スポンサーリンク
たどちゃんの話
1:@cvtbcmEgcY:1月12日
都市伝説系の話でよくありがちな、
日本の一年の失踪者数はウン万人みたいなやつ。
実はその9割は警察が見つけているらしいから、
マジで見つからないのは2000人から3000人くらいだと思う。
この内、業界的に妖怪の仕業とされるものは年々減ってて、
昭和初期で50人くらい、2000年代以降では0~2人くらい。
まぁ認知症だとか、心理的原因だとかに科学的に分類されるのがどんどん増えてるからね。
というか、そう考えるともう妖怪の仕業なんて存在しないのかもしれないね。
エリサ・ラム事件とか、時代が時代なら妖怪のせいでしょ。
でも、そんな中でも、4,5年には1件くらいやっぱりどうしても
これは妖怪かもしれないと思う出来事に運悪くぶち当たることがある。
たどちゃんの話とかまさにそんな感じだった。
たどちゃんは古いお客さんのお孫さんで、
いなくなった時は23歳だった。
私より少し年下で、いかにも田舎のヤンキーって風貌の人って感じで、
正直苦手なタイプだった。
何というか嫌いってわけじゃないんだけど、
どう接するべきなのかよくわかないんだ。
彼は普段個人経営の焼き肉屋で働いてて、
多分社長以外の唯一の正社員だったんじゃないかな?
未成年のアルバイトの女子短大生に手をだして、
少し痴話騒ぎになったことを小耳に挟んだことがある。
そんなわけだからどうしても色眼鏡付きで見てしまう感じだ。
たどちゃんの家はいくつか山を持っており、
国が運営していない神社、つまり私社ってやつに当たる施設を管理してたりする。
その一環で、「誉山」という儀式を毎年の正月のこれくらいの時期に執り行う。
これは新しい年に山に初めて入る際に山の神様に感謝の気持ちとかを伝えて
今年も一年よろしくお願いいたします。
ってするもので、本来は旧正月にやってたらしいが…
いつの間にかグレゴリオ暦でやるようになったみたいで、
多分明治維新とかの影響。
うちはこの儀式に少し関りを持たせていただいている。
通常の山の神様への感謝は
神主に当たる人が仕切るお祭りみたいなものなんだけど、
山には神様以外の存在、つまり妖怪たちもいるわけで、
彼らが神様ばっかり感謝されてずるいと嫉妬して悪さをしないように、
祭りの裏で夜になるとこそこそと小さめの宴会を開いてあげる必要がある。
大宴会だと逆に神様が何で誘わないんだってキレるらしいからほんと細々とね。
そして、その時に山の持ち主の家系の人間である、たどちゃんに同行してもらっている。
まぁ、細かい儀式の話はあんまり本筋と関係ないから省くけど、
この際のたどちゃんの役目は簡単で、自家製の焼酎を一杯ストレートで呷って、
その後は周りに置いた幾つかのお椀に焼酎を注いで回ると言うもの。
この時既に彼には2回ほど手伝ってもらっているので、
進行は概ねスムーズで、失敗などはなかったし、特に変な出来事もなかった。
しかし、いざ撤収―ってところになると、
酒の影響で顔が赤くなった彼は急に真剣に子供の泣き叫ぶ声が聞こえる、と言い出した。
そんな風だから私も耳をよく澄ませて物音に集中したけど、何も聞こえなかった。
しばらくの間、森の暗闇の中でたどちゃんと息をひそめて、周りの様子を伺った。
そんな中、ふとたどちゃんがにたにた笑いながら
こちらを見ていることに気が付いた。
すると、彼は冗談ですよ。と少し馬鹿にする風に言った。
私はもちろん少しというか、そこそこむっとした。
夜の山の中ではなるべく決まった文句を述べる以外に口を開きたくなかったが、
蔑ろにもできないので、そうすか…となるべく感情を押し殺して返事した。
そのままいそいそと酒の入ったお椀以外の道具を片付けて、帰る準備を始めた。
ちなみにお椀はそのまま一晩放置して、次の日の朝に回収しに来る。
で、偶に1,2個無くなっていることがあるが、
個人的には動物が持ち帰ったと思ってる。
たどちゃんはその間手持ち無沙汰げにタバコを取り出して咥えては、
またそのまま箱に戻していて、私の片付けが済むと、お互い無言のまま山を下りた。
たどちゃんの家から突然連絡があったのはそれから2カ月後であった。
