号だろうか。
『みんな案外知らないのね。公衆電話にだって、外から掛けられるわ』
その言葉を聞きながら、私は頭がクラクラし始めた。思考のバランスが崩れるような感覚。
この電話の向こうにいるのは、生身の人間なのか?それとも、人の世界には属さないなにかなのか。
『夢を見て、あなたがそこへ向かうことはすぐに分かったのよ。そしたら、その電話ボックスの前を通るでしょう。
 一言だけ、注意したくて、掛けたの』
「どうして番号を知っていた」
『あなたのことなら、なんでも知ってるわ』
あらかじめ調べておいたということか。いつ役に立つとも知れない、こんな公衆電話の番号まで。
『行ってはいけない。わたしも、少し甘く見ていた』
「なにをだ」
再び沈黙。微かな呼吸音。
『でもだめね。あなたは行く。だから、わたしは祈っているわ。無事でありますようにと』
通話が切れた。

334 :怪物   ◆oJUBn2VTGE:2008/08/03(日) 22:53:57 ID:ScuN9+/G0
ツー、ツー、という音が右耳にリフレインする。
私は最後に言おうとしていた。電話を切られる前に急いで言おうとしていた。
そのことに愕然とする。
いっしょにきて。
そう言おうとしていたのだ。
頼るもののないこの夜の闇の中を、共に歩く誰かの肩が欲しかった。
受話器をフックに戻し、電話ボックスを出る。
少し離れた所にある街灯が瞬きをし始める。消えかけているのか。私は自転車のハンドルを握る。
行こう。一人でも、夢の続きを知るために。

自転車は加速する。耳の形に沿って風がくるくると回り、複雑な音の中に私を閉じ込める。
振り向いても電話ボックスはもう見えなくなった。
離れて行くに従って、さっきの電話が本当にあった出来事なのか分からなくなる。

何度目かの角を曲がりしばらく進むと、道路の真ん中になにかが置かれていることに気がついた。
速度を緩めて目を凝らすと、それはコーンだった。
工事現場によくある、あの円錐形をしたもの。パイロン、というのだったか。
道路の両側には、民家のコンクリート塀が並んでいる。ずっと遠くまで。
アスファルトの上に、ただ場違いに派手な黄色と黒のコーンがひとつ、ぽつんと置かれているだけだ。
当然、向こうには工事の痕跡すらない。誰かのイタズラだろうか。
その横をすり抜けて、さらに進む。

500メートルほど行くと、また道路の真ん中に三角のシルエットが現れた。またコーンだ。
避けて突っ切ると、今度は10秒ほどで次のコーンが出現する。通り過ぎると、またすぐに次のコーンが……
それは奇妙な光景だった。

337 :怪物   ◆oJUBn2VTGE:2008/08/03(日) 22:57:27 ID:ScuN9+/G0
人影もなく、誰も通らない深夜の住宅街に、何らかの危険があることを示す物が整然と並んでいるのだ。
だが、行けども行けどもなにもない。ただコーンだけが道に無造作に置かれている。
段々と薄気味悪くなって来た。あまり考えないようにして、ホイールの回転だけに意識を集中しようとする。
だが、その背の高いシルエットを見たときには、心構えがなかった分、全身に衝撃が走った。
今度はコーンではない。細くて長く、頭の部分が丸い。
道でよく見るものだが、それが真夜中の道路の真ん中にある光景は、まるでこの世のものではないような違和感があった。
『進入禁止』を表す道路標識が、そのコンクリートの土台ごと引っこ抜かれて、道路の上に置かれているのだ。
周囲を見回しても、元あったと思しき穴は見つからない。いったい誰が、そしてどこから運んで来たというのか。
ゾクゾクする肩を押さえながら、『進入禁止』されているその向こう側へ通り抜ける。
これもポルターガイスト現象なのか?
しかし、これまでに起きた怪現象たちとは、明らかにその性質が異なっている気がする。
石の雨や電信柱や並木が引き抜かれた事件、中身をぶちまけられる本棚やビルの奇妙な停電などは、
“意図”のようなものを感じさせない、ある意味、純粋なイタズラのような印象を受けたが、
この道に置かれたコーンや道路標識は、その統一された意味といい、執拗さといい、
何者かの“意図”がほの見えるのである。
く・る・な
その3音を、私は頭の中で再生する。
ポルターガイスト現象の現れ方が変わった。それが何故なのか分からない。
現れ方が変わったと言うよりも、『ステージが上った』と言うべきなのか。
これでは、RSPK、反復性偶発性念力などという代物ではない。もっと恐ろしいなにか……
私は吐く息に力を込める。目は前方を強く見据える。怖気づいてはいけない。

