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637: ボッケモン人国 1/3@\(^o^)/ 2016/10/22(土) 18:57:11.00 ID:YGxHCY3l0
海音寺潮五郎「ボッケモン人国」「西南戦争遺聞」
薩摩(鹿児島)では命知らずの勇敢な人間を「ボッケモン」と言い、
こう言われることは全年齢を通して大変名誉なことと言われている。
たとえば江戸時代の平戸の大名、松浦静山が書いた「甲子夜話」では
・薩摩に「野郎」という儀式があり、一室に会して円座を作り、飲食する。
その天井の真中から装填した銃をぶら下げて各自の胸の位置にあたるようにし、
宴会が酣になったころ、火縄に火をつけ、思いっきり回す。
やがて飛び出す弾丸は、誰の胸を貫くかわからないが、怯え騒ぐものは臆病未練として、みんなで談笑する。
・鹿児島藩の殿様が巻狩をした時、ある者が声を上げたため獲物が逃げてしまった。
怒った殿様は「今度声を発したものは切腹させる」と言ったところ、獲物が見つかった途端
その場の武士全員が大音声で鬨の声をあげたため、殿様は激怒。
わけを聞いたところ皆「声を上げたら切腹、と言われて黙るような者ではボッケモンはつとまらん!
早く切腹を仰せつけよ!」と言ったため、殿様も閉口してしまった。
といった薩摩人の勇壮を好む話が書かれている。
638: ボッケモン人国 2/3@\(^o^)/ 2016/10/22(土) 18:59:13.96 ID:YGxHCY3l0
そんな鹿児島で、鹿児島出身の海音寺潮五郎が知り合いのおじさんから聞いた西南戦争の時の話。
鹿児島に潜入した官軍の密偵が捕まり、周囲の人間は密偵に悪口雑言を投げつけるが
密偵の男は始終落ち着き払い、微笑すら浮かべていた。
人々はみんな感心し「あっぱれじゃ。男はあげんなかといかん」と賞賛。
男は結局処刑となったが、まだ小さかったおじさんが家に帰ると、祖父と客がその話をしていて、
客が「そんな肝っ玉の大きい男、あやかりたいものでごわす。処刑の場所は?」
と言い出したため、場所を知っていたおじさんがしぶしぶ客を死骸まで案内することとなった。
死骸のところまできた客は、提灯を死骸に近づけ、しばらくゴソゴソしていたが、
「おや、もう誰か来て取っていったな」とつぶやいた。
おじさんがおもわず客の方を見ると、
客は死骸の斬り口のところから手を差し入れて、しきりに胴体をかき探していた。
639: ボッケモン人国 3/3@\(^o^)/ 2016/10/22(土) 19:01:57.60 ID:YGxHCY3l0
ひえもんとり・・・
江戸時代、薩摩では死罪人が出ると若い武士が突入し、
罪人の肝を切り取ることが競われていた。
切った肝は陰干しにして「アサヤマ丸」というものにした。
(おそらく江戸時代の処刑人、山田浅右衛門からつけられたものだとおもわれる)
自身は飲んだ記憶がないが、弟や妹にもそれを病気の時に飲まされたのを、
筆者である海音寺潮五郎は記憶しているそうだ。
海音寺潮五郎、さらっと弟や妹が食人したこと書いているような。
640: 本当にあった怖い名無し@\(^o^)/ 2016/10/22(土) 20:00:57.14 ID:pZZvdUoW0
>>639
江戸時代は人の生肝は万病(特に結核)に効く特効薬だと信じられていた
山田朝右衛門(代々襲名していた)にのみ、採取が許されていた
合法な入手ルートは山田家のみなので
山田家は生肝を薬種問屋への卸で、かなり裕福な暮らし向きだったって
まあ、採取方法を想像するとな