ちょっとたどちゃんの様子がおかしいので見て欲しいという依頼で、
話によると彼が静かな場所にいると延々と子供の泣きわめく声が聞こえるだとか。
私的には心療内科にでも行った方がいいぞ?とは考えたけど、
まぁお金を取れるので、とやかく言わずに向かうことにした。
弟子も春休みに入って暇そうだったので拉致った。
彼女も俺と同じで、たどちゃんのことをあまり気に入っておらず、
理由は深く聞いていないが、曰く「しつこい」とのこと。
かなり嫌そうな顔をされたが、人数は多いほうが人件費を取れるということを
先生が亡くなった後に気が付いたので、何とか同行をお願いした。
再会したたどちゃんは少し不健康そうな雰囲気を出していて、
態度もいつもよりしょげた感じで、口数が少なかった。
最初は彼の両親も同席して、とやかく状況を言ってきたのだが、
それらは聞き流して、2人が話すことに満足してから、その場から離れてもらった。
そして、私と弟子とたどちゃんだけになってから、
改めて彼の口から何が起きたのか聞いてみた。
彼は相変わらず元気のない様子でぽつりぽつり語り始めた。
正確に何時頃からかはもう覚えていないらしいが、
彼は多分半年前くらいから子供に纏わる悪夢を見るようになったみたいだ。
内容はまちまちで、偶にという頻度だったし、
あまり気にしていなかったんだけど、
例の2か月前に私と山に入ってからはそれがひどくなって、
ほぼ毎日悪夢を見るようになったらしい
さらに、ここ最近は日中でも一人で静かな場所にいると、
まるで耳元で徐々に大きくなるかのように子供の泣き叫ぶ音が聞こえてくるようになり、
現在では一人でいるとき、基本的にスマホで大音量でお笑いの動画を流して過ごしていて、
それで家族に不審がられて、問い詰められた結果、今に至ると言うわけだ。
私はもうとっくに2か月前の山での話なんか忘れていたので、
記憶を何とか掘り起こしながら
「そう言えば、あの時山で子供の泣き声が聞こえたみたいなこと言っていたけど、
あれって結局冗談だったんすか?」と聞いた。
すると、彼は「いや。あの時は確かに一瞬聞こえたけど、
何かびびってるようでかっこ悪かったから、言った後に後悔して、取り消した」
と答えた。
あ、たどちゃんの話で少し両親の話端折ってしまったんだけど、
彼の家はうちと付き合いも長いもので、
そんなことだからいくつか妖怪の対処療法みたいなのも伝わっていて、
それらを試してどうなったか云々だった。
たどちゃんがグロッキーになったのはそれのせいなのでは?と思わなくもなかった。
何というかこう言うのってインターネットの情報を基に医者に行く前に
色々民間療法試す感じに似てるなぁと思った。
医者を妖怪退治と一緒にしては失礼だろうけど。
で、まぁ話が大体終わったところで、
ちょっと実際にたどちゃんを一人で静かな場所にいさせて、
例の子供の声が聞こえるか、
そして霊だの妖怪だのの仕業なのか確認することにした。
夜まで待って、私はまずたどちゃんの家で一番広い部屋の中央に布団を敷いた。
そして、たどちゃんの目の前で歌を歌いながら、
部屋の中を逆時計周りぐるぐると回る。
弟子には部屋の南東角に蝋燭を立ててもらい、落ち着かせる効果のあるハーブを焚いた。
最後は彼に布団に入ってもらって、蝋燭が燃え尽きて、周りが真っ暗になってから
あたりに鶏の血に浸して更に乾かした米殻をばらまいた。
そして、これでもう声が聞こえないはずだから、
先ずは安心して一回休んでみてくださいと言ってあげた。
まぁ、本当に妖怪の仕業の場合は嘘なんだけどね。
私はむしろ、たどちゃんについている妖怪を呼び出すつもりで
「家の中に入っていて、寝ている人間と関係があって、
人間の子供の泣くような音を出せるもの、ほらほら、おもてなしおもてなし」
と歌った。
このように、特定の種類や名称が分からない存在を呼び出すときの歌には様式があって、
基本的に3段階で描写を分けて絞り込み、個体を特定していくのだ。
例えば一番有名な降霊術であるこっくりさんで、
これは漢字で狐狗狸で、つまり狐の特徴と犬の特徴とタヌキの特徴をもっている者!