ビュンビュンと景色は過ぎ去り、放課後に訪れたオレンジの円の中心地である住宅街へ到着する。
結局、道路標識はあれ以降出現しなかった。言わば最後の警告だった訳か。

340 :怪物   ◆oJUBn2VTGE:2008/08/03(日) 23:01:58 ID:ScuN9+/G0
私は夜空を仰ぎ、月の光に照らされたビルの影を探す。
この街で一番高い影だ。
そして、月がそのビルに半分隠れるような視点を求めて、息を殺しながら自転車をゆっくりと進める。
動くものは誰もいない。ほとんどの家が寝静まって、明かりも漏れていない。
様々な形の屋根が黒々とした威容を四方に広げている。

やがて私は、背の低い垣根の前に行き着いた。街にぽっかりと開いた穴のような空間。
向こうには銀色の街灯が見える。遮蔽物のない場所を選んで通るのか、風が強くなった気がする。
公園だ。
私は胸の中に渦巻き始めた言いようのない予感とともに、
自転車を入り口にとめ、スタンドを下ろしてから、公園の中に足を踏み入れた。
靴を柔らかく押し返す土の感触。銀色の光に暗く浮かび上がる遊具たち。
見上げても月はビルに隠れていない。ここではない。
けれど今、私の視線の先には、街灯の下に立つ二つの人影があるのだ。
ごくりと口の中のわずかな水分を飲み込む。
人影たちも近づいて行く私に明らかに気づいていた。
こちらを見つめている複数の視線を確かに感じる。
風が耳元に唸りを上げて通り過ぎた。
「また来たよ」
影の一つが口を開いた。
「どうなってるんだ」
ようやくその姿形が見えて来た。眼鏡を掛けた男だ。白いシャツにスラックス。
ネクタイこそしていないが、サラリーマンのような風貌だった。
神経質そうなその顔は、30歳くらいだろうか。
「こんな時間に、こんな場所に来るんだから、私たちと同じなんでしょうね」
声は若いが、外見は50過ぎのおばさんだった。
地味なカーキ色の上着に、スカート。小太りの体型は、不思議と私の心を和ませた。
「あの、あなたたちは、なにを……」
そこまで言って言葉に詰まる。

342 :怪物   ◆oJUBn2VTGE:2008/08/03(日) 23:05:41 ID:ScuN9+/G0
「だから、言ってるでしょ。同じだって。あんたも見たんだろ、アノ夢を」
真横から聞こえたその声に驚いて、顔をそちらに向ける。
小さな鉄柵の向こうにブランコがひとつだけあり、そこにもう一人の人物が腰掛けていた。
キィキィと鎖を軋ませながら、足で身体を前後に揺すっている。
「あんた、高校生?」
馬鹿にしたような言葉がその口から発せられる。
目深にキャップを被っているが、若い女性であることは声と服装で分かる。
太腿が出たホットパンツにTシャツという涼しげな格好。あまり上品なようには見えない。
「ま、ここまでたどり着いたってことは、タダモノじゃない訳だ」
意味深に笑う。
私の体内の血液が徐々に加熱されていく。
同じなのだ。この人たちは。私と。
彼らは街で起こった怪奇現象と母親殺しの夢の秘密を解いて、ここに集った人間たちなのだ。
得体の知れない不吉さと不安感に駆られて動き回った数日間が、絶対的に個人的な体験だったはずの数日間が、
並行する複数の人間の体験と重なっていたということに、歓喜と寒気と、そして昂揚を覚えていた。
「あなた、さっきの夢は、どこまで?」
おばさんがこちらを向いて聞いてきた。私はありのままに話す。
「やっぱり」
少し残念そう。
「みんな同じ所までで目が覚めてるのね」
「も、もういいよ。ここでいつまでも話してたって、しょうがないだろ」
眼鏡の男が手を広げて大げさに振った。
「でもねぇ、これ以上はどうやっても探せないのよね」
おばさんが頬に手のひらを当てる。
「あんな月とビルの位置だけじゃ、ある程度にしか場所を絞れないし、時間経っちゃったから、余計に分かんないのよね」
「こうしてたって、余計分かんなくなるだけじゃないか」
「そうよねえ。取り合えず、近くまで行けばなにか分かるんじゃないか、と思ったんだけど……」

