後味の悪い話

【後味の悪い話】三國連太郎の実話

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289: 本当にあった怖い名無し:2007/09/17(月) 02:44:33 ID:2t+iMAno0
>>288
三國連太郎の実体験を思い出した。話はまるっきり逆だが。
1943年12月、20歳の時に大阪で働いていた際、母の手紙が来たが、
「おまえもいろいろ親不孝を重ねたが、これで天子様にご奉公ができる。
とても名誉なことだ」と、国のために命を捨てる息子を心から喜んでいる文面だった。

自分に赤紙(召集令状)が来たことを知り、「戦争に行きたくない。戦争に行けば殺されるかも
しれない。死にたくない。何とか逃げよう」という素朴で自然な感情から、
すぐに郷里の静岡とは反対の西へ向かう貨物列車に潜り込んで逃亡を図った。

しかし、逃亡四日目に無賃乗車で乗り継いで山口県まで来たとき、
母に「ぼくは逃げる。どうしても生きなきゃならんから」と手紙を書いた。
親や弟、妹に迷惑がかかることを詫び、九州から朝鮮を経て中国大陸へ行くことも書きそえてしまった。

そのために、数日後、佐賀県の唐津で船の段取りをつけていたところで
尾行に気付き、あっけなく憲兵に捕まって連れ戻された。
処罰は受けず、皆と同様に赤ダスキを掛けさせられて、静岡の連隊に強制的に入れられた。
中国へ出征する前、最後の面会にやってきた母が「きついかもしれんが一家が生きていくためだ。

涙をのんで、戦争に行ってもらわなきゃいかん」言った。
連太郎は、このとき全てを悟った。『憲兵に知らせたのは、おふくろだったのか』。
没落した網元の娘である母親は、“家のために”黙って戦争に行くことを息子に強要し、
逃亡先からの手紙を憲兵隊に差し出したのである。連太郎の胸の奥で、何かが崩れた。
中国の前線へ一緒に行った部隊の総勢は千数百人。
しかし、彼とともに無事に再び祖国の土をふめたのは二、三〇人にすぎない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/三國連太郎

296: 本当にあった怖い名無し:2007/09/17(月) 10:52:08 ID:QiU/mFh/0
>>289
うわ、実話だけにキツイねこれ
復員したあと親子関係の修復はできたんだろうか

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