と周りに呼び掛けている。
妖怪とかは素直なので、
近くですべての描写に当てはまるもののみが近づいてくる。
こっくりさんやっても全然反応ない時は
つまり、狐、犬、タヌキの特徴が同時に当てはまるものがいない、と言うことになる。
あとはキリスト教における神様は父と子と聖霊の3段で表現されるよね。
祈るとき、ただの神様っていうと、有象無象のたくさんの「神」へ祈ることになるので、
まず神様で、尚且つキリストで、さらに聖霊である存在=キリスト教の神様だよって
特定の対象に祈りをささげることが出来る。
今回の場合、家は自然と人間の生活空間の境界で、
特に何をしていなくてもそれは一種の結界として機能する。
それで大抵の妖怪は家の中までには侵入できない。
中にいるのは人間が無自覚に何かの拍子で招き入れるか、
他の人間が入るように嗾けるか、
中の人間との強い業の繋がりを頼りに無理やりこじ開けてくるかと、
かなり限定的になる。
スポンサーリンク
これを第一の篩として、
さらにたどちゃんと関係して、子供の泣き声と特定して、
間違って変なやつを引き寄せないようにする。
で、これをやって妖怪がやってこない場合、
私はたどちゃんに追っ払ったと伝えているので、
プラセボ効果でたどちゃんはぐっすり眠るか、
やっぱり子供の声が聞こえるにしても、あんまり変化のある物じゃないはずである。
その時は、
「妖怪を追っ払ったがまだ後遺症があるだけなので、
こちらの精神科医に診てもらうといい」
とか言って、紹介料をくれる先生に引き継ぐ。
もちろん、妖怪退治分の費用ももらう。
自分ながらあくどいと思うが、これは技術料だと納得してくれめんす。
で、幽霊や妖怪の仕業の場合は何かしら異変が起きるはずだ。
私と弟子は別の部屋でたどちゃん家族と麻雀をやりながら時間を潰した。
そして、大体2時間くらい経ったあたりかな?私の点数がそろそろ尽きようとした当たり、
ものすごい形相をしたたどちゃんが騒ぎ立てながらやって来た。
そんでたどちゃんの話だけど。
彼は騒ぎながら部屋に入ってくるものだから、
私も思わず驚いて彼の方を見ると、彼はそのまま私の方へやって来て、
「ねずみ!ねずみ!やばいまじやばい、やっつけたかも」と肩を掴んできた。
私はそんな彼の様子を見て、咄嗟に理解が追い付かず、
心の中で「ねずみ?え、やっつけた?ドラえもん?」とか
とりとめもなく思ったけど、表面上は深刻そうな顔を作ってしばらく黙って、
たどちゃんに落ち着いて詳しい話をするように促した。
こういう場合とりあえず深刻そうな顔を作る癖がいつの間にかついていた。
職業病なのかもしれない。
彼はやや興奮気味にまくしたて始めた。
曰く、自分一人になってからはしばらくは何事もなく、
私の話もあったので安心して寝ようとして、ちょうど少しうとうとし始めた頃。
突然、「ざっざっざっざ」とまるで砂利道を歩く時のような声が聞こえてきた。
でも、最初はうとうとしていたこともあり、
ぼんやり無視してそのまま眠りに付こうとした。
しかし、どれくらい経ったか、突然砂利の音が聞こえないと思ったら、
次の瞬間、耳元で大声で「ぴぃぎぃあ―――」と表現しにくいような、
子供の泣く声に似ても似つかないような声を聞いて思わず飛び起きた。
暗闇の中、警戒しながら周囲の様子を伺っていると、
バクバクなる心臓の音と共に自分の寝ていた枕の横のあたりに
何か静かな息遣いを感じた。
そして、理由は分からないけど、そこにいる何かが、
間違いなく今まで自分がおぼろげに聞いていた子供の声の主だと確信したとか。
それで、暗闇の中の存在とお互いを睨め付けるようにしていると、
なんだか無性に腹が立ってきて、なんで自分がこんな目に合わないといけないのかとか
今までの鬱憤がどんどん込みあがって来て、思わずその場で立ち上がった。
そして、「なんちゃらかんちゃらおらぁ!」と
自分でも自分がどんなことを言っているか訳の分からないまま
声上げながら暗闇の中の存在にタックルをかました。
すると、一瞬はずっしりとした感触があって、
そのまま一緒に地面に倒れ込むが、
次の瞬間には相手の存在?がすっぽりと無くなって、
何もなかったかのようになったらしい。
スポンサーリンク
で、そんなわけだからたどちゃんは「勝った!」とか
「やってやったぞ」みたいな晴れやかな気持ちになって、
眠気もすっかり吹っ飛んだので、立ち上がって電気をつけた。
そして、気が付くと、先ほどまで自分が押し倒したはずの相手の場所に、
潰れた普通サイズの鼠がいたのだ。
そこまでたどちゃんの話を聞いて、私と弟子は顔を見合わせた。
とりあえず、ざわざわするたどちゃん一家を宥めて、
「私たちだけでまず様子見てきますから」と言って、弟子と二人で例の部屋へ向かった。
しかし、部屋へ向かう廊下を進んでいく途中、私はふいに弟子の足音が止まったことに気が付く。
彼女の方をちらりと伺うと、彼女は眉を少し顰めて決め事に従って口では何も言わず、
「嫌な感じ、自分、帰る」と手で合図してスタスタ来た道を引き返していった。