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345 :怪物   ◆oJUBn2VTGE:2008/08/03(日) 23:09:57 ID:ScuN9+/G0
そんな言い合いを聞きながら、私の脳裏には、
先週の漢文の授業で先生が教えてくれた、『シップウにケイソウを知る』という言葉が浮かび上がっていた。
確か、強い風が吹いて初めて風に負けない強い草が見分けられるように、
世が乱れて初めて能力のある人間が頭角を現す、というような意味だったはずだ。
昼間には無数の人々が行き来するこの街で、
誰もかれも、自分たちのささやかな常識の中で呼吸をしながら暮らしている。
それが例え、日陰を選んで歩く犯罪者であったとしても。
けれど、そんな街でも、こうして夜になれば、
常識の殻を破り、この世のことわりの裏側をすり抜ける、奇妙な人間たちが蠢き出す。
普段はお互いに道ですれ違っても気づかない。それぞれがそれぞれの個人的な世界を生きている。
それが今はこうして同じ秘密を求めてここにいるのだ。
のっぺりとした匿名の仮面を外して。
私はそのことに言い知れない胸の高鳴りを覚えていた。
「4人もいたら、なにか良い知恵が浮かんできそうなものなのにね」
おばさんがため息をつく。
キャップ女が鼻で笑うように、「4人だって?5人だろ」と指をさした。
みんながそちらを見る。大きな銀杏の木がひとつだけ街灯のそばに立ってる。
その木の幹の裏に隠れるように、白い小さな顔がこちらを覗いていた。
私はそれが生きている人間に思えなくて、髪の毛が逆立つようなショックがあった。
けれどその顔が驚きの表情を浮かべ、恥ずかしそうに木の裏に隠れたのを見て、おや?と思う。
「え?あら。女の子?」
おばさんが甲高い声を上げる。
「お、おいおい。いつからいたんだ。全然気づかなかったぞ」と眼鏡の男が呟いて、額の汗をハンカチで拭う。
「ねぇ、あなた近所の子?こんな遅くに外に出て、だめじゃないの」
おばさんが優しい声で呼び掛けると、顔を半分だけ出した。10歳くらいだろうか。
「あら、この子、外人さんの子どもかしら」
言われて良く見ると、眼球が青く光っている。街灯の光の加減ではないようだ。

346 :怪物   ◆oJUBn2VTGE:2008/08/03(日) 23:13:44 ID:ScuN9+/G0
「帰った方がいい。ここは危ない」
眼鏡の男が早口でそう言い、近寄ろうとする。女の子はまた木の裏側に隠れた。
男が腕を前に伸ばしながら回り込もうとする。すると、その子はその動きに沿ってぐるぐると反対側に回る。
「あれ、なんだこいつ。なに逃げてんだよ、おい」
眼鏡の男が苛立った声を上げるのを、ブランコに揺られながらキャップ女がせせら笑う。
「あんたロリコン?」
「うるさい」
「ちょっと、やめなさいよ。怯えてるじゃないの」
おばさんが男をなだめる。
「大したものだな、この子。この歳で、あたしたちと同じモノ見てるんだよ」
キャップ女の口の端が上る。
そんなバカな。こんな小さな子どもが私と同じことを考えて、ここまでやって来たというのだろうか。
そう思ったとき、私の耳がある異変をとらえた。
「し」と誰かが短く言う。
息を呑む私たちの耳に、鳥の鳴き声のようなものが聞こえて来た。
ギャアギャアギャア……
カラスだ。
私はとっさにそう思った。公園の中じゃない。
全員が身構える。
鳴き声は次第に小さくなり、やがて聞こえなくなった。
ブランコが錆びた音を立てて、キャップ女が降りて来る。
「なんて言ったと思う?」
誰にともなく、そう問い掛ける。
「警戒せよ、だ」
彼女は私の顔を見てそう言った。なぜかデジャヴのようなものを感じた。
足音を殺して、全員が公園の出口に向かう。行動に転じるのが早い。躊躇わない。

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