後味の悪い話

【後味の悪い話】功名が辻

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494: 本当にあった怖い名無し@\(^o^)/ 2016/02/09(火) 22:35:19.39 ID:tqYhwjS50.net
超有名だけど司馬遼太郎の「功名が辻」
恥ずかしながら最近になってやっと読んだんだけど、オチの後味悪さにびっくりした

実直なだけが取り柄の武士・伊右衛門と、才覚溢れるその妻・千代が織りなす戦国痛快物語…というのは途中まで
物語も終盤、中年になった伊右衛門は夢にまで見た城主となり、お上の命令で土佐を治めることとなった
しかし土佐の兵士らは非常に頑固で、長曾我部を追い払って代わりにやってきた城主などに付き従う気はさらさらない
殺気まみれの土佐衆を従わせるため伊右衛門は妻に知恵を借り、千代はなるべく穏便に済むよう妙案をいくつか思いつく
だが伊右衛門はそもそも大して器量のある男ではなく、ここまで出世できたのも千代がそれとなく働きかけ続けたおかげ
政治のセンスもなければ歳を取ってやっと手に入れた城を力不足で取り上げられるかもという焦りも手伝い、実が成るまで時間がかかる千代の案を所詮女の浅知恵とボロクソにけなす

結局伊右衛門は千代に黙って力ある土佐衆たちを相撲大会の名目で集め、取り囲んで銃殺するという手を選んだ
千代は鬱状態になり、「あなたが馬鹿だとよく分かった」「逆らわれるのが嫌なら私も殺せ」「あなたを出世させたいという私の夢はこんな形でしか叶わなかったのか」と嘆き悲しむ
その後伊右衛門は養子の結婚の直前に病死、千代も隠居して静かに死んでいった

仲睦まじく妾も取らず(一瞬浮気したけど…)支え合って生きてきた夫婦の顛末がこれかとなかなかショッキングだった
純朴な若者だった伊右衛門が偏屈で視野の狭い年寄りになっていく様が生々しくてそれもそれで後味が悪い

495: 本当にあった怖い名無し@\(^o^)/ 2016/02/09(火) 22:59:22.02 ID:LfnGzD0c0.net
最期はお茶屋になった、という後書きは読まなかったの?

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496: 本当にあった怖い名無し@\(^o^)/ 2016/02/09(火) 23:28:51.52 ID:xMIYOGt50.net
司馬遼太郎の高知関係なら「夏草の賦」も読んでみよう
土佐の長曾我部元親が近隣を従えていき、主人であった一条兼定も追放し、
土佐一国では飽きたらず、阿波(徳島)、讃岐(香川)、伊予(愛媛)と併呑していって
とうとう四国統一まで来たところで、圧倒的な力を持つ豊臣軍に三方から攻められて降伏。
結局土佐一国に逆戻り、秀吉に会って自分が鳥なき里の蝙蝠だと実感し、
豊臣の支配のもと、長男の信親がたくましく成長していくのを見て将来も安泰だと思っていたら
九州の島津攻めにおいて、なぜか長年争ってきた讃岐の十河存保といっしょに無能な仙石秀久(前に元親に破れている)
という将の元につけられ、開戦前から軍内部はギスギスとした雰囲気に。

バカな仙石秀久は島津の罠に釣られて駈け出したため、追ったところ伏兵に包囲されてしまう。
仙石秀久は大将でありながら真っ先に逃げ出し、大分から淡路島まで逃亡し「三国一の臆病者」と敵味方からののしられる。
元親は混乱した軍をなんとか立て直し、命からがら逃げ出すも、息子の信親が奮戦の末討ち死にしたことを知る(ついでに十河も)。
島津の将が形見として持ってきてくれた信親の刀や鎧はボロボロとなっており、原型をとどめていなかった。

信親の死を知ったためか、病気であった最愛の妻まで数日後失い、かつて四国の雄であった元親は以後、正常な考えができず、
信親に似ていた4男の盛親を信親の娘と結婚させ(叔父と姪)、数年後死亡する。
元親の死後、元親の次男と盛親の間で後継者争いが起き、後継者となった盛親は関が原の戦いでまともに対応できず、関ヶ原で戦っていないのに
(敵方に内通していた吉川広家が弁当を食べるとごまかして、長曾我部軍が戦場へ行くのを邪魔した)改易され、↑の山内一豊が土佐の支配をすることになる。

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