霊感が強い彼女にそういう風にされると、
まぁ、私的には「あ゛~」って複雑な感じになって、
何というか一番しっくり来る言葉でいうと心細かった。
今では私が頼られる側なので、甘えてもいられず、
正直逃げ出したい気持ちだったが、何とかそれを我慢して、
心の中で時間を測りながら部屋へ足を踏みいれた
ぱっと見、たどちゃんが寝ていた部屋にそんなに明確な異変はなかった。
まぁ、地面に黒茶色?に変色した米殻が散乱しているので、
異様と言えば異様なんだけど…それ以外では正常な雰囲気だった。
ただ、私が霊感0のせいでなんかあるけど気が付いていないだけかもね。
で、部屋の中央まで足を踏み入れていくと、例のネズミを確認した。
まず、敷布団があって、その周りに枕とかけ布団が散乱してて、
そのちょうど間あたりで、ぐったりと動かないネズミがいた。
個人的にはネズミのサイズとしては控えめで、
尻尾を入れないなら多分缶コーヒーくらいの大きさで、
種類とかあまり詳しくないけど、
田舎でたまに見かけるクソデカネズミではないような気がした。
そんで、潰れているように見えるか?と言われると
正直よくわからなかった。
特に血とかもでていない感じだったし。
まぁ、そのままにはしておけないので、
ネズミに人間の息が掛からないように息を止めて、
部屋の中で一番人が触らなさそうなものを探し回って、
何かプラスチックの花の置物があったので、一本抜いて、それでネズミを突いた。
結局ピクリともしないので、死んているってことにして、片付けることにした。
ただのネズミなのでそのまま捨てる、と言う風にもできたんだけど、
たどちゃんの話や弟子の反応もあったので、
念のため色々準備してから遺体を移動させることにした。
大体の流れはこうだ。
とりあえず、急いで自分の荷物をあさりに行って、
徳の高い人から購入した写本やら、お札やら、日本酒やらを取ってくる。
そして、顔には一枚白い和紙を張り付けて、マスク?のようにする。
で、和紙が落ちないように気を付けながら呼吸を最低限にして、
ネズミの部屋に戻り、部屋に入る際は恭しく土下座する。
そして、その場で送り言葉のような祝詞を歌い上げる。
もちろん和紙は落としてはいけないので、自然と小声になる。
それを終えて、膝をついた状態でネズミの前にやって来て、再度礼をする。
お札を手袋代わりに手に巻いて、
なるべく皮膚がネズミに触れないように
それを両手で持ち上げ、写本の上に置く。
其処で一旦ネズミは放置して、立ち上がり、
日本酒を左右に撒き散らしながら外に向かう。
外までに日本酒の道が出来上がると、また部屋にもどって、
今度は写本ごとネズミを持ち上げ、家の外に向かう。
道中、和紙のせいもあって、視界が見えないためか、
何度も何かに躓いて倒れそうになった。
何もないはずの廊下でさえそうだったので、
丸で誰かに足を掛けられてるとしか思えなかったが、気にしないことにした。
ゆっくり気を付けながら外にでて、庭からもでて、
近くのたぶん最も高い山に向かって礼をする。
そして、ネズミの死骸を少し離れた木の根元において、
ネズミの方を向いたまま後ろ歩きで家の庭まで戻る。
家に戻ってから、写本やお札、顔の和紙を回収して、
チャック付きポリ袋に入れる。
ここで、きれいに描かれているはずのお札の墨が
何だか滲んでるようになってることに気が付いて手が震えたw
よくよく考えれば私の手汗か日本酒で濡れて滲んだのかも。
最後はチャック付きポリ袋と自分に炭入り?のファブリーズをめっちゃかけて終了。
ポリ袋の中身は持ち帰り、お世話になっている寺で供養するか、神舎で燃やす。
まぁ何にするかは処理してくれる際の見積もりが安いほうにしてる。
あとちょっと不思議なことと言えば2つ。
一つは廊下が撒いた日本酒でびちゃびちゃだったから、
拭こうと思ったらもう乾いていた。
もう一つは部屋に米殻が散らばっていたので、
持ってきているワイヤレスの掃除機で吸って回収したんだけど、
吸った米殻を取り出して重さを測ると、
持ってきた時の重さの3分の2くらいになっていた。
私はそのまましばらく秤の数値と睨めっこして、
たどちゃん一家への言い訳と今後の対応について内心で運動会した。
続き。
妖怪で子供の泣き声をするというのはめちゃくちゃよくある話で、
狐も狸も河童も人魚もじじいもばばあもどんな姿かたちでも
鳴く声が子供の泣き声に似ているタイプが存在する。
まぁ、それだけ昔の人たちは赤子に対して一種の後ろめたさがあったのかもね。
流産したり、生まれてもすぐ病死したり、生活苦しいから山に捨てたり。
それが妖怪を呼び寄せたのか、またはそういった後ろめたさそのものが
妖怪を生み出したのか諸説ありだろうけど。
なので、最初たどちゃんから話を聞いても、今回はこれこれこういう妖怪だ、
とか何とも言えなくて、こうして状況証拠が揃ってや消去法で考えて、
やっと私は死んだネズミが「なきご」というものではないかと考えた。
ネズミはただのネズミだろうwwと馬鹿にしないでおくれ。
あくまで妖怪退治的な立場として考えたときにこういうことだとって説明な。
なきごは何かしら小動物の姿を取り、子供のような鳴き声をして、
憑いた家で子供が産まれにくくする悪影響を持っている。
どのような切っ掛けで家に入り込むかはよく分かっていない。
何かいつの間にかいるやん!って感じ。
スポンサーリンク
で、ここからがポイントなんだけど、なきごの声は普通の人間には聞こえない。
なので、例えいたとしても、多くの場合は誰にも気付かれない。
子供が欲しいのに中々生まれない家にはもしかしたらこっそりなきごが潜んでいるかもしれなくて、
少子高齢化の日本ではある意味国を滅ぼしかねないな…と思ったり
まぁ、そんななきごだが、弱点はかなりわかりやすい。
こいつは子供の泣き声をする癖に実は子供が大の苦手で、
子供が家にやって来るとそれだけで憑いた家から出ていくのだ。
地方によっては子供が年に一度家々を回るような何かしらのイベントがあるけど、
それはなきごの引っ越しを強要する側面がある。
そして、なきごの声が聞こえるのは決まって2タイプの人間になる。
霊感がめちゃくちゃ強い人、または幼い子供を失くした人間だ。
ここで言う幼い子供と言うのは、当たり前だけど赤子や水子も含む。
なきごの声を聞いた人間がどうなるかは大分個体差があって、動物に吠えられたり、
子供に関する幻覚を見たり、悪夢を見たり、カラスにフンを落とされたり、
人が変わったりとか色々言い伝えがあるから、正直どれが正確かは分からない。
とは言え、人命に関わるようなことはまず起きない。
つまり何が言いたいかと言うと、なきご自体はそんなに厄介な奴ではない。
「駆除」というと人間本位になってしまうけど、引っ越ししてもらうのは
家に子供を数人呼んでかくれんぼでもしてもらえば簡単にできるからね。
今回の問題点は、たどちゃんがそんななきごを殺してしまったかもしれないからだ。
なきご側からすれば、
「何か呼ばれたし、もてなしてくれるみたいだから行ってみるかー」
と出てきて
「お、家の人がいるし挨拶したろ!」
とたどちゃんに近づいたら、
突然のしかかり攻撃で殺されたわけで、
これは所謂、騙し討ちととらえられても仕方ない。
妖怪退治スレで何度も書いているように…って書いたかどうか記憶が定かでないけど、
そもそも妖怪を殺すことはあまりとりたい手段ではない。
あくまでうちのやり方としては交渉がメインで、
その時点でやや強引な手段で無理やり追い出す。
それでもしつこい場合、まぁ殆どないのだが、
双方の言い分を理解してもらったあとで、そこで正々堂々と戦って、
どっちか勝っても負けても恨みっこなし!と言う風にしている。
この恨みっこなしと言うのが妖怪を本当の意味で退治する際に大事で、
じゃないと今度はより厄介な怨霊に化けたり、
仲間が復讐しに来る、みたいな風にもなりかねない。
とは言え、日本昔話ではヤマタノオロチとか
大妖怪を騙し討ちして倒すようなお話がたくさんあるけど、
あれは何なの?って疑問が残るよね。
これは騙し討ちした妖怪に対しての一種の供養に当たる。
つまり、あなた様は本当に強かった。騙し討ちなど卑怯な手段を用いて
あなた様を殺してしまい大変申し訳ない、お恨みになる気持ちもわかります。
でも、ご理解していただきたいのは、これは我々人間がどう頑張っても
正々堂々戦った場合あなた様に敵わないために仕方なくしたことです。
と言う風に理由を申し上げて、更にお詫びとして、
この話を広めて、末代まであなた様がいかに強かったか、
私がいかに卑怯な人間だったかを伝えます。みたいな。
まぁ、時代の変遷とともに何か騙し討ちした人間側が
いかに転機がきくかみたいな話になっちゃってるけどね…
で、それをした上で妖怪の鎮魂のために神社をいくつも立てて、
現代まで祀っているよね?そこまでしてやっと一安心できるってことだ。
ただ、それは今回のなきごのような弱小妖怪には通用しない。
なんせ弱いから…騙し討ちをする正当な理由が見つけられないし、
それを言ったところで納得してもらえないのだ。
1:@cvtbcmEgcY:1月22日
やっと当人より了承頂いたので、弁解させていただきたいと思います。
例の話な続きについつですが、故人の話題に触れるため、
ご遺族がそれを公にしたくないという気持ちも何卒ご理解の程お願いします。
それを深く考えずに文章にした過去の私の浅はかさについてはお許しください。
それ以降の話は基本的に関係者から許可を取ってから話しております。
(※この話は残念ながらここで終わりです)
洗心術
(妖怪退治のスレの)洗心術のお話がとても興味深かったです。既出だと思いますが、一括するとき拡声器で飛ばすと言うやり方が呪術廻戦の乙骨憂太が呪禁を拡声器で飛ばしてたのとかぶる!となり興奮しました。元ネタはきっと1様ですね
1:@cvtbcmEgcY:1月28日
元ネタは儒教です。
素人でも唱えて効果があるお経とかありますか?
1:@cvtbcmEgcY:2月1日
元々、お経というものは除霊だとか、邪気を払うための物ではないです。
あくまで自身の心を落ち着かせるために唱えるもので、
そして結果的にそれで自身の邪念を消して、強い心で邪悪な存在を拒むことが出来る。
そのため、「効果的な」お経というのは自分が読んでいて落ち着くものとなります。
極論、心が平穏になるならエロ本を朗読してもいいです。
意識高いラーメン屋の店長が朝にバイトに接客の心構えを大声で叫ばせる感じのあれがお経です。
坊主ではないので間違ってたらごめんなさい。
お経を読むのが大事なのではなくて、お経の意味を理解して、
たくさん読むことで脳みその中に叩き込もうとすることが大事なのです。
目的と手段は逆転しないようにしよう。
唱える言葉自体の力を期待するなら聖書かな…?
そのまんま神様の言葉がありますので、神様の力が宿っているらしいし。
呪いについて
本気で呪いたい相手がいる場合何かする方法ありますか。
1:@cvtbcmEgcY:4月20日
自分が相手を呪っていることをさりげなくアピールすることが一番の呪いになります。
無論、相手に呪ってることはバレるので、呪いは跳ね返りますが、
私も一緒に地獄に落ちる覚悟であなたを呪ってます。
という事実が相手の心にわずかばかりのダメージを与えるので確実性はあると思います。
本格的な呪いの場合は
・誕生日誕生時刻、誕生場所(所謂八字)
・親が名前を付けた意図意味
・家族の墓の場所
・日頃の飲水の由来(川、井戸とか)
・上の情報に適合した場所、時間
・よく使うもの(枕とか)
・血(生理は不可)
等が必要になるので、ググって上の情報全て使ってる儀式でいいと思う
呪いの代表としての丑の刻参りですが、
基本的に最近の山の入り口とか神社とか寺とかには夜間監視カメラが回ってるので、
見られずに実行するのは困難ですね。
呪いにも世知辛い世の中だ…
聖人について
1:@cvtbcmEgcY:6月10日
オカルティズム中での聖人とは何かについての解釈だけど、これは単純に「いい人」という意味合いではない。
古代中国の易経か何かによると「大道」即ち世界の法則そのものは
「五十(50個あると言うわけではなく一種の比喩)」存在するが、
「天」即ち世界そのものは不完全でありこの内四十九から成り立つ。
そして残った一こそがある意味全てを決定する変数であるとした。
これはある意味物理学に通じるものがあって、
世界はたくさんの自然の法則に沿って動いていて、どんな人間もそこから脱却できない。
しかし、世界そのものは完璧なものではなく、
量子力学で言うと不確かな部分が存在して、これが世界の変数となる。
聖人とは自然の法則から脱却し、世界の変数となることで、逆に世界そのものへ影響を与える者。
そのため、天地を将棋盤に例えるなら、万物はその盤上に存在するが、
聖人のみがそこから外に出て、将棋の指し手になれる。
道行を積むことは、この聖人に少しでも近づくためにある。
流派の話
1:@cvtbcmEgcY:6月10日
私の流派は「搬山流」と言いますが、これの由来は愚公移山で、
これもまた聖人へ至るまでの一種のアプローチである。
愚公は不便な山を切り崩そうと思い、ある日から毎日山の土を掘っては運んだ。
皆無理だと嘲笑したが、愚公は孫やその子の代までかかってもやり遂げると言った。
すると、神様は愚公の決意に驚いて、これではどうせ何れ山が崩されてしまうため、
もう今山を動かしてしまおうとして、山をどかせた。
ここでの「神様」を「天道の四十九=世界そのもの」として見た場合、
愚公は間違いなく世界への一種の変数となった。
本来動くはずのない山が、動いたのだ。
よくわからないと思いますが、私も正直ちんぷんかんぷんです。
まぁ簡単に言うと、奇跡はあるんだよってことですね。
オカルトなんだから理屈での理解ではなくて、感じましょう。
こう考えると周易ってすごいですね。
紀元前から言ってること自体は量子力学の不確性理論の結論と似たり寄ったりなわけだし。
修行の話
1:@cvtbcmEgcY:2016年7月2日
世の中の残ってる法と言うものは
大抵金持ちや高い地位の連中を傷つけられないように出来てる。
まぁ、そういう人たちは気運に守られている的な
例えば、心剣をどこまで鍛えたところで、そういう金持ちには効いたりしない
そういう話で詳しいことは俺もよく知らんが、
1950年代が分かれ目で、それ以前と以降じゃあ、修行云々のしやすさが激変したらしいね。
その前の時代ならそれなりに続ければ、道行を積めるようになるけど、
それ以降は本当に一部の器がいいやつしかできないらしい。しかも効率も激減とか
あくまで、個人的な思うところは、そういうことに対する畏怖の気持ちが減ったからだろうね。
科学的は解釈や分析をしようと試みればみるほど、
畏怖が失われて、打ち込んだり、信じたりすることが出来なくなった
まぁ、古い世代の人は霊力(笑)が何かしらの原因で激減した。と信じる人が多いらしいけどね
1:@cvtbcmEgcY:2017年2月20日
中国の文化大革命は権力争いの虐殺うんぬんが一般論だが、妖怪業界では、
妖怪や修行者とかを国から排除する為ってなってるよ。
中華人民共和国建国以降、妖怪が生まれるのは禁止されていて、
入道するなんてもってのほかで、見つかり次第殺される弾圧っぷり。
中国の神秘殺し運動って、王朝が変わるごとに行われてて、
特に元、明、清といまの中国の建国時はやばかったらしいね。
元の時代では、ほとんどの力ある妖怪は日本や他の国に逃げた。
明の時代は龍脈を全て破壊し、仙人への道が断たれた。
清の時代は文字獄や伝承の帰省で妖怪が神になる道を失った
西洋の魔女狩りみたいなもんだね
日本と他の国の違いはそこらへんを弾圧ではなく、
共存を選んだところだね。それが良いか悪いかはともかく
スポンサーリンク
不気味だった話
1:@cvtbcmEgcY:2016年9月14日
長仕事おわって、偶然立ち寄ったブックオフでひさしぶりにノベレゲーやりたいなぁ思って、
かまいたちの夜の中古を100円で買ったんだけど、
なんかクソ不気味な写真の切り抜きが説明書に挟んであって、きれそう
運動会?てきなところで
くっそブサイクな体育着姿の女の子と、
その後ろで女の子をじっと見つめる女?を切り抜いた感じ。
親指くらいの大きさ
女の子はこっちみてないけど、
女がカメラ目線でこっちみんなってなる
怖い夢
1:@cvtbcmEgcY:2017年5月9日
夢の中の俺は中学生でへんな学校に転校した。
その学校はすごいスパルタ教育で、テストで、
悪い点を取ると罰を受けることになる。
なんの罰かは忘れたけど、結構厳しかった気する
そんて、俺の転校初日からテストで、しかも内容が校歌の歌詞だったり、
校長の名前だったり意味わからんもんで、全くできなかった
テストを受けるときは、
卓を給食食べるときみたいに向かい合わせにくっつける謎の形式なんだが、
俺の向かい合わせの女子が回答用紙を二枚取ったらしく、
二枚とも書いて、一枚は自分の名前、もう一枚は俺の名前を書いて、
回収のときに俺の真っ白な用紙とすり替えた
そのおかげで、罰を受けなく済み、彼女が好きになった。
ただ、この夢は悪夢なんですよね
ある日、クラスで文化祭の出し物である演劇のキャストを決めるために、
音楽室でオーディションやることになった。
俺はその子と一緒に音楽室に行ったんだけど、中の様子がなんかへんだった
まず、まぁ、うちのクラスの生徒がいて、
そして壁にバーベキューセットの編みみたいなのが壁に立てかけてある。
壁の隅では清掃員のおばさんみたいなひとが三人ひそひそ話をしていて、
妙に暗い顔だった
一人づつ呼ばれてオーディションするんだけど、
その間俺はおばさん達をみてだんだん気持ち悪くなって、
ついに自分の名前呼ばれた時に我慢できなくなって、
音楽室から飛び出した。
一瞬好きな子に止められたけど、それでも
中庭まで来てやっと一息ついたら、
クラスの女子で、誰とも話さない園崎さんという人が
図書室の重そうな本をもってやって来て、俺をみて驚いた顔をした。
そんで、行かなかったんだ。そっか転校生だもんねっていった。
俺はなにが?って聞き返したんだけど、
園崎さんは笑って、今日から人が死ぬって言った。
はっ?って俺が声を出すと、バタンって音がして、
上を見ると、音楽室からクラスメイト全員が窓から首を吊ってた
もちろん好きな子もいて、
みんなてるてる坊主みたいにぶらんぶらんしてた
そっから警察やらなんやら大変だったんだけど、
クラスの俺と園崎さん以外が死んだから、
別のクラスに編入した。
そしたら、その日から毎日一人づつ、誰かが自殺した。
おかしいことを先生や警察に訴えても事務的な処理するだけだし、
こんなことあったらマスコミが大騒ぎする筈なのになーんもなし
さすがにおかしいってなった新しいクラスは何かないか色々調べた。
俺も図書室で調べてたんだけど、全くわからなくて、
あの日の園崎さんの態度が気になって、
何か知ってるんじゃないかと思って聞いてみたら
10年前の新聞と卒アル見るように言われた
10年前の新聞ではなんかの事故でたくさん死んだ人の名前があって、
その名前が、俺の元クラスメイトたちで、
卒アル見ると、彼らは10年前くらいに卒業してある筈だった
この話前にした気がするが、毎年思い出すんだよなぁ
同じ感じの夢をみる
不気味な人の顔とか、無限ループとか、空間が変とか、なんか嫌なbgmが流れてるとか色々悪夢を見たが、自分が中山になったりならなかったりするのは新鮮みがあるなぁ…
誰か夢診断してくれ。僕は寝ます。めがめっちゃ冴えたけど。おやすみ。
スポンサーリンク
アイコンの石
アイコンの石のようなものはなんですか?
1:@cvtbcmEgcY:2016年12月20日
見たら呪われる石です。
たくさんの人が見てくれれば呪いも薄まるので、アイコンにしてます
うそです
マジレスすると、
毎年文字掘って、ある川に沈めて、
次の年に回収して、綺麗なやつに変えてるやつ。
たまに流されたり、土被って見つからないときは大変になる石
おすすめの本
あちらで何回か返事もらえた者ですが、こちらからははじめまして。
厚黒学、遅ればせながら読み終わりました。自分に欠けてたのは正にこの概念だったと、本当に勉強になりました。
また、おすすめの本などありましたら教えていただけたらと思います。
1:@cvtbcmEgcY:2016年9月15日
はい
1:@cvtbcmEgcY:2016年12月15日
小説で一番好きって聞かれると、うーんってなるけど。
絶対自分以外に読んだことないだろって小説で一番好きなら連城訣って中国の小説は好き
岩窟王に近いけど、悪人たちが少しでも善の心を信じてたら、
主人公サイド悪人サイド何もかもみんな幸せになったはずなのに、
絶対他人にも裏があると信じて、疑うから、主人公はくっそ不幸になるし、
悪人たちも最後はひどい目にあう感じ
主人公は悲惨だし、人間って醜いなぁってまじまじ見せられる小説だけど、
自分としてはバナージ的なそれでも!って内心思ってしまう
1:@cvtbcmEgcY:2月2日
古本屋で100円で投げ売りされているようなライトノベルをあさるの好きなんだけど、
中でも「パラケルススの娘」はかなり面白かったです。
ガスライト時代のイギリス好きにはたまらないタイプのやつです。
中国の言葉に盲人象を触る
1:@cvtbcmEgcY:2017年5月10日
中国の言葉に盲人象を触る、
という言葉があるんだけど、まさに法を表現している感がある
昔々、四人の目の見えない人が象がどういう動物か知るために象を触った。
最初の人は象の牙に触れて、硬いこん棒みたいな動物だといった。
次の人は耳に触れると、おおきな扇みたいな動物だといった。
3番目の人は足に抱きつくと、柱見たいな動物だといった。
最後の人は、尻尾に触ると、縄だといった。
四人の意見は食い違い、周りの人たちは笑い転げた
つまり、物事を全体ではなく、
一部分だけで理解した気でいると、大変な勘違いをするってことだ
法を文字で残しても、まぁ、例えばお経とかがあっても、
それは全体の一部分で、それに縛られることは却って法を理解できなくなる
イスラムやキリスト的なあれ
なので、一部の職人や芸者が頑なに技術を本にするのではなく、
口から口へ伝えようとするのはそういうのが怖いのかもね
頑固だとただ馬鹿にするのは良くないぞって話
1:@cvtbcmEgcY:2017年6月24日
無理やり相手を理屈っぽいことで誤魔化す時に大切なのが論点のすり替えだ。
例えば、人の病死を不倫や離婚などのスギャンダルとのすり替え。
悲しみにくれる人を配慮する人道的精神を言論規制や弾圧へのすり替え。
そして、このすり替えをいかに相手にバレずにやるのが腕の鳴りどころだね。
でも、これは弁論の技術で、相手をいい負かしたところで何の意味もない。
結局相手は何も納得しない。この話は妖怪との対話で物凄い違いを生む
騙してもいいし、きついことをしてもいいし、ひどいことをしてもいいけど、
相手が納得しないと大抵大変なことに繋がる。
相手を負かして自己満足したいのか、
それとも自分のやってほしいことをやってもらいたいのかをよく考えないとな
1:@cvtbcmEgcY:2017年5月27日
話すときの緊張しないコツは、相手が親の仇で、復讐するために近づき、
親切そうな人の演技をしている、と考えればちょうどいいくらいになる